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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


薬指下さい



オープニング


Side A 黒須誠


「田舎の…ヤンキー…ねぇ?」
 別に怪奇絡みという訳ではないのに、どうしても気乗りしないのは、目の前に座る男が胡散臭いという言葉を人の形にしたらこうなっちゃいました的な男だからなのだろうか。
 万年貧乏の分際ながらも武彦は、客相手とは思えない程に声に覇気がなかった。
「ああ。 如何にも!って、感じの女だ。 もう、『THE・ヤンキー! 目標は、北関東のお姫様!』みたいな…」
「はぁ…」
「好きな男のタイプは、勿論永ちゃんって感じの…」
「勿論…なんだ…」
「バイクの改造が趣味で、普段着は勿論ジャージ。 でも、キめる時は特攻服みたいな…」
「……今時、そんな娘本当にいるんですか?」
 まるで、昔のヤンキー漫画にでも出てきそうな、形容詞の数々に何故だかうっすらと頭痛を覚えつつも問い返せば、男は自信たっぷりに頷いた。
「一人称が、『あたい』だぞ? 凄いだろ」
そう言われて、思わず頷き返す。
今時、『あたい』。
もう、何がどう、凄いのか分からないが、とにかく凄い。
「で、年は幾つ位なんです」
そう言われて男は何故か、眉根を寄せると渋るような声で「聞いても、役に立たんというか、むしろ混乱するだけだと思うんだがな」と言いつつも、「確か、今年で18になったはずだ」と答えた。
18。
まだ、未成年だ。
そんな年若い娘を、どうして、自分よりも10は上だろうと思える年嵩の男が、探偵まで雇って捜そうとしているのか分からない。
(痴情の縺れか?)
年は、かなり離れているが、今の時代さして珍しい話でもない。
きな臭いとは感じるが、怪奇絡みでもなく、さして面倒そうでもない依頼だし、何より金欠男に断るという選択肢もなく(ま、いらぬ詮索は、止しとこうかね)と武彦は胸中で呟いた。
男が、首を傾げ「どうだ? 引き受けてくれるか?」と問うてくる。
 背中まである、女性ならば羨まずにはおれない程の綺麗な黒髪がシャラリと揺れるのを、何となく気持ちが悪いような視線で武彦は眺めた。
 例えば、この鴉の濡れ羽色ともいうべき見事な黒髪の持ち主が年頃の女性、それも妙齢の美女なんかであれば、武彦はもっと愛想が良くなったかもしれない。
 いや、妙齢でなくとも、美少女なりなんなり、持ち主として相応しい容姿をしていたならば違和感はそれ程感じなかっただろう。
 だが、応接間のソファーにどっしりと腰を下ろしているのは、間違いなく男性。
 それもいい年をぶっこいた、おっさんと呼ぶに差し支えない年齢の男性だったりする。
 差し出された名刺に書かれていた名は黒須誠。
 スッとナイフで切り裂いたような大きめの薄い唇を皮肉気に、人を小馬鹿にするかのように片頬だけ釣り上げた笑い方をする男で、喋りも達者ながらも、どこか口調が信用ならない。
オーソドックスなダークスーツ姿と、丸い小さな遮光眼鏡を掛けているのが尚、胡散臭さを増させており、何よりその眼鏡から覗く、蛇のようなとも言うべき、細く、どれほど口元は笑みを浮かべようとも決して緩む事のないつり上がった目つきが気に入らなかった。
 尖った顎と、痩けた頬が笑顔ですら大して良いとは言えない人相が、真顔になればどれ程嫌な顔つきになるのだろうと思わせる険しさを有しており、折角の美しい黒髪も、彼の胡散臭い空気を助長しているだけだった。
 雰囲気自体がどことなく、は虫類系の生き物を感じさせる湿った空気を発していて、ヒョロリとした細い体型も、軟体動物のような骨の無さを思わせる。
 クタリと首を傾げたまま、黒須は「とにかく、目立つ女だ。 すぐ見つかるだろうとは思う。 報酬はちゃんと支払うし、何なら前金として、半額今から渡したって良い。 とにかく、急いでるんだ。 今日中に動き始めて欲しい」と別段焦りのない声で言う。
武彦は、「分かりました。 お引き受け致します」と答えると、それからずっと疑問に思っていた問いを口にした。
「それにしても、興信所の職員まで雇って捜そうとするだなんて、その子何したんです?」
武彦の問いに、黒須は唯でさえ細い目を、底光りするような剣呑な光を宿してさらに細め、低い声で囁いた。
「その女が、大事なモンをかっぱらって逃げやがってな。 どうしても、モノを取り返さなきゃならねぇんだ。 どうしても…な」
その、ゾッとする程に不気味な表情に、何故か妙な吸引力を感じ、魅入られるような心地になりながら武彦は問いを重ねる。
「何を、盗まれたんです?」 
すると、黒須はぬめるようなニタリとした笑みを浮かべて、歌うように答えた。


「薬指さ」



本編


怪奇事件を専門に取り扱っている興信所があると聞いて、ただ純粋に興味をひかれたというのもある。
別段暇な身でもない自分が、草間興信所にそれでも足を運ぼうかと考えたのは、こういう場所で働いている人間と懇意になれば、興味深い情報を手に入れられるかも知れないと考えたからであった。
だが、久我はそんな自分を少し後悔し始めていた。
今日はただ、主人と少し話しをしようと考えていただけなのに、何だか訳の分からない内に「人手が足りない」とかで手伝ってくれと頼まれてしまった。
断ろうかとも考えたのだが、草間武彦という主人に招集され集ってきた者達が如何にも久我の好奇心を擽る面々だったのと、それに依頼人・黒須誠から感じられる空気が大層異質に思われたので、少しばかり関わってみようかとも思い、唯々諾々と興信所に残ってしまったのがいけなかった。
先ほどから、真っ赤な目と、翡翠のような目が交互に自分の目を覗き込んでくる。
久我の目はオッドアイだ。
右目が青みがかった濃い灰色。 左目は朱金色をしている。
その目がよっぽど珍しいのだろう。
「ほー」やら「へー」やら言いながら、銀髪、赤目の美少女と、金髪緑眼の美青年に交互に珍しい生き物を見る目で眺められ、いい加減うんざりし始めていた。
銀髪の美少女は鬼丸鵺、金髪の美青年はモーリス・ラジアルというらしい。
どちらも、かなり特殊な力の持ち主である事は、気配からも推察できるが、それにしたって非常識な態度といわざる得ない。
興信所には久我や鵺、モーリス以外に、小学生ながらも言動から高い知能を有している事が感じられる飛鷹いずみ、知的な美貌を持つ興信所の事務も行っているというシュライン・エマが集まっていた。
物珍しげな視線に耐えかねて、帰る事すら先の行動の視野に入れていたのだが、武彦や依頼人が依頼の説明を始めると、怪奇というよりは、猟奇の範疇に入りそうな依頼内容に興味を引かれ、話に聞き入ってしまう。
そして、一通り説明を受けた後、気になったことを黒須に問うていた。
「薬指を盗まれた…とは、どういう事なのかな?」
そう久我に問えば、黒須は肩を竦め、「どういう事も何も、言葉通りさ」と答えてくる。
それでは、答えになってないと、久我は黒須に、更に突っ込んだ。
「その薬指と言うのは貴方のものかな、それとも?」
その問いに黒須は面食らったような、キョトンとした顔をし、見渡せば同じように真剣な表情で皆から眺められている事に気付いたのだろう。 一気に破顔する。
「悪ぃ。 言い方が分かりにくかったな。 指は、俺のじゃない」
それからひらひらと自分の両手をかざしてみせると、「有難ぇ事に、俺の指は全部無事だよ」と、笑みを含んだ声で答えた。
骨ばった、長い指が並ぶ、大きめの手。
少し長めに伸びた爪は、先が綺麗に尖っている。
その掌に並ぶ指は、一本たりとも欠けてはいなかった。
その瞬間がっかりしたような声で「なーんだ。 ヤクザさんの、エンコ詰めした指見れると思ったのにぃ〜」と心から残念そうに呟く鵺。
何故に、女子中学生が、そんな専門用語を?!と、久我は強張るが、いずみなど小学生の身でありながら動じた様子なく、「じゃ、どなたの指だったんです? それとも、それは比喩なんですか?」と、黒須に問うていた。
「比喩? いや、本当に薬指だよ」
そう面倒くさそうに答え、それからキロリと音がしそうな眼球の動きで、舐めるように集まっている面々を見回す。
「ま、変な依頼だと思われんのは、しょうがねぇけど、俺としてはだ、女さえ捕まえてくれりゃあ良いんだよ。 俺が、取り返したい代物が、どういう由来のものかなんて、知らねぇでもよ、ド派手な金髪ヤンキー女なんざ、すぐに見つけだせるだろうが」
そう、何処か嫌気のさしているような声で言われ「確かにそうですけど…でも、貴方が盗まれたというものがものですから、ほら、危ない仕事じゃないのかしら?なんて、ちょっと気になっちゃって…」と、エマが慌てて口を挟む。
黒須の言葉に、(しかし、事の経緯がよく掴めない以上、探られるのは致し方ない事だろうに…)と、久我が思えば、黒須は長い髪をうっとうしげにかき上げながら、「フン」と鼻を鳴らし、黒須はヌルリと音がしそうな流し目でエマを射た。
「危ねぇ仕事や、怪しい仕事も、ビビんねぇで引き受けてくれる人材が揃ってるっつうから、ここ頼ったんだが、見込み違いか?」
そう言われ、興信所スタッフとして働いている身故か、エマがむっとした声で「いえいえ。 ただ、そう…ね、左指を取り返したいだなんて依頼に好奇心を刺激されてしまっているだけですよ? 私も、みんなもね? その、女の子だって、すぐ、見つけ出してみせますよ。 もう、アレよね? 三秒? うん、三秒位で!」と、言う。
思わず、(三秒…? 本当に、そのような能力を持つものが?!)と戦き、周りを見渡せば、皆が必死の顔で無理無理と手を胸の前で振っている。
どうも、はったりらしい。
「もう、かなり、凄いですよ? ていうか、有り得ない位凄い! 情報収集能力だって、ウチの職員は高いんです!」
そんな状況を無視し、そうエマが力説すれば、物凄く疑わしげな視線で、黒須が久我達に視線を送ってきた。
女子小学生一人。
女子中学生一人。
明らかに、浮世離れした風体の美青年が一人。
久我はまだ、頼りになりそうな空気は醸し出しているが、しかし、探偵をするには背が高く、変わった瞳の色と良い外見も少々派手だ。
とにかく、「え? マジで、興信所職員?」的なメンツを前に、改めて不安に陥ったのだろう。
「ほんっとーに、大丈夫なのか?」
と黒須が武彦に問えば、なぜか武彦は、疑わしい事この上ない自信満々な笑みを浮かべながら親指を立て、続いて視線を送られたエマも、武彦と同じような笑みを浮かべながら「グッジョブしますよ? うちは」と、親指を立てる。
(何だろう。 この信用出来ないオーラは…)と黒須の疑いの視線に納得するものの、モーリスが、のほほんとした口調で「かなり、頼りになる面々ですよ。 我々は」と言い、鵺は、コクコクと頷いている。
まるで、新手の押し売り集団のような図に、「来るトコ間違えたか?」と頭痛を感じる久我。
黒須は、そんな様子に色々諦めたのか肩を落とし、適当な感じの声音で「あ、うん、期待してます」と、あっさり引き下がると、いずみが冷静な声音で「では、まず、どうします?」と、皆に問いかけた。
「黒須さんの仰るとおりの外見をしていらっしゃる方なら、聞き込み等従来の手段でもすぐ発見出来そうな気がしますが、東京は広いですし、やはり、場所は絞った方が良いかと思われるんです。 黒須さんは、その方が何処へ行かれたか全く心当たりはないんですか?」
その的確な問いかけに、「うわ。 俺、小学生だと知りつつも、凄い今、このおチビちゃんの事を頼もしく思ってるよ…」と、黒須は顔を覆って呻き、「心当たりね…。 いや、ねぇこともねぇんだが…」と呟く。
いずみは明らかに気分を害した声で「私の名前は、『おチビちゃん』じゃなくて『いずみ』です」と訂正し、「心当たりがあるのなら、話は早いじゃないですか。 それは、何処です」と聞けば「アテになんねぇぞ? あいつは、史上稀に見るっていうか、最早、それわざと? ね、わざとなんだろ?的方向音痴だからな。 自分が行きたい方向の逆へ、逆へと見事に選ぶ判断力からいっても、目的地に無事着けている可能性など、ゼロだな。 ゼロ」と、断言する。
黒須の力説に「そこまで言わなくても…」なんて久我は思いつつも、「方向音痴の逃亡者」なんていう、何だか間抜けな響きの呼び名が思い浮かび、ちょっと苦笑してしまう。
「この前なんざ、自分の住んでるアパートの部屋を見つけ出せなくなったつってたらかな、天才だな。 うん、天才」と黒須が言うに至って、先の行動を、全く読む事が出来ないという事においては、結構厄介かもしれないと、久我は考えを改め、いずみも眉根を下げて「困りましたね。 それじゃあ、場所は絞り込めない」と、呟いた。
しょうがない。
式神の力を借りるか…。
久我は、少しばかり面倒な気持ちになりつつも、黒須に向かって「貴方は、その薬指の持ち主の髪の毛か、もしくは、現在追っている女性の髪や持ち物をお持ちではないか?」と問いかける。
どうして、そのような事を問われるのか分からないのだろう。
「指の持ち主の髪を持ってるっちゃあ、持ってるが…」と、不思議そうに問い返してきたので、「では、その髪拝借させてもらいたい」と久我は手を出した。
久我が何をしようとしているのか、皆分かっていないのであろう。
疑問に満ちた視線たちに囲まれて、とりあえず、自分の職業の説明をしようとしたのだが、陰陽師の一族である「久我家」の経営する総合病院の外科医で、本業は医者だが、陰陽師の力も勿論持っているという事柄を長々と説明するのが面倒臭くなり、「俺は、陰陽師を生業としている。 媒体となるものさえあれば、それを元に式神を作り、対象者の気配を追う事が出来る」と、とりあえず今は、自分の仕事は陰陽師である事にする。
久我の言葉を、立場柄不思議な能力を持つ人達を大勢見てきたのだろうエマが「へぇ、久我さんって陰陽師の方だったんだ」と自然に受け止め、皆も、自分自身何某かの能力を持っているからか、自然にその言葉を聞いてくれたが、黒須はそうはいかない。
「陰陽師ぃ〜〜?」と、あからさまに信用していないような声をあげ、疑いのまなざしで久我を見てくる。
そんな黒須の様子に、モーリスが面白そうに「陰陽師の方に対してそんな風に驚かれるという事は、この興信所がなんて呼ばれているかって事もご存知ないんですか?」と問いかけた。
「は? 草間興信所だろ? ここは」と黒須が当然の事のように言いながら武彦を見れば「その通り」といった調子で武彦は頷き、「おい、余計な事言うんじゃねぇよ」とモーリスに釘を刺す。
だが、モーリスは、「怪奇事件専門の興信所。 あちらにおわす草間さんは、怪奇探偵の呼び声も高いんですよ?」とあっさり笑顔で答えた。
何故か、ぎくっとしたような声音で「か…怪奇?」と呟く黒須。
モーリスは頷き「この興信所は、この世ならざる者たちの起こす事件の解決率の高さは凄いんですよ? ゆえに、集まってくるスタッフも、皆それぞれに特殊な能力を持っている方が多く、陰陽師さんの他にも、西洋魔術を使われる方もいますし、所謂超能力って言うんですか? オカルトの分野で語られているような能力の持ち主の方もいらっしゃいます」と、何でもない事のように言う。
黒須は、その全てが初耳なのだろう。
細い目を精一杯見開き、不信感を滲ませた表情を見せ暫く黙って、皆を見回すと、何かを決心したかのようにぱっと立ち上がり「ハイ、お疲れ様でしたぁ!」と、唐突に手を叩きながら声を張り上げた。
「えーと、折角集まって頂きまして、まっこと恐縮なのですが、今日は、これにて解散!っていうか、永遠に解散!って事で…」とそこまで言った所で、この客逃がすか!とばかりに、黒須に取りすがり、「いやいやいや、解散しちゃ困るから!」と叫ぶエマ。
「黒須サン! ソンナコト言ワナイデ、チョット、マカセテミナサイヨ! サービススルカラ! ネッ、シャッチョサン、シャッチョサンッテバ!」と、何故かエマが出稼ぎ外人な口調で黒須の袖を引けば、「えー? なんで、いきなりフィリピンガール?」と後ずさりする、そんな黒須の耳元で武彦が「や、こうみえても、あいつら、かなり良い仕事しますよ? それにね、ほら、考えてみて下さいよ。 そういう能力がある奴らの方が、こういう、所謂『人捜し』なんていう、一般的な仕事に対しても常人では有り得ない早さで成果をあげられたりするもんなんです。 別に他に何か不便なところがある訳でもなし、任せてくださいよ」と唆すように囁く。
その二人の見事なコンビネーションに、この二人ただの同僚以上の関係かな?と感じていると、鵺が小声でいずみに「凄いね。 連携プレーだよ。 息ぴったりだよ」と言っていた。
いずみも頷きながら「最早熟年夫婦の域に達してるわね」なんて同意している。
黒須は、前後をエマと武彦に挟まれ完全に困惑していたが、久我に顔を向けると「あんた、あー、アレだ。 本当に、陰陽師で、式神?なんてもん、作れんのか?」と問われたので、余計な事を色々言うより、目の前で見せてやった方が話は早いと久我は静かに頷き再度手を出す。
その掌の上に、黒須は「自分の」髪の毛を一本抜いて差し出した。
眉を潜める久我。
これでは、相手を追えない。
「…貴方自身の髪では、対象者を追う式神は作れない」
そう言えば、黒須はぽりぽりと頬を書きながら「その髪は確かに、薬指の持ち主の髪だよ」と訳の分からない事を言った。
(この男の指は確かに全て生え揃っていた。 なのに、何故、自分のものではない筈の薬指の持ち主の髪が、自分の髪だなんて馬鹿らしい事を言う?)
そう思い、訝しげな表情をしながら、それでも目を閉じ、呼吸を整えるかのように、久我は一旦静止する。
その後、気配を確かめる為にスルリと指先で髪をなぞれば、目の前の男から感じる気配とは全く違う、凛とした女性の気配が感じられた。
(馬鹿な?!)
そう思えど、結果は結果。
この髪は、確かに、黒須のものではない。
目を開き「…確かに…この気配は、貴方のものではない」と久我は黒須の言葉を認める。
女の髪が生えてる男。
怪異と呼ぶに他ならない出来事に、久我は黒須を凝視する。
怪異に対し、まるでそのような世界とは何の関わりもないというような、懐疑的な態度をとりながら、自分自身、何やら不思議を抱えている。
どういう事だ?
そう好奇心が刺激されるも、同時に、このような男に追われる身となっている、未成年の対象者の安全も気になる。
薬指の曰くが知りたい。
もし、黒須に邪悪な目的があるのなら、それを防ごうとして薬指を盗み、対象者が逃げていると仮定すると、うかうかと手を貸して良いのかすら危ぶまれる。
(式神に、俺の意思が介入できるよう、細工するか)
久我はそう考え、素早く借用している髪の毛に、自分の気を注ぎ込んだ。
有り得ない出来事を目の当たりにした鵺が、好奇心で目を輝かせ黒須を見据えている。
鵺ほど、顕著ではないものの、そんな不可思議を前に、皆が自分を注視している事に気付いているのだろう。
だが、何も言わずに、ただ、久我が「自分の頭皮から抜かれた髪が、自分自身の髪ではない」という非現実的な事実を、一撫でしただけで認めた事を少し驚いたように黒須は眼を見開いている。
久我は、懐から出した紙の人形を髪の上に置き、鋭く息を吸うと、腹の奥底から出ているような微かで、地を這うように低い声で、短く呪を唱え、片手で素早く印を結んだ。
その瞬間、紙の人形がフワリフワリと浮き上がり、興信所の扉の近くまで浮いていく。
久我の思い通りに動く、式神の完成だ。
初めは、貰った髪の毛で対象者の気配を追う式神を作る予定だったが、黒須のいない場所で、対象者から話が聞きたかった。
薬指を盗んだわけや、その薬指の使い道や何か、聞いても答えてくれそうにない黒須から問い質すより、そちらの方法の方がずっと確実に思える。
それに、久我としては、対象者の身の安全も確保したい。
だから、この式神を使って黒須を、全く別の場所に案内し、別行動をする所まで話を持ち込みたかった。
依頼人を出し抜こうとする行為は、興信所員としては失格なのかもしれないが、今回は、強引に手伝わされているだけだし、久我としては、そこはそれ程気にならない。
問題は、他の者達が、この行為に賛同してくれるかどうかだが……。
エマや、いずみをチラリと眺めれば、思い切り不信感を露にした表情で、黒須を見ている。

