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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


調査コードネーム:蠱の器・弐 長虫の章
執筆ライター  :階アトリ
調査組織名   :アトラス編集部
募集予定人数  :1人〜


------<オープニング>--------------------------------------

 
 彼は、血を流し過ぎていた。
 人間の女の手により小さな器に詰め込まれた、あれがもう何日前のことだったのか。同じように閉じ込められたものたちと喰らい合い、彼は生き延びた。
 異変が起こったのは、彼が最後の生き残りになる寸前のことだった。器が壊れたのだ。
 彼は逃げ出したが、それが精一杯だった。今は思い通りに体を動かすことすらままならず、都会の暗がりにわだかまっている。
 長い背を彩る、赤い斑紋の一部が大きく欠けていた。その部分の皮膚は裂け、鱗がごっそり剥ぎ取られている。器の中での争いで受けた傷だ。
 血の滲んだ赤い肉の上には、不揃いな形をした薄い欠片が斑に貼り付いている。人の爪だった。
 失った鱗のかわりだ。逃げる時、彼はそれを自分を閉じ込めた女の指先から奪い取った。
 温かい力が流れ込んでくるようで、思いの外具合が良い。しかし10枚の爪だけでは、傷口を埋めるのには到底足りなかった。血は、尚もじわじわと滲み出る。
 もっとたくさん欲しい、と彼は思った。
 この傷を塞ぎ、癒すために。


「……却下」
「えぇえっ!」
 碇麗香の一刀両断を受け、三下忠雄はガビーンと擬音を背負う勢いでのけぞった。
 先日、編集部の近所のマンションで、ちょっとした事件が発覚した。空き部屋に勝手に侵入し、生活していた者が居たというのである。発見したのは管理人で、その時にはもう部屋はもぬけの空だった。それだけならただの刑事事件だが、少しばかり特殊な点がある。
 部屋の中には生活の跡だけでなく、何らかの呪術的な儀式を行っていた形跡があったらしい。管理人にそのことを聞いた三下は、取材に行きたいと麗香に申し出たのだが……。
「だ、ダメですか? お札とか床に図形とか、妖しげな壷が粉々に割れてたりとかするらしいんですけど」 
「ダメ」
 三下に、麗香の返事はにべもない。 
「痕跡調べてどうするのよ。どうせ取材に行くなら、もっとこう、アクティブ! でセンセーショナル! なネタになさい」
「うぅう……」
「そりゃ、ただの術の残骸なら、怖くないでしょうけど、ねえ」
「うぅう……!」
 眼鏡のレンズの向こうから鋭い視線を流されて、哀れにも三下は竦みあがった。おかしなところに取材に遣らされるくらいなら、ちょっとでも怖くなさそうなところへ自分で行こう、という考えは見透かされていたようだ。
「でで、でも、今ちょっとネタ切れじゃないですか! ととと都会の片隅で密かに行われた妖しい儀式! ほほほら、なんかちょっと、おおお面白そうだと思うんですけどっ」
 激しくドモりつつも、三下は食い下がった。ネタ切れは気味は事実だ。頭が痛そうな顔をして、麗香が唸った時。
「蠱毒(こどく)、ですよ」
 突然割って入ってきた背後からの声に、三下は飛び上がった。振り向くと、少女が立っている。編集部には何故か編集者の他にも色々な人間が入り浸っているが、見ない顔だった。
 両手の全ての指に包帯を巻いているのが目に付く。その上、残暑も厳しいというのに、まるで冬の服装をしているのが奇妙だ。小柄な肩には狐の襟巻きまで巻いている。
 目を丸くしている三下に向かって、少女は血色の悪い唇を再び開いた。
「その部屋で行われていたのは、蠱毒の法です。もっとも、成就はされていませんが」
「コド……ク?」
「蠱、毒、よ。さんしたくん」
 首を傾げた三下に、麗香が漢字を紙に書いて見せた。腐ってもオカルト雑誌編集者。字面を見て彼もピンときた。
 蠱毒の法とは、簡単に言うとこうだ。蛇や毒虫といった生物を一つの器の中に集め、互いに争わせる。生き残った最後の一匹を、蠱(こ)と呼び、使役するのである。毒薬として使うもよし、相手に取り憑かせて呪殺させるもよし、用途は様々だが、基本的に人に害を成させるための術だ。
「ええっと、邪法、ですよね、それって」
 記憶を探る三下に、少女は頷いた。
「そうです。私も巫女のはしくれですので、術が成される前に止めようとして、その際に器を割ってしまいました。壷から出てきた蠱に襲われて、この通り」
 少女が血の滲んだ包帯を指から解くと、指先には爪が一枚もなかった。
「両手の爪を全て奪われました。今も、爪を通じて体温が奪われていきます」
 彼女の顔色の悪さと厚着は、どうやらそのせいらしい。三下は血を見て泣きそうな顔で息を詰めているが、碇麗香は流石に冷静である。
「器を割ったということは、蠱が逃げ出したということかしら?」
「はい」
「それで、あなたは、その蠱を探している?」
「はい。今の私の状況では、とてもあの蛇を取り押さえられません。こちらの編集部には、情報と力のある方々が集まると伺って、ご助力を請いに参りました」
「蛇…………」
 くるり、と麗香に向き直られて、三下はヒィっと息を引いた。麗香の、眩しいほどの笑顔が怖い。
「よかったわね、さんしたくん。痕跡どころか、呪術の結果そのものに会えるわよ」
 以下、いつも通りの光景が繰り広げられる。
「私は伊吹・孝子(いぶき・たかこ)と申します。よろしくおねがいします」
 協力者として集まった面々に、少女は深く頭を垂れた。


