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四々霧村怪異談(前編)
電話よ。
と、言われて出てみると、相手は草間だった。
『よう……』
声はどうにも暗い。
「なになに、どうしたの? 遂に、経営悪化で破産した?」
明るい声でからかうように言ってみる。そんなことはあるかと大きな声をあげるかと思ったが、草間の声は静かなままだった。
『いや……そうではなく……』
「……なに? 深刻な問題? 俺でよければ力になるけど……」
あまりに声が静かなので、冗談も言えるような状態ではないのかと心配になる。成功はやや声の調子を落とし、草間にあわせるとそう言った。
『助かるよ。おまえではなくては無理なんだ……』
「へぇ、なんだろう?」
舞い込んだ依頼のことだろうか。もしかして、どこぞかの学校に潜入しなくてはならない事態になったとか? そして、自分に白羽の矢がたったとか……などと成功がほんの少し胸を高鳴らせていると草間は言った。
『ラジオ、壊れちまってさ……』
「……」
『……』
一瞬、沈黙が場を支配した。
「あーはっはっはっ、そいつは傑作! なんだ、そっか、そんなことか。いいよ、みてやるよ」
あまりに深刻な声を出すから何かと思えば、ラジオの修理。思わず、笑ってしまったが、深刻な問題ではなくてよかった。わりと手先が器用なようで、簡単な修理なら自分で行える。それを話したことを草間は覚えていたのかもしれない。
『わ、笑うなよ……』
「すごい深刻な声を出すからもっと大変なことだと思ったぜ」
『俺には深刻なんだよ……』
不満がありそうな声で草間は言う。
「じゃあ、今から行くからさ」
成功は明るい声でそう返すと受話器を置いた。そのまま支度を整え、自宅をあとにする。草間興信所に真っ直ぐに向かい、その扉を叩き、開けた。
「おはようございまーす」
声をかけ、扉をくぐると草間ではなく、切れ長の目が印象的な中性的な容貌を持つ女性が出迎えた。
「いらっしゃい。あなたは……?」
不思議そうに自分を見つめている女性は、おそらく興信所の事務員であるシュライン・エマだろう。こうして会ったのは初めてのことになるが、話だけならば聞いている。
「あ。俺が呼んだんだ」
窓辺にいた草間が歩いてきた。棚に置いてあったラジオを手に取り、差し出す。成功はそれを受け取った。これが草間に暗い声を出させるに至ったラジオであるらしい。
「こいつ、手先が器用で」
「修理のために呼びつけたの……?」
呆れたような口調で女性は言う。草間はこくりと頷いた。
「そういうこと。よろしく……えーと、シュラインさん!」
「私のことを知っているの?」
女性は不思議そうに自分を見つめるが、その言葉はあっているということだ。目の前の女性は、シュライン・エマ、その人だ。
「会うのは初めてだけど、話には聞いていたから。ここの事務員サンなんでしょ? ……あ、俺は、メイ・チェンゴン」
漢字で書くと梅・成功と続け、草間に渡されたラジオの修理を始めることにした。草間はシュラインは何をしているのかと思えば、それぞれ掃除に精を出している。
では、やってしまいますか。
成功はラジオの様子をみることから始め、少しずつ部品を外していく。かなり昔のものらしく、造りはわりと単純だった。そうやって修理をしていると、扉が叩かれ、銀髪の男が現れた。シュラインとは顔なじみのようで親しげに会話を交わしている。その様子からして、依頼人ではない。
暇そうだが、この興信所、本当に平気なのだろうか……と思いながらさらに分解していく。すると、またも扉が叩かれた。反射的に顔をやると、二十代前半と思われる青年が現れる。これも依頼人っぽくはないのかと思っていると、その青年は言った。 「こんにちは。……あれ、今日は休業日でしたか?」
予想に反して依頼人であったらしい。ソファに案内され、お茶を用意されている。仕事の風景に興味をひかれ、修理を中断して場を観察することにした。
青年は大隈七瀬と名乗り、話を続けようとしたが、そのまえに草間は言った。
「探偵が探偵に依頼するって、どうよ?」
