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<幻影学園奇譚・学園ノベル>


シレーヌの黄昏

 さあ、夜が始まる。
空をご覧。月があんなに艶やかに輝いているだろう。

――――ボクと一緒に、遊んでおくれ


■ 掲示板前

 学園内の一画に新聞部が設置した掲示板がある。
そこに記事を貼りつけるのは自由。誰でも好きに記事を貼りつけることが出来るのだ。
そこには学園祭に向けての準備に追われた部などが人員を募集しているものや、はたまたそういった危機とは違ったほのぼのとしたものまで多様に貼られてある。
 そういった様々な記事が貼りつけられている中、三日ほど前から合唱部が一枚の記事を貼りつけている。

 合唱部の歌姫を見つけてください

 普段あまり目立った活動をしている方ではない部の一つに数えられる合唱部。
そんな部が貼りつけた紙は、しかしその内容の影響か、掲示板を見に来る生徒達の目を多く引き寄せた。
 その内容は、つい最近入部したばかりの少女が行方をくらましてしまい、連絡が取れなくなってしまったというようなものだった。
練習に差し障るという理由ももちろんだが、何より、やはり彼女の身に何かあったのではないのかと心配だから。
そう記された張り紙の最後には、その少女の名前が記載されている。
 月神 詠子  それが少女の名前。しかしそこに記されていたのはその名前だけで、クラスは書かれていなかった。

「おや、人ごみが出来ているね。何か事件でもあったのかな?」
 行き交う生徒達の間を器用にすり抜けて掲示板の前に立った少年が、なんとも間延びしたような声を発した。
そのすぐ後ろに控えている少年が、銀に光る髪を撫でつつ嘆息する。
「城ヶ崎先輩、顔がにやけていますよ」
 あまり良くない事件かもしれないのですからと続け、銀髪の少年はふうと息を吐いて横を向いた。
そこには同じように掲示板を見つめている生徒達が数人いて、彼らの視線はどれも合唱部の記事へと向いている。
「詠子ちゃんか……。合唱部に入ってたなんて知らなかったわ」
 女生徒の一人がそう呟き、切れ長の瞳を細くさせた。
銀髪の少年は彼女の顔を確かめ、その言葉に対して声をかけた。
「シュラインさん、月神さんという方を知ってるんですか?」
 声をかけられた彼女は少年に目をやり、声の主を確認してから頷いた。
「尾神君もこの記事が気になるの? ……そうね、友達……とはいえないかもしれないけれど、見知った相手ではあるわね」
 銀髪の少年は彼女の言葉に小さく唸り、再び掲示板へと目を向けた。
「――おや、尾神君のお友達ですか?」
 尾神という少年の肩を軽く叩きながら顔を覗かせた城ヶ崎が、シュラインの顔を見て穏やかな微笑みを浮かべる。
「同じクラスのシュラインさんです」
 城ヶ崎の笑みに一瞥をくわえつつそう告げると、尾神は続いてシュラインへと言葉をかける。
「寮で同室の城ヶ崎先輩」
 尾神の紹介をうけ、シュラインが城ヶ崎に向けて頭をさげた。
「初めまして。……ところで城ヶ崎先輩もこの掲示板を見にいらしたんですか?」
 さげた顔を持ち上げるのと同時に口を開き、シュラインがそう訊ねると、城ヶ崎は小さな笑みを絶やすことなく頷いた。
「少しばかり退屈だったものだからね。尾神君と連れ立って来てみたんだよ。――しかしこれは、実に興味深い」
 
 城ヶ崎が発したその言葉に、尾神とシュラインは同時に掲示板へと目を向けた。

「月神 詠子、か」
 目を細めて呟いた城ヶ崎の顔には、薄い笑みが張り付いたままになっている。
「どうせ退屈なのだから、少し合唱部の依頼を聞いてみることにしようか、尾神君」
 城ヶ崎が印象的な深みをもった声音でそう告げると、尾神は言葉なく頷いた。
それに賛同するかのように半歩前に歩みだし、シュラインも名乗り出る。
「私もご一緒していいですか、先輩。詠子ちゃんとは他人ではないので」
 城ヶ崎がその申し出に頷くのと同時に、少女が一人、彼らの会話に割って入った。
「あっれぇ? 詠子ちゃん、またいなくなっちゃったのおぅ?」
 少女はものおじすることなく現れて掲示板を見やると、くるりと振り向いて屈託ない笑顔を満面に浮かべた。
「あたしも詠子ちゃん探しに行きたい。いいでしょ? あ、あたしは千影。詠子ちゃんとはこの前ちょっとした事で知り合ったの」
 ニヒヒと笑う千影の豊かな黒髪が、彼女の微笑みに合わせてふわりと揺れた。

