|
鍋をしよう7 ―消されたナンセンス―
●オープニング【0】
2004年8月――日本列島は異常なまでの猛暑に見舞われていた。
「暑い……」
この馬鹿みたいな暑さの中、窓を全開にした草間興信所。所長である草間武彦は、くわえ煙草でソファに寝転がってぐったりとしていた。こんな状態であっても煙草を吸っているのは、見事というか何というか。
「草間さん、エアコンの修理明日でないとどうしても無理だって電器屋さんが……」
その時、電話の受話器を手にした草間零が、困った様子でそんな報告を草間にしてきた。そうである、窓が全開なのはエアコンが故障してしまったからだった。この人間の体温以上の気温が続く最中に。
「……今日は仕事にならないな……」
煙草を灰皿で消し、虚ろな瞳でつぶやく草間。こう暑くては頭などろくに回らない。書類を書いても、すぐに汗が落ちてきてしまうことだろう。
「あの。そういえば私、暑い時の対処法を聞いたことあるんですけど……」
汗一つかいていない零が、ふっと思い出したように言った。
「何でもいい、お前に任せる……どうにかしてくれ、この暑さ」
草間はもう、考えることを放棄してしまったようだ。
「暑い時に熱い物を食べるといいらしいんです」
「ああ……そう言うな……」
「なので、お鍋しませんか?」
「…………」
零の口から『鍋』という言葉が出た瞬間、草間は『お前に任せる』と言ったことを激しく後悔した。
「さっそく準備しないと」
噂の鍋パーティーが……真夏にまたやってきた。
●ルナティック【1】
余計な机やソファなどは上の階に運んでしまった全面板敷の部屋で、大小の扇風機がせっせと首を左右に振っている。
大きな扇風機はもちろん有名家電メーカーの物、小さな扇風機は100円ショップで売っているようなあれだ。大きな扇風機の前には、大きなたらいに入った氷柱がどんと鎮座している。
それから板の床の上にはゆるやかに煙を昇らせる、ぶたさんの容器に入った蚊取り線香が。そして開け放たれた扉や窓の所には、涼し気な音色を奏でる色とりどりの風鈴たちが吊るされている。もちろん外やベランダには打ち水も忘れていない。
これぞ日本の夏、といった風景である。いやあ、風流風流……。
「暑いっ!!!」
と――風流な気分を吹き飛ばすがごとく、村上涼の絶叫が草間興信所内に響き渡った。
「……そんなに大声出さなくとも聞こえてるぞ」
不機嫌そうな草間の声。目は相変わらず虚ろ、手には何故か怪談話で有名な某タレントの顔がでかでかと映っているうちわを持っていた。
それより何より妙なのは、草間がどてらを羽織っていたことである。エアコンが壊れ、暑さにまいっているというのにこの所業。果たして正気なのだろうか?
「腐乱死体は黙ってて! だいたい何で腐乱死体が、鍋とか常識とか良識とかまともな単語全てから生き別れてる提案した挙句、人んトコ電話かけてくるのよ? ああん?」
非常にガラの悪い様子の涼。暑さで切れているのは、誰の目にも明らかだった。
「あのな……鍋を目の前にして、今さら蒸し返すな! 来たんだろっ、どてら羽織ってんだろっ、何だかんだ言って物好きなんだろ!!」
売り言葉に買い言葉、すぐさま言い返す草間。そう、涼もしっかりどてらを着込んでいるのである。
そんな草間を、やはりどてらを着たシュライン・エマが必死になだめていた。
「武彦さん、どうどう……。はい、冷却ジェ……」
シュラインが草間の背中に回り、冷却ジェルを張ろうとした瞬間、横からすっと手が伸びてきた。
「はい、没収しまーす☆」
明るい声とともに冷却ジェルを没収したのは、何故かきつねの着ぐるみを身に付けた七森沙耶である。
「ああっ、税込504円の冷却ジェルがぁ……」
妙にリアルな金額を口にし、冷却ジェルに向かって手を差し出すシュライン。だが――。
「中途半端に冷やすのは、健康によくないんですよ?」
