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薬指下さい



オープニング


Side A 黒須誠


「田舎の…ヤンキー…ねぇ?」
 別に怪奇絡みという訳ではないのに、どうしても気乗りしないのは、目の前に座る男が胡散臭いという言葉を人の形にしたらこうなっちゃいました的な男だからなのだろうか。
 万年貧乏の分際ながらも武彦は、客相手とは思えない程に声に覇気がなかった。
「ああ。 如何にも!って、感じの女だ。 もう、『THE・ヤンキー! 目標は、北関東のお姫様!』みたいな…」
「はぁ…」
「好きな男のタイプは、勿論永ちゃんって感じの…」
「勿論…なんだ…」
「バイクの改造が趣味で、普段着は勿論ジャージ。 でも、キめる時は特攻服みたいな…」
「……今時、そんな娘本当にいるんですか?」
 まるで、昔のヤンキー漫画にでも出てきそうな、形容詞の数々に何故だかうっすらと頭痛を覚えつつも問い返せば、男は自信たっぷりに頷いた。
「一人称が、『あたい』だぞ? 凄いだろ」
そう言われて、思わず頷き返す。
今時、『あたい』。
もう、何がどう、凄いのか分からないが、とにかく凄い。
「で、年は幾つ位なんです」
そう言われて男は何故か、眉根を寄せると渋るような声で「聞いても、役に立たんというか、むしろ混乱するだけだと思うんだがな」と言いつつも、「確か、今年で18になったはずだ」と答えた。
18。
まだ、未成年だ。
そんな年若い娘を、どうして、自分よりも10は上だろうと思える年嵩の男が、探偵まで雇って捜そうとしているのか分からない。
(痴情の縺れか?)
年は、かなり離れているが、今の時代さして珍しい話でもない。
きな臭いとは感じるが、怪奇絡みでもなく、さして面倒そうでもない依頼だし、何より金欠男に断るという選択肢もなく(ま、いらぬ詮索は、止しとこうかね)と武彦は胸中で呟いた。
男が、首を傾げ「どうだ? 引き受けてくれるか?」と問うてくる。
 背中まである、女性ならば羨まずにはおれない程の綺麗な黒髪がシャラリと揺れるのを、何となく気持ちが悪いような視線で武彦は眺めた。
 例えば、この鴉の濡れ羽色ともいうべき見事な黒髪の持ち主が年頃の女性、それも妙齢の美女なんかであれば、武彦はもっと愛想が良くなったかもしれない。
 いや、妙齢でなくとも、美少女なりなんなり、持ち主として相応しい容姿をしていたならば違和感はそれ程感じなかっただろう。
 だが、応接間のソファーにどっしりと腰を下ろしているのは、間違いなく男性。
 それもいい年をぶっこいた、おっさんと呼ぶに差し支えない年齢の男性だったりする。
 差し出された名刺に書かれていた名は黒須誠。
 スッとナイフで切り裂いたような大きめの薄い唇を皮肉気に、人を小馬鹿にするかのように片頬だけ釣り上げた笑い方をする男で、喋りも達者ながらも、どこか口調が信用ならない。
オーソドックスなダークスーツ姿と、丸い小さな遮光眼鏡を掛けているのが尚、胡散臭さを増させており、何よりその眼鏡から覗く、蛇のようなとも言うべき、細く、どれほど口元は笑みを浮かべようとも決して緩む事のないつり上がった目つきが気に入らなかった。
 尖った顎と、痩けた頬が笑顔ですら大して良いとは言えない人相が、真顔になればどれ程嫌な顔つきになるのだろうと思わせる険しさを有しており、折角の美しい黒髪も、彼の胡散臭い空気を助長しているだけだった。
 雰囲気自体がどことなく、は虫類系の生き物を感じさせる湿った空気を発していて、ヒョロリとした細い体型も、軟体動物のような骨の無さを思わせる。
 クタリと首を傾げたまま、黒須は「とにかく、目立つ女だ。 すぐ見つかるだろうとは思う。 報酬はちゃんと支払うし、何なら前金として、半額今から渡したって良い。 とにかく、急いでるんだ。 今日中に動き始めて欲しい」と別段焦りのない声で言う。
武彦は、「分かりました。 お引き受け致します」と答えると、それからずっと疑問に思っていた問いを口にした。
「それにしても、興信所の職員まで雇って捜そうとするだなんて、その子何したんです?」
武彦の問いに、黒須は唯でさえ細い目を、底光りするような剣呑な光を宿してさらに細め、低い声で囁いた。
「その女が、大事なモンをかっぱらって逃げやがってな。 どうしても、モノを取り返さなきゃならねぇんだ。 どうしても…な」
その、ゾッとする程に不気味な表情に、何故か妙な吸引力を感じ、魅入られるような心地になりながら武彦は問いを重ねる。
「何を、盗まれたんです?」 
すると、黒須はぬめるようなニタリとした笑みを浮かべて、歌うように答えた。


「薬指さ」



本編



バイトのおきゅーりょーが入った。
そう胸中で呟き、ホクホクしながら、跳ねるような足取りで歩く。
嬉しい。
あんまり嬉しいので、お祝いに、美味しいコーヒーが飲みたいと思う。
とても良い香りのコーヒーが飲みたいと思う。
と、いう訳で、給料を貰ったのにも関わらず、シオン・レ・ハイは、零が淹れてくれた熱々の「無料」コーヒーを楽しむため、興信所へと向かっていた。


今日は、とても天気が良く、風も如何にも秋風という感じで、とても気持ちが良い。
こういう日々は、家なし…、まぁ有体に言えば、ホームレスにとっては大変ありがたい。
寒さに震える事も、暑さに茹だることもなく眠れるし、過ごせる。
お給料で、美味しいものでも食べちゃおうかなぁ?と考えていた時だった。
ドンと音を立てて、誰かとぶつかり、シオンはよろける。
ぼんやりしていた自分が悪いと「ごめんなさいっ! 大丈夫ですか?」と咄嗟に謝れば、相手も同じように「あ! すみませんっ!」と詫びてくる、右目に眼帯をした青年の顔が目に飛び込んできた。
「あれ? 封禍さん? …でしたよね?」
そう問えば、魏封禍も「うあ! シオンさん! お久しぶりです」と挨拶を返してくれる。
偶然だなぁと、ふにゃんと緩ませシオンが「うわぁ。 こんな所で会うなんて、奇遇ですねぇ」と、暢気な口調で言った。
「あれ? そういえば、鵺さんは?」
確か、銀髪の美少女、鬼丸鵺さんとはボディガードで、家庭教師で、婚約者だから、いつも一緒にいる筈なのに?と、首を傾げて問えば、ガクリと肩を落として「逃げられたんです」と封禍は落ち込んだ声で答える。
確か、前は、鵺に突き放されて、影からじっと見守っていたような気がするし、どうも、封禍ってば、エライ男前なのに報われない系なタイプらしい。
「ちょっとばかり、英語のテキストをするように言ったら、あっという間に目の前から消えちゃってて…」
そう愚痴られるものの、空を見上げ「まぁ、こぉんなに、良い天気ですしねぇ」とニパニパ笑いながら言った。
こんな日に、中学生の女の子が、家でじっと勉強をしているというのも、不健康だし、外に遊びに出れば良いとシオンなんかは考えてしまう。
「何処へ言ったかアテはあるんですか?」
そう、何の気も無しに問えば、「興信所に行ったんじゃないかな?って考えてるんですけど…」と、自分にとっても目的地である場所の名前をあげたので、「あ! 丁度良かった。 私も、良いバイトはないかな?って思って、興信所に行こうと考えていた所なんです。 ご一緒しても宜しいですか?」と問うた。
封禍が、一つ頷いてくれるのを見止め、「零ちゃんの淹れてくれたコーヒーv」と、鼻歌を歌いながらシオンは歩き始める。
そして、フト、隣に立つ封禍が中華料理を作らせたら天下一品の腕前をしている事を思い出したシオンは、「そーいえば、封禍さんの料理も、美味しかったんですよね〜〜v」と、夢見るように封禍に伝えた。
「でも、俺、中華だけですから。 得意って言えるの」と答えつつも、まんざらでもなさそうな封禍。
これを機会に、興信所辺りにでも点心なんか差し入れてくれたら、私も毎日興信所通っちゃうのになぁと、シオンは心中で呟いた。


見慣れてしまった興信所の階段を、封禍と並んで上る。
「零ちゃん、いてくれると良いなぁ…」と考えながら、そのドアを開ければ、そこには、シオンにとっては、まるで漫画の世界さながらの女性が一人立っていた。


此処最近住居としている公園の草むらに、先日落ちていた漫画の登場人物みたいだ。
真っ赤な特攻服の背中に、「唯我独尊」と金の刺繍がされている。
目に眩しいほどの金髪をポニーテールにし、特攻服と同じく赤いニッカポッカと、エンジニアブーツを履いた姿。
大きなバイクに跨ってれば、まさしく、あの漫画の主人公そのもので、きっと武器は鎖に違いないと、シオンは勝手に確信した。


「零―? お客さんだぜ?」
女が、呆然と玄関に並んで立つ、シオンと封禍の姿を認めて、興信所の奥に声を掛ける。
「あ、すいません! 今は、職員がちょっと留守にしていて…」と言いながら、パタパタと駆け出してきた零は二人の姿を目にすると、「わ! 天の助けですよ! 竜子さん」と、その女性に声を掛けた。

天の助けってどーいう事だろう?
だけど…いいなぁ…。
あの格好良いなぁ…。
私も着てみたいなぁ…。
シオンはうっとりと特攻服に見とれる。
竜子が、物言わず自分の服を眺め続けているシオンを不思議そうに見上げた。


口を利いてみれば、竜子は益々もって、今時珍しいとしか言えない位生粋のヤンキー娘だった。
「とにかく、その黒須誠って野郎は、ほんっっとぉにやべぇんだ! そいつに、アタイが盗んできたものを返す訳にはいかねぇんだ。 返しちまうと、とりかえしのつかねぇ事になっちまうんだ」
そう「あたい」口調で話す女の子など、今の日本にどれほど生息しているというのだろう?
殆ど、天然記念物な存在である。
だが、シオンとしては、そういう事もそうだが、竜子が一体何を盗んできたのかも気になって、「あの…参考までに、お尋ねしたいんですけど……、一体何を盗まれたんです? そんなヤバイお方に追われるという事は、結構高価なものや、大事なものだったんじゃないんですか?」と問いかける。
シオンの言葉に、竜子は、一瞬逡巡する様子を見せた後「お世話に…なるんだしな…」と小さく呟き、白いハンカチに包んだ何かを取り出した。
大切そうに、そのハンカチを三人の前で広げる。
「きゃ!」と、零が短く悲鳴をあげ、シオンもちょっと、驚いた。


指。


銀の指輪が嵌った細い薬指が、ハンカチの上に転がっている。
「…これが、誠からアタイが盗んだもの。 訳は詳しく話せねぇが、こいつが黒須のところにあると、マジでやべぇんだ。 この薬指の持ち主の意思に反する事が起こっちまう」
そう言いながら再び丁寧な手つきで、その指をハンカチで包む。
この単純きわまりなさそうな喋り方や態度からは想像できない様な複雑な事情を、竜子は抱えているのではないだろうか?と、シオンは考え込んでしまう。
「盗みはいけねぇことだ。 あたいの死んだお袋も言っていた。 人の道に反する事はしちゃいけねぇ。 それだって、あたいは自分の肝に銘じて生きてきた。 でも、今回ばっかりは、道を守るよりも大事な事を、守る為に、この指、誠に返せねぇ。 あんたらに迷惑掛ける気はさらさらないんだが……」と、竜子がそこまで言った時だった。



ぐぅぅ〜〜。



派手な音を立てて、竜子のお腹が鳴った。
三秒ほどの沈黙の後、今度はシオンのお腹がつられたように鳴ってしまう。
零が、「くくく…」と堪えきれないという風に笑い「そういえば、もう、お昼過ぎですね」と言った。
ペシャンと哀しそうな顔をして、竜子が「腹…減った…」と呟く。
シオンも同じような表情を見せ「私も、お腹空きました…」と言った。
そういえば、朝から何も食べてない。
確か、この興信所には小さな台所が設置してあったはず。
あの台所で、誰かが料理なんか作ってくれないかな〜〜と考え、そしてまるで、打ち合わせ済みであるかのように、零と同じタイミングで封禍を見る。
確か、零も封禍の絶品中華は口にした事のある人間である。
「封禍さんの作ってくれた炒飯美味しかったなぁ…」
「点心も、絶品でしたよね〜」
そうシオンと零がしみじみと言い合えば、竜子も「え? あんた、そんな料理美味いのか?」と言外の要望を滲ませた声で封禍に言う。
封禍は、しょうがないか…というような表情を見せ、「ふぅ」と溜息を吐くと「ちょっと待ってて下さい。 材料、買ってきますんで」と、腰を上げてくれた。