■ 音楽室にて

「こーんにーちはー」
 何やら鼻歌を歌いつつ先頭を歩いていた千影の元気な挨拶が廊下に響く。
「詠子ちゃんいますかー」
「……千影ちゃん、詠子ちゃんがいなくなったって依頼してきたのは、合唱部の皆さんよ」
 シュラインが、小さな嘆息を洩らしつつ微笑んだ。
 音楽室には数人の女生徒達が控えていて、千影の挨拶に驚き、一斉にこちらをみている。
その場を宥めるように、城ヶ崎が一番前に歩み出た。
「掲示板を見たのだけど、月神君のことについて、もう少し詳しいことを教えてはくれないかな」
 音楽室の隅々にまで行き渡るバリトン。高校生の割には大人びている城ヶ崎の微笑みに、女生徒の何人かが小さな歓声をあげる。
小さな歓声に応えるように片手を持ち上げてみせる城ヶ崎に、尾神がげんなりした表情を浮かべる。
「ええと、月神さんのクラスは不明なのですか? 誰か知ってる方とかいないでしょうか」
 女生徒の歓声ににこやかな応対をしている城ヶ崎を押しのけて前に進み出ると、尾神はシュラインと並んで音楽室の中を見渡した。
まだ部の練習は始まっていないのだろうか。あるいは途中休憩をしているのかもしれない。
時計はまだ夕方あたりを示しているから、もう終わってしまったということもないだろうが。
 尾神の問いかけに対して歩みよってきたのは、合唱部の部長だと名乗る少女と、可憐な雰囲気を持った少女だった。
問いかけを続けたのはシュライン。シュラインは部長だという少女に向けて会釈をしてから、小さめの手帳を取り出してメモを取る準備を始めた。
「掲示板にあった記事によれば、詠子ちゃ……月神さんのクラスは定かではないという事のようだけど」
 問いかけつつ、シュラインは切れ長の青をゆるりと細めた。
「ええ、判らないのよね。考えてみたら、彼女自身もそれを口にしてなかったし」
 部長はそう応えて、小さなため息を洩らし首を傾げる。
「あたしも詠子ちゃんが何年生なのか聞いてないなー」
 シュラインの後ろから顔を覗かせて、千影が口を挟んだ。
「私も聞いてなかったわ」
 同調を示すように頷きつつ、シュラインは部長の後ろにいる少女に目を向けた。
その視線に気がつくと、少女は頭をさげてから微笑みを浮かべた。
「橘 沙羅です。その、詠子ちゃんとは時々お話したりしてて、これからもっと仲良くなりたいなって思ってたから……心配で」
 橘は穏やかな笑みを満面に浮かべてそう述べたが、その表情は語尾に近付くにつれて暗いものへと変容していった。
「詠子ちゃんはいつのまにか部の中にいて、すごく自然にここにいたから……突然いなくなったから……」
 睫毛を伏せて俯いた橘の肩を城ヶ崎が軽く叩く。
「外部の人間が、学園の制服を着けて紛れこんでいたという可能性も否めない。この学園はただでさえ生徒数が多いのに、ここしばらくは学園祭の準備なんかでごった返しているからね」
 整った顔に小さな笑みを乗せて語りかけた城ヶ崎の言葉に、橘は弱々しい返事を返した。
「……あの、せめて顔写真の一枚でもあれば嬉しいのですが。どうやらシュラインさんと千影さんは月神さんの顔をご存知のようですが、俺と先輩は知らないので」
 尾神はそう述べて部長と橘の顔を交互に見やった。
すると橘が「あ」と呟いて音楽室の隅に走っていき、可愛らしい薄いピンク色の手帳を手にとって戻ってきた。
「プリクラ、この前撮ったの。詠子ちゃん、プリクラ知らないって言うから」
 手帳のページをめくりつつそう告げ、たくさん貼りつけられているプリクラの中から一枚だけを指差した。
覗いてみれば、そこには確かに、橘の他にもう一人の少女が写されている。
小さくて写りも明瞭ではないが、そこにいるのは少女とも少年ともとれる美しい顔をした生徒。

