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<東京怪談ノベル(シングル)>


幻夢蝶

 遠い記憶。どれほど遡るのかは解らない。
 ただ解るのは、胸を焦がすほどの、懐かしさだけ。

 ひらり、と視界の端を捉えたモノがあった。
 ナガレはそれに釣られるかのように、首を動かす。その視線の先には、黒い鳳蝶が舞い飛んでいた。
「……珍しいな…この季節に」
 季節はもう、秋。蝶が空を舞うには、少しだけ空の色が寂しい。
 ひらひらと優雅に舞う蝶を、ナガレは目で追いながら、まるで導かれるように足を進める。
「……………」
 蝶は途中、何処にも羽根を休めることなく、ゆっくりゆっくりと飛び続けていた。それを追い続けているのは、小走りになっていたナガレだ。足元も見ることなく、その蝶を、ひたすら追い続けていた。
 そして、どれ程時間が過ぎたのだろうか。
 ナガレがいい加減その蝶を諦めようと思った瞬間―――。身体を襲った浮遊感。
 足元を見れば、真っ暗な闇。
 ヤバイ、と思ったときには、身体はその闇の中に吸い込まれていた。
 何もない空間で足掻きながら、落ちていく恐怖感。まるで底なしかと、思えるような。しかしそれは僅かな時間だけで、次の瞬間には、どさん、と言う音と共に、自分の身体に軽い衝撃を覚えていた。
「……いて…」
 足に冷たいものを感じる。どうやら此処が底のようだ。ナガレは頭(かぶり)を振りながら、辺りを見回した。
 薄暗い空間。自分が落ちてきた方角を見上げると、明かりはそこからしか降り注いでこない。どうやら此処は塔のような場所で、ナガレはその塔の、空気窓から落ちてきたようだ。位置からすると、塔というよりは、何処かの地下なのかもしれない。
「…………誰かいるの?」
 ナガレの背後で、小さな声が、響いた。
 それに過剰に反応し、ナガレは静かに振り返る。外からの光が、足場まで届いていないせいか、声の主を確認することが出来ないが、この場にナガレ以外に、誰かがいる事だけは、確かだ。
「…………」
「…落ちてきたのね。大丈夫?」
 声の主は、少女のようだった。
 何も返さずにいるナガレに、静かに寄せられる、手のひら。
「…あんた、誰だ?」
「……………」
 ナガレの言葉に、少女は応える事はしなかった。
 それ以上問い詰める事もせず、ナガレは彼女の手のひらに、自分の頭を擦り付ける。
「……あなた、綺麗ね」
 小さな声。
 姿など、見えていないだろうに。
 それでも、不思議と嫌な思いはしない。彼女の言葉には、曇りが無いからだ。
 それと同時に感じた、『寂しい』と言う感情。無意識なものであり、本人も気が付いていないような、僅かな思い。
「…………どうやら、戻りたくても戻れそうに無いな…」
 ナガレは空気窓の方角を見上げながら、独り言のように、そう言う。すると、彼女の気が、少しだけ、揺れた。
「…まぁ、どうせ何処にいても同じような生活しか送れないし…出られるまで此処にいるさ。…構わないだろ?」
「……、えぇ。あなたさえ、それでいいのなら…」
 小さな彼女の言葉を耳にしながら、ナガレはうっすらと笑った。彼女の淋しさを、少しでも和らげる事が出来るのなら。
 どういう理由で彼女が此処にいるのかは解らないが、ナガレは暫くこの場に留まろう、と思ったのだ。
 それから、暗がりの中での、ナガレと少女の生活が、始まった。

 其処が何処で、今がどれ程の時間なのか、感覚さえ鈍る。そんな中での、少女との生活。
 彼女はどうやらこの場に幽閉されているらしく、毎日決まった時間に表へと呼び出されては、数時間この場には戻らない。その間、ナガレは大人しく暗がりで丸くなって、彼女が戻るのを待っていた。
 少女が戻ると、その手には僅かな食事が乗ったトレーがあり、それを二人で分け合いながら、食べた。ナガレは遠慮したのだが、少女が『あまり食べられないから』と勧めてくるのだ。
 そんな、彼女の小さな手は、心なしかナガレの目には日に日に痩せていくように、思えた。
「…………なぁ」
「なに?」
 少女の膝の上に乗りながら。
 ナガレは彼女を見上げて、口を開くが、それ以上を続けられる事も出来ずに、ゆっくりとした時間が過ぎていく。
「…今日は、どんな話を、聞かせてくれるの…?」
「そうだなぁ…」
 時間を置くと、少女がナガレに『外の話』を求めてくる。ナガレはそれに嫌がることなく、教えられる範囲で、彼女に自分が体験してきた事や、目にしてきた事を、冗談を交えながら伝える。
 少女はそれを、黙って聞いていた。時折、その口から小さな笑みを漏らすのを、ナガレは見落とす事はせずに。
 そんな中で、ナガレの中に生まれた感情。

