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<東京怪談ノベル(シングル)>


 あちこちどーちゅーき 〜帰らずの小路〜


 秋の空は高く、目も眩むような青さだった。
 白い雲が、それにアクセントをつけるかのように点在している。
「いい天気だなぁ……」
 桐苑敦己は、眩しげに目を細めながら、呟いた。
 周囲を見渡すと、穏やかな田園風景が広がっている。もう少し遅い時期に訪れれば、黄金色の美しい絨毯が見られたことだろう。敦己はそれをやや残念に思ったが、目に優しい緑の光景も悪くはなかった。
 でこぼことした農道を歩きながら、吹き抜ける風の感触を楽しむ。未だ暑さが残る季節ではあるが、今日はそれなりに過ごしやすかった。歩いていると、心地よい程度の汗が身体に滲む。
「さてと……次は何処に行きますか」
 敦己は、口癖になっている言葉を、誰に言うでもなく発した。一人旅を長く続けていると、どうしても独り言を言う機会が多くなってしまう。

 暫くぶらぶらと歩き続けると、道が二手に分かれている場所へと辿り着いた。
 右手には、田圃沿いの道。
 左手には、竹薮の中へと続く、細い道。
(うーん……どっちの方が面白そうかなぁ……)
 恐らく、人と多く出会えるのは、右の道だろう。左の道は、どこかに繋がっているとはあまり思えない。だが、何となく惹かれるものを感じた。
 暫しの間逡巡してから、敦己はポケットからコインを取り出した。
 これは、彼がどちらに行くか迷った時に良く使う手段である。
(表なら右、裏なら左っと……)
 右手でコインを弾く。
 コインは、キラキラと陽光を反射しながら、宙を舞う。
 敦己は、落ちてきたコインを左手の甲で受け止め、その上に右手を被せた。そして、手を離す。
 コインは裏。
「よし、左だ」
 そう言うと、敦己は、竹薮の中へと足を踏み入れた。


「おっかしいなぁ……」
 すぐ途絶えると思っていた小路は、どこまでも続いているかのように長かった。辺りの景色も、全く変わらない。一陣の風に、竹薮がざわざわと音を立てる。
 敦己がふと立ち止まり、何気なく後方を見遣ると――
 道が、無くなっていた。
 青々とした竹が見えるばかりだ。
「――あれ?迷った?」
 敦己は、思わず驚きの声を上げた。道は枝分かれしている訳でもなく、ずっと一本だった筈だ。
 だが、それでも敦己は慌てたりはしなかった。彼には、道無き場所でも、現在地の把握が出来るという能力があるからだ。
 目を閉じ、意識を集中する。
 彼の直感は、直ぐに答えを導き出した。
 敦己は、小路を無視し、右手の竹薮の奥へと分け入る。

 少し歩くと、唐突に、視界が開けた。
 そこには、小さな池があり、その淵には、薄汚れたTシャツと、短パンを穿いている、幼い子供の姿があった。スニーカーも泥だらけで、身体のあちこちに擦り傷や、土が付着していた。
 その子供は、両腕で顔を覆って泣きじゃくっている。
「――どうしたの?道に迷っちゃったのかな?」
 敦己が穏やかに声をかけると、子供は、敦己の存在に、たった今気づいたかのように顔を上げる。
 どうやら、男の子のようだ。三歳くらいだろうか。
 彼は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、か細い声で答えた。
「――かえれないの」
 敦己は、目線を男の子の位置と合わせるようにしゃがんだ。そうして、なるべく優しげで、明るい声を出すように努める。
「そっか……じゃあ、お兄さんと一緒に帰ろう。お兄さん、道を見つけるの上手いんだぞ」
 そう言って、敦己は男の子の方に手を差し伸べるが、彼はその手を取ろうとはせずに、ただ、こう繰り返す。
「――かえれないの」
 そして突然。
 男の子は、背後にある池へと向かって駆け出し、飛び込んだ。
「ちょ――!!」
 敦己は、慌てて後を追う。