 肩のあたりで揃えられた黒髪に、黄金に光る印象的な瞳。
どこかぎこちなく笑いながらこちらを見ている彼女の姿は、なぜかどこか儚げにも見える。

「すごく明るくて人当たりの良い人なの。歌声もすごくよく通って、綺麗で。……でも最近少し変だったっていうか……」
 プリクラが貼りつけられた手帳を片手にしつつ、橘はそう呟いて眉根を寄せた。
「なんだか遠くを見ているっていうか……夏が終わらなければいいのにって言ってたこともあるし」
「詠子ちゃんの歌、聞いてみたいなー。もしかしたら何かあって、どこかで困ってるかもしれないよ。早く探そうよ」
 大きな目を何度も瞬きさせながら口を挟んできた千影の言葉に、一行は各々首を縦に動かして、音楽室の中の部員達に礼を告げた。
「もう一度掲示板を確かめに行きましょう。もしかしたら新しい情報とか得られるかもしれないし」
 千影の頭を軽く撫でてそう言うシュラインに、城ヶ崎と尾神が同時に頷く。
掲示板を目指して踵を返し、音楽室を後にした彼らを、橘が思い切ったような口調で呼び止めた。
「あの――――私も……沙羅も連れてってください。詠子ちゃんが見つかるのをじっと待ってるよりも、一緒に見つけに行きたいから――」


■ 再び掲示板前に

 掲示板前には二人の男子生徒の姿があった。
一人は合唱部の張り紙をまじまじと眺めている男子生徒。
「繭神君。それに葛城君じゃないか」
 城ヶ崎は彼らの名前を呼びながら片手を持ち上げ、大人びた笑顔を浮かべた。
名前を呼ばれた彼らはそれぞれに顔をこちらに向けた。
繭神と呼ばれた男子生徒は人懐こいような笑顔を浮かべ、葛城と呼ばれた男子生徒は感情の一片さえも窺えない、深淵を思わせるような瞳をゆるりと細ませている。
「城ヶ崎先輩。皆さん連れ立って、どうされたんです?」
 繭神はそう言ってゆっくりと歩み寄り、葛城の近くで一度足を止めてそちらに目を向けた。
葛城は無言のまま繭神を見据えている。およそ感情といったものを読み取ることの出来ない能面のような表情に、わずかに闇の気配が漂っている。
繭神は葛城の視線に目を合わせ、穏やかな笑みはそのままに、姿勢よく会釈を一つ。
それから再び歩みを進めて城ヶ崎達の傍まで近寄ると、そこに集まっている五人の面々を順に眺めて首を傾げた。
学園の生徒会長でもある繭神 陽一郎。彼は生徒会長としても、一介の生徒としても、実に評判の良い少年だ。
成績も良く、明朗で人当たりも良い。
「ああ――この張り紙を見に来たんですね?」
 繭神は掲示板に目を向け、合唱部の張り紙を指差してにっこりと笑った。
その言葉に五人は各々首を縦に振り、それぞれに張り紙を見たり繭神を見たりしている。
言葉のない返答ではあったが、繭神はそれに対して小さく唸りながら、張り紙を見やって言葉を続けた。
「月神、か。こんな名前、全校生徒の名簿を確認しても見当たらないんですよね。……夏休みだから、余所の子が入りこんでいるのかな」
「それは僕も考えたんだよね。他校の子が入りこんでいるのでは、と。まあその場合、それほど大きな問題にはならないだろうが」
 城ヶ崎がそう言うと、繭神は口の端を歪めるようにして笑い、目を細ませた。
「……学園の在校生全員となると、数も半端ではないだろうと思いますが、全てに目を通したのですか?」
 尾神が問う。
繭神は頷いてからゆっくりと歩きだし、 
「生徒会長という役に就いている以上、名簿にだって目を通しますよ。この掲示板だって毎日チェックしているし、必要があれば生徒会を動かすことだってありますしね」
 そう応えて足を止める。
「生徒会長としては、歴代の中でも優秀な方に数えられているって言われているものね。そのくらいの行動は当然、といったところかしら」
 自分の横を通りすぎようとしている繭神を呼び止めるように、シュラインが小さな笑みをこぼした。
すでに行き過ぎていた彼のその表情はシュラインの目に見えなかったが、繭神の顔を見ている千影がかすかな唸り声をあげていた。
「――――そういえば」
 ふいに何かを思い出したのか、繭神はそう言いながら小さく手を打って振り向いた。
「この件とは関係ないかもしれませんが、最近地下倉庫の壁が崩れてしまったらしくて……老朽したんでしょうかねえ。悪戯を思いついた生徒が、潜り込んだりしていなければよいのですけれども」
 付け足すようにそう告げて、自分に警戒している千影の肩を軽く叩き、繭神は去っていった。


■ 屋上

 繭神が去っていったのを見届けてから、橘が呟くように口を開いた。
「繭神くん、何だか雰囲気変わったよね……最近」
 前はもっと柔らかい感じだったのに。そう続けて口をつぐむ。
「なんだかあの人怖い」
 橘の制服の裾を掴み、千影がふるふると首を振った。
千影の髪を撫でつつ、橘はもう一度繭神が去っていった方向に目を向ける。
たった今去っていったばかりの繭神の背中は、もう廊下のどこにも見当たらなかった。

