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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


参歓日

 ばたばたと廊下を駆け抜けていく音を耳にし、橘・都昏(たちばな つぐれ)は居間の戸を開いた。お風呂上りの為、ぽたぽたと赤紫がかった黒の前髪から雫が垂れている。
「何かあった?」
 都昏は黄金色の目を居間にいる母親に向けながら尋ねた。母親は「それが」と口にし、はぁと溜息をつく。
「行かれへんのどす」
「……どこに?」
「都連(つづれ)さんの参観日どす。この日曜にあるんやけど、生憎どないしても抜けられへん用事があるし……」
「父さんは?」
「あの人も、用事があるし……」
 母親はそう言い、また溜息を一つついた。
(さっきの足音は、都連か……)
 都昏はそっと思い、納得した。都昏の妹である、都連。都昏と同じ赤紫がかった黒髪は腰まで緩やかなウェーブを描き、目は月から零れ落ちたかのような黄金色だ。そんな愛らしい容貌を持っている妹ではあったが、いかんせん、幼い。
「ほんま、困りましたわぁ……。可哀想な事をしてしまうし……」
 小さく呟く母親を残し、そっと都昏はその場を後にした。特に興味も無さそうに、そっと。


 次の日、都連は小学校が終わるとまっすぐに中学校に向かっていた。都昏の通っている中学校だ。
(最近、お兄ちゃんは怪しいのよね)
 都連は一緒に帰ろうと誘ってきた友人達を振り切り、大事な用事があるからといって、中学校へとやってきたのだ。中学校よりも、小学校の方が終わるのが多少早い。
(どうも女の匂いがするのよね。すっごく怪しい!)
 兄の素行調査も大事な用事と言えるのだと、都連は一人こっくりと頷きながら納得する。もし、悪い女にでも引っ掛かっているのだとしたら、妹である自分が何とかしなければならないとまで考えて。
(絶対に、都連が突き止めてみせるんだから!)
 都連はぐっと拳を握り締めながら、中学校の正門が良く見える電柱の影から兄の姿を待った。暫くすると、中学校からチャイムが鳴り響き、一人二人と下校する生徒達の姿が見受けられた。
(あ!)
 その中に、都昏の姿を確認し、都連はそっと後をつけた。幸い、都昏にはつけていることがばれていないようだった。
(お兄ちゃん、家に向かってない……?)
 都昏は、明らかに帰宅する道は辿っていなかった。まっすぐに、別の場所へと向かっているのだ。
(これは、絶対そう!)
 女の存在を、都連は確信する。間違いなく、都昏には女が居るのだと。
「え?」
 都連は思わず声を出し、都昏の姿をじっと見つめた。都昏は『アーネンエルベ』という一軒の花屋の前で立ち止まり、何か迷っているかのように立ち尽くしたのだ。入るべきか入らざるべきか迷っているかのように、都昏はその場に立ち尽くして動こうとはしない。
「何でお兄ちゃん、あのまま動かないのかしら?」
 その花屋に用があるなら、さっさと済ませてしまえばいい。花屋の人間に用があるなら、さっさと入っていけばいい。特に用事がないのなら、さっさと通り過ぎてしまえば良いだけなのだ。だが、都昏は全く動かない。足が動かなくなってしまったかのように。
 暫くすると、花屋の奥から女性が一人出てきた。踝まで届こうかと言うさらさらの黒髪に、優しそうな光を宿した青の目を持つ女性。彼女は都昏を見ると、にっこりと優しく微笑み、中に入るように促した。だが、都昏は手を振ってそれをやんわりと断っている。女性の方は、そういわずに、と言わんばかりに都昏を中へと誘う。
「あ」
 その際に、都連は見てしまった。都昏が、妙に深刻そうな顔をしている事に。何を思い、何を話しているのかは全く分からない。だがしかし、都昏が深刻そうな顔をしているのは間違いないのだ。
 気付けば、都連は走り出していた。遠くから見ているだけではなく、近くにいかなければという使命感に押されたのかもしれない。ともかく、まっすぐに都昏の居る場所へと向かって、都連は走り出した。
「お兄ちゃん!」
 呼びかけると、都昏はびくりとしたように目を大きく見開き、女性の方は「まあ」と言ってにっこりと微笑んだ。
「都連……お前、どうして……?」
 ここに、という言葉を言う前に、都連はキッと女性を睨みつける。
「あなた、一体何者?お兄ちゃんとどういった関係なのよ?」
