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<東京怪談・PCゲームノベル>


鬼の日

 何やら怪しげな般若の面を眺めながら溜息をついたのは「わたくし屋」店主の狐洞キトラだった。
 やる気無さげにジャスミンティーなんぞを飲みながらのんびりと構えていた彼であったが、持ち込まれて買い取った品が怪しげな『気』を発していたのでは、普段のようにゆるゆるとしているだけでは解決にならない。
 ──が。
「…面倒なんですよねえ…」
 ぼそりと呟かれたそれが本音らしい。
「力も強くない、けれども何か念は感じる、でもその念は弱過ぎて何を伝えたいのかも不明瞭…。ここから考えて、凄くいい案があるんですけど…どうでしょ?」
 独り言なのか、それとも語りかけているのか良く解らない。
「これ、アナタが被ってみて、そっから先はどうなるか──ね、試してみません?」

 温い笑みを浮かべながら冗談半分に言った店主の言葉に、きょとんと目を瞬かせたのは海原みなもである。
 たまたま学校帰りに寄った見知らぬ店でこんな事を言われるとは誰が予想の内に入れるだろうか。無論みなもも予想しなかった人間の内ではあるが、彼女の頭の中にはひとつの朧げな考えが過る。
「般若…って、確か“お母さん”だったんですよね?」
「へ?」
 自分で語りかけておいて、返答が返って来るとは──こちらも予想していなかったらしい、キトラが素っ頓狂な声を上げる。
 応えては駄目だったのかと首を傾げたみなもを見、キトラは苦笑のようなものを浮かべると持ち上げていた般若の面を桐の箱へと収めた。
「まあ──そうですねえ、“お母さん”と云うよりも…何かしらのものに強い“執着”を持った女性、という感じでしょうか。有名どころなんかで言いますと、伝説では…そうですねえ、“道成寺”とか」
「どうじょうじ…ですか?」
「ええ、まあ…でもコレにはあんまり関係なさそうですねえ。道成寺が関係してくるのは般若の面というよりも安珍清姫ですし…」
「あんちん…?」
「お気になさらず。…それに──」
 疑問符を表情一杯に広げたみなもに対した小さく笑みを作りながら、キトラは面に視線を落とす。
「確かにここから感じる念は、何と云いますか…母親のものですし。…えっと、」
 ふと考えた素振りを見せたキトラは、失礼、と何に対してか呟いてぱちりと指を鳴らした。彼は再度緩い笑みを形作る。
「ああ、みなもサンですか。どうやらアナタは勘が鋭い」
「えっ」
 教えた記憶も無い名を呼ばれて少々動揺するも、店主は相変わらず感情の読めない笑みを浮かべたままこちらを眺めているようだった。深く被られた帽子から、それもあまり判断は出来ないのだが。
「こちらはキトラと申します。狐洞キトラ。宜しくお願いしますね」
「キトラさん、ですか? ええと…どうしてあたしの名前…」
 どこかでお会いしましたか、と問いかけるものの、キトラはへらりとした笑みを浮かべるだけで、「まあ能力みたいなもんです」という中途半端な言葉を繋げた。
「うーん…しかしそうですねえ。お客サンに面倒ごと押し付ける訳にもいきませんし…この程度の念だったら放っておいても消滅しますし…」
「消滅?」
 みなもの表情が微かに変わる。
 元より情に厚い彼女の事だ、例えそれが希薄かつ正体の知れないものだとしても、何かしらの感情がそこに宿っているとするなら、それを放っておく事は好むところではない。
 みなもは考えながらも不安げに、キトラの手の中にある面を見つめた。
「…それ、被れば…その、念ですか? 解決みたいなことって、出来ます?」
「うえ? 本当にやってくれちゃう気なんですか?」
 今更何を。──しかしキトラも、一応は店主としての自覚を持っていたらしい。お客さんに、と、何やらぽつぽつと考えを呟いている。
 が、みなもの表情を見、その視線に込められた意思の強さに一先ず閉口する。帽子の影から覗く視線がみなもの青いそれを受け止め、キトラは口を尖らせて唸ると、一つだけ溜息をついた。
「危険だと判断したら、私がそこで面を破壊します。それでもいいですね?」
 途端に真面目な色を帯びる目線に戸惑いつつも、みなもはこくりと頷く。下手な事云うもんじゃないですねえ──キトラはふと笑うとそんな事を呟いた。
 手元の面を指先でつるりと撫でた彼は、それでも渋る様子を見せてみなもを眺める。
 ──この人何を考えているんだろう。
 みなもは胸元のリボンを軽く握ると、キトラを見やって口を開く。
「…あの、あたし、霊媒でもなければ…霊能力も確りあるとは言えません。思念…幽霊って、心残りを果たす為に、人の精神を乗っとろうとする…なんてよく言うでしょう? もしそうなると怖いですし、──般若さんに何か心残りがあるようでしたら、あたしの体、貸してあげて下さい」
「──、“貸して”ですか」
 まあ確かに、無理矢理よりは色んな抵抗も少ないでしょうね。了解です──キトラは一瞬惚けた表情を見せながらも、苦笑して面を取り出す。今まで座っていた彼がみなもの前に立ち、了の手のひらで面の内側をみなもの顔に向ける。──と。
「あ、忘れてました。──コレも一応持っていってみて下さいね、役に立つかもしれないですから」
 キトラが不意に寄越したそれは、ぐるぐると白い布で巻かれて中身までは解らない。
 みなもはキトラをちらりと眺めて小さく頷く。ざわざわと肌が粟立つ感覚。
「いきますよ」
 最後に聞こえた言葉はそんなもので、ふうわりと被せられた仮面に、一瞬にして息の詰まる錯覚がみなもを支配した。


