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舞姫は夜に踊る
七不思議、と呼ばれる怪談がある。
学校というものに付き物の怪談話の中でも、それは少し特殊な位置に存在する怪談だ。
例えば。
学校の中で比較的有名な怪談を一括りにしたものであったり、先輩から後輩へ代々語り継がれて来たものであったり、学校の中に幾つもの『七不思議』が存在してしまったり。
そんな学校の怪談の定番が、この学園にも存在している。
…かなり、ひっそりと、ではあるが。
「学校の怪談話って色々種類があるけど、ここの学園の体育館にも、1つそんな話があるみたいだね」
小さなお弁当箱の片隅を可愛らしく彩っていたタコ型のウィンナーに、ブスリとフォークを突き刺しながら、李・湘月(リー・シアンユエ)は言った。昼休みのざわめく教室の中、昼食時のことである。窓の外は雲ひとつない快晴で、日の光がいっぱいに降り注いでいた。そんな中で聞く怪談話が怖いはずがない。寧ろ、楽しいくらいだ。
「体育館のステージの近くに、バレリーナの絵が飾ってあるのは知ってるよね?」
確認するかのように、彼女はそこで一度言葉を切って首をかしげてみせる。
ステージの傍のバレリーナの絵。それは、バレリーナの少女を描いた小さな絵で、ステージの脇、それも舞台袖の奥の方に掛けられていた。それが、彼女の話そうとしている噂に関係しているらしい。
「そのバレリーナがね、夜になると絵から出てきて踊るんだって。」
部活帰りに見た子がいるって話だよ。
そう言うと、湘月は串刺しになったままだったタコさんウィンナーを、パクンと口の中に放り込んだ。それをゆっくりと飲み込んでから、彼女は更に話しを続ける。
「けどね、変な音が聞こえたっていう人もいるんだよね。ボールが床の上で弾むような音・・・。バレリーナと変な音、何か関係があるのかなぁ・・・?」
言いながら、湘月は烏龍茶のペットボトルのキャップをひねった。空気の抜ける、ぷしゅ・・・という音が間抜けに響く。
「どっちにしても、夜の体育館で何かが起きてはいるみたいだよね。」
一瞬、考え込むように眉根を寄せ、それを隠すように、湘月はペットボトルを傾けた。
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(本文)
優雅に、典雅に、美しく。
東の空に昇ったミルク色をした月が、冷たい光を放っている。秋に入ったとはいえ、まだまだ暑い昼とは対照的に、冷え込み始めた夜の空は驚くほどに澄み渡っていた。
雲ひとつない濃紺。吸い込まれそうなほどに高い空の下、学園の昇降口の前に蒼月・支倉(あおつき・はせくら)は、ぼんやりと時計を眺めながら立っていた。彼は、部活の後で一緒に帰ると約束した妹を待っているのだ。
外灯の白い明かりが、彼の頭の上で白々しく光を放っている。その光で、支倉は時計の文字盤を苦労せずに読むことができた。時計は既に、午後7時になりかかっている。ここに着てから、既に20分は経ったろうか。
「遅いなぁ…。」
昇降口の方を確かめながら、いつまで待ってもやってこない妹を心配し、支倉はポツリと呟いた。
今日は部活の後でミーティングがあるって言ってたっけ、それが長引いてるのかな…それとも…。
そんな事を支倉が考え出した頃だった、暗い昇降口の中から見慣れた人影が飛び出してきたのは。
「ごめん、哥々! 部活が終わったあとで、教室に忘れ物を取りに行ってたの。」
その人影は、支倉に走りよりながら、そう言った。彼を『哥々(お兄さん)』と呼ぶ人物は、後にも先にも1人しかいない。妹である賈・花霞(じあ・ほあしあ)だけだ。
