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木琴
木で出来ているはずなのに、その動きはひどく重く、たちまち、ずうんと圧し掛かる。
ころりころりと笑い声。
そうして、幾人目かの犠牲者の悲鳴が、夜の闇にのまれていった。糸を引く血潮が、アスファルトに血なまぐさい証拠を残す。
ここで殺戮が行われたという証拠を。
その血潮を除いてしまえば、そこに残っているのは、犠牲者の右手首だけだった。
『ひっさしぶりやなぁ、悠姫ぃ。どうしたん?』
「単刀直入に言うけど、ちょっと手伝ってほしいの」
手元には、新聞・雑誌の切り抜きと、プリントアウトされたネット情報。それと、よく手入れされたH&K・USP1丁。
風間悠姫の話し相手は、電話線の向こう側で一瞬押し黙った。飲み屋に勤める関西人たる、友峨谷涼香が突然押し黙るのには、よほどのわけがある。
「……都合でも悪い?」
『あのなぁ、悠姫、あんたから何か要請あったときな、大っ抵ロクなことにならへんねん』
「失礼ね、私は疫病神?」
『そうは言わんよ。ただ、まあ……』
「殺人事件の調査よ。猫探しじゃないの」
『あ、そうなん』
「『あ、そうなん』って、また失礼ね……。年がら年中猫探しとか犬探ししてるわけじゃないったら。知ってるでしょ? ……昨日、裏原で起きた――」
『ああ……』
ひらり、と悠姫は情報のひとつを手に取った。紙は白いが、羅列された文を目で追えば、次第に視界は赤く染まる。――ような、錯覚を覚える内容のものが、つらつらと書き連ねられていた。どの紙片にある内容も、同じようなものだ。
夏の終わりから始まった通り魔事件――いや、すでにどこのメディアも連続殺人事件と報じているが――それの犠牲者はすでに、メディアによって統計が変動するくらいに頻発していた。このままでは、東京に戒厳令が下りるのではないか。
犠牲者は女性が圧倒的に多かった。男性が標的になるのは、女性連れで、女性を助けようと奮闘したときくらいのものだ。
「どう? あちこちから依頼も来てるし、私もこのまま放っておくつもりないし」
『せやなぁ。うちの店も、夜んなったらぱったり客足遠のいてん』
「……あなたの店、夜がすべてじゃないの」
『そうや。参ってんの。……利害の一致ってえやつやね。わかった、今からそっち行くわ』
「仕事は?」
『あんたタイミングええわ。今日、休みやってん。あーあ』
「何なの、その溜息」
ころりころりと笑い声。
少女が――いや、おんなが振り返る。
黄昏どきの中で、女の目は紅く、妖艶に、禍々しく光り輝いていた。その目は、黄昏の薄闇をも引き裂いた。……暗闇の中から、何かが恐ろしい勢いでしのびよってきている。
そう、足音も立てずにかのものは走っているかのよう。
だが確かに聞こえるのは、からんころんという木の音だ。
女は悲鳴も上げずに倒れた。ただ少しだけ驚いたようにその緋色の目を見開き、自分を押し飛ばしたものを凝視していた。
「あら、キミは――」
馬乗りになってきたものが、その腕を振り上げ、その鋭い爪をひらめかせているというのに、女は恐れる様相を見せない。ただ、別の驚きが女の顔にはあった。そうして、楽しげに微笑んでも見せたのだ。
「だめよ、私を食べても……」
その囁きが、銃声に遮られた。
ちゅいん、と銃弾が襲撃者の右手の中指を吹き飛ばす。わずかな血が飛び散り、倒れた女の白い頬を汚した。血はどす黒く腐ったものだった。
いよいよ闇は深くなり、殺人鬼の顔かたちを覆い隠す。銃声はさらに続いた。弾丸はすべて命中していたが、殺人鬼は悲鳴も上げず、逃げ去っていった。
「……まさかとは思ってたけど、犯人は人外だったなんて」
硝煙と、かすかな血の匂いを帯びながら、白い髪の女が倒れた女に駆け寄った。犯人像の分析は、銃弾が確かに当たっていたことを目の当たりにしたからこそ導き出せたものなのだろう。
「大丈夫? 怪我はない?」
「ええ」
落とした不気味な人形を拾い、特に礼も言わずに立ち上がった女は、女性ですら息を呑むほどの美貌であった。年のころは13、4の少女のはずだが、「おんな」しか持ち得ない色香がある。
そうして、その美を目の当たりにしても、別の意味で息を呑んだものがあった。
「――あんた! 殺!」
