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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『金色わんこ』

「私に…?」
 ぶっきら棒に差し出された仔犬を思わず抱き取りながら、かなめは兄を見上げた。
「ちぃ兄さまから、私に?」
 かなめの言葉に小さく頷くと、兄はすぐにすたすたと部屋に行ってしまった。
その背に母が夕飯の時間を告げている。腕の中の小さな塊はふわふわとして柔らかく、
つぶらな黒い瞳でかなめを見上げた。彼女が“ちぃ兄さま”と呼んでいる下の兄からの、
初めてのプレゼントだった。
「こんにちは」
 かなめは仔犬の目を見つめ返して、言った。
「私も、お前に会えて嬉しいわ。名前は、そう…天、天と言うのはどうかしら?」
 かなめの言葉に答えるように仔犬が一声、アオンッと鳴いた。天と名づけたと
告げた時、兄はそうか、と言っただけだったけれど、紅い瞳にちらりと優しい光が
見えた。かなめは兄と自分の新しい絆が出来たような、そんな気がしていた。…それなのに。

「よしっ、こっちだ!天!」
 楽しそうに笑いながら天と戯れている男を、かなめはじとりと見やった。少し暗めの金髪に、
金の瞳。天と戯れる様はまるで大きな金色の犬のようだ。名前は久住良平。兄の友人だと言った。
驚いた事に、家族以外にはあまり懐かない天が、この男にはすぐに懐いた。…いや、懐いた
のではない。覚えていたのだ。
「天を…この子を最初に見つけたのは、あなたなのね」
 かなめが言うと、良平はうん、と事も無げに頷いた。
「可愛いだろー?でも、俺んちじゃもう飼えないし。で、困ってたとこにお兄さんが来た
んだ。ラッキーだったよなあ、天?」
 良平の手の中で、天がうっとりと頷く。
「意外と動物好きなんだよね、あの人。でもほんと、なーんかころころして、可愛がって
 貰ってるみたいで良かった!」 
「そう…」
 久住良平は兄をよく知っているように見えた。知らず知らずのうちにぎゅっと唇を
引き結んでいたかなめを、良平がじっと見詰める。
「な、何よ…」
「うーん。そのさ、妹ちゃん」
「かなめよ、かなめ!氷川かなめ、6歳!」
 でも頭はあなたより良い様な気がするわ、何となく。と,心の中で付け加えて、かなめは
じろりと良平を睨み返した。
「んじゃ、かなめっち。さっきから思ってたんだけど、もしかして機嫌悪い?」
「わかってくれて嬉しいけど」
 その前に変な仇名で呼ぶのはやめて、と言おうとした彼女の前に、彼は小さな缶を差し出した。
色とりどりのドロップが入っている、アレである。
「…何が言いたいの」
「だって、お腹、すいてるんだろ?」
「どうして」
「だってそうじゃん!小さい女の子が不機嫌そうにしてるんだぜ?腹が減ってる以外に
 何の理由があるって言うわけ?」
 絶句したかなめの前で、良平はほらほら、と缶からを振って見せた。
「…自分と一緒にしないで頂戴っ!」
 やっとの思いでそれだけ言うと、かなめは良平の腕から天をすいと抱き上げた。名残惜しそうな
天を小声で宥めて立ち去ろうとした足を止めたのは、ふとある事を思いついたからだ。かなめは
くるりと振り向くと、天を取り上げられて哀しそうな顔になっていた良平に言った。
「ねえ、久住さん、だっけ」
「良平さんでいいよ」
 途端ににっこり笑う彼にまた何となくむっとしつつ、かなめは負けじとにっこり微笑んだ。
「ちぃ兄さまには、会わなくていいの?」
「えっ、もう帰ってるの?!」
 良平の顔がぱっと明るくなった。
「お仕事中よ。本当は誰にも教えては駄目といわれたけど、あなたはお友達らしいから教えてあげる」
「うんうん」
「ちぃ兄さまはね…」
 かなめが教えたのは、とある交通事故の事故現場だった。一月ほど前、兄に地縛霊の除霊の依頼が
来ていたのを、横で聞いていたのだ。よっしゃそれなら俺手伝っちゃうよ、などと調子の良い事を
言って神社を飛び出して行く良平の後姿に、かなめはくすっと笑みを漏らした。地縛霊が居る
のは本当。けれど、そこに兄は居ない。今日は父と別の用事で出掛けたからだ。
「ふんだ、ちょっとくらい困ればいいのよ」
 天を抱きしめたまま、かなめは一人呟くと、くるりと鳥居に背を向けて家に駆け込んだ。いつもなら
すぐに動く兄が、ずっと放ってあるような依頼だ。多分大した事は無いのだろうけれど、少しは
怖い思いをするかも知れない。それで良かった。だが、これが単なる悪戯では済まなかったのを、かなめ
はすぐに知る事になった。


「放ってあるなんて。そんな事ではないのよ」
 事故現場の話をそれとなく聞いたかなめに、母は言った。
「…どういう事なの?母さま、まさか…」
 かなめの顔色が変わる。
「あそこはね、ちょっと性質が良くないの。だからずっと、手をつけられずにいるのですって。
 …それがどうかしたの?かなめ、…かなめ?」
 母の声を背に、かなめは駆け出していた。ついて来ようとする天に、家で待っているよう
に叫んだ。能天気な笑顔が脳裏をよぎる。手伝う、などと言っていたのだから、きっと腕に多少の
覚えはあるのだろう。
けれど、兄ですら手を焼くような霊をあんな奴が浄められる筈が無い。
「そんなつもりじゃっ…なかっ…」
 もしも事が起きていれば、今の自分が行った所でどうにもならない事くらい分っていたが、そのまま
知らぬ振りなど出来なかった。交差点まではそう遠くない。かなめは走った。何も出来ない、
それでも間に合って欲しいと心から思った。

