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<幻影学園奇譚・学園祭パーティノベル>


揺れ映ゆ時の一雫


 学園祭も残すところあと一日。
 祭りの盛り上がりは衰えることなく、疲れを知らぬ生徒たちの笑い声が校舎のなかにも絶え間なく響いている。しかし階段の踊り場を少し離れ、階下から聞こえてくる喧騒にしばし耳を傾ければ心寂しくもあるかな――そう思うのは、なんの“予感”だろうか。
「感傷かい?」
「……なんのだ」
 不意に背後から掛けられた言葉に、すぐに相手を察して藍原和馬は大袈裟に溜息を落とした。
「いや、どこか遠くを見ているような、そんな感じだったから」
 振り向けば、果たして同級生であるモーリス・ラジアルがゆるりと笑みを浮かべ和馬の瞳を覗き込んできた。少々苦手な相手だ、眼を逸らす。
 人々の話し声が、物音が、音楽が、波のように混ざり合い流れてゆく。
 ここは、校舎の六階だ。普段はこの階は通過して屋上へ向かうので、あまり馴染みのない場所だった。教室のドアの入口に掲げられた教室名を見れば、放送室、図書室、生徒会室と並ぶ。確かに和馬の利用する先はなかった。
「おや、喫茶店、ですか」
 モーリスが、図書室の扉に掛けられた出し物の名を見つけ、その名を読み上げた。
 本格英国喫茶店。
「本格……いいですね、美味しい紅茶を淹れることのできる方は少ないようで、少し残念に思っていたところです」
 言いながら、笑顔のまま和馬を見上げた。
「……なんだよ」
「入らないかい?」
「誰と」
「決まっているだろう。私とだよ」
「嫌だ」
「即答だね」
「なにが悲しくて野郎と茶ァしなきゃならねぇんだよ」
「なにも悲しくなくてもいいじゃないか」
 答えたが、無理に誘うつもりはないらしい。モーリスは防音処理の施された室の扉をカラリと開くと、和馬へ微笑を送った。
「じゃあ私はここに寄らせていただくよ。またね」
「ああ、またな」
 図書室へ消えたモーリスに適当に返事し、和馬は次なる行き先を考えて階段へ行きかけた。
 と、階下から昇ってきた見覚えのある顔に、反射的に六階の廊下へ戻る。教師だ。以前和馬をアルバイトの件で呼び出した相手である。できることなら顔を合わせたくなかった。学園祭の最中にまで説教はごめんだ――和馬は手近なドアに入り教師をやり過ごす。
「いらっしゃいませ、英国喫茶へようこそ」
 図書室だった。

