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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:蠱の器・壱 鱗翅の章
執筆ライター  :階アトリ
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人


------<オープニング>--------------------------------------

 傷ついた彼女は、ビルの谷間の暗がりから、未練に空を見上げる。
 狭い器の中で争い合い、喰い合って、妖力を得たかわりに、彼女は飛ぶ力を失った。
 足元に延びる影は、人間の少女の形をしている。その背には、鱗粉を纏った羽が生えていた。その片方は千切れ折れ、残ったもう片方も酷く破れていた。彼女を守ってきた美しい目玉模様は、見る影もない。
 だから、これはかわりだ。
 彼女は、左手の甲を眼前に掲げた。青白い肌の上に瞼が開き、きょろりと目玉が動く。
 もっと欲しい、と彼女は思った。
 もっともっともっと、力をつけて、生き延びなければならない、と。



 私の目を探して欲しい。
 興信所を訪れた男はそう言った。
 渡された名刺をげしげと見ながら、草間は眉を寄せた。フリー呪術研究家、占部・光明(うらべ・こうみょう)、とある。とても、胡散臭い。……大体、呪術研究家でフリーって何だ。
「……目、ですか」
「ええ」
 不信感を隠さない草間に、占部は頷いた。暗い表情をした彼の顔の左半分は、長い前髪で隠れている。
「探し出して、この片目を取り戻して欲しいのです」
 占部は髪をかき上げた。ぽっかりと暗い空洞になっている眼窩が現れて、草間は小さく息を飲んだ。
「それは……」
「コの仕業です」
「コ?」
「字はこう書きます。虫三つの下に、皿」
 耳慣れない言葉に聞き返した草間に、占部は応接机の上に指で文字を綴った。
「これで、蠱(こ)。蠱毒、と申し上げたほうが馴染みがあるでしょうか?」
「それなら、聞いたことがある」
 望んでのことではないが、これまで怪奇関連の依頼をさんざん経験したおかげで、今や草間はオカルト用語に詳しい。
 蠱毒の法とは、簡単に言うとこうだ。蛇や毒虫といった生物を一つの器の中、もしくは皿の上に集め、互いに争わせる。生き残った最後の一匹を、蠱と呼び、使役するのである。毒薬として使うもよし、相手に取り憑かせて呪殺させるもよし、用途は様々だが、基本的に人に害を成させるための術だ。
「正確には蠱ではなく、蠱になる一歩手前の、生き残った二匹の諸蠱のうちの一匹なんですがね。ちょっとした事故があって、器を壊してしまったんです。そうしたらあっという間に目を取られて、しかも逃げられてしまって」
 ケシシ、と唇を歪め、占部は残った右目を細めた。何が可笑しいのかわからない。草間は渋面を深めた。つまり、他人に蠱を仕掛けられたのではなく、飼っていた蠱に背かれたということだ。人を呪わば穴二つ、を地でいっている。
「……自分で撒いた種は自分で刈るべきだと思うんだが」
 至極もっともなことを言った草間に、占部はあっさりと首を振った。
「無理です。私、研究はしてますが実践のほうは今ひとつなんですから」 
「何? あんた、蠱主(こしゅ)じゃないのか?」
 蠱主とは、蠱毒を行う術者のことだ。またもや、占部は頭を振った。
「いや、それは私の知り合いの術師です。研究のために、少ーし見せてもらおうとしたら機嫌を損ねてしまって、器の前で大喧嘩に」
 その拍子に器を割ってしまった、ということらしい。
「まあ。その術師さん、けちんぼさんなんですねえ」
 草間が何と言ったらいいものか迷っていると、お茶を持ってきた零が、会話に割って入った。占部は深く頷く。
「ですよねえ。……それは私だって、ついでに出来上がった蠱を失敬して、闇ルートで売り飛ばしてしまおうなんて気持ちが、少ーしもなかったとは言いませんけども」
「…………」
 この依頼受けたくないなあ、と草間は思った。逃げ出した虫を放っておくわけにはいかないという正義感により、結局は首を縦に振ることになるのだが。


