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<東京怪談ノベル(シングル)>


 真夏の夜のゆめ

 その年の夏は猛暑だった。
 うだるような暑さというのはこういうもののことだと、誰もが一度は思ったに違いない。
 一部の地域で最高気温が四十度を超えたとか、あまりの暑さに倒れた犬が大量に動物病院に担ぎ込まれているとか、聞くだけで暑くなるような話も溢れんばかりにあった為、人々が涼しい場所や冷たいものを求めるのも無理もないことだった。
 しかし、どんなに暑くてもコーヒーを必ずホットで飲む者はいるだろうし、こんなときだからこそ鍋焼きうどんを食べたいと思う人もいるだろう。いつでもどこでも緑茶は熱い内に飲んでこそ、と思う者もいれば、夏は暑いからこそいい、暑ければ暑いほどいい、そんな暑い中で食べるラーメンがたまらないという人もいるはずだ。
 実際のところ、熱帯夜であっても、源の営む屋台に熱いおでんを求めてやって来る常連客もいた。
 だが、その数は例年よりもはるかに少なかった。冬や秋よりも売上が落ちることは予測していたが、ここまでとは……と呟きながら、彼女はため息をつく。
「どこも不景気ぢゃな」
 突然聞こえてきた言葉に、源は目を見開いた。
 発言者は座敷わらしの嬉璃だった。いつの間にそこにいたのか、本来なら客でうまるのが望ましい席に腰を下ろし、屋台のおでんを勝手気ままに食している。
 何か言おうとして口を開きかけたものの、それを一度閉じてから、源は再び口を開いた。
「蛸忠は、不景気とは無縁の存在だったのじゃ」
「そんなおんしの屋台でも、この猛暑には勝てなかったということか」
 嬉璃の言葉に一瞬沈黙したものの、当面の資金さえ工面できれば問題ないのじゃ、と直に彼女は呟いた。
「秋になれば、きっと客は戻ってくる」
「それまでどうするつもりぢゃ?」
「それなのじゃが……」
 一度あらぬ方向を見つめたものの、再び嬉璃へと視線を戻してから、源は口を開く。
「……嬉璃殿、手を貸してくれぬか」
 箸を止めて、嬉璃は一度だけ瞬きをする。
「手?何に」
「金の工面の為に」
「どうやって工面するつもりぢゃ」
「色々と考えたのじゃが……先日、客に某所にあるカジノの話を聞いてな」
 声をひそめた源につられるようにして、嬉璃も囁くように言葉を紡ぎ始めた。
「……賭け事で、一発当てるつもりか」
「もっと手っ取り早い方法があるじゃろう」
 ぴんとこない嬉璃に、カジノとは、と源は言った。
「ルーレットだのポーカーだのブラックジャックだのが行われ、大量の金が人の手から手へと動いている場所」
 そこの金庫なら大金が入っているはずじゃ、と続けられた言葉に、嬉璃は眉を寄せる。
「……金を盗むということか?」
「借りるだけじゃ。秋になって売上が元に戻ったら、すぐに返せばよかろう?」
 そのような問題ではないのではないかと嬉璃は思ったが、銀行は警備がかたそうじゃが、カジノなら何とかなりそうじゃ、などと言っている源は、すでに行動を止めようとする者の言葉に耳を傾けるつもりはなさそうだった。
「本気か?」
「本気じゃ」
「……どうしてもやるつもりなのぢゃな」
「どうしてもやるのじゃ」
 頷きながら言った源の前で、嬉璃は深いため息をつき、仕方ない……と呟いた。
「おでんと酒のためぢゃからな」







 こんなにうまくいくとは思わなかった、と夜道を走るフィアットの中で源は叫んだ。
 座敷わらしである嬉璃は、警備員に見つからずに金庫までたどり着くことができる。その後うまく源を金庫室の中に招き入れ、彼女が動物的勘を頼りに鍵を開ける予定だったのだが、これが幸運なことにも直に開いたのだ。
 驚きに目を丸くしてしまうほど簡単で、まるで金庫が彼女達を待っていたかのようだった。
「札束じゃ!たくさんじゃ!世界中の札束が入っているのじゃ!」
 ポンド!ドル!フラン!ルピー!ペソ!ユーロ!リラ!ウォンまで!と叫びながら、源は抱えきれないほどの札束を手にした。
 急いで外に出てそれらを車につめ込み、二人はカジノを後にした。実際にここに来るまでは半信半疑だったのだが、本当に庁のつく建物の地下にこのような場所が存在したのである。
「ナンバー不揃いで五十億はあるぞ」
 はじめはあまり乗り気でなかった嬉璃も、これほどの大金が目の前にあっては落ち着いていられるわけがない。
「札びらのシャワーぢゃっ!」
 次から次へと宙に舞う札が、風にのってしばらく飛んだ後道に落ちていったが、熱い熱いと騒ぐ源はそんなことも気にしていなかった。
「シャワーじゃ!もっとかけるのじゃ!」
 だが、冷静に考えてみれば、あのような場所にカジノなんてものがあること自体がおかしいのだ。
「前祝いにぱーっとやるのじゃ!」
 というよりも、あるわけがないのだ。
「飲酒運転ぢゃぞ!」
 ストレスのたまる世の中、一度でいいから札束にうもれてみたい、カジノで大勝したい、そんな快感を味わってみたいという夢をもつ者も多いようで。
「罰金ならいくらでも払えるわ!」
 知事の独断で作られたその空間は、日々の仕事で疲れた会社員達の安らぎの場となっていた。
「そうぢゃな、金ならいくらでもある!」
 金庫室に入れば誰もが札束の中で泳ぐことができ、ポーカーを手にすれば必ず最高のカードが配られる、一夜の夢が見られる空間。
「乾杯ー!」
 宣伝はしていないのにもかかわらず、開店してから多くの人が通いつめるそこは、そんな斬新な店だったのだ。
『貴方も今夜は億万長者』という、非常にありきたりな宣伝文句のついた。
「はっっ!!にっぽん……いや、せかいいち〜っ!!なのじゃっ!!」
 勿論、使われているのは本物の札束ではなく、全て巧妙に作られた偽札なのだが。





 彼女達がそれを知るのは、十二時間程後のことである。