「葛城君も掲示板を見に来ていたなんて、奇遇だね」
 城ヶ崎がそう言うと、彼らからは離れた場所に立っていた葛城がゆるりと首を縦に動かした。
「時々、暇になると見に来たりしています……何だかまた事件があったようですね」
 張り紙を眺めてそう言う葛城の言葉に、シュラインが続ける。
「繭神くんのあの台詞。思わせぶりだったわよね。……何か知ってるってことかしら。あるいは、この件に関して手がかりでも持っているとか」
 シュラインがメモ帳をしまってそう言うと、尾神がわずかに眉根を寄せた。
「仮に他校の生徒が入りこんでいるのだとしても、どうも月神さんという人は皆から好かれているようだし、構わないのではと俺は考えますけども」
 暗い紅の瞳をゆらりと揺らす尾神に、城ヶ崎が顎に片手をそえた姿勢で頷いた。
「繭神君、壁の修理は手配したのだろうか。……しかし……嫌な予感がするね」
 片手を顎にあてた状態でわずかに俯いている城ヶ崎の顔は、いつもの彼らしくなく、やけに神妙な表情を浮かべている。
「とにかく! とにかく詠子ちゃんを探そうよ。詠子ちゃん、もしかしたらどこかで一人でさみしくしてるかもしれないし」
 場の空気を一蹴するようにそう発したのは橘だった。
その言葉で、神妙になっていた皆の表情がふわりと和らぐ。
「そうね。とにかく詠子ちゃんを探すのが先決だわ。皆がバラバラになって探す方がいいかしら。……でも地下倉庫の件も気になるし。どうかしら、二手に分かれてみては?」
 細い腰に両手をあててそう告げたシュラインに、皆がそれぞれに同意する。
「皆がバラバラになってそれぞれに検討違いな場所を探してもなんですしね。二手に分かれて、どっちかが地下倉庫を、どっちかが別の場所を探すというようにしましょう」
 シュラインの提案を受け継ぐ形で尾神が言うと、それまで会話に混ざってはいなかった葛城が、グラススコープを指の腹で持ち上げながら申し出た。
「私も行っていいでしょうか。……月神という女生徒のことは知りませんが、少し……少し気になることがあって」
 
 彼らは屋上へ行く者三人と地下倉庫に向かう者三人とに分かれた。
屋上を目指そうと初めに言ったのは橘だった。
「購買部とかサークル棟をまわってから屋上へ行ってみようよ。屋上から全体を見渡してみれば、もしかしたら詠子ちゃんも見つかるかもしれないし」
「そうですね。屋上からなら学園を一望できますし、もしかしたらそこにいるかもしれませんしね。俺も屋上へ行きます」
 尾神が橘の顔を見据えて頷いた。すると千影が橘の腕に飛びついて、片手を大きく振り上げた。
「はいはいはぁい! あたしも屋上行くよ。あ、でも地下倉庫も行ってみたいかも」
 振り上げた手を下ろし、うーんと唸ってしまった千影に、城ヶ崎が苦笑いを浮かべつつ返事をした。
「それじゃあ、屋上へ行った後に倉庫に来るといい。僕と葛城君、それにシュラインさんとで先に向かっておくからさ」
「うん、そうするよ。あたしも後で行くから!」
 城ヶ崎の返事に満足そうな笑みを返し、千影は踵を返して廊下を歩き進めた。
もちろん橘の腕を掴んだままだから、橘も千影に引かれて歩きだす。
尾神は城ヶ崎に目配せしてから踵を返し、横目で窓の外を確かめた。

 晴れ渡った一面の青。

 購買部やサークル棟をくまなく探し、三人は間もなく屋上へと踏み出した。
屋上には数人の生徒が影を落としていた。
歌っている者や楽器の練習をしている者。昼寝をしている者もいる。
 千影が小走りに屋上を駆け回り、くるりと振り向いてエヘヘと笑った。
「あたしのお気に入りの場所なの。お日様がきらきらしてて気持ち良くお昼寝出来るんだよねー」
 そう言いつつ腕を伸ばし、思いきり背伸びをしている。
なんだか猫みたいですねと小さく笑いながら、尾神はゆっくりとフェンスに近付いて周辺を見渡した。