ま、大丈夫だろう。
むしろ、諸手をあげて賛同してくれるかも知れない。

黒須は、固まったまま、久我が行った術を眺めた後、式神の姿を目で追いながら掠れた声で「おいおいおい。 マジかよ? マジで、ああいう事ができちゃう訳?」と、呟き久我を信じられないものを見るような目で見る。
「何? ここにいる奴ら、みんなそーいう事出来ちゃう訳? うあ、俺はてっきり、どっかの新興宗教団体が関わってるカルトな、場所に足を踏み入れちまったって思ってたのに、フカシじゃなかったのかよ…。 こういうおかしな話は、俺の周りだけじゃねぇのか…」
そこまでブツブツと呟くのを聞いて、最後の一文に引っかかりを覚えた久我は、(…俺の周りだけ?)と胸中で首を傾げる。
モーリスが、微笑を浮かべたまま「御自分の周辺で、『怪奇』なんて呼ばれる出来事に遭遇なされた事があるのですか?」と問いかければ、黒須は、一瞬にして無表情になり、それから「ま、とにかく、あいつ捕まえてくれるなら、なんだっていいやな。 さ、案内してくれ」と、声を掛けてきた。



後ろを並んで歩く、鵺と黒須の他愛のない会話を聞くとも為しに聞いていた久我に、鵺の質問攻撃に辟易したらしい黒須が声を掛けてきた。
「なぁ。 その、紙っきれの言うとおり行きゃあ本当に、あいつんとこ辿り着けんのかよ」
フワフワと浮遊する式神を指差し発せられる、未だ疑わしげな黒須の言葉に久我は、涼しげな目元を瞬かせながら振り返り「信じがたいものかも知れないけどね、下手なガイドよりは信用の出来る代物だよ?」と答える。
(ま、本来ならね)
そう心の中で付け加える久我。
この式神が向かっている先は、まったく出鱈目な方向だったりするのだが、勿論そんな事は口にしない。
久我の繊細そうな指が、ひらひらと閃いて式神を操るのを、黒須がまるで手品の種を見抜こうかとするような、真剣な視線で眺め「ふうん」と小さく呟いた。
さて、この疑り深そうな男を、騙さねばならない。
「ただね…」と少し残念そうな顔を黒須に向ける。
「ただ、この式神では、ある程度の場所は特定出来るが、人通りが多い場所などでは、気が分散して分からなくなってしまうんだ」
そう言えば、式神の事も、何も分かっていなさそうな黒須は「へぇ、そういうもんなのかねぇ」と、納得したんだか、してないんだか分からない声を出すと「じゃあ、その『ある程度』の場所まで行ったら、二手にでも分かれて捜すか」と久我が望んだ通りの事を提案した。
鵺が、此方の意図に気付いたのか、何も他意を含んでなさそうな声音で「そうだね。 6人で、一緒に行動する事もないしね」と黒須の言葉に同意する。
そして黒須が、エマに先の行動について相談している間、鵺がチョイと久我の腕を引いてきた。
「うちらの事二手に分かれさせて、まこっちゃんより先に、対象者見つけようって訳?」
勘の鋭い子だと思いながら、鵺の問いに、黙ったまま微かに頷く久我。
「確かに、まこっちゃんってばあ〜やしいよねぇ…。 そのまま引き渡せば対象者の女の子、どんな目に合うかも、分かんないしね。 でも、依頼人出し抜こうだなんて案、みんな乗ってくれるかなぁ?」と、首を傾げれば、久我は低く笑って「大丈夫だ。 皆、何かしらこの件には疑問を抱いているようだし、俺の策に乗ってくれるだろう。 勿論、貴方もね」と、視線を送る。
面白いものをいつも貪欲に探しているような目の瞬きが、久我のやろうとしてる事は、結構楽しめそうだと言っていた。
別に、どんな動機だろうが構わないのだ。
協力さえしてくれれば。
そう考えはすれど、こんな中学生がいて良いものかと、何だか空恐ろしいようにすら思えてくる。
ニカッと笑いかけられたので、「いずみさんといい、この頃の年若い人というのは、怖くなったものだ」と久我は、元来の年齢に即したコメントをすれば、何だか不思議そうに鵺に見上げられた。






場所は原宿、竹下通り。
ここまで、皆を連れてきた久我は、足を止め「此処、二手に分かれて捜そう」と提案する。
「ムキャー! あのTシャツ可愛いーー! いいなー。 鵺、欲しいなー」
「暫く来てないうちに、色んな店が出来てますね…。 とりあえず、クレープでも頂きませんか? あ、あの雑貨屋さんに並んでる、ティーカップの良いですねー」
騒ぐ鵺と、明らかに脱線した事を言っているモーリス。
チーム分けの際、この二人と一緒に、行動する事になったらしい黒須が、早くも自らがどれ程振り回せるのか思い至り、青くなっている。
何も言わずとも、いずみも、エマも、久我の思惑を悟り、その上で賛同してくれたという事だろう。
このグループ分けは、かなり、恣意的なものを感じる。
黒須に、エマが張り切ったように「えーと、じゃあ、黒須さん、ここらで分かれますか!」とシュパッと片手を上げた。
「っ! おい! え? こいつらと一緒で大丈夫なのかよ? 何か、チョコバナナクレープとか、明らかに人捜しをしている人間が口にすべき単語が聞こえてくるんだけど!」と叫ぶ黒須の片腕ずつを鵺とモーリスは掴み、「あの角のお店が、クリームたっぷりでうんまいんだよーv」と鵺がはしゃぎ、「あ、その後、古着屋めぐりしましょうね?」とモーリスが提案する。
「いやいや! 違うから! 此処へ来た目的、違うから!」と喚いてはいるが、ずるずると引きずられていく黒須に久我は、(…申し訳ない)と心中で謝った。
何だか、とてつもなく悪い事をしたような気がするのは何でだろう?
哀しげな目で見送っていると、エマが「さて、どうします?」と久我を見上げてくる。
「とにかく、黒須より先に対象者を捕まえよう。 貴方も、彼女を、そのまま黒須に渡すわけにはいかないと考えているんだろ?」と、久我は問うた。
当然という風に頷いたエマに微かな安堵感を覚え、いずみも「久我さんの式神さえあれば、確実に先に、捕まえることは可能だと思います」と、黒須と離れられた安堵を滲ませた声で答えた。
そういえば、先ほどの黒須にとっては残酷とも言えるグループ分けは、いずみが行ったのだという。
黒須の状態を思い浮かべ、この可愛らしい小学生が、集まった者達の性格を把握し、この先彼がどうなるかまで計算して、グループ分けを行ったのだろうか?と一瞬考え込み、その後、深く考えると怖くなるのでやめようと、自らを止めた。
そんな久我の戦慄には勿論気付かず、「で、この竹下通りの何処らへんにいらっしゃるんですか?」と、問うてくるいずみ。
その問いかけに、まぁ、自分も、かなり性格は悪いかと思い直しながら、久我は人を食ったような、澄ました顔を見せると「対象者は、原宿近辺にはいない。 我々が後にしてきた、草間興信所の近くにいるよ」と答えた。




