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スルヴルデコスを憐れむ歌
ぼろん、
ばららん、
「んー、ちがう」
きゅきゅっと締めて、
ぽろろん、
ぱらららん。
「うし、オケオケ」
ぽろん、と蘇鼓のギターが音をとる。
蘇鼓がそれと思った音でも、実は、観衆が聴きとる音はちがう音だった。薄汚れた彼のギターは、この世のものではない音を奏でる。
アグるバスンば、うェかとウけおソ
波間と虎子はガケノシタ
スチャラカ節の領収書
アイ・アイ・リイ・カア、
アグるバスンば、うェかとウけおソ
とどのつまりは失調症で
俺の中の世界はくずれる(ドンガラ)
くずれた欠片は燃やして喰うか
何せ俺様ヒクイドリ
アグるバスンば、うェかとウけおソ
「イャ――――――――――――ヤ・ヤ・ヤアアア!!」
ドダッ!!
さすがの蘇鼓も、歌を止めた。
客は悲鳴を上げて後ずさった。蘇鼓の向かいのビルの屋上から、悲鳴も押し殺さずに女がひとり降ってきて、無惨にも地面で砕け散ったのである。
「何だア、オイ」
「け、警察!」
ギターを抱えて呆れ顔の蘇鼓を尻目に、何人かが携帯を取り出し、何人かが吐いた。蘇鼓はしばらくその目をぱちくりして、騒動を見守っていたのだが、救急車とパトカーのサイレンが聞こえはじめてきた頃には、ギターを抱えてその場を去っていた。
場所を変えて仕切り直すつもりだった。
場所を変えたところで、結果は似たようなものだった。
気を取り直して1曲、と半ばまで歌ったところで、決まって悲鳴の邪魔が入る。駅前で歌ったときは最悪だった。特急の前に飛び出したサラリーマンが砕け散り、臓物が蘇鼓の前に置いてあるチューリップハットにポケットしたのだ。そのチューリップハットは拾いもので、1曲終えたあとのおひねりを入れてもらうのに重宝していた。
集まっていた客が発狂寸前の状態で大騒ぎをしている中、こんなんいらね、と蘇鼓はこぼした。この東京でのんべんだらりと生きるには、新鮮な臓物ではなくゼニが要るのだから。
「何でかね……日和でも悪いンか?」
ぼやきながらも、きゅきゅっと締めて、ぽろんと奏でる。
ぼろん、ぼうろろん。
すぐ近くで、車が何かを撥ねる音がした。
ギターだった。
そもそも、そのギターはチューリップハットと一緒にゴミ捨て場で拾ったものだった。弦も何本か切れていたし、一夜限りの相棒のつもりでいたのだ。
それが、ふとしたことから手に入れた、丈夫な弦を張ることで、まともなギターとして生まれ変わったのである。丈夫な弦というのは、蘇鼓が名前もろくに覚えていない(スルヴルなんとか)寄生虫だか邪神から引きずり出した筋だった。ちょっとばかり、ナタク気分になってみたのだ。獲物の筋を何かに使う、というのは、蘇鼓にとって非常にクールでファンキーでイケてる行為なのである。昔から。
「まア、あんなイソギンチャクのスジじゃ、ヘンな音が出ても無理ねェか……」
別に人間が狂おうが死のうが、蘇鼓の知ったことではない。むしろ、ぽろんと軽く音を取るだけで人間が正気を失う様は、面白おかしかった。
「何せ俺様、ヒクイドリ」
けらりと笑って、蘇鼓は弦を弾く――。
その夜は、飽きるまで音を出していた。ある路地裏で1曲奏で、血と死の匂いを嗅げば、今度は病院の前に座って音を出す。窓から患者が落ちてきたら、次は公園のよくわからないオブジェの前で。
そうして満月もだいぶ傾いた頃、ようやくご機嫌な蘇鼓は気がついた。
いつの間にやら、連れが出来ていたのだ。
どこかの中学の制服を着た少年だった。
「なに、てめェ」
ギターの弦にかけた手を一旦離し、きょとんとした顔で、蘇鼓は少年に尋ねた。少年はぎくりとしたようだった。もぐもぐと言葉に詰まっていた。
「だから、なに」
「お、お、お、おにいさんは」
顔も地味だが、声も地味だった。おまけに小さい。蘇鼓は顔をしかめ、片眉をはね上げて、身を乗り出した。