どうやら互いに知らない仲というわけではないらしい。
「いえ、僕、学生なんで……っていうか、いきなりご挨拶ですね」
七瀬は困ったような笑顔で答える。
「だが、兄貴の手伝いはしているんだろう?」
草間は煙草を取り出し、底をとんとんと叩く。取り出した一本をくわえたところで七瀬の視線に気がつき、箱を差し向けた。しかし、七瀬は軽く手を横に振った。
「まあ、手が足りないときには。でも、あくまで本業は学生ですよ」
「……じゃあ、学生さんの悩みを聞こうか」
草間は大きく息をつき、言った。
「はい。兄は失踪事件の調査のために、とある村へと旅立ちました。三日たっても連絡がないときは、草間さんの力を借りてくれ、と」
「つまり……既に連絡が途絶えて三日ということだよな?」
失踪事件を追っていた探偵が失踪。ミイラ取りがミイラな展開に、あきれたのか、草間は口にくわえていた煙草を落としそうになっている。
「ええ……」
「事件に巻き込まれたわけか……兄貴はどんな失踪事件を追っていたわけだ?」
「草間さん向けの事件ですよ」
七瀬は苦笑いを浮かべ、それから戸惑うような表情を浮かべたまましばらく黙っていた。だが、気持ちを決めたのか、口を開く。
「遺体の失踪事件です」
「遺体が盗まれたのか……え、違う?」
ふるふると七瀬は横に首を振った。
「いえ、盗難ではなくて、失踪なんです。聞いた話では、遺体が自ら歩いて去ったということなので……。ああ、そんな目で見ないでくださいよ……」
「あのな、死んで動かないから遺体っていうんだぞ。わかって言っているのか?」
草間は言う。一般的にはそうなのだが、遺体だからといって動かないわけではない。無念の思いや恨みを抱いて亡くなった死者は動きだし、人を襲うという話もある。死者を操る術や死者にとりつき、動きまわるという悪霊の類もいる。
「わかっていますとも。でも、そういう話なんです。兄も、友人の依頼でなければ断っていたと思いますよ……」
七瀬自身もそんな話は信じられないらしく、戸惑う表情で返した。
「僕もあまり詳しいことは知らないんです。ただ、兄の友人が住むその村……シシギリ村には、死者が歩きださないように足を切り、死者が棺桶を開けないように腕を切り、死者が動きださないように胸に杭を打つという風習があったそうです」
今では火葬なのでそういったことはやっていないそうですがと七瀬はつけたす。
「隣の家までの距離が100メートルとかありそうな場所だな。とりあえず、依頼内容は遺体を探す……でいいのか? それとも、兄か?」
「いえ、あの、兄です。兄を優先してください。遺体の方も解決できれば喜ばしいですけど、僕にとっては兄の方が大切なので」
少し困ったような顔で七瀬は言う。その言葉に頷いたあと、草間は室内を見回した。
「探偵が失踪したようだ。彼は遺体が歩いて失踪した事件を追っていたというが……通常、遺体は歩かない。何か仕掛けがあるのか、怪奇な現象なのか……ともあれ、大隈の安否を確かめることができれば、依頼は果たされるとみていいだろう」
消えた遺体を見つけだせば遺族から喜ばれるだろう……なにより盗まれたとしたら相当に罰当たりだからな、できるだけ見つけだしてやってくれと草間は付け足す。
「遺体は消えるわ、それを追っていた探偵は消えるわ、もしかしたら自分も消えちまうかもしれないが……ひとつ頼まれてやってくれないか?」
七瀬の依頼を引き受けたのは、三人。
シュライン、銀髪の男(のちにセレスティ=カーニンガムという名前だと知った)ティ、そして、自分。つまり、あのとき興信所にいた全員ということだ。それに村へ同行するという七瀬を加えた四人で問題の村へと向かうことになった。
村への移動手段は、調べるに交通の便はあまり良くはないこと、同じ場所へ行くのだから個々に行く必要はないだろうという二点から、自然とセレスティの車に同乗というかたちで落ちつき、移動時間、依頼内容から当日中の解決は難しいだろうということで、泊まりとなることを考慮し、それなりの支度を整えることに決める。そのため、一度、解散したあとに時間を決めて集合、出発という運びとなった。