------<捜索開始>------------------------------

「いや、皆様、お強い気をお持ちのご様子で」
 集まった三名に、占部は不恰好に口元を引きつらせた。声に滲み出る喜色からして、それは満面の笑みであるらしい。
 名刺を渡され、シュライン・エマは怪訝げに眉をひそめた。彼女の隣の菱・賢(ひし・まさる)は露骨に嫌そうな表情。そのまた隣のモーリス・ラジアルは涼しい顔をしていたが、多分思いは三人共同じであろう。つまり草間と同じだ。――うさんくさい。
「事件解決の暁には、ゆっくりとお話したいものです。是非」
 それぞれに何らかの特殊能力を持つ三人に、占部が興味を引かれているのがありありとわかる。フリーの呪術研究家とは、要するに熱烈な超常マニアか。占部が零に注ぐ視線の妙な熱さに、実は少しロ○コンを疑っていた草間だったが、たった今そう理解した。
「そんなことよりも、詳しいお話をおうかがいしたいわ。どうぞこちらへ」
 気を取り直したシュラインが、一同を応接セットへと促す。占部と向かい合って、シュライン、モーリス。席が狭いと思ったのか、賢は後ろの壁に凭れ、腕を頭の上で組んだ。
「まず、蠱の器を壊したのは何日前かしら? それから、術の行われていた場所も」
 草間からは依頼のあらまし以外聞いていないのだ。てきぱきと質問を進めるシュラインの手許では、早々と東京の地図が広げられ、メモの用意が成されている。
「壊したのは昨日の夜です。それから、場所は……」
 このあたり、と占部が地図の上を指した。
「オフィス街ですか」
 モーリスが覗き込んで、ふむ、と鼻を鳴らす。胸から眼鏡を取り上げながら、シュラインも地図を覗き込み、占部が指した場所を蛍光ペンで囲んだ。そこは賃貸マンションらしい建物で、よく見ると、アトラス編集部のある、白王社ビルが建っているのと同じ区画である。
「その虫の、見た目の特徴は?」
 モーリスが横から訊いた。目撃情報を募ろうにも、姿がわからなければ始まらない。
「今も、逃げた時と同じ姿をしているのだとしたら人型に化けています。これくらいの少女に」
 これくらい、のところで占部は自分の胸のあたりで手を水平に動かした。小柄だ。
「……女の子かよ」
 賢が、呟いて顔を顰める。苦虫を噛んだようなその顔を横目に見て、モーリスが小さく笑った。
「見た目だけとは言え、女性が相手では、相手にし辛いですか?」
「そんなんじゃねぇ」
 視線を流されて、賢はプイとそっぽを向く。肩を竦めるモーリスの代わりに、シュラインが問いを続けた。
「小さな女の子というだけでは、捜査しにくいわ。何か目立つところは?」
「背中に大きな羽が。あれは、恐らく蛾でしたね」
 羽の大きさを示すように、占部は両腕を広げた。先ほど示した少女の身長よりも大きいくらいだ。
「ただし、飛ぶことはできないのではないかと思います。片方は折れて無くなっていましたから」
 蛾の片羽を背負った少女。歩くしかないというのなら、彼女が街に出れば、間違いなく目撃証言が多数でるだろう。しかも、蠱毒の法で毒を帯びている筈であろうから、毒蛾だ。毒の鱗粉を撒き散らして、何らかの被害が出ているかもしれない。
「ネットで調べてみましょう」
 モーリスは持参したノートパソコンを立ち上た。噂の類を集めるのなら、ネット上の掲示板が一番早い。その間、シュラインは占部から必要な情報を引き出しておくことにした。
「目を盗られたとうかがっています。何か、その子にとって意味があるのかしら?」
「さあ、そこまでは……。ただ、『かわりにちょうだい』と言われました」
「かわり?」
 これは推測ですが、と前置いて、占部が続けた。
「ほら、蛾や蝶なんかには、羽に目玉模様があるのが居るでしょう。模様の役割には諸説ありますが、あれは猛禽の目に似ていて、天敵である鳥を竦ませる効果があるとか。蠱の背に残っていた片羽にも、目玉の模様がありました。ですから恐らく……」
「羽の模様のかわり、ということ?」
