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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


刀室に信を隠し、鬼の宵


 とある都立高校演劇部では秋の舞台を控えて日々練習と準備に大童だ。
 文化祭を終えて10月、部ではほぼ毎年小規模な劇を行う。それは文化祭程の本格的なものではなく、遊びを取り入れて幾分気楽なものだ。文化祭で盛り上がったテンションを引き継いだ、演劇部にとっての後夜祭とも言えようか。
 気楽、とは言ってもそれなりに宣伝はするし、校内のみとは言え人の入りも良い。衣装や大道具などは小規模だが、練習量は常と変わらない。
 通常練習中は大道具は殆ど使わないが、全体の様子を見る為もあって、先日仕上がった物を配置する事になっていた。
「木はもう一寸左がよくなーい?」
 舞台下からの指示を受けて、上では建物を描いた大道具が左に右に運ばれる。絵は美術部作である。昔から美術部と演劇部は仲が良かったらしく、現在でも大道具や小道具の製作に助力を求める事が多い。
「この辺ー?」
 二人がかりで一部を持ち上げ、指示通りに移動させると、指示をした部員は頷いた。
「オーケー」
「ねー、今日って殺陣の指導してくれる人が来るんでしょー?」
 下部を固定させながら少女が、舞台下に居る仲間に向かって声を上げる。
「あー、そうみたいだよ。咲ちゃん先輩が友達に頼んだって言ってた」
「へー」
「どんな人だろうねー?」
「咲ちゃん先輩のお友達なら格好良いんだろうなー。殺陣の指導が出来るなんて凄いし」
「なになに、何の話ー?」
 舞台袖で準備をしていた一人が、手を動かし乍ら会話に加わる。
 今回行われるの劇には模造刀を使った殺陣が入る、アクションにも力を入れた劇である。とは言え、剣道の経験すら無い部員にいきなり殺陣をやれと言っても無理な話であり、自己流で練習をするにも限度がある。そこでシナリオを用意した「咲ちゃん先輩」が、殺陣の指導者を呼ぶと言い、部員達はそれを秘かに楽しみにしていたのだ。
 以前にも一度彼女のの友人が客演したのだが、着物の似合う美少年だった上、美しい立ち回りを見せてくれた。前回とは別人らしいが、彼女の友人ならば、と期待に胸を膨らませてしまうのは無理もあるまい。
 部員達は勝手な想像と期待を膨らませ、盛り上がる。

 ――当の「咲ちゃん先輩」と「殺陣の指導者」がすぐ傍に居るとも知らず。


「……咲ちゃん」
「ん、なーに? 廉」
 体育館の舞台に近い鉄扉の裏では噂の主が二人、扉に隠れるように立っていた。
 咲ちゃん先輩、こと久喜坂咲とその友人母里廉である。
 廉は聞こえて来る部員の会話に眉を顰めに顰め切っていた。ついでに声も潜めて内証話の仕種で咲に問う。
「今の話、ホント?」
「あら、何が?」
「いや、だから殺陣の指導って」
「うん。ホントよ?」
「それって、もしかして俺だったりする?」
「うん。もしかしなくても廉のことね」
 柔らかな茶の髪を手の甲で掬ってふわりと風に流し、咲はにっこりと微笑んだ。
 ――この微笑みが曲者なんだよね、結構。
 心中穏やかならざる廉は、殆ど絶やす事の無い笑顔を敢えて収めて、努めて渋い顔を作る。
「あのさ、咲ちゃん。俺は『今度の劇は面白いから見学に来ない?』って誘われたんだと思うんだけどさ」
「そうね」
 悪びれもなくさらりと返されて、廉は幾らか力が抜けた……反応は予想していたものの。
「それが何で『殺陣の指導者』ってコトになってるのかなぁ?」
「あら、どうしてかしら? そう、きっと廉が適任だからだわ」
 今気付いたと言わんばかりに手を打ち鳴らす咲に頭痛を覚える。
「咲ちゃん」
 廉が指先で額を押さえて抗議の声を上げようとしたその時。
 咲が廉の背後に微笑みかけた。
「そう思うでしょ、庚矢も」
「庚矢?!」
 咄嗟に振り返った廉は思わず声を荒げかけ、慌てて口を抑えた。
 何時の間に背後に立ったのか、咲と廉、共通の友人である(廉にとっては腐れ縁であり、同居人でもある)塚原庚矢が涼しい顔で笑っている。
「ああ、廉ならぴったりだと思うよ」
「……おっまえ!」
 再び声高になりかける廉の顔先に「静かに」と人さし指を立てて、庚矢は言う。
「抜け駆けあり、って言ったのはお前だったろう?」
「そりゃそーだけど……って、そうじゃなくて!」
 今度はきちんと声のトーンを落とすのに成功して廉は続ける。
「剣道やってる事と、殺陣の指導とは別だろ? 剣道の稽古指導だったら少しは手伝えると思うけど、殺陣なんて全然判らないぜ? あれはまた別に専門の知識が必要なんじゃない?」
 大体廉は演劇自体、門外漢である。そんな人間に舞台での動きを指導しろと言われても困ると言うものだ。
「そんな難しく考えないで、廉。本格的な時代劇の殺陣とかじゃないんだから。簡単な動きの指導をしてくれればいいのよ。段取りだったら庚矢も一緒に考えてくれるって言うし」
 だったら、庚矢が指導もすりゃいいんじゃない? ――と、言葉が出掛けるが呑み込んだ。
 立場上、庚矢だけに良い顔をさせたくないのは確かだ。
「……で、お前は何で居るんだ? まさか単なる見学じゃないよな?」
 ちろりと睨みをきかせ、廉は我関せずな顔をして、二人の会話を楽しんでいる様子の庚矢に話を振った。
「俺か?」
 庚矢は眼鏡を軽く押し上げた。
「『咲ちゃん先輩』の恋人役」
 憎らしい程に男の目から見ても「イイ男」な微笑みの庚矢の、硝子の奥が不穏な光を宿すのを廉は見逃さなかった。