まさか、コーヒーをご馳走になりにきて、美味しい中華料理にありつけるとは思わなかった。
幸せの余り鼻歌を歌えば、竜子が「おっさん、なんかこどもみてぇ」と笑いかけてくる。
シオンは「そ〜ですよぉ? 美味しいものを食べれるって時には、私、子供に戻っちゃうんです」と笑顔で告げて零に、「でも、シオンさんって、いつでも子供みたいよね」と小さく呟かれていた。




「何かお手伝いできる事は?」
と申し出たのだが、台所が手狭だからと、断られた。
仕方がないので、テーブルの上を片付け、布巾で拭く。
次第に、良い匂いがし始めた興信所の空気を「くんくん」と鼻を鳴らして吸い込めば、竜子が耐え切れないという風に「うー、このままだと、腹減りすぎて死ぬぅぅ」と呻いた。
その口調を見るに、化粧が濃すぎて年齢不詳とはなっているが、どうも、かなり年若い子らしい。
そんな子が、「ヤバイ」男に追われてるだなんて、どう考えても物騒だ。
シオンは、ある意味竜子のおかげで昼食にご相伴させて貰える訳だしと、彼女をその黒須というヤバイ男から守ってあげる事を、随分気軽に心に決めた。


「う〜〜! 美味そうぅぅ〜!」
そう言いながら、竜子が嬉しげに料理を応接室にあるテーブルへと運ぶ。
「あんた、すごいな! 中華料理の店ででも働いてんのか?」と問われ、封禍が苦笑しながら首を振っていたので、シオンは「封禍さんは、ある女の子のナイトをなさっているんですよ?」と教えてあげた。
竜子は、かなり変わった説明であったというのに、シオンの言葉を極自然に受けめると、「そっか。 こんな美味い料理が作れるあんたに守られる女の子は、幸せだな」と笑った。
零が、チンジャオロースの大皿を運びながら、「私にも、そんなナイト、現れてくれるんでしょうか?」なんて、明るい声で言う。
竜子は「零は可愛いからな! きっと、いい奴が現れるさ!」と言った時だった。
零の携帯電話が、穏やかなピアノ曲の着信音を奏で始めた。
皿を机の上に置き、「一体、どなたからかしら?」と言いつつ、携帯を持ち上げる。
そしてはしゃいだような声で「あ! エマさんからだ」と言った。
シュライン・エマ。
興信所の事務員も勤める、有能で知的な美貌の女性翻訳家である。
それ程に恵まれた人物が、あのどうも、駄目男の気配すら感じられる武彦の恋人だというのだから、世の中おかしなものだと思うのだが、零がはしゃぐのも無理はない。
零は、エマの事を実の姉の如く慕っている。
シオンは、目をパチパチさせている竜子に「エマさんは、とっても頼りになる方なんですよ? 今の状況の相談に乗って貰ったら、きっと良いアイデアを下さいますよ」と説明した。
シオンの言葉を聞いたからではないだろうが零が、「エマさん! わ! 良かった、私からも連絡取ろうかとおもってたんです!」と喜びながら電話に出る。
何事があったのか問い返したらしいエマに、零はいつもの遠慮深さを見せ、「いえ、お電話くださったのはエマさんですから、どうぞ、エマさんから、ご用件の方お話下さい」先に、向こうの話を促した。
そういえば、この興信所に誰もいないという状況も珍しいものだ。
零や竜子も、誰かを頼るつもりで、興信所を訪れたのに、誰もいなくて大層弱ったと話していた。
屹度、何事か仕事の依頼があったのだろう。
零にも何か頼みごとがあるのか、「あ、私、興信所にいます。 帰ってきたら、誰もいなかったんで、びっくりしたんだけど…」と、答えている所をみると今何処に零がいるのかを尋ねているらしい。
台所から、海老餃子を運んできた竜子が、小声で「零? これ、何処おけば良い?」と、尋ねた。
「…あ、竜子さん。 えっと、じゃ、あっちの机並べて貰えますか?」
零は、目を細めて、海老餃子を眺めた後、竜子に指示する。
「エマさんって人は、そんなに、頼りになる人なのか?」
そう問われ、図らずもシオンと一緒に頷くと「そして、多分、興信所で一番怖い人です。 絶対逆らっちゃ駄目ですよ?」と封禍は言い、シオンも「此処の主人なんかよりも、よっぽど権力持ってますからね?」と、まぁ、紛れもない事実を伝えた。
「そっか。 じゃ、姐さんって呼んだ方が良いのかな?」と、妙な事を言いだす竜子。
何故か、封禍はその言葉に噴出していたが、シオンは、「姐さん」なんて呼ばれるエマの姿を思い浮かべ、それがどんなに格好良いだろう…とうっとりすると「喜びますよ! 絶対!」と自信たっぷりに竜子に断言した。
そんな暢気な会話をしている中、零が困惑したような声で、「特攻服?」と、受話器の向こうのエマに尋ねている。

どんな会話をしているんだ?

その単語に、思わず竜子に視線を送ってしまうシオンと封禍。
だが、竜子は何の疑問も感じないのか
「アタイ達、族にとっちゃあ、看板みたいな魂込もった服だよ」と、零の背中に声を掛ける。
零は、コクンと頷き、「…あー、分かりました。 今、丁度、封禍さんとシオンさんもいらっしゃるから、お手伝いお願いしてみます」と言っていて、何かあったのかな?と、シオンは首をかしげた。
竜子は、そんなシオンの気持ちも知らぬ気に、零の電話が終わるのを我慢しきれなくなったのだろう。
海老餃子を一つつまむと、「くー! この海老餃子旨ぇぇぇ!」と、叫ぶ。
零は、「シーッ!」と竜子に対し、唇に指を当てて、静かにするようジェスチャーで頼むと、「あのですね、竜子さんって方が、大層胡散臭く、ぱっと見ヤクザ? うん! 最高でも、ヤクザ! 最低でもヤクザ! みたいな、男性に追われてるらしくって…」と、竜子に説明された、薬指を追っている男の話をした。
いよいよ、こちらの相談に話は突入したらしい。
エマは、どのようなアドバイスをくれるだろうと思い「何か、ヤバイものを、かっぱらってきちゃったらしくって、えーと、黒須…、黒須誠さんって方に追われてるらしいです。 ね? 合ってますよね?」と、零が竜子に問うのを聞いていると、竜子がいやに、力の入った声で、竜子は「ああ! 女みてぇに髪の長い、気持ちの悪いおっさんだよ!」と答えた。
そして、零に手を伸ばし「その、エマ姐さんって人と電話してんだよな? ちょっと代わってくんねぇか? お世話掛けちまうのなら、きちんとご挨拶しとかなきゃなんねぇ」と、と言う。
まぁ、確かに、竜子自身の口から経緯は説明した方が良いとシオンは思ったし、零も同じ考えなのだろう。
さして、何の躊躇もないまま、竜子に携帯を渡した。
受話器を受け取り、「あ! スンマセン。 あたいは、城ヶ崎竜子と申す者にごぜぇます。 この度は、零さんには大変お世話になりまして、その上、お姐さんにまで、ご迷惑を……」なんていう、無茶苦茶な敬語交じりの挨拶を竜子がした瞬間だった。




「ばかぁぁぁぁ!!!!!」



というエマの声が、受話器の向こうから、興信所内に響き渡った。
思わず箸で挟んでいた、チンジャオロースをポロリと箸から落とすシオン。
や、確かに、竜子さんの物の言いは馬鹿っぽいけど、そんな怒鳴らなくても…。
と、思えば、「すぐ出なさい! そっから、すぐ出なさい!」というエマの喚き声が、受話器から漏れてくる。
すぐ出なさい?
どういう意味だ?
首を捻っていると、「いきなり、馬鹿たぁ! どういう了見だ!」と竜子が、受話器に怒鳴り返していた。
いやいや、今、そんな事を気にするより、エマさんが何を伝えたいかを気にしようよ、と脱力するシオン。
そして、じっと受話器からの声に耳を澄ませる。
幸い興奮状態にあるエマは、大声で怒鳴ってくれているので、その声はよく聞こえた。
「ちょっと! 竜子さん? あなた、よっく聞きなさい! あなたがね、今いる、場所! その事務所! そこはね、黒須に『あなたの事を捜し出すよう』依頼されてる、興信所なの!」
その言葉に顔を見合わせる竜子除く三人。
つまり、黒須がこの興信所に、竜子を探す依頼をしていたというわけで、それは、この場所が今一番、竜子にとっては危ない場所という事に他ならない。
「へ?! ど、どういう事だ? つ、つまり、あたいは零に嵌められたって事か?! んな、事ぁねぇ! あたい、これでも人を見る目には自信があんだ! 零は、凄い良い奴で…」まぁ、こんな滅多にない偶然に動揺するのは分かるが、こんな信じがたいような勘違いをかます竜子は、再度「ホントにばかぁぁぁぁ!!!! あほ! ミトコンドリア! 誰が、そんな事言ったのよ! っていうか、零ちゃんが、良い子だなんて、私はよぉく知ってんだからっ!」と、エマに怒鳴られていた。
その後、何事か言い合っていた二人だったが、どうやらエマは、竜子を素直に黒須に引き渡す気はないらしい。
一緒に、黒須とエマ達は行動しているそうだが、何とか竜子を黒須のいない場所で話がしたいそうだ。
そんなエマに、「なんでだ? 仕事なんだろ? ちゃんとしなくて良いのか?」と、再びずれた事を言っている竜子。
がくりと項垂れてしまいたくもなるが、黒須の側にいる人間が、こちらの味方であるという事は何よりも心強い。
エマは、その後、いくつかの指示らしきものを竜子に施した後、その言いつけが余り気に入らなかったのだろう。
ふてくされた様に「…ッス」と返事した竜子に、エマは「返事は!」とヤンキー顔負けの凄みのある声で怒鳴り、竜子がピンッと背筋を伸ばすと、「っ! オッス!」と返事させられていた。

流石である。

電話を切った後、何処か焦燥の滲む表所で此方を振り返る竜子。
「何者だよあの人。 迫力が、堅気の者の持つもんじゃねぇぞ?」
そう言われ「まぁ、ねぇ?」「潜った修羅場の数、凄いですしねぇ?」「エマさんは、最強ですから…」と、三人で本人がいたら暴れだしそうな事を言い合う。
「で? 何と言われたんです?」
シオンがそう問えば、竜子は悔しげに唇を噛んで、「今すぐ、この興信所を出た方が良いっつうのと、あたいの格好は目立ちすぎるから、何か違う服着ろっつわれた。 で、麒麟亭っていう、ドライカレーの美味い店があんだけど、そこで待ち合わせだって」と言う。
思わず手を打つ三人。
「確かにね…」
「流石、エマさん…」
「目立ちすぎますね、それ」
と、赤い特攻服を指差して各々言い合い、「もっと、清楚な格好とか良いと思いますよ?」とシオンは指を立てる。
心当たりがないではないのだ。
シオンがねぐらにしている公園の程近く。
可愛い、可愛い、ブティックがある。
あそこの服をちょっと着て欲しいかもしれない…。
シオンはそう考えた。
零が、ど派手な竜子のメイクを覗き込んで、「お化粧も、変えた方が良いかもしれませんね」と言いだす。
自分がどんな目に合うのか分かってないのだろう。
不安げな表情で此方を見てくる竜子に「大丈夫です! 俺たちに任せてください」と、封禍が胸を叩いて請け負っていた。



とりあえず、急いで昼食をかっ込み(シオンと竜子の食欲の凄さの前には、一瞬で封禍の料理も一瞬で無くならざるえなかったわけだが…)片付けだけさっと済ませると、興信所を出た後、シオンは気になっていたブティックへと案内した。
シオンが、顔を綻ばせながら「前から、こういう服素敵だなぁと思ってたんですv」ピンクのレースやらフリルやらがどっさりついたフェミニンな服を指し示せば、何故か皆で後ずさりしながら「いや、それは別の意味で目立つんじゃ…」と否定してくる。
シオンは、どーして、こんなに可愛い服なのに?と不思議に思い、封禍さんに料理の材料費を受け持って貰った事だしと、貰ったばかりの給料に羽が生えて飛んでいく姿が思い浮かびつつも「私が払いますから」とツルリと言ってしまって、結局、その服を購入する事に成功した。
泣きそうな顔で、竜子がその洋服の入った袋を抱え込んでいる。
「あ、あたい、こんな服着たことないよぉ…」と、言う竜子に、シオンは自信を持って「大丈夫です! 絶対似合いますっ!」と断言した。
その後、竜子がシオンが暮らしている公園のトイレでメイクを落とし、洋服を着替えるのを待つ。
(屹度、とっても可愛いですよーvv)
とワクワクしていると、キィと軋んだ音を立てて扉が空く音がし、竜子が出てくる気配がした。
振り返りシオンはトイレから出てきた竜子を見て「わぁ!」と歓声をあげる。
封禍も視線を送り、思わず固まっていた。


やっぱり可愛い!!