にっこりと天使のような笑顔を向けながら、そそくさと没収した冷却ジェルを片付ける沙耶。……やってることは悪魔に近いのではないだろうか。
「そうよっ、のこのこ来る私も物好きだと思うわよっ! いつの間にやらどてらも羽織ってるしっ!! けど物好きの方が腐乱死体よりましに決まってるじゃないっ!!」
あ、まだ続いていた。先程の草間の言い分に対し、涼が反論を行っていた。
まあ、涼が切れたくなる気持ちも分からないではない。実は冒頭の説明、まだ途中であったのだ。今から続きを説明しよう。
まず、事務所内に居る者たちの数は総勢16人。よくもまあ、こんなに集まったものである。
そして氷柱の入ったたらいにぐるっと巻きついている白い錦蛇。何故かうさぎの着ぐるみを着ている巳主神冴那が連れてきた、藤乃である。なお、他にも諸々と連れてきたのだが、今の所近くには見当たらない。……まあ、悪さをしなければ別にいいか。
それだけではない。一番奥に座っている顔の右半分を包帯で隠している新座・クレイボーンの両脇には、メカ恐竜と銀の有翼蛇が鎮座していた。各々、ぎゃおとケツァというらしい。
テーブルの上には、蓋の隙間から湯気が出て、ぐつぐつと煮えている土鍋が6つあった。うち5つはカセットガスコンロの上に、草間から一番遠くの土鍋だけはハロゲンコンロの上に載っていた。位置的に、ちょうど新座の真ん前だ。なお、カセットガスコンロとハロゲンコンロの間はやけに空いている。
人や生き物がひしめき合っている上に、ぐつぐつ煮える6つの土鍋。これだけでも暑さは跳ね上がっているのに、とどめとばかりに七輪で旬の秋刀魚が焼かれていた。
とりあえず窓は全開なので、一酸化炭素中毒で死屍累々ということは絶対ない。秋刀魚を含め、これを持ってきたのは猫の着ぐるみを着た海原みあおだ。
よくよく見れば、七輪の側面には『みあお』と大きく文字が書かれていた。マイ箸、マイ小皿というのはよく聞くが……ひょっとしてマイ七輪、ですか?
ついでに言うと、どてらやら一部で見られる動物の着ぐるみを持ち込んだのもみあおである。もっとも着ぐるみを着ているのは、沙耶やみあおや冴那くらいで、他の鍋の前に居る皆はどてら着用であった。
みあおに尋ねると『物置から持ってきたんだよ♪』と言っていたが、どてらはともかく動物の着ぐるみがごろごろとしている海原家とは……非常に謎である。
以上で説明は終了だが、冒頭の涼し気で風流な光景など、七輪とぐつぐつ煮える鍋の強力タッグの前では容易に吹き飛ぶ物であるといえよう。
「まあ……暑気払いにはよいかもしれませんね」
うちわ片手にそう言ったのは、ふらりと気紛れに事務所を訪れた綾和泉匡乃。この気まぐれが吉なのか凶なのか、それはまだ分からない。ちなみにたらいに氷柱のアイデアを出したのは匡乃だ。
「しかし、熱い物を食べるといいなんて誰に聞いたんだ?」
零に問いかけたのは、氷柱の前でせっせと首を振っている大きな扇風機を持ち込んだ藤井雄一郎である。
雄一郎は草間に視線を向けた。首を横に振る草間。草間が言ったのではないらしい。
「あの、ひょっとして思いっ切りな人だとか……汐留の……」
そう言ったのは、あふれる汗をハンカチで何度も押さえている志神みかねだ。なるほど、あの人なら確かに言いそうである。
「ここはオーソドックスに渋谷のNHKじゃない?」
と言ったのは、冷えた缶ビールを頬にあててテーブルに肘をついている室田充であった。ちなみに小さな扇風機はいずれも充の差し入れである。
「いやいや。マニアックに赤坂の局かもしれませんよ」
そんなことを言い出したのは、何故か汗を全くかいていない九尾桐伯である。もちろんどてらは羽織っている。ちなみに板を敷き詰めたり、打ち水をするなどのアイデアは桐伯によるものだった。
「んー、六本木ヒルズじゃないの?」
何だか在京局全部出そうな勢いだが、愛嬌ある笑顔とともにこれを言ったのは梅成功である。……まさかとは思うが、ぱっと思い付いたから口にしたんじゃなかろうか?
