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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ファイブ・コンプレックス

 家の柱に付けられた二つずつの傷をそっとなぞりながら、守崎・啓斗(もりさき けいと)は小さく溜息をつく。
「やはり、少しずつ来ているな……」
 緑の目でじっと見つめ、啓斗はゆっくりと上の方に続いていく傷を確かめていく。
「……ここまでは同じだったんだが」
 途中の時点でぴたりと手を止める。そして、再びまた一つ溜息をついてからその次に傷をつけられた場所へと視線を動かす。
「ここだ……ここだな!」
 啓斗は忌々しそうにその次の傷をなぞる。ほんのちょっぴりだけ、傷がずれてしまった場所だ。
「この時、先に気付いたのが俺で本当に良かった」
 ぽつり、と啓斗は呟く。
「この時から、少しずつ差が出来ていたんだな。……やはり、この次の年から傷をつけなくて正解だったな」
 啓斗はそう言い、こっくりと頷いた。毎年恒例であった、背比べ。それをいち早く止めたのは啓斗だった。
 啓斗と同じ茶色の髪を持った、だが目の色が青である双子の弟の守崎・北斗(もりさき ほくと)は、毎年恒例行事として背比べをしようとした。だが、啓斗は北斗に対して効果てき面の対策をもってそれを回避した。その名も『ちまき大作戦』である。
(あれは、完璧な作戦だったな。今まで様々な作戦を考えてきたが、あんなに万全な作戦は中々無かったな)
 啓斗はこっくりと頷き、自画自賛する。食欲旺盛な、守崎家の赤字まっしぐらな原因を作り上げた北斗に対し、抜群の効果をもたらした作戦であったと思いながら。
(しかし……北斗の奴め。あんなに一気に身長が育たなくてもいいものを)
 柱に付けられている傷を見つめ、啓斗はぐっと拳を握る。傷のずれが生じたその翌年は、啓斗の仕掛けた『ちまき大作戦』で傷はつけられていない。だが、啓斗は気付いていた。微妙だったその差が、一センチから三センチ程度の差になっていることに。
(恐ろしい事に、その差が開いていっていたんだよな)
 それは啓斗にとっては屈辱の事実であった。兄である自分よりも、弟である北斗の方が身長が高いなど。
 しかし、一センチから三センチ程度の差ならば、まだちょっと見ただけでは差が分からない。つまりは、今のうちに何かしらの対処をすれば、差が開いているようには見えないのだ。
(……何か、いい策は無いか?)
 啓斗は柱の傷をじっと見つめ、考え込む。ぴんと姿勢を良くしていればいいだろうかと考えるが、それは北斗も同様に姿勢を良くした時点で失敗へと変わるのだ。
(つまりは……ぱっと見て、俺と北斗の身長差が無いように見えればいいわけだ)
 差がついている身長差が、万が一北斗と隣り合わせで立ったとしても分からなければいいのだ。啓斗は家の中を見回し、物干し竿にふと目が行く。
(ぶら下がって胴を伸ばす……は、ちょっと)
 一瞬出た考えを、頭を振って却下する。大体、胴が長くなったとしても何の利益も無さそうだ。胴が長くて足が短いというのは、どうにも格好が悪い。
「どうせなら、足が伸びれば良いんだ」
 ぽつりと啓斗は呟き、そしてはっとする。
「そうだ、足が伸びれば良いんだ!……俺はどうしてこんな簡単な事に気付かなかったんだ?」
 啓斗は手をわなわなとしながら呟き、自らを落ち着けるようにゆっくりと息を吐き出す。
(いや、待て。逆に今気付いたというのは、大きな収穫だ。何しろ、今現在北斗は出かけているんだからな)
 北斗は遊びに出ていた。啓斗が家にいて、身長差で悩んでいるとも知らずに。
「……そう、つまり今はチャンスだ。絶好の機会だ」
 啓斗はそう言いながらぐっと拳を握り締め、玄関へと向かう。外へ遊びに行ってしまっている北斗の靴は無く、ただ家にいる啓斗の靴だけが揃えておいてあった。
(……よし)
 心の中でぐっと拳を握り締め、啓斗はそっと手を伸ばす。北斗との差を埋める為に。


 北斗は不思議に思っていた。自室で仁王立ちをし、うーんと唸りながら。
(……ええと)
 それは、微弱すぎる違和感。何がどう違うのかといわれると、一瞬答えに詰まってしまうほど。
(何か、変じゃねぇ?)