------<捜索開始>------------------------------


 カリカリ、とハードディスクの動く音と共に、ディスプレイには次々と画像が表示された。
 開いた窓についたタイトルは、爬虫類を扱うペットショップや、愛好家の個人HP、などなど。現われるのは、普通の蛇の写真ばかりだ。東京、蛇、というキーワードでの検索結果である。
 シュライン・エマ(しゅらいん・えま)は小さく溜息をついた。
「目ぼしいモンは無えなあ」
 マウスを動かしながら、菱・賢(ひし・まさる)がぼやいた。先日、草間興信所の事件に関わった折、インターネットにおける情報収集がバカにできないことを知った賢は、今回は最初から頼りにすることにしたのだが――ついでにパソコン操作も自分がやると申し出て、腕まくりまでして編集部のパソコンの前に座ったのだが――肝心の情報がネット上にまだ出てきていないのでは、役立てようがない。
「被害がまだ出ていないのは喜ばしいですが」
 シュラインの隣から画面を覗き込んでいたモーリス・ラジアル(もーりす・らじある)も微かに眉を寄せた。
「……都市伝説系の掲示板でも、地道にチェックするしかなさそうですね」
「そんな悠長なこと、やってられっかよ」
 ちろりと横目でモーリスを睨んで、賢はマウスを放り出した。
「逃げ出してからずっと、どこかに隠れているのでしょう。蛇は用心深いですから」
 依頼人である孝子が、けだるげに溜息を吐いた。
 襟巻きの毛皮を撫でるその指先は、モーリスによって張られた見えない檻に囲われている。見る者が見れば、空気の僅かな歪みによってそれを知るだろう。
 檻の保護により、体温の流出はある程度まで抑えられているようだが、孝子の顔色は変わらず悪い。せいぜい現状を維持している、といったところだ。
 モーリスがその気になれば、すぐにでも治癒してやることも可能だろうに、それをしないのは、何か思うところがあるのだろう。変に元に戻すと蛇に感づかれて仕舞う可能性があります、とは言っていたが、それだけではないに違いない。
 それは恐らく自分が抱いている疑念と同じものであろうと見当がついたので、シュラインは別段モーリスを咎めはしなかった。孝子に、少々の同情はしたが。
「その、蛇なんだけど。元の種類は何なのかしら?」
 画面を覗き込みながら、シュラインは口を開いた。足元にあるディパックには、蛇と聞いて、役に立ちそうなものを一通りつめてきてある。
「……さあ?」
 首を傾げる孝子を、シュラインは切れ長の瞳で鋭く見詰めた。
「近くでご覧になったようだから、ご存知かと思ったんだけど」
 問い掛ける口調は穏やかだったが、孝子は気圧されたように目を逸らした。やましいことのある人間の仕草である。自分でそれに気付いたのか、孝子は微かに表情を歪め、搾り出すような声で答えた。 
「……あれは恐らく、ヤマカガシ、ではなかったかと」
「じゃあ、咬まれないよう注意しなくちゃね。蠱毒に関わらず毒を持ってるし」
 シュラインはその名だけでピンときた。日本の山に普通に生息する蛇で、毒牙が口の奥にあるため被害は滅多にでないものの有毒。水辺を好む。茶色い胴体に、赤い斑紋があるのが特徴的だ。
「一応、写真を見ておきたいですね」
 モーリスが横から手を出して、検索ワードに“ヤマカガシ”を放り込みエンターキーを押した。賢の目に少々険が宿る。
「俺がやるって」
 マウスを取り、賢が現われた検索結果から適当なものをクリックした。
 画像がすぐに表示された。シュラインの記憶にあるとおりの、茶色い胴体に、赤い斑紋。孝子が頷いた。
「確かにこれです。ただし、大きさは……人の身の丈の倍ほどはあったようですが」
 ひええ、と情けない悲鳴を上げたのは、遠巻きにして聞いていた三下である。ただでさえ縮み上がっていた肩が、ますます小さくなっている。
 確かに、三下くんでなくとも、そんな大きな蛇に出会うのはちょっとゾっとしない。
「ふぅん……夜でも昼でも活動する蛇なんだ? 効果的な捜索時間を限定できなくてやり辛いね」
 シュラインの背後から、音切・創(おとぎり・そう)がヒョイと顔を出した。声をかけられて集まって来たものの、さっきまでドングリのヤジロベエなど指に乗せて、ゆらゆらと揺らしていたのだが、どうやらちゃんとやる気はあったらしい。
「そうだな。目撃証言なしじゃ、大体の場所もわかんねえし。マンション周辺をしらみつぶしに探すしかねえかもな」
 写真のページのプリントアウトを操作しながら、賢は唇を曲げた。
「なるべくなら遠慮したいわね。とりあえず、少し整理しましょうか」
 シュラインの提案に、モーリスが同意した。 
「そうですね。……まず、今の状況と、先日の件をあわせて考えると、爪は鱗の代わりでしょう」
「先日?」
