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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:蠱の器・壱 鱗翅の章
執筆ライター  :階アトリ
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人


------<オープニング>--------------------------------------

 傷ついた彼女は、ビルの谷間の暗がりから、未練に空を見上げる。
 狭い器の中で争い合い、喰い合って、妖力を得たかわりに、彼女は飛ぶ力を失った。
 足元に延びる影は、人間の少女の形をしている。その背には、鱗粉を纏った羽が生えていた。その片方は千切れ折れ、残ったもう片方も酷く破れていた。彼女を守ってきた美しい目玉模様は、見る影もない。
 だから、これはかわりだ。
 彼女は、左手の甲を眼前に掲げた。青白い肌の上に瞼が開き、きょろりと目玉が動く。
 もっと欲しい、と彼女は思った。
 もっともっともっと、力をつけて、生き延びなければならない、と。



 私の目を探して欲しい。
 興信所を訪れた男はそう言った。
 渡された名刺をげしげと見ながら、草間は眉を寄せた。フリー呪術研究家、占部・光明(うらべ・こうみょう)、とある。とても、胡散臭い。……大体、呪術研究家でフリーって何だ。
「……目、ですか」
「ええ」
 不信感を隠さない草間に、占部は頷いた。暗い表情をした彼の顔の左半分は、長い前髪で隠れている。
「探し出して、この片目を取り戻して欲しいのです」
 占部は髪をかき上げた。ぽっかりと暗い空洞になっている眼窩が現れて、草間は小さく息を飲んだ。
「それは……」
「コの仕業です」
「コ?」
「字はこう書きます。虫三つの下に、皿」
 耳慣れない言葉に聞き返した草間に、占部は応接机の上に指で文字を綴った。
「これで、蠱(こ)。蠱毒、と申し上げたほうが馴染みがあるでしょうか?」
「それなら、聞いたことがある」
 望んでのことではないが、これまで怪奇関連の依頼をさんざん経験したおかげで、今や草間はオカルト用語に詳しい。
 蠱毒の法とは、簡単に言うとこうだ。蛇や毒虫といった生物を一つの器の中、もしくは皿の上に集め、互いに争わせる。生き残った最後の一匹を、蠱と呼び、使役するのである。毒薬として使うもよし、相手に取り憑かせて呪殺させるもよし、用途は様々だが、基本的に人に害を成させるための術だ。
「正確には蠱ではなく、蠱になる一歩手前の、生き残った二匹の諸蠱のうちの一匹なんですがね。ちょっとした事故があって、器を壊してしまったんです。そうしたらあっという間に目を取られて、しかも逃げられてしまって」
 ケシシ、と唇を歪め、占部は残った右目を細めた。何が可笑しいのかわからない。草間は渋面を深めた。つまり、他人に蠱を仕掛けられたのではなく、飼っていた蠱に背かれたということだ。人を呪わば穴二つ、を地でいっている。
「……自分で撒いた種は自分で刈るべきだと思うんだが」
 至極もっともなことを言った草間に、占部はあっさりと首を振った。
「無理です。私、研究はしてますが実践のほうは今ひとつなんですから」 
「何? あんた、蠱主(こしゅ)じゃないのか?」
 蠱主とは、蠱毒を行う術者のことだ。またもや、占部は頭を振った。
「いや、それは私の知り合いの術師です。研究のために、少ーし見せてもらおうとしたら機嫌を損ねてしまって、器の前で大喧嘩に」
 その拍子に器を割ってしまった、ということらしい。
「まあ。その術師さん、けちんぼさんなんですねえ」
 草間が何と言ったらいいものか迷っていると、お茶を持ってきた零が、会話に割って入った。占部は深く頷く。
「ですよねえ。……それは私だって、ついでに出来上がった蠱を失敬して、闇ルートで売り飛ばしてしまおうなんて気持ちが、少ーしもなかったとは言いませんけども」
「…………」
 この依頼受けたくないなあ、と草間は思った。逃げ出した虫を放っておくわけにはいかないという正義感により、結局は首を縦に振ることになるのだが。