そう歓声をあげたくなるくらいの美少女がそこにいた。
年不相応なメイクを取った竜子の顔立ちは、それはそれは整ったもので、長い睫が重たげについた大きな目が不安げにこちらを見ている。
真っ白な肌に、ピンク色のぷるんとした唇。
あんなに化粧をしていたのに、若さのおかげか、肌荒れが全くない。
ポニーテールを解いた金色の髪も、竜子の人形めいた雰囲気を助長していた。
眉毛が、全て剃ってしまってなくなっているのが、少々不気味ではあるが、このピンクのブリブリの服を着こなせているのが素晴らしい。
零もはしゃいだ声で、「これだったら、逃げ切れるかもしれません!」と言っている。
しかし、竜子は頭を振って「駄目だよ。 誠は、あたいの素顔知ってるしさ…」と俯く。
すると、零はニコリと笑って、近くのコンビニで買ってきた、髪を染めるためのスプレーと自分の化粧ポーチを見せた。





「あーーー」
「うーーー」
「えーーーーーと…」
三人揃って、呻く。


おかしい。


何だか、おかしい。



考えてみれば、シオンも、封禍も、零も、ある種の方面には器用な人間であるが、化粧などという事が得意かと言えば、そーいう趣味もない男性人二人が得意な訳はないし、まだ殆ど化粧を必要としない年齢である零も自分にするのはともかく、人にするほど上手だとは言えないのであろう。


「まぁ、アレですよ…。 これ、絶対竜子さんとは分かりませんよ」
シオンが、とりあえずそう呟く。
封禍と零は、その言葉に縋りつくように何度も頷き「そ、そうですよね! 分かんない! 100%分かんない!」と零が言い、封禍も「それは、保証します! 完全に保証します!」と断言した。



竜子がぽかんとした表情で見上げてきた。
モタモタとした、染めたばかりの重い栗色の髪。
顔色を明るく見せようと頬にピンクのチークを塗れば、加減が分からず、おてもやんのような状態になっていた。
唇も、赤い口紅が特徴的だったからと、ショッキングピンクの口紅をつければ、何だか元の唇の色と混じって物凄い色になり、ファンデも厚塗りのし過ぎで、首の色から明らかに浮いた、気持ちの悪い肌色になっている。
元の美少女の原型など、破壊的なまでにない状態。
どこをどうやって、此処まで壊せるの?っていう状態。
正直、怖い。
己たちの、この才能が怖い。

目を伏せ、シオンは口笛を吹き、零は妙な鼻歌を歌い、封禍は不器用にゴルフのスィングの練習などしたりした。



………………。


誤魔化しきれない沈黙の重さが、三人にのしかかる。


耐え切れず、三人同じタイミングで「もーーしわけないですっ!」と竜子に頭を下げた。
「ほ、ほんとに、ほんとに、ちょっと、その…」
「こう、失敗しちゃったかな?って…」
「で、でも、ですね、でも、ほら、見ようによっては、こう…ビニール製の人形みたいな、そんな感じで……」
そう言い募る三人に対して眉を顰めて見せると、竜子は傍らにあった、手鏡を覗き込む。
そして、当然の如く、何かを耐えるかのように震え始めた。


怒ってる、怒ってる。


折角可愛かったのに、こんな風にしてしまって、屹度怒鳴られる!と確信したシオンは、キュッと目を閉じた。
しかし、竜子は「ペカー!」と効果音がしそうな程、笑顔で(それも、化粧のせいで、震えが走るほど怖い笑顔で)顔を上げると「サンキューな! みんな! あたい、こんなに綺麗に化粧して貰ったの、初めてだよ! こんなマブいシャンになるだなんて、思ってもみなかった!」と言う。
思わず、へたり込む三人。
「あー、えーと…光栄です」
と零が言い、それから、脱力したような視線で此方を見てくる。
シオンは、遠い目をすると「この人、今まで、どんな化粧の仕方してきたんだろう」とぼんやり考えた。




赤い特攻服を羽織、嬉しげに腹の辺りまで晒しをまいているシオン。
どうしても、どうしても、この格好を一度してみたくて、竜子にねだって、ねだってねだり倒してみたのだ。
「えーと、こうですか?」
そう問いながら、地面にしゃがみ込んでいるシオンに「ちげーよ。 便所にしゃがむ時みうてぇにな、足開いて、うん、そう…、で、こう、下から、睨みあげるんだよ、こうやって…」と言いつつ、ブリブリのピンクの服を着た竜子がくわっ!という感じで、下から宙を睨む。
うん、怖い。
別の意味で怖い。
シオンもそれに合わせて、ぐっと目に力を込めて、宙を睨んてみだ。


楽しい。


こういう世界があるだなんて…と驚きつつも、まるで異文化交流しているよな、知識欲すら満たされる満足感がある。

元より背の高めの竜子が、余裕を持ったサイズで着ていた特攻服だから、シオンも着れたわけなのだが、どうも、結構似合ってんじゃないかな?なんて、自画自賛してみる。
他人から見ても厳しい表情をしていれば、年齢よりも若く見える容貌も相まって迫力があり、そこらの族のヘッドだと言われても信じてしまっていただろう。
竜子が「イけてんなぁ、おっさん!」と言ってくれたのが嬉しくて、シオンは正しいヤンキー座りについての講義を竜子に受ける。
実のところ、こんな暢気なことをしてる暇もないのだろうが、エマの言った麒麟亭という場所が、どうも判然としないものだから、零に本屋の地図を買ってきてもらっている今の間は、何もする事はないし、別に良いかと考えていた。
「で、えーと、こっから何て言うんでしたっけ?」とシオンが問えば竜子は得意げな口調で「てめぇ、さっきから、何ガンくれてやがんだ!」と怒鳴り、それから隣のシオンに、「ハイ、復唱!」と言った。
シオンも竜子にならって「てめぇ、さっきから、何ガンくれてやがんだ!」とドスの効いた声で怒鳴る。
「ヨシ! じゃあ、次は…」と、竜子が言った瞬間だった。
竜子が、少し姿勢を変えようとした時に、体勢を崩し、ガクンと後ろに倒れそうになった。
思わず手を伸ばし竜子の腕を掴む封禍と、シオン。
竜子が、引き攣った表情を見せ制止したので、封禍が「危ないですよ?」と声を掛ける。
しかし、竜子は、そんな言葉聞こえていないかのように、表情を引き攣らせていると、その数秒後「ひぃぃあああああーーーー!」と間抜けな悲鳴を上げた。
その声に硬直するシオンと封禍。
「な! 何してるんですっ!」
そう言いながら、本屋から帰ってきたらしい零が走り寄ってくる。
竜子が飛び出すようにして零に抱きついた。
その反応に呆然とする封禍と、シオンは顔を見合わせお互いに「俺達、何かしましたっけ?」と視線で尋ねあう。
「ち、ちがっ! ごめんっ! あ、あ、あたい、あたい、だ、駄目なんだ」
そう震えながら、詫びる竜子。
「あ、あたい、お、男と喋るのは大丈夫なんだけど…さ、触られると、何か、ブルブルッてきて、うひーってなって、ぎゃーーー!ってなっちゃうんだ」
そう言いながら、ぎゅぅっと零にしがみつく。
俗に言う男性恐怖症という奴だろうか?
しかし、あんなに、明るく自分たちと喋っていたのに…と、不思議な気持ちになる。
零が、そんな竜子の頭を優しく撫でて「そうだったんですか…。 私、てっきり、シオンさんと封禍さんが……」とそこまで言って言葉を切り、チラリと此方を眺めて溜息を吐く。
どんな想像をしたのか知らないが、シオンや女性に対して乱暴に振舞う事など、何が起こってもありえない。
まして、こんな、いや、自分でやった所業だといえば、それまでだが、こんなビニール人形みたいになっている竜子には間違っても、そんな気起こらない。
なので、シオンは「私たちは、何もしてませんよ?」と慌てたように言った後、「でも、怖がらせてしまって、申し訳ありませんでした」と竜子に詫びた。
封禍も同じ気持ちなのだろう。
「言って下されば配慮しましたのに。 大丈夫ですか?」と竜子を気遣う。
竜子はコクコクと頷くと「じ、自分でも何でだか、分かんねぇんだけど、男はある一人を除いてみんな駄目なんだ。 ほんと、自分でもヤになるよ」自嘲気味に呟き「悪かったな。 嫌な気分にさせて」と俯いた。
そんな竜子の手を握り、「大丈夫ですよ。 ね? しょうがないんだもの。 お二人だって、許して下さいますよね?」と零は言う。
封禍と、シオンは揃って頷き「貴女の方こそ気になさらないで下さい」と、竜子に言い合った。



結局、本屋には、ここら辺の詳しい地図というものはなかったらしく、竜子が「大丈夫だって! 麒麟亭の場所ならあたい覚えてるから!」という、竹下通りで迷っていたらしい彼女の甚だ信用出来ない言葉に、まぁ、乗っかってみる事にする。
封禍がまるでなんでもないような事のように、竜子に現在手持ちの銃火器(犯罪です!)を広げて見せ、「黒須さんとお会いになる事になった際には、自分の身は自分で守る、盗んで逃げたなら落とし前はキッチリ付けるのがヤンキーの道理ってもんですよね! と、いう訳で、どうぞ好きなもの借りてって下さい」と、竜子を煽る。
何て事を!と思えば、竜子は、そんな封禍の言葉を神妙な表情で聞いていて、もし、本当に竜子が、こんな武器を手にして、黒須に勝負を挑み、危ない目に合ったら、封禍を恨んでやる!とシオンは考えた。
竜子は封禍の持つ、武器の数々に目を見開き「あんた……こんなん持ってたら、マッポにしょっ引かれた時、サツカンに三年は喰らっちまうぜ?」と心配げに言う。
(いや、問題はそこじゃないような……)と心中で突っ込むシオン。
竜子は銃や、刃物類の本当に危ない武器には手を出さず、太い鎖をジャラリと持ち上げる。
あ、ほんとに、鎖が武器だ!
と、シオンは場違いに喜んでしまった。
「これがいいや。 あたいの身の丈にゃあ、こいつが一番合ってる」
そう呟き、まるで石油を注がれた火の如く燃え上がる光を目に宿し「あんたの言う通りだ。 あたいの不始末も、迷惑も、あたい自身で蹴りつけなきゃなんねぇ。 こんな風に助けて貰ってる事自体甘えなんだな」と竜子が呟き、「でも、ぜっっったい、危ない事はしちゃ駄目ですよ!」と零は竜子に釘を刺しついでに、封禍も睨んでいた。




男性に触られた事に対する恐怖心の影響か、零の手をぎゅっと握ったまま歩く竜子はしかし、口調は元の元気の良いものに戻っている。
「確か、こっちの方へ歩いていって、で、次の曲がり角を右に曲がるんだ」
そう言いながら、先を指差す竜子を疑わしげな視線で見下ろしてみる。
本当に正しいのか?
ちゃんと、麒麟亭に辿り着けるのか?
不安で、不安で仕方ない。
ただ、まぁ、携帯もある事だし、連絡は取り合えるのだ。
最悪の事態に見舞われるという事はないだろう。






例えば、予期もしないまま、黒須の前に現れてしまうような、そんな最悪の事態には。






「まぁ、悪い予感というのは当たるものですよね」





そこは、興信所に程近い駅の前。
麒麟亭なんか何処にも見当たらない、駅前。



エマが此方を見て力の限り絶叫していた。



「馬鹿かぁぁぁぁっぁぁあぁあああ!!!!」



もう、仰る通りとしか良いようがない。





えーと、うん。
行こうとしていたのは、麒麟亭という店のはずなのに、こんな場所に自分達がいる事になったのは、竜子の方向音痴が予想を遥かに超えた凄まじいものであったからだとは理解できたのだが、向こうのメンツだって、何だかおかしいのだ。
エマ、飛鷹いずみ、モーリス・ラジアル、封禍が捜していた鬼丸鵺といった見知った顔に加えて、知らない男性が二名いる。
一人は薄茶色の髪をした、右目が青みがかった濃い灰色、左目は朱金という珍しいオッドアイの男性で、背が高く、いつもは落ち着いた性質の人なのだろうと思わせる空気を醸し出しているが、やはり竜子の事を凝視せずにはいられないらしい。
もう一人は、長く、艶やかな黒髪を有する胡散臭い事この上ない男性で、細い目を見開き、他の者とは違う驚きのニュアンスが篭った目で竜子を見つめている。
とにかく皆、例外なく呆気にとられたような、強張ったような、そんな表情で竜子を見つめていた
まぁ、無理もない。
封禍、シオン、零、三人の力によって作り上げられた傑作の威力は、自分たちでも重々承知している。
その傑作である所の竜子も、髪の長い男性に眼が釘付けになっている。
間違いない。