 首を傾げた創に、モーリスがあらましを説明した。先ごろ草間興信所に持ち込まれ、賢たちによって解決した事件について、だ。
「だから恐らく、蛇も、もっとたくさんの爪を欲するのではないかと」
「そうね。その可能性は高いわ」
 シュラインが頷いた。少し考える仕草の後、創が言葉を継ぐ。
「だとしたら、人の多いところを目指すんじゃないかな」
「……そんでもって、手負いだ。そう遠くには行けねえだろうな」
 賢が言い終わるよりも早く、シュラインが地図を取り出して広げていた。先日も使った地図には、蛍光ペンで印がついている。そこが、蠱毒の法が行われたマンションだ。長めに整えられ、ラインストーンのちりばめられた爪が地図の上を滑る。華やかに飾られた爪は、少し重い。先ほどから、指先に違和感を感じつづけているのだが、機能という点においては本当によろしくない、とシュラインは改めて思った。
「公園がけっこうあるわね。あと、幼稚園と保育所がいくつか」
 周辺の施設を確認し、シュラインは眉を顰めた。時刻は午後3時。丁度これから退園の時間だ。
「幼稚園と保育所には、警告を出しといたほうが良くないですか?」
 と言った創の手にはいつの間にやらタウンページ。麗香に断わってから、デスクの電話を使おうとした創は、しかし番号をプッシュした後、受話器をモーリスに差し出した。
「すみません。よく考えたら、子供の声じゃただのイタズラ電話っぽいんで」
 モーリスはというと、いきなり押し付けられた割には対応が早い。
「……こちらは保健所の危険生物管理課です」
 まず最初にモーリスは適当な身分をでっち上げた。蠱毒の法で巨大化した蛇が、などと本当のことを言ったところで信用されないだろう。蛇マニアがアマゾン原産のアミメニシキヘビを逃がしてしまった、遊びに行く時は保護用に手袋を着用するように、とかなんとか。
 突拍子もないことを言っているにも関わらず、彼の声だともっともらしく聞こえるのが不思議だ。
 いくつかの施設に次々と電話をかけてゆくモーリスたちの隣で、賢とシュラインは地図を前に再び唸った。
「どうする姐さん。やっぱビルの陰とか公園が怪しいぜ」
「このところ朝夕は涼しくなっているから、気温が一定になるような建物の中も、隠れ場所としては有力よ。あと、水場。あまり考えたくないんだけど、下水なんかに逃げていたら最悪ね」
 生活廃水は温かいし、マンホールのあるところなら潜むのにちょうどよい広さだろう。しかも、下水路を通じて移動できたとしたら。その場合、東京中のマンホールが怪しいということになってしまう。
 流石に賢がげんなりした表情を浮かべた時。
「おもしろそうなお話ですね」
 一同の背後から、新しい声が加わった。シュラインにも覚えのある声だ。
 振り向くと、長い黒髪の少女が立っていた。深淵の巫女、海原・みその(うなばら・みその)。
「お久しぶりです」
 みそのは会釈した。たおやかなその仕草は相変わらずだが、驚かされたのはその服装である。先日は清楚な浴衣姿だったのだが、今日は体にぴったりとしたラインのドレスだった。その表面には、細かな鱗と網目模様が微妙な凹凸で浮かんでいる。
「……蛇皮?」
「はい。“ぼでぃこんどれす”というものらしいです」
 賢の呟きに、みそのの唇が微笑の形にほころんだ。清楚なのか妖艶なのか、謎の多い少女である。
「今度は蛇の方を探していらっしゃるのですね。ご協力させていただきますわ」
 御方、と彼女の呼ぶ、神への夜伽話の種を求め、みそのは事件の場に現われる。今日もまたそうなのであろう。
「居場所を辿れるかしら?」
 先日の探索でのことを思い出し、シュラインは期待を持ってみそのを見た。みそのは水や空気といった、流れるものを支配する力がある。因果の“流れ”を見顕すことも可能なのだ。
「そうですね。この方から、はっきりと、“流れ”がありますし」
 爪のない指先から体温を奪われている孝子と、蛇との間には明らかな繋がりがある。みそのに面を向けられ、孝子は居心地悪げに肩を竦めた。みそのの目は盲目に近く、瞼は閉じられているのだが、全てを見透かされてしまうような雰囲気がある。
「この檻、流れを遮っているのですね。解いていただけますか? 少しの間でよろしいですから」
 言われて、モーリスが檻を説くと、また孝子の顔色がどっと悪くなった。しばしその手を取って沈黙した後、みそのが顔を上げる。
「“流れ”を捕えました。ご案内いたします」
 電話を終えたモーリスと創も加わり、総勢5名が頷きあう。
「いいネタお願いね!」
 生き生きと、麗香が彼らの背に手を振った。
 三下くんはというと……推して知るべし。自分のデスクで顔色を真っ青にして、遠い目をしていたのだが、麗香に小突かれ、ふらふらと事務所を出た。とても哀れをさそう後姿であったと、追記しておこう。


