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<東京怪談ノベル(シングル)>


Child-like(s)

 のっぺらぼうのおにんぎょう。かおのまんなかはまっくろくろのあなっぼこ。てあしがながくてくもみたい。

 淡々とした、その子供の声は誰の声か。健二には聞き覚えが無い。己の声のような気もするが、自分の声を録音して聞くと他人の声に聞こえると言うから、やはり違うのかもしれない。尤も、自分の声がどんなだったか、しっかりと記憶できる程に喋っていたのかと問われれば、否、と答えるしかないのだが。

 おにんぎょう。すわってる。かべにむかっておはなししてる。かべにむかっておこってる。

 ぶつぶつと暗く低い声で呟き続ける背中。幼い健二は、ただ身を竦めてその【背中】を見詰めているより他なかった。恐いとべそをかけば、煩いと張り倒される。一生懸命我慢してその目に涙を一杯溜めていれば、あてつけがましいとまた殴られる。笑わせようとふざけてみても、鬱陶しいと突き飛ばされるだけで、結局何をしても、その背中の主は気に入らないのであった。
 最良の手段は己がこの場から居なくなる事だろう、と片手を満たすか満たさないかの幼い子供は気付いていた。だが、どうやれば居なくなる事が出来るのか、その方法が分からない。幼さ故の知識の至らなさも勿論あったが、それ以前に、健二には、この暗く湿った部屋のどこに扉や窓があるのかが分からなかったのである。
 その【背中】は、ゆっくりと首を捻って振り向き、そこにいる健二の存在に気付く。その目は明らかに健二を睨んでおり、その視線の冷たさと厳しさに、幼い子供は射抜かれて動けない。その顔はただ真っ黒で、笑っているのかないているのかも分からない。ただ、骸骨のようにぽっかりと空いた二つの暗い眼孔、そこにある光は暗く鈍く蠢いている。ぐるりと眼球を巡らせて周囲を眺めてから、眼は目の前に居る健二に再び定まった。

     オマエサエ居ナケレバ―――…

 「………、さ…ん……?」
 健二が震える声で、こちらを睨む【背中】を呼ぶ。だが【背中】は何も答えない。

     私ノ一生を狂ワセタ―――…

 ぐゎッ、と周辺の空気が撓んだ。【背中】の発する激しい負の感情が、波動となって周囲にプレッシャーを掛けているのだ。それは憎悪の感情。何故それが己に向けられているのか、勿論幼い健二に分かる筈もない。もう少し大きくなれば、それは八つ当たり、或いは濡れ衣であると気付けるのだろうが、そこまで健二が成長するにはまだ多少の暇が必要だった。掛かる圧力に健二の頬に漣のような皺が浮く。顔の前を両腕で覆い、何とかその強い風から逃れようとした。身体ごと飛んでいきそうなその圧迫感より、幼い健二には【背中】の強い憎しみ、それに伴う悲しみの波動の方が恐かった。恐くて悲しくて、思わず健二は泣き出してしまう。溢れる涙を手の甲で拭い、歯を噛み締めて漏れる嗚咽を堪える。が、そんなのは一目見れば分かってしまう事。【背中】の憎しみが、またぶわっと一気に高まった。

     マタ私ヲ困ラセテ―――…

 「うわぁぁんッ!」
 【背中】の細く長い腕に突き飛ばされ、小さな健二の身体は容易に壁際まで吹っ飛ぶ。壁に叩き付けられ、その衝撃で息が詰まり、健二は痩せた背中を丸めて苦しそうに咳き込んだ。激しく咳き込むとさっきのとは違う涙が、その幼い眼に滲んでくる。身体の痛みもさる事ながら、そうされた事への心の衝撃と悲しみが痛かった。だが、ここでまた泣けば、更なる暴力が健二を待ち構えているのだ。

 のっぺらぼうのおにんぎょう。こっちをじっとにらんでる。おめめがないのににらんでる。ぼくをじっとにらんでる。

 「……お、……ぁさ…ん………」
 泣き濡れた顔を上げ、掠れた声を搾り出す健二だったが、目の前の『それ』を見た瞬間、身体の痛みも心の痛みも忘れ、息を吸い込んで身体の動きを止めた。

 おにんぎょう。もくもくもくとまっくろけむり。もくもくせおったおにんぎょう。いきができなくてくるしいよ。

 見開かれた幼い二つの瞳に映っていたもの。それは、健二の方を睨み付ける【背中】の背後、そこに、まるでおんぶをしてと甘える子供のように覆い被さっている、靄。それはまるで生きているかのように、自在に動き、空気の流れと関係なく上昇したり下降したりしている。だがそれらは常に【背中】の傍から離れず、【背中】が移動すれば靄も共に移動して行く。何かが燃える煙とは違う、空にある雲とも違う。その不気味さに健二は思わず悲鳴を上げるが、その声は余りの恐怖に喉から音となって出る事はなかった。ただ身体が強張り、手足の末端が痺れ、そこだけ感覚が鋭くなっているような気がする。【背中】は黒い靄を伴って歩いて行く。がちゃがちゃと何かを探るような音がした。

     居ナクナレバ…自由ニ…ナレル―――…

 誰が(居なくなれば)?
 誰が(自由になれるの)?

