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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夏夜話
 ――夏の、夜。
 静かで、薄暗くてこぢんまりとした店内は、程よい空調に満たされている。
「今日も、誰も来ないみたいね」
 そんな事を呟いた途端、静かに店の扉が開いた。
「いらっしゃい…あら」
「こんばんは。今日も暇そうね」
「お陰さまでね。そういうあなたも、この所噂は聞かないけれど」
「ここまで暑いと、表も裏も仕事が少なくなるものよ。だいいち、依頼人が炎天下の中来ると思う?」
 そうね、とそっと同意しながら、カウンターのいつもの席…『彼』の定席の隣へとすとんと腰を降ろした銀髪の女性を静かに眺めた。本当に夜が良く似合う、と、しなやかな銀糸に良く映える赤い瞳へと目を向け、この小さな城の主人――茜が軽く首を傾げつつ、「何にする?」と訊ねる。
「そうね。今日はピンクジンを…とりあえず」
 ちゃんと冷えてるんでしょうね?と笑いながら問い掛ける悠姫に、茜はくす、っと艶やかな唇を笑みの形に押し広げながら、目を僅かに細めた。
 凍りつきそうに冷たい飲み物をカウンターから滑らせると、嬉しそうに目を輝かせて早速口へ運ぶ。元々酒には強いのだが、小さなグラスで一気飲みと言う愚は犯さず、口に含ませるとその冷たさを楽しむように舌で転がして、こくり…と小さな音を立てて飲み下した。
「品揃えはいいのよね、このお店。こんなに小さいのに信じられないわ」
「ふふ、お褒め下さってありがとう」
 カウンターの中と外で、そんな会話をのんびりと交わす。

 ――今晩も、悠姫1人だけで時間が過ぎていきそうだった。いや…普段はその客すら来ないのだから、今日は多い方と言えたかもしれない。

*****

「…アイツ、来てる?」
 2杯目にウォッカのロックを注文した悠姫が、さり気なく、それでいて茜に視線を合わせないようにしながらその言葉を口にした。一杯目では口に出すのは躊躇われたのか、それとも…純粋に酒を楽しみたかったからかは分からなかったけれど。
「いつも同じよ。時々ふらっと来て、少し飲んで帰って行くわ」
「そう…元気でやってるみたいね」
「そうね」
 女性であると言う点以外に共通点が無さそうに見えたこの2人だったが、実はもうひとつ大きな共通点がある。
 それは…1人の男の事。
 互いに付き合っていた時期があった、それだけだったのだが。
 いつ頃この2人が知り合って、そして一時期同じ男と付き合っていたことを知ったのかは良く覚えていない。
 ――それでも、こんな日は。
 悠姫がわざわざこの店にまでやって来てのんびりとグラスを傾ける日は、『彼』の事を話題にするのだと言っているようなものだった。
 酒はウイスキーへと切り替わり、いつの間にかひとつの椅子を挟んで2人はカウンター席へ腰掛け、そしてそこには並べられた数本の瓶と氷、ピッチャーに注いだ水、グラスが置かれていた。
 悠姫はロックで、茜は水割りで。ゆっくりと、互いのペースで杯を重ねながら、話題は何度も宙を舞い…そして再び戻ってくる。
 『彼』の事に。
「アイツとの出会い…敢えて言うなら嵐って感じね…昔、助けられた事があったの。不覚にもね」
「あら。格好良かったでしょ?」
「格好良かったけど」
 くい、と溶けた氷と混ぜかかったウイスキーを喉に流し込みながら、一旦言葉を切る。
「――アレは鋭すぎる刀みたいなものよ。下手に近づけば、切り裂かれ、貫かれてしまうわ」
 その言葉には同感なのだろう。以前の事を思い出したか、何度も頷く茜を見て、ひょいと肩を竦める。
「あたしは近づきはしなかったのに、貫かれちゃったけどね」
「一目惚れ?…いいわね、そう言うの」
「あら、あなたは違ったの?」
「私は――あの人が私の事を、本当の私にしてくれたからよ。言うなれば、運命の人って言う感じかな」
 ほんの少し遠い目で、今この場に居ない男の事を考えているらしい茜。
「あの人のお陰で、私は幸せが…愛が何かを心から理解させてもらえたの。そうじゃなかったら、今頃はどうなっていたか分からないわね」
 空になっている茜のグラスへ新たな酒を注ぎ、随分と濃い水割りを作りながら悠姫が艶のある目付きで茜を眺め。
「互いに付き合った事のある身だものね。分かるわ、その気持ち」
 はい、とグラスを茜へ差し出す。
「あたしも日本で再会した時には運命を感じたものよ。その後付き合って…結局、別れちゃったけどね。彼の女神になれなかったのが悔しかったわ」
「………」
 黙って、グラスの縁を指先でなぞる茜。何杯目かのお代わりをし、小さくなった氷のせいでほとんどストレート状のウイスキーを干している悠姫も、その先は口にしないまま…少し、心地良い沈黙の時間を過ごす。
「――…あの人がいなくなるまで、いつかいなくなるんじゃないか、…って毎日不安だったの」
 不意に、ぽつりと茜がそんな言葉を呟いた。悠姫は黙ったまま、静かにグラスを口元へ運んでいる。
「実際にいなくなった時はああやっぱり、って思って…そして、とても寂しかった」
「いつも突然だったわね、アイツは。置いていかれた者の気持ちなんて考えもしないんだから」
 言葉はそうだが、柔らかな口調は男を責めるそれではなく。悠姫の中では既に過去の出来事になっているのだろうか、さばさばした様子が窺える。
 対して。ゆる…と静かに首を振った茜が、水滴のびっしり付いたグラスを眺めながら、
「あの人は私の前からいなくなってしまったけれど…でも、私はまだ彼を愛しているし、あきらめるつもりもないわ」
 ゆっくりと、誰に見せるでも無く…それでいて、誰もを魅了せずにはいられない微笑を浮かべた。
「なんと言われようと…私には彼しかいないから」
「………」
 くいっ、とグラスを空にした悠姫が、不思議そうに首を傾げる。
「それで…あんたはそれでいいの?」
「何が?」
「何がって…アイツを諦めないで、待ち続けるだけでいいの?って聞いてるのよ」
 うーん、そう困ったように笑う茜が、指先を所在なげに動かしてカウンターを撫で。
「だって仕方ないじゃない。…他の人なんて考えられないんだもの。ずっと、あの人だけなのよ」
 自信に満ちた笑顔も、この店も、今こうやって悠姫としている会話も…『彼』があの時茜の前に現れなかったら無かったものだと茜は言う。
「私は、彼に人生を与えてもらったの。…今は、そのお返しがしたいだけ。彼の……隣で、ね」

*****

 それは、叶わない願いかもしれない。
 悠姫の茜を見つめる表情を見ても分かることだ。
 だが、だからと言って茜に何が出来ただろうか。諦める事も、別の人生を選ぶ事も、全く考えられないのだから。
 そこには、計算も余計な欲も無い。相手の生活を脅かす真似はするつもりも無い。
「…しょうがない人ね」
 苦笑いした悠姫の一言が、そんな状況を雄弁に物語っていた。
「まあいいわ。…ねえ、次はアレちょうだい。――アイツの、好みの一杯。乾杯しましょ」
 微笑んで席を立った茜への、エールなのか。過去のものになってしまった悠姫のあの男への送別なのか。
 何に対してか、分からなかったけれど。

 ――少しして、小さな店の中に、ちん、と言う涼しげな音が響き渡った。

-END-