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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


A day in the life


 もうあと少しで夏休みも終わりを告げる。
うだるように暑い太陽を思い出し、小さなため息を一つつきながら、七重は読んでいた本から目をあげた。
風通りの良い窓辺に座っているせいか、あるいは夏の暑さも翳りを見せつつあるのか。
心地よい風が吹きぬけて、アイボリーカラーのカーテンをふわりと揺らした。

 七重は学園の寮に住んでいる。
夏休みなのだから自宅に戻っても良いのだが、彼も彼と同室の少年も、結局は自宅に戻ることはなかった。
「……先輩」
 手にしていた本を机に戻し、七重は二段ベッドの上段を見やって声をかける。

 静かな午後。聞こえるのは、イヤホンから漏れ聞こえる音楽と、一定したペースで本をめくっていく音。
漏れ聞こえる音から察するに、ジャズか何かそういった音楽だろうか。
テレビなどで流れる流行の歌ではないことは確かだろう。
「先輩」
 七重はもう一度そう口にして、ベッドにかけられた短い梯子に手をかけて上段を覗き込んだ。
上段で横になっていたのは、三年の城ヶ崎 由代。由代は七重が自分を覗き込んでいるのに気がつくと、イヤホンを外して音楽を止めた。
「ごめん、無視してたかな」
 そう言って小さく笑む由代に、七重は首を縦に振った。
「二度声をかけました。……何を読んでいるんです?」
 体を起こした由代が持っている本に目をやり、そのタイトルを確かめる。
「これかい? これは」
 応えつつ本を差し出す。それを手にとって眺めると、それはやはり魔術に関する洋書だった。
「アルマデル……確か天使のシジルでしたっけか。グリモアに比べれば、結構退屈な内容だと聞きますが」
 ページを流し読みしつつそう言うと、由代は低く笑った。
「ゲーティアなどは何度も読んでしまったからね。たまにはこういったものも新鮮で良いのだよ」
 笑いつつ前髪をかきあげてこちらを見やる由代に、七重は小さく頷いてから口を開く。
「……なるほど。……それはそうと、お茶でもどうですか? 昨日買ってきた茶葉があるのですけれども」
 小さなテーブルに戻ってティーポットを手に取り、まだ封を開けていない小さな袋を振ってみせる。
「そうだね。いただこうかな」
 由代はそれを見て小さく微笑み、手にしていた本を枕元にたてかけた。


 夏摘みのダージリンをカップに注ぎ、由代に渡す。
涼やかな風が入りこむ部屋の中、紅茶の芳しい湯気が静かに広がっていく。
七重はその香りを楽しむように目を細め、カップを口に運びつつ書棚に視線を向けた。
 部屋は決して広くはないが、二人で生活する分には、不快な程の狭さでもない。
家具といえるものは元々備え付けの二段ベッド。それに机が二つに小さなテーブル。小さなクローゼットが二つ。
七重も由代もごちゃごちゃと家具を置くタイプではないためもあってか、部屋の中はひどくさっぱりしている。
だが視覚的にどこか圧迫感を覚えるのは、びっしりと書籍が詰めこまれている書棚のせいだろう。
その中に並ぶのはほとんどが洋書である。そしてさらに言えばそのほとんどが由代の所有物なのだが、それに対して七重は少しの不満も口にしたことがない。 

「……城ヶ崎先輩は帰省しないんですか?」
 カップを受け皿に戻して一呼吸。穏やかで心地よい沈黙を破り、七重が問いた。
問われた由代は「うぅん」と小さく唸った後にカップを口に運ぶ。
「都心にいたほうが何かと便利だからね」
 そう応えてからもう一口運び、カップを下ろして
「尾神君は帰省しないのかい?」
 テーブルに頬づえをついて七重を見上げ、夜空を思わせる瞳を緩ませた。
自分を真っ直ぐに見据えてくる由代の視線に目を合わせ、七重は小さくかぶりを振る。
「父は相変わらず忙しいし、家にいると自炊とか面倒で。寮にいた方が楽なんです」
 ポットから紅茶を注ぎ足して、再び漂いだした香りを吸いこむ。
由代を見やれば、彼は七重の言葉に対して小さく頷いたきり、言葉を続けようとしていない。
七重は少し不安になって、少しだけ伸びた銀髪を片手で撫でつけた。
「……ひょっとして、俺が部屋にいたらご迷惑でしたか?」
 由代を見上げる目がわずかに上目遣いになっている。
由代は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐにまた穏やかに微笑み、首を傾げてみせた。
「いや、話し相手がいてくれたほうが嬉しいよ。活字ばかり追ってたんじゃ、休みの間に文字通りの本の虫になってしまいかねないからね」
 冗談を口にしてニヤリと笑む。七重はその言葉にほっと肩をおとし、少し冷めた紅茶の琥珀を一息に飲み干した。
「……そうですか」
 告げて、視線を窓の向こうへと投げかける。

