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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夢心 抱擁

 触れ合うだけのキスは…ただ、それだけで終わる筈だった。

 夜の街のどこかでひっそりと営んでいる、こぢんまりとした店の中は、時間が止まったようだった。
 どのくらい時間が経ったのだろう?
 数秒?――それとも、数時間?
 互いの唇が離れるまでの、永遠にも思える時間。
 …ふっ、と息を付くように、どちらからともなく離した唇の、代わりを繋ぐように。
 茜は男の胸の中へ閉じこめられていた。

 ――。

 あの日と同じ。温かな、がっしりとした胸。背中に回された、力強い腕。それだけで、自分の胸が温かくなる。
 自分から茜へ何らかのアプローチをする、等と言う事がない男の行動なだけに、驚き、戸惑いながら…それでもその事が酷く嬉しくて。
 抱きしめられる事の喜びを伝えるように、自分からもそっと腕を回した。

     * * * * *

 無意識に力を込めてしまいそうになるのをセーブしつつ、触れ合う肌から滲み出てくる互いの熱を確かめる。
 茜の温かさも、想いも、受け止める資格が今の自分にあるのか、と自嘲気味な思いで内心呟きつつ。
 ――暫くして身体を離す時も、しぶしぶと、だった。茜には気付かれなかっただろうが…その茜は、自分の胸元を、嬉しそうに頬を染めながら見つめていた。その目が注ぐ位置で分かる。茜の見つめているものは、龍也の以前のトレードマークになっていたクロスのペンダントだろう。――『別れ』の日、あの部屋に唯一残してきた…。
「……」
 ただひたすらに自分を見つめている茜は、初めて会った時から変わっていない。
 無理やり自分を押さえ込んでいたあの少女は、もしかしたら龍也が何もしなくても変われたのかもしれない。そのきっかけを作ったのは自分だ、と言う事は自覚していても、そう思わずにはいられなかった。
 茜への罪悪感と…もうひとつ、出会った時からの感情と共に。

 忘れられる筈がない。あの、失態続きだったあの日の事は――。
 あの日、狙われているのが分かっていながら、路地裏へ連中を誘い込んだのは龍也自身だった。そこならば他人が現れる事はないだろうと、没個性のつもりか、狂気に彩られた目しか窺えない黒装束に身を包んだ彼らを、そうやって袋小路へ誘い込み、片を付けるつもりだった。
 なのに。
 たった1人の、通常ならこんな場所へ来る事がなさそうな少女が迷い込んで来たのだ。
 既に数人の黒装束が二度と起き上がれない状況に陥っている事にも気付かず、突如曲がり角から姿を現して男達の姿に立ち竦んでしまった少女。
 それは――龍也にとっては悪夢の始まりであり、黒装束達にとっては千載一遇のチャンスだった。
 意識が一般人へ向けられた事を知った黒装束の1人が手に持ったナイフで龍也に切りつけ、それを紙一重でかわすと同時に封印を解いていた右腕の鎖を力加減無しで相手の首に巻き付けてやり、骨の折れる音を聞いてようやくその鎖を外す。感心な事に悲鳴を上げず倒れた黒装束は放っておいて、未だ硬直したままかたかたと震えているその少女へと近寄っていった。
「――っ、ひ…ぃ…」
 野暮ったい服装と、重そうなバッグ。今時何処で売ってるのかと訊ねたいようなぶあつい黒ぶち眼鏡は、そこから覗ける目と肌の歪み具合からして伊達だろうと推測が付く。
 だが、そんな事は、黒装束の1人に切れ味の鋭いナイフを突きつけられている今では何の意味も成さなかった。

 そして――思い出すのも忌々しい、出来事が起こり。

「―――」
 無人のビルで、緊張し続きで疲れたのだろう、その少女が一心に眠っているのを眺めていた龍也が、眼鏡を外した表情に暫く視線を注いだ後でそっとその上に覆い被さった。
 これから朝になるまで、やらなければいけないことは山のようにある。だがその前に――
 彼女の記憶を、改竄しておかなければ。
 これからも一般人として過ごすには不要な、自分達の戦いを…単なる不良共の喧嘩に巻き込まれたもの、と。

     * * * * *

「………」
 抱きしめた時に手に残った感触が、グラスに触れた瞬間溶けてしまうのを、少し勿体無いと思う。
 口元にあるかなしかの笑みを浮かべた龍也が、そんな事を思いながら脇で寄り添っている茜の目を覗き見た。
 いつかきっと、あの日の記憶が偽物だったと気付く時が来るだろう。一般人ならともかく、能力を与えられ、鍛える事によって研ぎ澄まされた彼女の事だ。いつか何かのきっかけで刷り込みが外れてしまうかもしれない。
 その時には、全て…あの日起きた事を全て話そうと思う。
 幸い、あの日にはまだ残っていた残党とも言える黒装束の元締めはおろか予備軍に至るまで壊滅させた事でもあるし、今ならその事を知っても茜は驚きはしないだろう。
 ――もしかしたら、彼女が一般人のままでも…そのうち、記憶操作は解けてしまったかもしれない。
 思い出させる事で、より一層強く自分に引き付けてしまいたいと…あの日思わなかったとは言い切れないものを龍也自身持っているために、時々、ほんの時々だが考えずにはおれなかった。
「おかわり、いる?」
 こうして時々会うだけで、それだけで全身で喜びをあらわして来る、目の前の女性に真っ直ぐ視線を注ぎながら。

     * * * * *

 もっと…閉店に至る時間まで、いや、閉店後も抱きしめたままでいて欲しかったのに。
 そんな子供じみた思いに自分でも駄目でしょ、と呟きながら、無意識に自分の首にかかるクロスペンダントへと手を伸ばす。
「気に入っているんだな」
「だって…あなたが残してくれたんだもの」
 『別れ』の印だと思っていた、彼が唯一残した、その身に付けていたもの。笑いながら、指先でくすぐるようにクロスをちょいちょいと動かす。
 でも、今はこうして、ペンダントを付けていた身体ごと、戻ってきてくれている。
 そう思うにつけ、今触れている銀が愛しかった。ペンダントに触れることで龍也の身体に触れているような、そんな錯覚に陥りながら。
 久しぶりに、抱きしめられたから。甘えではなく、嬉しさのあまり彼に近づかずにはおれず。
 とうとうと溢れ出す、茜の胸からの愛情が、店を満たし、そして2人を溺れさせてしまいそうだった。

「――」

 ゆらゆら、と指に合わせて揺れるペンダント。
 それを見ながら、茜は――つい、龍也が消えてしまった後の事を思い出さすにはいられなかった。
 龍也と過ごした時間を濃縮させたような存在を。
 そう…龍也との愛の結晶の事を。


To be continued...