 広いグラウンドで練習している運動部。退屈をもてあましてブラついている生徒達。
やはりというか、月神詠子らしき人影は見当たらない。
尾神は小さな嘆息をついて踵を返した。
「いませんね。数時間前からいなくなったというのであればまだしも、連絡が取れなくなって数日経っているのですから。校内にいる可能性はとても低い――」
 言いかけた口を閉ざす。橘がひどく悲しそうな顔をしていたからだ。
「詠子ちゃん……どこに行ったのかな……」
 今にも泣き出しそうな顔をしている橘に、尾神は慌てて近寄った。
しかし近付きはしたものの、どう応対していいのか解らない。おろおろしている尾神をからかうように、千影が笑った。
「七重ちゃんが沙羅ちゃんをいじめてるー」
「違っ! 違います。いじめてなんかいません!」
 慌てて橘を見れば、当の橘は空を仰いで目を瞑り、大きく深呼吸をしてから伸びやかな声で歌いだしていた。
が、自分に見入っている二人の視線に気がつくと、橘は歌うのを止めて小さな笑みをこぼした。
「詠子ちゃん、コンクール用の自由曲がすごく好きだって言ってたから。もしかしたら聞いてくれるかもしれないでしょ」
 照れたように小首を傾げる橘に、尾神は無言で頷いた。
橘はそれを確かめると、再び空を仰いで伸びやかな声で歌い始めた。


■ 地下倉庫

 尾神達と分かれた後、城ヶ崎達はシュラインの提案を元に、一度教室へと立ち寄った。
「懐中電灯は必須だと思うのよ。繭神くんは『生徒が入りこんでいたら困る』みたいなことを言っていたし。察するに、ただ壁が崩れただけではなくて、その奥に通じる通路みたいなものがあるのよ、きっと」
 自分の机に置いてあったカバンから懐中電灯を取り出しながらそう述べるシュラインに、城ヶ崎が頷いた。
「僕もそう思うよ。……でもシュラインさんって、日頃からそういった物を持ち歩いているのかな?」
 訊ねつつ、シュラインが手にしている懐中電灯とペットボトルの水に目を向ける。
そこにはさらに手軽につまんで食すことの出来る、携帯用の食料などまでがあった。
シュラインは城ヶ崎の問いに対して小首を傾げ、教室のドアにもたれかかってこちらを見ている葛城に目を向ける。
葛城はやはり表情一つないままだ。あまり口を開くこともない彼の顔を眺め、目線だけを城ヶ崎に向けなおした。
「だって、いつこういった事が起こるとも限らないわけですし。救急用としても、あるにこしたことはないでしょう」
 応え、かすかな笑いをこぼす。
城ヶ崎はその言葉に対して首をすくめ、「そりゃそうだね」と返して笑った。

 
 地下倉庫への階段を降り、普段は鍵がかかっているはずのドアに、葛城が手をかける。
押し開ける前に一度振り向き、城ヶ崎とシュラインの様子を窺ってから、葛城は躊躇することなくそれを開けた。
ドアが開かれると同時に、中から湿った空気が三人の上に圧し掛かる。
むうとした空気は、まるで何十年も開かれたことのない箱の中のもののような重みを帯びている。
その中に初めに足を踏み入れた葛城は、シュラインが差し出した電灯を受け取ることもせずに、倉庫の中を探索し始めた。
「葛城君? どうかな」
 次に倉庫へと踏み入ったシュラインの背中から顔を覗かせた城ヶ崎が問いかける。
「そうですね。……どうやら崩れた壁というのはこれの事らしいですが」
 シュラインが電灯の電源をいれる。暗室のようだった倉庫の中が、一気に明るさを得た。
「倉庫は初めて入りましたが、結構狭いんですね。……ははあ、なるほど。確かに崩れてますねえ」
 最後に倉庫内へと踏み込んだ城ヶ崎は、シュラインが照らしている壁の一画に目を向けて頷いた。
それほどに広くはない倉庫の一番奥にあたる壁が、ちょうど人一人が出入り出来る程度にぼっこりと崩れ落ちている。
「電灯を持ってきたのは正しかったようね。こう暗くちゃ、足元も見えなくて危ないもの」
 崩れた壁の向こうを照らしながら呟くシュラインに、葛城が小さな唸り声のような返事を返す。
「そうですね。――やっぱり奥に通じる通路のようなものがあるんですね。行ってみましょう」
 そう言い終えて、シュラインが電灯で先を照らすより前に、どんどん奥へと進んでいった。

 通路は人一人通れる程度の幅を持ち、見た目は手掘りのトンネルかなにかのようだ。
どこからともなく流れてくる冷気がいいしれぬ何かを感じさせて、全身が粟立つ。
先頭を歩く葛城は足元さえもおぼつかないような暗闇の中を、今にも走り出しそうなくらいの速さで進む。
そこからわずかに遅れてシュラインが慎重な足取りで進む。
城ヶ崎は一番後ろをゆったりとした歩調で進みつつ、背後にもくまなく神経を巡らせていた。
 数分後――感覚的には何時間も経っているように感じられたが―――、三人は突如として広がった空間に踏み入って足を止めた。