「私は、数藤・明日奈(すどう あすな)と言います。初めまして」
 女性、明日奈はそう言ってにっこりと微笑んだ。その柔らかで丁寧な物腰に、都連は軽く押され気味になる。都昏は小さく溜息をつく。
「数藤さん、妹の都連です。すいません、突然」
「いいえ。こんな可愛らしい方が妹さんなんて、羨ましいです」
 明日奈はそう言ってにっこりと微笑むが、都連はむすっとしたままふいと向こうを見ている。
「都連、ちゃんと挨拶しろ」
 都昏がそっと言うが、都連は聞かないふりをするだけだ。
「すいません、数藤さん」
 都昏は明日奈に向かって申し訳無さそうに謝るが、明日奈は小さく首を振って微笑むだけだ。
「都連ちゃん、暑かったでしょう?何か、飲みませんか?」
「数藤さん、別にいいですよ」
「そんな事無いですよ。ほら、今日も暑いでしょう?こんな日は、花たちも喉が渇いたって言っていますから。私達も、たっぷりと水分を取ったほうがいいんです」
「そうですか……」
 都昏と明日奈の会話を聞いていた都連は、ぷちんと何かが切れる音がした。ぷるぷると手を震わせたかと思うと、びしっと明日奈を指差して口を開く。
「何よ何よ!別に都連は花でもなんでもないの!水分なんていらないわよっ!」
「都連」
 都昏がぴしゃりと制しようとするが、都連は怒鳴るのをやめない。
「何よ、お兄ちゃんまで!お兄ちゃんまでこんなへらへら笑う女の味方なわけ?おかしいんじゃないの?」
「都連!」
 今度は先程よりも強く、都昏は都連を制する。都昏の怒りのこもった声に、思わず都連はびくんと身を震わせる。
「都連、失礼じゃないか。数藤さんはちゃんといろいろ考えて、言ってくれているんだ。それなのに、失礼な事ばかり言ってどうする?」
「だ、だって……つ、都連は悪くないもん」
「謝れ、都連」
「だって、だって……!」
「都連!」
 一層強く、都昏は言う。都連は思わず唇を噛み締める。
「私なら全然気にしてないから、大丈夫ですよ」
 にこっと微笑みながら明日奈がそう言ったが、それが都連の心を決定的なものにした。都連はぐっと奥歯を噛み締めたまま、店の外へと駆け出す。
「何よ何よ!お兄ちゃんの、莫迦あぁっ!」
 都連はそう言い捨てると、もの凄い勢いで店から出ていってしまった。後に残された都昏と明日奈は、互いの顔を見つめる。先に溜息をつき、頭を下げたのは都昏だった。
「すいません、数藤さん」
「あら、いいんですよ。本当に、私は気にしていませんし」
 にこにこと明日奈はそう答えた。冷蔵庫から麦茶を取り出し、二つのグラスに注ぐ。透明なグラスに、麦茶が涼やかに注がれる。
「本当に、可愛らしい妹さんなんですね。羨ましいです」
「そんな事……」
 都昏はそう言いかけ、頭を軽く振ってから口を開く。
「都連は、気が立っているんです」
 明日奈は麦茶の入ったグラスを都昏に渡しながら「そうなんですか?」と尋ねる。都昏は頷き、麦茶を一口飲む。冷たく心地よい液体が、喉の奥を通り抜けていく。
「明後日の日曜日、都連の授業参観があるんですけど……両親がどちらも用事があるらしくて」
「まあ。それは寂しいですね」
「ええ。だから、ただ八つ当たりをしているだけなんです」
「……ご両親が来られないとなると、寂しいですよね」
 ぽつりと、明日奈は漏らす。都昏は何も答えず、麦茶をごくりと飲む。明日奈は「そうです」と言いながら麦茶を机に置き、都昏の方を見てにっこりと笑う。
「都昏君、一緒に行きませんか?」
「……どこに、ですか?」
 何となくの嫌な予感を抱えながら、恐る恐る都昏は尋ねる。
「勿論、都連ちゃんの授業参観に、です」
 やっぱり。都昏は嫌な予感を的中させてしまった事に、思わず呆気に取られる。そんな都昏を見て、明日奈はそっと微笑む。
「都昏君。他の皆さんがご両親がいらっしゃっている中、自分の両親が来ていないというのは本当に寂しい思いをすると思うんです」
「でも、だからと言って僕や数藤さんが行かなくても……」
「ご両親は用事があるんですよね?」
「それは……そうですけど」
 言いよどむ都昏に、明日奈は微笑む。
「行きましょう、都昏君。都連ちゃんも、きっとそれを望んでいますから」
「そう、ですかね?」
 都昏はそう言うが、明日奈の気持ちは硬いようだった。今から「日曜日は何を着ていけばいいですかね?」と真剣に悩んでいるのだから。
(仕方ないな)
 都昏は明日奈に気付かれぬようにそっと溜息をつき、手にしていた麦茶をぐいっと飲み干すのだった。