 いつまでもこんな所で話していてもなんだから、と咲に促されて体育館に入った後は、一寸した騒ぎだった。
 廉は美形、と言う程ではないにしろ、元々愛想が良く人に好かれ易い性格と性質を持っている。背は高く幼少より剣道で鍛えて来たバランスの良い身体をしている為、全体の見栄えは悪くない。
 庚矢はと言えば理知的な整った顔と、生来のフェミニスト振りから女性の受けはすこぶる良い。廉と同じく武道で培った立ち居、並ぶ身長と、ただでさえ男性の人材に不足する演劇部にそんな二人が加われば歓迎もされようと言うもの。
 ひとしきり騒がれたところで、咲が部員を散らし、解放された廉は体育館の隅に咲と並んで座っていた。
 庚矢はまだ一部の部員に捕まったまま、話し込んでいるようだ。
 演劇部の貸し切りとなっている体育館の、端から端をぼんやりと眺め回して廉は嘆息する。
 そんな廉の背を咲が励ますように叩いた。
「でも、本当に心配しなくて大丈夫よ、廉。殺陣の一番のメインは主役三人だけだし。二人が手伝ってくれるなら、この劇とっても面白くなるって保証するわ」
 読んでみて、と微笑みと共に渡された台本を廉は黙って受け取り、斜めにざっと読んでみる。
「……これ、もしかして」
 読み進める内に複雑な顔になって行く廉の顔を覗き込み、咲は楽しそうに「ね?」と首を傾ける。
「親父達の話……?」
「当たり♪」
 語尾を弾ませる咲に、廉は天上を仰いだ。
 父親は廉と同じ年令の頃に、今は廉の手許にある日本刀を使い、数人の仲間と悪霊や鬼等の除霊や退治を依頼によって引き承けていた。シナリオは、廉の父と仲間の、実際にあった話をアレンジした内容だった。
 以前に咲が廉の家に来た時に偶然出た話を廉も覚えていたのですぐに判った。
「廉のおじさまにも台本を読んで貰って許可を頂いたのよ、ちゃんと。楽しみにしてるって言って下さったわ。前に一度お話を伺ってからと言うもの、一度でいいから劇にしてみたかったのよね」
「咲ちゃん……」
「勿論、事実そのままじゃないわよ? ちゃんと劇用に脚色もしてるし」
「それは読んだから判るけど……もしかして、俺の事最初から巻き込むつもりだった?」
「……さあ、どうかしら?」
 恍けるように言うが、「そのつもり」だったのは明白だ。目が確り語っている。
「そうそう、主役三人の内の一人は廉が演るって言うのはどうかしら。配役未だ決まっていなかったのよね。それなら、もっと安心でしょ?」
「そんなこったろーと思ったよ……」
 客演が二人も……しかも主役級として参加して何も言わないのか、ここの部員は、と思いかけ、部員の殆どが女性である事に思い到る。しかも数少ない男性部員にも剣道の腕に覚えのある者はなかった筈だ。 以前にも廉の知人が咲に騙されて客演した事を秘かに嘆いていたのを廉はしっかりと覚えていた。
 ――ったく、かなわないよなァ。
 台本で顔を覆ってがっくりと項垂れれば、咲が流石に心配になったのか覗き込んで来た。
「廉……?」
 廉はしばらく床を睨んでいたが、ふいに勢いよく顔を上げた。廉を見つめる咲に、ぱっと視線を合わせ、口の端を引き伸ばして、笑う。
「ここまで来たらやったろーじゃないの。話から察するに俺って親父の役みたいなのがちょーっと照れるって言うか、俺には未だ早いって言うか、ま、あれなんだけど」
「……廉」
「――面白そうじゃん」
 言って、咲の前に掌を出すのに、咲は音を立てて手を合わせた。
「そう来なくっちゃ♪」