 はっきりとは分からないが、何かしらの違和感があった。それは兄である啓斗と一緒に出かけ、家に帰ってきてから感じたのだ。
(兄貴が変とかそう言うんじゃなくて……何かこう……違和感が)
 変な違和感がある。それしか言えなかった。
(ええと、落ち着いて考えるか)
 北斗は息を吐き出し、その場に座り込む。何故か正座をして。
(今日は俺が外に遊びに出ていて、兄貴は家にいたんだよな)
 その時には違和感などなかった。ほんの一ミリでさえも。
(で、俺が帰ろうとしたらたまたま兄貴が買い物に出ていて。荷物持たされて)
 荷物を問答無用で手渡され、一緒に帰った。その時にも特に引っ掛かる所は無かった。否、持たされた荷物の所為で何も気付かなかったとも言えるが。
(そして家に帰って。俺が玄関に上がる前に、一足先に上がった兄貴が荷物を持ってくれて……)
 そこで北斗ははっとする。
「兄貴の優しさか?」
 ぽつりと呟き、いやいや、と首を振る。
(別に、今に始まった事じゃねーし。今までだって、たまに玄関に先に上がってたら荷物をとってくれてたし)
 それは違う、と北斗は唸る。
(んで、玄関にあがったんだよな……兄貴の後ろを歩きながら)
 北斗ははっとする。
「そうだ、その時に感じたんだ」
 何かがおかしいと、その瞬間に。だが、特に変なところは何もない。兄に関しても、自分に関しても。ほぼ毎日繰り返しているような出来事ばかりだ。極々自然で、普遍的な日常。どこにも違和感を得る所は無い。
(……何でだ?)
 再び北斗は考え込む。違和感の原因が何処にあるかを知るために。
(どこだ……どこで俺は兄貴の違和感に気付いたんだ?)
 北斗が悩んでいると、炊事場の方から啓斗の声が聞こえてきた。北斗は小さく溜息をつき、そちらへと向かう。
「北斗、これをそっちに運んでくれ」
「……お、今日は肉じゃがじゃん」
 北斗は大皿に盛られた大量の肉じゃがを見て、にやりと笑う。そしてそっと手を伸ばす。芋の一つくらいなくなっても分からないであろうから。
「北斗、つまみ食いはやめろよ」
 啓斗の制止が入り、北斗はぴくりと手を止めた。が、既に手には芋がつままれている。
(不可抗力不可抗力)
 北斗は心の中で自分に言い聞かせ、口に運ぶ。想像どおりの程よい出汁の味と、ほくほくしたじゃがいもの味が口一杯に広がっていった。
(あーうめー!)
 北斗がぐっと噛み締めていると、後頭部をぺしりと叩かれる。振り返ると、そこにはほうれん草のおひたしが盛られた皿を持っている啓斗の姿があった。
「するなと言っただろう」
「……ごめんなさい」
 北斗が素直に謝ると、啓斗はこっくりと頷いて皿をちゃぶ台に置いた。そして再び夕飯をちゃぶ台に運ぶ為に炊事場へと向かう。
(……え?)
 北斗はそこで気付く。危うく肉じゃがの入った大皿を落としそうになりながら。
(兄貴……身長……!)
 帰り道で会った時と、今とでは微妙に目線の高さが違うのだ。外で会った時はもう少し上のほうに目線があった筈だ。それが今、先程よりも微妙に下の位置になっている。
(何でだ……?どうやって……)
 北斗は大皿をちゃぶ台に置き、そのまま座り込んで考え込む。そしてふと柱へと目が行く。毎年背比べをし、傷をつけていた柱だ。傷を上へ上へと目で追って行くと、途中で終わってしまっていた。
(そうだ……!あの時、兄貴の様子がちょっと変だった。傷を何度も確認するみたいにさ……)
 北斗は思い返す。その時、確か啓斗は小さく「馬鹿な」と呟き、大きな溜息をついていたのだ。そして、次の年には背比べの傷をつけることを忘れてしまっていた。否、北斗はつけないのかと尋ねたが、気付くと啓斗の持ってきた、ちまきによってうやむやになってしまっていたのだ。
(……まさか、兄貴……!)