 指の背を口元に寄せ、シュラインは思案する。本来、虫は食物連鎖では下位に位置する、食われるもの、だ。まして、武器らしい武器を持たない蛾などにとっては、それは唯一の身につけた防衛手段だったことだろう。奪った目がそのかわりだとすれば、目という体の部位の、その形に意味があるのだ。
「目撃情報の他に、目を盗られる事件が起きていないかも、あたってくれるかしら」
「そうですね」
 シュラインに頷いて、モーリスは手早くキーボードを操作した。画面にばかり集中していたように見えて、会話もちゃんと聞いていたらしい。拍子抜けするくらいあっさりと、情報はみつかった。
「ありましたよ」
 シュラインは横から、賢は後ろから、液晶を覗き込んだ。モーリスが、一つのウインドウを全画面表示にする。東京の都市伝説についての掲示板。開いているのは、「見た! 妖怪虫少女」という、ちょっと笑ってしまうようなタイトルがついたスレッドである。
 仕事帰りに、変なの見た! 女の子なんだけど、背中に羽があんの! 絶対幻覚じゃなかったし! 他にも見た人いない!?
 興奮気味の書き込みの後に、見た見た、私も、と同意を示す書き込みが続く。
 次のページを開くと、文字が並ぶ中に画像が現われた。レスのタイトルは、携帯で写真撮りました、だ。
 画像の背景は暗い。光が足りないのだ。白い、病院の検査着のような服の少女の姿が、はっきりと映っていた。それはその少女の体が、薄ら青く光っているせいだろう。背中には占部の言った通り大きな羽がある。ずたずたに破れた羽が。
「これですか?」
「間違いありません」
 モーリスに手招かれて画面を覗きこみ、占部が頷く。
 スレッドが立ったのは、昨夜。占部が逃がした直後の時間だということだ。書き込みは夜半を過ぎても続き、その場所は白王社近辺のオフィス街から、繁華街のある方向へと移動していた。最後のタイムスタンプは午前4時。その後、ぱたりと目撃証言が途絶えている。
「蛾の習性を残しているのだとしたら、昼間はどこかに隠れているのかもしれませんね」
 一通り見終わり、モーリスは息を吐いた。ということは、ネットでの情報収集は、今のところこれまでということだ。再び動き出すのは夜――シュラインも眉を曇らせる。
 女の子の腕に、目玉がいっぱいついてた。明け方が近くなるにつれ、書き込みの中にこんな証言が混じりだしていたのが気にかかった。
「これ、でしょうね」
 モーリスがもう一つ窓を広げた。それはニュースサイトの記事で、目のない野良猫が何匹も発見されたという内容だ。場所も一致している。
 現在、時刻は午後5時。まだ日が長い時期とはいえ、あと一時間もすれば日が傾きはじめるだろう。
「夜まで待ってもしょうがねえだろ。俺は聞き込みに行くぜ」
 我慢できない、とでもいうような調子で、賢が言った。
「これ以上被害が出る前に見つけて、捕まえる。この今弁慶様がな」
 じゃらん、と賢の手許で錫杖が鳴る。高校生兼僧兵である、彼らしい持ち物だ。
 確かに、場所がある程度特定できたのだから、あとは足で探すしかない。モーリスも頷いた。
「私もそうしましょう。画像をプリントアウトしますから、少々お待ちください」
「待ってられるか、まだるっこしい」
 嫌そうに舌打ちして、賢はさっさと事務所の扉に向った。モーリスが微苦笑する。人当たりの良い、やわらかな雰囲気を持つ彼が、初対面の人間にこんな態度を取られるのは珍しい。どうも、この二人、チームワークにかなりの不安がある。モーリスの実力は知っているし、賢とて草間が呼んだくらいだから、腕は確かだろう。それぞれ自分の身は守れるのなら、いっそ別行動のほうがうまくいくかもしれない。シュラインはシュラインで、用意したいものもある。
 賢の背中に、シュラインは声をかけた。 
「くれぐれも、目をガードするのよ。何かあったら携帯に連絡を頂戴」
「了解」
 ドアの向こうに消え際、賢は数珠の嵌まった手を背中越しに振った。 