 木が打ち合わされる音が上がる。
 続けて、二度三度同じ音が上がった後、一際強い、音。
「……これくらい派手な方が見栄えがすると思うんだけど」
 廉と庚矢は二人で考えた殺陣の段取りを、実演してみせていた。庚矢が自分のパート。廉が咲のパートである。
 咲と庚矢は台本上、恋人同士の役なのだが、ヒロインである咲が悪霊に取り憑かれ、図らずも恋人と刀を合わせる事になると言うシーンが入っていた。
「ありがと、廉、庚矢。今日はこれくらいにしましょ。少し休んでて? 私は他の小道具を片付けて来るから」
 部員は一足先に帰宅しており、他の部の生徒も居なくなった体育館には咲達三人しか居なかった。
 二人は咲に言われるままに、その場に腰を降ろして休む事にする。
「なぁ、庚矢」
 タオルでがしがしと、滴る汗を拭いていた廉が庚矢を呼ぶ。
「なんだ?」
「お前、一体何時俺まで劇に出る事になるって知ったんだよ」
 庚矢はミネラルウォーターの入ったペットボトルのキャップを開けようとしていた手を止めた。
「怒っているのか?」
「いや。口惜しいだけ。ちっくしょー、今回は完全出遅れたよなー」
 言って、本当に口惜しそうに頭を抱える廉に遠慮の無い笑いを向ければ、肘で脇を小突かれた。
 廉と庚矢は共に、咲に思いを寄せている。
 抜け駆け有り、の互いに遠慮の無い関係は二人が気のおけない親友同士であるからなのか、それとも元来の性格からなのか。二人の男が一人の女を取り合う図式であるに係らず、三人の関係は良好で、湿った雰囲気はまるでない。
 それは、二人の男の思いを独占している咲が、その事にまるで気付いていないと言うのも一因ではあるのだろうが。
 端から見れば親友同士が同じ相手に片思いで苦しむ辛い関係に見えるかも知れないが、(廉がどう思っているのかはともかくとして)実は今の中途半端とも言える関係を庚矢は気に入っていた。
 勿論、だからと言って廉に譲ってしまうつもりは今の所全くない。
「そんな事より……」
 廉の声の調子が下がったのに気付き、庚矢は自分の思考を中断させて顔を上げた。
「咲ちゃん、やっぱりおかしいよな」
「……ああ」
 廉が正式に練習に参加する事に決まってから少しして、咲の様子がおかしい事に気付いた。
 目立つ程におかしい、と言うのではない。
 いつもよりほんの少し元気が無い。いつもより僅かに笑顔が少ない……その程度だ。
 だが、それが日に日に少しずつではあるのだが、増して行くように見える。当然のように、咲から感じられる気が弱くなって行く。他の人間には気付かせていないようだが、庚矢と廉が見逃すわけはない。
「公開明後日だろ? どうする?」
 頭に被せたタオルから顔を覗かせて、廉が聞く。こういう時は大抵、自分より廉が先に言い出す。
 まるで、決まり事のように。
「お前はどうするんだ」
「……笑ってる場合かよ。お前が何も言わないなら、俺が聞くけど」
 茶化しているつもりはないんだが、と胸の裡のみで呟いて、庚矢は任せる言葉の代わりに頷く。
 恐らく咲は聞いても簡単には話すまい。
 聞かれて言う位なら、二人にだけは前もって話していただろう。
 話さないのなら、言うべきではないと判断したと言う事だ。
 誘導尋問であれば得意だが、基本的に庚矢は裏で動くのが得意であり、好むところである。表立って動くのは廉に任せている。
 短い会話で二人の意見が纏まった所へ、咲が戻って来た。
 廉が腰を上げた。
「咲ちゃん」
「なに? 廉。難しい顔して……そんなに疲れた?」
「……咲ちゃん、正直に答えて欲しいんだけど」
「嫌よ」
 内容を聞きもせずの即答に、廉が眉音を寄せた。
「咲ちゃん」
「悪いけれど、今は言えないの……でも私は大丈夫。これだけは本当よ? 信じてくれるわよね、二人とも?」
 こんな風に言われてしまえば頷くしかない――庚矢も、廉も。
 事実、咲の事は信頼している。彼女が是と言うなら否は唱える気はない。
「――恋人殿の言う事だからな」
 消極的に肯定の意を告げれば、即座に「舞台上のだろ」、と小さく抗議を入れる廉に、庚矢は不敵な笑みだけを返した。