「虎ノ門もあるな……」
微妙な所を突いてきたのは、もうどこかで飲んできたのかいい感じに出来上がっている真名神慶悟である。そばでは式神が、うちわで慶悟のことを扇いでいた。
「お、いいなあ、それ……おれも欲しい……」
新座がその式神のことをうらやましそうな目で見ていた。そして同じことを試みさせようと、うちわをぎゃおに持たせた。
しかし、ぽいとうちわを捨てるぎゃお。今度はケツァにうちわをくわえさせる新座。だが、ケツァもくわえたうちわをぽいと捨ててしまった。
「うああ……こんな時に無力かよ……」
新座がぐてっとテーブルに突っ伏した。鍋を食する前に、もう暑さで十二分にやられてしまっているようだ。
「……藤乃もやってみる……?」
新座の行動を見ていた冴那が、たらいに巻き付いている藤乃に向かって声をかけた。が、よっぽどたらいが気に入ったのか、ちょこっと顔を向けただけで、またすぐにたらいに興味を戻してしまった。
「で、正解は何なの? あと残ってるのはお台場だけだよね?」
みあおが零に尋ねた。すると零はこう答えた。
「ええと……確かアルタです」
皆まで言わなくとも、零が何の番組を見て覚えたのか明白である。
「ああっ、新宿アルタ! 平日の正午前に、あの前通るとねっ、人がいっぱいで邪魔なのよっ!!」
零の言葉に反応する涼。非常に実感のこもった言葉であった。いやほんと、正午前には若者が多く集まっているのだ。閑話休題。
「そろそろお鍋の方もよさそうですね♪」
にこにこと嬉しそうに沙耶が言った。沙耶が陣取っているのは、台所の真ん前であった。
しかし、何故この場所に陣取っているのか。それは参加者が容易に台所に逃げ込まないように、防ぐ意味合いがあるためだった。
「……向こうに天国があるのにな……」
台所に目を向け、ぼそっとつぶやく草間。視線の先には、何故か白衣のナース服(ご丁寧にストッキングも白だ)に身を包んだ寒河江深雪の姿があった。よくよく見れば、台所の手前には『救護所』なんて貼り紙まであった。字から察するに、シュラインが書いたのだろうか。
「ええと……無理は……しないでくさだい……ね?」
さてどうしたものかと、困惑した表情で鍋に向かう者たちに言う深雪。エアコンが壊れて室温急上昇の中、台所だけは不思議と涼し気であった。
台所には充が持ち込んだ電動氷かきや、シュラインが予め握っておいた青紫蘇を混ぜたおにぎり、それからみあおが持ち込んだナタデココやらタピオカといった類のデザート類が集まっていた。
もちろん、冷蔵庫にはシュラインが作ったココナッツミルクのシャーベットや、深雪が作って持ってきた特製アイスも入っている。まさに天国である。
「でもあの……どうして私は、こういう格好を?」
深雪が首を傾げた。念のため言っておくが、これは深雪の普段着などでは決してない。ここで有無を言わさず着替えさせられたのだ。
「でも、似合ってるからいいんじゃないかなー?」
さらっと言い放つみあお。みあおの言葉には続きがあった。
「でも何でどてらに紛れ込んでたんだろ」
……結果的に持ち込んだのはどうやらみあおらしい。本人は意図していなかったようだが。
「お願い、しっかりお台所守ってね……」
手を合わせ、哀願するような目を深雪に向けるシュライン。台所が最後の砦だと思っているに違いない。深雪はこくこくと頷いた。
しかし……鍋の参加者一同はこの時点で気付くべきだった。徐々に、徐々に熱と暑さによる狂気が自分たちを蝕んでいたことに……。
ここから語られるのは、鍋パーティ史上で最大かもしれない狂気の記録である。
●さよなら、草間武彦【2】
1つの鍋は沙耶の管理下にあり、草間を狙い撃ちするかのような物であった。
「コンセプトは『夏バテに負けない! 健康第一鍋』です♪」
器を手に、嬉々として言う沙耶。だがそれとは対照的に、草間は鍋から目を背けていた。
「何だか……目にくるのは、気のせいかしら?」
恐る恐る鍋を覗き込んだ後、シュラインが潤んだ目を押さえながら沙耶に尋ねた。
「あ、少し癖はあるかもしれませんけど……健康にはいいはずですから」
「……『はず』って何だよ……」
沙耶に聞こえぬような声でぼやく草間。
「中には何が入っているんですか?」
零が沙耶に尋ねた。
「食材ですか? えっと、黒酢、青汁、砂糖、韓国から直輸入したキムチ、ゴーヤー、大量のニンニク……つゆのベースは黒酢と青汁で、少し酸っぱいかなと思ったんで、中和の意味合いで最後に砂糖を入れてみました」
「……中和してないって……」
また沙耶に聞こえぬ声でぼやく草間。