支度を整えながら、できることなら情報収集でも……と思ったが、自分にはそんな時間は残されていなかった。
「ラジオ」
出ていこうとすると、草間に呼び止められた。
「え、ちょっと待ってくれよ。依頼の方が先決だろう?」
支度も整えたいし、村のことを少しでも調べておきたいし……だが、草間は言った。
「ラジオ」
「だけど、」
「ラジオ」
「あ〜……わかったよ……」
成功は言いかけるも、苦笑いを浮かべラジオと向かい合う。そして、修理をきちんと終わらせた。
「よっしゃ、終了。これで文句はないだろう!」
ラジオのスピーカーから音が流れだす。ボリュームの増減も問題ないし、局を変えることもできる。これで問題はないはず。
「お、直った。言ってみるもんだな」
「……俺のこと、信じてなかったんだ?」
成功がにこにこと笑顔で訊ねると、草間はごほんと咳払いをする真似をした。
「へぇ。器用なんだね。うちの兄貴は乱暴者というか、そそっかしくてさ、すぐに物を落とすんだよね。それで、壊しちゃう。君みたいな弟がいたら……」
成功の作業をじっと見守っていた七瀬は感心の声をあげる。
「重宝がられる?」
「いや、こき使われる」
苦笑いを浮かべそう答えた七瀬と顔を見合わせ、乾いた笑いをもらした。
「そういや、あんたも弟なんだよな。俺も弟なんだけど。どういう兄貴なわけ?」
「そうだなぁ。性格的にはまったく似てないかな」
「あ、同じ。うちもそう」
成功はにこりと笑う。
「結構、勝手に生きている人だよ。すごく子供好きなんだ。時々、タダで働いてるよ。子供からの依頼で。個人的にはペットの捜索が大好きらしいけど、普段は企業の内偵という仕事が多いかな」
「じゃあ、遺体が動くとか専門外なんだ?」
「そう。そんなことがあるわけはない、誰かの悪戯だ、ひっつかまえてこらしめてやる……と息巻いて出ていって、これだよ……」
七瀬は深いため息をつく。話に聞く限りでは、大隈は怪奇現象の類は信じないタイプであるらしい。
「もちろん、兄貴の無事は信じているんだよな?」
「殺しても死にそうにない人だからね」
七瀬は苦笑いを浮かべ、そう答えた。
直接、電車で行くことはできず、近くの街で下車したあとにバスに揺られて数時間というような地図上では山に囲まれているような場所だから、過疎化が進んでいるような田畑ばかりの土地かと思えば、そうでもない。
わりと開発が進んでいる土地で、町並みは山奥にしては整っていると思えた。人口のせいか、こぢんまりとした雰囲気は拭えないが、それでも施設は十分に整っている。
「村と聞くとどうしても田んぼや畑ばかりで日本家屋しかないような長閑な田園風景を思い浮かべてしまいますが、そうでもないようですね」
街を観察するようにゆっくりと車を走らせるセレスティの言葉は、そのまま自分の感想でもある。成功は窓の外を眺め、通りを観察した。……可愛い子はいないだろうか。
「とりあえず、依頼者……兄に依頼をしてきた友人のところへ行ってみましょうか。この村にひとつだけある病院に勤めているという話です」
「場所はどこでしょうか?」
「場所は……ははは、ちょっと訊ねてきます」
「この通りを真っ直ぐ行って、最初の信号を左」
不意にそう言ったのはシュラインだった。その手には地図が用意されている。話に聞くとおりのしっかり者であるらしい。
「さすがです、姐さん」
七瀬も感心している。シュラインの誘導で辿り着いた場所には坂崎医院という看板があった。自宅の一部を診療所として使っているらしく、全景はよくある一戸建てで、医院の入口だけがそれらしい造りとなっている。
「大勢で行くのもなんですから、とりあえず、僕だけ。少し待っていてください」
七瀬は車をおりて医院の扉を開ける。それを見送ったあと、自分たちも車をおりた。どんなに車種がよくて運転が上手かろうが長時間、揺られると身体は痛くなるものである。外に出て思い切り身体を伸ばす。
すると、二階の窓からこちらをじっと見つめている少女に気がついた。反射的に笑顔を向け、手を振る。
「さすがに空気はいいみたいね。……なにやってんの?」
