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<東京怪談ノベル(シングル)>


来襲:意思ある台風


 台風何号だっただろうか、危うく週末に関東を直撃しそうになったのは。
 山岡風太の予定を台無しにしかけた台風は、どういうわけか、まるで180度進行方向を変えたのだった。いまは太平洋の真ん中で干からびている。
「……ラッキー……」
 なのだろうか。
 テレビを前にして、風太は深く溜息をついた。おかげで今日は出費がかさむ。福沢諭吉は何人必要で、何人風太を見限っていくのだろう。
 その日、山岡風太には予定があった。「いやあ台風来ちゃったな、今度俺がひとりで買い物に行くから、何がいいかいま口頭で教えてくれよ」と妹に電話で話す予定が。
 だが、台風が去ってしまったので、今から風太は東京の渋谷あたりに出かけ、妹と一緒に買い物をしなければならない。買うものは、いま風太がひそかに思いを寄せているような気がしないでもないという思いに駆り立てているかもしれないような或る異性に差し出すプレゼントだ。
「……ラッキー……なんだよな、きっと……」
 風太はぼんやり呟くと、のそのそ出かける支度を始めた。つい30分前まで降っていた雨と、街路樹をばさばさ揺らしていた風は、ぴたりとやんでいた。


 待ち合わせはオーソドックスに、ハチ公前だ。
 めずらしく黒い服を着た妹がそこにいて、風太はそっと微笑んだ。何年も会っていない、というわけではないのだが、携帯を片手にきょろきょろしているあの仕草も、体つきも、また変えたらしい髪型も、何もかもが家族のものだ。
「おうい」
「あっ、兄貴!」
 風太が手を上げると、妹はぱたぱた手を振った。
「待ち合わせ場所にハチ公前なんてさ、兄貴の頭の中ってレトロだよね」
「おまえ、失礼だろ。俺たち以外にもほら、待ち合わせしてる人はたくさん――」
「ほらほらほら、あそこあそこ! 最近売り場改装したの! あそこに行けば女の子のありとあらゆる趣味の服が手に入るであろう!」
 凄まじい力で腕を取られ、風太はあッと声を上げる間もなく、ずるずると妹に引きずられていった。


 福沢さん、福沢さん、どこに行く。
 月刊アトラスで汗水流し、食費も切り詰め、俺は自由の身の3人のあなたと、1人の新渡戸さんと、8人の夏目さんに巡り合えた。
 でも、あなたたちは行ってしまうのだね。


「……」
「兄貴、元気ないね。疲れたの? 情けないなあ。運動してる?」
「……おまえ、元気だな」
「あたしはこれからオールもオッケー!」
「バッカじゃないの」
「何さ!」
 馬鹿は元気、という格言はないはずだ。そして妹はただ快活がすぎるだけで頭が足りないわけではない……はずだ。風太との会話をたくみに誘導し、自らの都合のいい展開へとすりかえてしまう。学校の成績も、こう見えてさほど悪くはないのだと、両親からは聞かされていた。
 風太は口車に乗せられ、こうしていま、どこかのホテルの豪華な夕食(しかしこの時期はホテルの何かの記念日とやらで、値段は割とリーズナブル)を妹とともに楽しんでいるところだ。
「おまえピーマン食えよ、俺の皿に乗せるな。子供か?」
「ピーマンじゃないよ、パプリカだよ。ダッサ」
「ピーマンじゃないならなおさら食えって」
「味はピーマンと一緒だもん。あたしピーマンの味大嫌い」
「ダッサ」
「何さ!」
 場の雰囲気に合わせ、小声で言い合うふたりのテーブルに、テーブルワインが運ばれてきた。何故か、未成年のはずの風太の妹が、目を輝かせた。