「つまり、出来るだけ、興信所近くから離れようとしたって事ですか?」
元来た道を引き返す為、駅に向かう道でいずみが問いかけてくる。
「ああ。 下手に興信所の近くにいると、鉢合わせの可能性があったしな」
「じゃあ、何故、竹下通り?」
「式神に気配を追わせた際に、対象者が、竹下通りを訪れた事が分かった。 移動をした後である事は、判明していたから、一度離れた場所を再び訪れる事はないだろうと思ったのが一点。 あまり、出鱈目な場所では、対象者の事をよく知っている黒須に悟られるのでは?と思ったのが、あの場所を選んだ理由だ」
式神から感じた気配を元に立てた計画を話せば、いずみとエマが顔を見合わせて拍手を送ってくれる。
それから、エマは、何かを思い出しかのように、バッグから携帯電話を取り出した。
「どなたかに、ご連絡を入れるんですか?」と、いずみが問えば、「うん。 零ちゃんがね、今日買い物でかけてるっていってたから、人通りの多いとこ出てるなら、もしかしたら対象者らしき人が周りにいないか、捜して貰おうかな?とか、始めは考えていたんだけど、ほら、今、興信所の近くに対象者がいるなら、零ちゃんが、もし興信所に戻っていたら、捜してもらえるじゃない」と答える。
零とは、興信所で聞いた所によると、確か、武彦の妹さんの名前だったはずだ。
いずみが、興信所には武彦がいることを思い出してだろう、「草間さんにお願いしても宜しいのでは?」と、言えば「あ、いや、武彦さん、別口から調べてみるとかで、今興信所を留守にしている筈だから…」とエマは答えた。
「武彦さん」という呼び方からしても、エマは武彦とはやはり親しい間柄なのだろうか?久我は「貴方は、あの草間氏とは、どういうご関係なのですが?」と、何気なく問いかける。
唐突に携帯を操る手を止めて固まるエマ。
「あ? え? ご、ご関係? え? なんで、です?」
そんな、挙動不審なまでの動揺を見せるエマをあっさり放置し、いずみが「あ、恋人同士です」と久我に答えた。
「こ! いや、恋人、同士なんて、そんな…」
おろおろするエマを、久我は横目で眺め「ああ、やはりね…」といずみの言葉に納得する。
「随分、親しい様子でしたし、そうではないかとは思っていたんだけどね…」
そう言われ、エマは照れ臭そうに、「恋人同士っていえる程の間柄じゃないけど…、そうですね、武彦さんが別の女性の方と仲良くしていたら、咄嗟に三百発位殴ってしまう位の仲ではあります☆」と頭を掻き、顔を真っ赤にしながらサラリと告げ、(年若い子が怖くなったのではなく…女性が怖い時代なのかな…)と、久我に遠い目をさせる。
だが、そんな様子には全く気付かなげに、改めて携帯から零に連絡を取るエマ。
そんなエマを暫く恐れの入り混じった目で眺め、それから久我は、少し気になっていた事を何気ない調子でいずみに問うた。
「いずみさんは、黒須さんではないけど、小学生の身で、こういうアルバイトをしていて、危ない目なんかにあったりしないのかい?」
先ほど、皆で竹下通りに向かう際、小学生の身で、興信所に出入りしている事を黒須に不思議がられていたのを見かけた時から、久我も少し気になっていた。
興信所の仕事というのは、世の中の裏側に関わる事も多い仕事だと思う。
小学生の内から、そんな世界に足を踏み入れて良いのだろうか?
そんな疑問すら久我は抱いていた。
久我の言葉に、キョトンと彼を見上げてくるいずみ。
「危ない目…には、合いますけど、社会勉強になりますし、何より…このお手伝いで、とても大切なものを手にする事が出来たりしますから」
いずみの言葉に「例えば?」と優しい声で問えば、いずみは、ほわんとした、何か幸せな出来事を思い出すかのような表情をする。
そして、考え考えしているかのように、ゆっくりと喋り始めた。
「今年の夏の話なんですけど…、興信所がらみで、自分にとって最も大事な人の死と、これからの自分の生を一気に背負わされる事になった、私よりも幼い男の子と友達になりました。 その子の背負う荷物を、分けて貰う事は出来なくても、その子が笑っていられるお手伝いがしたかった。 私は、夏休みの殆どを、その子と過ごしました。 楽しかった。 悲しい結末を迎える事になりましたが、それでも、幸せでした。 私は、夏休みの間に、少し自分が成長出来たって、確信してます。 私は、幸福な子供です。 この年で、色んな世界を見、色んな経験をさせて貰っている。 つまり、そういう事です」
久我は、いずみの言葉に、その賢さに、何だか、胸が突かれる様な気持ちになる。
こんな風に、この年で、これほどまでに、聡くて、どうして…。


たくさんの無理の中に存在する我が身を想う。
ゆっくりと、外見上はだが、人よりもかなりゆっくりと年を重ねてきた。
不自然な時の中に生きる身を澄んだ黒い瞳に見つめられ、なんだか、自分の事をとても憐れに感じた。
「そういう事?」といずみの言葉尻を捉えれば、いずみは小さく頷いて、言葉を続ける。
「つまり人生勉強だという事です。 私は、勉強の手段の中に、この興信所のお仕事も入れている。 成長する為に、私はこのお仕事をしているのです。 だから、小学生だから大変だとか、そういう事はありません。 むしろ、小学生だから、小学生の身で、こういう事件を見る事が出来るから、幸せだと思います」
久我はそんないずみの頭に手を置いた。
子ども扱いは苦手らしいから、出来るだけ不快感を与えないよう、柔らかく、そっと頭を撫ぜる。
幸い、いずみは嫌がらずにじっとしていてくれた。
「貴方は、賢い子だ。 本当に、賢い…。 俺が、どれ程生きようとも、きっと、いずみさんの賢さには届かない。 俺は、どれ程生きれば……」
不意に零れ出た苦渋の滲んだ声。
別に、何も後悔するような生き方をしてきた訳ではないのに…。
なのに、いずみの健全さが、聡くも伸びやかな思想が、羨ましかった。
「あの…私は…そんな、賢くなんて…」
いずみが、途切れ途切れに、久我の言葉を否定しようとした瞬間だった。



「ばかぁぁぁぁ!!!!!」



エマの、絶叫が二人の穏やかな空気を霧散させた。
驚き視線を送れば「すぐ出なさい! そっから、すぐ出なさい!」と、エマが喚いている。
零に電話を掛けている筈なのに、どうも、受話器の向こうにいるのは、別の人間っぽい。
「ちょっと! 竜子さん? あなた、よっく聞きなさい! あなたがね、今いる、場所! その事務所! そこはね、黒須に『あなたの事を捜し出すよう』以来されてる、興信所なの!」
その言葉を聞いて、(まさか…)と眩暈のようなものを感じながらも、久我は確信した。
間違いない。
受話器の向こうにいるのは、今、自分達が、黒須より先に接触しようと必死になっている、対象者だ。
しかも、エマの言葉から察するに、竜子という名らしい対象者は興信所を…、対象者にとっては敵の本拠地とも言うべき、興信所を訪れている。
エマが、ひきつったような声で再度叫ぶ。
「ホントにばかぁぁぁぁ!!!! あほ! ミトコンドリア! 誰が、そんな事言ったのよ! っていうか、零ちゃんが、良い子だなんて、私はよぉく知ってんだからっ!」
(え? ミトコンドリアって、単細胞って意味なのかな?)なんて、とりあえず心の中で突っ込み、耳を済ませれば、子供に対し噛んで含めるような言い方で、エマが受話器の向こうに語りかけ始めた
「…あのね? 竜子さん。 まず、大前提として、零ちゃんはなぁんにも知らなかったっていうのがあるの。 私もね、さっき聞いて驚いたのよ。 あなたが、そこにいるって事にね。 で、いい? 竜子さんは、今、黒須さんに追われてるでしょ? その黒須さんは、今全く別の場所で貴方の事捜してる。 ウチの興信所スタッフの方が、黒須さんを、わざと、見当違いの場所へ誘導してくれたの。 それは、何でか分かる?」
18歳の女性相手とは思えない口調。
多分、竜子は、「偶然」零と知り合い、何某かの遣り取りの後、零に案内され、興信所を訪れていたのだろう。
そんな「偶然」あるのか…と、頭痛のようなものを感じるが、まぁ、考えてみれば、「対象者に、黒須より先に接触したい」という此方の望みから考えると、幸運ともいえるかもしれない。
色々ややこしい事になっているようだが、エマの口調を思うに、大分物分りの悪そうな相手が、ちゃんと理解出来ているか不安になる。
エマが再び激昂したような様子で、「あのね! 貴女を守りたいの! よく分かんないけど、すぐさま貴女を、黒須さんに引き渡すのは、とても不安なの! だから、捕まりたくないんだったら、今すぐそっから逃げなさい!  今は、別の場所に誘導出来てるけど、その場所はね、いつ何時、誰が戻ってくるか分からないし、黒須さんだって、いつ、そっちに向かうか分からないから!」と、一気に言い放ち、それから、幾分声音を落として、「あとね、零ちゃん達に、今言った事情説明して、逃げるのを手伝って貰いなさい。 で、一度貴女と黒須さん抜きでお話したいの。 だから…そうね…、何処か…良い場所…貴女、麒麟亭って分かる?」と、と言った。
麒麟亭…。
確か、雑誌か何かで見た事がある。
ドライカレーの美味い店らしいが、待ち合わせ場所として有効なくらい有名な店なのか…と、久我は考える。
竜子も、店の場所を知っていたらしい。
エマは、一つ頷き「ええ、そこで集合。 良いわね?」というと、それから矢継ぎ早に指示を与え始める。
「それでね、貴女、多分、人目で貴女だと分かるような格好をしてると思うのよ。 特攻服、着てるわよね?」

「零ちゃんに服貸して貰うなりなんなりして、格好変えなさい。 髪の色は?」

「じゃ、スプレーかなんかで、色変える」

そうポンポンと放たれる言葉に、竜子がどれだけ目立つ格好をしていたのか思いを馳せつつも、エマの指示能力の高さに、舌を巻きつつ「うっさい! 捕まりたいの?! っていうか、私たちが、貴女のためにどんだけ頑張ってると思うのよ? とにかく、今は言う事聞く! OK?」と、凄みのある声で、そう言い聞かせるにいたって、殆ど尊敬の念を彼女に抱いてしまっていた。
「返事は!」
「っ! オッス!」
受話器の向こうから、焦ったような女性の返事が漏れ聞こえてくる。
エマは、その返事に満足げに頷くと、「じゃ、零ちゃんと、シオンさん、封禍さんに宜しく。 私たち、30分位で着くと思うから…。 あと、連絡は、メールでくれるように、零ちゃんに伝えて。 電話だと、もし、黒須さんと合流せざる得ない事態に陥った時、色々まずいからね」と、最後の指示を与え、電話を切った。
そんなエマに「エマさんって、色んな意味で気合入ってますよね」「いや、中々のお手並みだった。 感服したよ」と、久我といずみがそれぞれ、感心しながら言う。
エマは、少しくすぐったげな表情を浮かべながらも「さ、ちょっと急ぎましょうか?」と、真剣な声音で二人に声を掛けてくる。
エマの話の内容から、大体の事情を察する事が出来たいずみと久我は、確かに急ぐに越した事はないと二人揃って、黙って頷いた。




夕闇迫る、駅のホーム。




走り込めば、妙に目立つ三人組が立っているのを見て、息を呑む久我。
「っっっっつたく! ほんっと、ロクでもねぇ!!!!!」
そう人ごみの中叫び、つかつかと青筋を立てて歩いてくる黒須の姿に驚き後ずさるエマと、硬直してしまったいずみを庇うかのように、一歩久我は前に出る。
何故、気付かれたのかは分からないが、あの表情を見れば、此方が何をしようとしていたのか、全て見通しているという事だろう。
こうなった以上、潔く詫びるしかない。
「舐めた真似してくれんじゃねぇか? え?」
そう低い声で問われ、「貴方を騙そうとした事は、まことに申し訳なかった」と久我は頭をい下げる。
「しかし、あまりにも貴方が情報を明かして下さらないから、どうしても、こういう行動をとらざる得なかった。 対象者は、未成年であるし、我々、社会に生きる者は、未成年者を守る義務がある」
そう言い募れば、久我の言葉を逆手にとって、「だったらよぉ? 社会に生きるモンは、仕事も誠実にこなす義務っつうもんが、あるんじゃねぇの? な? 姐さんよぉ」と、思いっきりチンピラ口調でエマを問い質した。
だが、この言葉にはグゥの音も出ない。
相手は、客で、此方が雇われ職員なのだ。
その客を騙そうとしたのがバレた以上何を言われても俯くしかない。
無事盗品を返却して依頼人を満足させ、対象者の身柄も確保する。
それが、久我の望む結末だった。
「式神、だっけか。 アレが、本物だって認めてやるよ。 目の前でフワフワ浮いたんだしな。 つまり、あんたの力も本物だって、認めてやろうじゃねぇか」
黒須が、そう久我に言う。
「だがな、だからこそ、ムカつくんだよ。 陰陽師さん。 あんた、ちゃぁんと、あいつの居場所は分かってたんだよな? なのに、俺を騙して、此処まで連れてきた。 そこの姐ちゃんも、おチビちゃんも、ぐるだ。 俺を、此処で泳がせといて、あいつを逃がしてやろうってか? っていうか、っていうか、あいつらはなんだ!」
そう言いながら、ズビシ!と、背後でニコニコと立っているモーリスと鵺を黒須は指差し、「もう! すっげぇ、プロ! ムカつかせるプロ! ムカプロ! よくもまぁ、滅茶苦茶に振り回してくれたもんだ! 俺は! 甘いもんは嫌いだ!」と、喚く。
意味の分からない言葉にエマが「はぁ…」と相槌を打てば「なのに、何故か、俺の手に握られていた、イチゴクリームクレープ! 甘い! そして、くどい! なのに、なんか…!」と、黒須は言葉に詰まる。
「だって、三種類の味食べたかったんだもん!」
「そうですよ! 黒須さんだけ、食べないなんて、ノリ悪いです!」
と、今の状況を分かっているのか分かってないのか、多分分かっているから、もっと性質が悪いのだが、そう不満げに言う鵺とモーリスを見て(どのような目に合っていたのだろう…)と、同情してしまう久我の気持ちを後押しするかのように「アホかぁぁ! こちとら、どんだけ急いでると思ってるんだよ! あいつ、怒ると、うぜぇし、しつけぇし、蹴り飛ばされるしで、ロクな事ぁねぇんだ! ていうか、お前ら、分かってて、俺のこと振り回してただろ?」と怒鳴りながら、半眼になる黒須。
「あいつって、誰の事です?」
と、いずみが耳聡く聞きとがめた疑問を口にするも、あっさり聞こえなかった振りをして、モーリスと鵺に向き直ってくる。
「なぁ、おい? お前ら、分かってて、俺の事をあっちの店やら、こっちの店やらひっぱり回して、こいつらに協力してたんだろ!」
「こいつら」の部分で、エマ達を指差した黒須に、鵺とモーリスが二人揃って「テヘv」と笑いかければ、黒須は深いため息を吐くと「お前んトコの興信所、最悪だな」とエマに告げた。
「今回の仕事は、ナシだって、言いたいトコだが、マジで時間がねぇ。 その上、そっちの陰陽師さんは、あいつの居場所を確実に掴んでいる。 だったら、案内して貰うぜ? それが、あんたらの仕事のはずだ」
絡みつくような視線に睨み上げられ「…断れば?」と静かに問い掛けた久我に、黒須は穏やか故に、凄みのある笑みを浮かべて「ま、しょうがねぇから、ありとあらゆる手段をつかって、『草間興信所』の評判を下げさせて貰おうかね」と答える。
その言葉に青ざめたエマの顔をクタリと特徴的な首の傾げ方を見せて、視線を送りニタリと黒須が嗤った。


