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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


煉獄の契り―邂逅―


 赤く朱く紅く赫く、血を燃して視界を染め上げていく業火の中で、少女は永劫の闇を歩くモノにひそやかなる口付けと呪を刻まれた。



 陽の加減によって様々な表情を見せる日本人形専門店『蓮夢』――無数の人形達がさざめくその店で、薄闇の気配をまとい、妖の世界に棲まう少女人形がひとり佇んでいる。
 時折気まぐれのようにふらりといなくなる店主の代わりに、咎狩殺は艶やかな赫の着物に身を包み、病んだ男が生み出した忌まわしき骸の人形を抱いて。
「そう……お客さんがくるのね……」
 カタカタと嗤うソレにひっそりと微笑み返し、
「ここからもらわれてった子も一緒に?……ふうん」
 殺を取り囲む別の人形達の囁きに頷きを返し、つぅっと視線を窓へと移すと陽の落ちかけた茜色の空を眺めた。
 燃え上がるようなその色に重ね見るのは遠すぎる過去の残像。どれほどの時を隔てたのか思い出すことも数えなおすことも出来ないけれど、確かにこの胸に刻まれた記憶。
 ただひとり、肉体が感じる愉悦からではなく、心からの渇望によって自分を欲した少女。
 何者にも換えがたい真実の赤を用いて、この上もなく美しい破滅を描き出した少女。
 時代に翻弄され、家に束縛され、ただ傀儡のごとく生きるしかなかった少女が初めて望んだものは、骸人形を抱いた少女人形だった。
 生命を燃やし尽くすほどに強く激しく、彼女は殺を望んだ。
 覚えている。
 命の糸が途切れるその瞬間まで呟き続けていた言葉を、その表情を、確かに自分は覚えている。

『……殺……私、殺が欲しい……殺しかいらない……殺がいいの……殺以外はいらないから……』

「あの、こんにちは。お邪魔します」
 過去からの声に耳を傾けていた殺の世界に、不意に飛び込んできたのは場違いなほどに澄んだ明るい声だった。
「あら、来たのね」
 日の元に生きるもの特有の声に振り返り、そして、そのまま僅かに目を見開いた。
 いるはずのないものがそこにいる。
 紅蓮の炎に身を灼いて、殺へと激しい愛を刻んだ少女が幼人形を手にそこに立っている。
 赫と赤の視線が静謐な世界で交じり合い、ほんの一瞬、記憶の中の炎が視界を覆った。
「あ」
 だが、驚きを含んだかすかな吐息は、殺ではなく、目の前の少女がからこぼれたものだ。
 心のどこかが軋んだ音を立てている。泣きたくなるような、あるいは胸を締め付けられるような。どうしようもなく目の前の少女に何かを訴え掛けようとしているのは、沙羅の知らないもうひとりの沙羅の叫び。
「あ、あの、こんにちは。橘沙羅です。店主さんにこの子の名前をつけたからそのご報告をしたくて、その……」
 見知らぬ感情に戸惑い、揺らぐ瞳が殺を見上げる。
「そう……『今』は橘沙羅っていうのね?」
「え?あの……」
 今は、という言葉に素直に反応してしまった彼女に、わざと気付かないふりで言葉の意味を捻じ曲げる。
「可愛い名前ね」
「あ、ありがとう……」
 心が揺らぎざわめくその理由が分からずに視線を伏せる沙羅。そんな彼女の心の動きを、今最も近くで自分は観察することが出来る。
「私は咎狩殺。ここで住み込みのお手伝いをしているのよ」
「トガリ…アヤ……アヤ……」
 沙羅は口の中でポツリと目の前の少女の名をもう一度繰り返す。また少し泣きたくなる。胸が痛む。
「アヤは殺めるの殺、よ」
「殺めるの、殺……殺、ちゃん」
 何かを思い出しかけて、けれど知るのか怖いような、そんな相手の心の動きが、殺には手に取るように分かる。
 彼女の大きな瞳が自分を映している。
 彼女の心が、自分に反応している。
 たとえ今の『彼女』が自分を知らずとも、宿る魂が自分を確かに認識している。
 ソレがたまらなく愉しくて、ついクスクスと笑みをこぼしながら彼女を観察してしまう。
「……あの……あの、こんなこと言うのは変かなって思うんですけど……えと、どこかで会ったこと、ありますか?」
 不安定な自分の内面に耐え切れなくなったのか、沙羅がふわりと波打つやわらかな髪を揺らめかせて小首を傾げた。
「私が『貴女』と会うのは初めてね」
 少女が自分から何ひとつ悟ることが出来ないほど見事な微笑を浮かべ、そうしてすうっと目を細めた。
「やっぱりそうですよね……沙羅の勘違いみたい」
 照れ隠しに笑う彼女を眺め、殺はひとつの提案を思いつく。
「ああ……良かったら、店主が戻ってくるまで、ここで待ってくれても構わないわよ?」
「え」
「お話してみたいって言ってるの。その、腕に抱いているお人形のこととか……それから……」
 細い指で一度沙羅の腕に抱かれた人形を指し、その対象を沙羅自身へと移す。
「それから『貴女』のことを、ね」
「沙羅のこと?」
「そう」
 今日という日を、この運命的な邂逅を逃したくなかった。
 自分を惹きつけてやまないこの純粋な少女の反応を、自分はもっと味わいたい。より深いところまで貪りつくしたい衝動に心が震える。
「じゃあ、えっと、失礼します」
 丁寧にお辞儀をし、おずおずとためらいを残しながらすぐ傍のアンティークチェアに腰掛けた彼女を前に、殺は表面で他愛のない会話を始めながら、内面でゆっくりと過去の記憶を辿り始める。