------<遭遇>------------------------------

 
 オフィス街には、スーツ姿が多い。数時間後の終業時間を目指して、人の群れはあくせくと動いている。蛇皮ボディコンに先導される奇妙な一団が、その合間を縫って歩いていた。
「……もう少しです」
 みそのの言葉に、賢が早くも周囲を見回している。
 自分達が編集部を出たのとほぼ同時に、蛇も動き出したという。姿はまだ見えないが、用心するに越したことはない。シュラインも神経を研ぎ澄まさせた。
「随分と、楽しそうですね」
「ええ。お会いするのが楽しみです。さぞや、妖艶な女性でしょうね」
 モーリスの問いに、みそのが、うっとりと答える。そういえば、先日の毒蛾は小さな少女の姿をしていたが。
「蛇って、メスなの?」
 シュラインと同じ事を思ったらしい創が、少し遅れて歩く孝子を振り向いた。
「さあ、そこまでは。ただ、人型に化けていることはあるかもしれません。蛇風情には過分な力を身につけていますから」
 普通に歩くだけでも、孝子は息を切らしている。よほど憎々しく思っているのだろう、後半の言葉には吐き捨てるような響きがあった。
「だとしたら、人込みに紛れられたら厄介ね」
 周囲の人の流れに目をやり、シュラインは眉を寄せた。オフィス街から、繁華街の方向へと抜けるメインストリートだ。当然、歩くにつれ、じわじわと人通りが増えていた。
「まあ?」
 突然、みそのが足を止めた。
「こちらに、向かってきています。速いです。とても近付いて……でも……下?」
 何か奇妙なことが起こっているらしい。みそのは首を傾げ、ついで弾かれたように足元へ面を向けた。
「……この下を通り過ぎました」
 足元には、アスファルトの路面があるだけだ。道の下に通っている道といえば――地下。シュラインは嫌な予感を覚える。そして、ここもまた、「人の多い場所」であるに違いなかった。
「今、あちらに」
 振り返り、みそのは道の先を指さした。身構え、シュラインはみそのに続いて背後を振り向く。
「あ。す、すみません、お待たせしてしまって……」
 そこに居たのは、のたのたとついてきていた三下だった。手を振った彼の隣に、路地から出てきた影が並んだ。孝子だ。
「!?」
 はっとして、シュラインは斜め横を見た。……孝子がいる。
 一瞬ギクリとなったが、三下の隣にいる孝子は、似たような服を着ているが手には包帯がなく、白い狐の襟巻きもしていなかった。
「蛇、です」
 みそのが、真っ直ぐにもう一人の孝子を指さした。 
「えぇえっ!?」
 皆とはワンテンポずれて、孝子が二人居ることに気付いた三下が素っ頓狂な声を上げる。孝子と同じ顔をした少女が、赤い唇を笑みの形に歪め、三下の腕に手を伸ばした。
「爪を!」
 本物の孝子が短く叫ぶ。
「うわぁっ」
 悲鳴が上がった。ただし、さっきまで三下が立っていたのとは全く別の場所で。
「……あれ?」
 三下は目を開け、無傷の自分に目を丸くした。少女の手は空を切っていた。その指先には、蛇の牙を思わせるような爪が伸びている。あれが手をかすめただけでも、傷を負っていただろう。
「セーフ?」
 尻餅をついた格好で、三下は創を見上げた。いつの間に自分はここまで移動できたのか。疑問に思うことも忘れ、三下は涙目でこくこくと頷いた。創が、空間組み換えで三下の立ち位置を安全な場所と交換したのだ。
「よっしゃ! さっさとカタつけるぜ!」
 間髪入れず、賢が独鈷を投げた。連続して三つ。それらは、蛇を囲んで正三角形の頂点となるように、地面に突き立った。賢が短く気合を入れると、頂点と頂点の間に、薄青い雷光が走る。
 結界の中に閉じ込められて、蛇が悲鳴を上げた。ぎらぎらと光る目玉が、稲妻の向こうから賢を睨み据える。
 動きが止まったのは一瞬だ。少女の形をしていた体が、瞬く間に消えうせた。
 黒く溶け、影のように蟠(わだかま)ったのは、巨大な蛇だった。
