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<東京怪談・PCゲームノベル>


サバイバル・デート -such a beautiful day-


    01 prologue

「――というわけで、どなたか次の日曜日にお付き合いして下さいませんかね?」
 同僚の話を終わりまで聞き、水上彰人は何ともいえない複雑な表情になった。
「……どうしてそれを僕に頼むの?」
 同僚――啓名予備校で臨時講師をしている綾和泉匡乃は、悪びれる様子もなく朗らかな笑顔を浮かべる。
「それはもちろん、水上さんが『何でも屋』だからですよ」
 百歩譲って自分が何でも屋紛いの稼業を営んでいるとして。
「何でも屋ってデートの斡旋までしなくちゃならないのかな……」
 その点は甚だ疑問である。
 そもそも『何でも屋』と名乗った覚えは一度たりともない。しがない予備校講師で通しているはずなのに、なぜこの綾和泉という男に素性を知られてしまっているのか。侮りがたし、である。
 彼曰く。――このところある女性にしつこく言い寄られて困っている。彼女をかわすための手段として偽装デートを思いついたは良いが、都合のつく相手がいないので誰か暇な人を紹介してほしい、とのこと。
 確かに女性にモテそうなルックスではある。
 綾和泉匡乃は水上より一つ年下の27歳、181センチの長身の持ち主である。中性的な顔立ちで、上背がなければ女性に見えなくもないかもしれない。さらりとしたスーツの着こなしや、親切でわかりやすい授業など、どれを取ってもやる気のなさげな水上とは対照的である。
「……まぁ、綾和泉君の容姿なら……」
 夏樹君あたりが飛びつきそうだな、と水上は思う。
「日給一万円でどうでしょう?」
「知り合いを当たってはみるけど」
「よろしくお願いします」
 匡乃はにこりと微笑んだ。結局、頼まれたら断れない水上であった。

    *

 啓名予備校の一つ下のフロア。
 ジャズバー『Escher』は、今日も程よく平和、程よく退屈そうな雰囲気だった。
「彰人さーん。こんにちはー」
 本来だったら予備校で今まさに授業を受けているはずの寺沢辰彦が、水上の姿を認めてぶんぶんと手を振った。
「今日は早いじゃないの。もう授業終わり?」
 アルバイト店員の橘夏樹は、いつもの定位置――カウンタの奥――ではなく、アップライトピアノの前に足を揃えて行儀良く座っている。
 水上は、辰彦の向かいにどさっと腰を降ろす。
「あのさ……次の日曜、暇?」
「辰彦だったら、夏期講習サボってケーキ食べるくらいの暇はありそうよ」
「夏樹さんだったら、お仕事サボってピアノ弾くくらいの暇はありそうですよ」
「あそう。それは良かった」つまり暇じゃないのは僕だけか。「じゃあさ、今週の日曜、デートの相手役に借り出されてやってくれないかな。日給一万円で」
「「へ?」」
 二人の間抜けな声が重なった。
「僕の同僚がね、偽装デートの相手を探してるんだけど。夏樹君、どう?」
「彰人の同僚ォ?」夏樹は嫌そうに顔をしかめた。「つまり予備校関係者でしょ。予備校の講師って胡散臭い人が多くない?」
 彰人も含めて、と付け加える。偏見だと訂正する気にもなれなかった。
「胡散臭くて悪かったね。でもその点は安心していいと思うよ」
「かっこいいの?」
「多分」
「多分って何よ」
「夏樹君の趣味なんて知らないし」
「本人に会ってみないことには、何とも、ねぇ?」
「日給一万円だよ。デート代は向こうが持ってくれるみたいだし」
「……むむ」
「あ、今ちょっとぐらっときただろう」
「少なくとも彰人みたいにケチじゃないんだなって思って」
「あのー、夏樹さん」と、退屈そうに事のなりゆきを眺めていた辰彦が会話に割って入った。「とりあえず本人を見てみたらどうですか? 男の僕が言うのも何ですけど、綾和泉先生って基本ルックス高いと思いますよ」
「何よ。写真でも持ってるっていうの?」
「持ってるんですねぇ、これが」辰彦は、じゃーん、と鞄の中から夏期講習のパンフレットを取り出した。「綾和泉先生はーっと……ほいこれ」
 辰彦は中ほどの講師紹介のページを開くと、綾和泉匡乃の写真を指差して見せた。
 写真に目を落とし、夏樹はぱちくりと目を瞬く。
「かっこいいでしょ? ま、僕ほどじゃないけどー」
「…………」
 夏樹はぽかんと写真を見つめたまま。
「それで、授業はわかりやすくて面白いですよ。僕が言うんだから確かです」と辰彦。
「臨時講師だけど、人気あるよね」と水上。
「――なんで」夏樹は低い声で言った。「なんでこんないい男が予備校の講師なんかやってるのよっ! 勿体無い! そこら辺の芸能人よかよっぽどかっこいいじゃないの!?」
 言うと思った。彼女はどうも、予備校講師という人種に絶大なる『不』信頼を抱いている節がある。
「それで、どう? 引き受ける? 偽装デートの相手役」
 99.9パーセント肯定の返事を予想しつつ、水上は改めて訊いた。
 案の定、夏樹はきらんと目を輝かせると、
「もちよ! 乗ったわ、この話っ!」
 やたら威勢良く、そう答えたのであった。