「素直じゃないね」
 またね、と別れた後、数分も置かずに入室してきた和馬に、モーリスは意地悪く笑ってみせた。
「私と一緒に紅茶が飲みたかったのなら、素直に誘いを受ければ良かったのに」
「誰もお前と一緒したくて来たわけじゃない」
 無論そんなことは承知の上でモーリスは和馬をからかうのである。それに「すみません……」と心底申し訳なさそうにメニューを置きに来た女生徒が和馬へ詫びた。
「いや、アンタはいいんだ。……ああ、メニューか。ありがとう」
 慌ててメニューを受け取る和馬を、クヒヒヒッと甲高く笑う声がある。
 同席の女生徒だ。
 時刻はちょうど昼下がり、昼食を終えた生徒たちが食休みにかこの喫茶店を訪れていた。もともとゆとりとスペースの関係上、席数はそんなに多くはない。互いの了解を取って、和馬たちの席も相席となっていた。
 奇妙な笑い声に、ふと周囲の視線が集まる。
「あら、いけない。静かな雰囲気を壊さないようにしていましたのに」
 声の主はそう言って、両手を口の辺りへ遣った。
 言葉とは裏腹に、笑みに細められたその瞳にはどこか悪戯めいた光が宿る。指定のブレザーの制服を、長く切り揃えられた黒髪が揺れ彩った。図書室の窓辺の席で物憂げに窓を眺めていたその姿は落ち着いた美女、の様であったが、深窓のと形容するには些かその笑い声が惜しくもある。――先ほど、ウラ・フレンツヒェン、と名乗った。
「ウラさん……と言ったね。同じ三年かな」
 モーリスが気にすることもなく尋ねる。
「ええ、C組よ。おまえたちはA組ね」
「よく知っているね」
「銀髪の『総帥』とよく一緒にいるでしょう。この学園内では有名ですもの」
 ヒヒッとまた笑いウラは大きく首を傾げた。その視線の向こうではちょうど店員姿の生徒が紅茶を淹れているところだ。
「私、自分が紅茶を淹れる時の参考にしようと思って来店しましたの」
「へぇ、どうやらここは本当にきちんと淹れてくれるみたいだね。茶葉は勿論、ミルクやレモンも店員自身が選んだものを使っているようだし」
「ティーアクセサリーもとっても可愛らしくてよ。気に入ったわ」
 ウラはそう言って傍らに置かれたクリーマーの器を一撫でした。白磁のそれは等間隔に散らされた小さな薔薇の模様が確かに愛らしい品だ。ウラの前には既に淡いイエロー地のカップがあり、なかではアッサムのロイヤルミルクティーが揺れている。
「――なァ」
 和やかに紅茶談義に花を咲かせようとしていたモーリスとウラの間で、ずっとメニューと睨めっこしていた和馬が不意に声を上げた。
「なんだい? 注文は決まった?」
 尋ねたモーリスに、和馬はくるりとメニューを反して二人に内容が見えるようにした。
「紅茶ってどれだ?」
「……は?」
 モーリスは質問の意図が掴めず思わずそう問い返していた。
「いや、『Tea』と書かれてるところにあると思うンだが、どれが紅茶なのかサッパリ」
 和馬の言葉に、モーリスとウラは顔を見合わせ、そしてキヒヒヒヒッと一際高い笑い声がウラの咽喉から発せられた。
 モーリスの方も肩を震わせている。笑われているのだ。
「ア? なんだよ」
「……和馬さん、紅茶の種類を言ってごらん」
「種類? 紅茶は紅茶だろ? 種類なんかあんのか?」
 クヒッ、ヒヒッと引き攣れた笑い声が絶えず起こった。静かな雰囲気を壊さぬように、との心持ちは諦めたのだろうか。
「楽しいわね、おまえ。それならそこに書いてあるダージリン、アッサム、ニルギリにウバ! それらはなんだと思っているの?」
 口の両端を吊り上げてウラが言う。
 さすがに莫迦にされているのか、と和馬は思ったが素直に答えた。
「……そういう名前の茶」
 つまり和馬のなかでは、紅茶、緑茶、ダージリンはそれぞれ別のお茶カテゴリーに属するらしい。
「緑茶にも煎茶など、種類があるだろう? 紅茶もね、あるんだよ銘柄が」
 紅茶と一口に言っても文字通り水色を表した言葉だ。茶葉を低温でもって発酵、乾燥させ、それを煎じたものの総称なのである。
 ようやく笑みを収めたウラが、周囲のテーブルと店員へ向け「お騒がせしてごめんなさい」と優雅に一礼してみせた。黙っていれば、の典型である。謝られた生徒たちは、なんだか騙されたような気分になった。
「……でも普通は知らねぇだろうが」
 普通は、と拗ねたような口振りで繰り返し、和馬は同席の二人を見遣って――失言だった、と思った。
 首の後ろでひとつに纏めたやわらかに陽光を弾く金の髪に、透る翠色の瞳を持つモーリス・ラジアル。
 ウラ・フレンツヒェンは、東洋的とも取れる顔立ちだが、それでも日本人らしさはない。
 和馬の前に座る二人は、名前の通り紅茶文化に親しんだ者たちなのであった。
 考えてみれば、普段の様子は詳しく知らないが、この図書室も今は喫茶店として内装を変えているのだろう。丸い卓に敷かれたテーブルクロスの縁には細かな刺繍が施されており、六階ということもあって閉め切りの窓には白レースのカーテンが引かれている。
 どちらかというと、和馬の方がここでは浮いた存在だった。
「……モーリス、注文は任せた」
 ここはあまり頼りたくない相手だが、またなにかを言って笑われるのもごめんだ。
 モーリスはくすりと笑って了解すると、店員の女生徒を呼んで自分と和馬の分の紅茶とスイーツを注文した。
「私はディンブラをアイスティでいただけますか。スイーツにはスコーンを。こちらにはヌワラエリヤで……ああ、それと――」
 なにやらモーリスは小声で店員と話している。既に出てくる単語がひとつも分からなかった。
 ウラはモーリスの会話を聞いていたが、なにかを聞くとクヒッとまた例の笑い声を上げた。嫌な予感がした。