------<興味深い話>------------------------------

 可愛らしい鼻緒のついた下駄が、階段を登るとからからと鳴った。
 まだまだ残暑が厳しく、夕方とはいえまだむっとする蒸し暑さが残っている。風通しの良い浴衣は、こんな日でも肌に心地よくて良い。
 いつもの黒い巫女装束ではなく、薄墨色にトンボ柄の染め込まれた浴衣を着て、海原・みその(うなばら・みその)は興信所へと足を向けていた。
 あそこに行けば、いつも何かしらおもしろい話があるのだ。
 事務所の扉を開けると、思った通り、興味深い会話が耳に飛び込んでくる。
「蠱毒の法の影響を、蠱からどうにか解除できないかと思うんだけど」
「さあ」
 折りしも、シュライン・エマと占部光明が、応接机で話し合っているところだった。
「みょうがの根を煎じて飲むと、蠱毒の毒素を除去出来ると言うけど…蠱自体にも効くかしら」
「わかりません。何といっても、術が中途半端なところで失敗していますから。しかし、だからこそ、試してみる価値はあるかもしません」
 占部の返答に、うーん、とシュラインが唸った。ややあって、戸口に立っているみそのに気付く。
「あら」
「こんにちは、シュライン様」
 みそのは、彼女独特のたおやかな仕草でシュラインに会釈した。
「面白そうなお話が聞こえましたわ。蠱毒、とか」
「あまり、面白くはないのよ」
 切れ長の目を細め、シュラインは苦笑した。
「呪術研究家の、占部光明です。いや、あなたも只者ではないご様子で」
 占部が、目を輝かせてみそのに名刺を手渡した。受け取って、みそのは首を傾げる。
 また今度お話を、と意気込んでいる占部を、シュラインが肘で制した。
 デスクで、草間が苦笑している。占部が零に注ぐ視線の妙な熱さに、最初の内実は少しロ○コンを疑っていた草間だったが、要するに熱烈な超常マニアなのだ。特殊能力を持つ人物が大好きなのだ、占部という男は。
 だんだんこの人の扱い方がわかってきたわ、とはシュラインが呟いた独り言である。
 なおも食い下がろうとする占部をさりげなく肘で制しつつ、シュラインは事件のあらましを説明した。
「その、残った蠱の片割れを探しておられる、と」
 瑞々しい桃色をしたみそのの唇に、薄く笑みが浮かぶ。シュラインが頷いた。
「ええ。女の子の姿をしているんだけど、元は蛾で、背中に羽があるから目立つの。だからネット掲示板で情報を探して、大体の居場所はわかったんだけど」
 今、菱・賢(ひし・まさる)とモーリス・ラジアルの二人が、その近辺に行って足で探している最中だという。
 蠱が逃げ出したのは昨夜だが、既に数匹の野良猫が目を奪われるという被害が発生しているらしい。
 蛾の夜行性の性質を残しているのか、昼間は身を潜めているので、夜になるまでに――被害が広がる前に、捕縛したい。
 そして、今の時刻は午後6時。
 シュラインに一通りの状況を聞いて、みそのは笑みを深めた。
「協力させて頂きますわ。蠱毒……御方からの寝物語でお聞きした事はありましたが、最後のふたりのお話なんて、御方へのいいお土産話になるでしょう」
 みそのは閉じていた目を開いた。黒い瞳の奥に、深い海の闇のような、底の知れない色が見えた。神への夜伽話を求めて度々興信所をおとなう彼女は、深遠の巫女。因果の“流れ”を読む力がある。
 みそのは目を閉じて占部に面を向けた。奪われた目と、この依頼人との間には、因果がある。それを辿ろうとしたのだ。
 しかし、その流れはあまりに微細だった。慎重に、追っていこうと意識を集中しても、どうしても途中で“流れ”が見えなくなってしまう。みそのは微かに眉を寄せた。
「あなたの目――奪った相手の方に、同化しようとしているようです。因果の繋がりが薄すぎて……目の在り処まで辿り付けません」
「え! それは、困りますね」
 あまり困っているようには見えないが、本人がそう言っているのだから困っているのだろう。みそのはシュラインに向き直った。
「しかし、割れた器を見せていただければ、逃げ出したという方の行方を辿れると思います」
「……助かるわ」
 シュラインは用意したものをディパックに詰めて肩に掛けた。スタイリッシュなスーツに、ヒールの高い靴という、デキる女そのものの服装と相俟って、なんだかやけに勇ましく見える。
「聞き込み組の二人と、どっちが早いか勝負、ってところね」
 よし、と呟いて、シュラインは胸元に手を当てた。そこには、普段は遠視用の眼鏡が下げられているのだが、今日は違っていた。
「そちらは?」
「ああ、これ」
 みそのに問われて、シュラインは鎖についた銀色の笛を取り上げた。手の中に入るほどの、小さなものだ。
「高周波音発生装置。平たく言えば犬笛よ」

