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対峙する二人 −Earnest−
昏黒の世界――
物部・琉斗は、星も月も拝めない闇夜の晩に街を徘徊していた。
――そして、ついに見つけた。
人が喰い殺されると云う、猟奇殺人事件。人喰いの正体は人に有らざる牙を持った化け物であったという。
琉斗は心当たりがあった。確信を得たのは先刻、人喰いの現場を目撃した時である。
犯人は琉斗と同じ一族である人喰い鬼と化した混血の妖であった。物部一門の退魔師である琉斗は、その逃走した妖を追っていた。暴走した身内を葬り去るのは一族の流儀とされている。それは彼等にとっての戒めなのか――
(よし、追い込んだ!)
入り組んだ住宅街に終点はつきものだ。琉斗は妖を路地裏に追い詰めた。
――グォォォッ!
行き場を失った妖は大地の震えるほどの絶叫をあげ琉斗に襲い掛かってきた。
琉斗は、数瞬の間に人語を操る鬼刀――『火威』を取り出し、妖の猛烈な吶喊をどうにか火威で退けた。反撃とばかりに魔力を込めた火威を一閃すると、妖は悲鳴と怒号の入れ混じった声をあげ――しかし、なおも襲い掛かってきた。
「……そろそろ仕留める」
「承知」
火威が同意を示す――琉斗はその火威を持ち上げ、上段に構えた。一撃で決めるつもりだった。
数分前――
耳障りな唸り声を聞き入れた水上・操は現場に向かって急行していた。
「面倒ごとは勘弁してくれへんか」
「でも、それがボクらの仕事やん?」
長刀の前鬼、短刀の後鬼が漫才ごっこを始めたので操はカシャンと刀同士を擦り合わせて口を閉じさせた。
「……うるさいですよ、二人とも」
操は走る速度を上げた。夜風を全身に浴びながら、このまま溶けていくのではないかと錯覚しながら――途中で感情を制御した。
何も考えずに、ただ対象を根絶する事だけを思考の中心に据えておく。乱さず、崩さず、その思考だけは衰退も発展も許さないかのように――
いた。
鬼がいた。
数メートル先に鬼がいた。
あれ?
だが別の気配も感じた。これは人間、いや別の何かが混ざっている?
操は違和感を覚えながらも、目の前に迫りつつある鬼に向かってまずは長刀を振るった。
――ザシュ!
鬼とは云え、斬る感触は人間と変わらない。嫌な感触が手に伝わってきた。
しかし、まだ息絶えてはいないようで全身を痙攣させている。
刹那、操は短刀――後鬼を突き刺していた。
躊躇いもなく。
――誰だ、この女は?
琉斗は力尽きた妖よりも、それを仕留めた礼儀知らずの女にもはや興味の対象が移っていた。
なにやらあの二つの刀、人語を操っているようだが――まさか鬼か?
いや、退魔師――あれは白神派の術式だ。
退魔組織の中では少数派、異端にあたる物部一族は、多数派である白神派とは反目している。混血の一族なのだから、当然と云えば当然なのだが。
まったく気に食わない女だ。いきなり獲物を横取りするとは、さすがは優秀な白神派さんだ――心中で毒づきながら女に向かって歩み寄る。
「物部の鬼は物部が狩る。混血狩りの流儀を知らないのか、退魔師」
声を掛けられてやっと女が振り向いた。表情は人形のように乏しく、だがどこか穏やかにも見えた。
「…………」
女は何も答えない。琉斗の握る火威をじっと見つめている。
「何とか云ったらどうだ?」
さらに接近。
感情が膨張していた。発散させなければ――内部に蓄積した鬱屈とした悪意を目の前の女にぶつけなければ!
「口も聞けないか!」
乱暴に火威を振るう。
――ガウィーン!
女は二つの刀で琉斗の攻撃を防いだ。
金属音が耳にこびりつき気持ちが悪い。
ひと気のない路地裏で二人は剣を交えた。
――この人、強い。
操は前鬼で男の力任せの斬撃を受け流した。
後方にステップして、前鬼と後鬼を両手に構える。
垂れる前髪が鬱陶しい。
流れる汗も鬱陶しい。
目の前の男は――鬱陶しい?