シュラインがそう言った途端に、カーテンがしゃっと閉められた。
「あ……あーあ。目があったから手を振ったんだけど……」
かなりの恥ずかしがりやのようだ。苦笑いを浮かべて答えていると、七瀬が二十代半ば程度と思われる青年を連れてきた。色が白く、ほっそりとしていて中性的な顔だちをしている。
「七瀬くんから話を聞きました。宇佐美です。クマを……ああ、大隈を探しに来て下さったそうで……すみません、私がいらぬことをクマに頼んでしまったせいで。ああ、大隈に」
青年はウサミと名乗り、何度となくクマを大隈に置き換える。どうやら、大隈は普段はクマと呼ばれているらしい。
「七瀬くんにも悪いことを……」
「いえ、引き受けると判断したのは兄ですから。宇佐美さんのせいではないです」
さらりと七瀬は返す。気を遣って口にしているのではなく、本当にそう思っているように見えた。
「逆に事件を解決するはずの兄が事件を大きくしてしまったようで。宇佐美さんの期待を裏切るわ、心配かけるわで。兄にかわって謝罪します。遺体の失踪および兄の失踪はこの方たちが引き継いでくれますので、経緯を話していただけますか?」
七瀬が示したところで、軽く会釈をしておく。宇佐美の方も神妙な顔つきで会釈をし、それから周囲を見回した。
「ここではなんですので、とりあえず、ついて来てください」
宇佐美は建物の裏側へと案内する。裏口から建物のなかへと入ると応接室とある扉を開けた。どうぞとソファを示したあと、ちょっと失礼と宇佐美は部屋を出て行った。とりあえず、言われたとおりにソファに腰をおろし、宇佐美が戻るのを待つ。
「クマ、ウサギ、他にキツネとかタヌキっていうのもいるんじゃないの?」
大隈に宇佐美。他にも動物に似た名字の友人がいたりして……と冗談まじりに言うと、七瀬はキリンならいたかも……と唸った。
「……いそうな雰囲気ね」
「地図を見せていただけますか?」
「ああ、ごめんなさい。コピーをとってきたから。はい、渡しておくわ」
手渡された地図を眺めてみる。村の中心部に住宅が集中していて、その周囲を田畑が囲い、さらに山が囲っている。所謂、盆地という地形だ。確か、夏は暑く、冬は寒いんだっけ……いや、その逆だっけ……地理の授業を思い出しながら考えていると、宇佐美が戻ってきた。べつにお茶を用意してきたわけではないらしく、手には何も持っていない。
「先生に許可をいただいてきました。……ああ、私は雇われている身ですので。それで、どこから話せばいいでしょうか」
そう言いながら宇佐美はソファへと腰をおろした。遠慮をしているのか、誰も口を開く気配がなかったので、自分が疑問に思っていることを口にしてみる。
「まずは遺体がなくなったときの状況が知りたいな」
成功が言うと、宇佐美はわかりましたと頷いた。
「彼女がここへ運ばれてきたときには、既に心臓は停止している状態でした。どうにか手を尽くそうとしましたが、その甲斐なく、彼女はほどなくして息を引き取りました。死亡を確認した先生は家族へ説明するために部屋を出たため、私はひとりで用具を片づけていました。すると、しばらくしてかたんと音がしました。驚き、音のした方向を見やると彼女の腕がストレッチャー……ああ、患者さんを運ぶ移動用の診療台のことです……あれから、ぶらんと投げ出されていました。もしや、彼女が息を吹きかえしたのでは……と思ったのですが、心臓に反応はありませんでした。実際のところ、人の身体というものは死んでからも反応を示すことがあるので、そう驚きはしませんが、それがわかっていても気分のいいものではありません。すぐに彼女の腕を戻しました」
そのときのことを思い出しているのか、宇佐美はあまり明るくはない表情で語る。
「私は片付けに戻ろうと彼女に背を向けました。すると、またもかたんと音がしました。同じ音なので、何が起こったのかは振り向かなくてもわかります。しかし、振り向き、腕を直さなければなりません。私は小さくため息をついたあと、振り向きました。そして、どきりとしました」
そう言った宇佐美の顔は泣きそうにも思えた。正確にはどきりとしたのではなく、泣きそうになったのかもしれない。