 祭壇のようなものが置かれ、何本もの蝋燭が小さな炎を揺らしている。
石棺と思わしきものが奥に鎮座している。まるで祭礼を執り行うための場所のようだ。
「……これは」
 シュラインが息を飲む。
その言葉の続きを告げるように、城ヶ崎が頭を掻きながら口を開いた。
「地下は往々にして別世界へ通じていると言われるけども……これはまた」
 そう言い終えた後に嘆息を一つ。
「石棺の中に、誰かがいるようですよ」
 葛城の白く細い指先が、奥にある石棺を指した。


■ 月を鎮めるための詠

 ボクはただ――――――――

 橘が歌い終える頃には、その周りに小さな人垣が出来ていた。
屋上で休んでいた生徒達が皆、彼女の歌声に惹かれて集まっていたのだ。
伸びやかな歌声が最後の詞を告げて途絶えると、小さな人垣は感動の声を張り上げて拍手をする。
その中にはもちろん尾神や千影もいて、橘は気恥ずかしそうに俯いてしまった。

 ボクはただ、皆と――――――――

 その拍手が途絶えたのと同時に、橘は気恥ずかしさに伏せていた睫毛を持ち上げて辺りを見まわした。
「詠子ちゃん!」
 人垣がざわめきを起こす中、橘は小走りで屋上の端へと寄り、目の前のフェンスをわしづかみにした。
その横では尾神が神妙な表情を浮かべて周りを確かめている。
千影は目を閉じて耳を傾け、どこからともなく聞こえてきていた声に意識を向けた。

 ボクはただ、皆と仲良く遊びたかっただけなんだ――――

「詠子ちゃん!」
 吹きぬける風に乗って聞こえてくるような微かな声に、橘は必死でしがみつく。
「仲良くしようよ。沙羅も、沙羅も詠子ちゃんともっと仲良くなりたいよ!」
 
 風が、凪いだ。

 重々しい何かが壊れたような音がして、気付いた時には、そこはもう屋上ではなかった。


「アアアアアぁぁああァ!」
 石棺の蓋が重々しい音を響かせて、内側から押し開けられた。
鼻先をかすめる腐臭に似た空気と、棺の中からたちのぼる絶叫。
「あれは……詠子ちゃん……?」
 途端に吹き荒れた突風から顔を庇いつつ、シュラインが声を張り上げた。
舞い飛ぶ小石がシュラインの頬をかすめたが、それは彼女の肌を切り裂く前に砂となって崩れ去った。
見れば、葛城が突風の害から彼女を守るように、シュラインのすぐ目の前に立っている。
城ヶ崎は少しの動揺も見せることなく両手を持ち上げ、それをゆっくりと揮った。
オーケストラの指揮者を思わせるその動きが止むと、地面には青白く輝く円陣が出来あがっていた。
その円陣に囲まれた三人は突風の害から逃れ、改めて棺の中から現れた人影を確かめる。

 棺の中から上半身を起こし、こちらを見つめている少女。
少年とも取れる容貌だが、身に着けている制服は女生徒用のものだ。
橘が見せてくれたプリクラの写真を思いだして城ヶ崎が目を細める。
「しかしあれは」
 独り言のように口を開く。
「しかしあれはまるで」

「詠子ちゃん!」

 いつのまにかそこにいた橘が、石棺に向かって手を伸ばしていた。
走り出しそうになっている彼女の腕は、尾神と千影によって引き止められている。
「尾神君。いつのまに」
 一瞬だけ目を見開き、城ヶ崎が訊ねた。
しかし尾神は応えずに首を横に振り、それから真っ直ぐに棺のほうを見据えた。
飛び交う石の破片は橘や尾神、千影にもめがけて飛んでいったが、尾神が二人を庇うように立って片手をすうと持ち上げると、途端に突風が止み石の破片もばらばらと足元に落ちていった。


 月神詠子の姿は、化け物のそれを彷彿とさせた。
人型をとった妖。悪鬼。魔そのものと言ってもいいであろう姿が、そこにある。
哄笑。怒声。悲鳴。とめどなく感情を喚きちらしている月神を見やり、葛城が薄暗い光を放つ瞳を伏せた。
「見るに耐えない。捕縛しましょう」
 言い放ち、制服のポケットから取り出した符を月神へと向けて飛ばす。
符は棺を取り囲むように高々とした炎を築き、燃え盛った。
「アアアアぁぁぁああァ!」
 悲鳴に近い声が響き渡る。橘が泣き叫んだ。
「詠子ちゃん! 詠子ちゃんが泣いてるよう! やめてえ!」