「そ、そのギ、ギターで、人を殺せる、んだね」
「あーあああ、あいやァ」
蘇鼓は笑ってギターをつついた。
「オレはべつに殺す気ないんだけどさ。これ弾いたらニンゲンの頭がおかしくなる、だけ」
「ぼ、ぼぼ、僕を殺してほしいんだ……もう5回も失敗してるんだ……しし、死にたいんだよう」
「だァからお前サン、オレは殺してるわけじゃねェんだってばよ」
蘇鼓はやはり笑って、今度は肩をすくめた。
「死ぬかどうかは、イカレた本人次第ってやつ?」
肩をすくめたまま、彼は首を傾げた。
そのとき、彼の耳がかすかに聞き取ったものがあった。
――ぎゃう、ぎゃう、いや、あぎゃ、ぐぉわ、いや、きゃあああ――
「……」
蘇鼓は、いまやギターに耳をあてていた。
ギターがひとりでに奏でているのは、悲鳴だ。断末魔の叫び声だ。蘇鼓が――いや、ギターが殺した狂人たちの叫び声が、ギターの音を狂わせ、ギターの力をますます恐るべきものに変えているのだ。
「音出すのは、全ッ然かまわねンだけどさァ」
ギターの音を聞きながら、蘇鼓はわずかばかり難しい顔をした。
「こいつの音で死ぬことになったら、なァんか、ひでェ目に遭うっぽいぜ。あの世に逝けないンじゃねェかなァ」
「し、しし、死にたいんだよう! 死にたいんだよう! 死にたいんだよう!」
少年の声はヒステリックなほどに高くなり、思わず蘇鼓は首をすくめた。たまらない音だ。耳がいい蘇鼓はすっかり閉口した。
「あーあああ! わーかった! わかったってよ!」
ここで一筆、「わたしは自分の意思でギターの音を聞きました」という念書を書かせたい気持ちにも駆られたが――それはそれで面白いことになるかもと、蘇鼓は結局、中学生の望みを聞き入れた。
アグるバスンば、うェかとウけおソ
波間と虎子はガケノシタ
スチャラカ節の領収書
アイ・アイ・リイ・カア、
アグるバスンば、うェかとウけおソ
とどのつまりは失調症で
俺の中の世界はくずれる(ドンガラ)
くずれた欠片は燃やして喰うか
何せ俺様ヒ
「わぁうる! いあ! すすす!」
なにごとかわめきながら、少年が蘇鼓からギターを奪った。蘇鼓が、あッと声を上げたときには、すでにこの世のものではない弦が引き千切られていた。少年は異様な色の筋を自身の首に巻きつけて、ぎりりと締め上げた。
ぼろろん。
ばうん。
がん、ごろん。
真夜中の公園に転がっているのは、白目を剥いた少年の死体と、壊れたギターだ。
「てめェ……これ、返せよ……」
ギターはもはや直しようもないほどに壊れてしまったが、筋はまだまだ使えるはずだ。蘇鼓はしかめっ面で、少年の首に手をかけた。
この筋を張ったギターで歌を唄い、どこかのレーベルに取り入って、CDの1枚でも出してもらうのだ。そうして、歌が有線なり歌番なりで世界に流れるといい。ニンゲンすべてが、今よりずっと狂っていく。そうなれば、蘇鼓はきっと退屈することもない。
蘇鼓のささやかな夢が、懐中電灯の光で粉々に打ち砕かれた。
「何をしているんだ!」
やっべ。
蘇鼓はさっと光から身をひるがえした。懐中電灯を持っているのが、巡回中か、少年のヒステリックな声を聞きつけたかの、巡査であることは間違いなかった。
蘇鼓の手は、しっかり1本の筋を握りしめていた。ただ、半ばほどで千切れ、ギターの弦にするには短くなってしまっていた。
警察に捕まったところで、逃げ出すのは蘇鼓にとってわけもないことだったが、つまらない悪名を戴くつもりはなかった。彼は走って走って、月が沈むまで走りつづけてから、鳥のようにけたたましく笑い出していた。
狂気じみた哄笑だったが、彼はいま誰よりも正気でいるのだ。
手の中のものを振り回しながら、つぎの遊び道具を探すことに夢中になっているのだから。
彼の後ろを、狂気の断末魔たちが影となって追いかけていった。
<了>
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