どうして、黒須は全て察せられた?
少なくとも、最初、二手に分かれようと己から提案していた時点では疑われてはいなかった。
竹下通りで別れた時とて、同様だ。
ならば、いつ気付いた?
竹下通りのような人通りの多い場所で、いずみ達が黒須を出し抜く為に、駅に向かったとて、それを黒須に気付かれる可能性など、0に等しい。
ましてや、完全に人ごみに紛れ移動をしていたのだ。
気付かれるはずが無い。
電車の中、平静を装いながらも、相当に悔しかったのだろう。
エマが、睨むような視線で黒須に問いかけている。
「どうして…分かったんです? 私たちが、貴方を出し抜こうとした事」
すると黒須は「竹下通りから、あんた達が遠ざかるのが、匂い…っと、見えてたんだよ」と、何か言い掛けたのを慌てて留めて、違う言葉に言い直した。
(匂…い? どういう意味だ? この男、何を、隠している)
新たな疑問を抱えながら、黒須に関して感じている疑問を整理する。
(自分の髪の毛が、盗まれた小指の持ち主の『髪の毛』である事。 どうも、自分より上の立場の人らしい『あいつ』って人の存在。 こんな風に、全て見透かされてしまった事。
 匂い…という言葉…。 薬指をどうして、竜子さんは盗んだのか? 何より…)
そこまで考えた所で、いずみが何気ない口調を装いながら、一番大事な疑問を黒須に投げかけた。
「黒須さんは、その対象者の方、捕まえたらどうなさるおつもりなんです?」
自分としても、何より気になっていた問いに、黒須が何と答えるか耳を澄ます久我。
皆同じ気持ちなのだろう。
黒須の周りに、深い沈黙が落ちる。
それを知ってか知らずか、わざとらしいまでの愉悦を含んだ声で「まぁ…、落とし前つけてもらわなきゃならないだろうな。 さて、どんなお仕置きをしてやろうかねぇ」と、囁く。
鵺が、場違いに楽しげな声で「お仕置き〜? うわ! なんか、結構、楽しげな響き?」と、黒須に言った。



興信所の最寄り駅の改札口を出た瞬間、エマが力の限り絶叫した。
「って、馬鹿かぁぁぁぁっぁぁあぁあああ!!!!」
ただでさえ、目立つ集団なのに、会社帰りの人々からの視線が一気に集中し、いずみはたじろいでしまう。
だが、しかし、しかし、エマが叫ぶのも無理はない。
無理はないのだろう。
何故か、そう、何故か。
エマに教えて貰った麒麟亭のある筈の場所とはまっっったくの、逆方向であるこの場所に、いた。


素っ頓狂な格好の物体。
うん、物体で良い。
明らかに不自然な栗色の髪。
それ、何処で見つけたの?と、震える指で指したい、物凄いレースが沢山あしらわれたブリブリの服。
頬にピンクのチークを塗りたくられ、唇も、ショッキングピンクの口紅をつけた、ファンデの厚塗りのし過ぎで、物凄く気持ちの悪い顔色になっている女。
そんな女が、目を見開き、大げさな位強張った顔で黒須を見つめている。
(あの人が……竜子さん…だな…)
三秒で分かった。
ていうか、こういう格好をすれど、ヤンキーな雰囲気が伝わってくるというか、もっと引き立てられているというか、とにかく酷い。
黒須の言っていた、特攻服やらが目立つと思い変装したのかもしれないが、全然駄目である。
変装じゃない、これは仮装だ。


最早、怖い。


そんな女を間に挟んで立っている男性が、片やモデルのように整った容貌とスタイルを有している青年と、紳士的な容貌をした渋い男性だったりするものだから余計、余計惨い。
その上、その女と何の経緯か手を繋いで歩いている零と思わしき少女が、美少女と呼ぶに差し支えない容姿だったりするもんだから、何の罰ゲームそれ?って位悪目立ちしている。
正直言って、変装は出来てるかも知れないが、追われる身の人間がしてて良い格好じゃない。
モデル張りの青年が「お嬢さん〜〜? 俺の授業抜け出して、こんな所で何してらっしゃるんです?」と、腰に手を当てて睨みを効かし、明らかにヤベ!という顔で、「あ、あれぇ〜? 封禍君、こんなトコで会うなんて奇遇じゃん!」と、鵺が片手を上げている。
授業という事は、鵺の家庭教師か何かだろうか?
どうも、封禍という名の青年から逃れて、興信所の手伝いに鵺は来ていたらしいのだが、今の状況を考えると、余りにも暢気が過ぎる遣り取りに、生徒が生徒なら、教師も教師か…と、項垂れる。
そんな、何処かしらほのぼのとしたやり取りを傍らに、憤怒の表情でエマが喚いていた。
「もう、何というか、愚か! 愚か者よ!」
そう錯乱するのも分かる。
いずみと、久我、エマが、三人で持って竜子の無事を確保する為、必死に頭を巡らせていたのに、全部台無し。
これで、台無し。
何も、目の前に現れる事はないだろう……とへたり込みたい気分になる。
方向音痴だとは聞かされていたが、ここまでだとは思いもしなかった。
ゆっくりと黒須を振り返れば、竜子の余りの姿に一瞬硬直したものの、何故か、血の様に真っ赤な舌先を少し唇から覗かせ、チロリと閃かせると、確信したかのように「竜子! てめぇ、自分が何したのか分かってんのか!」と叫びながら、竜子へと詰め寄ろうとする。
その瞬間、「逃げて! 竜子さんっ!」とエマが叫んだ。
戸惑ったように黒須を見つめ、エマを見つめる竜子。
黒須はその戸惑いに付け込むように、「逃げたら、お前の事を助けようとしていた奴らが手伝ってる『草間興信所』に迷惑が掛かんぜ? 分かってんだろ? あいつが、ちょっとばかし、手段を選ばない人間って事はよ」と、脅し文句を口にする。
(また、あいつか…。 一体黒須さんにとって、『あいつ』とはどのような存在なんだ…)
だが、久我がそんな風に悩んでいる間にも、黒須はねっとりとした口調で、竜子を追い詰めていた。
「恩義受けた人間に、迷惑掛けて平気なのかよ? えぇ?」
卑怯極まりない言葉に、唇を噛み締め俯く竜子。
「イイ子だから、アレ返せよ。 な?」
唆すような口調でそう囁き、黒須は竜子へと近付いて行く。
だが、久我は己がどのように動けば良いか判断がつきかねていた。
黒須の請求は、限りなく正当なものだ。
盗まれた己の物を返して欲しい。
当然の要求だ。


だが…。


その薬指、どんな思惑を持って欲しているのか、さっぱり掴めない。
それに、このまま、竜子を引き渡して良いものかも、悩みどころだった。

黒須は、厭らしい笑みを浮かべながら竜子へと近付いて行く。
竜子は、ポケットに手を入れて、俯いていた。
「……ちゃんと、渡したら、零達に迷惑かけねぇですむのか?」
掠れた声。
その声を聞き、少し可哀想だなというような気持ちになった刹那、「行こう!」と零が一声叫び、握ったままの竜子の手を強くひいた。
「っ! でも、あたい、零達に迷惑掛けたくないよ……」
「そんな事ね、気にしないでよ! 馬鹿! 友達でしょ? 私、友達なんだよね? 潰れない! 私のお兄ちゃんの興信所はね、汚い手、どれだけ使われても潰れないよ! そうだよね!」
零の強い声。
零の言葉に、少しばかり驚かされる。
だが、確かに、黒須の態度は、不快感を煽るものではあったし、零が竜子の友人であるというのなら、その友人が追い詰められている姿を見て、怒りを感じるのも当然なのだろう。
(今は、静観しておくか…)
そう考えて腕を組み、一歩後ろに下がる。
零の言葉に、竜子と一緒にいた紳士が感銘を受けたように何度も頷き「そうですよ! 大体、私は、女の子の味方なんです! 竜子さんのしたいように、なさって下さい。 大丈夫です、草間さんトコは万年潰れそうだけど、絶対になんでか潰れないんです! しつこいんです!」と、微妙にずれた事を言い、いずみも「零さんがそう言っているんです。 とりあえずは、行って下さい。 今、ここで、こんな風な言葉に、貴女が屈する事はない」と強く言う。
最後にエマが、大きく口を開くと「竜子さん! 興信所、私が守るから、貴女は行って!」と叫び、それから「こんな、糞野郎に負けるなんて、悔しくてやぁってらんないのよ、畜生! 私たちの為にも、逃げなさい!」と、無茶苦茶な事を喚けば、竜子は一気に破顔し、「あんたら、すげぇ、格好いいな!」と叫び、そして、零に手を引かれ駆け出した。
「っ! 逃がすか!」
そう声を上げ、竜子を追おうとする黒須の前に竜子達と一緒にいた紳士が立ちふさがる。
「シオンさんっ! ありがとうございます!」
そう、走り去る零が振り返り叫ぶ声を聞いて、この男性がシオンという名である事が分かった。
「あんまり、暴力は好きじゃないんですが…仕方ないです!」
と言いながら、シオンがグイと手を伸ばし、その胸倉を掴もうとする。
その動きは素早く、かなりの腕前である事が察せられた。
だが、黒須は予想外にも驚異的な体の柔らかさを見せ、のけぞる様にして、その手を避けると、そのままバックテンをし、つま先でシオンの顎先を蹴り上げようとする。
咄嗟に後方に、頭をずらし、その攻撃を避けたシオンは、如何にも運動しなさそうな外見の黒須の予想に反した動きに目を見張り、油断ない構えを取った。
黒須は、綺麗な回転を見せた後、苛立たしげに表情を歪め「足止めくってる暇はねぇんだよ!」と吐き捨てる。
そんな黒須に、モーリスが笑顔で告げた。
「助けてあげましょうか?」
目を見開き、モーリスを見つめる一同。
久我は、好奇心旺盛な青年が言い出した言葉を、少しばかり興味深く聞く。
黒須が、少し笑みを唇に刷き「イイのかよ? 現時点では、俺の味方なんてしようもんなら、大顰蹙ものだぜ?」と問いかければ、モーリスは笑顔のまま「クレープ。 貴方のもの、殆ど頂いちゃいましたから、そのお礼という事で一つ。 それに、このまま、竜子さんに逃げられちゃうと、大層つまらないでしょ?」と答え、それから、シオンに視線を据えた。
「と、いう事で、すいません。 少々の間、窮屈な思いをして頂きます」
そう微笑みながら言われたモーリスの言葉に、困ったような顔で「窮屈ですか? 私、常時空の下で過ごしている人間なもので、どうも、窮屈は嫌いです」と答え、「だから、ヤです」と困ったような顔のまま、きっぱりと答えた。
シオンの言葉に笑顔を浮かべ、モーリスが両手を組み合わせ、薄く白い瞼を閉じる。
何をするのかと好奇心を煽られ、じっと眺めれば、モーリスは形の良い唇を組み合わせた両手に寄せると、淡い光が両手に宿り、ゆっくりと蕾が開くかのように、その美しい手を広げた。
手の内に小さな正方形の光の檻が出来ている。