あの男が黒須誠だ。


エマは、麒麟亭で、黒須抜きに落ち合おうと言ったのに、何故黒須が此処にいるのか?
何か、失敗をしたのか? そう考えている隣で「お嬢さん〜〜? 俺の授業抜け出して、こんな所で何してらっしゃるんです?」と、封禍の地を這うような声に、「あ、あれぇ〜? 封禍君、こんなトコで会うなんて奇遇じゃん!」と、鵺が片手を上げると言う、何処かほのぼのとした遣り取りが繰り広げられている。
また、エマはエマで「もう、何というか、愚か! 愚か者よ!」なんて、叫びながら錯乱していた。
何が何だか分からない状態だが、エマの狂乱も、まぁ、無理はない。
なにやら、色々悩み、竜子と黒須を引き合わせぬよう努力してくれていたようだったのに、こうやって、その当人の目の前に現れてしまったのだ。
だが、エマとて、麒麟亭で待ち合わせと言いながら、黒須当人を此処につれてきてしまっている。
屹度、向こうは、向こうなりに何か失敗をやらかしていたのだろう。
そして、失敗と失敗が偶然重なり合った結果、一番最悪の状況が導かれたという、極自然な方程式の答えが此処にあるだけだ。
黒須が、血のように真っ赤な舌先を少し薄い唇から覗かせ、チロリと閃かせると、確信したかのように「竜子! てめぇ、自分が何したのか分かってんのか!」と叫びながら、竜子に詰め寄ってこようとしている。
その瞬間、「逃げて! 竜子さんっ!」とエマが叫んだ。
戸惑ったように黒須を見つめ、エマを見つめる竜子。
黒須はその戸惑いに付け込むように、「逃げたら、お前の事を助けようとしていた奴らが手伝ってる『草間興信所』に迷惑が掛かんぜ? 分かってんだろ? あいつが、ちょっとばかし、手段を選ばない人間って事はよ」と、脅し文句を口にする。
つまり、黒須は、エマ達が自分を騙そうとしていた事も踏まえて、竜子が逆らえば「あいつ」と呼ばれる人物が草間興信所を潰すと脅しているわけだ。
それは、卑怯だ。
誰かを楯にしたり、そういう事で脅して自分の望みを遂げようとするのは、間違いなく卑怯者のする事だ。
許せない。
こんな風に、こんな女の子を脅すなんて、男の風上にも置けない。
「恩義受けた人間に、迷惑掛けて平気なのかよ? えぇ?」
その、黒須の卑怯極まりない言葉に、唇を噛み締め竜子は俯く。
「イイ子だから、アレ返せよ。 な?」
可哀想だった。
こんな風に脅される竜子がとても可哀想だった。
「……ちゃんと、渡したら、零達に迷惑かけねぇですむのか?」

掠れた声。



助けてあげたい。
心からシオンはそう思い、しかし、興信所の事を思うと迂闊に動けない我が身を悔しく感じた時だった。


「行こう!」と零が一声叫び、握ったままの竜子の手を強くひいた。
「っ! でも、あたい、零達に迷惑掛けたくないよ……」
「そんな事ね、気にしないでよ! 馬鹿! 友達でしょ? 私、友達なんだよね? 潰れない! 私のお兄ちゃんの興信所はね、汚い手、どれだけ使われても潰れないよ! そうだよね!」
零の言葉に、少しばかり驚かされる。
そして、そうか、竜子を守る覚悟と共に、興信所を守る覚悟を決めれば良いのだと、まるで、何で、こんな簡単日気付けなかったんだろうという風にシオンは自分を不思議に思った。
だから、シオンは何度も頷き「そうですよ! 大体、私は、女の子の味方なんです! 竜子さんのしたいように、なさって下さい。 大丈夫です、草間さんトコは万年潰れそうだけど、絶対になんでか潰れないんです! しつこいんです!」と、微妙にずれた事を、それでも真剣に言う。
いずみも「零さんがそう言っているんです。 とりあえずは、行って下さい。 今、ここで、こんな風な言葉に、貴女が屈する事はない」と強く竜子を促した。
最後にエマは、いつもの冷静さからは想像出来ない形相で大きく口を開くと「竜子さん! 興信所、私が守るから、貴女は行って!」と叫び、それから「こんな、糞野郎に負けるなんて、悔しくてやぁってらんないのよ、畜生! 私たちの為にも、逃げなさい!」と、黒須、どんだけ嫌われてんだよ? 何があったんだよ?的な事を喚く。
竜子は一気に破顔し、「あんたら、すげぇ、格好いいな!」と叫び、そして、零に手を引かれ駆け出した。
「っ! 逃がすか!」
そう声を上げ、竜子を追おうとする黒須の前に考える暇もなく立ちふさがるシオン。
駆けながら、礼を言う零と竜子の声が微かに耳に届く。
誰も傷つけなければそれに越した事はないし、暴力は嫌いだけど、今はしょうがない。
覚悟を決めたなら、あとは動かなきゃしょうがない。
シオンは、「あんまり、暴力は好きじゃないんですが…仕方ないです!」と言いながら、一気に距離を詰めグイと手を伸ばし、黒須の胸倉を掴もうとした。
だが、黒須は驚異的な体の柔らかさを見せ、のけぞる様にして、その手を避けると、そのままバックテンをし、つま先でシオンの顎先を蹴り上げようとする。
目の前に迫る、尖ったつま先を慌てて頭をずらし避けたものの、こんな風に動けるなんて、見かけだけヤクザというわけではなさそうだ。
息を整え、油断ない構えを取る。
黒須は、綺麗な回転を見せた後、苛立たしげに表情を歪め「足止めくってる暇はねぇんだよ!」と吐き捨てた。
そんな黒須に、今まで静観を決め込んでいたモーリスが笑顔で告げる。
「助けてあげましょうか?」
目を見開き、モーリスを見つめる一同。
何を言い出すのかと、シオンの心臓が小さく跳ねる。
黒須が、少し笑みを唇に刷き「イイのかよ? 現時点では、俺の味方なんてしようもんなら、大顰蹙ものだぜ?」と問いかければ、モーリスは笑顔のまま「クレープ。 貴方のもの、殆ど頂いちゃいましたから、そのお礼という事で一つ。 それに、このまま、竜子さんに逃げられちゃうと、大層つまらないでしょ?」と、意味の分からない事を言い、それからシオンに視線を据えてきた。
「と、いう事で、すいません。 少々の間、窮屈な思いをして頂きます」
そう微笑みながら言われたモーリスの言葉に、お世話になった事もある人なのにと困り果てながら、「窮屈ですか? 私、常時空の下で過ごしている人間なもので、どうも、窮屈は嫌いです」と素直に答える。
そして「だから、ヤです」と困ったような顔のまま、きっぱりと言葉を続けた。
その言葉を微笑みながら聞き、モーリスが両手を組み合わせ、薄く白い瞼を閉じる。
形の良い唇を組み合わせた両手に寄せると、淡い光が両手に宿り、ゆっくりと蕾が開くかのように、その美しい手を広げれば、手の内に小さな正方形の檻が出来ていた。


「これは、貴方の鳥篭」


柔らかく微笑んでモーリスは、シオンに向かって、両手を差し出してくる。
その瞬間、シオンの周りに、淡く光る檻が構築されようとした。
「っ!」
このまま、この檻に閉じ込められてはいけない!
咄嗟の判断で、前に転がるようにして飛ぶ、シオン。
(しょうがない! 力借ります!)
そう胸中で叫び、素早く左手の手袋を脱ぐと、イフリートの刺青を檻に押し当てた。
一か八か。
全てのものを燃やし尽くす灼熱の炎で、檻を炙る。


ジジジジッ!


痺れるような痛みが左の掌に走った。
焼かれるのとも、焦がれるのとも違う痛み。


だが、完全に檻が出来上がる寸前に、熱によって檻を少し歪ませ、なんとかその歪みから体をすり抜けさせる。
激痛が、左掌を覆っていた。

痛い。



「っつううううう!」と叫び、左手を押さえ、うずくまる。
その隙に、一気に走り出した黒須は「助かった!」とモーリスに叫ぶと、シオンの横を抜け、零と竜子の後を追う。
(しまった!)
痛みを抑え、シオンは立ち上がる。
オッドアイの男性が物言わず、黒須の後を追いかける姿が目に入り、「あ! 駄目です! 待ってください!」と、何処か間抜けな事を黒須に対して言いながら、自分も黒須の後を追おうとしたシオンは、はた、とモーリスを振り返り「ね! 捕まらなかったでしょ?」と誇らしい気持ちを隠さずに言った。
しかしモーリスに笑顔で「でも、ほら、私の目的は、黒須さんに竜子さんを追わせてあげる事でしたから…」と告げられる、そもそも自分が何の為に黒須の前に立ち塞がったかを思い出し、「あ! そうか!」と手を叩き、そして、今度こそ、竜子達を追って走り始める。



オッドアイの男性と黒須の後姿を追い続け、そして唐突に二人が立ち尽くすのを見て、何があったか?と不思議に思い、シオンは走る速度をあげた。



そこは、高架線の下にある、人通りの全くない、薄暗い広場だった。
竜子の「ヤメだ、やめだぁ! こう、逃げ回ってんのは、あたいの性に合わないよ! 誠! タイマンで、勝負決めようじゃないか!」という、怒鳴り声が聞こえてくる。
シオンが、たどり着いた時には。「アタイが負けたら、大人しく薬指は渡すよ。 そんかし、アタイが勝ったら、興信所の人達には手を出すな。 薬指も、返さねぇ!」と、言いながら、竜子がピンクハウスのボリュームのある服を脱ぎ捨て、下に着込んでいた赤いニッカポッカの上に白い晒しを巻いた姿に、零が抱えていた特攻服を受け取ってはおっていた。


どうやら、竜子は黒須の一対一の勝負を挑んだらしい。


封禍が、竜子の事を煽っていた事を思い出し、零と一緒に、刺すような視線を送る。
封禍はその視線に気付いているのだろう。
気まずげに、此方から目をそらしていた。
黒須は、ポリポリと頭を掻きながら、そんな竜子の様子を呆れたように眺めている。
その内、エマや、いずみも追いついてきた。
シオンから、黒須と竜子がタイマンで勝負をするなんていう、前時代な展開になっている事を聞いたエマが「タ…タイマン? 黒須と? 嘘、無理よ!」と、不安げに竜子を止めようとしている。