    02 a rendezvous

 甘味が美味いと評判だが、メニューに提示された金額故に客の年齢層が高めに落ち着いている、都内の某喫茶店。
 女性が多い店内で、入り口に近い窓際の席に座る男の存在はやや浮いていた。
 視線を集めてしまうのは、何も性別のためばかりではない。長い足を組み、特に何かを注視する風でもなく窓の外へ視線を投げている彼の姿は、単純に優麗の一言に尽きる。ただそこにいるだけで自然と目を惹きつけてしまう雰囲気は、あるいは彼の仕事にも役立っているのかもしれなかった――仕事、すなわち予備校講師。
 が、プライベートに徹している彼から、その職業を推測するのは難しいかもしれない。一見堅苦しいイメージが付き纏う教師よりは、何か別の――例えばバーテンダーとかいった――仕事を連想してもおかしくないような容姿だ。
 その「職業不詳」の青年こと、綾和泉匡乃は、通りががったウェイトレスに紅茶のお代わりを注文した。
 待ち人来たらず。既に二十分が経過している。相手が遅刻しているわけではなく、匡乃が早めに到着したというだけのことだが。
 匡乃が暇を持て余している間に声をかけてきた女性の数は、実に三人。そのうちの一人をかわすための偽装デート決行、それが今日ここにいる理由だ。
 偽装とはいえ、匡乃はそれなりに楽しむつもりで臨んでいた。彼は猫のように気まぐれな性格の持ち主だが、楽しむことは楽しむ、というスタンスを取っている。
 それからさらに五分ほど経過して、二十歳そこそこといった女性が店の扉を潜ってきた。きょろきょろと辺りを見回し、ウェイトレスに何か告げる。ウェイトレスが匡乃のいる席を指差し、女性がこちらを向いた。目が合う。
 彼女は一瞬目を見開いたかと思うと、慌ててこちらの席にやって来た。
「橘夏樹さんですね。綾和泉匡乃です。今日はよろしく」
 匡乃はにこりと微笑む。
「あ、こちらこそ! すいません、遅くなりまして!」
「いいえ、僕のほうが早く着きましたから。とりあえず何か甘いものでも召し上がって下さい」
「はい、是非!」
 デートの相手役――橘夏樹は、ボックス席の向かいに腰かけた。
 なるほど、綺麗な女性だ。これなら申し分ない。滑り出しは好調だ。
 夏樹はメニューを開き、やや間を置いてからつぶやくように言った。
「なんか、舌を噛みそうな横文字が並んで――あ」
 うっかり本音を言ってしまった、という顔で口を噤む。匡乃はふきだしそうになるのをすんでのところで堪えた。
「抹茶を扱ったデザートはさっぱりしていて美味しいと思いますよ」
「紅茶と抹茶の取り合わせってどうなのかしら。折角紅茶の種類がたくさんあるから……」
「紅茶がお好きなんですか?」
「仕事柄、ね。色々試すのが趣味になってしまいまして」