------<捜索続行>------------------------------

「蠱毒の法の影響を、蠱からどうにか解除できないかと思うんだけど」
「さあ」
 シュラインの問いに、占部は渋い顔で頭を振った。モーリスも賢を追って事務所を出て、シュラインは小道具を揃えつつ、専門家に話を聞いている。専門家、即ち占部である。うさんくさい男だが、時間が無い今一番手っ取り早いのだから仕方がない。
「みょうがの根を煎じて飲むと、蠱毒の毒素を除去出来ると言うけど…蠱自体にも効くかしら」
「わかりません。何といっても、術が中途半端なところで失敗していますから。しかし、だからこそ、試してみる価値はあるかもしません」
 とりあえずは用意してみようか、と決めたところで、シュラインは事務所の中に長い黒髪の少女が居ることに気付く。
「あら」
「こんにちは、シュライン様」
 海原・みその(うなばら・みその)は、彼女独特のたおやかな仕草でシュラインに会釈した。今日はいつもの黒い巫女装束ではなく、薄墨色の浴衣を着ている。トンボ柄が季節を感じさせ、涼しげだ。
「面白そうなお話が聞こえましたわ。蠱毒、とか」
「あまり、面白くはないのよ」
 切れ長の目を細め、シュラインは苦笑した。依頼人はまたもや、目を輝かせてみそのに名刺を手渡している。
 占部をさりげなく肘で制しつつ、シュラインは事件のあらましを説明した。 
「その、残った蠱の片割れを探しておられる、と」
 瑞々しい桃色をした唇に、薄く笑みが浮かぶ。
「協力させて頂きますわ。蠱毒……御方からの寝物語でお聞きした事はありましたが、最後のふたりのお話なんて、御方へのいいお土産話になるでしょう」
 みそのは閉じていた目を開いた。黒い瞳の奥に、深い海の闇のような、底の知れない色が見えた。神への夜伽話を求めて度々興信所をおとなう彼女は、深遠の巫女。因果の“流れ”を読む力がある。
 みそのは目を閉じて占部に面を向け、微かに眉を寄せた。
「あなたの目――奪った相手の方に、同化しようとしているようです。因果の繋がりが薄すぎて……目の在り処まで辿り付けません」
「え! それは、困りますね」
 あまり困っているようには見えないが、本人がそう言っているのだから困っているのだろう。みそのはシュラインに向き直った。
「しかし、割れた器を見せていただければ、逃げ出したという方の行方を辿れると思います」
「……助かるわ」
 シュラインは用意したものをディパックに詰めて肩に掛けた。スタイリッシュなスーツに、ヒールの高い靴という、デキる女そのものの服装と相俟って、なんだかやけに勇ましく見える。
「聞き込み組の二人と、どっちが早いか勝負、ってところね」
 いつもは遠視用の眼鏡だが、今日は別のものを首から下げている胸元に、シュラインは手を当てた。