 結局、舞台当日まで咲の様子は好転しなかった。昨日などはとうとう部員も咲の様子に気付いたらしく、しきりに彼女に何があったのかと心配しているようだった。
 だが本人は大丈夫だ、と頑として譲らず、そしてそんな時の咲に逆らえる者は、演劇部の中にも居ない。
 舞台の上は全てが整い――、幕が上がろうとしている。
「……庚矢」
 主役三人の内廉だけが学生の役である。故に普段の学生服をそのままに着用した廉が、庚矢の隣に立った。対して庚矢は白い着流しに、薄物を一枚纏っている。
「舞台の……様子がおかしくないか?」
「……ああ、妙な気配がする」
 大道具のセットが終った頃から、舞台に異変が起こり始めていた。潜んで居た何かが姿を現し始めたかのような、違和感。
「あっちの舞台袖に咲ちゃんスタンバってるんだよな? ……あっちの方が強いぜ、気配。……俺にはよく判らないけど、これって邪気なんじゃないの?」
「そうだな」
「そうだな、ってお前」
「……薄々は勘付いていたんだろう、廉? 彼女に何が起こっているのかも」
 冷静に言われて、廉は詰まる。
「大丈夫だ。見てみろ……きっと事前に頼んであったんだろうな」
 庚矢は目線で廉を促す。その先には照明があった。照明係が機器をチェックしている――。
「……って、あれ部員じゃない……え?」
 チェックをしている人間を見て、廉が驚きの声を上げた。
「それから音響、あの小窓の奥、見えるか?」
 続いて庚矢が指差した先を見て、やはり廉は声を上げた。
 他にもよく見れば舞台の下、体育館の隅にも、部員以外の――本来ならばここには居ない筈の人物を見付けて、廉は苦笑した。
 スタッフは全員、部員から咲の知人へと入れ替わっていた。
 知人……つまり術者である。
 恐らく舞台に上がる人間も、全員入れ替わっているのだろう。
「何だよ、咲ちゃん……俺達にだけ黙ってたのかよ。裏にも他の出演者が居ないからおかしいと思ってたら……」
「俺達には俺達の仕事がある……そう言う事だろうな」
「ハイハイ。集中すればいいんでしょ」
 廉が幾分投げやりに言った所で、開幕のブザーが鳴った。