そう声を上げた女は、殺気もあらわに、今しがた暴漢に襲われたばかりの美女に掴みかかった。
「ここで会うたが100年目やで!」
「あら、まだ何年しか経ってないはずよ」
「殺したる!」
「ち、ちょっと涼香! やめなさい! どうしちゃったのよ」
白い髪の女が、猛り狂う女と、くすくす嗤う女を引き離した。その力は、その細い腕から生まれたものとは思えないほどに強いものだった。
「涼香とは知り合いなのね」
「ええ」
「私、風間悠姫」
「……咎狩殺。あやめる、の『あや』」
白い髪の女は、物騒な名の女が、人間ではないことを知った。
その紅い目の輝きは、人間のものではなかったのだ。
白い髪の女の目もまた赤いのだが――。
「彼女は、私とおんなじものよ」
殺は微笑みながら、乱れた襟を正しながら、見たものをそのまま悠姫と涼香に伝えた。
「人形なの」
悠姫と涼香は顔を見合わせる。
悠姫が見た涼香の表情には、緊張と怒りがまだ残っていた。……涼香と殺の因縁については、いま追っている事件がひと段落してから聞いてもいいだろう。悠姫は冷静にそう判断して、殺に向き直った。
「オート・マータ?」
「彼女はね。でも私はちがう。もともと動かすためにつくられたものではないから」
腕の中の躯、いや人形を我が子のようにあやしながら、殺は淡々と答えた。
「誰が、一体……」
「それはわからない。彼女に聞いてみなくちゃ」
「言葉、通じんのか」
「まだ狂ってはいないようだったわ。でもいまはお腹が空いて気が立ってるみたい」
「食事するの?」
「ええ。ほら、見て」
殺は、自分の頬にはねた血糊を拭い取り、悠姫と涼香に見せた。
「血、肉、髪、骨。彼女は人間と同じで、食べなければ動けないの」
涼香が、あッと声を上げた。
いくつもの『仕事』の中に埋もれかけた、人形、血、肉、女という真相のかけら。殺の笑みとその笑い声が、記憶を抉り、引きずり出す。
「何か思い出した?」
悠姫は聡明だ。涼香の顔色とさの叫び声で、すぐに察しをつけた。
「前に――つい最近やわ、おんなじような人形、仕事で片付けた」
涼香はうつむき、眉をひそめた。
「まだおったんか」
「人形も人間もおんなじ、いくらだって殖えるわ。つくればいいんだもの」
「元を断つしかないのね」
「いまはとりあえず、世に出とるやつを始末する」
「私も、いく」
血痕をたどり始めた悠姫と涼香のあとを、からりころりと人形が追った。ついてくる殺を、涼香も悠姫も、そろって見下ろした。
「何でついてくんねん!」
「危ないわよ。一度襲われてるんだし」
「……悠姫、そういう心配はせんでええんよ」
「面白そうだもの」
殺は、くすりと微笑んだ。
「退屈してたから。退屈は、きらい。邪魔はしないわ。涼香の言うとおり、心配もいらない」
人形を撫でながら、殺は歩き出す。
悠姫と涼香よりも先に出て、彼女は転々としたどす黒い沁みをたどり始めていた。
その日の血痕は、大した手がかりにもならずに終わった。
血痕はやがて小さな公園の草むらに入ってしまい、そこで途切れたのだ。
相手は人形。それゆえに、気配は希薄。
どの周波数にも引っかからないままに、3人は標的を見失った。
襲われるのは女性で、犠牲者が残すのは身体の一部分、おびただしい量の血の痕。
犯人が現れるのは黄昏どきから深夜にかけて。
事件の目撃者がろくにいないのは、事件を目の当たりにするのが被害者と犯人だけだからだ。犯人以外に現場に居た者はみな死んでいるか、話が出来る状態ではなくなってしまっている。
何もかもが、涼香が危うく忘れかけていた事件と似通っていた。
涼香は思い出す。自分が打ち壊し、焼き尽くした人形は、どこかあの殺に似ていて、涼香の心と手の甲の傷を思い出させるしろものだった。
自分は人形と縁があるらしい。
ろくでもない腐れ縁だ。
「音が……きこえるわ」
涼香が、出来れば一分たりとも共には居たくないというから、殺はいま悠姫の事務所にいる。普段は、くすくすと笑いながら躯じみた人形を撫でているだけで、人畜無害な少女のようだ。
しかし、涼香から断片的な話をもらい、こうしてじっくり観察してみると、殺からはにじみ出るような狂気と禍々しさがあった。出来れば悠姫も、一分たりとも共には居たくなかった。いまは幸い、悠姫や涼香をたぶらかすことよりも、興味をそそるものがあるらしいのが幸いだ。