 ひいい、と情けない悲鳴を上げたのは三下だが、その他にもいくつもの叫び声が上がった。流石に通行人も異変に気付いたのだ。
 赤い斑紋を揺らめかせ、蛇は結界の中で蠢いた。確かに、孝子が言ったとおりの大蛇だった。
 鎌首をもたげ、蛇は独鈷に向かって顎を開く。赤い口腔が覗いた。蛇の長い牙が一本折れ飛んだが、同時に頂点の一つを失い、結界が薄らぐ。
「チィッ……!」
 賢は身構えたが、結界を出た蛇が向かったのはそちらではなかった。
 シュラインは蛇の目的を悟り、そちらに駆ける。
 物見高く取り巻いている見物人たち。滑るように這うその蛇の背中には、大きな傷があり、血が滲んでいる。そう、蛇はその傷を癒すための“鱗”が欲しいのだ。
「駄目!」
 シュラインは蛇の前に立ちふさがった。邪魔に入られ、蛇はゆらりとシュラインに首を向けた。シュラインの片手には手袋が嵌められていたが、もう一方は何故か素手だった。きらきらとラインストーンの目立つ爪に、蛇の視線が止まる。
 次の瞬間、シュラインの指先から剥がれた爪が数枚、地面に散っていた。シュラインは手袋の手で、もう一方の手を押さえている。
 蛇がもう一撃加えようと飛び掛った。同時に、細いチューブから空気が漏れるような、鋭い音がする。長い体が、シュラインの上から跳ねのいた。
「ごめんなさいね」
 手袋を嵌めた手を、シュラインは蛇に向けて広げた。掌に、噴射口がある。ヘビ忌避剤を噴霧できるように、手を加えていたのだ。そして、もう一方の手は無傷。長い爪が剥がれたあとには、切り揃えられた裸の爪がある。目立つ爪は囮で、付け爪だったのだ。
 割れた舌を覗かせ、蛇は怒りに喉を鳴らす。
「おっと。大人しくしてください」
 再びシュラインに踊りかかろうとした背に、手術用のメスが突き立った。投げたのはモーリスだ。大人の両腕を束ねたほども太さのある背に、二本目三本目と続けて刃が埋まる。串刺しにされ、流石に動きが鈍ったが、蛇は力を振り絞るように身を捩った。尾が、滅茶苦茶に暴れまわる。
「加勢するぜ」
 賢が金剛索を投げた。索に縛られて、尚も蛇は抵抗を止めない。弱ってきてはいたが、力は強かった。
「日光は充分だし、こっちのほうが手っ取り早いよ」
 もう一度メスを投げようと懐に手を入れたモーリスを制し、創が前に出た。
「しっかり縛っといてね」
 賢に言い置くと、創はポケットからカッターを出して、何の躊躇いもなく自分の腕を切った。そして蛇に近付くと、切った腕をその口元に近づけた。血を飲ませたのだ。
 しばらくすると、鱗の下にうっすらと赤い斑点が現われ、日光に晒されると黒く焦げ付いたような色に変化した。ぐったりと、蛇は地面に横たわる。
「一体何を?」
「俺の血飲んで、日に当たるとね。細胞が壊死すんの」
 モーリスの問いにけろりと答えて、創は蛇から離れた。
「……では、元の大きさに戻っていただきましょうか」
 モーリスの作った“檻”が、大蛇の体を囲い込んだ。そして、その檻のサイズを縮めると、中の蛇の体も同時に縮んだ。みるみる内に、細く小さな蛇になる。
「テメエ、ナンテコト、シヤガル!! セッカク、大キクナッタノニ!!」
 子供の声を、さらに早回しにしたような、針金のようにキィキィした声があがった。檻の中でじたばたと暴れながら、蛇が発した声だ。
「積もる話もあるでしょう。あとはお二人でどうぞ」
 ずい、とモーリスは蛇の入った檻を孝子の前に突き出した。
「爪を返しなさい。そうしたら、私の姿に化けたのは許してあげる」
「ケッ! 許サレナクテ結構ダ!」
 居丈高に言い放った孝子に、蛇は憎悪の宿った目を向ける。
「蠱毒ノ女、私ヲ暗イ器ニ閉ジ込メタ、オマエモ、一生痛イ目ニ遭エバ良イ!」
「なっ…………!」
 蛇の口から飛び出した言葉に、孝子はビクリとして周囲の顔を見た。
 5人とも、さして驚いた顔はしていない。
「何よ。知ってたの」
 孝子の目が、険しく吊り上がった。シュラインは、肩を竦めて溜息を吐く。
