コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


恋は試練

 楓・兵衛は落ち込んでいた。今までに無い程、見るも無残に打ちのめされていた。例えて言うなら、まさに真っ白に燃え尽きちまった、と言う状態である。
 薄暗い部屋の隅で丸椅子に座って背を丸め、両肘を己の膝に突いて項垂れる兵衛。どこかで見た事のあるような構図だが、余り深く気にしないように。ちらりと覇気の無い視線が持ち上がり、部屋の真ん中に堆く詰まれたある物体を見遣る。山の天辺のそれが崩れ、くゎんと撓んで床に落ちた。既に乾いてべちょりとも言わなくなったそれ――言わずもがなの蒟蒻――を横目で見詰め、兵衛は今日になって何回目とも知れぬ溜息を零した。

 努力さえ怠らなければ物事全てを為さん、それが兵衛の信条であった。そして今までは、それで通用したのである。勿論それは、兵衛の弛まぬ努力の賜物であったし、それだけいろいろなものを兵衛は犠牲にもしてきた訳である。それを損失だと思った事は一度も無い。失ったものよりも、得られたものの方が数倍、数十倍大きいと思っていたからだ。だが今回は、得るものがあったにはあったが、それが失意であったが為、兵衛は齢六歳にして初めて、敗北感と言うものを味わっていたのであった。
 「蒟蒻…かような所で、拙者の想いを阻むとは…侮り難いでござる…」
 くっと奥歯を噛み締め、己が未熟さを悲観する兵衛。だが、こればかりは兵衛の努力でどうなるものでもない。斬甲剣に、蒟蒻が斬れるようになるまで修行をせよと強要する訳にもいかない。…強要しても斬甲剣が努力してくれる訳がなかったし(したら恐い)
 と言う訳で、得意の刀捌きでおでんの仕込みを手伝う→彼女の負担を減らし且つ鮮やかな剣術に酔わせる→兵衛様の刀捌きってステキ♪=兵衛様ってス・テ・キ♪→アタシを兵衛様の出汁に浸らせて♪…等と言う簡潔且つご都合主義な展開を目論んでいた兵衛だったが、蒟蒻のお陰で全て台無しになってしまった。尤も、兵衛様の出汁に♪なんて思い描いていたとしても所詮は小学一年生。精々、おてて繋いで仲良くおうちに帰りましょ程度の想像だったのだが。
 だが、それでも鼻血を噴き出しかねない辺り、兵衛の恋心も可愛いものである。