 占部に案内され、蠱毒の法が行われていたというマンションに着いた時、空は既に黄昏の色をしていた。 
 一階のベランダに忍び込み、よいしょ、とサッシを揺らして窓を開け、占部はシュラインとみそのを手招いた。流石に、シュラインは怪訝げに眉を寄せた。
「……何故、窓からコソコソと?」
「ああ。それは、大家に無許可で入り込んでいるからですよ」
「…………」
「この窓の鍵不良品で、揺すったら開いちゃうんですよねえ」
 クシシ、と笑う占部に、そうですかと答える気にもなれず、シュラインは靴を脱いだ。みそのがその後に続いて、鼻緒の可愛らしい草履を脱ぐ。 
 普通の、3LDKの部屋だった。空き部屋らしく、照明器具や家具がなくがらんとしている。しかし、リビングの床の上は悲惨なことになっていた。
 壷か何か、割れた陶器が飛び散っているのだ。破片に混じって、灰や土のようなもの、それに何かの屍骸らしき残骸などが見えて、汚らしい。
「大家が見つけたら、嘆くでしょうね」
 シュラインは溜息を吐いた。他人事ながら気の毒だ。みそのは部屋の中の気配を探り、首を傾げた。
「誰もいらっしゃらないのですね。術を実践なさった方は?」
「多分、ここにはもう戻って来ないと思います。もともと、こういう秘密アジトを作っては捨てて、転々としてる子ですから」
「そうですか……」
 占部の返答に残念そうにしながらも、みそのは膝を折って床に手を伸ばす。
「微かですが、繋がっています。ここから繋がる流れが――二つ」
 しばらくの間、みそのはじっと破片の上に掌を翳していた。ややあって、音もなく浴衣の裾を捌いて立ち上がった。
「一つは、少し遠い……もう一つは、近い。遠い方は……蛇、ですね。近い方は、人の形をしていて、僅かながら占部様の気配が共にあるのがわかります」
 逃げ出した二匹の蠱。もう一匹も気になるが、今追っているのはみそのの言った後者だ。
「近い方へ向かいましょう。正確な位置はわかる?」
「はい。わかります」
 シュラインの言葉に頷いた直後、みそのの眦が、ピクリと震えた。
「……誰かと争いを始めたようです。酷く、興奮しています」
「急ぎましょう」
 シュラインはベランダへと踵を返した。