「やはり彼女の腕は投げ出されていました。それだけではありません。正面を、天井を向いていたはずの顔が私の方を向いています。一瞬、躊躇いましたがそのままにしておくことはできません。手を伸ばそうとすると、突然、閉じられていた瞼が開きました。瞳が動き、私を捉えます。その動きが……なんというか、無表情な青白い顔と重なって……情けないながら小さく悲鳴をあげ、硬直してしまいました。彼女はそのまま身体を起こし、私には目もくれず窓枠に飛びつきました。そのとき、我に返った私は彼女の名前を呼びました。彼女は一瞬、動きを止めて振り向いたあと、窓の外へ……それっきり、です」
宇佐美は肩を落とし、大きく息をついた。
「遺体はここから消え、それを目撃したのはあなたというわけですか……」
セレスティの言葉に宇佐美は頷いた。
「それで、家族や先生にはなんて告げたんだ?」
「ありのまま……。だって、そう言うしかないじゃないですか……私も当時はひどく混乱していて……」
「気持ちはわからなくはないけれど……その状況での失踪ということになると、息を吹きかえしたという考え方が一般的かしらね」
シュラインは言う。確かに、それが一般的かもしれないし、喜ばしいことでもある。
「ご家族や先生はそれで納得されたんですか?」
「ええ……それが、少し妙なんですよ。そのときは、ご家族の方も娘が息を吹きかえしたんだ、周辺を探そうと喜んでいたのですが……しばらくして娘は亡くなったんだと言いだしたんですよ。私が遺体を隠したという話まで出てくる始末で……このままでは私が遺体を隠した方向で進められそうな気がして、クマに相談したんですよ」
「なるほどな。第一発見者は疑われるものだし、犯人ってことも少なくないもんな!」
成功が言うと宇佐美はやめてくださいよ……と苦笑いを浮かべ、返した。しかし、これはテレビや小説ではよくある話だ。
「まあ、俺はあんたが犯人だとは思ってないから安心していいぜ。結局のところ、あんたは遺体が目の前で去っていくところを目撃はしたが、そのあとの行動はしていない、実際の調査は大隈が行っていた……と、こういう流れでいい?」
宇佐美はこくりと頷く。自分としては宇佐美を疑ってはいない。わざわざ大隈を呼びつけて事を大きくする必要はないし、伝承や風習といったものには、それがそのまま真実ではないにしろ、それが伝えられるに至る何かがあることは確かだ。死者が動きださないように手や足を切るという風習があったこの村には、そう伝えられるだけの何かがあった、もしくはあるということである。遺体を動かす妖怪の類がいるとも考えられる。もしかしたら、楽観的に息を吹きかえしたのかもしれないが。
「今も疑われているの?」
それを問うと宇佐美は戸惑う表情を浮かべた。
「いえ、それが……それも最初だけで。彼女は息を吹きかえし、自らの意思で出ていったという方向です。ご家族の方からも気が昂っていて失礼なことを言ってしまったと謝罪を受けましたし。それでも彼女は見つかっていないわけですから、クマには調査を続けてもらいました。そうしたら、今度はそのクマが……。昔からふらりとどこかへ行ってしまうようなところがある奴でしたが、荷物は私の家に置いたままだし、この状況で黙って帰るとも思えない……どうしようかと思っていたところです」
そんな宇佐美の話を補足するように、兄はふらりといなくなったかと思うと北海道に行ってきたと土産を手にして帰ってくるような人なんですと七瀬は苦笑いを浮かべる。どうやら大隈には事前告知なくどこかへでかけるくせがあるらしい。
「あなたが大隈探偵と最後に顔をあわせたのはいつなのですか?」
「一昨日の朝ですね。私は勤めがあるのでここへきましたが、クマは前日と同じように村で聞き込み調査を行っていたようです。その内容は私にはわかりません。訊ねなかったわけではないのですが、クマはまだ推測だからと話せない、はっきりしたら話す、と」
そこまで言ったところで、宇佐美は時計に視線をやった。
「……すみません、時間的にそろそろ……」
「ああ、どうもありがとうございます」