 その日も学校からの帰り道、兵衛は無意識のうちに例のおでん屋台のある道へと向かっていた。諦めようと思えば思うほど、恋心とは募るものである。障害が多い方が燃え上がる、とはよく言ったものだ。その障害が情けなくも蒟蒻である事は、一生涯の秘密にしたいところだが。
 今日も今日とて、おでん屋台は来もせぬ客を待って暖簾をあげていた。出汁のいい香りも相変わらずである。屋台の内側には人の気配もある。かの想い人が、今日も自慢の腕を奮っているのだと思うと、兵衛は居ても立ってもいられなくなる。
 『手伝いが出来ぬのなら…せめて、客としてなら……』
 切なげな視線で青い空を仰ぎ、兵衛は意を決して暖簾を片手で掻き分けた。
 「兵衛様、ようこそおいで下さりました。今日は何をお召し上がりになります?」
 とは、兵衛の脳内彼女が、清楚で可憐なお姫様声で喋ったのだ。だが現実は。
 「ほぅ、このような暑い夏におでんを食しに来るとは、なかなか見所のある若者じゃの」
 ……………。
 「今…なんと申したでござるか…?」
 「何を戯けた事を言っておる。おでんを食いに来たのであろう?言っておくが、ここにはアイスキャンデーもかき氷もないからの。勘違いなら、さっさと立ち去るが良い」
 「………」
 思わず、兵衛はあんぐりと口を開いてしまう。目の前に居るのは、確かにあの可憐な少女。身に纏った小花柄の着物も、額と顎の線で切り揃えられた艶やかな黒髪も、両耳の脇でちょんと結ばれた可愛いリボンも、何一つ違いは無い。だが、そんな可愛らしい少女の口から飛び出してくる言葉は。
 「そう言えば初めて見る顔じゃな。この近くに引越しでもしてきたか?しかし、今時古風な装いじゃな、おんし」
 カカカカカ、と豪快に笑い飛ばす少女に、アンタもな、と突っ込める余裕が兵衛にあれば、また状況は変わってきたかもしれない。だが現実はそんな訳は無く、兵衛は、口あんぐりはさすがに止めたが、内心ではこれ以上ないほどにショックを受け、打ちのめされ悲観していたのである。そう、まるでクリームパンを食べた時にパンの真ん中にちょろっとしかクリームが入ってなかった時のように、或いは、皆もやってるからと調子に乗って相手を揶揄ったら何故か自分だけ異様に恨まれた時のように。
 「なんぢゃ、楽しそうではないか、おんしら。わしも混ぜてはくれぬか?」
 そんな声が、少女――勿論、それは源である――の背後から掛かる。奥から姿を現わしたのは、兵衛に菜っ切り包丁を手渡した少女、嬉璃であったが、打ちひしがれる兵衛には、そこまで気を配る余裕は無かった。
 「おお、嬉璃殿。珍しいではないか。男嫌いの嬉璃殿が、男客が居る時に店に顔を出すとは」
 「わしも気紛れが頭を擡げる時があるのぢゃ。細かい事を言うでない。おんし、酒の用意をせよ。わしが奢ろう」
 嬉璃が源を促す。その言葉に、兵衛が無意識でか意を唱えてぼんやりと顔を上げた。その表情に、源が片眉を吊り上げて口端で笑う。
 「なんじゃ、まさか酒が飲めぬ等と無粋な事を言うのでないじゃろうな?折角嬉璃殿が自ら奢ると申し出ておるのじゃぞ?こんな事は、ハレー彗星が逆戻りして地球に衝突したとしても滅多にあり得ぬ事じゃ」
 「…おんし、例えが大袈裟ぢゃ」
 「そんな事は言わぬでござる。酒の嗜みも修行の一環。女子(おなご)に恥を掻かせる事など、天地が引っ繰り返ってもこの楓・兵衛、決して致さぬでござる」
 胸を張りそう言い切る兵衛に、源は満足げに頷く。おでん屋台といえば熱燗。真夏でも熱燗。おでん鍋の縁で飲み頃につけた徳利を指先で掴み上げ、源が酌をしようと兵衛に向けて差し出し、兵衛がそれを受けようと猪口を向ける。それは嬉璃が、お盆に乗せて差し出した、幾つかの猪口のうちの一つだったのだが、何故それにわざとらしく【使って♪】なんて言う付箋がついていたか、純粋な兵衛は疑問にも思わなかったらしい。(いや、単純にいろいろとショックが大き過ぎて思考回路が鈍っていただけだろう)
 トクトクトク、と注がれる酒。なみなみと注がれたそれの表面を、兵衛はぼんやりと見詰める。その視界の端に、なにやらニヤリと不敵に笑う嬉璃の姿が映ったが、それが何を意味するかまで、兵衛に思考するゆとりはなかった。
 くい、とイナセに兵衛が猪口を呷る。熱い酒が喉を焼き、胃の形を露にする。五臓六腑に染み渡る旨さに目を閉じ、暫し浸る兵衛であったが、瞼を開いて目前の人の姿を見た途端、身に覚えのある衝撃が全身を駆け抜けた。但し、その刺激は以前のと比べて当社比380%増しであったが。
 『こ、こ、こ、これは如何なる事でござござりましょうかッ!?』
 動揺の余り、語尾がおかしくなる兵衛。おでん鍋を挟んで、己の向かいに居たのは、店主であるあの少女である筈。ついさっきまでは届かぬ想いに身を焼かれ、正体(って)を知った後は、その驚愕に己が想いを焼かれ。
 が、今、兵衛が目にしているのは、まさに絶世の美女。たおやかな指、華奢な首筋、波打つ黒髪。その吐息は桃源郷の桃の香りか、はたまた極楽の花の香りか。先程、兵衛が感じた衝撃とは、最初に彼が源を見た時に感じた、恋のときめきそのものであったのだが、それとは比べ物にならない程の強い衝撃であったのだ。それは恋に落ちるどころの騒ぎではない、いっそ奈落の底まで瞬時にして堕ちていける程の勢いだったのである。
 「如何したのじゃ?まさか、たった一杯の酒でもう酔うた等と言わぬじゃろ?」
 「…酒には酔っておらぬでござる……貴殿に酔い申したでござる……」
 「…………は?」
 思わず源が目を点にして聞き返す。その足元では、嬉璃が膝を抱えてしゃがみ込み、必死で笑いを堪えていた。
 「…嬉璃殿、これはどうした事じゃ。知っておるのじゃろ?と言うか、嬉璃殿の企みじゃろ」
 「企みなどと、人聞きの悪い事を言うでないわ」
 「何を言うか、座敷わらしが人並み等と言う方が片腹痛いわ」
 「相変わらず口が悪いの、おんし…まぁ良い。種明かしをしてやるわ。と言っても他愛も無い事ぢゃ。おんし、覚えておろう?例の、ばれんたいんでーのちょこの話を」
 説明しよう!
 確かあれは今年のバレンタインデー。チョコレートのチョコとお猪口のちょこを混同した源が、使用するだけで相手に惚れさせる力を持つ、特殊なお猪口を、本郷家の途方も無い財力を湯水の如く使って開発したのだ。が、それは普段使っているものと同じデザインにしたが為、他の猪口に紛れてしまい、それっきり所在が明らかになっていなかったのである。しかし、あれはペアで同時に使ってこそ意味のあるアイテムであった筈だが…。
 「愚か者め、いつまでも同じところで足踏みをしておるようなわしではないわ。常に進歩し続けるのが正しい座敷わらしと言うものぢゃ!」
 「…何が言いたいのか分かるような分からぬようなじゃが、ようはひとつで利用しても効果が出るように細工したと言う事じゃな。と言うか嬉璃殿、それを何故見分ける事が出来たのじゃ」
 「まぁそれはとっぷしーくれっとと言う奴ぢゃ。いいではないか。これでこの小坊主はおんしにメロメロ、何でも言う事を聞く下僕となったのだぞ?」
 「…さてはおんし、単なる楽しみであると同時に、自分もその恩恵に預かろうと言う腹じゃな……」
 源が半目でそう疑うと、嬉璃は素知らぬ顔で、さて、と惚けた。