「きゃあっ」
 びゅんっと飛んできたのは何故かバス停のベンチだった。しゃがみこんだかなめの上をかすめて
看板が飛んでいく。かなめが着いた時には、既に事は始まっていた。
「ポルターガイスト!」
 息を呑んだ彼女のすぐ脇に、今度はバス停そのものが叩きつけられて破片を散らす。この辺りは
元々人通りが少ないせいだろう、巻き込まれた通行人は見当たらず、無茶苦茶に飛び交う屋根瓦や
引きちぎられたガードレールの向こうに、かなめは一人で戦っている久住良平の姿を見つけた。
案の定、苦戦している。目にも留まらぬ速さで飛んでくるスクーターや車のボンネットを、
それらを上回るスピードで避けつつも、良平の表情には余裕が無かった。
「く…良平!…さん!」
「かなめっち?!」
 声に気付いた良平が、かなめを見て目を見開いた。
「来ちゃダメだ!」
 だが、かなめは立ち上がると飛び交う瓦礫の中を駆け出した。
「かなめっち!」
 駆け寄ってきたかなめを抱き上げて、良平が飛んだ。と同時に傍にあったライトバンが持ち上がる。
すかさずその屋根を足場にして、彼は更に上に跳び上がった。
「どうして来たの?!」
 飛んできた瓦を避けながら、良平が聞く。
「どうしてって…」
 答えようとしたその時、彼の背後から迫ってきた大きな影に気付いて、かなめが悲鳴を上げた。
「くそっ」
 かなめをかばいながら良平が振り向く。さっき踏み台にしてきたライトバンが、今度は上から
彼らに向って飛んできたのだ。単に大きいだけではなく何か嫌な感じがして、かなめは怯えた。
しがみつくかなめをしっかりと左腕に抱えたまま、良平が吼えた。構えた右腕が見る見るうちに
変化し、肘から先が姿を変える。現れたのは、真っ赤な、明らかに人のモノではない腕だ。
「ちゃんとつかまってろよ!!」
 かなめが頷き、首に回した腕に力をこめると、良平は気合と共にその腕を振り下ろした。
途端にばりばりともめりめりともつかぬ音が響き渡り、振り向いた時にはライトバンは無数の
残骸と化していた。同時に凄まじいポルターガイスト現象も消えており、辺りには静寂が戻った。
「はあ、危なかったっ…」
 良平はふう、と息を吐いてかなめを地面に下ろした。
「大丈夫?怪我、してない?」
 顔を覗き込むように言われて初めて、かなめはわっと泣き出した。
「ええっ、どっか痛い?怪我したの?!」
「…ごっ…ごめんなさいっ!!」
「え?」
 目を丸くする良平に、かなめはしゃくりあげながら謝った。
「ごめ…さいっ…私…」
 堪えきれずに声を上げて泣き出したかなめの背を、良平がぽんぽんと撫でる。
「気にすんなって。俺、怪我も何もしてねーし。してもすぐ治っちまうと思うし」
 顔を上げたかなめの頬の涙を、良平が拭ってくれた。
「心配して来てくれたんだろ?ありがとうな、怖かっただろー?」
 優しく言われて、更に涙が溢れた。こんな自分に、こんな目に合わされて礼を言うなんて。
この男は底なしのバカか、お人よしなのだ。嫌いにはなれないと思った。本当は最初から、
分かっていた事だったけれど。それでも何だか悔しくて照れくさくて、かなめは涙を拭いながら
きっと良平を睨みつけた。
「…わかった…」
「わかった?何が?」
「怖かったって言ってるのよっ!!」
「へ?」
「おっ、女の子にこんな怖い思いをさせたんだから!あんたこれから私の下僕よっ!」
 いきなりびしりと指を突きつけられて、しばらくの間きょとん、としていた良平だったが、
やがてふっと苦笑いを浮かべ、はいはいと頷いた。
「はいはいって…意味、分かってるの?」
「はいはい」
「言う事、全部聞くのよ?」
「聞きます聞きます。かなめっちの言う事ならなーんでも」
「…もうっ、ホントに分かってるのかなあ」
 と言いながら、かなめが良平の右手を握る。躊躇なく取られた手を、良平はほんの少し目を
細めて見てから握り締めた。
「あー腹減った!」
 歩き出したなり情けない声を上げる良平を、かなめが見上げる。
「さっきのドロップは?」
「もう食べた」
「嘘っ、…じゃあこれあげるわ。のど飴だけど」
「の、のど飴?」
「うん。結構効くわよ」
「…パパイヤマンゴー味が?」
「嫌なら返して」
「嫌じゃないけど。…もしかして氷川家の傍って、普通ののど飴売って…無い?」
「やっぱり返して!!」
 もう食べちゃったよと舌を出す良平を、かなめが追いかける。戯れるように駆けていく二つの
影を、もう少しでビルの向こうに沈もうとしている夕陽が見送っていた。そろそろ交通量が
増してきた交差点では、飛び散ったガードレールだのライトバンの残骸だのが新たな問題を
引き起こしていたが、二人がそれを知るのはもっと後の話である。


終わり。