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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


たとえばまだ


 ――プロローグ

 結局依頼人は来なかった。
 電話ではもの凄い迫力の依頼人が、はたと我に返ってやって来ないのは少ないことではないのだが、時間を空けた側としてはなんとも言えない気持ちになる。ただ待ち人来たらぬと、机の上のゴミの中からぼんやりとドアを眺めているだけだが、こんな筈ではなかったような、と考える。
 そうしていると、零が必ずコーヒーを入れて持って来るので、なんとなくそれを飲むことにする。

 のんびりとした午後だった。依頼の電話がかかってこなければ、もう店じまいということにして誰かを誘って食事にでも出ているところだ。それなのに、結局ぼんやりとしている。空けた時間はすっぽり依頼人のものだったので、草間は自分のものとも他人のものとも言えぬ時間を、ただ持て余している。
 
 困ったな、と漠然と思うも特にどうという案があるわけではない。
 零を買い物にやって、少し気分転換をさせるか。などと、人のことを考えていた。


 ――エピソード
 
 原稿用紙三枚程度の小話を雑誌に連載してくれという話は、私にとってとても魅力的だった。小説はもっぱら影でゴーストライターとして書いていたけれど、自分の名前で出した本は圧倒的にエッセイやコラムの単行本や翻訳本が多い。星新一のショートショートは大好きだったし、他の仕事もあるので自分の長いお話を書くことが少ない私には、打ってつけの企画に思えた。
「素敵ですね」
 私はそう言って頼んだミントティの香りを楽しんだ。すっとした甘い匂い。
 出版社の彼は几帳面そうな顔で自分の手帳を覗き込んで、第一回の締め切りを指定してきた。それも一ヶ月も先のお話だ。それから「本当はもっと時間があるのですが、初回ですから」と申し訳なさそうに言ったので、私はつい笑ってしまった。
「いいえ、大丈夫です。色々と折り合いをつけて、期限にはお持ちします」
 私が言うと、彼は額の汗をハンカチで拭ってからブレンドコーヒーに口をつけた。ブレンドコーヒーのカップは、白くて丸い。私のミントティのカップは、滑稽なほどゴテゴテと花柄がくっついている。
 すぐにお互いがこの仕事を気に入っていることがわかって、私達はまた一ヵ月後にと言って別れた。
 外は残暑にしてはもう寒くて、秋用に買ったカーディガンがとてもありがたかった。空はかろうじて晴れていたが、少しするとうす雲が覆いそうだ。
 その足でいつものように興信所のドアを開けると、伸びている武彦さんがかすかに顔を上げた。私だとわかると、また元の居眠り体勢に戻っていく。まるでやる気がない様子だ。
 零ちゃんがキッチンの定位置から出てきてちょこんと小首を傾げた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 私はハンドバックを机の上に置いて、ぼうっとしている武彦さんに近付いた。彼は気が付いてのっそりと顔を上げる。額に手を当てて手の平の体温と彼の額の体温がほどよく溶けていくのを感じて、私はつい微笑んだ。
「熱はないわね」
「夏風邪はひかないんだ」
「やだ、もう秋よ」
 武彦さんは眠たそうに目を瞬かせている。
 そういえば、前にハゲを気にしていることがあったと思い出して、前髪の生え際をじっと見つめてみた。規則なのか不規則なのかわからない前髪の生え際は、すぐに抜けそうであるような、ずっと居座りそうのような、不思議な感じがする。ちょっと手で触ってみると、ムースなのかワックスなのか、少しべとついていた。
「なにやってんだ?」
「ハゲチェック」
 笑いながら答えると、武彦さんは眉根を寄せてから真面目に訊いた。
「どうだ?」
「アデランスじゃないんだからわからないわよ」
 それもそうか、と肩を落とす武彦さんにまた笑いをこぼしてから、私はキッチンに向かいながら彼へ言った。
「暇なんでしょ、ピーちゃんを外に出してあげましょう」
「ああ」
 武彦さんは生返事をする。
 キッチンへ入って言ってコーヒーメーカーで入れたコーヒーだと一回分では水筒がいっぱいにならないのを考えて、インスタントコーヒーですませることにした。武彦さんが文句を言うので砂糖は入れずに、最近少し物を口にするようになった零ちゃんがおいしく飲めるようにミルクは多めにする。紙コップも用意した。冷蔵庫に入っている雑多な物の中から、ポッキーと誰かのお土産のお菓子をいくつか取り出して、この間バックを買ったときに入れてくれた丈夫な紙袋の中に荷物を詰めた。
「お昼ご飯は食べたんでしょう」
 聞きながら部屋へ戻ると、武彦さんは自分の机の上の空のカップラーメンの器を指差した。
 私はオレンジの器を見て訊いた。
「何味?」
「チキンラーメン」
「それなら袋入りにすればいいのに」
 武彦さんが洗い物を出すのが嫌で、カップラーメンにするのは知っていたけれど、つい口から出た。彼はさっきから同じ調子で
「ああ」
 と答えている。
 クローゼットを開けて中から肩掛けの少しやわらかい生地でできたバックを取り出して、ピーちゃんの前に屈みこんでいる零ちゃんに渡した。零ちゃんは、ちょっと大きくなったピーちゃんがピーピー鳴くのをなだめながら、そっと鞄の中に入れる。
「行くわよ武彦さん」
 彼はようやく身体を起こして、のっそりと立ち上がった。
「どこへ?」
 素っ頓狂に訊く彼に、つい意地悪を言いたくなる。
「涎のあとついてるわよ」
「……」
 武彦さんは慌てて口許を拭った。
 零ちゃんがドアを開けて三人連なって外へ出ると、広がると思っていたうす雲の間から日差しがさしていて少しきれいだった。