 ―――一緒にこの場から逃げて、日の光の下で、彼女の素顔を見てみたい。

 それが叶うのであれば、最初からそうしていた。
 現状では、彼女をこの場から連れ去る事が、出来ないのだ。
 この塔のような空間内には、持ち合わせる力をセーブするような、そんな制御システムが働いているようであった。
 少女の手から感じる不思議な波動。それは彼女が持ち合わせる何らかの力。そしてそれは、日を追うごとに弱々しいものになっていく。
 ナガレにも、力はいくらでもあった。それこそ、此処から脱出するだけの力は、あるのだ。それが発動できないという事は、少女が逃げられないようにしている、と言うことになる。
「…傍に、いてやる。ずっと」
「……ありがとう」
 ナガレは、彼女に身を預けながら、静かにそう伝えたのだった。

 それから、どれ程の時間が流れたのか。
 少女の生気が、削ぎ取られていく日々を、ナガレは耐え抜くのに限界を感じていた。
「………大丈夫か?」
「……平気、よ…」
 言葉の掛けようも無い、現状。少女はもう、自分の力では立ち上がる事すら侭ならない、状態であった。呼び出されるときも、表の人間が無言で彼女の腕を引っ張り、引きずり出しながら連れられていく。そしてこの場に戻ってくるときも、まるでゴミを捨てるかのような扱いで、彼女は扉から、放り込まれて帰ってくるのだ。
「…………」
 死んでしまう、と。
 ナガレは心の中で、そう呟いた。
 人の死など。
 今まで幾度も見てきた。何人もの命を見送ってきた。
 なんて、儚いものなのだろう。何故人は、自分と同じ時間を生きられないのだろうと。
 そんな、思いを巡らせては、『馬鹿なことを』と考え直す事もあった。
 人間と自分では、住まう場所が一緒であろうとも、生きる時間が違う。それが天命と言うものだ。今更、悔やんでも仕方ない。
 しかし。
 それでもナガレは、彼女の命の灯火を、伸ばしてやりたい、と思うのだ。
「……逃げよう、此処から」
 気が付けば、自分の口から漏れていた、そんな言葉。
 それに少女は、投げ出していた手のひらを、ピクリ、と反応させる。
「…無理、よ」
「俺が逃がしてやる。守ってやる。お前はこんな所で終わったら駄目だ」
 ぺろり、と彼女の指先を舐めてやりながら。
 ナガレは心の奥にしまいこんでいた言葉を、正直にぶつける。
 すると少女は、うっすらと、笑ったように、思えた。
「ありが、とう…。でも、私は、いいの…」
「何が良いんだよ。お前はまだ生きなくちゃ駄目だ。終わりたくないだろう!?」
 自然と口調が、荒々しくなる。
 ナガレは、どうしようもない焦燥感に襲われていた。
 彼女を救ってやら無くては。
 此処から救い出してやらなくては。
 出会ったときに、自分の力を全て使ってでも、救い出してやるべきだったと。
「…やさしいのね、でも、いいの…。私は、ここで、いいのよ…」
「駄目だ…っ」
「……いいのよ。だって、貴方に逢えたもの…。それだけで、私は幸せなのよ。何も無かった私に、神様が与えてくれた、ご褒美なんだもの」
 少女はか細く静かに、言葉を繋げた。
 おそらく、自分がもう長くはないと、悟っているのだろう。そして逃げ出しても、いずれは掴まってしまうだろうと、思っているのだろう。
 …諦めて、いるのであろう。
「……今まで、傍にいてくれて有難う。こんな場所で、私に付き合ってくれて有難う」
「…、おいっ…そんな別れみたいな言葉…ッ」
 少女の言葉が、少しだけ強くなったように思えたときに、それまで動かずにいた彼女の手のひらが、ナガレの身体を摩った。
 そして。
「さよなら…。有難う、だいすきよ…」
 ナガレの目の前が、鋭い光で覆われた。その後に襲われる、浮遊感。
「……、…!!」
 言葉に、ならなかった。物凄い空圧に押され、ナガレは何も言うことが出来なかった。
 どんどん引き離されていく感覚。
 そして小さくなっていく、彼女の命の気配。
 光の中で、一瞬だけ見ることの出来た、少女の素顔。
 微笑んでいた。
 ナガレに向かい、少女は何処までも優しい笑顔だった。
(――…なんでだよ…っ!!!)
 流されていく空間の中で、ナガレはやり切れない思いに押しつぶされそうになり、心の中で何度もそう繰り返していた。

