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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


今年の夏の思い出は

 蝉の声に、ツクツクボウシの声が混じりはじめた。
 毎年これを聞くと、夏が終わるなあ、という気がする。
 8月が終わるまで、あと数日。9月から学校が始まる学生にとっては、物悲しい季節だ。残した宿題に追われて物悲しいどころではない者も多くいることだろうが、海原みなも(13歳・中学生)にとっては無縁な話だった。
 もともと、31日に大慌てするタイプではないところに、今年は強い味方がついている。
「あ。もしかして、ここのところに補助線ですか?」
「ええ、みなも様。この点からこの点へ、線を一本。すると、ほら……」
 広げた問題集の上で、優雅に、ペンが動いた。一本の線で二つに分けるだけで、図形は見覚えのある形になる。
 覗き込んでいたみなもは、目を輝かせた。
「わあ。これなら、公式を当てはめるとそれぞれの面積が出ますね」
「はい。あとは足せば良いのです。ほら、簡単でしょう?」
 ペンを置き、にっこりと笑ったのは、ラクス・コスミオン(240歳・スフィンクス)。ここはラクスが居候している家の一室である。みなもはこのところ連日訪ねて来て、宿題を教えてもらっていた。
「この系統の問題は、図形をよくご覧になって落ち着いて考えれば、大丈夫ですよ」
「はい!」
 みなもは早速問題に取りかかった。さらりと、長い髪がローテーブルの上にたわむ。伏せたつむじに、みなもはラクスの優しい視線を感じていた。それが何とも心強い。
 ラクスはけして答えに至る道そのものをみなもに示すことはせず、必ず考えさせてくれた。いつも適度なヒントを出して導いてくれる。
 おかげで、わからずに空欄にしていた問題も、全て解くことができた。残っているのは、今やっている数学の問題集の数ページだけだ。
「……できました! 答えも合ってます」
 ややあってみなもは顔を上げ、回答と照らし合わせて満足の笑みを浮かべた。
「お疲れ様です。では、少し休憩に致しましょうか。お茶を取って参りますね」
 ラクスが席を離れたので、みなもも追って立ち上がる。
「お手伝いします」
「まあ。でも、みなも様はお客様ですし」
「いえ、させてください。あたしが教えて頂きに来てるんですから」
 せめて、お茶を運ぶことくらい手伝いたい。みなもはラクスと共に台所に向かった。実は、みなもにとってこの家は、「勝手知ったる他人の家」なのである。
 みなもとラクス、年齢も大幅に違い、種族すら違う二人が出会ったきっかけは、みなものアルバイトだ。屋敷、と呼ぶに相応しい立派な家には、家主の少女とラクスの二人しかおらず、掃除という点一つ取っても行き届かせるのが難しい。そこで、人材派遣会社を通じてみなもに声がかかったのである。
 アルバイトの期間が終わり、ラクスと友達に――今だに、お友達だなんてラクスさんに失礼かも、とか思ったりするみなもであるが――なってからも、みなもは暇を見ては家事の手伝いに来ていた。
 そして、夏休み。勉強を見て欲しいという頼みを、ラクスは快く引き受けてくれたのである。
 教えてもらうばかりでは悪いので、ラクスの研究の手伝いをすることを、みなもは申し出た。しかし。
(あたし、邪魔ばかりしています……)
 グラスに氷を入れながら、みなもはこっそり溜息を吐く。この夏、みなもは助手として、何度かラクスの実験に立ち会った。その度、何故か……何故か!!である。みなもは何らかの原因で実験に巻き込まれていた。
(お父さんから、お守り、もらっていたんですけど)
 運が良くないことを自認するみなもである。お守りも力及ばなかったようだ。
 しかしラクスは、良いデータが取れたから、と言って許してくれる。嫌な顔一つしないどころか、微笑んで。
(やっぱり、ラクスさんて、大人です)
 ちらりと横目に見ると、ラクスはお茶請けを用意しているところだった。といっても、直接手で触れて行っているわけではない。テーブルの上で、銀色のスプーンが、浮かんでひとりでに動いて、瓶詰めの中身をお皿に移している。魔術具だ。
 お茶の用意をお盆に乗せて、みなもとラクスは部屋に戻った。運んだのはみなもだが、やけにふわふわと軽かったような気がするのは、お盆にも何か魔術が施してあったのかもしれない。
「美味しいです。これ、何ですか?」
 お茶請けは、蜜を纏った金色の果物だった。一口食べて、みなもは口元を綻ばせた。何かの実を、蜂蜜漬けか砂糖漬けにしてあるのだと思ったのだが、蜂蜜の香りはしないし、砂糖とは違うさっぱりとした甘味がある。
「ナツメヤシの実です」
 みなもの反応に、ラクスも嬉しそうに微笑む。ナツメヤシはアラビア半島ではポピュラーな果物だと、土産話には聞いたことのあるみなもだったが、実際に食べたのは初めてだった。百貨店の輸入食料品売り場に置いてあったから、と言って、家主の少女が買ってきてくれたのだそうだ。
