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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


 求めた久遠の結末

 夜の帳も完全に下りた頃、古ぼけたランプの灯り一つを頼りに、店の主・蓮はカウンターで大儀そうに分厚いファイルをめくっていた。
「さあて、そろそろ店を閉めるかねえ」
 蓮は一人呟くと、ファイルを閉じ立ち上がった。と、唯一の光源であったランプの灯がちらちらと点滅し、ついには消えてしまう。もともと薄暗かった店内に、たちまち漆黒の闇が立ち込める。
「ああもう、ついてないねえ」
 ぼやいた直後、蓮は何かに服の裾を引かれるのを感じた。ふう、と蓮はため息をつく。
「……またあんたかい」
 振り向いた蓮の目が捉えたのは、青白い、華奢な女の片腕だった。蓮の服を掴んだそれは、壁にかけられた繊細な細工の施された古めかしい鏡から伸びている。
 蓮がそのままじっとしていると、すがるように袖を掴んでいた指の力が抜け、腕は呑まれるように鏡の中へ消えていった。蓮は鏡を覗き込む。
 そこに映ったのは、赤い髪と黒の瞳を持ったアンティークショップ・レンの女主人の姿――ではなかった。青ざめた肌にゆるく波打つ黒髪……瞳だけは蓮と同色の、女とも子どもともつかぬ年頃の少女が、何かを訴えるような眼差しで蓮を見つめている。
 鏡の中の少女が、薄い唇を開く。蓮は首を振った。
「あたしにあんたの声は聴こえないんだ。相性ってもんがあるんだろうねえ」
 それでも少女の唇は動き続ける。長い睫毛に縁取られた少女の目は、またたくたびに哀しみの色を増していった。
 蓮は鏡にそっと手をやった。
「誰か、あんたの声を聞ける奴が現れるといいんだけどねえ……」


                    *


 入り口に取りつけられた鐘の鳴る音と共に、開かれた扉から真昼の白い光が入り込み、外気が店内のこもった空気をかき混ぜた。
「こんにちは」
 そう言って店内に足を踏み入れたのは、細身の体を上質のスーツで包んだ一人の美しい男だった。銀の髪が外からの光を受け淡く輝く。
 セレスティ・カーニンンガム。財閥・リンスターの総帥にして占い師、また、長き時を生きる水霊使いでもある。
「ああ、いらっしゃい」
 セレスティはステッキを使いながら、ゆっくりと蓮の方へ歩を進める。その深い青の瞳には、柔らかな光が宿っている。
 と、その視線が蓮を外れ、一点に集中する。
「蓮さん、それは?」
 蓮が男の視線を追って体をねじる。壁にかけられた、例の鏡だ。
「随分前に仕入れたモンだけどね。しばらくぶりに出したのさ」
「見せていただけますか。その中にいらっしゃる方に、興味があります」
「あんた、見えるのかい?」
 蓮の言葉に、セレスティは空いた片手を目にやった。
「私はこの視力ですからね……見えると言いますか、存在を感じ取ることは出来ます」
 彼の目は光を感じられる程度のごく弱い視力しか持たない。しかし彼自身の鋭い感覚により、彼の日常生活は確固として支えられていた。
 セレスティが隅に置かれた椅子に腰かけ、ステッキを壁に立てかける。蓮は鏡を外し、彼に持っていった。
「見事な細工ですね」
 受け取った鏡の縁に手を滑らせ、セレスティが言う。
「人によってはその娘のことは全く見えないんだよ。かくいうあたしも時折しか見えないのさ」
 ただ時には鏡の中から腕が伸びてくることもある、と蓮は補足する。
「何かを必死で訴えてるんだよ。残念ながらあたしにはそれが聞こえないけどね」
 蓮は話したいだけ話すと、「奥にいるから店を頼むよ」と店の奥へ姿を消した。


                    *


「さて……」
 一人になった店内で、セレスティは形の良い唇をゆっくりと開いた。
「私の声が聞こえますか?」
 セレスティは鏡に向かって問いかけた。今の状態では、セレスティには存在を感じることは出来てもそれ以上のことは分からなかった。ただ、蓮の先ほどの口ぶりから、今鏡には蓮の言った「娘」は映っていないのだろうと推測された。
 半ば予想していた通り、返答は返ってこない。鏡の様子にも変化はなかった。しばらく待ってみたところで、セレスティは通常の会話を諦める。
 縁に添えていた右手を、そっと鏡の表面に添えた。