「そして見てください、今回のメインの平家蟹!」
とても楽しそうな沙耶。鍋の表面では、怨念こもった不気味な甲羅を見せつけている平家蟹が浮かんでいた。
草間は決して鍋を見ない。見ただけでも呪われそうな気がするのに、食べるだなんてとんでもないことだった。
「酒をくれ……」
桐伯の方へ向かって手を差し出す草間。すると桐伯は、すぐさまグラスを草間に手渡した。
「今回のお酒もいいですよ。神戸酒心館の『福壽 凍結酒』、ささ味わってください」
「飲まにゃやってられんよな……」
ぐいと酒を飲む草間。そんな草間に対し、静かに手を合わせ桐伯がこう言った。
「草間さん、あなたのことは決して忘れませんから。安心して目の前の鍋を食べてください」
「…………」
草間は無言でグラスの中の酒を一気に呷った。明らかに呆れていたようである。
「九尾さんは汗をかかないんですか?」
その時、零が桐伯に質問をなげかけてきた。確かに、ここに来てから桐伯は全く汗をかいた様子がないのだ。もっとも鍋の前に居て汗をかいていない者といえば、零や冴那もそうなのだが。
「ええ。バーテンダーが汗をかいては、見栄えが悪いですから」
さらりと言ってのける桐伯。冗談を言っている口調ではない。
「それだけで汗をかかなくなる気はしないんだが……本当に人間か、お前?」
「それは秘密です」
草間のぼやきに近い疑問に対し、すっと人指し指を立てて桐伯が言った。
「はい、草間さん。あーんしてください」
「む? お、おい、正気かっ?」
草間が桐伯と会話している間に、沙耶の方は準備が出来ていたらしく、器にてんこ盛りとなった食材を、草間の口元へ運ぼうとしていた。
「健康のためですよ。さ、遠慮しないで」
「遠慮させてくれっ!!」
必死の形相で拒否しようとする草間。助けを求める視線をシュラインへ送るのだが……。
「ごめんなさい武彦さん……こればっかりは私にはどうにも出来そうにないわ……。私が出来るのはこのくらい……」
パタパタと草間をうちわで扇ぐシュライン。この状況、草間は見捨てられたと考えていいのかもしれない。
「はい、あーん」
沙耶が適当に切ったようにしか見えないゴーヤーを箸に挟み、草間の口元へ持ってくる。
「『あーん』じゃないっ! お、おい、やめ……」
はい、犠牲者1名出来上がり――。
●冴那さんn分クッキング(nは自然数)【3】
また別の1つの鍋は、それはそれでえらいことになっていた。
そもそも、その鍋が匡乃の管理下に何故かなってしまったのが問題だったのかもしれない。
「ふむ。こんなもの、でしょうかね」
鍋の味を見る匡乃。作っていたのは豚キムチ鍋。雄一郎が大量のキムチと豚肉、それと乾燥唐辛子を持ち込んだことにより、準備することとなったのである。ちなみに何故匡乃なのかというと、食材の置いてある場所の近くに居たためだ。
「わあ……美味しそう。でも辛そうだから、少しだけ……いただきます」
みかねが豚キムチ鍋に箸を伸ばし、器の中へと具を盛り付けた。そして2、3度ふうふうとしてから、豚肉とキムチを一緒に口の中へ入れた。
一瞬の間の後――みかねの顔が真っ赤になった。
「@*+#$&%*!!!」
両手で口を押さえ、声にならない悲鳴を上げるみかね。しばしあたふたとした挙句、そばにあったグラスの中の飲み物をこくこくと一気に飲み干した。
「……ふう……」
一息つき、壁へともたれかかるみかね。顔はまだ真っ赤なままである。そんなみかねの姿を見て、首を傾げる匡乃。
実は……匡乃はミスを犯していた。匡乃自身は辛い物は激辛でも平気なので、自然と辛さの調節がそのラインまで引き上げられていたのである。つまり、辛さに耐性のない者が口にしたなら……たちまち、みかねのようになってしまうということだ。
だがしかし、そんな激辛豚キムチ鍋を汗をかくことなく平然と食している者が居た――冴那だ。
「少し暑いわね……」
激辛鍋、着ぐるみ、エアコンなしという状況だというのに、『少し暑い』と言い切ってしまう冴那。たいしたものだ。
「辛いですか?」
「……辛いのかしら……?」
匡乃の質問に、冴那は質問で返してしまう。けれども匡乃はそれで納得したようで、自らもぱくぱくと豚キムチ鍋を食べていた。
「だいたい普通、こんなものですよね」
すみません匡乃さん。普通じゃないと思います……。
「そうだわ……。お店のお客様から……こんなものをもらったのだけれど……」
ふと思い出したように言った冴那は、下から何やらインスタントラーメンの袋を大量に取り出してきた。
包装紙に記されていたのは日本語ではない。タイ語だった。ということは、これは……?