------<対峙>------------------------------

 近い。
 みそのが指した方向へと走りだして、少ししたところで、シュラインはその「音」を拾った。明らかに、騒ぎが起こっている。シュラインはまっすぐに、そちらへと向かった。ハイヒールでよくぞ、と褒め称えられるべきスピードである。
 見えてきたのは、ビルとビルの間にある、公園だった。近付くにつれ、目に微かな痛みを覚えはじめる。金色の夕日の中、風に、光る粉が混じっているのが、目を凝らすと見えた。粉――いや、恐らくは風に乗るほど微細な、毒針だ。毒蛾の類が羽に持つ。公園が、人気のない裏通りに面しているのは幸運だった。これが繁華街などで飛んでいたら、大騒ぎだろう。占部を事務所に帰らせたのも正解だ。
 シュラインはデイパックからゴーグルを出して装着した。目を隠すためにと思って持って来たものだが、二重の意味で役に立ちそうだ。
 シュラインが立ち止まったおかげで、遅れていたみそのも、やっと見えるところにまで追いついてきた。もともと運動が不得意な彼女が、今日は浴衣など着ているものだから、着いてこられるわけがないのだ。
「大丈夫!?」
 大声で声をかけると、遥かむこうから、こっくりと、みそのは頷いた。長袖の自分と違って、軽装の彼女の肌が心配だったのだが、杞憂に終わったようだ。ものの“流れ”を操る彼女である。風で毒針を自分から遠ざけることなど容易いだろう。
 みそのと頷きあったあと、シュラインは踵を返した。公園の中に飛び込むと、砂場とブランコとベンチくらいしかないそこに、今ある人影は三つ。
 一つは、モーリス。もう一つは、賢。
 二人とも、棒立ちになったまま、何故か金縛りにでもあっているかのように動かない。
 そんな彼等に対峙しているのは、小さな少女だった。掲示板の画像そのままの姿の彼女が、両腕を振り上げる。その細い腕の表面には、数え切れないほどの、目玉――。
 首から下げていたものを取り上げ、シュラインは唇に咥えた。それは、銀色の細い笛だった。息を吸い込み、思い切り吹く。
 笛から迸ったのは、人の耳に捉えられる音でなかった。異形の少女だけが反応した。まるで、誰かに突然、耳元で大声でもあげられたかのように。
「…………!」
 一瞬の硬直が過ぎると、少女は羽から光る粉を撒き散らしながら、シュラインを振り向いた。目の大きい、頬の丸い、ごく普通の少女の顔だ。額に、櫛状に繊毛の生えた触角が二本、あることを除けば。
 もう一度、シュラインは笛を吹いた。毒蛾の少女が、不快げに唇を歪める。ざわざわと、触角が蠢いた。
「その、おと。きらい」
 少女の唇が開いた。甲高い声だ。
「やめてよ。じゃま、しないで」
「やめないわ。あんたが、大人しくしないのならね」
 吹くのを止めても笛を唇から離さないシュラインを、少女ははねめつけた。人間の少女の形をしているというのに、瞳に宿っているのは手負いの獣のような光だ。その異様さに、しかしシュラインは一歩も引かない。
「言葉が理解できるのなら、話をしましょう。争いあうのは、無益だわ」
 睨み合いの均衡は一瞬で破れた。癇癪を起こしたように、少女が叫んだのだ。
「そっちが、おとなしくして!!」
「!」
 金切り声と共に、顔の前で交差するように、腕が上げられる。賢かモーリスによるものだろう、その左手の甲には傷があり、そこから流れた血が手首へと伝っている。血塗れの腕に、ぎらぎらと無数の目が開いた。瞳孔が縦に長く、瞳の色はとりどりの、猫の目だ。その光に目を奪われた瞬間、体に痺れが走る。
 しまった、とシュラインは思ったが、遅かった。モーリスと賢も、恐らくこれにかかったのだ。
 踊りかかってきた少女の指が、シュラインの手から銀の笛を毟り取る。鎖の止め具が切れた。片手で掴んで余りそうなほど細い腕の持つ力とは思えない。笛は地面に投げ捨てられて、儚い音をたてた。
 首筋に少し傷がついたようだ。しかし、神経の伝達自体を妨げられているのか、衝撃は感じたが痛覚が鈍い。少女が腕を振り上げる。次は、ゴーグルが弾き飛ばされる番だろう。避けようにも、体が動かない。瞼だけは自由に動くが、目は閉じなかった。
 空気が唸る。しかし、それは腕が振り下ろされたのではない。例え目を閉じていたとしても、シュラインには音でそれがわかっただろう。
 風を切ったのは、金色の輪だ。少女の背の羽を掠め、触角を半分断ったのは――仏教具の、宝輪だった。
 宝輪は旋回し、持ち主の手へと戻る。悲鳴を上げる少女の背中の向こうから、じゃらん、と錫杖の音がした。賢だ。
「悪い。助かったぜ、姐さん」
 怯んだ少女の体を、目に見えない「檻」が閉じ込める。モーリスの特殊能力だ。少女は気付いて暴れたが、完璧に囲い込まれてしまった後では、逃れようがない。
「油断しました。すみません」
