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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜想ゐ

 夜(世)を愛でて ゆめゆめ絶えじ想ゐつる さうざうしかる 道端の塵

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 仲秋の朧なる月の下。滴り落ちそうな灯りの中にその人はいた。
 掃きし芥も風に乗り、右へ左へと散っていく。それを箒で追っている人は、青年というのもまだ早い少年とも言うべき者だろうか。
 玉砂利を踏み近付く音にも興味を示さず、ただ箒で掃く。
 少し重い足音はこの青年の前で止まった。月も出て、暗くなった境内に点る石燈の光を遮られれば、さすがにその存在に気が付いたのか、顔を上げたようだった。
「よォ…」
 知らぬ者なのか、相手をじぃーっと見返し、かすかに会釈と思しき動作をすると、手に持った箒に視線を戻す。庭箒が地面に擦れる乾いた音が境内に響いていった。
 こちらも見ぬ青年の姿を最初はなんとなしに見、そして次は様子を窺う様に眺めたが、虫の音が侘しく鳴けば深く溜息を吐く。
 男は呆れたように方を竦めてみせ、青年に声をかけた。
「無愛想だなぁ…ASSASSINATION・DOLL?」
 口角を上げ、男は笑った。
 この言葉を言えば、自分が予想するところの反応は窺えるはずだ。
 青年の本当の名は知らない。知っていたところで何もないのだ。彼の名を知っていた何処かの誰かは、他の人間に教える前に死んだ。
 誰が殺したかは分からない。
 でも、その男は死んだのだ。それで充分だった。
「足取りは消したはず」
 抑揚の無い声が言った。
 この青年のものと気が付くには、数瞬を要した。俯いていたせいもあるのだろう、微かに空気を震わせるような声はやっと聞き取れるぐらいだった。
 年の程は聞いていなかったが、おそらくは自分よりも二十は若いはずだ…多分。湖面さえも揺らさぬ声は何処となく年を感じさせず、不気味ですらあった。
 大抵は慌てふためくか、自分をより有利に見せようとデカい態度をとるものだ。なのに、この青年は自分を大きく見せようともしないし、卑屈な表情すら浮かべない。
 自分以外の全てのものが如何でも良く、まさしくこの境内の外にある、ありとあらゆるものさえ興味が無いようだった。
(こいつにとっては――俺は騒々しいだけの存在なんだろうな…)
 そう思うと悔しいような、跪かせたいような気分になる。ASSASSINATION・DOLLを征服してやったら、他の奴らは何と言うのだろう?
 そいつを見てみたいと男は思った。
 それにはこの青年を動かす必要がある。男はこう切りだした。
「組織にはまだ知らせてない」
「……」
「知らされたくなければ俺と戦え。居場所がバレれば、あの少女がどうなるか……」
「何故にそこまでして挑んでくる?」
 淡々と青年は言った。
 半ば期待もしていないような口調で言った後、目の前にいる同業者であろう男を見遣る。
「中天に月が登った頃、神社の裏山に来れば教えてやる」
 見透かすような視線は底知れぬ闇の色で自分を射ってくる。魅入られたように男はその場に凍りついた。
 闇が追いかける。俺を狩る。運命の顎が俺を噛み千切る。そんな妄想を振り切るように、それだけ言うと男は踵を返した。
 
 生い茂る竹の靡く様は嘆きの声に似て、心を震わせる。
 興味は無いが、その青年――山崎健二は裏山へ向かった。誰が自分のもとに挑んでこようと構わない。ただ、いつも屍だけが道を創ってきたからだ。
 自分が望むよりも確実に死相は誰にでも浮かぶ。いつでも自分の前に来る人間に浮かんで自分を掴もうとしてきた。
 さて、今宵は如何なのだろう?
 黒々とした木々の闇が健二を見つめる。
 裏山は静かに血を吸うのを待っている。
 自分は…いつもと同じように死の鎌を振り下ろすだけ。
 死出の旅路を行くのは誰か。それはこれからわかる事だった。
 曲がりくねった道を上がり、開けた場所には小さな祠があった。その前にあの男はいた。
「いい月だ…虫も鳴いてやがる」
 軽く手を上げて男は言う。
「中天とはいい加減な時間を言ったものだな」
 健二は返した。
「決闘にはいい夜だ」
「つまらない理由だ。…で、何で俺と戦う?」
「勝てば殺し屋を続け、負ければ死んで終るだけ」
「確かにそうだな…他に理由は要らん」
 そう言うと健二はナイフをジャケットの内ポケットから出す。
 BERETTA LOVELESSを見るや、男は哄笑した。
「ナイフで殺ろうなんざ時代遅れなんだよ」
「そう、かもな」
 健二は冷たい目で見返して言った。
 男はBERETTA M92FSを構えた。M92FSはイタリアのベレッタ社が製作した近代を代表する9mmオートマチックピストルである。無論、弾に手を加えておいた。薬莢を広くし、貫通力をアップしてあるのだ。
 男は確信していた。相手の手にあるのはナイフ。しかも3.88インチでは至近距離でしか傷つけることが出来ないからだ。
 闇に乗じて逃げるにも限界がある。ここには遮るものすらない。
「その名を汚して…死ね!」
 男は吼えた。
 手の中にある銃は死の弾丸を放ち、勝利に導くはずだった。だがしかし、パラ弾は虚しく空を撃ち、弾丸は木の幹にのめりこんだだけだ。
「ど、どこだ!!」
「ここだ…」
 不意に現れた健二の顔を見るや、男は信じられないと言った表情を浮かべる。ごく至近距離でオートマチックの弾丸を避ける事のできる人間が何人居るというのだろう。
 いや…一人もいるはずがない。常人ならば…だ。
「ど、どうだ? 自分の死神が見えるか?」
 月照らす薄闇の中に青白い男の顔が浮かんで見えた。
「見える…アンタのな」
 健二は微かに口角を上げた。
 笑っているのかもしれなかった。手にはSIG/SAUER P226が握られている。
「銃を使うなんて…聞いてねェぞ」
 やっとの思いで男は言った。喉奥が張り付いて舌が縺れ、上手く喋れない。
「ナイフ使いだと誰が決めた?」
 淡々と健二は答える。
 死の匂ふ森に嘆きの虫どもが這い寄ってくる。
 男を狙っているのだ。男の汗からも死が漂っていた。勿論、声からも。
「結局、殺し屋ってのは、最後は誰かに殺されて死ぬモンだ…足洗っててもな」
 あぁ…舞い降りた光も暗き世界に向かわせるための標。
 淡いピンク色の肉片の隙間から見える、水晶の如き骨の滑らかさが手にとるように分かる。芳醇な血の匂いに包まれて葬送の列が地獄へと向かう。
 おぉ、汝 闇に落つる者よ。お前の声は遠い。
 死がお前を迎え入れる。死がお前を祝福する。
 血を流し、骨を砕き、全てを晒して跪け。
「あ…あ゛あ゛あ゛…あぁぁぁぁッ!!!!!!!!!!!!」
 もう誰の声とも判別のつかぬ咆哮が闇夜に響いていった。

 朝。
 彼は風に惑わされる塵を追いかけて、無心に境内を掃いていた。
 近所の老人が通っても、いつもと変わらぬ挨拶をするばかり。
 裏山にて屠った事も、血も、風に散らされて今は――無い。


 君逝かば ただ色移るなる 花も無し いかで知るらむ 野辺の松虫

 ■END■