「タイのお土産の……トムヤム味インスタントラーメンなんですって……。お鍋で煮て食べるなら……一緒だと思って」
と冴那は言うが、普通は違うのではないだろうか?
止める者が居ないため――いや、正確には居るのだが現在それどころではなく――冴那は袋を開け、ぽいぽいっとそのトムヤム味インスタントラーメンを豚キムチ鍋に放り込んだ。
「色合いは重要……って、昔料理教室で聞いた覚えがあるから……」
と言いながら、冴那は鍋に新たな食材を盛り付けてゆく。
黄色の彩りに皮ごとバナナ、緑の彩りに丸ごときゅうり、そして赤の彩りとして丸ごとパプリカを。そして仕上げとばかりに、牛のフィレであるだろうか、豪華な肉を盛り付ける。
豚キムチ鍋をベースとし、完成した土鍋ラーメン。正直言って色合いは……極めてあれだ。だが、盛り付けを行った冴那本人はというと――。
「まぁ……美味しそう……」
と言って、土鍋ラーメンに手を付け始めたのだ。
それを見た充は明後日の方角を向いて頭を抱え、ふう……と小さな溜息を吐いたのだった。
●謎の食材【4】
さて、先程止める者が現在それどころではないと言ったが、止めるべき者が何をしていたかというと――。
「ほっ!」
「甘いぞ、少年!」
止めるべき者、雄一郎は成功と打々発止の戦いを繰り広げていた。
方や持ってきた食材を鍋へ放り込もうとしている成功。方や土鍋の蓋でそれを阻止しようとしている雄一郎。こういう状況なのだから、冴那が何をしていようと気付くことがなかったのである。
「アオウミガメって精がつくんだよ?」
「いやしかし、バランスを考えるとこの鍋に入れる訳にはゆかないからな」
明らかに雄一郎、鍋奉行モードに入っていた。ちなみに成功が雄一郎のブロックをかいくぐって鍋に入れることが出来た食材は、冬虫夏草くらいであった。タツノオトシゴやカエルといった物は、見事に土鍋の蓋で阻止されてしまっていた。
「いいか少年、食材を入れる暇があったらどんどん食え! 夏バテを防ぐにはちゃんと三食食べて、栄養を取るのが一番だからな!」
などと雄一郎が言っている間に――ぽちゃん、と鍋に何かが入った。
「うん? 何を入れたんだ?」
雄一郎が、ぎゃおを枕にぐでっとしていた新座に向かって尋ねた。
「んー……植物になんのかな。おれ、暑さに弱いんだよ……このまま寝る……あー、ひゃっこい……」
そう言ってケツァも抱き寄せる新座。新座は鍋を食する以前に、暑さに負けてグロッキー状態になってしまっていたのだ。
鍋を覗き込む雄一郎。鍋に浮かんでいるのはエリンギであった。
「エリンギか。これがまた歯ごたえがしゃきしゃきして旨くて……んんっ!?」
雄一郎は我が目を疑った。何とエリンギが急に膨張し始めたかと思うと、ポンポンポンッと増殖を始めたのである!
