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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夢心 そして
「――どうした」
「っ」
 我にも無く動揺が顔に出たか、怪訝そうな…そして、心配そうな声に茜は現実へと引き戻された。…だが、まだ、あの指先の感触が手に残っているような気がする。
 たった今まで触れた、あの柔らかな髪の感触は、どういうわけか指から去ろうとしない。
「茜?」
 はっと気付くと、龍也の顔が目の前にあり。そしてまた、怪訝な表情は消えないまま、伸ばされた手が茜の頬に触れた。つ、と動く指と同時にひやりとした揮発感が指の動いた後に続き、その事で自分が今まで泣いていた事を知る。
 泣いて…?

 ここは――どこ。どうして、あの子のいなくなった部屋に龍也がいるの…。

 そうしてようやく、茜の手の中のグラスが、半分溶けた氷がからからん、と動き出した時に合わせ転げ落ちた。

*****

「泣いていたようだが、どうかしたのか」
 余程茜の様子が気になっていたのだろう。柄にも無く気遣う彼の様子に、まだあの余韻が覚めていなかったのか、きゅっと唇を結んだまま、何も答えずに龍也に抱きついた――いや、しがみ付いた。
「………」
 何か言おうかと口を開いた気配がする。が、結局龍也は何も言わず…かすかに震える茜を静かに抱いてやった。
 握ったままのグラスが龍也の背を濡らすのを気にする様子も無く。
 撫で下ろす手の平が心地良くて、抑えている涙腺が緩みそうで。茜の手が、力を増す。
 ――普段なら、何か2人の間に見え隠れするものに気付いても、それが何か分からない…そんな、女主人と客だったのだが…こうしている2人を誰かが目にすれば、それはそのまま強固な絆で結びついた一個の男女にしか見えなかっただろう。
 それほど、この抱擁は自然なもので――そして、どこか悲愴さを含んでいた。
「……茜」
 抱きしめたまま、龍也がもう一度名を呼ぶ。返事が返って来る事を期待した響ではなく――ここに彼女がいる事を確かめるような、そんな声で。
 龍也にとって茜は大切な女(ヒト)だ。大切、と言う言葉では表現しきれない程。それなのに、その彼女が自分の目の前で崩れそうになっている。
 ――いやだ。
 自分の好きな女1人、助ける事も出来ない。
 こうして抱きしめている間でさえ、彼女が――茜が涙を堪えながら、縋って来ているのが分かるのに。
 ――助けられないのは、いやだ。

 ――辛い。
 何もかも今ここで吐き出してしまいたい。
 けれど…駄目。
 『今』はまだ、駄目。
 言う事は出来る。言って楽になる事も、龍也に荷を被せて知らぬ顔をしてしまう事も、いっそ何も無かったかのように忘れてしまう事も。
 ――でも、それは――茜1人だけではなく、龍也にとっても良い事ではない。
 まだ、今はまだ立ち直れないけれど。いつ乗り越えられるか分からないけれど。
 ――私が、1人で乗り越えなければ意味が無い事だもの。

 けれど…ごめんね、龍也。
 今だけ――もう少しだけ…

*****

「………」
 男の体温が心地良い。次第に身体の震えも取れてくる…それと同時に、茜はゆっくりと自分の事を思い出していた。男と初めて出会った衝撃の夜の事。右も左も分からない自分に力を与えてくれ、そして2人で暮らし始めた時の事。――自分を導き、勉強から、服の選び方から、東京での生活の仕方から…様々な事を教えてくれた龍也。自分に存在していないと思い込んでいた『愛』を、心でも――身体でも教えてくれた。
 その結晶が――あの子、だった。
 一身に慈しんだ存在。龍也との子だと言う事だけでなく、どうしても愛さずにはおれない存在だった。…茜を母と認め、必死でしがみ付いて来るあの小さな手も、身体も。
 そう。可愛いキスまで交わした仲だったのだから。
 あの子を失ってから、この店に身体を落ち着けるまで…いや、落ち着けてからも、どのくらい眠れない夜を過ごしたのだろう。
 龍也と再会するまでに、どのくらいの涙が身体から溢れ出したのだろう。
 抜け殻だった茜に、再び息を吹き込んだのは、今茜を抱いてくれている龍也だった。――そして、今に至り…。

 ――夢想に耽る癖が付いてしまったみたいね。

 何かのきっかけで思い出す、過去の事。それはとてもではないが過去と言い切れないくらい、生々しいもの。…そう。それは、ついたった今まで触れていたあの子の感触。笑い声。茜を覗き込む、真っ直ぐな――黄金の瞳。
 思い出す度、茜の心がえぐられ、乾きようの無い傷口からは、今も真赤な血が流れ続けている。
 塞がらない傷は、いつか癒えるとはとても思えなかったけれど…これを乗り越えられなければ、茜は龍也も巻き込んで潰れてしまうだけと分かっていたから。
 言えない。今は、まだ。
 何故なら…まだ言えないが、あの夜の出来事には龍也自身も大いに関係しているから。

 いつか、言うべき時が来た時に。

 龍也の苦悩が、肌の温みを通して伝わってくる。こうして何も言わず、しがみ付いている茜がじれったく感じているのだろう。普段はあれだけ物事を斜めに見る癖が付いているのに、こうした時には息子と同じ、真っ直ぐな目を茜へ向けてくるのだから。…きっと、いつか話した時に、何故今話さなかったのか、拗ねながら聞かれるに違いない。
「………」
 ふっ、と茜の震えが止まった。そして、やんわりと、名残を惜しむように龍也から身体を離して行く茜。
 涙の跡が薄らと残っている、そんな顔に、ふわり…と笑みを浮かべる。
 それは、龍也ですら時が止まったように魅入られてしまいそうな笑顔で――茜は気付かなかったが、あの日、あの最後の日…茜が我が子へ向けた笑顔と酷似していた。
 ゆっくりと茜が赤い唇を開く。

「愛してるわ。今までもこれからもずっと」

 その時には2人で乗り越えられるように。


-END-