「自業自得でも、見捨てるわけには、ね」
 シュラインは携えてきたザックから魔法瓶を取り出した。中身は、前回も使用したみょうがの根を煮出した薬湯だ。
 蛇用にぬるく冷まして来たそれをカップに注ぎ、檻の中に差し入れてやる。蛇は一瞬警戒する仕草をしたが、やがておずおずとカップの中に首を入れた。
「爪、返シタラ、折角癒エタ傷ガ開ク。血ガ足リナクナル。私ダッテ、死ヌノハ、嫌ダ」
 毒気を消す効果と、水分を摂ったこととが相俟って、幾分落ち着いたようだ。蛇は背の傷を示すように、体を蠢かせた。体が縮んだので、傷は孝子の爪ですっかり塞がっている。
「止血ならできるけど、それじゃダメ?」
 自分で切った傷口に包帯を巻きながら、創が言った。
「ホントウカ?」
 疑わしげな蛇に頷いてみせ、創はシュラインの持ってきた薬湯に自分の手を浸した。それを、背中にかけてやる。痛みの消える感覚に、蛇は身を震わせた。
「アリガタイ。血サエ止マレバ、ヒトマズハ良イ」
「じゃあ、返してよ」
 顔色が悪いを通り過ぎて、唇が真紫になっているが、孝子の態度はあくまでも偉そうだ。ケッ、と蛇が不快げに舌を吐いた。
「ヤダネ。ソシタラ、私ヲ支配スル気ダロ」
「もう要らないわよ、出来そこないの蠱毒なんて。でも、泣いて頼むなら、使鬼にしてやらなくもないわ。まだお前は私の術の影響下にあるのよ。このまま逃げたとしても、私から離れて、そう長く生きていられるものですか」
 蛇が黙り込んだ。自分の体の中にある感覚で、孝子の言葉が真実だとわかるのだろう。
「生きていられますよ」
 険悪なムードの中に、涼やかな声が割って入った。みそのだ。
「伊吹さまとのつながりを、“流れ”を。地脈か気脈に繋ぎ直せばよろしいのです」
「………デキルノカ?」
 ゆっくりと、みそのは頷いた。その、ほんの数瞬の間に、繋ぎ直しが終わったらしい。蛇は嬉しげに細い鎌首をもたげた。
「オイ! コノ狭ッ苦シイノヲ、解イテクレ。モウ逃ゲナイ」
 最初現われた時に発散していた、蠱毒としての、周囲への害意が消えていることを見て取り、モーリスは檻を消した。
 す、と蛇の身が地面にたわみ、次にすらりと、上へと伸びた。
「なっ!!」
 孝子が嫌な顔をしたのも無理は無い。蛇は、また孝子と同じ顔の少女に姿を変えていた。
「蛇のままで街にいるのは、目立つからな。しばらくはこの格好でいるよ」
「な、な、な……っ!」
 最早、声も孝子と同じになっている。片目を瞑り、蛇は孝子の手を取った。一本一本、包帯越しに指先を口に含む。
「これで最後」
 ペロリと出した舌の上に、桜色の小さな爪が乗っていた。最後に残した左手の小指にその爪を戻すと、蛇は5人と、腰を抜かしてへたりこんでいる三下に向き直った。
「その……正気ではなかったとはいえ、迷惑をかけた」
 ばつが悪そうに、頬に朱を浮かべた少女が、深々と頭を下げた。しおらしい表情さえしていれば、孝子はとても可愛らしい顔をしているのだと、奇妙なところで気付かされる。本物の孝子はというと、指の包帯を解きながら仏頂面をしているのだが。
「傷が完全に癒えたら、故郷に帰るつもりだ。ここの水は、臭くていかん」
 下水に潜んでいた経験からだろう、蛇はかすかに顔をしかめた。
 と、ここで、何かの撮影だと思われたのか大道芸だと思われたのか、ぐるりと囲んだギャラリーから拍手が上がる。
「早いところ引き上げましょう」
「ですね。これ以上の騒ぎになったら警察沙汰ですよ」
「補導は御免だぜ。停学食らうじゃねえか!」
「あ。時間食うのはやだな。俺、さっさと帰ってデータを報告しないと」
「警察……一度行ってみたい気もしますわ」
 シュラインは目配せした。モーリスが囁き、賢、創、みその、とそれぞれ好きなことを言いつつ、一同は早々に撤退した。腰が抜けている三下くんは、男性陣三人が引っ張った。つくづく、文字通り、足手まといである。
 蛇は、もういちど深く礼をして、彼らとは逆の方向に踵を返し、人込みの中に姿を消した。