絶対、封禍さんが、竜子さんをけしかけたって事、エマさんに言いつけてやる。

そう決心するシオン。
屹度、とっても怒られるに違いない。

不安げなエマに、零から借りたらしい、拭くだけで化粧を落とせるコットンで、顔面に塗りたくられている化粧を拭いつつ、「んな事ぁねぇよ。 あたいだって、修羅場幾つも潜ってんだ。 あんな、蛇野郎に負けやしねぇ」と竜子が言う。
そして、全て化粧を拭い、顔を上げた竜子の顔を見て、封禍やシオン、零といった、変装の際に素顔を見たらしい人間以外は、皆例外無く息を呑んだ。
まぁ、それも仕方ないだろう。
何しろ、絵に描いたような美少女が、あの妙ちきりんな化粧からお出ましになったのだから。
皆の視線をものともせず、「零、悪ぃけど、あたいのポーチから、口紅だけ頂戴」と告げ、零から真っ赤な口紅を受け取ると、竜子はグイと自分の唇に紅をひく。
途端に完璧なバランスが一気に崩れ、下品な印象になる竜子の顔。
だが、一気に力強さを得た顔立ちを凶悪に歪ませると「待たせたな! 準備は出来たよ! あたいが勝ったら、薬指は諦めるし、この人たちにも迷惑掛けないっていう約束、守れよ?!」と勝手に定めた約束を前提として叫び、封禍が貸した、鎖をジャラリと取り出して、ブンブン振り回し始めた。
(やっぱり、漫画通りだ!)と、郷愁を覚えてしまいそうな、竜子の喧嘩スタイルにシオンは心の中で歓声をあげる。
だが、至って本気の竜子は、ビュッと音を立てて鎖を放つと、狙い過たず、面倒くさそうに立ち尽くしていた黒須の右腕に何重にも巻きついた。
「よっしゃ! これで、あんたの利き手は封じたよ!」と叫ぶ竜子に、心底うざったそうに「竜子、お前、もう、ほら、諦めろ? 俺が追ってる内に、折れるのが得策だぜ? いい加減、薬指返してくれ。 あれが鍵だって事、お前も知ってるだろ」と言い聞かせる。
だが、竜子はブンブンと首を振り「あたい知ってんだよ! あんたに、薬指返したら、どんだけ取り返しのつかないことになるか! だから、絶対に渡せないっ!」と叫び、ぐいと鎖を引く。
竜子が女性にしては怪力なのか。
単に黒須が非力なのか、黒須がずるずると引き寄せられる姿に「頑張って! 竜子ちゃん!」と、嬉しげに零が叫んでいた。
シオンも勿論、竜子に心のうちで、声援を送る。
しかし、黒須の表情を見る限り、本人は竜子に対し何の脅威も感じていないらしい。
彼は、ふぅと小さくため息を吐くと、体の力を抜き、トンと地面を蹴って、引き寄せられる力にバランスを崩されぬように注意深い足運びで一気に前に走り寄った。
当然、力いっぱい後方に引っ張っていた鎖が緩んだせいで、後ろにすっころんでしまう竜子。
黒須はそんな竜子の緩んだ鎖を一気に振りほどくと、そのまま竜子を押さえ込みに掛かろうとする。
竜子は、必死に起き上がろうとしていたが、鎖が絡んで巧くいかないようようだ。
(危ないっ!)
シオンが助太刀すべきかと、悩みんだ瞬間、「封禍君! ちょっとばっかり、遊んじゃってもいいよ? あ、でも、銃は使用禁止〜〜」と、まるでお預け食らっていた犬に「ヨシ」を出すような気軽な声で鵺が言った。
その刹那、二人の間に封禍が飛び込み、踊るような手つきで、黒須の喉元まで手を突きつけ、その喉を押さえるようにして、後方へと倒す。
封禍は殆ど、力を入れてないように見えたのに、なす術もなく倒れ付した黒須は、うずくまり「ゲホッ! ェホッ!」と唾液を垂れ流しながら咳き込むと、掌で口元を拭いながら起き上がった。
先程の衝撃で、遮光眼鏡が飛んでいた。
ゆっくりと、舐めるような目で封禍を見据える目は「黄色い目」。
爬虫類の特徴である、縦に虹彩が入ったその目に、シオンは息を呑む。
「…くっそっ! タイマン…じゃねぇのかよ」
息荒くそう吐き捨てる黒須に、封禍が「タイマンですよ? 一対一でしょ? 俺と、貴方の」とわくわくした声で言い、それから容赦なく、黒須の腹を蹴り飛ばす。
後方へ吹っ飛んだ黒須は、仰向けに倒れた体を、何とか起こすと、「あー、もうっ! サイアク!」と苛立ったように呟き、そして懐から一本の短い刀を取り出した。
短刀と呼ぶには長く、しかし刀と呼ぶには短すぎる。
黒塗りの鞘に収まっている、中途半端な長さの刀を握り、「お兄さん強いし、一応二戦目って事で、ハンデ貰うぜ?」と囁くと、黒須は一気に刀を抜く。
それは不思議な光景だった。
久我が静かに呟く声が聞こえる。
「妖刀。 それも、かなり邪悪な代物」
その言葉に、全くの素人のシオンも頷かざる得ないくらい、その刀は禍々しかった。
ズルズルと、鞘から引き出された刀は、刀ではなく、黒く滑り光る艶を有していた。
明らかに刃物ではない。
ズルズルズルズルと鞘の長さを超えて、抜き出されたその姿は、鞭。
鋭どくも薄い刃のような鱗をびっしりと身に纏わせた、長い長い、鞭だった。
何やら複雑な文様が描かれた皮手袋を手に嵌めて、柄の部分と、鞭の部分を両手で掴み、黒須はビンッ!と音を立てて、目の前で引っ張って見せる。
そして、真っ赤な、長い長い、明らかに人間の舌ではない二股に分かれた舌を唇から這、
出させると、ベロリと鞭を舐めあげた。
「キャ!」
恐怖のせいか、零が短い悲鳴をあげる声が耳に入る。
その異形極まりない光景に、魅入られ、息が荒くなるシオン。
何だ、アレ?。
ねぇ、アレは何?
人間じゃないどころか、アレは間違いなく、化け物。
邪悪な化け物だ。
ゴクリと、喉が鳴る。
咄嗟にシオンは、側にいた零を背後に庇い黒須を睨んだ
「お兄さん、名前は?」
黒須の、掠れて、何処かに引っかき傷を残すような、少し高い声が封禍の名を問う。
封禍は、明らかな異形を目の前にしていても、楽しげな様子を崩す事無く、「魏幇禍と申します。 以後お見知りおきを」と答えた。
「へえ? 大陸の人かい?」
黒須も何処か楽しげな声で言いながら、ヒュンと音を鳴らして、鞭を地面に打ちつける。
「OK、OK。 じゃ、ちょっとばっかり、遊んで貰うかな? 痛い、痛い、思いをさせてやろう。 許して欲しくなったなら……」
愉悦の炎を点らせて、黒須の黄色い目がゆっくりと細められ、赤く長い舌が舌なめずりをし、囁いた。




「跪いて、足を噛んで」




ヒュン!と、音を立てて、一直線に鞭が飛ぶ。
その攻撃をバックステップでかわした、封禍の背後に回りこむように、鞭が踊り、そのわき腹を擦るようにして跳ね上がった。
有り得ないような動き。
まるで、生きてる鞭みたいだ。
「っ!」
小さく呻いた封禍の、仕立ての良いスーツは無残に裂け、わき腹には薄く血が滲んでいた。
「妖刀邪蛇丸。 俺の意思を汲んで動く刀。 とっても、痛くしてやるよ。 許しを乞うなら、今のうちだぜ?」
そう言う黒須に笑顔を浮かべ「おっもしろい武器だなぁ!」と封禍は嬉しげに言い、舞うかのような優雅な動きで鞭をよけながら距離をつめ、鞭が全く効果を発揮しなくなる、得意の接近戦へと持ち込もうとする。
(確かに、近くに寄れば、鞭なんか意味がない。 だけどっ!)
シオンが、不安げに黒須に視線を送れば、そんな意思など見通してるとばかりに、後方へバッグステップを踏みながら鞭を操り、ぐいと容赦ない一撃を、先ほどと同じように、全ての人の死角となる背中に浴びせかけようとしていた。
「ひぇー! 本気で、蛇みたいな鞭だねっ!」
明るい声で、そういう鵺に、婚約者のピンチなのに!と思いながら視線を送れば、思いの外真剣な眼で、それでも笑みを含みながら封禍を見つめ続ける少女の横顔が目に写った。
まるで、封禍が負けるなんて微塵も感じたことのない目。
格好の良い眼差し。
13歳の少女が持っているにしては余りにも、それはいさぎの良い眼差しで、何だか圧倒されるような気分に陥る。
視線を封禍と黒須に戻せば、まるで、背中に目があるかのように、四方から襲いくる鞭を逃れる封禍ではあったが、あと少しで、黒須を射程距離に捉えるという瞬間、首筋を鞭先が掠め、ひるんだ瞬間、背中に鞭が振り下ろされた。
「危ないっ!」
そう叫べども、最早避けられまい。 そう確信した瞬間、封禍は、信じられないような行動に出た。
ぐいと、倒れるように体を捻り、長い足を高々と上げると、


ダンッ!


と、強い音を立てて、手で掴むにはあまりにも危なすぎる鞭を、足で踏み押さえ込んだのである。
「お見事!」
と、楽しげに拍手するモーリスにチラリと視線を送り、会釈までする余裕を見せた封禍は、鞭を踏んだ足はそのままに、大きく一歩踏み込み、そのまま鳩尾辺りに体当たりをかまそうとしてか、体を低く屈め、全身で突っ込もうとする。
だが、その瞬間、黒須の握っていた鞭が一瞬にして縮み、そして、見る間に、あの黒い鞘に丁度収まる位の黒刀へと変貌した。
鱗の文様が刻まれた、艶々と黒光りする刀。
「っ!」
変化する刀だなんて、初めてお目に掛かったものだから、色んな驚きに目を見張るシオン。
下手に突っ込めば、串刺しだ。
しかし流石というべきか、たたらを踏んで、封禍が自分に急ブレーキを掛けたのと、先ほどまで尻餅をつく、自分に絡まった鎖をわたわたとほどいていた竜子が立ち上がり、黒須に走り寄るのとはほぼ同時だった。
そのまま、漫画みたいなとび蹴りを黒須に喰らわせる竜子。
見事に蹴り飛ばされる黒須を見送りながら、黒須の腹辺りを蹴ろうとしていたのか、足を蹴りだす前の形のまま固まる封禍と、固唾を呑んで見守っていた面々は硬直する。
シオンも目をまん丸に見開いたまま、竜子を見つめた。
「アレ…だよな? しょうが…ないよな?」
何事がブツブツと呟く竜子と、そんな竜子に突然、怯えた表情を見せる黒須。
「だって…さ、みっともねぇとか、卑怯だとか、こんだけの人に助けて貰っておいて、言ってる場合じゃ…ねぇしな…」
黒須が青ざめたまま、「っ! り、竜子? お竜? やめろよ? っていうか、約束したよな? しないって、後で、どんだけお互い落ち込むか分かんねぇから、しねぇって」と、何事かを諭しだす。
呆気にとられるエマが「一体、何なのよ…」と呟けば、竜子はペコリと皆に向かって頭を下げて「皆さん、ご迷惑おかけしやした。 これから、ちっとばっかし、みっともないトコお見せ致しやすが、どうぞ、忘れてやって下さい」と告げると、強い瞳で黒須に向き直った。
「覚悟しろよ?」
そう言われ、後ずさりし、その上逃げ出そうと身を翻しかける黒須。
いきなりのこの立場の変化に、ついていけない一同だったが、竜子が手を伸ばし、ぐいと、黒須の長い髪を引っ掴んだ瞬間、全てが判明した。





「あらあらあら? お逃げあそばすの? 本当に、イケナイ小蛇ちゃんだこと。 よくってよ! よくってよ! わたくしが、躾けてあげる! 跪きなさい! 」



竜子は、「おーほっほっほっ!」と、高笑いして、傲慢な視線で黒須を見下ろしカン高い声で告げた。
「愛してあげる!」



「ひぃっ!」と、情けない声をあげて足掻く、黒須の背をゲシゲシと強く蹴り、堪らず彼が体制を変えた所で、その頬を容赦なく張り飛ばし、細く尖った顎を掴む。
「ま・こ・と? あぁた、下僕の分際で、このあたくしに、逆らうつもりですの?」
顔を近づけ、そう囁かれ、「す、すまん。 なんか、わからんが、本当に、すまん! だから、ちょっ! やめっ!」と、呻く黒須の頬を、また容赦なく張り飛ばす竜子。
「…その言葉遣いは何? 許して下さいでしょ?」
竜子の言葉に、抗おうとしているのだろうが、何だか陶酔を滲ませた声で黒須が答える。
「ゆ…るして下さい」



「それだけ?」
「許してください、りゅ……竜子様」
「違うわぁ? もう、本当に物覚えの悪い坊やね」
うっとりとそう言いながら、竜子が真っ赤な唇をキュゥッと吊り上げた。
「あたくしのことは、女王様とお呼びっ!」




「何だこれ」
久我の言葉に思わず頷くシオン。
そのシオンは、咄嗟の判断で、零の目を覆い、その光景を見せないようにしている。
零はと惑ったように「あの? な、何が、どうなさってるんですか?」と問いかけてくるが、未成年には、あまりにも、ちょっとアレな様子に見えたので、やはり見せられないシオンは項垂れる。
その気持ちは皆同じらしい。
エマは、いずみの目を塞ぎ、封禍は鵺の目に手を回している。
目を塞がれている当人は、気になってしょうがないのだろう。
鵺などは「封禍君、放してよーー! 何が、どうなってるのよぉ!」と、不満げに喚いているが、家庭教師としても、婚約者としても絶対に見せたくない光景らしい。
「あー、何と言うか、凄く帰りたい気持ちになっているのだが…」
久我に虚ろな声で言われて、「あははは。 久我さん、気が合いますね。 私も、全くおんなじ気持ちです…」とエマが答え、ため息を吐く。
訳が分からない。
訳は分からないが、なんか、今竜子の方が強いし、いきなりの女王様口調も楽しそうだし、それは、それで良いんじゃないのかなぁ?と、投げやりな気持ちになりかけた時だった。
何故か、それまで全く抵抗をしないまま、竜子の暴力を受け、蔑まれ続けていた黒須が身を強張らせ、さっと視線を険しくすると、竜子の体を突き飛ばし、周りに向かって「俺から、離れろ!」と叫んだ。


その切羽詰った言葉に従い、零を抱え上げ、黒須から離れた位置へと走るシオン。
チリチリと、何かの気配を感じてうなじのあたりが痺れている。


空から…。
空から何か来る。


「な、何があるんです?」
そう怯えたように問うてくる零に、シオンは何も答えられないまま、しかし、この話は最初から謎が多すぎると胸中で喚いた。
ある程度の距離を離れ、振り返る。
その瞬間、黒須の頭上に真っ白な光が物凄い勢いで落ち、鼓膜を揺さぶる轟音と共に地面が揺れ、シオンは思わずよろめいた。




黒須の異形な姿、訳の分からない出来事の連続、唐突に強い口調となって、黒須を圧倒した竜子。


薬指。


全ての中心にある、薬指。



薬指は、誰の薬指?