「これは、貴方の鳥篭」


柔らかく微笑んでモーリスは、シオンに向かって、両手を差し出す。
その瞬間、シオンの周りに、淡く光る檻が構築されようとした。
不思議な能力。
どのジャンルにも属していなさそうなその力に、久我は息を呑んだ。
咄嗟の判断で、前に転がるようにして飛ぶ、シオン。
冬でもないのに嵌めている、左手の黒い皮手袋を脱ぐと、殆ど出来上がりつつあった光の檻に、その左手に刻まれている鮫のタトゥーを押し当てる。
一瞬、ほんの一瞬、何の魔法を使ったのか。
まるで、溶けるかのように歪む檻。
その歪みによって、大きくなった隙間から身を滑らせるようにして抜け出したシオンは、「っつううううう!」と叫び、左手を押さえた。
何やら無茶をしたようだ。
シオンも、何らかの能力の持ち主なのだろうか?
檻を、触れるだけで歪めるだなんて、尋常じゃない。
どうやら、他の者の態度を見る限り、興信所の関係者である事は間違いないのだろうし、彼も特殊な何某かの力を持っている見て間違いないだろう。
モーリスがうずくまるその隙に、一気に走り出した黒須は「助かった!」とモーリスに叫ぶと、シオンの横を抜け、零と竜子の後を追う。
久我は、こうなったら全て見届けたいと願い、黒須に続いた。





「っ! あんたも、俺の邪魔をする気か?!」
併走するように走れば、苛立たしげに黒須が問うてくる。
久我は頭を振って「ただ、見ていたいだけだ」と答えた。
「見る?」
不思議そうに問い返される。
「ああ。 貴方の秘密主義が過ぎるせいで、どうも色々気になり始めた。 見届けたい。 これから起こること、全て。 貴方の邪魔はする気はないよ。 その代わり、竜子さんも止めない」
久我を、キョトンと眺め、それから黒須は唇を歪める。
「あんた、変わってんな」
そういわれ、今度は久我がキョトンとさせられた。





黒須が竜子を追い詰めた場所。
そこは、高架線の下にある、人通りの全くない、薄暗い広場だった。
零に手を引かれ走っていた竜子が唐突に足を止め、「ヤメだ、やめだぁ! こう、逃げ回ってんのは、あたいの性に合わないよ! 誠! タイマンで、勝負決めようじゃないか!」と怒鳴り声をあげる。
零が驚いたように竜子を見上げ「タ…タイ…マン?」とか細い声で呟いた。
「アタイが負けたら、大人しく薬指は渡すよ。 そんかし、アタイが勝ったら、興信所の人達には手を出すな。 薬指も、返さねぇ!」
そう言いながら、竜子がピンクハウスのボリュームのある服を脱ぎ捨てた。
黒須が、呆気に取られたように立ちすくみ、それから、まぁ、立ち止まってくれて良かったという風に、ポリポリと頬を掻く。
下に着込んでいた赤いニッカポッカの上に白い晒しを巻いた姿に、零が抱えていた特攻服を受け取ってはおる。
他の皆も、ぞくぞくと追いつき始め、シオンから、黒須と竜子がタイマンで勝負をするなんていう、前時代な展開になっている事を聞いたエマは「タ…タイマン? 黒須と? 嘘、無理よ!」と、不安げに言った。
そんなエマに、零から借りたらしい、拭くだけで化粧を落とせるコットンで、顔面に塗りたくられている化粧を拭いつつ、「んな事ぁねぇよ。 あたいだって、修羅場幾つも潜ってんだ。 あんな、蛇野郎に負けやしねぇ」と言う。
そして、全て化粧を拭い、顔を上げた竜子の顔を見て、封禍やシオン、零といった、変装の際に素顔を見たらしい人間以外は、皆例外無く息を呑んだ。


長い睫と、真っ白な肌。
大きな目は、黒曜石のような光を放ち、薄ピンク色の艶やかな唇が、ニカッと、その整った容貌に似合わない笑みを浮かべている。
眉毛は全て剃ってしまっている為、少々不気味には見えたが、逆にそれが精巧な人形の如き印象を人々に与えいた。
これで、金髪に染めてたっていうんだから、化粧してなきゃ、本当に西洋人形だ。
あんなへんてこりんな化粧の下に、こんな素顔があろうとはと感じ、まじまじと凝視する久我。
その視線をものともせず、「零、悪ぃけど、あたいのポーチから、口紅だけ頂戴」と告げ、零から真っ赤な口紅を受け取ると、竜子はグイと自分の唇に紅をひく。
途端に完璧なバランスが一気に崩れ、下品な印象になる竜子の顔。
だが、一気に力強さを得た顔立ちを凶悪に歪ませると「待たせたな! 準備は出来たよ! あたいが勝ったら、薬指は諦めるし、この人たちにも迷惑掛けないっていう約束、守れよ?!」と勝手に定めた約束を前提として叫び、特攻服の内側に仕込んでいたらしい、鎖をジャラリと取り出して、ブンブン振り回し始めた。
(一昔前の少年漫画だな。 これは)と、郷愁を覚えてしまいそうな、竜子の喧嘩スタイルに、久我は思わず遠い目になる。
だが、至って本気の竜子は、ビュッと音を立てて鎖を放つと、狙い過たず、面倒くさそうに立ち尽くしていた黒須の右腕に何重にも巻きついた。
「よっしゃ! これで、あんたの利き手は封じたよ!」と叫ぶ竜子に、心底うざったそうに「竜子、お前、もう、ほら、諦めろ? 俺が追ってる内に、折れるのが得策だぜ? いい加減、薬指返してくれ。 あれが鍵だって事、お前も知ってるだろ」と言い聞かせる。
だが、竜子はブンブンと首を振り「あたい知ってんだよ! あんたに、薬指返したら、どんだけ取り返しのつかないことになるか! だから、絶対に渡せないっ!」と叫び、ぐいと鎖を引く。
竜子が女性にしては怪力なのか。
単に黒須が非力なのか、黒須がずるずると引き寄せられる姿に「頑張って! 竜子ちゃん!」と、嬉しげに零が叫んでいた。
丸っきり、悪者扱いをされてはいるが、黒須に同情する気にはならない。
本人が、そのように振舞っていたのだから、致し方ない扱いではあろう。
黒須は、ふぅと小さくため息を吐くと、体の力を抜き、トンと地面を蹴って、引き寄せられる力にバランスを崩されぬように注意深い足運びで一気に前に走り寄った。
当然、力いっぱい後方に引っ張っていた鎖が緩んだせいで、後ろにすっ転んでしまう竜子。
(勝負あったかな)と、久我が考え、黒須がそんな竜子の緩んだ鎖を一気に振りほどくと、そのまま彼女を押さえ込みに掛かろうとした所で、鵺が「封禍君! ちょっとばっかり、遊んじゃってもいいよ? あ、でも、銃は使用禁止〜〜」と、まるでお預け食らっていた犬に「ヨシ」を出すような気軽に言うのが聞こえてくる。
家庭教師と生徒の関係というよりは、主従関係に近いのか?と久我が、疑問に思う間もなく、その瞬間、二人の間に封禍が飛び込み、踊るような手つきで、黒須の喉元まで手を突きつけ、その喉を押さえるようにして、後方へと倒した。

この人もかなり出来る人だ…l。
その身のこなしの優雅さに半比例するような、攻撃の威力に久我は目を見開いた。

封禍は殆ど、力を入れてないように見えたのに、なす術もなく倒れ付した黒須は、うずくまり「ゲホッ! ェホッ!」と唾液を垂れ流しながら咳き込むと、掌で口元を拭いながら起き上がった。
先程の衝撃で、遮光眼鏡が飛んでいた。
ゆっくりと、舐めるような目で封禍を見据える目は「黄色い目」。
爬虫類の特徴である、縦に虹彩が入ったその目に、久我はふと、駅の前、竜子に会った時に、黒須が舌を閃かせた事を思い出した。


そうか……。


黒須は…、黒須の正体は……。




蛇か。




「…くっそっ! タイマン…じゃねぇのかよ」
息荒くそう吐き捨てる黒須に、封禍が「タイマンですよ? 一対一でしょ? 俺と、貴方の」とわくわくした声で言い、それから容赦なく、黒須の腹を蹴り飛ばす。
後方へ吹っ飛んだ黒須は、仰向けに倒れた体を、何とか起こすと、「あー、もうっ! サイアク!」と苛立ったように呟き、そして懐から一本の短い刀を取り出した。
短刀と呼ぶには長く、しかし刀と呼ぶには短すぎる。
黒塗りの鞘に収まっている、中途半端な長さの刀を握り、「お兄さん強いし、一応二戦目って事で、ハンデ貰うぜ?」と囁くと、黒須は一気に刀を抜く。
それは不思議な光景だった。
真っ黒な蛇の気配が、その刀の周りでとぐろを巻いていた。
「妖刀。 それも、かなり邪悪な代物」
禍々しい気配に、久我は我知らず呟く。
ズルズルと、鞘から引き出された刀は、刀ではなく、黒く滑り光る艶を有している。
明らかに刃物ではない。
ズルズルズルズルと鞘の長さを超えて、抜き出されたその姿は、鞭。
鋭どくも薄い刃のような鱗をびっしりと身に纏わせた、長い長い、鞭だった。
何やら複雑な文様が描かれた皮手袋を手に嵌めて、柄の部分と、鞭の部分を両手で掴み、黒須はビンッ!と音を立てて、目の前で引っ張って見せる。
そして、真っ赤な、細長い、二股に分かれた舌を唇から這い出させると、ベロリと鞭を舐めあげた。
「キャ!」
恐怖のせいか、零が短い悲鳴をあげる声が耳に入る。
いずみが、エマの服の裾を掴んで震えている。
シオンは、零を背後に庇ったまま、ギッと音がしそうな視線で黒須を睨んでいた。
久我は何も言わない。
じっと、黒須を見つめる。
敵意はない。
邪悪な妖刀を持っていようとも、黒須に告げた「邪魔はしない」という言葉を守るつもりでいた。
ただ、興味を引かれた。
あの刀……。
まるで……。
「お兄さん、名前は?」
黒須の、掠れて、何処かに引っかき傷を残すような、少し高い声が封禍の名を問う。
封禍は、明らかな異形を目の前にしていても、楽しげな様子を崩す事無く、「魏幇禍と申します。 以後お見知りおきを」と答えた。
「へえ? 大陸の人かい?」
黒須も何処か楽しげな声で言いながら、ヒュンと音を鳴らして、鞭を地面に打ちつける。
「OK、OK。 じゃ、ちょっとばっかり、遊んで貰うかな? 痛い、痛い、思いをさせてやろう。 許して欲しくなったなら……」
愉悦の炎を点らせて、黒須の黄色い目がゆっくりと細められ、赤く長い舌が舌なめずりをし、囁いた。




「跪いて、足を噛んで」




ヒュン!と、音を立てて、一直線に鞭が飛ぶ。
その攻撃をバックステップでかわした、封禍の背後に回りこむように、鞭が踊り、そのわき腹を擦るようにして跳ね上がった。
予測不能な動きを見せる鞭に、久我は感嘆する。
「っ!」
小さく呻いた封禍の、仕立ての良いスーツは無残に裂け、わき腹には薄く血が滲んでいた。
「妖刀邪蛇丸。 俺の意思を汲んで動く刀。 とっても、痛くしてやるよ。 許しを乞うなら、今のうちだぜ?」
そう言う黒須に笑顔を浮かべ「おっもしろい武器だなぁ!」と封禍は嬉しげに言い、舞うかのような優雅な動きで鞭をよけながら距離をつめ、鞭が全く効果を発揮しなくなる、接近戦へと持ち込もうとする。
(確かに、近くに寄れば、鞭は機能しないだろうが…しかし…)
久我が黒須に視線を送れば、そんな意思など見通してるとばかりに、後方へバッグステップを踏みながら鞭を操り、ぐいと容赦ない一撃を、先ほどと同じように人全ての死角となる背中に浴びせかけようとしていた。
生きているかの如く動く鞭が、鱗を艶かしく輝かせながら、封禍に絡みつこうとする。
まるで、背中に目があるかのように、四方から襲いくる鞭を逃れる封禍ではあったが、あと少しで、黒須を射程距離に捉えるという瞬間、首筋を鞭先が掠め、ひるんだ瞬間、背中に鞭が振り下ろされた。
最早避けられまい。 久我がそう確信した瞬間、封禍は、信じられないような行動に出た。
ぐいと、倒れるように体を捻り、長い足を高々と上げると、


ダンッ!