 で、当の犠牲者、兵衛はと言うと。目の前で繰り広げられる源と嬉璃の遣り取りも、彼には艶やかな音楽か何かに聞こえるらしい。何回か名を呼ばれるが夢現からは容易に目覚める事が出来ず、源の鋭いハリセンを顔面に食らってようやく我に返った。
 「な、何をするでござるか」
 「間抜けな顔を晒しているからに決まっておるじゃろ。…ところで兵衛殿。わしは頼みがあるのじゃがの」
 源がそう言った瞬間、兵衛の全身に歓喜の衝撃が走り抜けた。
 「き、貴殿、何ゆえに拙者の名を…こ、これが愛の力と言うものでござるか!?」
 「訳の分からぬ事で身悶えするでない。さっき、おんしが自分で言うたではないか。楓・兵衛だと」
 「そう言われてみればそのような気がするでござる。や、拙者、ちと迂闊であったでござる」
 兵衛は、後ろ髪を自分で撫でてそう言って誤魔化す。源にめろんちょな状態でも、男であり兵法師である己のプライドは健在らしい。
 「で、拙者に頼みとは何事でござるか?まぁ、拙者も忙しい身ゆえ、全てを聞き入れると言う訳にはいかぬが、他でもない貴殿の頼み故、なるべくなら聞いて差し上げたいと思うでござる」
 等と多少恩着せがましい言い方をする兵衛であったが、もしも兵衛が犬ならば、何でもないような表情をしていても、尻尾は千切れんばかりの凄い勢いで振られているに違いない。まぁこの辺りは、男の子の可愛らしい自己顕示欲といったところか。そんな兵衛の背伸びに気付いているのかいないのか、源はニヤリと笑って腰の両脇に拳を宛い、仁王立ちになる。
 「では、遠慮なく頼もうかの。ほれ、この通りに甘味屋が出来たのを知っておろう?」
 「甘味屋?…ああ、拙者には縁の無い店であるが、大勢の女子で賑わっておる場所でござるな?」
 「そうそう、それそれ。そこに行って、特製栗どら焼きを買ってきてはくれぬかの。前々から食してみたいと思っておったのじゃが、なにせ屋台の仕込みや何やらで行けた試しがないのじゃ」
 「…拙者に、女子に混じって甘味を買って来いと申されるのでござるか?」
 思わず、兵衛の額に冷や汗が浮かぶ。強者との対峙であれば如何様にもできるが、何しろ相手は兵衛にとっては未知なる生き物、女子中高生である。その中に混じって買い物をせよとは余りに酷な注文。日本男児たる者、かような真似は…。
 「い、い、致し方ないでござるな。き、貴殿がそこまで所望ならばこの楓・兵衛、その特製栗どら焼きを買ってこようではござらぬか」
 一生懸命、しょうがないなぁ的な雰囲気を醸し出しながら兵衛は言うが、何しろ愛しい相手からの頼み事である、見えない尻尾がぶんぶん振られている様子が丸分かりでは、まだまだ修行は足りないようである。
 「で、では失礼するでござる……」
 兵衛は立ち上がり、多少ぎくしゃくとしながら歩き出す。今から向かう戦場には数多の敵、それに、愛の為に立ち向かうのだ。兵衛は、今までにない気分の高揚と、逆にどこか何かを間違えてしまった後悔を胸に、源の屋台を後にする。
 「では、後程……」
 「ああ、兵衛殿」
 源が呼び止める。もしや、買いに行かなくてもいいと言うお達し!?との期待を込めて兵衛は振り返るが、源(と嬉璃)の表情には、そんな様子は微塵もない。傍目は平然としていたが、内心ではがっくりと肩を落としていたその時。
 「わしの名は、本郷・源じゃ。源と呼べば良いからの」
 ニッといつものように勇ましく源が笑う。その笑顔は、きっと兵衛には女神のそれに見えたに違いない。

 スキなコの名前を知る、たったそれだけの事がこれ程までに嬉しいとは、兵衛は生まれて初めて知ったのであった。


おわり。