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<東京怪談ノベル(シングル)>


ノクターン

 ――本当に心が惑う時、胸が痛いんだと知った。

「これ、いくら? 病院に持っていくんだけど、花束にしてもらうのに時間どのくらいかしら?」
「…………」
「あの、すみません……? 花束に――」
「あっ、ご…ごめんなさい!! カスミ草とガーベラですね。すぐに仕上げますから」
 私は額を小突くと、涼しい風を受ける天蓋を奥へと向かった。天気は晴れ。初秋の空は切ないくらい蒼くて高い。でも、奪われていたのはその透き通った色ではなかった。ここのところ天職であるはずの仕事に集中できず、ぼんやりしている。その原因をもちろん知っている。私を苛む胸の痛みが証明していたから。
 まるでずっと過去のようであり、一瞬前に起こったことのようだった。自分の吐き出す溜息の音を聞きながら、別の声が鼓膜に響く。
『――もう、会わない。……ごめん』
 そのたった一言が私の胸を締めつけていた。彼の金の瞳が揺らいでいた。取り落とした柄杓のカラカラと地面を転がる音。走り去っていく背中、足音。思い浮かべられるだけ、めいっぱいの記憶が繰り返し幻覚を見せた。
「まあ!素敵、ありがとう。友達も喜ぶわ。……それにしても綺麗な花ばかりね。何か秘訣でもあるのかしら? 他の花屋さんとは違うみたい…」
「…花が好きだからですわ。喜んでもらえて嬉しいです。またいらして下さいね」
 ガーベラの色に合わせたサンライズイエローのリボン。花束を抱えた女性客が遠ざかった。彼女にかけた言葉は親切そうだったかもしれないけれど、本当は心など篭っていなかった。そんなこと今まで一度もありはしなかったのに。
 他のことが手につかない。彼以外の誰かに心を砕くことさえ、できなくなっていた。

 ――なぜ、急に別れ…なんて。
    どうして、私はこんなにも寂しいのでしょう……。

 独白を花だけが聞いていた。けれど、話しかけては来ない。返事をもらえないことを知っているようだった。
「糧になりたいと言ったのは、間違っていたの……?」
 淫魔だと告白した彼に対する私の想いは、何だった?
 問いかけても答えは出ない。彼に直接問うこともすでに出来ない今、空しい輪廻が続くだけ。自分の気持ちに深く入り込もうとすると、彼の言葉が蘇り切なさに胸が痛んで、それ以上考えられなかった。
 彼はもう1週間も姿を見せてくれていない。よく考えれば、彼のことを何も知らない自分がいる。学校にも赴いてみたが、休んでいるとだけ教えられ、自宅を知る術はなかった。友人の話も聞かなかったし、彼と出会うことができたのは「アーネンエルベ」を介してだけだと気づいていた。
 私は自問を繰り返す。

 ――いつも彼がそこにいて、それが当たり前になっていたから?

 何か違う気がする。そんな単純なことじゃない。心がちりちりするのはなぜだろう。花達に話しかけることすら出来ず、私は戸惑った。胸の中に彼がいる。それだけは確かな事実だったけれど。
「……もう、こんな時間なのですね…」
 気づくと角を曲がってくる学生服ばかり見ていた。すでに宵かがり。シリウスが青白い光を放っている。私は鉢植えを店内へと片付けながら、耳を澄ませた。足音と弾む息。来るはずもないのに期待してしまう自分がいる。
 シャッターを閉じようとして、見上げた空。雲が上弦月にかかって光っていた。見つめると眩しい光は瞼を通して、私の忘れえぬ記憶を輝かせた。
 思い浮かぶのは、何時もの彼の顔。
 
 ――私はどうして彼を助けたいと思ったのでしょう……。

 それは突然だった。音楽の調べのように再現される彼の声。はっきりと私の中に響いて、胸をひどくときめかせる。
『明日奈さん!! ……大丈夫? 立て…ますか?』
 私を支えてくれる腕を嬉しいと思った。優しい問いかけに胸が鳴った。明日奈と呼んでくれたことに胸が熱くなった。溢れる。溢れて零れるのは彼に対する素直で、純粋な気持ち達。押さえ切れない感情の波。
 そして。

 ――ああ…そうだったんですね。きっと…きっと、すごく単純なこと。
   私は彼の姿が寂しそうで、辛そうで、代わってあげたかった……。
   でも、それ以上に心惹かれるほどに綺麗で――。

 目を閉じた。思い出される彼に繋がるひとつひとつ――戸惑って俯く赤く染まった顔。凛としているのに寂しげな色を奥に隠した瞳。差し伸べてくれた手。抱きとめてくれた腕。浴衣。金魚。夜空を飾るたくさんの花火。
 そのどれもが私の胸に火を灯す。暖かく燃える鮮やかな炎。
「……いつの間にか。気づかぬ間に、私は彼を…彼のこと……」
 涙が頬を伝う。乾いたアスファルトに、いくつもの雫の跡。この気持ちに気づくことができた幸せ。ここに今彼がいなくても、きっと大丈夫。涙で曇る視界の向こうで幻想の笑顔が笑っている。
 花達の声が一斉に飛び込んできた。「明日奈お水ちょうだい」「シャッター閉めて」「元気出た?」どの声も喜んでくれていた。私は深呼吸をひとつして、締めかけていたシャッターの内側へと滑り込んだ。
「待ってて下さいね……今、水をあげますから」
 明るい声が自然と出る。
 私は決意した。胸に当てると心臓の鼓動が早さを増して、これからの未来図を夢見ている。
「貴方に会いたい……。だから、会いに行きます…ね、いいですよね?」
 幻の花顔が戸惑いつつ頷いた。
 彼の居場所を知っているわけではなかった。けれど、信じられた。彼には必ず出会える。それは運命の糸が互いに引き寄せ合うように、私が必要としているのと同じに、彼も私を必要としてくれる。曖昧だけど、確かな願い。誓い。
 大好きな花と生きようと決意した時と同じ強い心。私はようやく朧げな迷路を通り抜けた気がした。

 彼を好きだと気づいた夜。
 私の中を、いつまでも穏やかなメロディの夜想曲が流れ続けていた。留まることなく流れる水の流れのように。真っ直ぐに届く月の光のように。
 恋の調べを。


□END□

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 こんにちは♪ ライターの杜野天音です(*^-^*)
 ついに、明日奈さんの気持ちを知ることができました! うんうん、よかったね。これでちゃんと問いかけられるはずです。恋とはいつの間にか心に忍び込んでいるもので、あの時好きになったんだ……と気づくのはずっと後のこと。彼も知っているはずです。明日奈さんの提案がただの同情ではなく、心から彼を心配しているからこそ、零れた言葉だと。
 はぁ〜それにしてもこんな素敵な人に想われるなんて、罪作りですよね(笑)

 それではとても素敵な物語を書かせて頂けて幸せでした。今後の展開を書ける日があるなら祈りたいです。
 本当にありがとうございました!!