------<捜索>------------------------------

 占部に案内され、蠱毒の法が行われていたというマンションに着いた時、空は既に黄昏の色をしていた。
 場所は、アトラス編集部のある白王社ビルの近くだ。 
 一階のベランダに忍び込み、よいしょ、とサッシを揺らして窓を開け、占部はシュラインとみそのを手招いた。流石に、シュラインが怪訝げに眉を寄せた。
「……何故、窓からコソコソと?」
「ああ。それは、大家に無許可で入り込んでいるからですよ」
「…………」
「この窓の鍵不良品で、揺すったら開いちゃうんですよねえ」
「…………」
 クシシ、と笑う占部には何も答えず、シュラインは靴を脱いだ。みそのがその後に続いて、鼻緒の可愛らしい黒塗り下駄を脱ぐ。
 素足に、フローリングのひやりとした感触が触れた。視力の弱いみそのは、空気の流れで室内の様子を探った。 
 普通の、3LDKの部屋だった。空き部屋らしく、照明器具や家具がなくがらんとしている。しかし、リビングの床の上は悲惨なことになっていた。
 壷か何か、割れた陶器が飛び散っているのだ。破片に、灰や土のようなもの、それに何かの屍骸らしき残骸などが混じっている。
「大家が見つけたら、嘆くでしょうね」
 シュラインが溜息を吐いた。他人事ながら気の毒だ、とでも言いたげだ。みそのは部屋の中の気配を更に深く探り、首を傾げた。
「誰もいらっしゃらないのですね。術を実践なさった方は?」
「多分、ここにはもう戻って来ないと思います。もともと、こういう秘密アジトを作っては捨てて、転々としてる子ですから」
「そうですか……」
 わざわざ、蠱毒の法などという邪法を実行する人物だ。その行動の理由など、話を聞いてみたかったのだが。
 残念に思いつつ、みそのは膝を折って床に手を伸ばした。
 翳した掌に、破片から微かに繋がる流れが感じられる。みそのは意識を凝らした。
「微かですが、繋がっています。ここから繋がる流れが――二つ」
 しばらくの間、じっと破片の上に掌を翳す。器の中で、互いを喰らいあい、成長していったことを示すように、気配の流れには雑然としたものを感じた。
 恐らく、喰らい合うと言っても実際に肉を喰らうのではなく、霊的な能力による飲み込み合いなのだろう。勝者となるのは、生きたいという意志の強さの勝った者なのだ。いくつもの命を、一つの命が飲み込み、より強い妖力を持つようになる。それが蠱毒で、勝者の強い意志により辛うじて「個」として一つに纏まっているという存在であるため、流れに一貫性がなく、辿りにくい。
 ややあって、みそのは音もなく浴衣の裾を捌いて立ち上がった。
「一つは、少し遠い……もう一つは、近い。遠い方は……蛇、ですね。近い方は、人の形をしていて、僅かながら占部様の気配が共にあるのがわかります」
 逃げ出した二匹の蠱。その姿まで、みそのは脳裏に描くことができた。
 人の形――小柄な少女の姿だ。背中には、身の丈よりも大きいのではないかと思われる羽が生えている。
 しかし、それは片羽だ。その片羽も、破れ、傷つき、もとは美しい彩りであったであろう目玉の模様も、あらゆるところが欠けていた。病院の検査着のような、粗末な白い服を着ているのは、姿を変える時に、そんな単純な服しか具現化することができなかったからだろう。目の大きい、頬の丸い、ごく普通の少女の顔だ。額に、櫛状に繊毛の生えた触角が二本、あることを除けば。
 もう一匹も気になるが、今シュラインが追っているのは、みそのの言った後者だ。
「近い方へ向かいましょう。正確な位置はわかる?」
「はい。わかります」
 シュラインの言葉に頷いた直後、みそのはピクリと眦を震わせた。不穏な流れを感じたのだ。
「……誰かと争いを始めたようです。酷く、興奮しています」
「急ぎましょう」
 危ないから帰るように、ときつく占部に言い置いて、シュラインはベランダへと踵を返した。
 みそのはそれを追ったが、浴衣の裾が絡み、びたん、とフローリングに転んだ。汚れていない場所だったのが幸いだったが、かなり痛い。
 ただでさえ運動が苦手なところに、今日は激しい動きに向かない服装なのである。
 対するシュラインは、スーツとハイヒールでよくぞ、と褒め称えたくなるほどの健脚を発揮して、みそのの示した方向へと走ってゆく。みそのがあっという間に離されたのも、無理からぬことであろう。