「仕事柄? 水上さんから音大に通われていると聞いたのですが」
「あ、ご存知ないですか? 啓名予備校の下のフロアの、Escherっていうバーで働いてるんです。バーなのにお酒より紅茶の需要が高くって……」
 ああ、水上さんが良く仕事帰りに寄っているあの店か、と思い当たった。
「そういうことなら、今度お邪魔しますよ」
 ザルなんで、と胸中でつづける。
「本当? 胡散臭い予備校講師とかクソ生意気な高校生ばっかり来るから、是非――」夏樹はそこでまた口を噤んだ。「……是非、いらっしゃって下さい」
 匡乃は笑いを堪えるのに必死だ。
 どうも淑やかなお嬢様風の外見とは程遠い性格をしているらしかった。
 悪くないな、と匡乃は思う。少なくとも媚を売ってくる女性よりは魅力的だ。
「あの、予備校の先生、なんですよね?」
 ウェイトレスに、紅茶と、彼女の言うところの「舌を噛みそうな横文字のデザート」を一つ注文すると、夏樹は匡乃に問う。
「ええ、そうですよ。見えませんか?」
「見えません」彼女はきっぱり言った。「頭脳職って感じはしますけど。だって私の中の予備校講師のイメージって『あれ』ですから」
「水上さんですか?」
「綾和泉さんみたいな素敵な方が予備校で働いてるなんて、なんか詐欺ですよね……あ、すいません、悪気はないんですけど」
「人に物を教えるのは楽しいですよ。教えることで自分の理解が深まりますしね」
「ふーん、そういうもの? そういえば辰彦が――あ、聖ヶ丘の可愛くないガキですけど、綾和泉さんの授業はわかりやすくて面白いなんて言ってたかしら。滅多に先生を誉めない子なんですよ。けなしてるほうが多い気がするわ」
「寺沢君から好意的な感想をいただけるとは光栄ですね。彼は辛辣ですから」
「まったくねぇ。可愛げがないんだから。私の弟そっくり」
「弟そっくり、ですか? 弟さんがいらっしゃるんですね」
 可愛くない弟、というのを聞いて彼の脳裏に思い浮かんだのは、妹の綾和泉汐耶だった。そう、少なくとも「可愛げ」はない。彼女にも。
「そうなんですよ。もうとんでもない不良で、学校の成績が良いだけまだ辰彦のほうがマシっていうか! 高校生にもなってテスト前すら勉強しないんだもの、いっそのこと啓名に入れてやろうかしら。綾和泉さんだったらあの馬鹿に何か身のあることを詰め込めるんじゃな――」夏樹は額を押さえて、やれやれと溜息をついた。「すみません。私、口が悪いんです」
「気になさらないで下さい。逆に清々しいですよ」
 匡乃は嘘偽りのない本心を口にする。
「折角の『デート』なんですから、肩の力を抜いて楽しみましょう」
 そしてにこりと唇の端を持ち上げた。
 楽しめることは楽しまなければ、ね。