『ごめんなさい、ごめんなさい……!』

 脳裏に響いた声にセレスティは反射的に振り返り、遅れて自分が暗闇の中に立っていることに気がついた。その闇の先には、柔らかく広がる艶やかな黒髪の先端を影に溶かした少女の姿が浮かび上がっている。少女の纏う、年代を感じさせるチャコールのドレスは地味ではあるが遠目にも質は良く、袖先から伸びる華奢な手首の白さを引き立てていた。
 その両手は顔に当てられ、少女の顔は隠されている。
 セレスティはその様子を、はっきりと見ることが出来た。
 ――――そう、見えている。
 それにより、セレスティは己の自覚する状況が、意識の働きによるものだと理解した。ステッキなしに立っていても、まったく負担を感じない。
 少女の嘆きは続く。
「私のせい……私のせいであの人は……」
「あの人、とは?」
 セレスティは慎重に言葉を挟んだ。少女の喉が小さく息を呑み、両手がそろそろと顔から外される。揺れる黒の瞳や薄い唇が、色をなくした顔の上に現れた。
「わた…私の声が聞こえるの?」
 セレスティは頷き、一歩、少女のほうへ歩み寄った。
 少女が体を強張らせる。セレスティは少女の顔を意識的に見つめながら、ゆっくりと微笑んだ。彼は、自分の容貌がもたらす効果を熟知していた。
 少女の頬から強張りが抜ける。
「何を、嘆いているのですか?」
 セレスティが優しい口調で問いかける。
「私に出来ることなら何でもします。だから、話して頂けませんか?」
 少女は迷うように視線を彷徨わせたあと、胸の前で両手を強く握った。そして、決意したように一歩、また一歩とゆっくりセレスティとの距離を縮める。
 ようやくセレスティの前に立つと、少女は小さな声で言った。
「私の話を、聞いていただけますか……?」


 少女には幼い頃から大切に想う相手がいた。彼女は彼と共に生きることを望んでいたが、それがどんなに困難なことであるかを考えることは避けてきた。
 転機は少女が十四のときに訪れた。少女の屋敷で働いていた彼が職を辞され、街を出ることになったのだった。少女は連れて行ってほしいと言い募ったが、心の底ではそれが実現されることはないということをわかっていた。身分差や少女の嫁ぎ先が家の未来を左右するという理由だけではない、生まれつき病弱であった彼女の命は、家の財力により得らえる様々な薬と医者により保たれていた。彼は首を横に振った。
 しかし理性が感情を押さえ込むには、彼女はまだ子どもだった。少女は願いを口にせずにはいられなかったし、断られても諦めきることが出来なかった。
 そして少女は、家に古くから伝わる曰くつきの鏡を持ち出した。その家の女だけが使うことの出来るまじないを、少女は幼い頃に祖母から教えられていた。「大切なものを永遠にしたいとき、この家の女はこれを使うことが出来る。望むものを鏡の中に閉じ込めることが出来るんだ。だけど使うときは、それ相応の覚悟をしなくちゃならないよ。一度封じ込めてしまったものは、二度と戻ることはないんだから。永遠に鏡に閉じ込められる運命を与えることになるんだよ……」祖母の言葉を、少女は一語一句違えることなく覚えていた。
 とは言え、少女は祖母の言ったことを本気で信じていたわけではなかった。ただ、最後の我が侭のつもりだった。彼も少女の心情を汲み、二人はそのまじないを行った。
 しかし二人の予想に反して、少女の祖母の言葉に偽りは含まれていなかった。少女の体は消えうせ、あとには鏡だけが残された。男は非常に狼狽したが、ついには鏡を持って街を出た。少女はそれを、鏡の中からずっと見ていた。
 少女は嬉しかった。これで一生側にいられる。
 幸せだと、そう思った。