と、強い音を立てて、手で掴むにはあまりにも危なすぎる鞭を、足で踏み押さえ込んだのである。
「お見事!」
と、楽しげに拍手するモーリスにチラリと視線を送り、会釈までする余裕を見せた封禍は、鞭を踏んだ足はそのままに、大きく一歩踏み込み、そのまま鳩尾辺りに体当たりをかまそうとしてか、体を低く屈め、全身で突っ込もうとする。
だが、その瞬間、黒須の握っていた鞭が一瞬にして縮み、そして、見る間に、あの黒い鞘に丁度収まる位の黒刀へと変貌した。
鱗の文様が刻まれた、艶々と黒光りする刀。
(変化した?! いや、むしろ、鞭の姿こそ、変化していた姿か?)と、より強くなる邪悪な気配に、久我の額に汗が滲む。
下手に突っ込めば、封禍は串刺しだ。
しかし流石というべきか、たたらを踏んで、封禍が自分に急ブレーキを掛けたのと、先ほどまで尻餅をつく、自分に絡まった鎖をわたわたとほどいていた竜子が立ち上がり、黒須に走り寄るのとはほぼ同時だった。
そのまま、漫画みたいなとび蹴りを黒須に喰らわせる竜子。
見事に蹴り飛ばされる黒須を見送りながら、黒須の腹辺りを蹴ろうとしていたのか、足を蹴りだす前の形のまま固まる封禍と、固唾を呑んで見守っていた面々は硬直する。
久我も目を見開いたまま、竜子を見つめた。
「アレ…だよな? しょうが…ないよな?」
何事がブツブツと呟く竜子と、そんな竜子に突然、怯えた表情を見せる黒須。
「だって…さ、みっともねぇとか、卑怯だとか、こんだけの人に助けて貰っておいて、言ってる場合じゃ…ねぇしな…」
黒須が青ざめたまま、「っ! り、竜子? お竜? やめろよ? っていうか、約束したよな? しないって、後で、どんだけお互い落ち込むか分かんねぇから、しねぇって」と、何事かを諭しだす。
呆気にとられたようにエマが「一体、何なのよ…」と呟けば、竜子はペコリと皆に向かって頭を下げて「皆さん、ご迷惑おかけしやした。 これから、ちっとばっかし、みっともないトコお見せ致しやすが、どうぞ、忘れてやって下さい」と告げると、強い瞳で黒須に向き直った。
「覚悟しろよ?」
そう言われ、後ずさりし、その上逃げ出そうと身を翻しかける黒須。
いきなりのこの立場の変化に、ついていけない一同だったが、竜子が手を伸ばし、ぐいと、黒須の長い髪を引っ掴んだ瞬間、全てが判明した。


「あらあらあら? お逃げあそばすの? 本当に、イケナイ小蛇ちゃんだこと。 よくってよ! よくってよ! わたくしが、躾けてあげる! 跪きなさい! 」



竜子は、「おーほっほっほっ!」と、高笑いして、傲慢な視線で黒須を見下ろしカン高い声で告げた。
「愛してあげる!」



「ひぃっ!」と、情けない声をあげて足掻く、黒須の背をゲシゲシと強く蹴り、堪らず彼が体制を変えた所で、その頬を容赦なく張り飛ばし、細く尖った顎を掴む。
「ま・こ・と? あぁた、下僕の分際で、このあたくしに、逆らうつもりですの?」
顔を近づけ、そう囁かれ、「す、すまん。 なんか、わからんが、本当に、すまん! だから、ちょっ! やめっ!」と、呻く黒須の頬を、また容赦なく張り飛ばす竜子。
「…その言葉遣いは何? 許して下さいでしょ?」
竜子の言葉に、抗おうとしているのだろうが、何だか陶酔を滲ませた声で黒須が答える。
「ゆ…るして下さい」



「それだけ?」
「許してください、りゅ……竜子様」
「違うわぁ? もう、本当に物覚えの悪い坊やね」
うっとりとそう言いながら、竜子が真っ赤な唇をキュゥッと吊り上げた。
「あたくしのことは、女王様とお呼びっ!」



「何だこれ」
久我は、魂すら抜け落ちそうな脱力感を感じて呟く。
これ以上、あほらしい光景はないんじゃなかろうか?とすら、悩んでしまうほど、馬鹿馬鹿しい光景だった。
「あー、何と言うか、凄く帰りたい気持ちになっているのだが…」
久我に虚ろな声に、「あははは。 久我さん、気が合いますね。 私も、全くおんなじ気持ちです…」とエマが答え、ため息を吐いている。
訳が分からない。
ていうか、どうでも良い。
ほんと、ちょっと帰りたい…なんて、投げやりな気持ちになりかけた時だった。

空から、何かが堕ちてくる気配を感じ、久我は勢い良く天を仰いだ。

何故か、それまで全く抵抗をしないまま、竜子の暴力を受け、蔑まれ続けていた黒須が身を強張らせ、さっと視線を険しくすると、竜子の体を突き飛ばし、周りに向かって「俺から、離れろ!」と叫ぶ。


その瞬間、突き飛ばされ、ひっくり返っている竜子の体を担ぎ上げ、久我は全力疾走をしていた。
何やら、「ア、アタイに触るんじゃねぇぇ!」と叫びながら大騒ぎしている声が聞こえるが、かまってなどいられない。



何か来る。


それも、強大で傍迷惑な何かが。



ここら辺まで逃げれば大丈夫かと足を止め、竜子を地面に下ろしてやった時だった。


鼓膜を揺さぶるような轟音が響き渡り、黒須の頭上に真っ白な光が物凄い勢いで落ちた。


「っく!」


風に煽られ、思わず歯を食いしばった。


何が来た?
どういう事になろうとしている?

黒須の異形な姿、訳の分からない出来事の連続、唐突に強い口調となって、黒須を圧倒した竜子、黒須の美しい髪。


薬指。


全ての中心にある、薬指。



薬指は、誰の薬指?





白い強烈な光が消え、眩しさに眇めていた目を見開く。
劈くような叫び声を竜子があげていた。



黒須が、大剣に貫かれていた。



銀色の刃が、間違いなく黒須の胸の真ん中から突き出されている。
物凄い勢いで剣を伝って流れ出る血が、地面に血溜まりを作っていた。
鉄の匂いが鼻の奥に突き刺さる。
一瞬、展開についていけない自分を見つける。



何故、黒須が刺されている?
何故?




長い黒髪が、その衝撃に舞い、そしてぐたりと俯く黒須の顔を覆い隠す。
その首に背後から腕を回し、抱え込みながら刺した剣をこれみよがしにゆっくりと引き抜く男がいた。
「……何を……している? 待ちくたびれた……。 と、いうか、ちょっと寝てた。 貴様は、とんだ能無しだ。 頼んだ仕事もろくにこなせん。 その上、下らん事にてまどりおって……」
嫌味ったらしく、ブツブツと呟きながら、男が顔を上げる。
竜子が憎しみの篭った声で、その男の名を呼んだ。
「リリパット・ベイブ! 呪われた王宮の王様が、わざわざ此処にお出ましとは、どういう了見だい?! とにかく、誠から、離れろ! そいつの鍵はあたいが持ってる! 返して欲しくば、まず、あたいとナシ付けるんだねっ!」
そう啖呵をきられ、ギリギリと黒須の喉を締め上げるように腕に力を込めていた腕をフト緩めた男は虚ろな表情で竜子の顔を見、そして久我達の顔を見回した。
「…どういう、騒ぎになっているんだ」
呆れたように呟くその声は低く、深く、洞穴を思わせる空虚さにみち、冬の空のような灰色の瞳が、暫し瞬く。
肌の色も、白を通り越して、白灰色にそまり、色のない乾いた唇は真一文字に引き結ばれていた。
眉根は深く寄せられ、その下にある目は隈が目立っており、焦燥が濃く滲む、生真面目そうでありながらも、酷く疲れを感じさせる顔立ちで、艶のない白髪は広い肩まで伸び、厳しい、とても厳しい表情のまま、深いため息を吐く。
体つきはがっしりとしており、背も高い。
虚ろで、陰気さが色濃く滲んだ顔立ちではあるが、狂気的とすらまで感じられる、ピンと伸ばされた背筋や、頑健そうな体つきは、本人自身のポテンシャルの高さを伺わせる。
何処の国の服ともつかない、だが、上着の丈の長さや、紋章などのあしらわれた作りからいっても、軍服か、それに類する正装なのだろうと思われる真っ白な格好をしていて、それが、唐突に「空から」現れたという事を含め、彼の非現実的な存在感を増していた。
黒須が、限りなく嫌悪感を相手に抱かせる容姿をしているとしたら、リリパット・ベイブ(小人の国の赤ん坊)という、その本名とは絶対に思われぬふざけた呼び名が似合わぬ男は、何処か後ずさりしたくなるような、黒須とは違う意味で人とは相容れない厳しさがある。


ゴボリ


黒須の喉が、生々しい動きを見せ、大量の血を黒須が吐き出した。 
黒須の事を嫌悪する態度を隠さなかったエマが、それでもそんな姿を見過ごせなかったのだろう。
「く…黒須さん?! 黒須さんっ!」
そう叫び、黒須に走り寄る。
ズルリと、わざと嬲るような陰惨な速度で剣が引き脱がれ、倒れ伏す黒須にエマが駆け寄り、その体を揺すった。
「ちょっと! ちょっと、なんなよ! わけわかんないわよ! 黒須さん! やだ! ちょっと!」
そう叫び、慌てて「れ、零ちゃん! 救急車! 救急車を、早く!」と叫ぶエマに、リリパット・ベイブが穏やかに言った。
「心配には、及ばない。 コレは、必要な儀式だから」
儀式?
どういう意味だ?
心配には及ばないという事は、黒須の命には別状はないという事か?


それに、リリパット・ベイブとやら言う、男の気配。
これは間違いなく…。


久我は疑問に耐えかね目をすがめながら、「貴方は、何処から来たのだ? 体は、どちらに置いてきた」とベイブに問う。
その質問に、「私の体は、『千年王宮』にある」と、ベイブは答えた。
(やはり、精神体! だが、千年王宮とは?)
久我が目まぐるしく思考を巡らせる間に、ベイブはピクリと黒須が震えるのをつまらなそうに見下ろした。
「勿体ぶらずに、とっとと暴かれろ」
そう言いながら爪先で、黒須の体を引っくり返す。
いつの間にか、日は沈み、暗闇が辺りを満たしていた。
切れ掛かった電灯が明滅を繰り返している。
高架の隙間から見える月が、魂の奥底まで冷やしてしまいそうな光を放っていた。
血で、口元を汚した黒須が凄絶な笑みを浮かべると「てっめぇ、時と場所を考えて…行動しろ…よ…」と呻き、それから黄色い目をいずみに向ける。
腹に大穴を明けた男の視線に、思わずといった感じで後ずさりをするいずみに「いずみ…、おっちゃん、あんま、気持ちの、良い、格好に…なんねぇ…から、目、チョットの間、塞いどけや…」と呟き、それから側にうずくまっていたエマに「お姐さんも、ちょっと、離れた方が、良いな…」と、言って、彼女がその場から少し離れた瞬間黒須の体が、勢い良く跳ね上がった。
見る間に、その姿が変化を遂げる。
「…ラミア」
ギリシャ神話の、リビアの女王の名が思い浮かぶ。
だが、目の前で繰り広げられる光景は、神話なんかじゃない。
間違いなく現実だ。



ズルリ。
身をくねらせて、黒須が体を起こす。
着ていたスーツが跡形もなく溶けさっていた。
長く黒い、美しい髪が滝のように流れ落ち、裸の肩を覆う。
ぼんやりと、ああ、黒須が美女だったならばと、これはこれで美しい情景だったのかもしれないと、残念な気持ちを覚えてしまった。
髪を舞わせて、顔を上げる。
黒須の、今日一日で、いやいやながらも、見慣れてしまった顔だ。
あばらの浮いた、貧弱な体だって、黒須のものに間違いないだろう。
だが、腰から下が違った。


ズルリ。


腹に開いた大穴は、いつの間にか塞がっていた。
黒須が滑る音を立てて、ベイブの元へと這い進む。
竜子が悔しげに呻いた。
「無理矢理条件整えやがって。 これで、あたいの鍵さえあれば、全てが思い通りってわけか」


可哀想に。
いずみが、引き攣った声で「ひっ! ひっ! なっ、い、いやぁ…!」と珍しくも取り乱した声で、断続的に叫んでいる。
「お姐さん」
黒須が、エマに視線を送った。
慌ててシオンの背後に隠れるように動くエマ。
だが、それでも「な、なんでしょう?」と、きちんと問い返してしまう辺り、エマさんの性格だなぁと、モーリスはちょっと感心する。
そんなエマを苦笑して眺め「あんた、知りたいって言ってたな。 こんな姿まで、見られちゃあ、全部一緒だ。 昔話でも、聞くか?」と、問いかけ、エマは否応もないといった様子でブンブンと頷いた。


「ありがちな話だ。 昔、惚れ合っていた男と女がいた。 女は、人とは違う種族の生き物だった。 だが、男はそれでも構わなかった。 女は夜以外は人間の姿でいれていたし、人間としての普通の生活を送っていた女だから、世間がそうであるように、二人の仲が深まれば、自然に結婚に行き着いた。 二人は平凡で、まぁ幸せな日々を送っていたのだが、ある日、女がある理由で殺されてしまった。 男は、自らの命を絶とうと心に決めるほど、絶望したが、女は死に際に男に言った。 生きて欲しいと。 そして、自分の全てを、貴方のものにして欲しいと。 男は、女の言葉通りにした。 それが、この結果だ」



月明かりに照らされ、濡れた輝きを見せる黒い鱗に覆われた大蛇の尻尾がのたくっている。
6.7メートルはあるだろうか?
その長く、丸太のように太い下半身をくねらせながら、明滅する明かりの中薄笑いを浮かべて立つ黒須の姿は、化け物以外のどんな呼び名も思いつかない。
確かにこれは、隠したくもなる真実だ。
何が、どうなって、こういう姿になってしまったのか。
それとも、元からこういう生き物だったのか。
醜い。
それは、酷く醜い姿だった。
だが、何故だろう、目を逸らせない。
あまりにも醜悪が過ぎるからこそ、引き寄せられるという人間心理の不思議さに、久我は首を傾げながらも、じっと黒須の姿を見つめ続ける。
そして、「全て、自分のものに…」という言葉に引っかかりを覚え、口を開いた。
「全て、自分のものに…とは、如何様な手段で?」
久我は、何故竹下通りにて、何故自分たちの行動を見破られたのか、その原因として考えられる事、それから新たに湧き上がった疑問も含め問いかける。
「貴方の目は、蛇の目だった。 舌だって、先が割れた、蛇の舌だ。 それに、あの時、俺たちが、あなたを出し抜こうとした時、いち早くそれを察したのも、その力のおかげなのでしょう? 蛇は、嗅覚鋭い生き物だ。 舌で、匂いを嗅ぎ分け、獲物の位置を探り当てるという。 貴方は、我々が立ち去るのを見たわけではない。 貴方は、我々の匂いが、竹下通り内から消えていた事に気付いて、駅へと先回りしたんだ。 そこまで、その亡くなられた女性と融合なされているという事は…」
そこまで、言って、ふと、言葉を止めた。
そんなになるまで、黒須が、霧華と同化した原因に唐突に思い至ったからだ。
思わず嫌悪に顔を歪める、
その表情を見て、黒須は嗤った。
「想像通りさ」