「隙ありっ!!」
成功は雄一郎の隙を突き、アオウミガメを謎のエリンギが入っている鍋へと放り込んだ。
「わあ、すっごいねっ! これは記念写真撮らないとねっ☆」
みあおはすかさずカメラを構え、物凄い勢いで増殖してゆく謎のエリンギを撮影した。もちろん面食らう雄一郎の姿や、アオウミガメを入れることが出来て得意満面の成功の表情も捉えていた。
「はいストップ……と言っても、止まりそうにないね、これじゃ」
謎のエリンギが増殖し続ける鍋を見つめ、充が溜息を吐いた。止めようにも、どうやったら止まるのか分からないのだから、どうしようもない。
「とにかく、関係した人には責任持ってぜーんぶ食べてもらうよ? ……残さないでね」
雄一郎や成功の方を向き、にこっと微笑む充。しかし、目は全く笑っていない笑顔であった……。
●カタストロフィ【5】
謎のエリンギが増殖を続ける中、着実に破局は近付いていた。
「くすっ……くすすすっ……うふふふっ……」
突然、妙に笑い出すみかね。顔は相変わらず真っ赤である。
「うふふっ……何だか楽しくなってきましたー☆」
何だかテンションがおかしい。などと思っていたら、みかねが手当り次第に食材を鍋の中へ放り込み始めた。その中には、何かの卵らしき物もあり――。
「あ、バロット入れちゃった」
成功が参ったなといった表情を見せた。
バロットは成功が持ってきた物で、その正体は孵化寸前のアヒルの有精卵を茹でた物である。見た目がどうであるかは……あえて触れないことにする。
「コラーゲン豊富だから肌にいいんだよ」
と成功は説明するが、大多数の者は別の手段でコラーゲンを摂取したいと考えることだろう。
「うふふ〜……」
目がとろんとしているみかね。これはもしかして……酔ってますか? ひょっとして先程飲んだのが、酒だったのだろうか?
やがてそのうちに、食材が破裂した。キムチ? いや違う。果物? それでもない。謎のエリンギ? いやいやいや。
破裂したのは……何と恐ろしいことに……バロットで……。どうなったかは、説明する必要もないだろう……。
「ごめん、僕逃げるよ」
ダメだこりゃ、とばかりにうどんを抱えて深雪の待つ台所へ逃げる充。賢明な判断である。
「ちょっと何!」
突然涼が叫んだ。叫んだ相手は、黙々と酒を飲み続けていた慶悟である。ちなみに涼、ずいぶん飲んでいたのか目が据わっていた。
「ん?」
「何でそっちには、まともなおつまみが揃ってるのよっ!!」
びしっと慶悟を指差す涼。慶悟の周囲には、牛もつや枝豆、それからまともな鍋の具などが入った器がいくつも並んでいた。
「陰陽の導きだ。陰陽の導きゆえに……」
そう言って、ぽんっと手を叩く慶悟。すると雑用をしていた式神が突然踊り始めた。
「この通り。いつもより多く踊っている」
……まさかとは思うが、慶悟もだいぶ酒が回っていますか?
「ふ……そういうことね……分かったわ」
ゆらりと立ち上がる涼。そして、どこからともなく金属バットを取り出した。
「私の前に食べられない鍋が来るのも、私に変なの食わせようと画策してるのもっ、私の就職活動が上手くゆかないのも全部っ、全部っ……あんたのせいなんだわっ!!!」
涼は完全に壊れてしまったらしい。というか、最後のはどう考えても言いがかりのような気が……。
「天に代わりて不義を討つっ! 天誅ーーーーーっ!!」
金属バットを構え、慶悟に襲いかかろうとする涼。
「そうはさせじ!!」
慶悟は咄嗟に陰陽の術を放とうとして――。
●やっちまった……【6】
涼が慶悟に襲いかかる少し前、台所には深雪の他、気絶した草間を引きずってきたシュラインと零の姿があった。
「武彦さん、ごめんなさい……でも美味し……」
「美味しいアイスですね。ご自分で作られたんですか?」
シュラインと零は、深雪が持ってきた特製アイスを堪能していた。
「北海道の友人直伝のレシピなんです。コアントローオレンジリキュール入りのさっぱりめ。それでいて柔らかいでしょう?」
深雪が笑顔で2人に話しかけた。確かに、アイスにはスプーンが滑らかに入っていた。
「そして、好みの洋酒をホンの少ぅしたらして、口に運ぶのが基本。たまにはこういうのも……いいですよね?」
「ん、こういう食べ方もあるのねえ……」
感心するシュライン。シュラインのアイスにはカミュを、零のアイスにはモーツァルト・チョコレートリキュールを本当に少しだけたらしていた。これがまた、アイスの味に深みと奥行きを与えるのである。
「あ、美味しそうだね。僕にもちょうだい……って、あるのかな?」
そこに、うどんを抱えて逃げてきた充が入ってきた。充はすぐに、台所の床で気絶している草間に気付いた。
「気絶したんだ? ……今日ばかりは気絶した方が楽なのかもねえ」
