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<東京怪談ノベル(シングル)>


若い風のための対話


 気がかりな夢から覚めた。
 ここのところ、夢見が悪い――気がする。忘れられない夢を見て、目を覚ますと同時に綺麗さっぱり忘れているのだ。
 喉と目は渇き、身体はだるい。
 それでも、腹筋を使って身体を起こし、ぱちんと頬を叩いてみれば、気分はすがすがしい朝へと滑り出す。彼は――山岡風太は、あまり夢のことを気にしないようになった。気にしないように自分に言い聞かせている、とも言えるだろう。彼はぐずぐずといつまでも暗い思いを巡らせるたちではなかった。ないはずだ、とも思っている。時間と星の流れが――ん? 何故、星などが関係するのだ?――多少は自分を変えていこうとも、根底にあるものは決して変わらないはずだ。イア!
「イアって何語だ?」
 風太はそうして腹筋を使って起き上がり、ぱちんと頬を叩いてから、きょとんとした顔で呟いた。
 どうやら今朝は、厄介な夢を見ていたようだ。
 長い夢を見ていたらしい。

 私立第三須賀杜爾区大学は夏期休暇に入っている。大学というものは往々にして夏期と冬期の休みが長く、私立大学だと輪をかけて長いときている。世間の小中学校と高校は、そろそろ入るか、入ったか――。風太はカレンダーと、その近くにある時計を見た。現在、午前10時半。
「よく寝るよな、俺」
 風太はぼんやり呟いた。
「……ダメだダメだこんなんじゃ! 貴重な時間が! 若いうちに色々やっとけって先生も言ってたじゃないか!」
 連日の猛暑で、寝ているだけでも汗だくになっている始末だ。風太はバスルームに飛び込むと冷たいシャワーを浴び(ぎゃあ冷てえと叫びつつ)、特に予定もなかったが、大急ぎで着替えた。
 しかしそんな、連日午前10時半起きの風太も、このマンションの一室でのんべんだらりと過ごしているわけではない。白王社ビル内の月刊アトラス編集部に行き、その日限りの探偵になったり、使い役を務めたりして、小金を稼いではいた。そして、夏期休暇に入る前に各教授から出された課題も、少しずつだが手をつけている。授業再開日直前にあたふたするのは、去年で卒業したつもりだ。
「でも、もう8月か……」
 安物のカレンダーをめくりながら、風太は呟いた。
 知人友人の多くは、すでに帰郷していた。アスファルトで固められた都市よりも、田舎の方が涼しいからだ。今年は特に、暑すぎる。
「俺も帰ろっかな……」
 彼の故郷はさほども遠くないところだし、猛暑の魔の手の中にある地域だが、その言葉は自然と彼の口をついて出た。
 そして自然と、彼は電話に手を伸ばしていた。


■トゥルルルルル――


『はいもしもし、山岡です』
「あ」
『もしもし?』
「ああ、俺。風太だよ」
『なんだ兄貴か』
「なんだってなんだ」
『兄貴こそなに驚いてんの?』
「いや、お前が出るとは思わなくて」
『妹の声まで忘れたわけじゃなかったんだね。感心した! 感動した!』
「なんだそりゃ」
『だってさ、前に兄貴、うちの住所ド忘れしてたんじゃん』
「あー、あれはー」
『で、なんか用? お母さんとお父さんならスイカ買いに行ったよ』
「そっかそっか。お前もう夏休み入ったの?」
『昨日からね。午後から出かけるんだ。兄貴、何して過ごしてんの?』
「特には何も……日雇バイトとかかなあ」
『さーびしー。やだやだ』
「大きなお世話だ! って、ちょうどよかった。お前に聞きたいんだけど」
『あたしに? なに?』
「いや、えっと、何かプレゼントされるとしたら、何がいい?」
『えっ!! なんかくれんの?! そうだなー、そしたらやっぱ新しいケータイがー』
「ち、違うバカ! た、たとえばの話だよ」
『なーんだ。ケチ』
「……」
『あー!!』
「な、何だよ! 鼓膜破れるだろ!」
『ついに! ようやく! 兄貴にも!! ……こりゃもうスイカどころの話じゃないよね、赤飯モノだよね! 早速おかーさんとおとーさんに報告――』
「ち、違うバカ!」
『恥ずかしがることないじゃーん』
「マジで違うんだったら! ばば、バイトで調査やってんの! 最近の女子高生の好みはどんなものかって……」
『プッ』
「……それ以上詮索しないほうが身のためだぞ……」
『……ま、いいけど。その子どんなカッコしてんの?』
「あ、えっと。黒い――」
『プッ、こんな誘導尋問に引っ掛かるなんて』
「だまれー!」
『だーいじょーぶ、お母さんとお父さんには内緒にしたげる。で、どんな子? 雰囲気わかんないとさ、アドバイスも出来ないよ。ギャル風な子と優等生風な子のどっちも喜ぶものなんてカネくらいのもんなんだから』
「……。お前、なんかスレた……」
『そう? 成長したって言ってくんない?』
「……。えーと、いっつも黒いレインコートで、長靴で、手袋で……」
『なにその子ギャグ?』
「ち、違うバカ! 俺も彼女もまじめだぞ!」
『……。ま、いっか。なんか難しそうだから、一緒に選んであげるよ』
「ほんとに?」
『うん。週末にアポなしで兄貴んとこ襲撃しようと思ってたんだけどさ』
「危ないとこだった」
『なんか乙女に見られたらヤバいもんでもあるのー?』
「な、ない!」
『冗談だよ。兄貴ってわかりやすいよね。じゃ週末に行くから』
「わかった。こっちも空けとくよ。……ずっと空いてるようなもんだけど」
『さーびしー』
「だまれー!」
『あたしが寂しい兄貴に付き合ったげる。ついでに渋谷に用事もあるし。あ、お礼は洋服でいいから!』
「なに、ちょっと待」


■ツーツーツー


 風太はしかめっ面で受話器を置いた。
 もともと何の用件で電話をしようとしていたのか、受話器を置いてから気がつく。そうだ、母か父に、盆の一週間まえには帰るということを話そうとしていたのだ。ついでに、お互いの近況についても。
 妹と話せばいつもこうだ。彼女の話術にはかなわない。いつも、いつの間にか彼女のペースだ。密かな意中の女性の存在も知られてしまった。
 スイカを買って帰るであろう両親も、間もなく知ることになるだろう。
 しかし――それにしても――なぜ、妹に、そんな話題を振るはめになったのか。
「ま、いいか……」
 妹に存在をギャグだと言われた意中の女性が、喜ぶようなものが手に入るなら。
 そう、彼女に長いこと会っていない気がする。
 週末に妹に会う。何か、女性にとって素敵なものを買う。懐は温かいから、いいものを買えるはずだ。スレたアドバイザーにお礼をすることも出来るだろう。
 そして盆に帰郷する前に、贈り物をしたい相手とは、会う機会を作れるはずだ。盆が終わってからでもいい。夏期休暇を終わって、大学が始まってからでも遅くはない。
 山岡風太は、そうして、再びカレンダーと対峙した。
 週末に予定を書き込みながら、彼はふと気がつく。

「そうだ、今日は何しよう」




<了>