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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢心 胎動

 ――あ…動いた。
 すっかり丸くなったお腹を撫でながら、元気良く中で動いているだろう我が子の事を想像し、くす、と笑う。
 何ヶ月かの短い間、一緒に過ごした男との証。――今でも、お腹の子が動くたび、その事を思い出して知らず知らずに口元が綻ぶ。
 …元気に動く子供は男の子だって言うわよ。
 そんな俗説を楽しげに語る、妊婦仲間からの話題を耳にし、
「女の子でも男の子でもいいわ。大切な人の子供なんだもの」
 実に幸せそうにしている茜の仕草に、そうして病院に集まった他の妊婦や看護婦の表情もがつられてしまう。それは、マタニティブルーと言われるような人の顔さえもが笑顔を浮かべる、そんな仕草であり、笑顔であった。


「茜、大丈夫?荷物持とうか?」
 大学で仲良くなった友人も、お腹の目立ってきた茜を心配してくれる。
 妊婦と言うからには相手の男性の影が茜の後ろに見えるだろうに、それにも関わらず茜を熱心に口説いてくる学生が出始めたのには少し閉口していたけれど、おおむね大学生活は楽しく過ごしていた。
 受験前には思いもよらなかった事だったが、今は素直にそれを受け止め、また感謝しながら過ごす事が出来る。
「随分大きくなって来たよね。男の子か女の子かは分かった?」
「ううん。教えてもらっていないの。だからわからないわ」
 初めて超音波で内部を見せて貰った時は、まだそういった男女差も良く分からない位の大きさの時で。
 とくんとくんとくん…そうしっかりと音を立てて動いている心臓に、何故だか分からないが涙がにじんだ事を思い出す。
「なぁんだ。じゃあ、生まれる時までのお楽しみ?」
「そういうこと」
 くすくすっ、と笑いあう友人達と茜。
「予定日はいつ?」
「あと3ヶ月くらいだと思うわ。順調だって言うし、ひと安心」
「大学はいつまで通うつもりなの?――休学して実家に戻ったりは?」
 茜と入学時から親しくさせてもらっている友人達には、男の事はさらっと伝えている。同居していた男が、仕事で離れてしまったと言う事、籍は入れていないのでシングルマザーになると言う事。
「ううん、1人で育てるわ。大学はそうね、休学するかどうかはまだ決めていないけど、生まれるぎりぎりまで通うつもりよ」
 何しろ、勉強が楽しくて仕方ないのだ。押し込められた以前と違って、学ぶ事の楽しさをも教えてくれたのは…とお腹を撫でつつ茜が思いを馳せる。
「あたし達も出来るだけサポートするから、何か辛い事あったら言ってね?」
「ありがとう」
 にこっ、と笑う茜。その笑みに引き込まれるように笑う友人達が、照れたような顔をして、
「――その人、早く戻ってこれるといいね。赤ちゃんの顔、見せてあげないと」
「あら、そんな事しちゃ駄目よ。1人でも十分ここまで出来たのよっ、て見返してやらなきゃ。ねえ茜?」
「ふふ」
 その言葉には肯定も否定も無い。からかっているだけと分かっているのだし、その上で茜と――身体の中に宿っている子を気遣ってくれているのだから。
 実家に戻るつもりは全く無かった。時折、上京した娘を心配する母の電話で近況を簡単に報告する程度で、男の事も、当然子供の事も伝えてはいない。伝えていたたとしたら両親親類そろって上京の上、堕ろさせられて実家へと無理やり連れ戻されていただろう。…今の茜を無理やり連れ戻すなど出来る筈は無いが、それでも茜自身には抵抗しようが無かったと思わざるを得ない。何しろ、今まで育ててくれた恩があるのだから。
 堕ろすのは手遅れとなった今でも、連絡するのは危険だった。
 ――シングルマザーを許すような故郷ではないから。そこに予想される両親や親類の事を考えると、今のように落ち着いて子育てをする事は出来そうも無い。
 その事についてはほんの少しだけ、罪悪感があった。
 それでも…男と、我が子の事の方がずっと、茜にとっては大切な、何物にも代えがたいものだった。


「ゆっくり、ゆっくりね…そう、息を吸って、吐いて」
 教えられていた通りの呼吸をする度、額にじわりと汗が浮かぶ。
 予定日よりも3日早く。
 昼過ぎから強くなってきた陣痛に押されるように、この1年世話になった女医の元へやって来て、今こうして横になっている。腰から下には布がかけられ、大きく開いた足の向こうに居る女医の姿は見えない。
「まだ力は入れないで下さいね。今開いている所ですから」
 話には聞いていた。講習会で脅されるような言葉もあった。
 ――けれど、そんなものが全て吹き飛んでしまう。そこにあるのは、ただ――愛しい男の顔のみ。
 こんな時に一緒にいてくれないなんて…どう言うことなの?
 ふっ、と意識せず笑みが唇へ浮かんだ。そこには怒りも悲しみも無く。こちらから連絡する術は無いのだが、向こうからたとえ突然連絡が来てもすぐには教えてやらないでおこう、そんな事を思う。
 それが、茜に出来る精一杯の意地悪だったから。
「頭が出てきたわ――さあ、いきんで!お腹に力を入れて、はい、頑張って…!」
 ぐうっ、と悲鳴を上げたい位の痛みが茜を襲う。その中を、必死に呼吸を整えつつ、言われたように力を込め…そして次の瞬間。
 ――体中の力が、抜けた。
 それと同時に、産室に激しい泣き声がこだまする。
「おめでとう…無事、生まれたわ」
 女医の言葉に、茜は汗びっしょりの顔で、目に涙を浮かべつつこれ以上はないと言う微笑を浮かべていた…。


 無事退院して、赤ん坊…男の子と一緒に家に戻る茜。
 生まれて間もなく、見えない目をぱちりと開いたその瞳は黄金色をしていた。その不思議な輝きが、あの男との間の子だと証明しているようで、女医は不思議がったが茜は嬉しそうに微笑みながらその柔らかな頬を撫でていた。
 そして…やはり、少しの間休学する事にし。
 忙しくも楽しげに、育児本やビデオを見つつ、日々変わる我が子の姿に目を細めながらの育児が始まった。


To be continued...