「仕事を終えましたら、改めてお話を。今日は特に忙しいというわけではないので六時には戻れると思います。六時すぎならば問題はないので、うちの方へ来ていただけますか? 場所は……ああ、地図をお持ちのようですね。少しばかり拝借……ここです」
宇佐美はシュラインが用意してきた地図を広げると、村の外れの方にある一角を指で示した。
「……とことん、外れだなぁ」
村の住宅が密集している部分からはかなり外れている。
「祖父の代から移り住んでいますので、村としては比較的新しい住人なんですよ、私の家は」
宇佐美は気を悪くした様子もなく、そう答えた。
「最後にひとついいですか?」
「彼女は見つかっていないとはいえ、あなたへの疑いは晴れました。何故、あなたは大隈探偵に調査の続行を依頼したのですか?」
セレスティの言葉に、宇佐美は言うか言うまいかというような表情を見せたものの、やがて小さく息をつき、言った。
「村の人間が本気で彼女を探しているようには見えなかったからです」
宇佐美と別れ、医院をあとにする頃には陽は少しだけ傾いていた。だが、まだ夕刻というほどでもない。陽が落ちる前にある程度の調査は行える。
「危険な場所での行動ということではないし、人数を生かしてそれぞれに情報を集めた方がいいわよね」
「じゃあ、六時過ぎに宇佐美の家に集合ということで」
六時までは独自調査。大隈の残した荷物を見せてもらいたかったのだが、それは六時過ぎにならなければ無理のようだ。
「さてと……とりあえず……」
ふと見れば近くに学校らしき建物が見える。かなり小さくはあるが、あれは学校だろう。時間的には放課後、まだ誰か残っているかもしれない。成功は学校に行ってみることにした。
学校は小さいが、校庭はやたらと広い。そこには中学生だけではなく、小学生と思われる存在も多数、見受けられた。村の規模や建物の大きさから考えて、一学年に一クラスしかないんだろうな、しかも人数は辛うじて二桁くらいで……などとぼんやりと思う。
野球をやっている一団に近づいていくと、不意にこちらを向いて何かを言っていることに気がついた。
「ん? ……あぶない、あぶない? ……うわっ」
打球が飛んでくる。自分をめがけて。
ぱしん。
思わず、反射的に球を受け止める。
「……」
じーん。腕が痛む。
「うわー、すげー」
「素手でとったよ……!」
感心の声をあげながら野球をしていた小学生が近づいてくる。
「兄ちゃん、すごい!」
「カッコイイ!」
人数が足りないのか、よくよく見ると男子だけではなく、女子も混ざっている。年齢にもばらつきが見られた。
「そ、そう?」
むっちゃ痛いんですけど……心のなかで痛みを訴えながらも顔には笑顔を浮かべ、球を少年に差し出す。
「兄ちゃん、打つ方もすごいんじゃないの?」
「今のでスリーアウトだから、兄ちゃん、打ってみせてよ」
「はぁ?」
っていうか、今の打球、アウトにしちゃっていいのか……と成功が言う間もなく、代打扱いでバットを片手にバッターボックスに立っている自分がいる。
ピッチャーが頷き、モーションに入り……投げる。
球筋を捉え、バットを振る。
カキーン。響く心地よい音。大きく弧を描く打球。
「やったー、ホームラン!」
周囲の声に乗せられ、ランニングしたあとに、手を叩き合う。そして、はっとした。
なにやってんの、俺……。
「あれ、いきなりがっくりしてどうしたの?」
「いや、ちょっと……まあ、いいか。あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、遺体が……死んだ人が動く話、知ってる?」
成功は自分を見あげてくる小学生たちにそう訊ねた。
「クマのおじさんと同じこと訊くんだね」
「クマって、大隈っていう探偵?」
「うん、クマのおじさんは探偵だって言ってたよ」
小学生たちはこくりと頷く。そういえば、子供が好きだと言っていたっけ……七瀬の言葉を思い出しながら大隈が子供にも聞き込みを行っていたことを知る。
「クマのおじさんもすごかったんだよ。兄ちゃんと対決したら面白いのにね」