「連絡くらいしろよ、花。心配したんだからな。」
「ごめんなさい〜。」
「それじゃ、帰ろうか、父さんも心配してるよ、きっと。」
「うん、そうだね、それに夕飯にも間に合わなくなっちゃうしね。」
足元に置いておいたスポーツバッグを肩にかけて、支倉が校門の方へ歩き出す。その後を追いかけた花霞は、すぐに兄の横に並んだ。苗字も外見も違うし、血もつながっていないが、2人は仲の良い兄妹なのだ。
「今日の夕飯、なにかなぁ」
「花霞、たまには、中華料理とか食べたいかも。」
「あ、いいね、中華。最近、和食が多かったから…あっ。」
談笑しながら校門に向かっていた2人だったが、突然、支倉が何か思い出したような声を上げ、その足を止めた。それにつられて足を止めた花霞が、不思議そうな顔をして兄の方を見上げる。
「どうしたの、哥々?」
こくんと小首をかしげた彼女の肩口から、紐を編みこんだ一筋の黒髪がサラリと滑り落ちた。妹に無邪気に見上げられた支倉は、しばし迷ったように唸った後で、困ったように頬を書きながら口を開いた。
「あ〜…いや、体育館に忘れ物してきちゃってさ。今日、もって帰ろうと思ってたバッシュ。体育館の靴箱に入れたままにしてきちゃった。」
「じゃ、取りに行かなきゃ!」
「ごめんな、花。帰るのが、ますます遅くなっちゃうな。」
「気にしないから、大丈夫だよ〜」
済まなそうな支倉の言葉に、彼女は、にぱっと明るく笑う。そして、ほぼ同時に、くるりと踵を返すと2人は体育館の方に走り出した。2人の頬に当たる夜風が、まるで氷の塊のように冷たい。その中を、風をきって走る2つの影。支倉はバスケットボール部所属、そして花霞は陸上部に入っている。2人とも運動部に所属しているだけに、足は早かった。あっという間に目前に体育館が迫る。しかし、兄妹の足は、そこで自然に止まった。
2人が足を止めた理由。それは、体育館の窓から零れ落ちる蒼白い光に気がついたからだった。
「誰かいるみたいだよ、哥々。明かりが付いてる。」
「明かりじゃないよ、花。体育館の明かりは、あんな色じゃない。」
「じゃぁ、あれって……」
支倉の言葉に、幾分表情を硬くして花霞は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「僕の傍から離れちゃダメだぞ、花。夜の体育館で何か起きているって、聞いたことがあるんだ。」
きりりと眉を吊り上げて支倉は妹をかばうように前に立ちながら、体育館の入り口の方へと近づいていく。体育館で起きている事件を解決するのは、体育館を使う者の務め――妹を危険な目には合わせたくなかったが、そんな想いが支倉の中にはあった。そんな彼の心中を知ってか知らずか、ちょこちょこと彼の後ろから付いてくる花霞が無邪気に口を開く。
「体育館で起こってる事って、バレリーナの噂と関係あるのかな?」
声のトーンこそ落としてはいるものの、彼女の口調はどこか楽しげだった。花霞が口にした『バレリーナの噂』の一言に、支倉が苦笑いして振り返る。どうも、彼が思っていたより噂は広がっているらしい。
「なんだ、知ってたのか。」
「うん、結構有名だよ。舞台袖の絵からバレリーナが抜け出してきて踊るんでしょ? 一回、見てみたいと思ってたんだよね。」
「ほ…花……」
のんびりした口調でとんでもない事を言ってくれた妹に、思わず脱力する兄の支倉。がっくりと肩を落として、思わず深いため息をついてしまう。
毎夜、現れるらしいバレリーナの噂は、所謂『学校の怪談』だ。
それを怖がりもせずに、見てみたいというのは年頃の女の子としては、どうなのか?