よく解からない。ただ、奇妙な感覚が全身に広がっていった。
「――はっ!」
二つの刀を操り、男を翻弄せんと飛び掛る。しかし、男は圧倒的な力で持ってして操の猛攻を防ぐどころか反撃してくる。もちろん、手数で勝る操も負けてはいないのだが――
男の斬撃により削られた髪の毛が宙を舞う。
――女の髪を何だと思っているのかしら。
そんな悠長な事を考えながらも手を休めない操。
戦いは次第にヒートアップしていった。
二人とも手数を、威力を、速度を、相手に合わせて向上させていった。
――なめるな!
体勢を崩した琉斗は、しかし女の攻撃を後方に飛んでかわした――飛んだ先は塀の上。
まずい――そう思った瞬間、磨り減らしていたなけなしの理性が全て弾け飛んだ。
極度の興奮状態に陥った琉斗は破壊の化身へと姿を変える。
紅い闘気が琉斗の全身を覆っていた。
――ウォォォォォォォ!!
人間の咆哮ではない。
塀の内側にいた民家の飼い犬が吠えるどころか怯えていた。
(くそ……っ、体が云う事を!)
権化と化した琉斗は、唖然とした様子で立っている女に向かって飛び掛った。
ありえない角度からありえない速度で火威を振り下ろす。
女はギリギリの所で器用にも攻撃を交わしたが、衣服は無残にも斬り裂かれていた。
腕からの出血に顔を顰める。
形勢は一気に琉斗へ傾いていた――
――このままでは、やられるわ。
操は本能的に察知した。彼にはもはや雀の涙ほどの感情も残ってはいない、と。
地面に滴るアカイ血が、操の視界を真っ赤に染め上げる。
長くは持たない。
こうなれば最後の手段。
力には力で対抗する他ない。
「まさか、アレをやるんとちゃうやろな?」
「待った待った、アレは危険すぎ――」
操は、「ごめんなさい」と呟き前鬼と後鬼を地面に落とした。
――発現させます。
操の瞳が徐々に紅く染まり出した。
喜怒哀楽のうち怒だけが表に出て、あとは引き下がる。
動く。
相手も動いた。
接近。
そして衝突。
硬いアスファルトに減り込む四本の足。
地面に亀裂が入る。
鮮血が地面に、電柱に、壁に、撒き散らされる。
破壊と破壊。
それは終わりを見ない戦いのように思えた。
琉斗から邪気が消えていた。
僅かに残った理性でそう判断した操は戦いを中断した。
「うっ……くぅ……」
人の姿に戻った琉斗は地面に倒れこんだ。
操も何とか己の力を制御しようと試みる。長時間、この状態でいると、自我が崩壊し、精神を蝕み、最終的には化物の姿に成り下がってしまう。それは琉斗も同じだった――彼の場合は外的要因により人間の姿に戻る事ができるのだ。
「……はぁ……はぁ」
操も何とか元の姿に戻る事が出来た。前鬼と後鬼の溜息が聞こえた。
理性が戻っていく。
お互い、冷静さを欠いていたことは云うまでもないが、一歩間違えばどちらかが――いや、どちらも命を落としていたかもしれない。
「……くっ」
琉斗は脇腹を押さえながら立ち上がった。火威を鞘に戻し、操に背を向ける。
操もまた破れたスカートを押さえながら前鬼と後鬼を拾い上げ、琉斗とは反対側の道へ歩き出す。
途中でお互い振り返る。
「…………」
「…………」
二人は無言でしばし見詰め合った。
琉斗が先に顔をそむけた。そして、上着を脱いで操に放り投げた。そのまま歩いていく。
操はそのブカブカの上着を片手で受け取り、破れた衣服の上に羽織った。
鬼の混血である近しい二人は――だが退魔師としては、相反する立場にある決して相容れない存在同士。
二人が交わる時はやって来るのか、今は誰にも解からない――
−終−
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