 北斗は薄々気付いていた。自分が啓斗の身長を凌駕しているという事を。そして、それは年々差が開いて言っているという事を。
「どうしたんだ?北斗。食べないのか?」
 啓斗の声に、北斗ははっとする。気付けば、ちゃぶ台の上にはちゃんと夕食の用意が完了してしまっていた。
「……ごめんなさい」
「え?」
 不思議なところで北斗が謝った。その事に軽く首を傾げつつも、啓斗は気にせずに「いただきます」と言って箸を動かし始めた。
(そうだ……あとで確認すりゃいいじゃん)
 北斗はそう自分で結論付け、箸を手に取った。再びあの肉じゃがの味を堪能する為に。


 北斗は思う。思えば、あの時すぐに確認しておけば良かったのではと。
(でもなー……夕飯で忘れてしまったんだよなぁ)
 北斗は溜息をつく。どうやら、自分は食事をするといろいろな思考が飛んでしまうらしい。
(だけど……これは明らか……だよなぁ)
 あの頃気付いた違和感は、今、時を経て妙な納得を引き起こしていた。玄関に置いてあった啓斗の靴は、妙に底が厚かった。手で大体の長さを測ると、約五センチほどはあった。つまりは、五センチの上げ底。
(兄貴……)
 北斗はぐっと目頭を抑える。同じような靴が並んでいるのに、乱雑に脱ぎ捨てられた北斗の靴は普通で、きちんと揃えておいてある啓斗の靴は、底が厚い。
(そんなに気にしていたんだな……)
 そして、思いはそこで留まらない。
「北斗、どうした?」
「あー……何でもねー」
 北斗は慌てて啓斗の元に行く。啓斗に頼まれ、玄関に置いてある傘を届けるのだ。なんでも、ちょっとだけ壊れたから直すのだとか。
(問題は、更に有るんだよなぁ)
 北斗は傘を握り締めながら啓斗の元に辿り着く。啓斗は「これだこれだ」と言って北斗から傘を受けとる。二人並ぶと、嫌でも北斗には分かる。
(兄貴……もうすでに八センチくらいは差があるんだぜ……?)
 三センチ程度だった身長差は、すでに八センチにもなっていた。これでは、外では三センチ程度の違いにしか分からなくても、靴を脱いで家に入れば丸分かりである。
(でも……絶対気付いてないって思ってるよ、兄貴!)
 そんなにも明らかに分かる差があるというのに、啓斗は全くそれを表には出さなかった。おそらく、北斗が気付いていないと思っているのだ。自分達には三センチ程度の違いしかないのだと、思わせることに成功していると思っているのだ。
(気付かない訳が無いのにな……)
 じっと北斗は啓斗を見つめる。それに啓斗が気付いて「ん?」と尋ねた。北斗は慌てて首を振る。
「い、いや別に……」
「そうか」
 啓斗はそう言うと、座って作業を始めた。北斗は小さく溜息をつき、啓斗の傍にちょこんと座った。
(スリッパとか買ってみたらどうなるかな?)
 北斗はふと考える。啓斗はスリッパも上げ底をするだろうか。そうすれば、外でも家の中でも差が少ない。
 上げ底スリッパを家で履き、上げ底靴を外で履く。
 北斗はそう想像し、思わずぷっと吹き出す。啓斗が今度は訝しげに北斗を見つめる。
「いやいや、思い出し笑い思い出し笑い」
 北斗はひらひらと手を振って誤魔化す。啓斗は首を傾げつつも再び傘を直し始めた。
(俺、気付いてるって言ったら、兄貴はショックを受けるんだろうなぁ)
 北斗はふと思い、思わず「くくく」と笑う。啓斗は「また思い出し笑いか」と呟きながら溜息をつく。知られていない情報を、知られているとも知らずに。酷く滑稽で、酷くおかしく、少しだけ悲しくなる。
 北斗は少しだけ、実際にどうなるかを知る為に、スリッパの購入を考えるのであった。

<身長差を互いに気にしながら・了>