そうだねと口々に小学生たちは言い、頷きあう。
「そっか……で、なんて答えたんだ?」
「最近、工藤の姉ちゃんが歩いたっていう話を聞いたって。でも、姉ちゃんは死んでないんだよね」
ひとりが答え、周囲が頷く。工藤というのは、宇佐美が言っていた『彼女』のことだろうか。
「もうちょっと詳しく」
「工藤の姉ちゃんが坂崎さんに運ばれたんだって。死んじゃったって。だけど、本当は死んでなくて、カケオチしたんだって」
「……え? 駆け落ち?」
「うん、カケオチー」
小学生たちは意味がわからずに駆け落ちと口にしているように見える。
「え、ちょっと、待て。どーなってるんだ? 本当に、駆け落ち?」
「うん。カケオチだよー。だって、私、見たもん。お姉ちゃん、山の方に行ったの」
ひとりの女の子が北を指さし、そう言った。
「見たの?」
「うん、見たよ」
そんなことを話していると、野球は自然と中断となり、守りをしていたチームが歩いてきた。
「続きやんないの?」
中学生と思われるピッチャーが不満そうに言った。
「中断させちまってごめんな。ちょっと聞きたいことがあってさ。遺体が歩く話を聞きたかったんだけど、ちょっと事情が呑み込めなくて」
「ああ……あれか。駆け落ちって言われているあれだよな? 工藤の姉貴が心臓麻痺で死んだふりして、病院から逃げだして駆け落ちしたってやつ」
「そこがわからないんだよ。なんでそうなるんだ? 遺体が歩いてどこかに去ったっていう話じゃないのか?」
「最初はそうだったんだよ。でも、家から出してもらえなかったから、病気のふりして病院に運ばれて、そこから彼氏と駆け落ちだってさ」
村では駆け落ちと噂されているらしい。しかし、宇佐美はそんなことは口にしていなかったし、駆け落ちだと信じている様子もなかった。成功が小首を傾げていると、少年は後ろにいた少年に何やら小さく言葉を告げ、改めて成功を見つめた。
「工藤を呼んできてやるから、本人に直接、聞いてみな。妹だから、事情はよく知ってんだろうし」
「だけど……」
話を聞けるのはいいが、いきなり遺族に会うというのも気が引ける。
「なんかさ、すごく落ち込んでるんだよ。何か言いたそうなんだけど、言えない、みたいな。村に住む俺たちには言いにくいことかもしれないんだ。……あ、来たな。じゃ、うまく聞き出してやってくれよな。駆け落ちでもなんでもいいけど、なんか落ち込んでいるとこを見るのは辛いからさ……」
それだけ言うと少年はくるりと背を向けた。
「……」
成功は戸惑う表情でそこに立つ、自分と同じくらいだろうという少女のもとへと歩いた。正直、こういう場合、どういう顔をしていいのかわからないが、とりあえず、いつもの自分で接してみることにした。
「わざわざ呼びつけちゃってごめん」
「いえ……」
俯き加減に少女は答える。どこか思い詰めたような表情をしているせいで、暗く見えるが、顔だちは可愛い。
「俺、大隈っていう探偵を探しに来たんだけど……それと、大隈が追っていた遺体……でも、遺体じゃなくて、こっちは駆け落ちらしいね」
「駆け落ちなんかじゃありません……!」
俯いていた少女は顔をあげ、そう言った。涙で微かに潤んだ瞳で成功を見つめる。
「駆け落ちじゃ……ない……?」
「でも……駄目です……探偵さんもいなくなってしまった……」
再び、俯き、少女はか細い声で言う。
「知っていることを話したら、俺もいなくなるって?」
こくりと少女は頷く。成功はこめかみに手をやったあと、何度か髪をかき、それから小さく息をついた。
「ここで大丈夫っていうと、たぶん、すごくウソくせぇというか、その場限りの言葉っぽいくて、とても安心を誘う言葉でもねぇなって思ったけど……駄目だ、それしか思い浮かばない」
成功はそう言い、少女を見つめた。
「だから、言っちゃうけど。……大丈夫だよ」
明るい声でそう言うと、少女は顔をあげた。目をぱちくりさせて成功を見つめる。
「大丈夫。俺、ひとりじゃないし。やられるときも、タダでやられてなんかやらないし。だから、知っていること、話してくれないか?」
「……」