白い強烈な光が消え、眩しさに眇めていた目を見開く。
その瞬間、劈くような叫び声を竜子をあげた。
(っっっつ!!)
シオンは凍りつく。
零が、耐え切れないという風に手で顔を覆った。





黒須が、大剣に貫かれていた。



銀色の刃が、間違いなく黒須の胸の真ん中から突き出されている。
物凄い勢いで剣を伝って流れ出る血が、地面に血溜まりを作っていた。
鉄の匂いが鼻の奥に突き刺さる。
一瞬、展開についていけない自分を見つける。

串刺しだ。
蛇の串刺しだ。

ぼんやりと、そんな言葉が頭に浮かんだ。

長い黒髪が、その衝撃に舞い、そしてぐたりと俯く黒須の顔を覆い隠している。
その首に背後から腕を回し、抱え込みながら刺した剣をこれみよがしにゆっくりと引き抜く男がいた。
「……何を……している? 待ちくたびれた……。 と、いうか、ちょっと寝てた。 貴様は、とんだ能無しだ。 頼んだ仕事もろくにこなせん。 その上、下らん事にてまどりおって……」
嫌味ったらしく、ブツブツと呟きながら、男が顔を上げる。
竜子が憎しみの篭った声で、その男の名を呼んだ。
「リリパット・ベイブ! 呪われた王宮の王様が、わざわざ此処にお出ましとは、どういう了見だい?! とにかく、誠から、離れろ! そいつの鍵はあたいが持ってる! 返して欲しくば、まず、あたいとナシ付けるんだねっ!」
そう啖呵をきられ、ギリギリと黒須の喉を締め上げるように腕に力を込めていた腕をフト緩めた男は虚ろな表情で竜子の顔を見、そして鵺達の顔を見回した。
「…どういう、騒ぎになっているんだ」
呆れたように呟くその声は低く、深く、洞穴を思わせる空虚さにみち、冬の空のような灰色の瞳が、暫し瞬く。
肌の色も、白を通り越して、白灰色にそまり、色のない乾いた唇は真一文字に引き結ばれていた。
眉根は深く寄せられ、その下にある目は隈が目立っており、焦燥が濃く滲む、生真面目そうでありながらも、酷く疲れを感じさせる顔立ちをしていて、艶のない白髪は広い肩まで伸び、厳しい、とても厳しい表情のまま、深いため息を吐く。
体つきはがっしりとしており、背も高い。
虚ろで、陰気さが色濃く滲んだ顔立ちではあるが、狂気的とすらまで感じられる、ピンと伸ばされた背筋や、頑健そうな体つきは、本人自身のポテンシャルの高さを伺わせる。
何処の国の服ともつかない、だが、上着の丈の長さや、紋章などのあしらわれた作りからいっても、軍服か、それに類する正装なのだろうと思われる真っ白な格好をしていて、それが、唐突に「空から」現れたという事を含め、彼の非現実的な存在感を増していた。
黒須が、限りなく嫌悪感を相手に抱かせる容姿をしているとしたら、リリパット・ベイブ(小人の国の赤ん坊)という、その本名とは絶対に思われぬふざけた呼び名が似合わぬ男は、何処か後ずさりしたくなるような、黒須とは違う意味で人とは相容れない厳しさがある。


ゴボリ


黒須の喉が、生々しい動きを見せ、大量の血を吐き出した。



黒須の事を嫌悪する態度を隠さなかったエマが、それでもそんな姿を見過ごせなかったのだろう。
「く…黒須さん?! 黒須さんっ!」
そう叫び、黒須に走り寄る。
ズルリと、わざと嬲るような陰惨な速度で剣が引き脱がれ、倒れ伏す黒須にエマが駆け寄り、その体を揺すった。
「ちょっと! ちょっと、なんなよ! わけわかんないわよ! 黒須さん! やだ! ちょっと!」
そう叫び、慌てて「れ、零ちゃん! 救急車! 救急車を、早く!」と叫ぶエマに、リリパット・ベイブが穏やかに言った。
「心配には、及ばない。 コレは、必要な儀式だから」
儀式?
何だソレは?
何だ、それは?
大体、コイツは誰だ?
リリパット・ベイブ。
空から降り立ちで、黒須の体を貫いた。

異常だ。
異常な出来事が多すぎる。


オッドアイの男性が目をすがめ、「貴方は、何処から来たのだ? 体は、どちらに置いてきた」とベイブに問うた。
その質問に、「私の体は、『千年王宮』にある」と、ベイブは答える。
(千年王宮? 何です? それは。 この、リリパット・ベイブとやらは、竜子が知己の仲であった事を考えても黒須とも知り合いだと考えて間違いないですよね? むしろ、ベイブの口ぶりから考えるに、黒須はベイブの指示で竜子を追っていたという事になるのでしょうか? なら、何故、黒須さんを…)
そう思考を巡らすシオンの気持ちなど、勿論知らぬ気に、ベイブはピクリと黒須が震えるのをつまらなそうに見下ろした。
「勿体ぶらずに、とっとと暴かれろ」
そう言いながら爪先で、黒須の体を引っくり返す。
いつの間にか、日は沈み、暗闇が辺りを満たしていた。
切れ掛かった電灯が明滅を繰り返している。
高架の隙間から見える月が、魂の奥底まで冷やしてしまいそうな光を放っていた。
血で、口元を汚した黒須が凄絶な笑みを浮かべると「てっめぇ、時と場所を考えて…行動しろ…よ…」と呻き、それから黄色い目をいずみに向ける。
腹に大穴を明けた男の視線に、思わずといった感じで後ずさりをするいずみに「いずみ…、おっちゃん、あんま、気持ちの、良い、格好に…なんねぇ…から、目、チョットの間、塞いどけや…」と呟き、それから側にうずくまっていたエマに「お姐さんも、ちょっと、離れた方が、良いな…」と、言って、彼女がその場から少し離れた瞬間黒須の体が、勢い良く跳ね上がった。
見る間に、その姿が変化を遂げる。
こ…れは、何が…?
何が起こっている?


黒須が唯の人ではない事位悟っていたが、ここまでの生き物を予想などしていなかった。
「…ラミア」
シオンの呟きに、「ギリシャ神話の、リビアの女王でしたっけ?」と、零がぼんやりした声で答える。
だが、目の前で繰り広げられる光景は、神話なんかじゃない。
間違いなく現実だ。



ズルリ。
身をくねらせて、黒須が体を起こす。
着ていたスーツが跡形もなく溶けさっていた。
長く黒い、美しい髪が滝のように流れ落ち、裸の肩を覆う。
ぼんやりと、ああ、黒須が美女だったならば、これは、これで、見惚れられた光景だったのかもしれないと思い、がっかりする気持ちを覚えないではなかった。
髪を舞わせて、顔を上げる。
顔に変化はない。
あばらの浮いた、貧弱な体だって、黒須のものに間違いないだろう。
だが、腰から下が違った。


ズルリ。


腹に開いた大穴は、いつの間にか塞がっていた。
黒須が滑る音を立てて、ベイブの元へと這い進む。
竜子が悔しげに呻いた。
「無理矢理条件整えやがって。 これで、あたいの鍵さえあれば、全てが思い通りってわけか」


いずみが、引き攣った声で「ひっ! ひっ! なっ、い、いやぁ…!」と珍しくも取り乱した声で、断続的に叫んでいる。
「お姐さん」
黒須が、エマに視線を送った。
慌ててシオンの背後に隠れるように走り寄ってくるエマ。
だが、それでも「な、なんでしょう?」と、此方の背中に張り付き、きちんと問い返してしまう辺り、エマさんの性格だなぁと、シオンはちょっと感心する。
そんなエマを苦笑して眺め「あんた、知りたいって言ってたな。 こんな姿まで、見られちゃあ、全部一緒だ。 昔話でも、聞くか?」と、問いかけ、エマは否応もないといった様子でブンブンと頷いた。


「ありがちな話だ。 昔、惚れ合っていた男と女がいた。 女は、人とは違う種族の生き物だった。 だが、男はそれでも構わなかった。 女は夜以外は人間の姿でいれていたし、人間としての普通の生活を送っていた女だから、世間がそうであるように、二人の仲が深まれば、自然に結婚に行き着いた。 二人は平凡で、まぁ幸せな日々を送っていたのだが、ある日、女がある理由で殺されてしまった。 男は、自らの命を絶とうと心に決めるほど、絶望したが、女は死に際に男に言った。 生きて欲しいと。 そして、自分の全てを、貴方のものにして欲しいと。 男は、女の言葉通りにした。 それが、この結果だ」
黒須が自分の姿を指し示す。
「女はな、世にも珍しい、下半身が蛇っつう種族だったんだよ」





月明かりに照らされ、濡れた輝きを見せる黒い鱗に覆われた大蛇の尻尾がのたくっている。
6.7メートルはあるだろうか?
その長く、丸太のように太い下半身をくねらせながら、明滅する明かりの中薄笑いを浮かべて立つ黒須の姿は、化け物以外のどんな呼び名も思いつかない。
異常な、有り得ない姿。
だが、目が離せなかった。
何故か、視線が離れてくれなかった。
あまりにも醜悪が過ぎるからこそ、引き寄せられるという人間心理の不思議さに、シオンは首を傾げながらも、じっと黒須の姿を見つめ続ける。
「全て、自分のものに…とは、如何様な手段で?」
オッドアイの男性が静かに問うた。
「貴方の目は、蛇の目だった。 舌だって、先が割れた、蛇の舌だ。 それに、あの時、俺たちが、あなたを出し抜こうとした時、いち早くそれを察したのも、その力のおかげなのでしょう? 蛇は、嗅覚鋭い生き物だ。 舌で、匂いを嗅ぎ分け、獲物の位置を探り当てるという。 貴方は、我々が立ち去るのを見たわけではない。 貴方は、我々の匂いが、竹下通り内から消えていた事に気付いて、駅へと先回りしたんだ」
オッドアイの男性が言ってる事は、よく分からない出来事も含まれていたが、駅前で竜子を見て、何か確かめるように黒須が舌先を閃かせた事を思い出す。
そうか、あれは、余りに酷い格好になっていた竜子が、本当に彼女であっているか、嗅覚で確かめていたという事か。
「そこまで、その亡くなられた女性と融合なされているという事は…」
そこまで、言って、男性は一瞬口を噤む。
何かの可能性に思い至ったのか、少し顔を歪めその表情を見て、黒須は嗤った。
「想像通りさ」
シオンも、ある可能性に至り、そして生理的な嫌悪感を超えた吐き気を覚えた。


間違いない。


いや、信じられない。
でも、間違いないのだ。

自分の全てを、貴方のものにして欲しい。



文字通りしたのだ。


食べたのだ。 全て。



「その結果、こういう生き物になった。 目や、舌、嗅覚こそは少々変化しちまったが、普段は、まぁ、そう人間とは代わりのない姿だ。 能力だって、体が柔らかくなった以外は、そんなに変化はねぇ。 あとは、まぁ、この髪かな」
そう言いながら不釣合いに美しい髪をつまみあげる。
「こいつは、元は俺の髪じゃない。 霧華の…俺が惚れてた女の髪だ。 切っても、切っても伸びてきて、キリがねぇんだよ」
「じゃあ、盗まれた薬指は…」
エマが、そう呟けば「そう、霧華のものだ」と、黒須が答える。
「普段はこうやって人間の姿ではいられる。 だが、夜限定だけどな、命を落としかけて、本来の俺の生命力が失われそうになった瞬間、こいつが出てくるんだ」と、言って自分の腰から下で蠢く蛇の下半身を愛しげに触れる。
そんな黒須に、漸くちょっと落ち着き始めたらしいエマが、いつもの冷静な声で「…自分が、そうなる事を予想して、黒須さんは、その、霧華さんを…?」と問いかけ、思いっきり素の顔で、下半身蛇の男に素の顔をしているという凄まじいシュールな状況ながらも、素の顔で「知ってたら、やってねぇよ」と黒須は返し、思わず納得させられた。
「もう、大変だぞ? 生活無茶苦茶だぞ? 霧華、何してくれるんだと、お前、何考えてたんだ、俺のそんなに、駄目な恋人だったか? 何か恨みのでもあったのですか? と問いかけたい位、アレだぞ? しんどいぞ? 齢38にもなって、髪はこんなだし、雰囲気は蛇って事で、とっても悪いし、子供には泣かれるし、爬虫類苦手な人には敬遠されるし、視力は落ちるし、昼日中はサングラスかけねぇと殆ど物見えねぇし、あと、あとなぁ! あとなぁ!」
手をわななかせながら、堪りに堪っていた鬱憤をぶちまけるように喋り続ける。
何度も聞かされているのか、物凄くうんざりした顔で、腕組をしているベイブは「適当に聞き流すか、打ち切るかしないと、ずーーっと、愚痴り続けるぞ?」と言っているのだが、蛇男にこんなに真剣に訴えられて、そんな話を打ち切る勇気を持っている奴がいるなら、是非お目に掛かりたい。
シオンとしては、長い胴体の部分に締め上げられている己の姿を思い浮かべてしまい、静観することに決め込んでしまった。
「しかも、だ! しかも、霧華がなぁ…! 霧華はなぁ…!」
黒須がそこまで言った所で、「クッ…」と呻き、いきなし、暗い声で、聞き覚えのあるナレーションを始める。
「…奥様の名前は霧華。 そして、だんな様の名前は誠。 ごく普通の二人は、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。 でも、ただひとつ違っていたのは、奥様はマゾだったのです」