 スーツの襟を正して、モーリスが一礼した。さんざん動き回っただろうに、金色の髪の一筋も乱れていないのが彼らしい。
「お互い、無事で何よりね」
 シュラインは息を吐いてゴーグルを外した。指先にほんの少し痺れが残っているが、硬直は解けたようだ。
 モーリスは落ちていた鎖を拾い、シュラインの手に戻す。その先に下がる銀の笛が何であるかを看破して、モーリスは目を細めた。
「なるほど。犬笛でしたか」
「ええ。周波は少しいじってあるけどね。蛾や蚊は、高周波音で気絶することがあるっていうから、効くかと思って」
 シュラインは犬笛をポケットに仕舞いこんだ。檻の中で、少女は狂ったように暴れている。血の滲んだ唇から溢れ出るのは吠えるような声で、最早ほとんど人語ではない。
 嫌。外に出して。辛うじて意味が取れるのは、それだけだ。
「思い出しているんですね――器の中でのことを」
 歩み寄り、そっと手を差し伸べたのはみそのだった。
 器の中は怖い。死んでしまう。強くなければ。
 生きたい。強くないと、食べられて死んでしまう。生きたければ、もっともっと力をつけろと、器の外から、いつも声がした。少女の泣き声の中に、断片的な言葉が混じる。
「あなたはもう、蠱の器から解放されていますよ」
 みそのは眉を寄せる。閉鎖された空間で喰い合いを強制されたのは、術者の都合だ。弱者は食われて強者の糧となり、その強者もまた死ねば弱いものの糧となる、食物連鎖の円環とは全く違う歪みが、そこにはある。
「今は、どこへ行くのも、あなたの自由です。器に囚われる以前と同じに」
 みそのの静かな声に、少女は自分の頭を胸に抱くように背を丸めた。腕に無数に開いていた瞼が閉じて、肌は滑らかだった。ただ左腕が血で赤い。
 生きたい。飛びたい。でも、飛べない。もう飛べない。あとは、もうしゃくりあげる小さな音だけになった。檻の中で、ぼろぼろに傷みきった片羽から、光る粉が涙のようにきらきらと散った。毒針は既に使い尽くして、それはもう普通の鱗粉だった。
「どうしますか?」
 沈黙を破ったのはモーリスだった。
「手の甲と、腕から目だけを摘出して持ち主に返すことは可能です。……しかし、今はしおらしいですが、このまま解放したら、回復すればまた同じことになるでしょうね」
 落ち着いた口調は冷たくさえ聞こえるが、事実を述べているからこそのことだ。
「……でも、傷つけたくはないわ」
「俺は、命を絶つしか、ないと思う」
 シュラインと、賢が交互に口を開いた。言っていることは正反対だが、お互い、抱いている感情は同じだ。
 複雑な表情で顔を見合わせたら、イチチ、と賢が顔を顰めた。見ると、毒針を受けたのだろう、目の周辺の皮膚の薄いところが赤くなっている。賢は伊達眼鏡をしていたが、それだけでは防ぎきれなかったようだ。
「飲んでおくと良いわ」
 ディパックから魔法瓶を出して、シュラインは中身を一杯、賢に差し出した。特に何の色もない透明な湯だが、生姜に似た涼しい香りがある。
「何だ? コレ」
「みょうがの根を煮出したもの。漢方薬だけど、蠱毒の毒消しになるらしいから」
 受け取って、賢は紙コップに口をつけた。
「なんか、体ん中がきれいになる感じがするな」
 シュラインはもう一杯注いで、檻へと差し伸べる。
「あんたも、飲む? 気休めかもしれないけど」
 一瞬だけ檻を緩めてもらって、シュラインはカップを少女に手渡した。シュラインも自分の分を注いで一口飲んだのを見習って、少女はおずおずとカップを口に運んだ。彼女自身の毒を消すまでの力はないようだが、少女の表情が和らぐ。
「荒療治になりますが、ここは一つ、間を取りましょうか」
 パン、とモーリスが手を打った。
「まずは――目を回収してからのことになりますが――、一度、蠱としてのこの子の命を断ちましょう。それは、君にお願いします」
 怪訝げな顔をしながらも、賢が頷いた。モーリスが言葉を続ける。
「今のこの子は、器の中で屠った他の虫との集合体のような状態なのではないかと思うんです。もとは、ごく普通の蛾だったのでしょうね」
 依頼人の目や、野良猫の目を自らに融合させることができたのも、もともと蠱というものが多数の命の集合体であるという性質故だろう、とモーリスは言った。
「私もそう思います」
 みそのが頷き、モーリスの推測に肯定を示した。器の破片から流れを読んだ時、何か感じるものがあったのかもしれない。
「一度死ねば、恐らくは集合体としての結束が外れる、ということ?」
 シュラインの問いに、モーリスが頷き、掌を広げた。
「その時、本来の命が残ってさえいれば、あとは、あるべき姿に戻してやれば良いだけです」
 あるべき姿・最適な姿に戻す――生きとし生けるモノ、形あるモノ・姿形の定まらない全ての存在を調律・調和。調和者、モーリス・ラジアルの仕事である。