「もちろん、無理強いなんてしたくないし、するつもりもない。話したくないなら、話さなくてもいいよ。だけど、俺は話してもらえなくても、このまま大隈のことや姉さんのことは追うつもりだから」
成功が穏やかでありながらも真摯にそう告げると、少女は視線を伏せたあと、改めて成功を見つめた。
「……わかりました。私が知っていることをおはなしします」
そう言い、少女は語りはじめた。
「私の姉は大学に通うために村を出ているのですが、先週、姉は三人の友人を連れて家に戻ってきました。友人たちが一緒であったこともあって、そのとき、姉とはあまり話をしませんでした。この村には旅館や民宿といった宿泊施設がないので、姉の友人たちは村の公民館に泊まることになっていました。……この村ではわりと当たり前のことです。夕飯をうちで食べたあと、姉の友人たちは公民館へ行きました。姉は家にいたのですが……あれは、十時頃だったと思いますが、歯を磨こうとしたときに玄関に姉がいることに気がつきました。こんな時間にどこに行くのと訊ねると、姉はミサキガハラに行くと言いました」
「ミサキガハラ……?」
「はい。北西にあるサナトリウムの跡だそうです。廃墟といえばいいでしょうか。危険だから立ち入りが禁止されている場所です。村の人は誰も近づきません。私は驚いて止めました。姉はわかったわかったと言いましたが……あれはその場だけの言葉だったように思えます。たぶん……友人たちに面白い場所はないかと訊ねられて、つい口にしてしまったんだとは思いますが……」
少女は視線を伏せ、ため息をつく。
「それで、姉さんたちはそこに?」
「正確には、行ったのかどうかわかりません。ですが、戻ってきた姉は何も言わずにがたがたと震えていて……何も言ってくれないんです。姉は次の日、倒れて病院に運ばれました。姉の友人たちの姿はそれ以来、見ていません。あの震えは、演技なんかじゃありません。駆け落ちのために病院に運ばれるわけがないんです。駆け落ちをするも何も、両親は反対なんかしていないし、そういう話すら出ていなかったんですから……」
少女の話によると、姉とその友人はミサキガハラへ行ったということになる。そして、戻って来た姉はがたがたと震えていて、何も語らなかった。次の日には病院に運ばれ、死亡が確認されるも、窓から飛び出し……今に至る。
姉の友人たちはそのあと、どうなったのかはわからない。
ミサキガハラで何かがあった……?
「ミサキガハラ、か……」
そこに行けば何かがわかるだろうか。
成功はミサキガハラがあるという北西の山並みを見つめた。
−完−
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【3507/梅・成功(めい・ちぇんごん)/男/15歳/中学生】
(以上、受注順)
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■ ライター通信 ■
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依頼を受けてくださってありがとうございます。
納品が大幅に遅れてしまい、申し訳ありません……。
相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。
はじめまして、梅さま。
納品が大幅に遅れてしまってすみません。
大隈が残した荷物を調べるということだったのですが、展開上、調べられませんでした。すみません。鏡も使おうと思ったのですが、情報収集段階で妙に長くなってしまい……次回、お付き合いいただけましたときは、鏡を使わせていただきます。それと、今回は二人称はキャッチフレーズの方を使用させていただきました。
前後編となりましたので、後編もお付き合いいただけたらと思います。当方の機械が壊れてしまいましたので、後編は早くて10月上旬頃となってしまいそうです。すみません。
願わくば、この事件が思い出の1ページとなりますように。
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