「は?」
脱力した声で問い返す、エマ。
シオンの体からも、何だか気力という名の大事な力が抜けたような気がする。
いやいや、そんな「奥様は魔女」のナレーションされても、っていうか、えー? 最後の変え方とかほんとベタ。 頭痛がする位、ベタ、と思わず評価してみるも、至って真剣な暗い目のまま黒須が、力なく言う。
「だからな、霧華は、恋人の俺が知らなかったと言う事実にも、絶望したんだが、極度のマゾだったんだよ。 で、分かるだろ? あいつの色んな性質を、受け継いでしまった俺は……」
ああ、だから、竜子の暴力や、あの口調に抵抗できなかったわけだ…と、納得するものの、余りにアホくさい不幸に、もう、どうでもいいじゃん…という、シオンは凄くグダグダな気分に陥る。
エマが投げ槍というか、最早槍投げレベルの物凄くやる気のない声で、
「馬鹿じゃないの?」
と、言った。
「俺だって、馬鹿だと思うさ! ていうか、もう、俺の人生全部馬鹿だよ! 基本的に、馬鹿だよ!」
「夫婦だったんでしょ? そういう性癖、把握しときなさいよ…」
「知るか! ていうか、それ、一番の傷口だから、抉るな! 凄く痛いから! それに、あれだろ? まさか、あいつの性質を受け継いでしまうだなんて、予想してなかった訳だし」
黒須の言葉に「まぁ、人魚の肉を食らって不老不死になったという伝説があり、人外のものを食って、身体に影響が出るという事はあるだろうが、その性質を受け継いだというのは、確かに、珍しいといえば、珍しいかもしれないね」と口を開くオッドアイの男性。
「それまで、そりゃ、恋人は、変わった種族ではあった訳だし、怪異な出来事への理解っつうのは、人よりもあるつもりだったが、それにしたって、自分自身はごく平凡な人間でしかなかったんだぜ? まさか、自分がこんな風になるだなんて、誰が予想する?」
黒須の言葉に封禍は、そもそも「死んでしまった妻の肉を食らう」という狂気的な行動を平凡な人間はしないと心の中で突っ込む。
だが、そういう狂気的なことをしでかした、男は、圧倒的なまでの卑小な事を、卑小な表情で訴えていた。
「もう、凄い大変なんだぞ? 強い口調で命令されたら、全然逆らえないし、蹴られたり、殴られたりしても、抵抗できないし、蔑まれたときに、うっすら嬉しい自分を発見した時の絶望感というのはだなぁ…」
黒須の言葉に、嫌悪の顔をあらわに、エマは罵倒の言葉を浴びせかけていた。
「ていうか、気持ち悪っ! ただの変態じゃない、それ! うわ! 38歳、気味の悪いおっさんの、マゾって需要全くないね!」
「ないね! 有難くないね!」
そう言い合う、二人に思わず「いや、あっても、困るでしょ、それ」と弱弱しい合いの手をいれてしまうシオン。
「「うん、そうね!!」」と黒須とエマが何故か揃って頷いた後、「でな、でな! そこに付け込まれれば、幾らでもいう事を聞かせられちゃう訳だからって事で極力、人に知られぬよう行動してのに! あいつが! あの、アホ竜子が、また、事あるごとに、切り札っつって、俺の事をイヂメやがって!」と叫べば、「うん、見てた。 凄かった。 竜子ちゃん、堂に入ってた。 十分、プロとしてやってけそうな貫禄があった」と、そう褒める(?)エマの言葉に、何故か照れたように頭を掻く竜子。
そんな彼女を指差し「そこ! いい気にならない! ってか、やめろ! プロとか、恐ろしい事を言うな!」と、本気の声でエマに黒須は訴え、「ていうか…コレ、何の話だっけ? 何で、こんなトコまで脱線してんの?」「さぁ?」と言い合う二人に「「「「いやいや、貴方たちのせいだから」」」」と各々が一斉に突っ込んだ。
黒須もそうだが、エマも怒涛の勢いというか、あんなに黒須の姿に怯えていたくせに、今や丁々発止のやりとりをしていて、結局肝が据わってんだから……と、シオンは呆れてしまう。
「何か、予想外の盛り上がりを見せていて、腰を折ってしまうのが恐縮なのですが、そろそろ、次へ進めないと、黒須さんそのような格好のままでは、お風邪を召されますよ?」
と、笑顔で間に入るモーリスに、思わず感謝の念を捧げた。
黒須は、乱れた黒髪をうっとうしげにかき上げ、「あーっと、とにかくだ、そんなこんなで、俺はこんな需要のない生き物になった訳だ」と言葉を切ると、今までじっと辛抱強く待っていたベイブが、「で? 鍵は、取り返したんだろうな」と黒須に問う。
竜子が「まだだ! 誰が、返してやるもんか!」と、ギッとベイブを睨んでいたが、黒須は肩を竦め、そしてベイブの前に掌を突き出した。




銀色の指輪がはまった、真っ白な、美しい指が一本転がっている。




竜子が見せてくれた指だ。







「いつのまに!」
と叫ぶ竜子に「悪ぃな、お前の、女王様がご光臨されていらっしゃる時に、スらせて貰った」とふざけた口調で答え、そして、「ていうか、お前、マジで、時と場合と、場所を考えて降りてきてくんないかなぁ…」と言いつつ、その指をベイブに渡す。
「鍵穴は、何処が良い?」
ベイブにそう問われ、ズルリと細長い舌を出して閃かせると、その中ほどを指差し、「おおらえん、おおしおうあい?」と、口を開いたまま意味の分からない事を言う。
「舌をしまえ。 何言ってるか分からんていうか、ここまでのページ数凄まじい事になってるから、どんどん話を早く進めたいという、気持ちを察して欲しい」
そう真面目な声で、誰の気持ちに即した言葉なのか分からない事を言うベイブに頷き、ズルンと舌をしまった後「舌に作ると、目立たねぇし、面白くないか?」と、まるで、凄く良いアイデアを思いついたかのように提案する黒須。
「鍵穴って何よ? そもそも、その霧華さんの薬指は、なんなの?」
エマが、最早ためらうそぶりもなく問えば、ベイブが重々しい声で告げた。
「私の王宮の鍵だ」
「王宮の…鍵? 貴方の体があるっていう、『千年王宮』とやらの?」
「ああ。 私はそこに幽閉されている。 余り長い時間、外に存在する事は赦されず、また、外に出ても、体を置いてではないと動けない。 精神体とはいえ、辛うじて、物に触れる等の行為は可能なのだが、疲弊してしょうがない。 なので、私の目の代わりとなって、この世の事を見聞きしてくれる物が必要になった」
「で、その白羽の矢が俺に当たったわけ。 俺としても、こいつの持っている力を利用させて貰いたかったし、その契約の証として、俺はこいつから、『千年王宮の鍵』を預けられる事になった」
「それが、その薬指だ」
竜子が、苦々しげに、黒須の手の中にある、薬指を見つめる。
「復讐の為に、誠は力が欲しいんだ。 霧華姐ぇを殺した奴に、復讐する為に、あんたは向こう側に行っちまうんだ! 下らないっ! 分かってんのかよ。 そんなの、霧華姐ぇは望んじゃいねぇ! 望んじゃいねぇのに…」
「霧華さんという方と、竜子さんは知り合いだったの?」
そう鵺が問えばコクンと子供の仕草で頷いて「あたいにバイクの楽しさを教えてくれたのも、任義や仲間の大事さを教えてくれたのも、霧華姐ぇだった。 あたい、尊敬してた、霧華姐ぇの事。 18になったら、一緒にツーリングしようって言ってたのに、あたいが18になるのを待たずに、霧華姐ぇは死んじまった。 その時、あたい、決めたんだ。 霧華姐ぇが、一番大事にしていた誠は、あたいが守るって。 何があっても、あたいが守って見せるって」と、熱っぽい口調で言い募る。
「なのに…なのに、誠ときたら、何処で、どうなったのか、おっさんなのは、前からだけど、やさぐれるし、ヤクザそのもののような生き様を見せるし、うっかり変態にまでなって、しかも、何処で知り合ったんだか、変な飼い主見つけてくるし…」
くぅぅぅ…と、うずくまり地面を叩きながらそう呻く竜子に「いやいや、それ、とても誤解を招く発言だから」「飼うなら、もっと可愛いものが良い」とベイブと黒須が一緒に突っ込むものの地面にうずくまったまま、「ある日突然、今まで、ずっと大事にしてきた男に『じゃ、今日から、ちょっとばっかし、こいつんトコ世話になるから』って、素っ頓狂な格好した男を紹介されたあたいの気持ち分かるか? 『一応、千年王宮で暮らさなきゃなんねぇから、あんまり会えなくなるかもしんねぇ』って言われて『え? 千年王宮って……何処のテーマパーク? テーマパークの住人って…、アトラクション案内でもすんの? それとも、着ぐるみでも着るのか?』ってなったあたいの気持ち分かるだろ?」と、竜子は鵺に訴える。
鵺も面白がってか「そうだよね。 そうだよね。 ビビるよね!」と同意を示した。
途端に竜子は勢い込む。
「だろ? で、話聞いてみたら、契約を結んで、誠がベイブに仕え、同じように『千年王宮』に繋がれる代わりに、何か、力を貸して貰うだとか、何とか言ってて、マジで意味わかんないんだけど、でも、ヤベェって、それって、ヤベェって思って…」
「それで、鍵を盗んだ…。 でも、どうして、霧華さんの指が、鍵なの?」
不思議そうに鵺が首を傾げれば、竜子ではなく黒須が答える。
「『千年王宮』の鍵はな、鍵の持ち主となる、人間の体の一部であれば、何でも良いって言うもんだから、霧華の指を鍵にしたんだ。 その鍵さえあれば、いつでもこっちと『千年王宮』を行き来できる。 使う際は、いちいち蛇の姿に戻りらなきゃならねぇのは面倒臭ぇが、この姿になれば、霧華と同化した存在になり、薬指が、俺の体の一部だと認められて、鍵が使えるようになる。 指だろうが耳たぶだろうが、切り落とされたりするのは御免こうむりたかったからな。 薬指だけは、指輪が嵌っちまってたから、大事にとっておいたのが功を奏したと思ったのに、まさか、こんな風に盗まれちまうとは思わなかったぜ。 しかもベイブは早く持って来ねぇと、俺の指を使うとか脅してきやがって、マジで焦ったっつうの」 
 そう言う黒須の口に物言わず、自分の指を突っ込むベイブ。
「…お喋りが過ぎる。 とっとと、済ませるぞ」
そう言われ、ベイブの指を咥えたまま、モガモガと何か言いかけて、それから諦めたように黒須は黙る。
「お前っ! マジで、自分がどうなるのか、分かってんのかよ!」
そう、叫ぶ竜子にチラリと視線を送り、何とも言えない笑みを浮かべると、黒須はゆっくりと眼を閉じた。
「…我に仕えよ。 我に繋がれよ。 我の忠実な僕となれ。」
そう言いベイブが、黒須の髪を梳く。
「……此処へ、おいで」


その瞬間、黒須がガクン!と仰け反り、喉に真っ黒な皮のような物で出来た輪っかが巻かれた。
暫く小さな痙攣をした後、首を何度か横に振りながら、顔を起こし、探るように自分の口の中に指を突っ込む。
そして、ニタリと笑うと、ベイブの前の地面に這い蹲る。
長い髪が、地面に流れ落ち、月明かりを受けて、黒い海のように見えた。
竜子が見たくないという風に、視線を逸らす。
地面に口付け、黒須が宣誓した。
「身命を賭して、貴方にお仕え申し上げます」
ベイブが、ブーツの足を持ち上げ、黒須の頭を踏む。
「我、そなたを『千年王宮』の住人と認めよう」
そのまま何を考えたか、物言わぬまま、ベイブはぐっと足に力を込め、当然の如く自然の摂理でガチンと、明らかに痛そうな音を立てて、黒須は額を地面に打ち付けた。
「ってぇ!」
そう叫び、ベイブの足を振り払うと額を押さえて、のたうつ黒須。
そのまま、ガバっと身を起こし、「いった! すっごい痛い! っていうか、何さっきの? 何の意味が?!」とベイブに怒鳴る。
赤く腫れている額を指し示し睨み据える黒須に、無表情のまま「いや、何か、こう、このまま、足に力を入れたら、どうなるのかな?っていう、極自然の好奇心が…」というベイブ。
その身も蓋も無い答えに、「死んでしまえ!! 好奇心も何も、踏めば、おデコぶつかるでしょ! ぶつかったら痛いでしょ! 分かる? 俺の言ってる事、分かりますか?! 分かりませんか?!」と黒須が叫ぶ。
間近で怒鳴られ、如何にもうざそうに顔を顰めてそむけるベイブに「何? その態度! うあ! ねぇ! このオデコ、見て! ほら、痛そう!」と、やっぱりうざく言い募った後、「あー、もう既に、こんな上司に仕えなきゃならん事態に、後悔の波が…」と、黒須は暗い声で嘆く。
黒い首輪は、どうも、ベイブに仕える者の証らしい。
溜息混じりに黒須は口を開いた。
「ま、とにかく、ゴタゴタしたが、目的は達せられた。 ごくろーさん。 全くもって、邪魔ばっかりしてくれたが、あんた達がいなきゃ、竜子捕まえられなかったのも事実だからな、一応料金は振り込んでおく」
そう告げた黒須に、オッドアイの男性が「契約とやらは、済んだということかな?」と問う。
黒須は、頷くと、ズルリと舌を見せる。
その下の中程に、丁度薬指が嵌る位の小さな穴が開いていた。
「こいつが、王宮の鍵穴」
そう黒須が、言った時、「きゃぁぁぁ!」と零の悲鳴が、その場に響いた。
思わず、零の指差す方向を眺めそして、考える間もなく、竜子に飛びつく。
竜子は、何処に隠し持っていたのか。
小さなナイフを振り上げ、自分の指を切り落とそうとしていた。
鍵にしようと、言うのか?
鍵にして、黒須を追いたいのか?

