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たとえばまだ
――プロローグ
結局依頼人は来なかった。
電話ではもの凄い迫力の依頼人が、はたと我に返ってやって来ないのは少ないことではないのだが、時間を空けた側としてはなんとも言えない気持ちになる。ただ待ち人来たらぬと、机の上のゴミの中からぼんやりとドアを眺めているだけだが、こんな筈ではなかったような、と考える。
そうしていると、零が必ずコーヒーを入れて持って来るので、なんとなくそれを飲むことにする。
のんびりとした午後だった。依頼の電話がかかってこなければ、もう店じまいということにして誰かを誘って食事にでも出ているところだ。それなのに、結局ぼんやりとしている。空けた時間はすっぽり依頼人のものだったので、草間は自分のものとも他人のものとも言えぬ時間を、ただ持て余している。
困ったな、と漠然と思うも特にどうという案があるわけではない。
零を買い物にやって、少し気分転換をさせるか。などと、人のことを考えていた。
――エピソード
結局興信所に零を残して、煙草を買ってそこら辺をうろうろしていたら、そんなに遠くない場所に桜の木の植わった教会を見つけて、ほうと見上げていると、
「草間さん」
という声がして、バシャッと水をかけられた。
「……な」
「すいません、打ち水をしていましたら……」
見ると教会の元に影のように黒装束の神宮寺・旭が立っている。
「それなら普通は名前の前に水が飛んでくるだろうが」
思いっきり突っ込むと、旭は明後日の方向を向きながら
「はて……? 名前を呼んだような」
思い切りしらを切った。
旭は相変わらず人の良さそうな腹黒そうな顔で慌てて駆け寄ってきて、服が濡れたから教会で乾かして行くようにと執拗に勧めた。
彼の誘いに乗るのはあまり好ましいとは思えなかったが、濡れ鼠のまま歩いて帰るのもなんだったし、教会での旭の行動にも興味があったので、俺は旭の勧めるままに礼拝堂に入った。水のかかったシャツだけ脱いで渡すと、彼は乾燥機があるからと言って教会の奥へ去って行った。
礼拝堂は地味に小さく、玄関側のステンドグラスとキリストの上にあるステンドグラスは見事だった。三人がけの椅子が前から十列ほど並んでいたので、その一つに腰をかけて待つことにする。
するとホウキを持った旭がやってきて、
「草間さんはごゆっくりしていってください」
笑って言って、掃除を始めた。
神父らしい真似もできないわけではないのか、と俺はぼんやりと旭を見守っていた。
しかしそれも行き過ぎると問題があるようで、そのうち雑巾とハシゴと歯ブラシを持ち出してきてステンドグラスに登った彼は、歯ブラシでゴシゴシと磨き始めた。なんだか神秘的なイメージのあるステンドグラスも、歯ブラシで磨かれては幻滅だ。
「……すごい気合の入りようだな」
「そりゃあ草間さんが見てる前ぐらいは」
旭は笑顔で意味のないことを答える。彼は結局ハシゴが倒れて見事に床に放り出され、俺に続きをやってくれと頼んだが、断固としてそれは断って、ハシゴを片付ける役目だけを遂行することにした。
「いやあ、助かりました」
旭はそう言ってキッチンへ俺を通し乾いたシャツをくれ、ハーブティを出してくれた。
一口飲むと、柔らかい香が広がってとてもおいしかったので、驚いた。
「これもどうぞ」
言って出てきたのは、伊勢海老……ではない青いザリガニである。
「……お前の家は雑食か」
「青ザリガニの与太郎くんです。飼っていたんですが」
「殺してんじゃねえよ……」
ザリガニや中身に餡子の入っていない特製の饅頭には手を出さず、俺はお茶だけ飲んでいた。
しかし……なにやら旭の様子がおかしいのだ。
じいと俺を見て、「ふむ」だとか「まだ」だとかつぶやいている。
俺はお茶を飲む手を止めて、彼と視線を合わせた。旭は一瞬俺と見つめあった後、おもむろに視線を逸らしてから
「アグネスチャンさんが思いっきりテレビで言ってました。人は疑うなって」
「俺はお前は疑えと信じているが」
「みのさんに叱られてもしりませんよ」
シャツはもう乾いていたので、もうここにいる必要はない。俺はそう考えて、早々に引き上げることにした。
「ええ、もう帰るんですか」
旭は露骨に嫌そうな顔をする。
「帰るよ、長居して悪かったな」
「いえ、ちょっと、困ります、勝手に遺伝子を組み替えて作ったハーブの副作用がわかりません」
「今すぐお前を病院送りにするが異論はないな……」
旭はぎゃあと両手を上げて勝手口から逃げて行った。
俺はコホンと咳払いをしてから、礼拝堂を通って外へ出た。そこには電柱の影から俺を見つめる影があったので、近付いて行くと、その影はどんどん遠くの電柱へ逃げる。途中でバカらしくなって、旭に構うより先に病院へ行って診てもらおうと思い、俺は行き先を変えた。
「あ、そこの医者はヤブですよ」
と病院の前で旭が叫ぶ。
俺はくるりと方向を変えて、電柱へ進む。やはり旭は電柱をコソコソ移動して逃げて行く。
「……まったく、この偽神父」
病院へ入ろうとするとやはりまた
「そこはヤブだって」
声が聞こえたが、無視をしてさっくり入ることにした。
――エピローグ
それを話すと、零は大きな声で
「そうなんですか」
と言った。
副作用は顕著に出ている。なぜか虫が寄ってきて仕方がない体質に変化していた。つまり、ゴキブリなども呼んでしまうので、零は平気なくせに俺に近寄らない。
「ご飯どうします、お兄さん」
「食べたいなぁ、……食べられるかなあ」
「虫まみれなら」
きっぱり零が言い切った。
俺は涙がこみ上げてくるのを感じながら
「それじゃあ、食べたくないなあ」
むなしく一人、(と蟲たくさん)風の谷のナウシカの気分を満喫していた。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3383/神宮寺・旭(じんぐうじ・あさひ)/男性/27/悪魔祓い師】
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■ ライター通信 ■
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神宮寺・旭さま。
ギャグで一人称ということで、はっきり言って非常に困りました。長く書けなくて申し訳ありません。旭さんの視点ならばきっと意味もなく長かったと思うのですが。
お気に召せば幸いです。
またお会いできることを願っております。
文ふやか
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