    03 such a beautiful day

 残暑厳しい九月始めにしては、珍しく過ごしやすい日和だった。
 午後三時過ぎ。
 学生同士といった赴きのデートコースを回った後、二人は海を望める公園に向かった。
 すぐ隣りは千葉県というロケーションにある水族館。夏樹が音大生と聞いて、都内でクラシックのコンサートチケットを取るのも悪くないかと思ったのだが、敢えて休日まで彼女を古典音楽漬けにする必要もあるまいと思っての決定だった。
 臨海公園内には、水族館の他観覧車などもあり、カップルや子連れで賑わっている。隣りにテーマパークがあるため、そちらに流れる客のほうが多めではあった。
「楽しかったなぁ、水族館。高校以来だわ」
 夏樹は気持ち良さそうに目を細め、潮風を浴びる。
「楽しんでいただけて何よりですよ。ちょっと子供っぽいかな、とも思ったんですけどね」
「そんなことありませんよ、全然。凄く楽しかった。ペンギン可愛いわよね、ペンギン!」
「あの短い足がね。眺めていると和むんですよね」
「そうそう!」夏樹は風になびくスカートの裾を押さえて、匡乃を振り返った。「妹さんとも来られたことがあるんですか?」
「そういえば、ありませんね。汐耶は水族館なんて来たがるかな……」
 妹の、怜悧な顔立ちを思い浮かべる。172センチの長身にショートヘア、性別を間違われることも少なくない。いわゆる隙のないタイプで、匡乃に負けず劣らず頭の回転が良い。
 汐耶と水族館か――そう、本来ならそうなるはずだった。
 何も水上彰人の手を煩わせる必要はなかったのだ。妹が相手役を引き受けてくれさえすれば。
「実はですね。妹に今日のデートを断られてしまったんですよ」
 匡乃は微苦笑する。
「綾和泉さんみたいに素敵なお兄さんとのデートを断るなんて、贅沢だなぁ」
「どうも事前に察せられてしまったようですね。我が妹ながら勘が良くて困ります」
「ま、妹さんが断ってくれたおかげで綾和泉さんとデートできたんだから、私としては感謝感謝だけど!」
 夏樹はサンダルを脱ぐと、スカートの裾をたくし上げて波打ち際まで歩いていった。海水に足を浸らせ、冷たいっ、と叫ぶ。
「風邪を引かないように気をつけて下さいよ」
 高波から逃れようとして後退する夏樹。一瞬よろめいた彼女の手を取ると、夏樹ははにかむような表情を浮かべた。
「海なんて久しぶりだから、ついはしゃいじゃって」
「海に遊びへは行かなかったんですか?」
「全然。毎日バイト。そういう綾和泉さんも、夏は受験生のお守りでしょう? 全然焼けてないんだもの」
「そうですね。知らないうちに夏が過ぎてしまった感じだな」
 受験生は夏が勝負だから、仕方がないといえば仕方がない。
 まだ秋というには早い時期だが、それにしても、今日は晩夏とは思えないほど快適な気候で、夏はどこへいってしまったのだろうという気になる。秋の足音を聞くには多少早いが、夏の去り行く足音を聞くにはちょうどいい。
 頭上を見上げれば空は高く澄み渡り、屋外のデートにこれほど適した天気もないだろうという美しさ。
 偽装デートのつもりが、いつの間にかずっと待ち侘びていたデートのように楽しんでいる自分に気づき、匡乃はちょっと愉快になった。
「――夏樹さん。観覧車、乗りませんか?」
 多少の親しみを込めて彼女のファーストネームを呼ぶと、匡乃は数百メートル先でゆっくり回っている観覧車を指差した。
「乗りましょ、お天気良いし!」
 夏樹は二つ返事で頷いた。