------<後日談>------------------------------


「あのマンション、きれいさっぱり片付いてたんだって」
 様子を見に編集部にやって来たシュラインに、お茶を出しながら、麗香が言った。
「ほら、あの、蠱毒をやってたっていう部屋よ。管理人さんが片付けようと思ったら、怪しいお札とか道具とか、みんな、誰かが持っていっちゃってたんですって」
「…………」
 あの部屋を片付けた人物。
 シュラインには心当たりがあった。お灸のひとつも据えてやりたかったが、爪を取り戻すなり元気を取り戻して、混乱に乗じ姿を消していた彼女。
「懲りないわね」
 熱い緑茶を一口すすり、シュラインは呟いた。


END

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2318/モーリス・ラジアル(もーりす・らじある)/527歳/男性/ガードナー・医師・調和者】
【3070/菱・賢(ひし・まさる)/16歳/男性/高校生兼僧兵】
【1388/ 海原・みその(うなばら・みその)/13歳/女性/深淵の巫女】
【3579/音切・創 (おとぎり・そう)/18歳 /男性/実験体(組換能力体)】

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          ライター通信         
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 ギリギリ納品、申し訳ありません。
 シュライン・エマ様には、お世話になっております。
 対になる二話に、共にご参加くださりありがとうございました!
 楽しんで書かせていただきましたが、イメージにそぐわない部分など、ありましたら申し訳ありません。
 
 蛾は元の蛾になりましたが、蛇はちょっと妖力の強い蛇のまま、野に放たれてしまいました(笑)。
 今回依頼人として現われた伊吹孝子は、この先NPCとしてちょこちょこ登場させようと思っています。
 またの機会がありましたら、よろしくおねがいします。