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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


雨匂う秋口にしっとりと、青。

 セレスティ・カーニンガムは開け放たれた窓から入り込む涼風に身を任せ、瞳を閉じた。
 連日地上に降り注いでいた強い光は、夏の盛りを過ぎ秋の足音を聞くようになって随分と和らいだ。
 特に今朝は、昨夜の細い雨が涼やかな風を呼んだ様で、部屋に忍び込む外気が水の匂いに満ちてセレスティの身体に優しくなじみ心地良い。
 日の光の気配が薄いのは、未だ雲が残っているのだろう。強い光に弱いセレスティには有り難い事だった。
「ようやく、過ごし易くなりますね……」
 夏の不自由にうんざりする日々から逃れられるのだと思うと自然と心も浮き立つ。
 決して、夏と言う季節に消えて欲しいと願うわけではない。確かに強烈な日射しと高い気温に辟易はする。だが、この時期にしか体験出来ぬ、知り得ぬ事もある。事実、暑いからこそ楽しめた事もあった。
 涼を取るのを楽しめるのは、暑があるからだ。
 永い時を生きて来てセレスティが覚えたのは、どんな事をも……それこそ苦さえも楽しんでしまうと言う事、その楽しみ方。
 どんなものにも「楽しみ方」はあるものだ。
 少し前にその方を実行した、当時の事を思い出しセレスティは笑む。
 ――戸惑う様子が可愛らしいとは、発見でした。
 蒼い髪の料理人の、困惑と戸惑いに彩られた表情を脳裏に引き起こしている所へ、扉がノックされ当の料理人が姿を現した。池田屋兎月である。
「失礼致します。主様、本日もお食事はこちらでなさいますか?」
「いえ、今日は」
 食堂で、と言い終わらぬ内に小さく笑う主に、兎月は首を傾げた。
「どうかなさいましたか……?」
「いえ、少し思い出し笑いをしていただけです」
 口許を抑えて、尚も笑いが止まらない様子のセレスティを兎月は生真面目な表情で見、そして破顔した。
「今年も暑い日が続きましたから……本日の様に涼しいとお身体を休められますね。少しお元気が出られたようで、善うございました」
 セレスティが何を思うのか知らない兎月は、笑う主に素直に喜色を顕す。
「ええ。後は美味しい食事で体力を付けようと思っていますよ、兎月君。夏の間はどうしても食が細くなってしまいますから、折角の君の腕をあまり揮わせてあげられず……つまらない思いをさせたと思っていますよ」
 笑みを収めて言うセレスティに、兎月は首を振る。
「いえ、主様、私は……」
「ふふ、今日は久し振りに食事が楽しみなんですよ。行きましょうか」
 き、と車椅子が僅かな音を立てて動き出す。
 兎月は少し慌てたように、主の為に室の扉を開いた。


「……主様、申し訳ございません。もう一度仰って頂けますか?」
「おや、兎月君、私の声はそんなに小さかったでしょうか」
「いえ……その」
 兎月の手によって注がれた紅茶を口に運び、セレスティはくすりと笑った。
 食事を終えて、セレスティは熱い紅茶の薫を楽しみ乍ら言う。
「先日オーダーしたスーツが仕上がって来たんですよ。ああ、大丈夫ですよ。これまでにも何度かサイズの調整の為に着て頂きましたから、様子は判っています。だから今すぐに着てみせてくれ、とそう言っているのではありあません」
 優雅な仕種でティーカップをソーサーに置くと、セレスティはテーブルの上にゆったりと両手の指を組む。何気ない仕種にさえ気品を漂わせ、セレスティは優美な笑みを浮かべた。
「スーツのビスポークの際にも言いましたが。服を整えると言うのは、スーツを揃えるだけではありません。一番身に近いシャツは勿論の事、主役ではありませんが、タイや……そうですね、カフリンクスなどの小物にも気を遣わねばなりません。衣服を整えると言う事は、総合の美を求めると言う事です。料理でも同じでしょう? 兎月君。オードブルに始まって、スープ、アントレ……デセールに到るまで、調和を考えずに作る事がありますか?」
「いいえ」
 兎月の答に、深く頷くとセレスティは再びカップを手にする。
「涼しくなって私も楽になりましたし。兎月君の俄スタイリストとしては最後の仕上げをさせて頂きたいと思っているんですよ。久方振りの外出も兼ねて、如何ですか?」
「主様の御要望とあらば、私に異存はございませんが……」
 歯切れの悪い兎月にセレスティは片眉を上げた。それから吐息を落として寂しげに呟く。
「厭なら良いんですよ? 何も私は厭がる君に紐を付けて引きずり回そうと思っているのではありません」
「そんな……、私はただ……」
 言葉を持て余して詰まる兎月をどう取ったのか、セレスティは再び微笑んだ。
「では、決まりですね」
 主の断言に事態が決定されてしまった事を知り、兎月は黙して空になったカップに紅茶を注いだ。