 光沢紙のバッグをいくつかと、妹を腕にぶら下げた風太が、夜道を行く。
 疲れた。
 ずるずると引きずっている妹は、すっかり顔を真っ赤にして、歌を唄ったりにやにやしたりで、誰が見ても立派な酔っ払いだった。未成年なのだが。
「おまえ、補導されるぞ」
「だーいじょーぶ」
「一応片したし、俺んち泊まってけば? 明日日曜なんだしさ」
「だーいじょーぶ」
「酔っ払いの『大丈夫』はぜんぜん当てにならないって知ってたか?」
「だーいじょーぶ」
「……」
 溜息をついて、風太は妹を支え直した。彼女に礼として買うことになった紙バッグも、持ち替えた。そうして、今日の本当の目的は、いま懐の中に納まっているくらい小さなものだということを思い出した。
 全身黒尽くめの、妹に言わせるとギャグでしかない出で立ちの、彼女。
 今度はいつ会えるのだろう。
 今日もあそこにいるのだろうか。
 今日は一日、何をしていたのだろう。
 ――今日、俺のこと、考えててくれたりしたのかな。
「ぅあ兄貴ぃ」
「んん?」
「ちゃんとかのじょのハァトお、がっちりゲッツしなさいよぉ」
「んああ……出来るといいんだけど……」
「そぉんなんじゃダぁメだぁあ」
「いや、それも俺はわかってるんだけどさ……」
 ふと思い浮かぶのは、彼女の容姿。彼女のいまの境遇。笑顔と声。これまでに巻き込まれてきた事件。風、
 彼女が出てきた夢。黒い髪。梅の花。風、
 足音。
「彼女のこと、何も知らない」
「う?」
「彼女はたくさん、隠し事をしてる。きっと俺もだ。俺と彼女は、世間話とか、仕事の話とか、『いまの話』をするだけなんだ――どうやって育ってきたかとか、どうやって生きてきたかとか、どうしてここにいるのだとか、お互いに何にも知らない」
「そんなの、たぶん、どうでもいいことだよ」
 酒のせいなのかは、わからない。ただ妹は、少しだけ遠い目でそう言った。
「しらなくたって、いいことだよ。しらないほうが、いいことだって……」
 妹が強く腕につかまってきて、風太はものも言わずによろめいた。
「でもぅ、かくごができてるならぁ、おもいきってぇ、きいてみたらいいじゃなぁい。それであにきがヒいたり、むこぅがはなれてったりぃ、そんなことになるんだったらぁ、ふたりはそれまでのかんけー、ってぇことぅ」
「そんなもんかな」
「そうゆうことぅ」
 聞けばいいのか。
 口と耳と目がある。
 話をしたらいいのか。
 何の記念日でもない日に、唐突にプレゼントを渡して、自分は、聞けばいいのか。引き換えに自分が話す過去は、平凡なものだというのに。
 ハチ公前は、午後8時を過ぎても人でごった返していた。
「へーき、ここまでくればぁもうへーき」
「本当かよ」
「へーき! ほら、まっすぐたてる! どわッ」
「あー、バカ! やっぱり無理じゃんか」
 よろめく妹をしっかり支えて、風太は結局、駅に入る。

 ポク、

 風太は振り向いた。

 ポク、

「――?」

 ポク、ポク、ポク、ポクポクポクポク――


「あぁにきいぃ! ろーしたろー!」
「だあッ、耳元で怒鳴るなよ!」
 妹の顔を肩から引き剥がしつつ、風太は視線をあちこちに飛ばした。多くの人がいて、多くの人を待ち、携帯の液晶画面を見つめ、笑い、歩いていく。その雑踏の中で、風太が運良く聞き取ってしまったあの音は、いつも彼女がともにしている音だった。
「……しゃアない、家まで送る」
「そこまでしなくてけっこぅですー」
「ダメだ。おまえ、まっすぐ歩けない状態なんだぞ」
「ふん、ふふん」
「っとに、もう」
「きゅーにおにーさんらしくなっちゃってぇ」
 よろめく妹を支えながら、風太は多くの人とともに、改札に向かっていくのだ。
 足音とはまったく逆の方向に、彼はいく。




<了>