    04 one night, all alone

 これまでの偽装デートが功を奏したか否かは神のみぞ知る――だが少なくとも、彼女との関係を築くことには成功しているようだ、と匡乃は思う。もちろんお互い付き合おうなどという気はなく、あくまで良好な友人関係といった感じだ。
 夜になって肌寒いくらいになり、これ以上屋外を出歩くのも何だと立ち寄ったのが――、
「職場の下でデート、ですか」
 夏樹のアルバイト先、ジャズバー『Escher』。
 匡乃ははじめて立ち入るバーの扉を潜り、苦笑まじりのつぶやきを漏らした。
 今日はたまたま定休日だったらしく、店はがらんとしている。
 ジャズバーというだけあって、アップライトピアノなどの楽器の類いがひしめき合っていた。もともとさほど広くない店内の、三分の一は楽器に占拠されている。木目調のインテリアは気が利いており、なかなかくつろげる雰囲気の店だった。
「もう予備校は終わりでしょ? 大丈夫ですよ」
 夏樹はカウンタへ入ると、おどけた調子で商用スマイルを浮かべ、何にします? と訊いた。
「そうですね……ブランデーの一つも頼みたいところですが」匡乃は悪戯っぽく片目を細める。「日本酒なんて、いただけませんかね?」
「日本酒がお好きなんですか? それはちょうど良かった! 実は私も好きなの」
 ちょっとお待ち下さいね、と夏樹は奥へ消えていった。しばらくして、一升瓶を手に戻ってくる。
「彰人は下戸だし、辰彦は一応未成年だし、誰も付き合ってくれないのよね。コクがあって美味しいんですよ、これ。綾和泉さんの口に合うかな」
 どうも彼女専用の日本酒らしい。
 明らかにブランデー用と思しきグラスに日本酒を注ぎ、カウンタに置く。自分の分も注ぐと、彼女はこちら側に回ってきて匡乃の隣りにすとんと腰かけた。
「たまにこんな時間帯に一人でお酒飲んでるんだけど、寂しくなっちゃうのよね」
「夏樹さんがよろしければ時々お付き合いしますよ」
「いいなぁ、それ。酒飲み仲間」
 何とも健全な付き合いだ。
 ――しかし、酒を消費するペースは健全とは言いがたかった。
 夏樹も相当いけるタチらしく、匡乃のグラスが空になっては注ぎ、自分のグラスが空になっては注ぎ、を繰り返す。一升瓶が空になるまでそう時間はかからなそうな気配だった。
「綾和泉さん、ザルですねー。私も大分飲むほうだと思ってましたけど。ちょっと綾和泉さんには適わないかなー?」
 終いには彼女のほうが酔い潰れそうになっている。顔色はさほど変わらないが、口調が怪しかった。
「そろそろやめにしたほうが良いんではないですか?」
 匡乃は夏樹を嗜める。
「まだまだいけますよー。綾和泉さんを酔い潰すまでは負けませんからねー?」
「残念ながら、酔い潰れた試しがありません」
 ですから、と嗜めようにも夏樹は聞かない。
 やれやれ、家まで送っていく羽目になりそうだ。……それも悪くない、か。
 むしろそのくらい徹底したほうが、後味が良さそうだ。
 酔った勢いとでもいうのか、夏樹は妙にあっけらかんな態度で彼女の恋人遍歴などについて喋りまくる。
「綾和泉さんみたいな優しくて紳士的な人が、どっかに転がってないかしらー」
「僕はこう見えても気分屋ですよ?」
「そうかしら。だって今日一日、とっても楽しかったですよー。いいなぁ、気の利く男性って。私の周りにいるのなんか、皆捻くれててー」
「夏樹さんの魅力は伝わっていると思いますけどね」
「そうかなぁ。偽装じゃなかったら良かったかも、なんて思ったりして……でも彰人を通した依頼だっていうのが、ちょっとムカツくわー、とか……デートの斡旋してくるなんてあんたはデリカシーないのかーっていう……何言ってるんだろ、私……もしかして、酔っ払ってるのかしら?」
「ええ、かなり」
「やだなぁ……意識不明になる前にやめとこうかしら……」
「そのほうが賢明だと思いますけどね」
 匡乃は腕時計を見た。結構な時間だ。
「歩けそうなら、夜風に当たりにいきませんか? 酔いが醒めますよ」
「そう……ですね。うん、そのほうがいいかも……」
 夏樹はよろよろと立ち上がる。
 足下が覚束ない彼女を支えてやって、二人は夜の街へ出た。