------<対峙>------------------------------

 近い。
 争いあう空気は、風を伴って四方に流れてゆくものだ。明らかに、騒ぎが起こっている。そこには、蠱の少女がいるはずだ。
 剣呑な気配の中に、別のものが混じっているのに気付いて、みそのは足を止めた。金色の夕日の中に、きらきらと細かなものが光っている。粉――いや、恐らくは風に乗るほど微細な、毒針だ。毒蛾の類が羽に持つ。
 人気のない裏通りなのは幸運だった。これが繁華街などで飛んでいたら、大騒ぎだろう。
 遥か前を行くシュラインも、気付いたのか立ち止まった。デイパックからゴーグルを出して装着しているようだ。
「大丈夫!?」
 声をかけられて、遠いシュラインに向かって、こっくりと、みそのは頷いた。
 ものの“流れ”を操るみそのだ。風という流れを操り、毒針を自分から遠ざけることは容易かった。
 ……シュラインに追いつくのは、やはり容易くはなかったが。
 みそのの安全を確認すると、シュラインは踵を返した。向かう先は公園だった。小さな公園。
 シュラインが中に飛び込んでいった後、激しい空気の震えが起こった。
 それは、人の耳には捉えきれない音域の音。高周波音――シュラインが首に下げていた、あの犬笛だ。
 一度、二度。繰り返された音の震えに、蠱の少女が身を竦めるのがわかった。不快なのだ。ある周波の超音波が、蛾や蚊といった虫を遠ざけたり気絶させたりするようだから、とシュラインは言っていた。その目論見が当たったらしい。
 肩で息をしながら、みそのは公園の中に飛び込んだ。
 砂場とブランコとベンチくらいしかないそこに、今ある人影は四つ。
 一つは、モーリス。もう一つ、見覚えのない少年がいるのは、シュラインの言っていた菱賢だろう。
 そして、みそのに背を向けて、シュライン。
 燃えるような目をしてシュラインに対峙しているのは、みそのが先ほど脳裏に見た小柄な少女だった。
 毒蛾の少女が、不快げに唇を歪める。ざわざわと、触角が蠢いた。
「その、おと。きらい」
 少女の唇が開いた。甲高い声だ。
「やめてよ。じゃま、しないで」
「やめないわ。あんたが、大人しくしないのならね」
 吹くのを止めても笛を唇から離さないシュラインを、少女ははねめつけた。人間の少女の形をしているというのに、瞳に宿っているのは手負いの獣のような光だ。その異様さに、しかしシュラインは一歩も引かない。
「言葉が理解できるのなら、話をしましょう。争いあうのは、無益だわ」
 睨み合いの均衡は一瞬で破れた。癇癪を起こしたように、少女が叫んだのだ。
「そっちが、おとなしくして!!」
「!」
 金切り声と共に、顔の前で交差するように、腕が上げられる。賢かモーリスによるものだろう、その左手の甲には傷があり、そこから流れた血が手首へと伝っている。血塗れの腕に、ぎらぎらと無数の目が開いた。瞳孔が縦に長く、瞳の色はとりどりの、猫の目だ。その光に捕えられた瞬間、シュラインの体が硬直した。
 間髪入れず踊りかかり、シュラインはシュラインの手から銀の笛を毟り取る。鎖の止め具が切れ、笛は地面に投げ捨てられて、儚い音をたてた。
 少女が腕を振り上げる。次は、シュラインの目を守っているゴーグルが弾き飛ばされる番だろう。避けようにも、体が動かないようだ。
 空気が唸る。しかし、それは腕が振り下ろされたのではないかった。
 風を切ったのは、金色の輪だ。少女の背の羽を掠め、触角を半分断ったのは――仏教具の、宝輪だった。
 宝輪は旋回し、持ち主の手へと戻る。悲鳴を上げる少女の背中の向こうから、じゃらん、と錫杖の音がした。賢だ。
「悪い。助かったぜ、姐さん」
 怯んだ少女の体を、目に見えない「檻」が閉じ込める。モーリスの特殊能力だ。少女は気付いて暴れたが、完璧に囲い込まれてしまった後では、逃れようがない。
「油断しました。すみません」
 スーツの襟を正して、モーリスが一礼した。さんざん動き回っただろうに、金色の髪の一筋も乱れていないのが彼らしい。
「お互い、無事で何よりね」
 シュラインは息を吐いてゴーグルを外した。指先に痺れが残っているのか、手を開いたり閉じたりしている。
 モーリスはが落ちた犬笛を拾い、シュラインの手に戻す。
 その横を通り、みそのは少女の閉じ込められた檻の前に立った。