 私がレジャーシートを持ってくるべきだったかもしれない、と考えている横で、武彦さんは無造作に芝生の上に腰を下ろした。
「別にいいだろ」
 口にも出していないのに、彼は私の心に答えた。私は少し嬉しくなって、彼の隣に座った。零ちゃんはピーちゃんの見張り番と自分を位置づけて、ピーちゃんがへっぴり腰で歩くのを見守っている。ピーちゃんはよたよた歩いていて、たまに翼を広げてみても、飛ぶことはなかった。
「零ちゃん、ピーちゃんまだ食べる気なのかしらね」
 ピーちゃんと遊んでいる零ちゃんはとても楽しそうだったので、言った自分が滑稽に思えた。
「さあなあ、食糧難ならあり得るかもなあ」
 武彦さんはそう言って揺れる白いリボンを見守っている。
「雄なのかしら、雌なのかしら」
「雄だと嫌だなあ」
 彼はのんびりそう言って、私を見た。
「どうして?」
「かわいくないだろ、男なんて」
 武彦さんは自分で笑った。
 私もついクスクスと笑いながら、紙袋からコーヒーの水筒を取り出して紙コップに一杯注いだ。武彦さんに渡すと、彼はミルクのことにはなにも触れず、黙って一口飲んだ。それからゆっくり息をついて、平和そうに言った。
「眠いなあ」
「さっきまで寝てたじゃない」
 武彦さんは眉をあげて、たしかにそうだと肯定する。
 ついおかしくなって笑い出すと、彼は同じように少し笑うような口調で言った。
「笑うなよ」
「そういえば、こないだの。自転車の」
「うん? 自転車」
「そうよ、ダウトの事件よ」
 武彦さんはばつが悪そうな顔で、頬をかいた。私はその仕草が好きだったので、彼から目を離せずにいた。
「どうしてあんなに荷物があったわけ?」
 あのとき草間の自転車には、なぜかドンキホーテの袋とダイソーの袋が前カゴに、荷台には桃一箱が載っていたのだ。
「浅草まで行く途中にな、でっかいドンキホーテがあったんだ」
「ええ」
「俺車乗らないだろ、基本的に。だから、国道沿いのドンキホーテなんか見ないんだ」
「それで楽しくなっちゃったのね……」
「ドンキホーテって面白いなあ」
 まるで子供の言い草だった。
 私は今度車に乗らない武彦さんを諭して、国道沿いの店を片っ端から回ってあげようと思った。そうすれば、肝心なときに寄り道はしないだろう。
「ダイソーじゃ、お風呂用具が全部百円だったんだ」
「お風呂用具あるじゃないの。湯船の蓋も、垢スリも、洗面器だって」
「だから、それが百円だったんだよ」
 他に武彦さんが買ったものは、フォトスタンドにはじまってサングラスに終わるという、百円均一で盛り上がってしまった人間の辿る一途を見事に進んでいた。
「それでお昼ご飯を食べて?」
「食べて、喫茶店でお茶をしてから、再スタートだ」
「えばれないわよ、全然」
 武彦さんはコーヒーをすすってから、「別にいいんだ、別に」と独り言をつぶやいている。