    05 in the night breeze

 昼夜問わず忙しない東京も、人通りが減るためか、夜は幾分穏やかだ。無論女性一人で歩くのは危険だが、匡乃がいるので今はその心配もない。
 十数分も歩いているうちに意識がはっきりしてきたのか、先ほどまで饒舌だったのが嘘のように、夏樹の口数は少なくなっていった。匡乃に寄りかかる腕を外そうとはしない。
 公園をゆっくりと横断し、噴水の前まで来る。深夜になっても変わらず、噴水は定期的に水を噴き上げていた。誰に見られるわけでもないのに、東京の明かりが絶えることはないのと同じように己の役目を果たしつづけている。
 水面に丸い月が映り込んでいた。喧騒から隔離された公園内の、この広場のみが、月明かりに浮かび上がっているような錯覚を覚える。
 案外、こんな風景を完成させるために夜も噴水が動いているのかもしれない、と匡乃は思った。なかなか悪くない考えだった。
「少し気分が良くなったみたい」
 夏樹は匡乃の腕をそっと外すと、噴水の縁に腰かけた。
「家はどちらですか? 何だったら送っていきますよ」
「三十分もかかりませんから、歩きます」
「それなら尚更です。夜の東京は危険ですよ」
「変質者とかいるのかしら? やっぱり」
「それもありますけれどね。夜は彼らの時間帯ですから」
「彼ら?」
「なんだと思います?」
 匡乃はふふっと意味深な微笑を浮かべた。
 夏樹から少し距離を取って腰かける。片手を水に差し入れると、ひんやり心地良かった。
「何って……まさかとは思うけど、綾和泉さんって、その……彰人と同類だったり?」
「それに近いかもしれませんね」
「……やっぱり彰人経由だけのことはあったのね……」言って、夏樹は肩を竦めた。「あんまり妙なものとは関わりたくないんだけど、ま、いっか。楽しかったし」
 夏樹はすっと立ち上がった。酔いは完全に醒めたらしい。
「なんだか逆に迷惑かけちゃいましたね。これ以上付き合っていただくのも悪いから、私、そろそろ帰ります――」
「夏樹さん」
「はい?」
 夏樹は首を傾げる。
「さっきも言いましたけれど、僕、本当は物凄く気まぐれなんですよ」
「え?」
「だから時々、ふざけたことをしてみたくなるんですよね」
「ふざけたこと?」
「夏樹さん、ちょっと」
 匡乃はちょいちょいと片手で手招きをする。夏樹は不審がりもせず、一歩匡乃のほうへ近づいた。――その瞬間。
「きゃっ!」
 夏樹は短い悲鳴を上げた。手で水鉄砲を作って、夏樹の顔に水をかけてやったのだ。
「あはは、見事に引っかかりましたね。すっきりしたでしょう?」
「…………」
 夏樹はじとっとした視線を送ってきたかと思うと。
「もー……やっぱり彰人の知り合いってろくなことしないんだからっ!」
 怒った口調で匡乃を罵って、しかし結局笑いを堪えられずに相好を崩した。匡乃もつられて笑い声を立てる。社交辞令の笑みではなく。
 一頻りふざけ合った後、さて、と匡乃は時計を見た。
「――帰りましょうか。貴方の身に何かあっては水上さんに申し訳が立ちませんからね。送っていきますよ」
 そうして差し伸べた手を、夏樹が取る。
「それじゃあ、家に着くまでは恋人気分を味わわせてもらいますね」
 二人はのんびりとした足取りで、夜の街を歩き始めた。



fin.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■綾和泉 匡乃
 整理番号:1537 性別:男 年齢:27歳 職業:予備校講師


【NPC】

■橘 夏樹
 性別:女 年齢:21歳 職業:音大生

■寺沢 辰彦
 性別:男 年齢:18歳 職業:高校生

■水上 彰人
 性別:男 年齢:28歳 職業:予備校講師

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、ライターの雨宮祐貴です。
 PCゲームノベルへのご参加、ありがとうございました! ぎっしり文字という読みにくい小説になってしまいました……ご容赦下さい。
 夏樹は最後まで本性を隠しておく予定だったのですが、匡乃さんの人当たりの良さのおかげか(?)最初からぶっ飛ばし気味に……。匡乃さんにとっても楽しいデートになったのなら幸いです。
 気心の知れた相手には気まぐれということなので、子供っぽい部分もあるのではないかなと、あんなラストになりました。
 それでは、また機会がありましたらよろしくお願いします!