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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


transmarine

 空が青い。
 眼差しを天へと向ければ、視線を果てなく吸い込んで雲一つない青空にぽつりと、手で丸く裂いた和紙のような白い月が、輪郭を背景に滲ませて張り付いている。
 唯一の視点となる月の姿を見つめ、久喜坂咲は無意識に口元を引き結んだ。
 星すら伴わない寂しげな月。
 なれども紛う事なき夜天の主、それと同じ名のみを想いの縁として咲に遺した青年の姿が月に重なり、湧き上がりそうになる涙を堪える。
 自分勝手な悲しみに彼の想い出を浸してはいけない…自分の笑顔を覚えていて欲しい、既に届かぬ願いだが自ら曇らせては決して届く事がないように思えて。
 だが、別離から日一日と時を重ねる毎、記憶に鮮やかでも確実に遠のく時間は忘れまいとすればするほどに、両手に掬った砂の如くに零れていく気がする。
 穏やかな日常の優しさがまるで癒すように、彼が居ない事実を、咲の、傍らに空いた一人分の欠落を埋めてしまう。
 例えば夜の街、道端で売っている銀細工、黒いコートの後ろ姿に、日常の何気なさの紛れて不意に気付く空虚。
 咲はそれを実感する度、空を見上げて月を探すのが常となっていた…それは涙を零さぬ為の仕草でもある。
「咲ちゃん♪」
その視界を、不意の人影が黒く視界を遮った。
「ピ……廉」
一つ瞬きに滲む涙を誤魔化せば、それは親友である所の母里廉である。
 思案から現実に引き戻されて、自分が教室に居る事を思い出す。
「そう、俺♪」
肯定して廉は咲の前の席の椅子を引くと、背もたれを抱える形で座り込んだ。
「咲ちゃん、ツアーパックなんか興味ある?」
「ツアー……って旅行?」
咲の答えに廉は大きく頷く。
「日帰りなんだけどさ、格安のツアーがあるんだよ、行かない?」
唐突な誘いは珍しい物で、咲は興味を引かれる。
「どんなの?」
咲の言に我が意を得たとばかりに、廉は笑顔を浮かべた。
「歴史の街鎌倉を探索しませんか? 交通費込み、食事付、添乗員付、名所旧跡の見学はツアー参加者のご意見重視、面倒なチケット購入や重たいお荷物は添乗員にお任せ下さい、最少催行人数1名様より、お申し込みは今すぐ♪」
滔々と流れるような口上で、廉は親指でビシリと自分の胸を示した。
「お値段は採算度外視、今回は無料となっております♪ これを機会に是非、母里ツーリストをご利用下さい♪」
咲は一瞬きょとんとしたが、茶目っ気たっぷりな廉の誘いを解して笑みに変わる。
「……いいわね」
了承の意に廉の営業用スマイルが本気で嬉しく笑う。
「オススメの場所はあるの?」
微笑む咲に廉は大きく頷いた。
「海、行かない?」
真っ直ぐな誘いに咲が僅か、目を開いたのに気付かず廉は続ける。
「午前中は海で遊んで、午後から駅の方でお昼にしよう。ちゃんと調べて予約しとくから。午後は街をぶらついてー」
意外にザルなツアー計画を露呈する母里ツーリスト…その上なんとなく語呂が悪い。
 最も乗り気な本人はそんな些事を気にかけるつもりはないのか、最終確認に身を乗り出す。
「何時がいい? 今度の週末なんかど……」
「今からというのはどうだ?」
廉の言を妨げて、二人の頭上から声が降る。
「無料か……それは是非参加しないとな」
「庚矢……」
不味い相手に見つかったと渋い顔をする廉に、しかも大分前から会話を聞いていたと思しき言で、塚原庚矢は廉に不敵な笑みを見せた。
 庚矢と廉は咲に寄せる想いを親友という言葉で位置づける事で、互いに牽制するかのような体裁をこそ保っている…抜け駆けありの宣言をしたのは廉だが、それを阻むようでいて結局は三人一緒になってしまう、何処かゲームめいた駆け引きの応酬は、適度な緊張感とさり気ない妥協とが絶妙な均衡を保っている…が、咲自身が庚矢、廉の想いに全く気付いていない為、ささやかな緊張は男性陣の間でのに交わされるのが現状か。
「でも今からってホラまだ授業も残ってるしさ。庚矢今週末は予定が入ってるって言ってたじゃん。イヤ一緒したかったんだけど残念だなー」
空々しい廉の牽制だが、それを無にしたのはあろう事か咲である。
「庚矢が週末忙しいなら、今から行きましょうよ」
鶴の一声だが、まだ二人でデートの目論見を諦めきれてない廉はうるうると咲を見た。
「それにゴメンね。私も週末、後輩と小道具を見に行くって約束してるの」
「だ、そうだ。今から鎌倉まで最速の交通手段を提示して貰おうか、母里ツーリスト添乗員」
廉はがっくりと項垂れて、寄る辺のない悲しみを己の不運に向けた。