 檻の中で、少女は狂ったように暴れている。血の滲んだ唇から溢れ出るのは吠えるような声で、最早ほとんど人語ではない。
 嫌。外に出して。辛うじて意味が取れるのは、それだけだ。
「思い出しているんですね――器の中でのことを」
 歩み寄り、みそのはそっと手を差し伸べた。
 器の中は怖い。死んでしまう。強くなければ。
 生きたい。強くないと、食べられて死んでしまう。生きたければ、もっともっと力をつけろと、器の外から、いつも声がした。少女の泣き声の中に、断片的な言葉が混じった。
 言葉の他にも、恐慌状態の感情が、激しい流れになって噴き出してくる。
「あなたはもう、蠱の器から解放されていますよ」
 みそのは眉を寄せる。閉鎖された空間で喰い合いを強制されたのは、術者の都合だ。弱者は食われて強者の糧となり、その強者もまた死ねば弱いものの糧となる、食物連鎖の円環とは全く違う歪みが、そこにはある。
「今は、どこへ行くのも、あなたの自由です。器に囚われる以前と同じに」
 みそのの静かな声に、少女は自分の頭を胸に抱くように背を丸めた。腕に無数に開いていた瞼が閉じて、肌は滑らかだった。ただ左腕が血で赤い。
 生きたい。飛びたい。でも、飛べない。もう飛べない。あとは、もうしゃくりあげる小さな音だけになった。檻の中で、ぼろぼろに傷みきった片羽から、光る粉が涙のようにきらきらと散った。毒針は既に使い尽くして、それはもう普通の鱗粉だった。
「どうしますか?」
 沈黙を破ったのはモーリスだった。
「手の甲と、腕から目だけを摘出して持ち主に返すことは可能です。……しかし、今はしおらしいですが、このまま解放したら、回復すればまた同じことになるでしょうね」
 落ち着いた口調は冷たくさえ聞こえるが、事実を述べているからこそのことだ。
「……でも、傷つけたくはないわ」
「俺は、命を絶つしか、ないと思う」
 シュラインと、賢が交互に口を開いた。言っていることは正反対だが、お互い、抱いている感情は同じだ。
 複雑な表情で顔を見合わせたら、イチチ、と賢が顔を顰めた。見ると、毒針を受けたのだろう、目の周辺の皮膚の薄いところが赤くなっている。賢は伊達眼鏡をしていたが、それだけでは防ぎきれなかったようだ。
「飲んでおくと良いわ」
 ディパックから魔法瓶を出して、シュラインは中身を一杯、賢に差し出した。特に何の色もない透明な湯だが、生姜に似た涼しい香りがある。
「何だ? コレ」
「みょうがの根を煮出したもの。漢方薬だけど、蠱毒の毒消しになるらしいから」
 受け取って、賢は紙コップに口をつけた。
「なんか、体ん中がきれいになる感じがするな」
 シュラインはもう一杯注いで、檻へと差し伸べる。
「あんたも、飲む? 気休めかもしれないけど」
 一瞬だけ檻を緩めてもらって、シュラインはカップを少女に手渡した。シュラインも自分の分を注いで一口飲んだのを見習って、少女はおずおずとカップを口に運んだ。彼女自身の毒を消すまでの力はないようだが、少女の表情が和らぐ。
「荒療治になりますが、ここは一つ、間を取りましょうか」
 パン、とモーリスが手を打った。
「まずは――目を回収してからのことになりますが――、一度、蠱としてのこの子の命を断ちましょう。それは、君にお願いします」
 怪訝げな顔をしながらも、賢が頷いた。モーリスが言葉を続ける。
「今のこの子は、器の中で屠った他の虫との集合体のような状態なのではないかと思うんです。もとは、ごく普通の蛾だったのでしょうね」
 依頼人の目や、野良猫の目を自らに融合させることができたのも、もともと蠱というものが多数の命の集合体であるという性質故だろう、とモーリスは言った。
「私もそう思います」
 みそのは頷き、モーリスの推測に肯定を示した。器の破片から流れを読んだ時、確かにそう思った。
「一度死ねば、恐らくは集合体としての結束が外れる、ということ?」
 シュラインの問いに、モーリスが頷き、掌を広げた。
「その時、本来の命が残ってさえいれば、あとは、あるべき姿に戻してやれば良いだけです」
 あるべき姿・最適な姿に戻す――生きとし生けるモノ、形あるモノ・姿形の定まらない全ての存在を調律・調和。調和者、モーリス・ラジアルの仕事である。
「命もまた、水や風と同じく“流れ”を持つもの。私も、できる限りお手伝いさせていただきます」
 浴衣の胸にそっと手を置きながら、みそのは言った。