 日曜日、都連はどんよりとした空気の中に放り込まれている感覚がして堪らなかった。空は綺麗に晴れていて、他のクラスメート達の親が綺麗に着飾ってきていると言うのに。
「あ、あれ私のお母さんよ」
「あちゃー!親父まで来てるじゃん!」
 口々に言い合う、クラスメート達。何といっていようと、誰も彼も口元が緩みっぱなしである。
(何よ、結局嬉しいんじゃない)
 都連はそんなクラスメート達を見て、むっとしながら俯く。
(大体、なんでこういう日に限って用事なんて入れるのよ!)
 両親に対して、何となくむっとしてしまう。仕方がないと頭では分かっていても、現状がそうはさせない。
 沸き立つクラスメート達、次々に教室に入ってくる、両親達。どちらも都連に不愉快さしかもたらさない。
「あれ?あれ、誰の参観に来たのかな?」
 ふと、クラスメートの一人が呟いた。その子が、どの親が誰の親なのかを当てている最中であった。
「随分若いよねぇ」
 他のクラスメートが、それに賛同する。
「そうそう。あれは……その人のお兄ちゃんかなぁ?」
(お兄ちゃん?)
 都連はクラスメート達の織りなす会話に、振り返った。きょろきょろと後ろを見渡し、その中に都昏と明日奈の姿を発見する。
「え?」
 都連は思わずがたんと音をさせて立ち上がり、声に出す。すると、明日奈と都昏も都連に気付いたようで、都昏は何も言わずにただ立っていたが、明日奈は手をひらひらと振った。あまつさえ「頑張ってください」と声をかけながら。
(何で……何で二人で来てるの?)
 都連は思わず顔を真っ赤にし、椅子に座って二人に背を向けた。教科書を立て、顔を隠す。
「あれ、都連ちゃんのお姉さんとお兄さん?」
(別に、お姉さんじゃないけど。お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけど)
 都連はそう思いながらも、話し掛けてきたクラスメートに対して一つ頷いた。説明するのが面倒だったのだ。
「いいなぁ。羨ましい」
 クラスメートはにっこりと笑ってそう言った。そしてチャイムの音が鳴り、席へと帰っていった。都連の言葉も聞かずに。
(羨ましい?ば、莫迦じゃないのっ!どうして都連の参観日に、来てるわけ?)
 都連はそう思いつつも、口元が綻ぶのを止められなかった。誰も来ないと思っていた、参観日。だがしかし、今は違う。クラスメートから羨ましがられるような、明日奈と都昏が来ているのだから。
 都連はそっと再び後ろを振り返った。すると、明日奈がそれに気付いてひらひらと小さく手を振った。あの優しそうな笑顔で。そして、傍観を決めていたはずの都昏の手を取り、半ば強制的に手を振らせたのだ。それを見ると、都連は再び教科書で顔を隠す。
 赤い顔と緩んだ口元を、誰にも見られないように。

<心の内に歓びを覚えつつ・了>