「……――っ…」

 次の瞬間、瞳を開けると、ナガレは全く別の場所に放り出されていた。
 太陽の光が、目に沁みるほど、眩しかった。
 辺りを見回せば、そこはナガレの知らな世界だった。
 土の匂いがしない、乾いた場所。一面広がる、アスファルト。
「………そう、か…」
 ナガレはそれだけで、理解した。
 彼女のその身に持ち合わせていた、力。
 『時空移動』だ。少女は時空を操る力を持っていたのだ。おそらくその力のせいで、あの場に囚われ、実験材料にされていたのだろう。
 そして、最後の、本当に最後の力をあの制御された場で発動させて。
 ナガレをこの世界にまで、飛ばしたのだ。
「…ごめん、な…」
 その言葉は、少女には届かない。
 それでもナガレは、言葉を発せずにはいられなかった。彼女のその後の行く末など、考えなくとも解ってしまう。
 どうしようもなかったのだろう、あの場所では。どうすることも出来ずに、ただ枯れてしまうだけの日々を、少女は何年もその場で過ごしていたのだろう。
 その、どうしようもなかった時間の中で、『ナガレ』と言う存在は、どれほど彼女の救いになったことか。
「……………」
 ナガレはその場で、かくり、と肩を落とした。
 救えなかった存在。出来るなら、何とかしてやりたかった。遅すぎた、思いだったが…。
「……綺麗だな、お前…」
「!!」
 ナガレの背後から聞こえてきた声に、驚きを隠す事も出来ずに。
 振り返ったその場には、知らない少年が、立っていた。
 荒れた瞳をしていたが、今を必死で生きているような、そんな姿。赤い髪が、それを一層強く思わせる。
「……………」
 ナガレはその少年を見上げながら、胸にこみ上げてくるものを止めることが出来なかった。そして足元をぽたり、と濡らす、一滴の雫。
「…泣いてんの?」
 赤髪の少年は、静かに涙を流すナガレを見て、膝を折り、その頭を撫でてきた。
 ナガレはそれを嫌がることなく、受け止める。
「……大丈夫、目にゴミが入っただけだ…」
「…ふぅん?」
 少年はナガレが人語を話すことにも驚きもせずに、自然に言葉を返してくる。何度かナガレの頭を撫でて、すっと立ち上がった。
「じゃあ、俺行くから。この辺危ないし、あんまりウロつかないほうがいいよ」
「…………そっか」
 少年の言葉にナガレが遅れて答えると、彼はうっすらと笑って見せた。そしてゆっくりと踵を返して、その場を後にする。
 その少年の背後にちらりと舞う、何か。
「……あれ、お前…こんな所にも、いたんだな…」
 ナガレのその言葉は、去って行く少年に向けられたものではなく。
 ひらひらと、頭上で舞う、いつか見た黒い鳳蝶へと、送られたものだった。
 姿も何もかもが、違う。
 それでもナガレは確信できていた。
 鳳蝶がその場にいるように、少女の魂も、此処にいておかしくは無いのだと。

『だいすきよ』

 別れ際の少女の言葉が、蘇ってきた。
 ナガレはそれにまた、瞳をゆがませて。
「…俺も、お前が好きだったよ。いつかそれを、伝えられると、いいな…」
 と、小さく言葉を口から漏らしながら、新しい地を、ゆっくりと前へ進んでいくのだった。

 余談ではあるが、この半年後に、ナガレは赤髪の少年と再び合間見えることになるのだが、それはまた、別の話。



-了-