 ストーリーの中盤に差し掛かった頃、それまで不思議な程に台本通りの演技をしていた咲の、膝が落ちた。台詞が途絶える。
 照明が俄に落とされ、咲一人にライトが当たる。
「照明、上手い」
 廉が舞台脇で小さく呟いた。
 照明が落ちたお陰で、舞台の上で起きようとしている事を、他の人間に悟られずに済む。
 今、舞台は異様に包まれていた。何もしていないのに、スモークを焚いたように薄暗い煙が立ち、床板が小刻みに揺れて音を立てている。
 咲を中心にして。
 ここここ、かかかか、と奇妙な音が次第に鳴り始める。床を叩くような、弾くような。
「そろそろ、出番だな」
 庚矢が、手にした一本の日本刀を手に廉の横から舞台へと向かって走り出す。
 一歩遅れて、廉も踏み出した。
 咲は舞台の中央で、膝をついたまま、動かない。
 俯く顔で、口許だけが咲に充てられた光に浮かび上がり、笑みを刻んでいるのだと知れた。
『……ははは、は』
 突然、咲の口から咲の物とは思えぬ声が上がった。低く、嗄れた声。
『とうとう、手に入れた。手に、入れた……ぞ』
 だらりと下がった両腕が、ゆっくりと天上へと向けられる。
『再び解放された我を、こんな小娘が封じようとは……、ははは、ははは……!』
 高く上がった腕は勝利を確信してか、喜びに震えている。
『このまま、貴方を解放すると思っているんですか?』
 笑い声を断ち切るように、凛とした声が台上に響く……庚矢だ。
 台本の台詞をそのままに、鞘から抜いた剣を突き付けて。
『ちょーっと、考えが甘いんでない? 俺達の存在をお忘れ?』
 同じく廉が庚矢に並び、台詞と同時に日本刀を構えた。
 咲の、演技とは言え異常な様子に、静まり返っていた観客席から小さく歓声が上がる。
『……その人を返して貰います』
 庚矢が刀を突き付けたまま一歩前に出る。
 咲は……咲の身体を借りた者は、怯みもせず、嗤った。
『それで何が出来る……? この女諸共に切り捨てるのか』
 二人の刀を指差して、おかしそうに身を捩った。
 台詞は、奇しくも台本にあるそれと酷似していた。
『俺が……他を抑えます。お前は』
 庚矢が、台詞を変えぬまま、廉を促す。
『判ってる……行くぜ』
 廉が踏み出すと同時、周囲の煙が巻き上がった。形を変えたそれは、邪気の塊だ。黒い影手となって廉を襲う。
 だが、後方から飛んで来た物に阻まれ、形を崩した。
 庚矢が投げた符である。庚矢は続けて廉を襲おうとする手を、符で打ち落とし、足下からも伸びて来る黒い影を切り捨てた。見れば足下には、草が生えるように手の形をした黒い影が無数に生えている。
『……邪魔です』
 飽く迄も台本通りの台詞で、庚矢は内心を語って数枚の符を舞台の数カ所に投げ付けた。それは紙とは思えない鋭さで飛び、床と壁に張り付く。
 指を特殊な形に絡ませ、小さく唱う声を上げれば、悲鳴を上げる間もなく影は消失して行く。それでも執拗に足に絡もうとする邪気は、刀で散らした。
 廉は、咲の傍に向かう途中を阻んでいた手が消えたのを見、一気に距離を詰めた。
『この女も、殺すのか……?!』
 驚愕に見開かれる瞳に、明るい笑顔で応える。
『大丈夫。この刀は殺さない。……消えるのはお前だけだよ――鬼』
 廉は躊躇わず、手にした刀の切っ先を咲へと向けた。白刃が咲の細い身体に突き刺さる。
 観客席の方から、幾つか悲鳴のような高い声が上がった。
『鬼だけを消すから……この刀は「鬼宵」と言うんだ』
 力が抜けて、崩れる咲を横から庚矢の手が支えた。そのまま両手で抱き締める。
 廉は、二人を横目で見てから、確かに咲の身体を貫いた筈なのに血の一滴も付いていない刀を鞘に収める。
 そして、徐に舞台から飛び下りた。
『やっぱ、馬に蹴られたくないし』
 息を呑んで見守る観客に、戯けたように肩を竦めてみせると、廉は体育館脇の鉄扉から退場する。
 ややあって背後、扉越しの喝采が上がり、劇の成功を知った。


「寿命が縮むかと思ったよ……」
 成功を祝しての恒例である(アルコール抜きの)飲み会を終え、帰り道。
 廉はぐったりと疲れた様子で咲に恨みの籠った視線を送る。
「あら、だって、庚矢と廉も悪いのよ?」
「なんでー?」
 庚矢は廉のように明らかな声は上げなかったが、疑問を込めて咲を見た。
「廉は元々霊を寄せつけないでしょ? 庚矢だって怖い刀を二本も持っているし」
 庚矢の刀に宿る刀神の二人が聞けば、激しい反論のありそうな台詞だ。
「だから鬼が余計に出て来たがらなくて……下手に強引に手を出すよりは、と思ったのよ」
 咲は今回のシナリオを作成したのがきっかけで、似た境遇の鬼を呼び寄せてしまったと言う。
 そこで自分に憑依させてしまおうと考える辺り、咲も普通の少女ではない。
「まぁ、解決したんだし」
「そうよねー」
 庚矢のあっさりとした言葉に、咲の声が弾む。
「無茶だとは思うが」
「そうだよなー」
 今度は廉が弾んだ。
「どっちの味方なのよ、庚矢ってば」
「そーだよ。調子の良い事言って」
 咲と廉が揃って膨れて迫るのへ、庚矢はあっさりと答えた。
「どっちも。二人とも大事な友人だからな」
「それって反則だと思うの」
 咲は更に膨れて、足早に二人と距離を離して行く。照れているのか、拗ねているのか。
 少女の背中に揺れる髪を見詰めていた廉が、急に庚矢の肩を掴んだ。
「舞台では譲ったけど、勝負は譲らないからな」
 至近で小さく囁かれる声に、判ってる、と笑って庚矢は廉の頭を叩いた。


――終