間違いない。



自分の全てを、貴方のものにして欲しい。



文字通りしたのだ。


食べたのだ。 
霧華の全てを。




「その結果、こういう生き物になった。 目や、舌、嗅覚こそは少々変化しちまったが、普段は、まぁ、そう人間とは代わりのない姿だ。 能力だって、体が柔らかくなった以外は、そんなに変化はねぇ。 あとは、まぁ、この髪かな」
そう言いながら不釣合いに美しい髪をつまみあげる。
「こいつは、元は俺の髪じゃない。 霧華の…俺が惚れてた女の髪だ。 切っても、切っても伸びてきて、キリがねぇんだよ」
「じゃあ、盗まれた薬指は…」
エマが、そう呟けば「そう、霧華のものだ」と、黒須が答える。
何故、そんなものを、竜子は盗んだのか…?と、再び疑問を抱えることになった久我ではあったが、今は口を挟む事無く、黒須の言葉の続きを待つ。
「普段はこうやって人間の姿ではいられる。 だが、夜限定だけどな、命を落としかけて、本来の俺の生命力が失われそうになった瞬間、こいつが出てくるんだ」と、言って自分の腰から下で蠢く蛇の下半身を愛しげに触れる。
そんな黒須に、漸くちょっと落ち着き始めたらしいエマが、いつもの冷静な声で「…自分が、そうなる事を予想して、黒須さんは、その、霧華さんを…?」と問いかけ、思いっきり素の顔で、下半身蛇の男に素の顔をしているという凄まじいシュールな状況ながらも、素の顔で「知ってたら、やってねぇよ」と黒須は返され、久我は思わず納得させられた。
「もう、大変だぞ? 生活無茶苦茶だぞ? 霧華、何してくれるんだと、お前、何考えてたんだ、俺のそんなに、駄目な恋人だったか? 何か恨みのでもあったのですか? と問いかけたい位、アレだぞ? しんどいぞ? 齢38にもなって、髪はこんなだし、雰囲気は蛇って事で、とっても悪いし、子供には泣かれるし、爬虫類苦手な人には敬遠されるし、視力は落ちるし、昼日中はサングラスかけねぇと殆ど物見えねぇし、あと、あとなぁ! あとなぁ!」
手をわななかせながら、堪りに堪っていた鬱憤をぶちまけるように喋り続ける。
何度も聞かされているのか、物凄くうんざりした顔で、腕組をしているベイブは「適当に聞き流すか、打ち切るかしないと、ずーーっと、愚痴り続けるぞ?」と言っているのだが、夢中になって話している黒須を、どうやって止めれば良いのか検討がつかない。
「しかも、だ! しかも、霧華がなぁ…! 霧華はなぁ…!」
黒須がそこまで言った所で、「クッ…」と呻き、いきなし、暗い声で、聞き覚えのあるナレーションを始めた。
「…奥様の名前は霧華。 そして、だんな様の名前は誠。 ごく普通の二人は、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。 でも、ただひとつ違っていたのは、奥様はマゾだったのです」


「は?」
脱力した声で問い返す、エマ。
久我もなんだか、再び投げやりな気分になる。
いやいや、そんな「奥様は魔女」のナレーションされても、っていうか、えー? 最後の変え方とかほんとベタ。 頭痛がする位、ベタ、と思わず評価してみるも、至って真剣な暗い目のまま黒須が、力なく言った。
「だからな、霧華は、夫の俺が知らなかったと言う事実にも、絶望したんだが、極度のマゾだったんだよ。 で、分かるだろ? あいつの色んな性質を、受け継いでしまった俺は……」
ああ、だから、竜子の暴力や、あの口調に抵抗できなかったわけだ…と、納得するものの、余りにアホくさい不幸に、もう、どうでもいいや…と、久我は心から思った。
エマが投げ槍というか、最早槍投げレベルの物凄くやる気のない声で、
「馬鹿じゃないの?」
と、皆の気持ちを代表するような事を言う。
「俺だって、馬鹿だと思うさ! ていうか、もう、俺の人生全部馬鹿だよ! 基本的に、馬鹿だよ!」
「夫婦だったんでしょ? そういう性癖、把握しときなさいよ…」
「知るか! ていうか、それ、一番の傷口だから、抉るな! 凄く痛いから! それに、あれだろ? まさか、あいつの性質を受け継いでしまうだなんて、予想してなかった訳だし」
黒須の言葉に、古い伝説を思い出して「まぁ、人魚の肉を食らって不老不死になったという伝説があり、人外のものを食って、身体に影響が出るという事はあるだろうが、その性質を受け継いだというのは、確かに、珍しいといえば、珍しいかもしれないね」と口を開く久我。
「それまで、そりゃ、恋人は、変わった種族ではあった訳だし、怪異な出来事への理解っつうのは、人よりもあるつもりだったが、それにしたって、自分自身はごく平凡な人間でしかなかったんだぜ? まさか、自分がこんな風になるだなんて、誰が予想する?」
黒須の言葉に久我は、そもそも「死んでしまった妻の肉を食らう」という狂気的な行動を平凡な人間はしないのでは?と心の中で突っ込む。
だが、そういう狂気的なことをしでかした、男は、圧倒的なまでの卑小な事を、卑小な表情で訴えていた。
「もう、凄い大変なんだぞ? 強い口調で命令されたら、全然逆らえないし、蹴られたり、殴られたりしても、抵抗できないし、蔑まれたときに、うっすら嬉しい自分を発見した時の絶望感というのはだなぁ…」
黒須の言葉に、嫌悪の顔をあらわに、エマは罵倒の言葉を浴びせかけていた。
「ていうか、気持ち悪っ! ただの変態じゃない、それ! うわ! 38歳、気味の悪いおっさんの、マゾって需要全くないね!」
「ないね! 有難くないね!」
そう言い合う、二人に「いや、あっても、困るでしょ、それ」と弱弱しい合いの手をいれるシオン。
「「うん、そうね!!」」と黒須とエマが何故か揃って頷いた後、「でな、でな! そこに付け込まれれば、幾らでもいう事を聞かせられちゃう訳だからって事で極力、人に知られぬよう行動してのに! あいつが! あの、アホ竜子が、また、事あるごとに、切り札っつって、俺の事をイヂメやがって!」と叫べば、「うん、見てた。 凄かった。 竜子ちゃん、堂に入ってた。 十分、プロとしてやってけそうな貫禄があった」と、そう褒める(?)エマの言葉に、何故か照れたように頭を掻く竜子。
そんな彼女を指差し「そこ! いい気にならない! ってか、やめろ! プロとか、恐ろしい事を言うな!」と、本気の声でエマに黒須は訴え、「ていうか…コレ、何の話だっけ? 何で、こんなトコまで脱線してんの?」「さぁ?」と言い合う二人に「「「「いやいや、貴方たちのせいだから」」」」と各々が一斉に突っ込んだ。
黒須もそうだが、エマも怒涛の勢いというか、あんなに黒須の姿に怯えていたくせに、今や丁々発止のやりとりをしていて、結局肝が据わってんだから……と、久我は苦笑してしまう。
「何か、予想外の盛り上がりを見せていて、腰を折ってしまうのが恐縮なのですが、そろそろ、次へ進めないと、黒須さんそのような格好のままでは、お風邪を召されますよ?」
と、笑顔で間に入るモーリスに、久我は思わず感謝の念を捧げた。
黒須は、乱れた黒髪をうっとうしげにかき上げ、「あーっと、とにかくだ、そんなこんなで、俺はこんな需要のない生き物になった訳だ」と言葉を切ると、今までじっと辛抱強く待っていたベイブが、「で? 鍵は、取り返したんだろうな」と黒須に問う。
竜子が「まだだ! 誰が、返してやるもんか!」と、ギッとベイブを睨んでいたが、黒須は肩を竦め、そしてベイブの前に掌を突き出した。
銀色の指輪がはまった、真っ白な、美しい指が一本転がっている。




「いつのまに!」
と叫ぶ竜子に「悪ぃな、お前の、女王様がご光臨されていらっしゃる時に、スらせて貰った」とふざけた口調で答え、そして、「ていうか、お前、マジで、時と場合と、場所を考えて降りてきてくんないかなぁ…」と言いつつ、その指をベイブに渡す。
「鍵穴は、何処が良い?」
ベイブにそう問われ、ズルリと細長い舌を出して閃かせると、その中ほどを指差し、「おおらえん、おおしおうあい?」と、口を開いたまま意味の分からない事を言う。
「舌をしまえ。 何言ってるか分からんていうか、ここまでのページ数凄まじい事になってるから、どんどん話を早く進めたいという、気持ちを察して欲しい」
そう真面目な声で、誰の気持ちに即した言葉なのか分からない事を言うベイブに頷き、ズルンと舌をしまった後「舌に作ると、目立たねぇし、面白くないか?」と、まるで、凄く良いアイデアを思いついたかのように提案する黒須。
「鍵穴って何よ? そもそも、その霧華さんの薬指は、なんなの?」
エマが、最早ためらうそぶりもなく問えば、ベイブが重々しい声で告げた。
「私の王宮の鍵だ」
「王宮の…鍵? 貴方の体があるっていう、『千年王宮』とやらの?」
「ああ。 私はそこに幽閉されている。 余り長い時間、外に存在する事は赦されず、また、外に出ても、体を置いてではないと動けない。 精神体とはいえ、辛うじて、物に触れる等の行為は可能なのだが、疲弊してしょうがない。 なので、私の目の代わりとなって、この世の事を見聞きしてくれる物が必要になった」
「で、その白羽の矢が俺に当たったわけ。 俺としても、こいつの持っている力を利用させて貰いたかったし、その契約の証として、俺はこいつから、『千年王宮の鍵』を預けられる事になった」
「それが、その薬指だ」
竜子が、苦々しげに、黒須の手の中にある、薬指を見つめる。
「復讐の為に、誠は力が欲しいんだ。 霧華姐ぇを殺した奴に、復讐する為に、あんたは向こう側に行っちまうんだ! 下らないっ! 分かってんのかよ。 そんなの、霧華姐ぇは望んじゃいねぇ! 望んじゃいねぇのに…」
「霧華さんという方と、竜子さんは知り合いだったの?」
鵺がそう問えば、コクンと子供の仕草で頷いて「あたいにバイクの楽しさを教えてくれたのも、任義や仲間の大事さを教えてくれたのも、霧華姐ぇだった。 あたい、尊敬してた、霧華姐ぇの事。 18になったら、一緒にツーリングしようって言ってたのに、あたいが18になるのを待たずに、霧華姐ぇは死んじまった。 その時、あたい、決めたんだ。 霧華姐ぇが、一番大事にしていた誠は、あたいが守るって。 何があっても、あたいが守って見せるって」と、熱っぽい口調で言い募る。
「なのに…なのに、誠ときたら、何処で、どうなったのか、おっさんなのは、前からだけど、やさぐれるし、ヤクザそのもののような生き様を見せるし、うっかり変態にまでなって、しかも、何処で知り合ったんだか、変な飼い主見つけてくるし…」
くぅぅぅ…と、うずくまり地面を叩きながらそう呻く竜子に「いやいや、それ、とても誤解を招く発言だから」「飼うなら、もっと可愛いものが良い」とベイブと黒須が一緒に突っ込むものの地面にうずくまったまま、「ある日突然、今まで、ずっと大事にしてきた男に『じゃ、今日から、ちょっとばっかし、こいつんトコ世話になるから』って、素っ頓狂な格好した男を紹介されたあたいの気持ち分かるか? 『一応、千年王宮で暮らさなきゃなんねぇから、もう会えなくなるかもしんねぇ』って言われて『え? 千年王宮って……何処のテーマパーク? テーマパークの住人って…、アトラクション案内でもすんの? それとも、着ぐるみでも着るのか?』ってなったあたいの気持ち分かるだろ?」と鵺に訴える竜子。
鵺も面白がってか「そうだよね。 そうだよね。 ビビるよね!」と同意を示す。
「だろ? で、話聞いてみたら、契約を結んで、誠がベイブに仕え、同じように『千年王宮』に繋がれる代わりに、何か、力を貸して貰うだとか、何とか言ってて、マジで意味わかんないんだけど、でも、ヤベェって、それって、ヤベェって思って…」
「それで、鍵を盗んだ…。 でも、どうして、霧華さんの指が、鍵なの?」
不思議そうに鵺が首を傾げれば、竜子ではなく黒須が答える。
「『千年王宮』の鍵はな、鍵の持ち主となる、人間の体の一部であれば、何でも良いって言うもんだから、霧華の指を鍵にしたんだ。 その鍵さえあれば、いつでもこっちと『千年王宮』を行き来できる。 使う際は、いちいち蛇の姿に戻りらなきゃならねぇのは面倒臭ぇが、この姿になれば、霧華と同化した存在になり、薬指が、俺の体の一部だと認められて、鍵が使えるようになる。 指だろうが耳たぶだろうが、切り落とされたりするのは御免こうむりたかったからな。 薬指だけは、指輪が嵌っちまってたから、大事にとっておいたのが功を奏したと思ったのに、まさか、こんな風に盗まれちまうとは思わなかったぜ。 しかもベイブは早く持って来ねぇと、俺の指を使うとか脅してきやがって、マジで焦ったっつうの」 
 そう言う黒須の口に物言わず、自分の指を突っ込むベイブ。
「…お喋りが過ぎる。 とっとと、済ませるぞ」
そう言われ、ベイブの指を咥えたまま、モガモガと何か言いかけて、それから諦めたように黒須は黙る。
「お前っ! マジで、自分がどうなるのか、分かってんのかよ!」
そう、叫ぶ竜子にチラリと視線を送り、何とも言えない笑みを浮かべると、黒須はゆっくりと眼を閉じた。
「…我に仕えよ。 我に繋がれよ。 我の忠実な僕となれ。」
そう言いベイブが、黒須の髪を梳く。
「……此処へ、おいで」


