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ハナノコイ〜花恋〜
それは夏の終りを告げる涼しい雨が降った日の午後の事。
「え?」
外は小雨。ぱらぱらと降り続く優しくて、冷たい雨が窓ガラスにあたっては優しい音楽を奏でている。
何時もは賑わいを見せるCureCafeも天候のせいかお客もまばらで、その静けさがより一層天候と時間の優しさを浮き上がらせていた。
「花火大会」
こんな雨だから、今日は来ないかも。そう思っていた、桜木・愛華の元へ藤宮・蓮が小雨に濡れた体でやって来た。最初は「傘くらいさしたら〜?」なんて、ちょっと怒ったりもしたけれど。好きな人の世話を焼くのは、案外楽しいもので。夏には似合わないけれど、こんな天気なら丁度良いホットレモネードと一緒に太陽の光をたくさん浴びたタオルを蓮へと差し出した。蓮はぶっきらぼうにもお礼を言いながら、そしてぽつりと誘ったのだ。
そして、その誘いの言葉に応じたのは愛華の冒頭の言葉になる。
「近くにある神社。あそこで花火大会、やるんだろう?」
「え、ああ。うん、そうだね」
八月の最終日曜日。
この辺りの住民には、すっかり馴染みになっている納涼祭りだ。何時も、この時期に家の窓から見える花火を見ると夏も終りに近づいたんだな。と愛華は密かに感傷的になっていたりもする。
「行くだろう?」
そう聞かれて、愛華はどう答えて良いのか迷った。
誘われているのか。
それとも、もう誰かと行くのかと聞かれているのか。
どちらとも判断がつかなくて、仕方なく愛華は溜め息混じりに返答した。
「誰と?」
「俺と」
少しも迷わない、その即答さ加減に愛華の大きな目が更に大きく見開かれる。
「一週間後、神社の前。あぁ、浴衣は着て来いよな。じゃあ」
レモネードを飲み干すと蓮は、それだけ言って椅子から立ち上がった。
扉から外へと出て行く蓮の姿を見送りながら、愛華はようやく言葉の意味を全て理解し。
そして、笑った。
「も〜。相変わらず、ぶっきらぼうなんだから」
ふふふ、と柔らかく。そして嬉しそうに笑って、愛華は顔を隠すように持っていた銀色に鈍く輝くお盆で顔を覆った。
楽しみにしている時間というのは長く感じるのに、実際に楽しみにしていた時間になると凄く短く感じるから不思議なもの。
愛華は念入りに選んだ浴衣を着崩さないよう気をつけながらも、蓮との待ち合わせ場所へと足を急がせていた。整備されたコンクリートの上に下駄の音が軽やかに鳴る。履きなれない下駄のせいか、足の付け根がちょっと痛むけれど、そんな事にかまっている余裕は無かった。あとちょっとで、蓮に会えるという気持ちが痛みをどっかに連れて行ってくれる。
神社に近づいていけば、賑やかな音が段々と耳に飛び込んでお祭りの雰囲気を運んで来てくれる。
(10分前!)
途中、神社の塀から見える時計を見て愛華は安堵した。10分前なら、蓮はまだ来ていないはず。待たされるのはイヤだけれど。自分を見つけて、ちょっと遅れた事に罰が悪そうな顔をして近づいてきてくれる蓮の姿は、ちょっとだけ好き。だから、あの顔を見たいから愛華は楽しい気分のまま下駄を鳴らして神社の鳥居を目指していく。
「え、えぇ!?」
思わず驚きに声をあげたのは、続々と神社の中に人が入っていく鳥居の前で手持ち無沙汰に足元を見つめている蓮の姿だった。
まるで、そこだけぽっかりとした空間が空いたみたいに不思議な雰囲気。
「蓮くん!」
トクベツに見える人を包み込む雰囲気が、何時もとちょっと違っていて。慌てて、近寄る。
そうしないと、見失いそうだった。
「遅い」
近づいていく愛華の顔を見て、笑って。そう言った蓮に頬を膨らませて抗議をした。
「10分前だよ?蓮くんが早いのっ」
「俺を待たせたら、時間に関係なく遅いんだよ」
「なーに?その理論ー」
ぷぅとさらに大きく頬を膨らませると、蓮は髪をかきあげて笑った。
ふわりとした。滅多に見れない、お月様みたいに暖かな優しい微笑だ。
「ほら、行くぞ」
愛華の膨らんだ頬をつついて、それから蓮は鳥居を潜って前へと歩き出した。
「もう待ってよー、蓮くんー」
つつかれた頬が、ほんのちょっぴり熱を持って愛華の顔を朱に染めた。
蓮の後姿を追う愛華の目や耳に飛び込んでくる境内の様子は流石に賑やかだ。
太鼓の音に、屋台から聞えてくる呼び込みの声、囃子の音に混じって子供の泣き声。
それに前を歩く蓮の背中。大好きな蓮の姿を、1歩後に下がり距離を取りながら二人は歩いて行く。恥ずかしいわけじゃないけれど、隣に立つにはちょっとだけ、まだほんのちょっとだけ勇気が足りない。
でも、そこが落とし穴だった。
「れ、蓮くんっ」