 
 ボクはただ――――

 燃え盛る炎の中、それまで喚きちらしていた月神が、嘘のように静まりかえった。

「ボクはただ、キミ達と遊びたかったんだ」
 
 月神の言葉の後、炎獄然と燃えていた炎が一瞬にしておさまった。
鎮火したその場所で立ち尽くしている月神は、頬に一筋の涙を零している。
「詠子ちゃん」
 千影が首を傾げ、止める間もなく駆け出した。
そして棺の中に佇んでいる月神の傍に立ち、えへへと笑んで月神の手を握り締めた。
「あたし達友達だよ」
 尾神の制止を振り払った橘も駆け寄って月神の顔を見上げる。
「コンクールも近いから、また一緒に練習、しよ?」
 泣き腫らした目を緩めて微笑み、手を差し伸べる。
「……沙羅……千影」
「私も、仲間にいれてほしいわね」
 腕組みをした姿勢で歩み寄ったシュラインが、端正な顔に穏やかな笑みを浮かべた。

「あり……がとう」
 月神が笑みを浮かべ、城ヶ崎が場に創りだしていた陣を消した。
その時。
「気持ちが落ち着いたところで、もうそろそろ眠りましょうか、月神詠子。いや、月詠」
 真白な陰陽師服を身にまとった繭神が、洞窟の出口に立っていた。
繭神は橘達に囲まれて穏やかな表情を浮かべる月神を見やると、口の端を持ち上げて首を傾げる。
「学園の生徒をきみの元へ遣わせば、きみを封じるに足る理由が出来るだろうと踏んだのだけれど――」
 くつりと笑いながら歩みを進め、真っ直ぐに月神だけを見据えている。
城ヶ崎が眉根を寄せて問いかけた。
「なるほど……僕達はどうやら招かれた客だったらしい。繭神君、ツクヨミとは一体?」
 問いかけつつ片手を持ち上げる。場合によってはシジルを描き、悪魔を喚起しなくてはいけないかもしれない。
葛城はすでに数枚の符を手にし、細めた瞳で繭神を睨みつけている。
しかし繭神は彼らの警戒には気を向けることなく小さく微笑むばかりだ。
「そうですね。お答えするためには――この学園の下、地中深くに眠っていた、わたしの血族が遺した面倒事から説明しなくてはいけません」
 繭神が一歩進むごとに空気が凍りついていくような気がする。橘が月神を抱き締め、千影とシュラインがその前に立ちはだかった。
「面倒事?」
 尾神が眉根を寄せた。
「わたしにとっては面倒な事でしかありません。本来ならば関わりたくない。しかし現実を見ればそうもいかない……。ツクヨミは蘇りつつあるのだから」
 語尾に近付くにつれ、繭神の表情は険しいものへと変わっていく。
「厄介な」
 吐き出すように呟かれた言葉は、月神の様子をも変化させる。
月神は自分を庇っている少女達を押しのけて前に進むと、金色に光る目を大きく見開いて両手を広げた。
「ボクは! ボクはキミ達の都合だけで生かされる傀儡じゃない!」
 大きく開かれた瞳は滲む涙で薄く揺らいでいる。
しかし繭神はその言い分を嘲笑で一蹴し、少しの躊躇もなく両手で印を結びだした。
「繭神君」
 城ヶ崎が二人の間に割って入る。いつも浮かんでいるやんわりとした微笑はなく、代わりにあるのは薄っすらとした怒り。
「事情は解らないが、君が僕達を利用しようとしていたのは解る。しかし僕達は――少なくとも僕は、こうした場面に立ち会って、何もせずに見守るというような気の効いたことは出来ないんだよ」
 低音の声がゆっくりと怒りを告げる。ため息を一つついてから城ヶ崎の横に立ったのは葛城だった。
「私は別にどうでもいいのですけれど、個人的な理由で、彼女を横からもっていかれるのは勘弁願いたいのですよね」
 暗い瞳に蒼銀の輝きが宿る。符を持っていたはずの手には、常人の目には触れることの出来ない刃が握り締められている。
その場に揃えられた六人の内の五人が自分に辛辣な目を向けていることに、繭神はふと肩をすくめて尾神を見やった。
「尾神くんは観客の一人として、ツクヨミの最後を見守ってくれますか?」
 そう告げる繭神の声からは少しの動揺も感じられない。
尾神は繭神の問いかけに首を傾げると、ちらりと城ヶ崎に目を向けた。
城ヶ崎は尾神の視線に気付くと首を小さく縦に動かし、思慮深そうな黒い瞳を細めてみせた。
「俺は事の真相を知りたい」
 視線を城ヶ崎から繭神へと動かし、尾神はそう応えた。
「なるほど、確かに。……それではお話しましょうか、わたしと月神詠子の因業を。その上で、観客となるか否かを選択してください」
 繭神は頷きながら月神に目を向け、装束の袖をばさりと振った。