『殺が欲しい。殺以外いらない。殺…アヤ……ねえ、アヤ殺殺アヤアヤアヤ……私は、私は殺が―――』


 少女が求めていたのは、自分を自分として受け入れてくれる場所だった。
 キレイな匣の中でキレイに装飾されたキレイな彼女は、家のために有用な道具として育てられていた。
 心はいつもここではないどこか、ここにはいない誰かを求め、逃げ出せる機会、あるいは連れ出してくれる誰かを探し続けていた。
 見たい夢と直面する現実の境目で揺れる彼女を見つけたとき、殺の中に生まれたのは、堕落し破滅していくその美しい様を観察してみたいという昏い好奇心だった。
 あの夕日に染まるあばら家に招き入れ、彼女が誘惑に負けて口付けてきた瞬間から、ソレは明確な意思と計画に変わった。
 人間は浅ましく、それ故愛しい。
 わざと雨の中を出向いていき、濡れて凍えた躰を寄せて温めてと囁いた。
 愉悦を含んだ媚薬のごとき微笑が相手にどんな作用を起こすのか、殺は知っている。
 彼女の本能を揺さぶり、自分が与える快楽と忘れられない熱に溺れ、堕ちていく様を笑いながら眺め続けた。
 彼女の中が自分だけで満ちていく。
 彼女の目が自分だけを映す。
 そして、彼女の心はこの手に落ちた。
 殺を作り、殺に愛の言葉と深い想いを注ぎながらも、殺を捨てて幸せになろうとしていた男。けれど、差し伸べられた誘惑に抗えず、自らの手で自身を構成する幸福たちを破壊した男……いや、人間たち。
 彼女も同じだと思っていた。
 どれほど強く愛を唱えても、所詮は躰の訴える欲がそう口走らせているだけだと。
 だから、引き付けるだけ引き付けて、彼女を奈落に突き落としてみたのだ。壊れ狂うその姿を高い場所から眺め楽しむために。
 だが。
 だが、彼女は、ヒトでありながら人形であれと望まれ、逃げ出したくて必死に足掻こうとも道具という運命から逃れられなかった少女は、真実自分を愛してくれていた。
 本能と欲望の命じるままに肉体を貪り、自滅していったモノ達とは真逆の位置に彼女はいた。
 彼女は砕けた心で殺の名を呼び、殺を求めながら、婚約者を殺め、両親を殺め、屋敷に火を放ち、そして最後に自らの手で終止符を打った。
 紅蓮の炎に舞い上がる、鮮赤の目が覚めるような血。
 ただひたすらに、どこまでも強く激しく、殺そのものを求め、狂い、壊れ、それでもなお想い続けてくれた少女の最期の瞬間。
 ソレは殺が初めて触れる心。
 ソレは今まで味わったことのない、至上の悦びだった。
 何千何百という人間たちの誰ひとり与えてくれなかった暗い昏い愛のカタチ。これまでも、そしてこれから先に続く永劫の時の中でも、彼女ほど自分を快楽の虜にしてくれるものはいないだろう。
 だから、殺は業火にまかれる少女の胸に徽を刻んだ。
 ソレは永久に消えない所有の証。
 長く伸びた中指の赤い爪が、彼女の血に濡れてさらに美しい赫の色を放ち――未来を束縛した。