 振り返った【背中】の手に、煌めく何か。振り被り、健二に向かって駆けてくる。その表情を、凍り付いた幼い目は捉えて離さない。だが、どんな表情をしていたのか、どんな目で己を見ていたのか、それは全く覚えていなかった。
 「…………?」
 衝撃に、健二は自分の左胸を見る。そこに突き刺さっているのは、本来そう言う目的に使われる筈の無いもの。痛いとか苦しいとか思う前に、心臓が突然早鐘を打ち始めた。破裂しそうな程のその勢いに、初めて健二は恐怖を覚えた。
 「お、…か……さん……」
 誰もが必ず一人は持つ、その存在。その名を呼ぶ。甲高い笑い声が、健二の鼓膜を刺激する。耳障りなその声は、健二の神経を逆なですると同時に、どこか懐かしい響きをも持っていた。

暗転。

 「…―――…ッ……!?」
 健二は、己が上げた叫び声で目を覚ます。暫く、厭な汗を感じながらも寝床から動けず、視線だけで周囲の様子を伺う。己が上げた叫び声は、それこそつんざく程の大音量だった筈なのに、周囲は静かに静まり返ったままだ。どうやら、実際に声に出して叫び声を上げた訳ではなさそうだ。だが、喉はひりひり焼きつくように痛むし、心臓はこれ以上無いと言うぐらいの早鐘を打っている。健二はゆっくりと細く長く息を吐き、手の平で左の胸を押さえる。それは跳ねる鼓動を納めようとしての行為だったのだろうが、その下にある、古い傷跡を無意識で労ろうとしているようにも見えた。
 健二は手を突いて身体を起こす。妙に重い自分の身体を奮い立たせて立ち上がり、足を引き摺りながら台所へと向かう。いがらっぽい喉を手で撫でながら、水を飲もうと水道のある所を目指した。
 「………」
 テレビ。と、健二が口の中だけで呟く。居間には誰も居なかったが、テレビが付けっぱなしになっていて、観客が居ないと言うのにブラウン管内のアナウンサーが熱弁を振るっていた。その声は健二の上を通り過ぎ、壁へと吸い込まれて行く。一瞬だけ、健二の脳裏に姦しいテレビを黙らせようかとの考えが浮かぶが、それは、横からしゃしゃり出て来た如何にも冷たそうに、水滴の浮かんだ水のコップのイメージに阻まれ、あっさりと消え行く。
 番組のテーマソングらしき音楽が流れるのを、健二は遠くで聞く。蛇口を捻ると勢い良く水が流れ出て、それ以降は健二の意識は、透明な水飛沫に囚われてしまった。

 「さて、次の事件です!」
 男性アナウンサーが資料を広げる。画面左下にはこの番組名らしい、『緊急特番!未解決事件の謎と行方は!?』なる文字が読めた。
 「最近また増え始めた幼児の神隠し事件ですが、ここにもひとつ、まだ未解決事件の情報が入っています。どうか皆さんの情報をお寄せください。十数年前、突如その姿を消した『山崎健二』君、当時五歳の行方は未だ………」


 ステンレスのシンクを、水が流れる音が続いていた。


おわり。


☆ライターより
 この度はシチュノベのご依頼、誠にありがとうございました!ライターの碧川桜でございます。
 山崎・健二様、またまたお会い出来て嬉しいです!前回のシチュノベ・シングル同様、ダークにダークに…と呟きながら書いておりました…いえ、今回はダークにとのご指示はありませんでしたが、私が個人的に(汗)
 虚構と現実と過去の狭間、と言う感じを出せればよいなぁと思っていますが如何だったでしょうか。お気に召して頂ければ幸いです。
 今回、シチュノベ強化月間中だったのですが、相変わらずギリギリの納品になってしまってすみません(平謝り)
 ではでは、今回はこの辺で。ツインも鋭意努力中ですので、もう少しだけお待ちください(ぺこり)