 千年ほど昔。とある陰陽師の一族が一人の鬼を創りだした。
月光が持つ力を妖力に変換し、それを行使する能力を持つ美しい鬼。
しかし鬼は一族の思惑を遥かに超越した強さを持っていた。
それに畏れをなした一族は、鬼をとある場所の地下深くに封印した。

「けれどこの学園が建てられるさいに、その封印は壊れてしまったのです。――そして鬼は長い時の彼方で目を覚ました」

 目覚めた鬼は実体を持たない幽体としてしばらく放浪していたが、学園の内にある空間に興味を持ち始めた。

「ボクは」
 繭神の話が区切りを迎えた頃、月神が睫毛を伏せて呟いた。
「ボクは破壊と殺戮をするために生まれてきた。でも……」
 言葉を詰まらせて小さく嗚咽する月神を、橘とシュラインがそっと慰める。
自分も泣きそうな顔をしている橘と、毅然とした視線で彼女を抱き締めるシュライン。
対して千影が大きくかぶりを振って口を開いた。
「詠子ちゃんはそんな危ない人じゃないよ。だってあたし詠子ちゃんにイヤな感じしないもん」
 満面の笑みを浮かべて小首を傾げる。
月神は千影の顔を見上げて弱々しい笑みを作った。
そして腫らした目を繭神へと向け、まだ嗚咽を残しながらも言葉を告げた。
「ボクは抵抗しない。でもその代わり、あと少し……あと少しだけ、ボクに時間をくれないか? 合唱部で歌を歌うんだ。それにコンクールだってある。それが終わったら……」
 金色の目は涙で揺らいでいるが、繭神を見据える目線は毅然としたものだ。
繭神はその言葉を聞き少しの間だけ思案してから、六人の顔を順に確かめながら頷いた。
「分かりました。正直わたしも面倒ですし……もう少し様子を見ることにしましょう。でももしも自我を無くして鬼と豹変した場合は、容赦なく封じますからね」
 繭神はそう言うと、柔らかな笑みと共に厳しい眼差しを月神に向け、深く短い嘆息を一つついて踵を返した。

 繭神の姿が見えなくなったのを見計らい、城ヶ崎が月神を見やって問いかけた。
「月神君。君は本当にちゃんと自分を保っていられるのかい?」
 月神は答えようとしなかった。

 いつのまにか彼女の目前まで歩み寄っていた葛城が、細く長い指で月神の頬を撫でた。
「大丈夫、ですよね」
 柔らかな物言いだが、その目はどこか言葉とは逆の結果を望んでいるような気配を宿している。
月神の傍にいた千影が唸り声をあげて、月神に触れている葛城の手を振り払った。
「大丈夫に決まってるよ。詠子ちゃんは皆とずっと一緒にいられるの。きっとそうだよ」
 橘が穏やかに微笑む。月神は橘の顔を見やって弱々しく頷いた。
「ありがとう、皆。――さあ、もう夜が明ける。月が空に輝き出したらまたボクと遊んでくれるかい?」
 皆の顔を順に眺めつつ告げた月神の言葉に、皆はそれぞれに首を傾げた。
「夜が明ける?」
 シュラインが呟いた。

 カチリ

 遠くで、時計がけたたましい音を鳴らして朝の到来を告げ始めた。

「ボクは月の下でしかキミ達と一緒にいられない。……もう少しだけ、一緒に夢を見ておくれ。そして願わくば」

 月神の声がどんどん遠ざかっていく。
周りの景色がグニャリと歪み、薄らいでいくのが分かる。

――――願わくばもう少しだけ、ボクと遊んでおくれ。

 
 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2839 / 城ヶ崎・由代 / 男性 / 3−A】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 2−A】
【3689 / 千影・ー  / 女性 / 1−B】
【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 2−A】
【2489 / 橘・沙羅 / 女性 / 2−C】
【3183 / 葛城・夜都 / 男性 / 3−A】

以上、受注順

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■         ライター通信          ■
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この度は「シレーヌの黄昏」に発注くださいまして、まことにありがとうございました。
このノベルを書かせていただきました、高遠と申します。
どうにもやはり遅筆なのは治らないらしく(汗)、しかも少々長文になってしまいました。
今回は私としては初めての大人数でのノベルとなりました。
皆様それぞれの影が薄くならないようにと意識して書きました。
が、やはりお気に召していただけたかどうかは不安です。

付随としまして。
海キャンプの後〜学園祭が始まる前 という時間設定を組みました。
(もう学園祭も後夜祭も終わってるのですけれども;)
公式イベントの流れをご参照くださればと思います。