なんか間違ってるんじゃないのか、花霞。
心配性の父親のような事を思わず考えてしまうのは、血の繋がらない父譲りなのだろうか。そう思うと、少し憂鬱な気分がして、支倉は考えるのをやめた。
目下の問題は、体育館の中だ。それでいい。
「哥々、なんか音がしない?ボールが床に当たる音みたいな…これって、なんのボールかな…。」
体育館の入り口に立つと同時に、中から聞こえる音に気が付いた花霞が問いかける。体育館の中からは、彼女が言うようにボールが床に当たった時のような音が響いていた。
「なんだろう…僕にも分からないけど、バスケットボールではないと思うな。」
うーん…とボールの音を思い出しながら、支倉はそう言った。彼のよく知るバスケットボールの音は、もっと重い。この中で誰かが使っているボールは、それよりも軽い音がしている。それは確かだったが、彼にもその音の正体を言い当てることは出来なかったのである。
そして、2人は体育館の中を覗き込み、固まった。
バレリーナがいる。
蒼白い光が照らし出す、一種幻想的な雰囲気を漂わせた体育館の中を、白いロマンティック・チュチュを着たバレリーナの少女が踊っている。
優美に宙に伸ばされた細腕、重さを感じさせない華奢な体。実体を感じさせない彼女は、確かにあの絵に描かれているバレリーナだった。
「ほ、本当に抜け出てたんだね…」
中を覗き込みながら、花霞が放心したように呟く。
アラベスク、アンヴィロッペ、ピルエット・フェッテ。
体育館の中を軽々と動きながら、バレリーナは華麗に舞い続ける。そして、一頻り踊り終わると、彼女はニッコリを微笑みながら、体育館の入り口に向かって宮廷式の礼をしてみせた。まるで、2人がいるのを初めから知っていたとでも言いたそうな様子で。
何時の間に気がつかれていたのか、と驚く2人の隠れた扉に向かって白くて丸い物が飛んできたのは、その一瞬後のことだった。
それは、入り口の扉に当たると、バシンっという鋭い音を残して体育館の中へ跳ね返っていく。
「出てきてはいかが?覗き見は悪趣味でしてよ。」
扉に当たって跳ね返った白い物、バレーボールを足元から拾い上げながら、バレリーナは艶然と微笑む。それは、何処となく高圧的で、それでいて綺麗な微笑だった。
「あちゃぁ…気がつかれていたか。」
「どうする、哥々」
顔を見合わせた2人だが、既に気づかれていたのでは逃げるに逃げられない。それに、バレリーナを放置しても置けないだろうと判断して、体育館の中に足を踏み入れた。
「あらあら、たったの2人だけですの?どうせなら、6人で来ていただきたかったのに。…まぁ、2人でも居ないよりはマシかしら…。」
バレリーナの少女の言葉に、思わず頭の上をクエスチョンマークが飛び回る。
何故に、6人。
兄妹の疑問は、そこに集約された。
「6人だと何かあるの?2人じゃお手伝いできないような事なのかな?もし、何か心残りとかあって毎晩出てきてるなら、花霞たちも少しはお手伝いしてあげるよ?」
「心残りなんて、ありませんわ。お気遣いなく。でも、お手伝いしてくださるなら、私と遊んでくださらない?」
花霞の言葉を、ふふんと鼻先で笑い飛ばして、バレリーナは手にしたバレーボールを新体操の選手のように掲げてみせた。
「遊ぶ…って、バレーボールしようって事?」
妹に代わって、今度は支倉が問いかける。その言葉に、彼女は大きく頷いた。
「私はバレリーナですわ。バレエと名の付くものは、やはり極めないわけには参りません。バレエという球技を知ってから、毎日毎日、ここで特訓しましたのよ。そして、今日がその成果を試す時!」
ぐっと拳を握り締めるバレリーナは、その目に熱い炎をたたえて一人で盛り上がっている。
「球技の方は、バレーなんだけど…」
という、花霞のささやかなツッコミも、
「…聞こえてないみたいだぞ、花」
という、支倉のため息交じりの言葉も、少女の耳には届かない。厄介なことに巻き込まれないうちに、と後退を始めた兄妹に、
「さぁ、私と勝負致しましょう!!」
背後に稲妻を走らせながら、人差し指を突きつけて、彼女は宣言した。
「え、でも花霞たち…」
「そ、そろそろ、帰る時間だから…その…」