------<後日談>------------------------------

「なんだ、こりゃ」
 草間は目を丸くした。事務所の壁という壁、冷蔵庫の扉にまでべたべたと紙が貼られている。それだけでも気になる。
 その上、カラーコピーらしきその紙にプリントされているのが、人の目、鳥の目、猫の目……ありとあらゆる目のドアップなのである。
「お、落ちつかねぇ……!」
 デスクに座っていると、ありとあらゆる目玉に、ありとあらゆる角度から「仕事しろー」と見張られているような気分だ。
「いいでしょう。サボりにくくて」
 にっこり笑って、シュラインが草間の前にコーヒーを置いた。犯人はシュラインである。ばら撒けば蠱の気を逸らすのに使えるだろうかと作っておいたものだ。
「使わないのも勿体無いから、再利用してみたの」
 シュラインは上機嫌だった。依頼人は意外にも金払いが良く、経費も全て持った上で報酬をたっぷり出してくれたのだ。
 蠱の少女が集めていた目玉は、全てもとの持ち主に返された(猫を探すのに苦労するかと思われたが、動物愛護団体が一箇所に保護していてくれたおかげで手っ取り早かった)。
 占部ももちろん左目を取り戻して、大層な上機嫌で帰って行ったが、さて。
「どうした?」
 くすくすと笑ったシュラインを、草間が訝しげに見上げる。
「いえ。依頼人が酷い目に遭ってなければいいんだけど、と思って」
「あぁ?」
 仏罰を下しに行く、と言っていたか。あの、高校生兼僧兵の少年は。
 多分あの後、占部は拳骨の一発くらいはもらったことだろう。住所入りの名刺など、渡すからだ。
 モーリス・ラジアルにも何やら含むところがありそうだったから、痛くて怖い思いをしたに違いない。
 なんと言っても、今回の事件は依頼人の自業自得によるところが大きい。あの二人がいなければ、シュラインが占部にお灸を据えていたところだ。
「こんにちは」
 事務所の扉が開いた。入ってきたのはみそのだ。シュラインはコーヒーを勧めたが、みそのは頭を振った。
「私は、道案内をして来ただけなので。……お礼を申し上げたいのだそうですよ」
「お礼?」
「はい。今、外に」
 みそのは窓を指さした。そちらから呼ばれたような気がして、シュラインは振り向いた。
 窓の外は、今ちょうど夕日の桃色をしている。そこに、一瞬だけ、鱗粉を纏った羽が見えたような気がした。
 鮮やかな目玉模様のついた、小さな羽が。

                                   END

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【3070/菱・賢(ひし・まさる)/16歳/男性/高校生兼僧兵】
【1388/ 海原・みその(うなばら・みその)/13歳/女性/深淵の巫女】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2318/モーリス・ラジアル(もーりす・らじある)/527歳/男性/ガードナー・医師・調和者】

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          ライター通信         
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 こんにちは。階アトリです。納品まで、もたつきまして申し訳ありませんでした……。
 シュラインさんは二度目のご参加ありがとうございます。
 冷静に、調査から入るプレイング、ありがとうございました。状況説明にかなり利用させていただきました。

 蠱毒の法については、かなり私の個人的な解釈が入っていて、詳しい方が見ると「なんじゃこりゃ」だと思います。今回は、途中で失敗してしまったので、もう逃げた虫は蠱として使い物にならない(捕まえて連れ戻しても術者の言うことをきかない)という設定にしてあったつもりでした。OPでうまく説明できていなくて申し訳ありませんでした;;

 4名ものPC様に出演頂くのは初めてのことで、プレイングをつきあわせて、筋を作るのに異常に時間がかかってしまいました。
 途中参加になる方あり、別行動あり、で、個別文章が多めの仕上がりになっています。
 更に、4名の方がそれぞれが主人公になるように、参加者様ごとに視点・主観の調整も行っています。
 テーマは、プレイング重視と、それぞれのキャラに必ず見せ場を、だったのですが、如何でしたでしょうか。
 そして、特に今回はキャラ同士の感情的なやりとりが多くなっています(と思います)。
 このキャラクターとこのキャラクターなら、お互いにお互いをどんな風に思うか、というところを想像しながら、会話文や心理描写などを考えているんですが……これって、PCのイメージから外れてしまうようなことがあったら、PL様は楽しめないと思うんです。
 もっと淡々と、出来事だけを述べていくような文章のほうが良いかも?と、今後の方針をどうするか、とても迷っています。
 もしよろしければ、感想をお聞かせ下さい。参考にさせていただきますので……!

 では、失礼します。ありがとうございました。またの機会がありましたら、よろしくおねがいします。