 覚えていてあげる。アナタは私のもの。私だけのもの。何度生まれ変わっても、必ず見つけて、必ず私を愉しませて――私の手で壊れゆく様を見せて――――


「……ねえ、アナタにはいま大切な人がいる?」
 色鮮やかな過去の記憶から心を引き戻し、殺は濡れた赤い唇をそぅっと指先でなぞり蠱惑的な笑みを浮かべながら問いかける。
 沙羅は微かに戸惑いを見せ、そして首を傾げる。
「沙羅の大切な人……大好きな女の子の友達じゃ、ダメ?」
「構わないわよ」
「えと、じゃあ、ひとりね、とっても素敵な子がいるの」
 はにかんで笑う彼女は、どうしてか男のヒトは苦手なのだと告白し、そうして殺の質問で唯一思いつくのは赤い髪の友人なのだと言った。
 カフェに行ったり、海に行ったり、バレンタインディのお菓子作りはちょっと失敗してしまったけれど、それでもとても楽しい思い出なのだと嬉しそうに語る。
「そう……いいわね」
 ふつりと殺の口元に一瞬浮かんだ、昏く歪んだ美しい笑みに、幸福な少女は気付かない。
 だから無邪気に友人のことを話し、そして、歌のこと、合唱部のこと、卒業した先輩のことを話して聞かせる。
 けれど、ソレはどこか、自身の内側から沸きあがる不安感、自分ではない自分が発する痛みを誤魔化す行為のようにも映って。
 殺はひっそりと笑みを深める。
「もっと、色々聞きたい。たとえば、そうね……」
 もっと話して欲しい。何を見、何を感じ、何を大切にして生きているのか。
 そうすれば、沙羅の心を占めるその全ての存在を、余すことなく自分は彼女の中から消し去れるから。
 少しずつ、少しずつ、沙羅を縛る現世の鎖をこの爪で引き裂いて、代わりに自分を細胞のひとつひとつにまで刻み込むのだ。
 もう一度手に入れたい。もう一度壊したい。心も躰も傷付いた魂までも貪りつくし、もう一度、その穢れない両手であの鮮烈にして甘美な光景を描き出して欲しい。
 そのためならば、自分はどれほどの労力も厭いはしない。

 空を焦がす茜色が燃え尽き、店主が畸形の日本人形を抱いてふらりとこの店に戻ってくるまで、殺は緩やかな狂気と密やかな悦楽の香りが漂う時間を沙羅と共に過ごした。
 
「また、私に会いに来て」
 幼人形の名を店主に報告し、今日はこれで、と暇を告げた沙羅の背に、殺はチカラを込めた声を投げ掛ける。
 思わず振り返った彼女の髪のひと房をしなやかな指で絡め取ると、もう一度、上目遣いで同じ言葉を繰り返す。ソレは蜘蛛の巣に掛かった獲物を抱く仕草にも似て。
「また、私に会いに来て。何度でも何度でも、ね?」
 唇が触れ合いそうな距離で囁かれ、沙羅の鼓動がどくんと大きく脈打った。
「アヤ……」
 知っている。知らないけれど、知っている。この瞳、この表情。自分の中で、確かに彼女を求め、叫び出したくなるほどの感情の奔流が渦を巻き、あふれ出そうとしている。
「約束、よ」
「う、うん……やく、そく……」
 殺。咎人を狩り、殺めるという字を持つ少女は、ひそやかなる呪を無垢な少女に施した。
「愉しみにしているわ」
 怯えるように、けれど期待を胸に宿し、少女はこの店から逃げるように去っていく。
 だが、彼女はまた必ず来る。
 そして、じわじわと時間を掛けて、必ずこの手に入れる。
 もう一度出会うことの出来た自分をこんなにも愉しませてくれる唯一の存在。逃さない。絡めて、抱き寄せて、口付けて、そうして沙羅から全てを奪い、全てを与え、自分がいなければ窒息してしまうような存在へと作り変えていくのだ。
 歓喜に酔いしれる少女人形は、毒を含むが故の深い美を宿して闇に沈む店の中で愉しげに哂い続けた。

 アナタは私のもの。
 永久に私だけのもの―――



END