元々、そう大きくない境内。そして加えて愛華は平均的身長よりも背が低いのだ。周りに気を取られていると、自然と周りの人ごみに溺れてしまう。前を歩いていた蓮の後姿が段々遠くなっている事に気づいて、慌てて名前を呼んでも蓮は気づいていないようだ。
「待ってっ。や、だ・・・・蓮くんっ」
置いていかないで。と、そう半泣きになりながら言うと、念じていた気持ちが通じたのか蓮が気づいたように辺りを見渡す。そして、少しだけ勢いをつけて後を振り向くと必死に蓮に手を振りながら前に歩けず人ごみに溺れている愛華の姿をみとめ、苦笑を漏らした。愛華と違い器用に人ごみをかきわけ、あっという間に傍へと近寄ってくる。
「ったく。ある意味、器用なヤツだな」
「仕方ないもん〜。それに置いて行く蓮くんが悪いんだからー」
「あー、分かった。分かったから、泣くなよ・・・・ホント、目が離せないヤツだな」
そう言って、蓮は自然と愛華の右手を掴んだ。
合わさる右手が少し熱を帯びている。
「これならはぐれないだろう?」
「・・・・うん」
「どうした?」
「手繋がなくてもはぐれないもん」
強がりで言ってみても、蓮には適わなかった。
「はいはい。そういう台詞ははぐれなくなってから言えよ」
「もぅ」
「行くぞ」
「・・・・ん」
熱の帯びた繋いだ手の平。
明るい屋台の明かりや、人々の声や、太鼓の音も囃子の音も遠くへと吸い込まれていく。あれほど多く感じていた人の数も、全然気にならないほどに遠く遠くへと運ばれていく。
手の平から感じる熱が、ぼんやりと頭を幸せな色へと変えていく。
花火が始まって。
空へと広がる大きな花の後に続く、大きな音。お腹の底に響いては消えていく音の後から続く花火。
どちらが先なのかな。と、そんな他愛ないことを考えながら。繋いだ手はそのままで空に広がる花火を愛華と蓮はただ静かにずっと見つめていた。
花火が終わって、帰ろうか。という時になって、愛華は足元が尋常じゃないくらい熱く痛いのに気づいた。
「いたっ」
「どうした?」
「足元が痛くて・・・・って、あ鼻緒がずれちゃってる」
かがんで、熱を帯びている足元を見て愛華は可愛らしい眉を寄せた。
「お前。それ大分前からだろう?気づかなかったのか?」
「う、気づいてたけれど」
気にならないほど、嬉しくて楽しかった。・・・と、正直に言えたらとっくの昔に蓮と愛華の関係は2歩半くらいは先に進んでいる。
「ドジ」
「・・・・むぅ」
「履き慣れないもんを履いてくるからだろう」
「だって・・・蓮くんが言ったでしょう?浴衣着て来いって」
蓮が言わなくても浴衣は着てくるつもりだったけれど。蓮が着て来いって言ったから。少しは期待しているのかなと思って何時も以上に気合を入れた。
紺色に色とりどりの花が散りばめられている浴衣。何時もは2つに縛っている髪も、今日は浴衣の雰囲気に合わせて後に1つに纏めている。髪飾りは浴衣とお揃いのかんざし。そして、紺色の下駄。
全部、蓮と出かけるために頑張って用意したのに。
「・・・・勘違いするなって。浴衣は似合ってる・・・・って、本当に何を言わすんだよ」
屋台の明かりが落ちて、静かになっていく境内の中。闇に覆われはじめた中、蓮の頬がほんのりと朱に染まっている。
「れんくん?」
「無理するなって・・・・。あー、だー!!!歩けねえだろう?おら、背中に乗れ」
髪をくしゃくしゃとかき回し、それから蓮はしゃがみこんだ。
「・・・あ、えっと」
「歩けないんだろう。おぶってやるから、背中に乗れ」
「・・・・いい、の?」
「よくなきゃやらねえよ。ほら、早く乗れって。この姿勢、結構辛いんだからよ」
「うん。えっと、それじゃあ。お言葉に甘えて」
心臓が煩いくらいにドキドキ高鳴っている。下駄を脱いで、右手にまとめて。
恐る恐る蓮の背中に乗ると、肩からそっと前に腕を回す。
何時も大きいなと思って見ていた蓮の背中はやっぱり大きかった。じんわりとした熱が胸に広がって、愛華は何故だか泣きたくなって無理矢理笑顔を作った。
「ねえ、蓮くん」
「何だよ」
境内を出て、闇色を照らす街灯。
空には真ん丸なお月様。
ふんわりとした優しい気持ちと、じんわりとした切ない熱がごちゃまぜになって愛華の胸をいっぱいにする。
「来年も・・・2人で行けたらいいね」
花火大会。って付け加えたら、蓮は少し後の間で困ったような。でもからかっているような声で言った。
「ずっと、だろ」
進まない二人の距離が。
ほんのちょっとだけ。
素直さの分だけ進んだ夜。
空には綺麗な花が恋をしたように咲きました。
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