 添乗員……基、廉はしっかり三人分の交通費が消費された財布の中身に、思わず溜息をついた。
「ホラ」
その眼前に暖かい缶コーヒーを差し出されて思わず受け取れば、ニヤと笑う口元が告げる「十一な」との暴利な利子に、もしかして奢りかも、いう淡い期待が粉々になる。
 だが、その嘆きは眼前の風景に瞬く間、氷解する。
 春の声はまだ遠く海水も冷たかろうに、咲は素足で波打ち際に遊ぶ。
 隠居よろしく砂浜に腰を下ろした男二人、廉は預かった靴と靴下を脇に、庚矢は咲の為の缶紅茶を懐に童心に返って波とおいかけごっこをする咲を見つめる。
「いい気分転換になったかな」
廉がぽつりと零した言に庚矢が眉を上げた。
「お前も気付いてたのか」
「当ったり前だろ」
遠くを見つめる眼差しは泣きそうに、そしてそれを堪えて表情のない、咲の姿。
 周囲に人の絶えぬ咲である。時間こそ短いが、彼女が一人になった時にの表情に気付いたのは庚矢も廉も最近の事だ。
 人の中で不意の時にそれだ…気丈な咲の事だ理由を問うても話すまいが、果たして夜間、一人の折にずっとそんな風に何かを堪えて耐えているのではと、思うだけで心が波立つ。
「庚矢ーッ、廉ーッ!」
両手をメガホンに、咲が二人の名を呼ぶ。
「冷たいけど気持ちいいわよー」
珍しく、子供のように大きな声を上げての誘い……だが、男二人は身を震わせて固辞した。
「寒いからヤだ」
「御免被る」
白波を立てて打ち寄せる波、その深い青は美しくはあるがやはり冬の寒色だ。
「もう……ッ」
不満の声を上げながらも、咲の声には楽しげな色が混じっていてほっとする。
 和やかな空気を波音が彩る…廉が声を固くして庚矢に呼び掛けた。
「おい、庚矢」
名を呼ばれると同時、庚矢は腰を浮かせる。
 ふ、と動きを止めた咲が天を見上げている……その先には、夕に近い陽の朱を受けて輝く月の姿。遠目に伺えないが、またあの表情を浮かべているのではと案じる気持ちに靴のまま海に突っ込んで行きそうな両者だったが。
 咲はすいと両手を天に、月に延べた。
 緩やかな腕の動き、体重の移行は砂の上を滑って寄せて、引く、潮騒に合わせるかのような……静かな舞。
 それは鎮魂の。
 天と地に眠る魂の安寧を祈る為の。
 悼むそれではなく、ただ幸せであれと願いを込めて舞う咲は、穏やかで幸せそうで。
 庚矢と廉は、黙して再び砂の上に腰を落とした。
 咲の舞に魅入るように、咲の姿を見守るように。
 たった二人の観客と、海という広大な囃子方は、その静かな舞が終るまで彼女を見つめ続けていた。


 時節を外れて寒風に晒された身体を暖める目的で、三人で夕食に鍋料理をつついてからの帰途である。
 最も廉のみ、身は暖まったが懐の寒さは増したようだが。
 俄幹事に支払いを済ませる間、先に店外に出ていた庚矢と咲が声をかける。
「美味かったぞ」
「ご馳走様♪」
とのご機嫌な咲の謝意に僅かな心の灯火に暖を求める廉である。
「お前、自分のメシ代くらい自分で払えよ」
「食事代込みのツアーなんだろ?」
「昼食代だけだっての!」
並び立って小声で交わす会話が聞こえた訳ではなかろうが、先を行く咲がくるりと振り向いた。
 思わず身構える二人に、咲はタタタと足音も軽く駆け寄ると、両者の間に突っ込む形で庚矢の右を自分の左で、そして廉の左を自分の右の腕で組む。
「有難う」
伏せた横顔に緩やかに波打つ茶の髪がかかる。
「……心配してくれて」
本当は、二人の気遣いを理解していた……何も聞かずに心を寄せて、何も言わずに励ましてくれて、それは自分がいつか彼に。月の名を持つ青年にしてあげたかった事。
 自らの身に寄せられて、それはこんなに嬉しい事だったのだと気が付く。
 鎮魂の舞は海の果て、青年が生まれ育ち、彼の魂が戻るだろう地へと向け……今でも添う心は変わらずに身の内にある。
「こういうのは弱いのよっ」
照れに怒ったような声になったが、髪を撫でる手は全く同時に左右から延ばされた。
「観念して泣く気になったか?」
くしゃりと髪をかき混ぜるようにぶっきらぼうに。
「泣きたい時は泣いちゃった方が気持ちいいよ」
髪の流れに沿って優しく宥めるように。
 咲は伏せていた顔を上げた。
 見上げる視線の先には月。
 煌々とした輝きを眼差しのように注ぐ月に、咲は一度口元を引き結ぶと、それを笑みの形で綻ばせた。
「私……幸せよ」
瞬きに、涙が頬を伝う。
 笑っていても、怒っていても、泣いていても……咲は、幸せなのだと。
 きっとこれからも、日常の欠落に、彼の姿を探す。
 求めるのみのそれでなく、胸を張って告げる為だ。
 心寄せる友が居る限り、貴方の記憶を抱く限り。否、いつか全ての時間が両手からこぼれ落ちて消えてしまっても、いつか必ず、どんな形でも彼を見つけた時、初めて出会った時のように自信を持って告げよう。
 自分は、幸せだと。
 きっと彼ならば満足げに笑うだろう。
「良かったな、咲」
「良かったね、咲ちゃん」
両脇で声を重ねた彼等と同じように。