------<後日談>------------------------------

 視界の端で、ひらりと、鱗粉を纏った羽がひらめいた。
 傷一つない羽には、見る者によっては美しく、また気味が悪くも感じられるであろう鮮やかな目玉模様。
「その模様に、守られているんですね、あなたは」
 指を差し伸べたみそのに、一匹の蛾が舞い寄った。
 蝶や蛾には、幼虫の頃や羽に目玉の模様を持つものが多くいる。模様の役割には諸説あるが、猛禽の目に似ていて、天敵である鳥を竦ませる効果があるという。
 本来、虫は食物連鎖では下位に位置する、食われるもの、だ。まして、武器らしい武器を持たない蛾などにとっては、それは唯一身に付けた防衛手段だろう。
「だから、あんなにかわりが欲しがっていたんでしょうか?」
 問いを肯定するように、細く白い指の周りをひらひらと、蛾は飛び回る。
 蠱の少女が集めていた目玉は、全てもとの持ち主に返された(猫を探すのに苦労するかと思われたが、動物愛護団体が一箇所に保護していてくれたおかげで手っ取り早かった)。もちろん、依頼人のものも。
 目玉を集めようとしていた蠱の少女は、いなくなった。後に残ったのは、儚く命短い、ただの蛾だ。ほんの少し、残滓のような妖力を残すだけの。
 人語を解し、自らの意志を伝えることができるほどの、微弱なその力も、やがて失われ、彼女は本当にただの一匹の虫に戻るだろう。
 無論、彼女はそれを悲しんではおらず、むしろ心から喜んでいた。ただ、心残りがある、とみそのに告げる。
「皆様にお礼を伝えたいんですか?」
 ひらひらと、みそのの頭上を羽が巡る。
「では、私が案内をして差し上げましょう。お話をして下さったお礼に」
 艶やかな唇を、みそのは綻ばせた。
 



                                   END

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【3070/菱・賢(ひし・まさる)/16歳/男性/高校生兼僧兵】
【1388/ 海原・みその(うなばら・みその)/13歳/女性/深淵の巫女】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2318/モーリス・ラジアル(もーりす・らじある)/527歳/男性/ガードナー・医師・調和者】

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          ライター通信         
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 こんにちは。階アトリです。納品まで、もたつきまして申し訳ありませんでした……。
 海原みそのさんは初のご参加、ありがとうございます。(PL様には、いつもお世話になっております、なのでしょうか)
 構成の都合で、みそのさんには途中から合流という形を取っていただきました。
 感情とか、思いとか、この世の全てのものは流れを持っているな、と思ったので、“流れ”を読むという能力を、かなり誇大解釈してしまったかもしれません。イメージを崩していたら申し訳ありません。

 蠱毒の法については、かなり私の個人的な解釈が入っていて、詳しい方が見ると「なんじゃこりゃ」だと思います。今回は、途中で失敗してしまったので、もう逃げた虫は蠱として使い物にならない(捕まえて連れ戻しても術者の言うことをきかない)という設定にしてあったつもりでした。OPでうまく説明できていなくて申し訳ありませんでした;;

 4名ものPC様に出演頂くのは初めてのことで、プレイングをつきあわせて、筋を作るのに異常に時間がかかってしまいました。
 途中参加になる方あり、別行動あり、で、個別文章が多めの仕上がりになっています。
 更に、4名の方がそれぞれが主人公になるように、参加者様ごとに視点・主観の調整も行っています。
 テーマは、プレイング重視と、それぞれのキャラに必ず見せ場を、だったのですが、如何でしたでしょうか。
 そして、特に今回はキャラ同士の感情的なやりとりが多くなっています(と思います)。
 このキャラクターとこのキャラクターなら、お互いにお互いをどんな風に思うか、というところを想像しながら、会話文や心理描写などを考えているんですが……これって、PCのイメージから外れてしまうようなことがあったら、PL様は楽しめないと思うんです。
 もっと淡々と、出来事だけを述べていくような文章のほうが良いかも?と、今後の方針をどうするか、とても迷っています。
 もしよろしければ、感想をお聞かせ下さい。参考にさせていただきますので……!

 では、失礼します。ありがとうございました。またの機会がありましたら、よろしくおねがいします。