 夏と秋とが入り混じったような空の色。雲は高い位置をのんびりと流れている。

「先輩は」
 流れる雲の行方を目で追いながら、七重はふと口を開けた。
「先輩は進路、もう決めているんでしたよね」
「うん? まあ、一応ね。尾神君だって考えているんだろう?」
 窓の外を見つめたままでいる七重の顔を見やり、由代は頬づえをといて後ろの壁にもたれかかった。
軽く腕組みをして七重を見守るその表情は、高校生というにはひどく大人びている。
「俺は史学科へ行こうかと思ってます。色々……自分はまだ幼い部分も抱えてますし……」
 遠くを見つめながらそう言う七重の言葉に疑問をぶつけようとはせずに、由代はただ緩やかに微笑んだ。
「誰だってそうだよ、尾神君。無理な背伸びをするよりも、自分に見合った視線を保つことのほうが、大事なのではないのかな」
 壁にもたれかかってそう微笑む由代の言葉に、七重はようやく視線を空から部屋の中へと戻した。
「……そうですよね。……紅茶、淹れ直します」

 場を立って茶を淹れる七重の背中を見つめ、由代は組んだ腕をといて小さく息を吐き出した。
「僕はイギリスに留学するつもりだと、以前話したことがあったよね。その目的までも話していたかな?」
 首だけを動かして、寄りかかった壁の上にある窓から外を眺める。
七重は銀色のトレイにカップを二つ並べてテーブルに戻ると、再び広がる芳しい香りに睫毛を伏せた。
「いいえ、伺ってないと思います。……が、なんとなくですが予測はつきます」
 カップを由代の前に置き、自分のカップを口にする。
湯気が昇って、開け放たれたままの窓の外へと流れ出て行った。
「表向きは語学留学というかね。イギリスの歴史や文化に関心があるからという理由で。もっともそれも嘘ではないが」
 窓の外に向けていた視線を戻して七重を見やり、由代は再びテーブルに頬づえをついて微笑んだ。
「……魔術関連、でしょうか」
 七重が声をひそめてそう告げる。
確か、イギリスには魔術教団があるはずだ。
由代の語学力はずば抜けている。もっともその他の成績にしても、彼の名は上位に並べられている。
本来ならば常に首席であり続けることも可能なのだろうが、七重が見る限り、由代は故意にそれを避けているふしがある。
トップにありつづけて必要以上に人目を惹くのは、おそらく由代には煩わしく感じられてしまうためだろう。
「……尾神君は察しがいいなあ」
 七重の言葉に小さく笑い、由代は穏やかな黒い瞳をゆるりと細めた。
「正直言って、学問といったものは把握してしまえば後は退屈なばかりだ。対して、世界には隅々まで行き渡った謎というものが存在している。僕にはそっちの方が興味深くてね」
「…………」
 愉快そうに目を細める由代の顔を見つめ、七重はふいに笑みをこぼした。
「先輩らしいです」
「そうかな。しかし世界のそこかしこにある謎に興味を惹かれてしまうのは、尾神君だって同じことではないのかい?」
 思いがけず零れた七重の笑顔に少しばかり驚きを見せる。
それから再びゆるゆると笑みを浮かべて、自分の前にあるカップに手を伸ばした。
「――――そうですね。でも俺は、先輩とは違った方法で、そういった現象に目を向けていきたいと思います」
 由代の笑みに対して自分も笑みを浮かべ、七重は小さく首を傾げた。
まだどこかぎこちないものだが、しかし出来るだけ自然に。
それでもまだ由代以外にはあまり見せることのない笑顔。
それを見据える由代の目には、弟の成長を見守る兄のような光が宿っている。
「……そうか。尾神君とはいつかパートナーを組んだり出来たらいいね」
「その時はぜひ声をかけてください」
 
 由代のその言葉は、まだ不確定ではあるかもしれないけれども、それでも未来においての繋がりを暗示しているように思える。
遠くない将来、由代は学園を卒業してしまう。イギリスに渡れば会うこともままならなくなるだろう。
けれど、きっと縁は続いていくだろう。
それが何という名前なのかは判らない。友情なのかもしれないし、もっと違うものかもしれない。
いや、そんな名前などどうだっていい。
七重はテーブルに戻したカップを持ち上げて残りの紅茶を一息に飲み干し、窓の向こうに目をあてた。

「……しかし退屈だね」
 小さな欠伸を一つつきながら由代が告げた。
「尾神君も忙しくなければ、どうだろう。廊下の掲示板を見に行ってみないか? 僕は時々見に行ってるんだが、たまに興味をそそられる記事が貼りつけられていたりするんだよ」
「新聞部の掲示板ですか? 俺もたまに見に行きます。……いいですね、行ってみましょうか」
 カラになったカップをトレイに乗せて立ちあがる。七重の顔からは、もう笑顔は失せていた。
その代わり、目の奥にある小さな光。興味を惹かれる事件がないかどうか、心をくすぐられているような光。
由代はそれを読みとって穏やかに笑むと、自分も立ちあがって部屋のドアへと歩き出した。
 
 二人が出て行った部屋の中、カーテンが静かに緩やかな波を描いて揺れている。