 ***

 校庭に多種多様な出し物があるのが見える。巨大、と言っても憚らぬほどに広い校庭だが、それも今日は窮屈なようで、窓から下方に視点を転じてみれば尚更のこと、斯様に離れていてもその賑やかさが伝ってくるようだ。
 ウラは喫茶スペースの横に――いや、本来ここは図書室であるが、ずらりと並んだ書架を覘きながら軽やかな足取りで過ぎってゆく。膝丈のスカートの裾で白のラインが躍った。それが、不意にぴたりと止まる。ウラはくるんと真後ろを振り返って、窓に背を預ける和馬と向き合う形になった。キヒヒッ。笑う。瞑目していた和馬はそれに目を開けた。ウラと眼が合うと、きょろきょろと周囲に視線を投げ、ふうと息を吐く。
「……どうした」
「おもしろそうなことをやっていますわ」
 ウラは答えて、すいっと広い図書室の右の壁側を指す。
 そこだけ薄紫と桃色のシルクの布が天井よりわたされていて、区切られた空間となっていた。そのなかに、ブレザーの制服の金髪の男の後姿が見える。モーリスだ。
「恋占いコーナー、ですわね」
「……こ、こい?」
 詰まった。
 普段からよく分からない男だと思っていたが、18歳の高校三年生が行く場所ではないような気がする。現にコーナーに座っているのはモーリスの他は皆女生徒だ。そのうちの一人と眼が合った。笑われた。
 その理由をすぐさま覚って和馬の眉が顰められた。
(さっきの――)
「フラワーティー?」
 和馬の考えを読んだかのようにウラがわざと小さな声で告げる。
 フラワーティー。
 それは先刻モーリスが、和馬の分にと注文した紅茶である。グラスに注がれたアイスティに、色鮮やかな花々が盛り付けられた一品だ。どうやらモーリスと知り合いだった喫茶店の店長――紅茶菓伝部の部長――に特別に作ってもらったものらしかった。
 体格のいい三年の男子生徒である和馬の前に置かれたお花の紅茶。言うまでもなく注目の的である。ちなみに花は食用花と聞いて、和馬は残さず食した。
 その様子を思い出したのか、ウラがクヒッと咽喉を震わせた。
「笑うなって。おかげで俺は『藍原先輩って意外とカワイイ趣味してるのね』なんて言われたんだぜ」
「気に入ったのなら、もう一杯頼んであげようか? 次はスライスしたイチゴとロゼワインを加えたストロベリーティーもいいかもしれないね?」
 言うまでもない。モーリスだ。
 ウラは「美味しそうね」とまんざらでもないコメントを差し込んでから、
「占いの結果は、どうだったのかしら?」
 恋占いスペースより戻ったモーリスへ尋ねた。
「そうだね。今日は幅広くいけそうだよ」
「幅広く?」
「まあ、よりどりみどりってことだね」
 なにが、とは勿論聞いてはいけない。
 和馬は高校なんだからワインはマズイだろ、と別のツッコミどころを指摘することによって聞かなかったことにした。
「私の用事は済んだけど、他にもなにか見てまわろうか?」
「ここ、他にもなにかやってんのか」
「そちらで古書市を催しているようですわ」
 行ってみます? とウラが首を傾ぐ。黒髪のひとすじがその片頬に懸かり、白い肌に影を落とした。

 図書室内で行われていた古書市はまさに量より質、といった品揃えで、希覯書に詳しいモーリスさえも感嘆するほどであった。展示としての意図もあるのだろう、装飾の凝った表紙の本がスペースにずらりと並んでいる様は壮観だ。
 図書室自体、伝記や文学全集から、漫画やアニメ雑誌、ライトノベルの最新刊まで揃えているとあって、古書市でも扱う本のジャンルは多岐にわたっている。
 和馬は何気なく、複雑な紋様や記号の描かれた書籍群の前で立ち止まった。なかには本の説明書きにと添えられたメモに「禁書」の文字が見えるものさえある。
「さすがになんでもあるんだな。魔術に呪術、神秘、妖術……」
 ふと。
 本のタイトルを読み上げていた和馬の口が止まる。
 呪術、と反芻して、そこに奇妙な違和感を覚えた。違和感。いや違う。むしろ親しく、懐かしいもののように思える。
 隣で和馬の手許を覗き込んでいたウラも、「魔術」と、周りの誰にも聴こえないほどの声音で囁いた。
 呪術に魔術。そのどちらも、高校生としての自分には関係のないものだというのに。
 高校生としての自分には。
 なんだ。
 この“違和感”はなんだ。
 この“既視感”はなんだ。
「……もう一杯、いただいてから行こうか。紅茶」
 唐突にモーリスが二人に声を掛けた。だがその言葉は、自分に言い聞かせたようにも聞こえた。
 和馬もウラもそれに同意して、空き始めた喫茶スペースのテーブルに揃って腰を下ろす。
 間もなく運ばれてきたカップのなか、明るい紅の水色にふと、和馬の映り込んだ学ランの黒が、スーツのものだと思えたのは何故、か。
 紅茶から湯気が昇る。
 あたたかい。まださめない。しかしいずれは――。

 幻影は、刹那。
 揺れる水面の裡に、融けた。


 <了>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / クラス】

【1533/藍原・和馬(あいはら・かずま)/男性/3年A組】
【2318/モーリス・ラジアル/男性/3年A組】
【3427/ウラ・フレンツヒェン/女性/3年C組】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの香守桐月です。
皆様和やかに紅茶を楽しむとのプレイングでしたので、祭りも終わりに近付くなかで休憩を、といった感じに書かせて頂きました。そして学園設定を少し匂わせてみたりと。
賑わいを窓の外に見て、いつもとは少々違ったメンバーとの小さなお茶会を楽しんで下されば嬉しいです。
この度はご依頼ありがとうございました。
またお逢いできる機会がございましたら、宜しくお願い致します。