 最近知人が好きな人に猛烈アタックをしていたのを思い出して、自己アピールをそうやってするのかとちょっと勉強してきたのだが、今更武彦さんを相手にそんなアピールをしてもなんとなくぎこちなくなるのがオチだと思えたので、コーヒーを置いて芝生に寝っ転がった武彦さんの顔を覗き込んで、えいと鼻を摘んでやった。
「なにすんだ」
 目をしばたかせて彼は言う。
 私はぐいぐいっと鼻をつねって、知人から聞いた鼻から生タマゴ事件を思い出した。
「にくたらしくなっただけ」
「なんだそれ」
 武彦さんは怪訝そうな顔をしたが、私は妙に楽しくて笑っていた。
 機敏な零ちゃんの動きを見守りながら、昼食をカップラーメンですませた武彦さんの食バランスを考える。
「お夕飯何にしましょうか」
「エビチリが食べたい」
「あら、珍しいわねすぐ決まるなんて」
 武彦さんはなんだかんだとメニューが決まらない性格なのだ。
「昼飯に食いたかったんだが、お前がいなかったろ?」
 恨みがましく彼は言った。私は呆れ顔で答えた。
「仕事よ、私だって」
「わかってるよ、別に。俺はエビチリが食べたいだけだ」
 少し不貞腐れたように言う武彦さんの頭を、はいはいと叩くと、彼は納得したように起き上がって零ちゃんの元へ歩いて行った。
 ああ見えて、妹の零ちゃんもヒヨコのピーちゃんも好きな武彦さんだ。
 髪が気になるようなら、今晩から海草サラダでも付け足してあげたら喜ぶかしら。帰りにお夕飯の買い物を済ませようと考えていたら、財布を持ってくるのを忘れていたのに気が付いた。
「ねえ、武彦さん、お財布持ってる?」
「持ってるけど中身が三百三円しかない」
 ちょっと遠くから彼は困った顔で言った。
 
 
 ――エピローグ
 
 暇を持て余していた筈の興信所。
 私がエビチリを作り終えて、武彦さんはしきりに空腹を訴えようやくご飯となろうとしたとき、彼の時間を拘束し続けていたすごい剣幕の依頼人がやってきた。
 結局全員お預けを食って、依頼人のご主人への愚痴を延々聞くことになったのだ。
 私達のお腹は定期的に鳴って、依頼人のご帰宅を願っているのだがそうもいかないらしい。
 私は席を立って一人つい、エビを一つつまみ食いしてから、出しっぱなしの海草サラダを冷蔵庫の中にしまった。
 武彦さんがいよいよ依頼人に切れるまであと何分だろう。
 依頼人というよりは、愚痴を聞いてもらいたいおばさんなのだから仕方がない。愚痴を聞いただけで謝礼をもらえるとも思えない。
 ともかく穏便にすませられるよう、私は武彦さんの隣に座って、彼が問題発言をしそうになったら、足を思い切り踏むことにした。
 
 
 ――end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマさま。
日常ほのぼの系のお二人はとてもかわいいので、書いていてもとても楽しかったです。
お眼鏡に適うとよいのですが……。
お気に召せば幸いです。
またお会いできることを願っております。

文ふやか