 ぐらりと揺れる感覚。
 みなもの身を唐突に襲ったのはそんなものだった。
 ──え。
 咄嗟にみなもは近くの壁に凭れ掛かる。貧血からくる目眩のような、頭の揺れる感覚を一先ず押さえる為だ。
 目を閉じて一つの深呼吸をした後に、みなもは自分が在る場所をくるりと見渡した。
 ──ここは…?
 民家、だろうか。
 古めかしい畳の香りと、奥に引かれた襖。
 微かな虫の声。
 どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえてくる──。
 夕方の空気だ。
 だが、今の時代のものではない。
 みなもはぼんやりとその心地よい空気に浸っていた。
「…でもここ、どこでしょう…?」
 ふと自分が、あの怪しげな店の店主に仮面を被せられた事を思い出す。だとすればこれはあの仮面の記憶なのだろうか。
「──あ、」
 どうやらそれは正解だったようで、みなもが見上げた視線の先には、先程キトラが持っていたときよりも、確かな質量を持ってして般若の面が存在している。
 そしてそこに禍々しさなどは微塵も無かった。
 と、
「…あら、お客さまでしたの?」
 不意にみなもの背後の戸が横に引かれた。思わずどきりとして振り向けば、随分と疲れた顔をしてはいるが、美しい顔立ちの女性がこちらを不思議そうに眺めていた。
「もう、誰も気付かなかったのかしら…ごめんなさい、そこで待っていらして。今、お茶を入れてきますから──」
「あっ、いえ…あたしは、」
 途中まで言って気付いた。
 何と続ければ良いのだろうか。
 困り顔になっていたのだろう、女性は一度だけきょとんとした表情を見せると、柔らかく微笑んだ。
「今日がここにいる最後の日ですもの、お使いさんたちのお知り合いでしょう? 折角です、待っていらして下さいな」
「最後…?」
 聞き終える前に、女性は頭を下げて奥へと下がる。
 みなもは不安げに胸元のリボンを握ると、もう一度般若の面を仰ぎ見た。
「…あなたは何を見てきたの? 何を伝えたくて、今までその思いを残していたの? あのひとは──」
 随分と疲れた顔をしていた。
 自分も、あの表情をしたような覚えが無いだろうか。思想を巡らすも考えには行き着かず、みなもは面から視線を外した。
 ──手の中、札、
「!」
 驚いた、のが正しい。耳元で囁かれるような小さな声に思わず叫びそうにもなったが。
「ふ、…札?」
 確かにその一言を、面が喋った──ような気がした。
 静かな夕暮れの空気の中に虫の声だけが流れていく。──と、再び戸が滑って女性が姿を見せた。
「あら、座ってらっしゃればいいのに…」
 くすくすと笑うその表情の中に邪気はなく、みなもはその顔を伺いながらも、怖ず怖ずと腰を下ろした。膝に畳の感触。
 女性が運んで来た茶の香りが空に舞った。
 彼女は二つ運んで来た器に手をつける訳も無く、ただ遠くを見つめている。
「──本当に、どこへ行ってしまったのかしら。この家が嫌になってしまっていたことに…わたしがもっと早く気付いてあげれば、こんな事にならなかったかもしれないのに」
「…何が、哀しいんですか?」
 思わず口をついて出た言葉に、女性は視線を向けると、さも可笑しそうに笑った。
「あら、ごめんなさい…てっきり知っていて、今日来てくれたのだとばかり──」
 膝の上で合わせた手のひらに視線が下げられる。
「うちの子がね、ひとり。…迷子になったまま出て来てくれないの。うちは、今日でこの家を離れるから…もう待っている事もできなくて」
「ご──ごめんなさい、あたし…」
「いいのよ。こちらこそ謝る方だわ。わたしと貴方は面識も無いのに…こんな話を──あら?」
 女性の視線が不意に上を泳ぎ、ある一点で止まる。
 般若の面。
「嫌だ…うちの守り神様を、もう、本当にみんな忘れて…?」
 立ち上がった女性は、梁にかけてある面を手を伸ばして取る。面のあった場所には、凧糸の引いてあった痕が小さく残っていた。
「守り神様、なんですか?」
 みなもは少々驚いた表情で問いかける。
「ええ、何かに“執着”を持った女性は──強いものでしょう?」
 儚げに微笑んだ女性の真意はどこにあるのだろうか。自らの子供の事を言っているのに間違いは無いだろう。だが──。
「あのっ。よければ、これ…」
 どうしてだろう、渡さなければならない気がしたのだ。キトラに受け取った包みを、半ば押し付けるようにしてみなもは女性へと手渡す。
 小首を傾げた女性は、気の抜けた相づちを打ってその包みの端を持ち上げ──一瞬、動きを止めた。眉を寄せ、その包みの中を指先で撫でた彼女は、悲しみを堪えるようにその何かに向けて微笑んだ。
「もう、やっぱり知っていらしたんでしょう。人が悪いわ」
「え、その中身は──」
「いいの、言わないで。──ありがとう。何かお礼をしなくちゃ…」
 彼女はきょろきょろと辺りを見回すと、あ、と小さく声を上げて、片手に持ったままの般若の面を見下ろした。みなもの視線もそれに倣う。
「…よければ、受け取ってくれないかしら?」
「え──だって、守り神様なんでしょう? そんな大切なもの、頂く訳には…」
「何を言ってるの。わたしにとって、こんなに嬉しいものを持って来てくれたのに」
 これは神様に失礼かしら? 女性はもう一度笑った。
「ありがとう、これで──」
 彼女がみなもの手を取り、その指先に面を触れさせる。
 と、共に、ゆっくりとみなもの視界は閉じていった。