「……けれど彼は違いました」
 少女の視線が足元に落ち、その表情は翳りを増した。
「彼は、私を鏡の中に閉じ込めてしまったことを嘆き、自分を責めました。こんなところに閉じ込めてすまないと、毎日毎日繰り返しました」
 少女は顔を上げ、視線を闇の奥へ向けた。その瞳は何を捉えるでもなくただ揺れている。
「……苦しまないで欲しかった」
 少女の声がぽつりと闇に落ちた。
「私は幸せだったのだから、あの人が私のために苦しむことなんてなかった。けれどそれを伝えようにも、私の声は彼に届きませんでした。姿すら、彼には見ることが出来なかった」
 少女が微笑む。今にも壊れてしまいそうな儚さに、セレスティはそっと目を伏せた。
「そうして、彼は長い間苦しんで苦しんで……」
「そうして、亡くなったのですね」
 途切れた少女の言葉をセレスティが引き取る。少女の生まれた時代ははるか昔に過ぎ去り、その頃を生きていた人間はもう一人もいない。それは少女の格好一つからでも分かる、歴然とした事実だった。
 おそらく鏡は、彼の死後、長い年月を経てショップにたどり着いたのだろう。
「……彼の姿に、私はここから出ようと思い始めました。私がここにいることがそんなにも彼を苦しめるのなら、私は私から彼を解放してあげなくてはならないと思った。彼の肉体が失われてしまった今だって、私がここにいる限り魂は縛られ続けるでしょう」
「そこから出ることで、キミ自身が失われてしまうとしてもですか?」
 少女がセレスティに視線を戻す。セレスティは深い青の目で少女を見返した。
 セレスティの言葉は彼女の想いを試すという以上に、何よりも事実を有していた。一度まじないを身に受けた少女の存在はすでに、鏡という「場」の中でしか生きられないだろう。
「…っ」
 不意に少女の顔が歪む。しかしそれは、消滅への恐怖ではなかった。
 本当は、と少女がかすれた声を出す。その瞬間、セレスティは彼女の全身を覆っていた何かが剥がれ落ちたのを見たように思った。少女は自らを打つように両手を胸に押しつける。
 震える声をともなって、少女の言葉が溢れ出した。
「……本当は私、それでも幸せだったんです。彼のそばにいられることが。彼の心が私で占められていることが。彼が苦しんでいるのに、です。今も、幸せなんです。きっと彼は、肉体が失われても私への罪悪感に縛られている。私は永遠を、手に入れたんです。彼を犠牲に、自分の幸せを…!」
 少女が乱れた呼吸に肩で息をする。やがて少女の呼吸が落ち着くと、辺りの闇には雨の匂いのような静けさが広がった。
「だから」と呟き、少女は瞼を閉じた。その目から声を伴わぬ涙が流れ出す。
「だから、それは当然の罰なんです。いいえ、罰ですらない」
 セレスティは少女の顔を覗き込むように、僅かに首を傾けた。肩から零れた銀の髪が一瞬、闇に散らばる。
 セレスティは静かに口を開いた。
「……でも、苦しかったのでしょう」
 その言葉に、少女が目を見開く。乾いた唇が小さく動いた。
「そして今も苦しんでいる」
「いいえ……いいえ」
 認めたくない、とばかりに少女は懸命に首を振った。
「私は幸せなんです」
 穏やかな顔で、セレスティは頷いた。
「それも真実なのでしょう。けれどそれによってキミ自身もまた、苦しんでいる」
 セレスティは、その美しい顔に、暖かな笑みを浮かべた。
「あなただって、救われるべき魂なんですよ」
 少女は茫然とセレスティを見つめた。セレスティはその視線を受け、そっと瞬きをする。
 そして、少女を強く見据えた。
「……私には」
 セレスティの真剣な声音に、少女が息を止める。
「鏡の中に閉じ込められた君の運命を変えることが出来ます。キミがそれを望むのでしたら、私は力を貸しましょう」
 そう言うと、セレスティは少女に右手を差し伸べた。
 その手に惹かれたように、ゆっくりと少女の腕が伸ばされる。
 指と指が触れ合った瞬間、セレスティの意識はアンティークショップで椅子に座る自分の体に戻った。少女の手は鏡を抜け、セレスティの手の中にある。
 その華奢な手を掴み、セレスティは少女を鏡の外へと引き上げた。
 重みを全く感じさせない少女の体が鏡から生まれ出で、ドレスの裾がふわりと宙に舞う。
 次の瞬間、少女の体はガラスのように細かく砕け散った。
 破片はきらきらと輝き、絶え間なくセレスティに降り注ぐ。
 その光は、視力をほとんど持たないセレスティの目にも、確かに映った。


                    *


 コツリ、という足音に、セレスティは店の奥に顔を向けた。眉を顰めた蓮が、頭の埃を払いながら戻ってくる。セレスティは蓮の不機嫌な様子を察知して、小さく笑った。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れだよ」
「この鏡……」
 蓮がカウンターに座るのを待って、セレスティは話を続けた。
「買わせて頂きます。この装飾は中々見事なものですからね。珍しいデザインなので作られた時代などははっきりとは分かりませんが、そこも調べてみたいところですし」
 さらりと発せられたセレスティの言葉に、蓮はしばし動きを止め彼の顔をじっと見つめた。
「……あの娘は?」
「もう、この中にはいませんよ」
 セレスティはにっこりと笑い、それ以上の説明を省く。
 蓮は胡散臭そうな目を向けたが、思い直したように「まあ、いいか」と軽くため息をついた。
「何だか知らないけど、上手くやってくれたみたいだね」
 セレスティは穏やかな微笑を深くし、蓮の見えぬところで、そっと鏡の表面を撫でた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い

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■         ライター通信          ■
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 セレスティ・カーニンガム様

 初めまして、新人ライターの凍凪ちひろと申します。
 この度のご参加、本当にありがとうございました。
 そして、納品がぎりぎりになってしまったことをお詫びいたします。

 セレスティ様のご活躍は以前からよく拝見させて頂いておりましたので、発注を頂いたときには道端でうっかり有名人に遭遇してしまったかのように動転してしまいました(笑)。
 またどこかでお会いできれば幸いです。

 それでは、失礼致します。