「音……きこえない?」
「私には、何とも」
「鉄砲の玉のお返しをしたいって、言ってるわ」
がたん、と悠姫は立ち上がった。
黄昏の窓の外で揺れたのは、人形の髪。
涼香が手にする紅蓮に怯えたか、殺の視線に戸惑ったのか、悠姫の銃口を恐れたか。
「悠姫! 大丈夫?!」
「いまそっちに行く!」
事務所を飛び出した悠姫は、白く動きやすい服装の涼香と、その手の紅蓮を見た。
「どっちに逃げた?」
「わからん!」
「あっち」
殺の、長い爪を生やした人差し指が、暗くなり始めた裏路地を指した。礼も言わず、涼香と悠姫は走り出す。
ふふ、と笑って、殺もふたりを追いかける――。
人形は、あるいは、合理的に動いているのかもしれない。
目撃者は残さないようにしているのだ。
事件を見て、なおかつ無傷で生き残った悠姫たちを、人形は見逃すことが出来なかったのかもしれない。もしかすると、そう動くように教えられていたのかもしれない。
確かなのは、人間も人形も、自然に発生はしないということだ。
つくったものが、確かに存在する。
――あんたの親ァ、誰やねん。
H&K・USPの銃口が火を噴いた。
走りながらの狙撃でも、弾丸は確かに、木で出来た膝を撃ちぬいた。人形はぐらりとよろめいたが、走るのをやめない。
「涼香! 『曲げて』!」
悠姫の声を受け、ぎらっ、と涼香の金眼がひらめいた。
20メートル先で、人形の両膝が一瞬あらぬ方向に曲がった。涼香はそれをみとめた瞬間に目を閉じた。この力は使うと疲れる。人形を転ばせるには、ほんの一瞬バランスを崩してやるだけで充分だった。
がらん、と人形が倒れた。
『お、なかが、すいた』
ぐるりと首を180度回転させて、人形はうつ伏せになったまま振り向いた。長い髪で、顔はすっかり隠れている。
だがその『顔』に、涼香ははっきりとした既視感を抱いた。その声にも、聞き覚えがあった。
悠姫が撃ちぬき、涼香が曲げた人形の両膝からは、血が流れ出している。どす黒く、悪臭を放つその血は、完全に腐っていた。
『お、んな。わた、し。お、んな』
ガラスの目が、涼香と悠姫をとらえる。
その小さな唇が、出し抜けにぱくりと耳まで裂けた。開いたあぎとには、びっしりと牙が植わっている。牙は研ぎ澄まされた檜で出来ていて、丁寧にニスが塗られていた。檜の牙には、茶色に染まった髪や、筋が絡みついていた。
喉の奥は、深淵である。
血と肉で汚れている。
ぱかぱかと顎は開閉し、血や肉を求めていた。人形はその手で上半身を起こす。首は、ある映画のあわれな少女か、あるいはフクロウのように、180度回転したままだ。
無言で、涼香が退魔刀・紅蓮を打ち下ろした。
ばぎゃっ、と人形の頭が砕け、赤黒い血が四散する。
悠姫は血飛沫に、目を細めた。彼女の中に流れる呪われし血統も、腐った血には興味を示さぬ。飛び散る同胞の血糊に、殺は同情すらしない。微笑み、腕の中の骸を撫でるのみ。
涼香は唸り声のようなものを上げると、矢継ぎ早に攻撃をお見舞いした。人形の頭部はそのうち潰れて無くなった。胸が開き、臓物が飛び散り、四肢がばらばらになっても、涼香は攻撃をやめなかった。殺の哄笑が、いつの間にか響きわたっていた。
「涼香! やめなさい! 涼香!」
もちろん、悠姫も黙って見ていたわけではない。
人形がいよいよ原型をとどめなくなったとき、悠姫の必死の制止で、ようやく涼香の動きはとまった。涼香は、腕も顔も胸も、何もかも赤黒く染まっていた。
「どうしたの? 仕事であなたがこんなに興奮するなんて! らしくないわ」
「……」
唇を噛み、黙りこんだ涼香は、やがて悠姫の腕を荒々しく振り払った。
そして、血濡れの姿のまま、夜の闇の中に駆け出していった。
「涼香――」
呆然と友人の背中を見送って、悠姫は人形の屍を見下ろす。
木で出来ているはずの人形は、どういうわけか、凄まじい勢いでぐすぐずと腐り始めていた。
周囲を見回してから初めて、悠姫は殺の姿が消えていることに気がついた。
人形たちのかりそめの思惑は、腐り落ちて、なくなってしまった。
ころりころりと、笑い声――。
<了>
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