「みなもサン」
 ぺちり。
 頬に触れる押さえられた刺激が、どうやらみなもの意識を覚醒へと導いたようだった。悪夢を見て目覚める時のように、一瞬、どちらが現実なのか曖昧になる瞬間。
「…みなもサン。息、して下さいね」
 自らに向けられているらしい呼び掛けに反応した訳ではないが、みなもの体は思い出したように胸に詰まっていた空気を一気に吐き出す。
 ゆるゆると目の前の男の体を押しのけて身を起こすと、大丈夫ですか、と、キトラが気の抜けた声で訊いた。みなもは見上げる。
「…ええと」
「いやあ、なんか成功したみたいですねえ。ほら」
 ちょいちょいと促され、みなもは自らの手のひらを見る。
 と──。
 さらり。
 持っていた筈の白の布に包まれた何かが小さく音を立てて形を崩していった。
「お面の念も消えちゃいましたよ。何があったんです?」
「…あの──なんだったんですか? これ…」
 みなもが示した自らの手のひらの上。キトラは一泊間を置いてから、ああ、と言った。
「迷子札、とでも言いますかね。江戸時代あたりですかね…迷い子のしるべ、っていう伝言板のようなものがありまして──」
 そこからキトラが話した事を割合するのなら、こうだ。
 その『迷い子のしるべ』という伝言板はつまるところ石柱であって、『尋ねる方』、というものと『知らせる方』というものがある。迷子を探す人は『尋ねる方』、迷子を拾ったりした場合の人は『知らせる方』へ、その常を伝える為の札を貼付けてゆくものなのだと。
 江戸の時代から、いつまで続いたものでしたか記憶が定かじゃあないですが、割と長い間、連絡手段が少ない状況下で使われたものでしてね。でもどうだったかなあ、確か、いつからか札を作るのにも規制がかかるようになって──。
 キトラはそこまで言って言葉を止めた。否、正確に言うのなら、みなもがその話を止めたのだった。
 それならば、あの時、みなもがあの女性に渡したものは──明確だろう。
 みなもは般若の面を眺める。
 キトラはぱりぱりと帽子越しに頭を掻いた。
「…んー。みなもサン、もしよろしければその面、お譲りしますよ? 気に入ったんでしたらの話ですけども」


 ──あの女の人、…幸せになれたかなあ。
 子供が消えたまま、その土地を後にするのだ。決して心から幸福であったとは言えないだろう。だが──。
 少しでも自分自身が心を軽くする手伝いになれただろうか。
 みなもは鞄の中に入った般若の面を気にしながら帰路についていた。
 ふ、と雲が途切れて彼女の影が伸びる。振り返った空は、垣間見た面の記憶と同じような赤を湛えている。
 ──ありがとう。
 そんな声が、夕闇の合間に小さく聞こえた気がした。


 了


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【登場人物】
 - PC // 1252 // 海原・みなも // 女性 // 13歳 // 中学生 //...
 - NPC // 狐洞・キトラ // 骨董屋店主 //...