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まだ届かない
――プロローグ
ホットドック屋をしている知人の車移動を手伝う為に、お祭らしい場所に出てきていた。
深町・加門はその場にいて使われるのが嫌だったので、ぶらぶらすると言って人込みの中を歩いていた。いつもの青いシャツと黒いズボン姿だった。
腹は減っているのだが、わざわざ並んで買うほどのものはない気がする。
大嫌いな金魚すくいを横目にしながら、割高のビールを一本購入した。
なんだって縁日のビールは一缶五百円もするのだろう。足元を見るにもほどがある。すきっ腹にビールをぶっこんで、眠たかった頭が少し冴えてきていた。人込みは絶えることを知らない。どこかに座って煙草を吸いたい。
加門が煙草をつけるのをためらうほどの人だった。
ドンヒャラドンヒャラと鳴っている太鼓に、半分うんざりして半分少し胸が躍る。
好きではないが、嫌いでもない。祭というやつは、どうして嫌いになれないのだろう。あちこちに浴衣を着た女がいた。それから、酔っ払ったオヤジも。
ビールを片手に鳥居に寄りかかって立っていた。
――エピソード
たこ焼きを買ったところで、一緒に来た友達とはぐれたことに気が付いた。
大きな花火大会が近くであるからか、携帯電話の電波状態が悪かった。メールにもなかなかアクセスできない。
紺色の浴衣を着た神宮寺・夕日は、途方に暮れていた。
夏祭りというものは、一人ではなかなか楽しめないものだ。道沿いに歩いて、出店が少なくなった頃、いくつも鳥居が見えてきた。そして鳥居の暗がりで、ぼんやりと光る火を見た。煙草の火だと気付くのに数秒かかった。
暗闇でのっそりと佇む人影に見覚えがあって、夕日はカツリカツリと下駄を鳴らしてその影に近付いた。近付いて行って、ようやく誰であるのか認識する。天然パーマで煙草ばっかり吸っている、深町・加門だった。
彼は煙草をゆっくりと吸っている。後ろから近付いて行った夕日に気付いていない顔だが、きっと気付いている筈だ。誰が来ているのかは知らないかもしれないけれど。
「深町・加門!」
いつもと変わらず、人差し指を突きつけて夕日は言った。
加門は首をすくめてから、夕日の方を振り返った。
彼はビールの缶を片手に持っていた。夕日を見て、きょとんとした表情になる。口にくわえたままの煙草を手に持って、加門は言った。
「……誰だっけ」
「あんた私をどれだけこけにすれば気がすむの」
夕日がうなるように言うと、加門は牽制するように缶ビールを持った手を掲げた。それからまじまじと夕日を見て、ようやく該当者を見つけたのか、納得した顔をした。
「ああ、警察のお嬢ちゃん」
「固有名詞思い出しなさいよ」
「物覚えはいい方なんだが」
彼はうそぶいて、缶ビールを一口飲んだ。
「一人で来たのか、薄ら寒い」
「……うるさいわね。友達とはぐれたのよ」
加門が鳥居の元から夕日のところへ歩いてくる。彼は頭をかいて、夕日の片手を指して言った。
「それ、食べないのか」
たこ焼きのことだ。夕日はまたもこけにされたような気持ちを味わいながら、それは心に押し留めた。
「お腹減ってるの?」
「ああ」
鳥居の向こうには階段があった。夕日は加門を連れて階段まで行き、浴衣で不自由な足で階段を二段降りて、その場に腰を下ろした。加門も一歩離れた場所に座った。
フィルター近くまで吸った煙草を足でもみ消した加門に、夕日はたこ焼きを渡した。加門は「サンキュー」と言って、一個早速口に入れる。二個目に取りかかろうとしているのを見て、夕日は訝しげに訊いた。
「熱くないの?」
「フツー」
夕日は基本的に猫舌なので、熱いものは冷めてからしか食べられない。
加門は夕日に缶ビールを渡した。それから無言で三つ目を口に運ぶ。夕日は渡された缶ビールを手持ち無沙汰に持っていた。たこ焼きのお礼で飲めってことかしら? などと考えてみるが、飲んで文句を言われたら立ち直れそうもない。
その様子を見ていたのか、加門が素っ気無く言った。
「飲んでいいぞ」
なんとなくぎこちなくなりながら、夕日は缶ビールを飲んだ。苦くてするりとした味わいが喉になだれ込む。
「おいしい、やっぱり夏はビールね」
たこ焼きを半分食べた加門は、夕日から缶ビールを取り上げて代わりにたこ焼きを渡した。夕日はたこ焼きに恐る恐る手を出し、なんとか三つ食べ切って、帯に締め付けられている腹をさすった。最後の一個を加門へ差し出す。
「食べて、私お腹いっぱい」
「だらしねえなあ」
言いながら笑った加門は、受け取ってひょいと一個口に入れてしまった。