馬鹿な事を!

無我夢中で竜子の体を抑え込む。
男性恐怖症だからだろう。
「あ! うあ! は、は、離れろ! 離れてくれ!」と震えながら喚いているが、可哀想だが、その言葉を受け入れるわけにはいかない。
「っ! 止めるな! やらせてくれよ!」
そう叫ぶ竜子。
エマも、竜子に走り寄り、「馬鹿! 何をしようとしてるの! 馬鹿、馬鹿!」と怒鳴りながら、竜子の腕を捕まえてくれる。
「痛いのよ?! やった事ないけど、指を切るって、絶対痛いの!」
そうエマが言うのに同調して、、「俺もVシネで見たけど、大層痛そうでしたよ?」とのんびりとした声で、封禍が言った。
「自分で言ってたじゃない! 取り返しがつかないって! 貴方まで、あっち側に行くことないでしょう? せめて、もっと、大人になって、色んな判断が出来るようになってから!」
そう言われ、悔しげに、身を捩るように、唇を噛みしめ、涙を零す竜子の姿を見て、シオンは気付く。

ああ、竜子さんが言ってた、唯一触られても大丈夫な人って黒須さんなんだ…と。


ああ、そうか。


竜子さんは、黒須さんのこと、好きなんだと。


でも、それでも、こんな子が、女の子が指を切るなんて…。

そう、竜子の決心を否定するシオンの耳に「イイんじゃない? 好きにさせれば」という、気のない鵺の声が聞こえた。
勢い良く振り返り、エマがキッと鵺を睨み据える。
「何が良いの! こんな、未成年者が、そんな!」
鵺は、そんなエマから視線を外し、竜子に向かって問いかける。
「覚悟、決めてんでしょ? 女なんでしょ? まこっちゃんの事守りたいんでしょ?」
竜子は、コクリと頷いた。
黒須が険しい声で「変な事けしかけんじゃねぇぞ? お嬢ちゃん。 そいつは、カッとしやすい性格なんだ。 しかも、18の小娘が、指を落とすなって、これからの将来に影響するような事をやんのを、俺は許すつもりはねぇよ。 霧華にも、竜子の事はくれぐれもって頼まれてるし、俺ぁ、兄貴代わりとしても、そいつが真っ当な人生送るのを見届けてやんなきゃなんねぇ。 こっち側になんか、来させやしねぇよ」と、言う。
ベイブも、厳しく凍りついた声で「娘は来るな。 お前は、まだ年若い。 そんなお前を、呪われた王宮に繋ぐ事など、出来はしない」と言い、鵺に「馬鹿な事を申すな」と言って睨み据えた。
だが鵺は、そんな言葉を全く聞かず「若いとかさ、女だからとか、関係ないよね。 人生の決断の時なんざ、訪れるタイミングを選ぶ事は、誰にも出来ない。 鵺は、まだ13だけど、色んな事を選んできた。 竜子さんが、今、此処で、大事なものを守りたいと決断したのなら、それが絶対に揺るがないのなら、追えばいいじゃん。 行っちゃえばいいじゃん。 他人の道行きを、邪魔する事なんて誰にも出来ない。 竜子さんの自由だ。 捕まえて、離したくないものがあるのなら、それ捕まえとく為に、人生も、命も賭けちゃった方が、後悔しないよ」と、笑いかける。
竜子は、その言葉に頷き、黒須に視線を向けると「あたい、そっちに行くよ? 許して貰わなくたって構わない。 あんたの事逃がすもんか。 あたいの、知らない場所へ行かないで。 寂しい事をされる位なら、あたいは全部を賭けて追ってやる。 このお竜さんの覚悟はね、霧華さんが死んだ時から、ずっと決まっていたんだ。 ナめんじゃないよ!」と、啖呵を切り、それから鵺にニカッと笑いかけた。
「あんがとな。 お前、結構格好良いぞ」
そして、竜子はシオンとエマに交互に視線を向け、「ごめんよ。 ヤらせてくれよ。 心配してくれんの嬉しいよ。 すっげぇ嬉しいけど、でもさ、大丈夫だよ。 たかが、指なんだ。 あたいの大事な物は、何にも欠けやしないんだ。 お願いだよ」と訴える。
黒須が「早く、そいつから、その物騒な物取り上げろ!」と怒鳴り、ベイブが「馬鹿な言い分を聞く必要はない! そんな娘に指を断たせるなど、してはならない!」と叫ぶ声が聞こえる。
シオンは、どうすればいいのか分からなくなった。
どうすれば、正しいのかも…。
今、手を離せば、竜子は指を失う。
そんな風に傷ついて欲しくなかった。
あの格好の良い、漫画の主人公のような竜子が痛みに呻く姿など見たくなかった。

でも、同時に、何の躊躇もなく指を、惚れた男の為に捧げられる覚悟が格好いいと思った。


シオンは、困った気持ちのまま、周りを見回す。
封禍は、 鵺の言葉に絶対服従だから、ベイブや、黒須の言葉に首を振っている。
いずみは強い目で、竜子の顔を見つめていた。
オッドアイの男性は全てを見通すかのように、エマとシオンを交互に見つめている。
モーリスは、微かに微笑み、頷いてみせた。
鵺が、「…ね? 行かせてあげようよ」と囁く。
その言葉を合図に、シオンと顔を見合わせ、泣きたいような気持ちになりながら、ふっと腕を掴む手を緩める。
コレが正しいだなんて思えない。
思えないけど、邪魔をしちゃいけないんだとは、思った。
それは、分かった。



竜子が「ありがとうござんした」と、いつの時代の言葉か分からない御礼の言葉を口にすると、躊躇いなくナイフを振り上げ、自分の指に振り下ろす。
肉と、骨の立たれる嫌な音と共に、「ぐぅっ!」という竜子の叫び声を堪えた呻き声が聞こえてきた。
シオンは思わず目をそらす。
竜子は今にも気絶しそうなほど青ざめ、脂汗を浮かべていた。
「馬鹿が!!」
そう怒鳴り、竜子の側へと這ってくる黒須。
「馬鹿が! 馬鹿が! この、馬鹿女が!」
そう罵り、竜子の左手を持ち上げ、なんとか止血しようとする。
だが、そんな黒須をスッと制止し、微笑を浮かべたまま、モーリスが「貴女に触れても宜しいですか?」と竜子に聞いた。
痛みに涙を流し、呻きながらも、コクリと頷く竜子。
すると、モーリスが両手を合わせて唇を寄せ、淡い光を宿し、そっと、指を切り落とした後の、竜子の傷口に触れる。
すると、見る間に、竜子の傷口は塞がり、そこから新たな指が生えた。
「っ! え? な! えええ?!」
竜子が驚いて叫び声をあげ、黒須も目を見開きモーリスの秀麗な顔を凝視する。
「…あ、あんた、手品師かなんかかい?」
竜子の、ズレまくった質問に、モーリスが笑顔で頷くと「そうなんです。 それも、かなり腕利きのね」と、シレっと答えた。
凄い!
こんな能力を持っているなんて!とシオンは感嘆し、同時に恨みがましい気持ちになった。
お願いだから、そういう事が出来ると、最初に言ってくれ。
まあ、モーリスが、「本当に指を無くしても、黒須を追いたいのか。 その覚悟があるのか」確かめたのだろうと思い、それにしたって黙ってじっと見ていた辺り食えない男だ、と改めて確信する。
いずみが小学生とは思えない強い声音で黒須に言った。
「竜子さんが、ここまでの覚悟見せて、まさか、連れて行けないなんて、言えませんよね?」
その言葉に、顔を見合わせる黒須とベイブ。
ベイブは眉間の深い、深い皺を刻み、色のない唇を気に入らなさそうに歪めると、「…仕方ないな」と呟く。
「ハァ?! お前、正気かよ!!」と叫ぶ黒須に冷たい一瞥を送り「お前が、この娘を此処まで追い込んだのだ。 自業自得だろう」と、ベイブがにべもなくあしらうと、黒須は、目の前に差し出されている真っ赤な血に染まった指を見下ろし、頭を抱えて「もー、知らねぇ。 もう、どーなっても知るもんか!」と呻いた。




靴を脱ぎ、優しく、そっと平伏す竜子の頭の上にベイブの足が置かれる。
「俺への態度と、随分違うじゃねぇか…」
黒須が苦々しげに呟くので、思わず苦笑を浮かべてしまった。
「あー、あのー、えっと…し…しんめぇを…、えーと…」
「身命を賭して、貴方にお仕え申し上げます」
いずみが、冷静な声で、竜子に言う。
「あ! そう、それ! それなんでよろしく!」
そう言う竜子に深々とため息を吐き、「ちゃんと、宣誓だけはしてくれ」とベイブが言った。
「うー、身命を賭して、貴方に…お仕え…もうしあげます」
「我、そなたを『千年王宮』の住人と認めよう」
ベイブが哀しい目で、憐れむように竜子を見下ろして囁き、足を退けるとその髪をサッと払ってやる。
竜子の喉には、赤い首輪が巻かれている。
彼女はそれを嬉しげに触り、それから自分の胸の真ん中、晒しで隠れるギリギリ辺りに空けて貰った鍵穴にも手を置いた。
ベイブは、クルリと背を向けると「私は疲れた。 先に、戻る。 貴様ら二人も、適当に準備を済ませて、後から来い」と告げ、瞬きする間もなく消える。
脱力したように、へタンとしゃがみこんだままの竜子はまず鵺に「あんがとな。 背中押してくれて」と笑いかけてきた。
そして、いずみにも「お前、よく一遍聞いただけで、あんなの覚えられたな。 天才だな」と笑いながら言った。
時間が経ち、元の姿に戻った黒須は、シオンが貸した上着を羽織って、うずくまったまま、「てめぇが、アホなんだ。 アホ!」と、怒りの篭った声で言うと「こいつが、あんなあほな事しでかしたのには、お前らのせいでもあるんだからな」と恨みがましい目で見回してくる。
だが、シオンにしてみれば、自分だって巻き込まれただけであるし、今回は興信所側の人間として行動して無い以上、そんな風に責められる謂れはない。
むしろ、竜子のある程度は、望んだとおりの結末を迎えられた事を、結構喜んじゃったりしちゃってた。


色々謎は残っているが、一先ずは大団円といった所だろう。


その後、シオンは黒須の為に数人の人間と服を購入に向かうのだが……。





どんな服を購入してきたかは、竜子の変装のために買った、ブリブリのピンクの服を思い浮かべて頂き、推して知るべしという言葉で、この話を終わりたい。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【2318/ モーリス・ラジアル  / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん(食住)+α】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】
【3880/ 久我・高季  / 男性 / 63歳 / 医師】


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■         ライター通信          ■
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最早、遅れるのがデフォルトになってしまっていて申し訳ありません。
初めましての方も、そうでない方も等しくごめんなさい。
駄目人間駄目ライターmomiziで御座います。(土下座)
今回こそはと、願っていた個別通信もやっぱり出来そうになく、歯噛みしております。
締め切り延ばしても、遅れるというのは、最早、私自身そういう病気なのかもしれません(開き直り)
なので、暫く山辺りに篭って療養生活をすべきかと!

うー、そんな優雅な人生を送ってみたい。

さて、今回はNPCとして、妙な三人を出してみました。
この二人は、この後異界に登録予定。
また、遊んでやって下されば幸いです。
しっかし、こう、今回は私の趣味が如実ににじみ出たお話になっていて、なんとも気恥ずかしいです。
NPCの登場といい、世界設定といい、今まで以上に、楽しませて頂きました。
この長さも、そのせいです!

本当に、長々とした物語にご参加有難う御座いました。
尚、momiziのウェブゲームは、登場人物全ての方、それぞれの視点に即した物語となっております。
お暇なときにでも、他のウェブゲームにもお目通し頂けると新たな真実や、自分のPCが他PCにどう思われていたのかを、知る事が出来るかと思います。

ではでは、またお会い出来る事を、心よりお祈り申し上げております。