 何かがおかしい。
 水の中の筈なのに、息が出来るのだ。服も身体に纏わりついては来ない。
 敦己は、ゆっくりと周囲を見渡す。
 透明な世界に、様々なものが浮かんでいる。
 色とりどりの風船。
 おもちゃの自動車。
 太陽が表紙に描いてある絵本。
「――かえれないの」
 そこには、あの男の子の姿もあった。
 彼は、この世の存在ではない。そう、敦己は確信した。
 敦己には霊能力も備わっており、簡単な除霊や浄霊の術なら使える。
 だが、その手は使いたくなかった。
 男の子が邪霊の類には感じられなかったし、何故か一緒に話さなければならないように思ったのだ。
「君は、帰りたかったんだね。でも、帰れなかった」
 男の子が、顔を曇らせる。
「――かえれないの」
 そうして、同じ言葉を繰り返すばかりだ。
 敦己は暫し考えた後、話の方向を変えてみることにした。
「――ねえ、お兄さんと一緒に遊ばないか?何かやりたいことはない?」
 その言葉に、男の子の表情が、僅かに変化する。
「ゆうえんちにいこうねって、パパとママとやくそくしたの。でも、いけなかった」
 また泣き始める男の子に、敦己は、笑顔を作って言った。
「遊園地か……じゃあ、お兄さんと一緒に行こう。きっと楽しいぞ」
「……でも……もういけない」
 男の子に、敦己は辛抱強く話し続ける。
「行けるよ。行きたかった遊園地を思い浮かべてごらん。そうしたら、きっと行ける」
 敦己の言葉に少し元気付けられたのか、男の子は、小さく頷くと、目を閉じた。
 その途端。
 周囲の景色が一変する。
 人は一人も居ないが、そこは紛れもなく遊園地だった。

 観覧車。
 メリーゴーランド。
 ゴーカート。
 二人は、様々なアトラクションを楽しんだ。
 アイスクリームも食べたし、マスコットキャラクターとじゃれあったりもした。
 男の子は、次第に笑顔になっていき、はしゃいで飛び跳ねるまでになる。敦己も、男の子と手を繋ぎながら、一緒に飛び跳ねた。
 唐突に。
 鐘の音が鳴る。
 それは、その遊園地の中央にある、教会を模した建物の鐘だった。
「――もう、いかなくちゃ」
 男の子が、寂しげに目を伏せ、呟く。そして顔を上げると、敦己に向かって笑顔を見せた。
「おにいさん、ありがとう。ボク、とってもたのしかったよ。またボクをみつけてね」
 そう言うと、敦己が答える間もなく、繋いでいた手を離した。
 男の子の姿は、見る見る薄くなり、やがて消える。


 気がつくと、敦己は池の淵に座っていた。
 辺りには竹薮。
 意識が次第にはっきりしてくる。
 改めて自分の身体を見ると、どこも濡れてはいなかった。
 その時。
 ふと、先ほどの男の子の声が蘇った。

 『またボクをみつけてね』

「――もしかして!?」
 敦己は服を脱ぐと、池の中へと入る。
 水中は、かなり視界が悪かった。
 長身である敦己にとっては、それほど深い池ではない。足が付き、目が水面上に出るくらいだから、二メートルにも満たない。でも、小柄な男の子にとっては、相当な深さだっただろう。
 泥が沈殿している池底に、敦己は手を突っ込み、かき回す。
 どれくらいそうしていただろうか。
 指先に、何かが当たる感触を覚えた。
 敦己は慎重に、両手でそれを掬い上げる。
 そこにあったのは、ボロボロになった小さなスニーカーと、骨の欠片だった。


 敦己はその後、竹薮から一番近くにあった交番に駆け込み、事態を報告した。
 あの池には、警察の捜索が入り、他の部分の骨や、衣類なども発見されたという。
 敦己も、警察に事情を聞かれた。
 その時に聞いた話では、あの男の子は、三年前から行方不明になっていたらしい。
 男の子の両親にも、礼を述べられた。二人とも、酷くやつれて痛々しかった。


 そして、敦己はまた旅を再開する。
 あの男の子は、竹薮に迷い込んだ時、きっと心細かっただろう。
 池に誤って落ちた時、きっと怖かっただろう。
 大声で両親の名を叫び続けたかもしれない。
 それを思うと、胸が痛かった。
 それからずっと、あの池で、待ち続けていたのだ。
 誰かが、気づいてくれるのを。

「――俺も、楽しかったよ」
 あの時、男の子に言いそびれた言葉を、敦己は口に出す。
 それに応えるかのように、秋風が、そっと彼の茶色い髪を撫でた。