「これは少し乾燥させたものですが、お砂糖なんかを使わなくても、こんな風に実から蜜が出るんです。エジプトでは昔から、よく食べられている果物なんですよ」
 目を細めるラクスに、みなもははっとした。
 言葉も通じるし(あまつさえ国語の宿題まで見てもらった)、つい失念しそうになるのだが、ラクスは遠いエジプトの出身だった。
「あの。エジプトのお話を、して頂いてもいいですか?」
 みなもが思わずそう言ったのは、ラクスの故郷とは、一体どんな国なのか興味を引かれたからだ。
「喜んで。……さて、何からお話致しましょうか?」
 畳の上に、ラクスはゆったりと四肢を折った。丁度、ピラミッドの前に居るスフィンクス像のようなポーズだ。
「ええと、ピラミッドとか、どうなんでしょう。一度見てみたいなあって思ってるんですけど」
 言ってから、なんて月並な、とみなもは微かに赤面した。ラクスは笑ったりせず、穏やかに答えてくれる。
「美しいものですよ。エジプトに住んだ人々の、英知の結晶ですから。ただ、登るのは……覚悟が要りますね。クフ王のピラミッドの勾配が、確か……51度52分もあるんです。分度器などで見る分にはどうということのない角度に思えますが、実際前に立つと本当に急なんですよ。降りる時などは、もうほとんど直角なんじゃないかと思えるほどで」
 ラクスの形の良い眉が、ほんの少し、困ったような風に下げられた。探究心の強い彼女のこと、ひょっとして登ってみた後降りる時に困ったという経験でもあるのかもしれない。
「それから……あの、日本ではエジプトと言えば、皆様、砂漠を思い浮かべられるご様子なのですが……それだけではないのです。ナイルの周辺には、肥沃な土地が広がっています。厳しさと、豊かさとが隣り合って存在しているような、そんな国なんです」
 思いを馳せるように、ラクスの視線が遠くを見た。
「よく、『図書館』からナイルの流れを眺めていたものでした。雨季にはいつも溢れる川でしたが、それが肥えた土を運んでくるんです。それが、毎年なんだか不思議で」
 懐かしげにたわめられたラクスの目は、鮮やかな緑色をしている。みなもは今までその色を翡翠か何かの宝石のようだと思っていたが、ふと、それよりはゆったりと流れる異国の河の水の色に例えたほうが、しっくりくるのではないかと思った。
「図書館、ですか。あたしは学校の図書館とかしか知らないんですけど、ラクスさんの居た『図書館』って、やっぱり、そんなのよりずっとずっと大きいんでしょうか」
 ラクスの目が、みなもを見て瞬いた。『図書館』についてみなもはもう少し聞きたかったのだが、ラクスはみなもの言葉の、もっと違うところに反応しているようだ。
「あの、ラクスさん?」
「ガッコウ? ガッコウ、というところには図書館があるのですか? ガッコウというのは、どういった場所なのでしょう」
 きらきらと、緑色の瞳が輝いている。どうやら、知らない単語が出てきたので、興味を引かれているらしい。
 ああ、とみなもは思った。勉強熱心なラクスは、分野を問わずあらゆる知識を持っている。
 ただし、最先端科学と一般常識に関することを除いて。
 そういえば、みなもはラクスに“宿題”についての説明はしたが、“学校”についての説明はしなかったような気がする。
「ええと、学校っていうのは、先生がいて、生徒がいて、いろんなお勉強を教えてもらったり、研究したりするところです。ええと、そういう施設のことを、“学校”って言うんです」
 不完全な気がしつつも、みなもは簡単に説明した。ラクスは心底から驚いた表情をする。
「自由に知識を学ぶことができる機関が存在するなんて、すごいですっ!」
「うーん、それだけじゃないような、ちょっと違うような……」
 みなもは苦笑した。学校に通っている子供たちの大半は、そんな大層な場所だと思って通ってはいないような気がする。
「勉強だけじゃなくて、休み時間とか、みんなグラウンドに出て遊んだり、漫画の貸し借りしたり、携帯いじったりとかしてますし……」
「グラウンド? マンガ? ……ケイタイ??」
 ラクスの輝く瞳が、ずずいと、みなもに迫ってくる。
 少しでも、勉強を教えてもらっているお返しになるだろうかと、みなもはそれぞれについて図解まで交えつつ、丁寧に説明した。といっても、雑談が混じるので、普通におしゃべりをしているのとあまり変わらないが。
 カララン、と家のどこかから、ガラスの風鈴の音が聞こえてきた。思えば夏が始まって風鈴が出されたばかりの頃、ラクスは涼しげな音に感心しきりだったものだ。
 ラクスは『図書館』から失われた本を探すという使命を帯びて、日本にやって来たのだと聞いている。たったひとりで。寂しくはないのだろうか。ラクスはそんな様子など見せたことはないが、自分の身に置き換えて考えてみると、みなもはどうしても考えてしまう。
 窓の外の陽光は、少し秋の気配を帯びはじめていた。日本での一夏は、過ぎてゆこうとしている。
 自分と過ごしてくれている、今日のこの一時も、ラクスにとって異国の地での良い思い出になっていてくれればいいなと、みなもは思っていた。

                                  END