口をもごもご動かしながら、立ち上がる。
「この人込みじゃあ、人捜しは無理だぜ」
胸ポケットから煙草を取り出しながら、加門は夕日を見た。夕日が慌てて立ち上がった。動きづらい浴衣だったので、少し足元がよろける。
咄嗟に加門が夕日の腕を掴んだ。それからそのまま階段を上がる。
「しっかりしろよ」
「う、動きづらいのよ」
「見りゃわかる」
鳥居をくぐって加門はゆっくりと進んだ。
「暇なの」
夕日が訊くと、加門は白状するようにうなずいた。
花火大会がはじまっている。川辺まで歩いて、二人は花火を見上げていた。加門は新しい煙草に火をつけて、一服している。彼はそれを吸い終わると煙草をかかとでもみ消して歩きはじめた。
「ちょっと、花火は?」
加門は夕日を振り返る。飽きた顔をしていた。
特に何も言わなかったが、表情をみれば花火を見るつもりはないのがわかったので、夕日は花火を諦めて加門の隣に並んだ。人込みをすいすいと進んでいく彼は、浴衣では追いづらい。元より待つ気はないのか、加門は歩調を緩めずにあてもなく歩いて行く。
「ちょっと、待ってよ」
夕日が堪りかねて叫ぶと、ようやく加門は夕日に気が付いて立ち止まった。歩いているときは人込みに紛れてさえいなかったのに、止まった彼は人に埋没してしまった。驚いて夕日が加門を探すと、彼は少し形相を変えて知らぬ人の手を掴もうとしている。
「え?」
顔は相変わらず眠たそうにしているのに、手の動きだけが素早い。しかし、捕まえようとした男は加門の手をするりと抜けて、人込みを駆け出した。当たり前のように、加門も彼を追いかけていく。
夕日はぽかんとその様子を見送っていた。
「なに?」
あっという間に加門の背中は見えなくなり、夕日はただ呆気に取られて立ちすくんでいた。
我に返った夕日が、憤怒に見舞われたのは言うまでもない。
加門を待つには絶好の場所だと、おそらく彼が運転してきただろうホットドック屋のワゴン車の前で夕日は眉を寄せていた。花火大会はまだ終わっていないらしく、ドン、ドン、と音がしている。せめてゆっくり花火でも見ているべきだったと、夕日は考えていた。
三十分もせずに加門は戻ってきた。
ちょうどホットドックを一本買ったときだった。加門は少し上機嫌で、肩こりがとれたような顔をしている。
「よお」
まずいけしゃあしゃあと彼が夕日に言った。
夕日は腹立ち紛れにホットドックに大きな口を開けてがっついた。小ぶりなそれは、がぶりと三口で胃の中に納まった。
「お前……なに怒ってるんだ?」
心底驚いた顔で加門が訝しげに訊いた。口で言うよりも、怒りが伝わったらしい。
夕日は不貞腐れたような口調で言った。
「なにしてたのよ」
「スリ追っかけてた」
「スリ?」
さっき加門が捕まえようとした男がスリだったわけだ。
「一人だと思ったらグループでよ」
他に特に言うことはないのか、加門は黙った。夕日は怒る気力を失いながら、静かな口調で額を叩きながら言う。
「あんた、人置いてけぼりにしてなにもないわけ」
「元々他の奴と来たんだろ」
「……そういう問題じゃ」
加門はボサボサの頭をかく。それから腹をさすった。
「腹へらねえ?」
夕日の回答を待たず、加門はきびすを返して歩き出した。また置いていかれてはたまらないと、夕日が慌てて追いかける。
隣を歩いていて、加門の歩調がゆるくなっているのを感じた。
夕日がクジで風鈴を当てている間も、加門は煙草を片手に待っていた。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3516/深町・加門(ふかまち・かもん)/男性/29/賞金稼ぎ】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/24/警視庁所属・警部補】
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■ ライター通信 ■
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「まだ届かない」ご依頼ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
こんな感じで、いかがでしょうか。二人の距離が相変わらず、ということで、一応〆させていただきます。
では、次にお会いできることを願っております。
ご意見、ご感想お気軽にお寄せ下さい。
文ふやか
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