ほうと息を吐く充。その時である――鍋の部屋の方から、激しい稲光と落雷の音が聞こえてきたのは。
慌てて鍋の部屋を覗き込む台所に居た4人。そこには……まるでコントのごとく真っ黒すすだらけになって、髪の毛も爆発した状態で倒れている参加者たちの姿があった。
無論参加者がこの状態なのだから、土鍋やら酒やら扇風機やらが無事であるはずもない。
被害総額は、さていくらになるのかちょっと分からない。とりあえず、翌9月の草間興信所の財政状況は極めて悪くなったということだけは言っておこう。
狂気に支配された鍋パーティの記録は、恐らくは忌わしき記憶として封印され続けることだろう。
今回の教訓:暑い時に無理して熱い物を食べるのも良し悪しである。
【鍋をしよう7 ―消されたナンセンス― 了】
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【 整理番号 / PC名(読み)
/ 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0076 / 室田・充(むろた・みつる)
/ 男 / 29 / サラリーマン 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)
/ 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0174 / 寒河江・深雪(さがえ・みゆき)
/ 女 / 22 / アナウンサー(お天気レポート担当) 】
【 0230 / 七森・沙耶(ななもり・さや)
/ 女 / 17 / 高校生 】
【 0249 / 志神・みかね(しがみ・みかね)
/ 女 / 15 / 学生 】
【 0332 / 九尾・桐伯(きゅうび・とうはく)
/ 男 / 27 / バーテンダー 】
【 0376 / 巳主神・冴那(みすがみ・さえな)
/ 女 / 妙齢? / ペットショップオーナー 】
【 0381 / 村上・涼(むらかみ・りょう)
/ 女 / 22 / 学生 】
【 0389 / 真名神・慶悟(まながみ・けいご)
/ 男 / 20 / 陰陽師 】
【 1415 / 海原・みあお(うなばら・みあお)
/ 女 / 6? / 小学生 】
【 1537 / 綾和泉・匡乃(あやいずみ・きょうの)
/ 男 / 27 / 予備校講師 】
【 2072 / 藤井・雄一郎(ふじい・ゆういちろう)
/ 男 / 48 / フラワーショップ店長 】
【 3060 / 新座・クレイボーン(ニイザ・クレイボーン)
/ 男 / 19? / ユニサス(神馬)/競馬予想師/艦隊軍属 】
【 3507 / 梅・成功(めい・ちぇんごん)
/ 男 / 15 / 中学生 】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
・『東京怪談ウェブゲーム』へのご参加ありがとうございます。本依頼の担当ライター、高原恵です。
・高原は原則としてPCを名で表記するようにしています。
・各タイトルの後ろには英数字がついていますが、数字は時間軸の流れを、英字が同時間帯別場面を意味します。ですので、1から始まっていなかったり、途中の数字が飛んでいる場合もあります。
・なお、本依頼の文章は(オープニングを除き)全6場面で構成されています。今回は全参加者共通の文章となっております。
・今回の参加者一覧は整理番号順で固定しています。
・大変お待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。ここに鍋パーティ第7弾の模様をお届けいたします。
・今回は暑さのせいでしょうか、全体的にプレイングが壊れていたような……。で、まとめあげてみた所、本文のようになった次第です。普通に鍋を食するという視線から見れば大失敗になるのでしょうが、これはこれである意味成功なのではないかなと、思えなくもなかったり。
・一応鍋シリーズ、次回以降も予定はしていますが……ご希望などありましたら、お気軽にファンレターなどでお知らせください。でも、いったいどういう方向に進むのでしょうね……。
・海原みあおさん、4度目のご参加ありがとうございます。えー、どてらや着ぐるみは壊れっぷりに拍車をかける結果になったかなと思います。やあ、高原としては面白かったんですが。
・感想等ありましたら、お気軽にテラコン等よりお送りください。きちんと目を通させていただき、今後の参考といたしますので。
・それでは、また別の依頼でお会いできることを願って。
|
|
|