その瞬間、黒須がガクン!と仰け反り、喉に真っ黒な皮のような物で出来た輪っかが巻かれた。
暫く小さな痙攣をした後、首を何度か横に振りながら、顔を起こし、探るように自分の口の中に指を突っ込む。
そして、ニタリと笑うと、ベイブの前の地面に這い蹲る。
長い髪が、地面に流れ落ち、月明かりを受けて、黒い海のように見えた。
竜子が見たくないという風に、視線を逸らす。
地面に口付け、黒須が宣誓した。
「身命を賭して、貴方にお仕え申し上げます」
ベイブが、ブーツの足を持ち上げ、黒須の頭を踏む。
「我、そなたを『千年王宮』の住人と認めよう」
そのまま何を考えたか、物言わぬまま、ベイブはぐっと足に力を込め、当然の如く自然の摂理でガチンと、明らかに痛そうな音を立てて、黒須は額を地面に打ち付けた。
「ってぇ!」
そう叫び、ベイブの足を振り払うと額を押さえて、のたうつ黒須。
そのまま、ガバっと身を起こし、「いった! すっごい痛い! っていうか、何さっきの? 何の意味が?!」とベイブに怒鳴る。
赤く腫れている額を指し示し睨み据える黒須に、無表情のまま「いや、何か、こう、このまま、足に力を入れたら、どうなるのかな?っていう、極自然の好奇心が…」というベイブ。
その身も蓋も無い答えに、「死んでしまえ!! 好奇心も何も、踏めば、おデコぶつかるでしょ! ぶつかったら痛いでしょ! 分かる? 俺の言ってる事、分かりますか?! 分かりませんか?!」と黒須が叫ぶ。
間近で怒鳴られ、如何にもうざそうに顔を顰めてそむけるベイブに「何? その態度! うあ! ねぇ! このオデコ、見て! ほら、痛そう!」と、やっぱりうざく言い募った後、「あー、もう既に、こんな上司に仕えなきゃならん事態に、後悔の波が…」と、黒須は暗い声で嘆く。
黒い首輪は、どうも、ベイブに仕える者の証らしい。
溜息混じりに黒須は口を開いた。
「ま、とにかく、ゴタゴタしたが、目的は達せられた。 ごくろーさん。 全くもって、邪魔ばっかりしてくれたが、あんた達がいなきゃ、竜子捕まえられなかったのも事実だからな、一応料金は振り込んでおく」
そう告げたので、あれが儀式だったのだなと理解し、久我は確認の為「契約とやらは、済んだということかな?」と問う。
黒須は、頷くと、ズルリと舌を見せた。
その舌の中程に、丁度薬指が嵌る位の小さな穴が開いていた。
「こいつが、王宮の鍵穴」
そう黒須が、言った時、「きゃぁぁぁ!」と零の悲鳴が、その場に響いた。
零に視線を送れば、零は、後方を指差している。
零の指の方向を見れば、シオンが飛びつくように、竜子の体を抑え込んでいた。
「っ! 止めるな! やらせてくれよ!」
そう叫ぶ竜子。
その手には、小さなナイフが握られている。
黒須の後を追おうとしたのか。
久我は、そう理解する。
エマが、竜子に走り寄り、「馬鹿! 何をしようとしてるの! 馬鹿、馬鹿!」と怒鳴りながら、何とか竜子の腕を捕まえる。
「痛いのよ?! やった事ないけど、指を切るって、絶対痛いの!」
そうエマが言うのに同調して、「俺もVシネで見たけど、大層痛そうでしたよ?」とのんびりとした声で、封禍が言った。
「自分で言ってたじゃない! 取り返しがつかないって! 貴方まで、あっち側に行くことないでしょう? せめて、もっと、大人になって、色んな判断が出来るようになってから!」
そう言われ、悔しげに、身を捩るように、唇を噛みしめ、涙を零す竜子の姿を見て、久我は気付いた。
竜子は黒須が好きなのだ。
だから、後を追いたいのだ。
指を盗んだのも、ただ、遠くに行って欲しくなかっただけなのだ。
側にいたいのだ。


きっと。



「イイんじゃない? 好きにさせれば」
すると、今まで静観していた鵺が、気のない口調で、エマの言葉を遮った。
思わず勢い良く振り返り、エマはキッと鵺を睨み据える。
「何が良いの! こんな、未成年者が、そんな!」
鵺は、そんなエマから視線を外し、竜子に向かって問いかける。
「覚悟、決めてんでしょ? 女なんでしょ? まこっちゃんの事守りたいんでしょ?」
竜子は、コクリと頷いた。
黒須が険しい声で「変な事けしかけんじゃねぇぞ? お嬢ちゃん。 そいつは、カッとしやすい性格なんだ。 しかも、18の小娘が、指を落とすなって、これからの将来に影響するような事をやんのを、俺は許すつもりはねぇよ。 霧華にも、竜子の事はくれぐれもって頼まれてるし、俺ぁ、兄貴代わりとしても、そいつが真っ当な人生送るのを見届けてやんなきゃなんねぇ。 こっち側になんか、来させやしねぇよ」と、言う。
ベイブも、厳しく凍りついた声で「娘は来るな。 お前は、まだ年若い。 そんなお前を、呪われた王宮に繋ぐ事など、出来はしない」と言い、鵺に「馬鹿な事を申すな」と言って睨み据えた。
だが鵺は、そんな言葉を全く聞かず「若いとかさ、女だからとか、関係ないよね。 人生の決断の時なんざ、訪れるタイミングを選ぶ事は、誰にも出来ない。 鵺は、まだ13だけど、色んな事を選んできた。 竜子さんが、今、此処で、大事なものを守りたいと決断したのなら、それが絶対に揺るがないのなら、追えばいいじゃん。 行っちゃえばいいじゃん。 他人の道行きを、邪魔する事なんて誰にも出来ない。 竜子さんの自由だ。 捕まえて、離したくないものがあるのなら、それ捕まえとく為に、人生も、命も賭けちゃった方が、後悔しないよ」と、笑いかける。
竜子は、その言葉に頷き、黒須に視線を向けると「あたい、そっちに行くよ? 許して貰わなくたって構わない。 あんたの事逃がすもんか。 あたいの、知らない場所へ行かないで。 寂しい事をされる位なら、あたいは全部を賭けて追ってやる。 このお竜さんの覚悟はね、霧華さんが死んだ時から、ずっと決まっていたんだ。 ナめんじゃないよ!」と、啖呵を切り、それから鵺にニカッと笑いかけた。
「あんがとな。 お前、結構格好良いぞ」
そして、竜子はシオンとエマに交互に視線を向け、「ごめんよ。 ヤらせてくれよ。 心配してくれんの嬉しいよ。 すっげぇ嬉しいけど、でもさ、大丈夫だよ。 たかが、指なんだ。 あたいの大事な物は、何にも欠けやしないんだ。 お願いだよ」と訴えてくる。
黒須が「早く、そいつから、その物騒な物取り上げろ!」と怒鳴り、ベイブが「馬鹿な言い分を聞く必要はない! そんな娘に指を断たせるなど、してはならない!」と叫ぶ声が聞こえる。
エマが、シオンが眉根を下げ、此方を見回してきた。
久我は黙って、二人の顔を見返す。
誰の邪魔をする気もない。
竜子が行きたいなら行けば良い。
だが、エマやシオンがどうしても行かせたくないのなら、彼女の覚悟に見合うだけの覚悟で止めれば良いだけだ。
久我は、どちらでも良かった。
ただ、見届けたかった。
鵺が、「…ね? 行かせてあげようよ」と囁く。
その言葉を合図に、シオンとエマは二人は顔を見合わせ、泣きそうに眉根を下げながら、ふっと腕を掴む手を緩めた。
竜子が「ありがとうござんした」と、いつの時代の言葉か分からない御礼の言葉を口にすると、躊躇いなくナイフを振り上げ、自分の指に振り下ろす。
肉と、骨の立たれる嫌な音がした。
「ぐぅっ!」という、呻き声が聞こえ、竜子に視線を向ければ今にも気絶しそうなほど青ざめ、脂汗を浮かべた彼女がいる。
「馬鹿が!!」
そう怒鳴り、竜子の側へと這ってくる黒須。
「馬鹿が! 馬鹿が! この、馬鹿女が!」
そう罵り、黒須が竜子の左手を持ち上げ、なんとか止血しようとする。
医者である身から、久我が、応急措置だけでも施してやろうと、一歩前に踏み出しかけた時だった。
モーリスが微笑を浮かべ、竜子の前に膝を付くと「貴女に触れても宜しいですか?」と竜子に聞いた。
痛みに涙を流し、呻きながらも、コクリと頷く竜子。
(何をする気だ?)
そう訝しく思えば、モーリスが両手を合わせて唇を寄せ、淡い光を宿し、そっと、指を切り落とした後の、竜子の傷口に触れる。
すると、見る間に、竜子の傷口は塞がり、そこから新たな指が生えた。
「っ! え? な! えええ?!」
竜子が驚いて叫び声をあげ、黒須も目を見開きモーリスの秀麗な顔を凝視する。
「…あ、あんた、手品師かなんかかい?」
竜子のズレまくった質問に、モーリスが笑顔で頷くと「そうなんです。 それも、かなり腕利きのね」と、シレっと答えた。
治癒能力というよりは、「元に戻した」という風な力に見えたが、しかし、あの光の檻と良い、モーリスという男も何だか、掴めない青年だ…。
大体、そういう事が出来ると、最初に言ってくれ、そうしたならばこんなに騒ぎにもならんだだろうに…久我は胸のうちで悪態を吐く。
まあ、モーリスが、「本当に指を無くしても、黒須を追いたいのか。 その覚悟があるのか」確かめたのだろうと思い、それにしたって黙ってじっと見ていた辺り食えない男だ、と確信した。
いずみが黒須とベイブに視線を送り、「竜子さんが、ここまでの覚悟見せて、まさか、連れて行けないなんて、言えませんよね?」と、強い声で確認を取る。
その言葉に、顔を見合わせる黒須とベイブ。
ベイブは眉間の深い、深い皺を刻み、色のない唇を気に入らなさそうに歪めると、「…仕方ないな」と呟いた。
「ハァ?! お前、正気かよ!!」と叫ぶ黒須に冷たい一瞥を送り「お前が、この娘を此処まで追い込んだのだ。 自業自得だろう」と、にべもなくあしらうと、黒須は、目の前に差し出されている真っ赤な血に染まった指を見下ろし、頭を抱えて「もー、知らねぇ。 もう、どーなっても知るもんか!」と呻いた。




靴を脱ぎ、優しく、そっと平伏す竜子の頭の上にベイブの足が置かれる。
「俺への態度と、随分違うじゃねぇか…」
黒須が苦々しげに呟くので、苦笑を浮かべてしまう。
「あー、あのー、えっと…し…しんめぇを…、えーと…」
「身命を賭して、貴方にお仕え申し上げます」
いずみが、冷静な声で、竜子に教える。
「あ! そう、それ! それなんでよろしく!」
そう言う竜子に深々とため息を吐き、「ちゃんと、宣誓だけはしてくれ」とベイブが言った。
「うー、身命を賭して、貴方に…お仕え…もうしあげます」
「我、そなたを『千年王宮』の住人と認めよう」
ベイブが哀しい目で、憐れむように竜子を見下ろして囁き、足を退けるとその髪をサッと払ってやる。
竜子の喉には、赤い首輪が巻かれている。
彼女はそれを嬉しげに触り、それから自分の胸の真ん中、晒しで隠れるギリギリ辺りに空けて貰った鍵穴に手を触れた。
ベイブは、クルリと背を向けると「私は疲れた。 先に、戻る。 貴様ら二人も、適当に準備を済ませて、後から来い」と告げ、瞬きする間もなく消える。
脱力したように、へタンとしゃがみこんだままの竜子はまず鵺に「あんがとな。 背中押してくれて」と笑いかけ、それからいずみに「お前、よく一遍聞いただけで、あんなの覚えられたな。 天才だな」と笑いながら言った。
時間が経ち、元の姿に戻った黒須は、シオンから借りた上着を羽織って、うずくまったまま、「てめぇが、アホなんだ。 アホ!」と、怒りの篭った声で言うと「こいつが、あんなあほな事しでかしたのには、お前らのせいでもあるんだからな」と恨みがましい目で見回してきた。
確かに、黒須の言う通りだ。
こんなに依頼人にとって、不利益に終わる結果も珍しいのだろう。
だが、まぁ、何だか収まるように収まったようにすら思える。


ベイブの事や、千年王宮の事など色々分からない所は残されているが、余り探るのも、深く関わりすぎてしまうので、とりあえずは、ここらで満足しておくべきだろう。



かなり、疲れはしたが、楽しかったと言えなくもないし……。



久我はそこまで考えて、自分が再び、興信所の手伝いをしてみようかな?なんて、考えている事に気付き、そんな自分に対して「酔狂な…」と苦笑を浮かべると、黒須に、「そこ、笑ってんじゃねぇよ!」と苛立ち紛れに怒鳴られた。









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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【2318/ モーリス・ラジアル  / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん(食住)+α】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】
【3880/ 久我・高季  / 男性 / 63歳 / 医師】


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■         ライター通信          ■
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最早、遅れるのがデフォルトになってしまっていて申し訳ありません。
初めましての方も、そうでない方も等しくごめんなさい。
駄目人間駄目ライターmomiziで御座います。(土下座)
今回こそはと、願っていた個別通信もやっぱり出来そうになく、歯噛みしております。
締め切り延ばしても、遅れるというのは、最早、私自身そういう病気なのかもしれません(開き直り)
なので、暫く山辺りに篭って療養生活をすべきかと!

うー、そんな優雅な人生を送ってみたい。

さて、今回はNPCとして、妙な三人を出してみました。
この二人は、この後異界に登録予定。
また、遊んでやって下されば幸いです。
しっかし、こう、今回は私の趣味が如実ににじみ出たお話になっていて、なんとも気恥ずかしいです。
NPCの登場といい、世界設定といい、今まで以上に、楽しませて頂きました。
この長さも、そのせいです!

本当に、長々とした物語にご参加有難う御座いました。
尚、momiziのウェブゲームは、登場人物全ての方、それぞれの視点に即した物語となっております。
お暇なときにでも、他のウェブゲームにもお目通し頂けると新たな真実や、自分のPCが他PCにどう思われていたのかを、知る事が出来るかと思います。

ではでは、またお会い出来る事を、心よりお祈り申し上げております。