後退を続けながら、しどろもどろと言い訳をする花霞と支倉。しかし、相手は手強かった。
「勝負するまでは、帰しませんことよ…」
ゴゴゴゴ…と地を這うような声で、バレリーナが言うのと同時に、体育館の扉の鍵がガチャンと閉まった音がした。それは、2人にとって地獄の判官による宣告の如し。
「これで逃げられませんわ。」
おほほほほ!!と少女の笑い声が響く中、退路を立たれた兄妹は空きっ腹を抱え、心の中で泣くのだった。
「それでは、私から参りますわよ。」
支倉と花霞が張ったネットが、体育館のバレーコートの中央で揺れている。なんで、自分たちは、こんな事をしているのか。情けない思いに駆られながらも、早く帰りたい一心で、支倉と花霞はコートに立っていた。
「アン・ドゥ・トロワ、ですわ!」
バレリーナの細腕が優美なラインを描いて、強烈なオーバーハンド・サーブを放つ。それをギリギリで拾った支倉が、サーブレシーブで打ち返す。そのボールは、ネットを越えて相手コートの中央に落ちる…ハズだった。
が。
ライン際から、華麗なステップを素早く刻んできたバレリーナによって拾われる。そのステップは、正しく、『白鳥の湖』の『四羽の白鳥』だ。しかも、一瞬のうちに彼女のロマンティック・チュチュが、その衣装へと変わってしまっている。
「へ、変な所で…芸が細かいんだね…」
「って、呟いてる場合じゃないぞ、花!」
驚いたまま唖然と呟く花霞に声をかけて、支倉は打ち返されたボールを追ったが、彼の手が届く前にボールはストンとコートに落ちた。
ふふんと不適に笑うバレリーナ。そして、歯噛みする兄妹。その瞬間に、決戦の火蓋は切って落とされたのだった。
アン・ドゥ・トロワ。
『コッペリア』の衣装を纏ったバレリーナが宙を舞い、花霞のレシーブがコートを穿つ。
アン・ドゥ・トロワ。
打ち込まれたサーブを支倉が拾い、『くるみ割り人形』の『花のワルツ』を舞いながら、バレリーナがコートを走る。
ア ン ・ ド ゥ ・ ト ロ ワ … !
あぁ、行き来するボールは益々激しく、バレリーナのステップは、黒鳥の32回転フェッテを刻む。
「…って、バレーは、アン・ドゥ・トロワ、じゃないだろ!」
思わず、ツッコミをいれた支倉に、ボールを返しながら花霞も同意の声を上げる。
「そうだよ、バレーは、1、2、アターックとか、そ〜れ!!なんだから!」
「……それは、また違うんじゃないのか、花…。」
ちょっとズレた花霞の言葉に、涙がちょちょぎれそうになりながらも、支倉は律儀に白球を追いかけた。
熱闘すること、約1時間。
爽やかに額の汗をぬぐいながら、両者はネット越しに握手を交わした。
結果は、接戦の末に支倉が決めたレシーブによる兄妹の逆転勝ち。ボケ2人に悩まされた兄の、執念の勝利であった。
夜空の色が濃紺から、黒に近い紺へと変わっている。東京の空に星はないが、清々しい秋の夜空を見上げて、支倉と花霞は今度こそ、自宅を目指していた。
「でもさ、結構楽しかったかな、また、あの子とバレーしたいかも」
えへへ、と楽しそうに花霞が笑う。その隣で、何処となく疲れた表情を醸し出した支倉が、もう沢山という表情で肩をすくめた。
「さ、帰るぞ、花霞」
「はぁ〜い」
足取りも軽く、支倉と花霞は校門をくぐると、街のぼんやりとした白い明かりの中に紛れるように消えていった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / クラス】
1651 / 賈・花霞 / 女 / 1−C
1653 / 蒼月・支倉 / 男 / 2−C
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、ライターの陽介です。
花霞様、依頼の方では、初めまして。
支倉様、今回もご参加くださってありがとうございました。
大変長らくお待たせしてしまって、誠に申し訳ありません。
参加してくださった皆様にご迷惑をお掛けしてしまった事を、深く反省しお詫びする次第です。
本当に申し訳ありませんでした。
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