 目の前に並べられる、見るからに高価そうなシャツに兎月はひっそりと溜息をついた。
 セレスティはきっと、こんな風に困惑する自分も含めて楽しんでいるのだろう。そうと判ってはいても、不快にはならない。兎月は主の悪戯を楽しむ少年のような所も嫌いではない。
 ただ、困るだけだ。
 兎月には洋服の事は判らない。仕事の際には殆ど白いコック服。私服はと言えば着物だ。
 スーツは勿論の事、それに附随するシャツや靴、小物に到ってまで良く判らない。
 しかも今のように、目の前に詳しくない兎月にさえ高価だと思われるシャツが並べられ、好みなものを選べ、と言われてもどうして良いのか判らない。
「こちらは肌触りも良く、とても軽いですから、スーツの下に着用するにはぴったりかと」
「はい……」
 見るからに困惑している兎月を気遣ってか、店の人間は丁寧に解説をしてくれる。
 必死にそれに耳を傾け乍ら、店内をこっそりと窺えば、他の客が全く無い。
 セレスティの選ぶ店だ。客足に薄い店だと言う事はないだろう。恐らく、セレスティが事前に話を入れてあったに違いない。
 こんな企みを実行に移せる程、気力と体力を取り戻してくれた事は本当に嬉しい、が。
 だからと言って、自分がその中心に立たされて平気かと言えば。
 ――主様……。
 助けを求めるようにセレスティの姿を探せば、他の店員と何やら話し込んでいるようだ。手には新たなシャツを手にしている。恐らくそれもまた兎月の前に並べられるのだろう。
 スーツの時と同じ様に、セレスティが見立て選んでくれれば良いものを兎月自身に選べと言う。
 兎月が困惑するのは、慣れない洋服を選ぶと言う事だけではない。ある程度はセレスティが選択して、兎月の前に持って来るのだが、そのどれもが兎に角高価なものなのだ。
 恐らく店自体が元々高級な部類なのだと思う。店内の装飾や、並ぶ服を見れば例え詳しくなくとも程度は判る。
 そしてその中でも質が良く、高価なものをセレスティは選ぶ。
 洋服など殆ど着用しない兎月からすれば、そうそう着る機会もないものにそれ程金銭をかけたくはない。自分で支払いをするわけではないが、そのような高価なものを主の負担させると言うのが、どうにも気が引けて仕方がなかった。
 リンスターの頂点に立つセレスティにとって、然したる出費にならない事は判っていても。
 先に仕上がって来ているスーツ一着だけでもどれだけする事か。きっと兎月には想像もつかない金額なのだろう。
 幾度目かの溜息が出掛けたが、兎月は意識してそれを止めた。
 ――楽しまれて、いるのですし。
 セレスティは猛暑が続く間、本当に辛そうだった。邸の中は快適な温度を保っているとは言え、本来が人でなく、気に敏感なセレスティには時期が夏であると言うだけで堪えるものがあるのだろう。
 だから、憂いなく笑える状況にあり、それを自分が助けている事になるのなら。
 自分が困るだけでその助けになるのなら、自分は喜ぶべきなのだろう。
「あの……?」
 兎月は店員の声で我に返る。どうやら考え込んでいたらしい。
「ああ、済みません」
 考え事をしておりました、と詫び、兎月はずらりと並んだシャツに視線を据えた。
 シャツ一枚の選定に、必至の形相で挑む兎月である。


 シャツとの格闘を終え、スーツと同じくオーダーしてあった靴を取りに行き、他の小物を揃えて買い物は終わった。
 帰りの車内、幾分ぐったりとした兎月の横で、セレスティは小さな袋からヴェルヴェットの青いリボンを取り出す。
「それは……?」
 艶やかな青いリボンを指先に絡ませ微笑むセレスティに、兎月は思わず声を掛ける。掛けてから、愚問だったかと、慌てて口許を押さえる。
 セレスティには大切な女性が居る……、髪を飾るリボンを購入したと言うのなら、それは彼女のもの以外では有り得ない。
「これですか?」
 セレスティはリボンに瞳を落としたまま、愛しげに表面を指先で辿った。
「綺麗な青でしょう? 上質な色彩です。暗い中でも色合いを増して」
 セレスティの瞳は視力が弱く、光を感じる程度だ。だが、人には無い感覚をもって色彩を得る事が出来るらしい。もしかしたら肉眼で捉えるよりも鮮やかに色彩を知るのかも知れないと兎月は思う。
 ――本当に大切でいらっしゃるのですね……。
 兎月はセレスティの、リボンに愛しげに視線を注ぐ様に微笑む。
「この青ならきっと、君の白い毛と、青い瞳に合う事でしょう」
 ――は?
 兎月は微笑みをそのままに硬直する。今、主は何を言ったのか、聞こえてはいたが理解が出来なかった。
「ああ、「あの人」のものだと思ったんですか? いえいえ、彼女にはもう用意してあったんですよ。紅い、これと同じ質のリボンです」
 セレスティはにこにこと嬉しげに語る。
「彼女のリボンを購入した際に、君のも、と思ったのですが、その時は残念乍ら品切れだったのです。今日は入っていて良かった」
 ――何故、入れたんですか。
 と、思わず胸中で在庫を入れた店に一瞬の恨み言めいた突っ込みをする兎月は笑みを氷らせたまま静かに問う。
「主様、白い毛と申しますと」
 セレスティは、ん? と首を傾げて笑う。
「勿論、君が兎の姿になられた時の為に、ですよ。人の姿の時だけ服を新調して差し上げるのでは不公平でしょう」
「お気遣い有難うございます……」
 不公平で構いません、と即座に(胸の内で)返して、兎月はそれでも礼を述べる。
「どう致しまして」
 応えるセレスティの笑顔は、輝かんばかり。
 兎月は、主を前にしても堪える事の出来ない溜息を、努力してひっそりと零した。


 ――その後。
 青いヴェルヴェットのリボンを耳に付けた兎が邸内で人気を博し、写真撮影会が開かれるまでに到った事は、兎月の中で忘れ去りたい出来事となったのは言う迄もない。


――終