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<幻影学園奇譚・学園祭パーティノベル>


ムラサキの糸


 未だに若い祭の熱は冷めやらない。
 時計は午後三時を示している。広い学園の敷地をまたにかけたクイズ大会も終盤に入り、いまは決勝戦が体育館で行われているようだ。
 図書室は格好のクイズ舞台となり、一時は人でごったがえしたが、すっかり静寂を取り戻していた。祭の熱に浮かされた生徒たちが、図書室の至るところに貼られた「お静かに」のポスターに従うはずもなかった。本棚から本は落ち、机の上にはゴミが散らばり、椅子があらぬ方向を向いている。
 静寂と本を愛する図書委員たちは、一様に溜息をついた。なかでも落胆の色が濃いのは、1年生にして「図書室のヌシ」と称される星間信人であった。
「やれやれ……大らかな理事長です……」
 とは言うものの、理事長の顔かたちはどういうわけかおぼろげで、思い出せそうにない。存在すらあやふやな理事長は、図書室での飲食すら許していたのだ。机や床の上に散らばり、ひどい場合には本を汚してさえいるゴミは、ほとんどが菓子袋やジュースの空き缶、食べ残しなのであった。
「さてと、どこから手をつけたものかわかりませんが、とりあえず、始めましょうか」
 1年生の信人がそう音頭をとって、図書室の後片付けは始まった。

 信人を含めた8人の真面目な図書委員によって黙々と作業は進み、ゴミがまず片付けられた頃、図書室に入ってきた生徒がふたりあった。信人はきらりと眼鏡を光らせ、出入り口に目を向けた。
 しかし、入ってきた二人がいわゆる「本の敵」のタイプではないことをみとめると、すぐに作業に戻った。
 ひとりは、3年生の九尾桐伯。普段からよく図書室を訪れ、化学関係の本を探している。信人の記憶が正しければ、桐伯の図書カードの欄は最近自然界の毒物について書かれた本のタイトルで埋まっていたはずだ。
 もうひとりは、2年生の光月羽澄であった。快活でいつもスケジュールを気にしている生徒だった。図書室には、そう頻繁に訪れるほうでもない。だが、良識ある少女だ。本や椅子を放り投げたり、むやみに騒いだりはしない。
 ふたりとも、居ても片付けの邪魔にはならないし――
「あ、ごめんなさい。もう片付けが始まってたのね……私でよければ、手伝うけど?」
「……おや、化学の棚がひどいことになっていますね。あの辺りに用事があるのですが、ついでに片付けてしまっても問題ありませんか?」
 そう、こうして親切に手を貸してもくれるたちだ。
 信人は積み上げた本と本の間から、静かな笑みをふたりに投げかけた。
「そうしていただけると助かります。何せ、広いもので……8人では、夜中までかかってしまいそうですから」

 どうやらクイズで化学や物理関係の問題が出たらしく、そういった科学関連の小難しい専門書が収められている棚が、いちばん被害が大きいようだった。静寂の中で、羽澄はてきぱきと動いた。勝手はわからないが、本のラベルにはちゃんと番号が振られているし、本棚にもそれに対応した番号シールが貼られている。シールやラベルはどれも頻繁に新しいものに換えているようだ。真面目な図書委員たちのおかげで、図書室には秩序があるようだった。
 物理の専門書を棚に戻しにきた羽澄は、脚立の上で腰を下ろし、片付けをしているはずがつい読書にうつつを抜かしてしまっている3年生を目の当たりにした。
「九尾先輩」
「……あ、失礼」
 腰に手を当てて見上げる羽澄は、慌てたように本を閉じる桐伯に、笑みを投げかけた。
「何読んでたんですか?」
 桐伯は笑みを返した。
「それは秘密です」
「やだな、教えてくれてもいいじゃないですか」
「はは。知らない方がいいことも、この世にはたくさんあるのですよ」
 肩をすくめる桐伯が何を熱心に読んでいたか、ついに羽澄が知ることはなかった。
 羽澄はそもそも、九尾桐伯のことを、よく知らない――知っているようで、何も知らない。奇妙なもどかしさがあった。それは、桐伯も同じだ。羽澄のみならず、あの星間信人にも、何か違和感や既視感を抱いてならない。
 桐伯は、ふと、いつも「妙に丈夫だから」と化学の実験台にしている同級の留学生を思い出した。彼にも、デジャ=ヴュを抱いている自分に気がつく。
 この学園には、奇妙な点がありすぎる。

 かさっ――

 羽澄と桐伯の目が、さっと動いた。
 何か、ひどくかすかな音がして、得体の知れないものが通ったような気がする。
「先輩、いま……」
「ネズミ、でしょうか」
 ふたりは顔を見合わせた。


 おや、と信人は我に返り、眼鏡を直して、着々と片付いていく図書室内を見回した。
 ひとり……ふたり……さんにん……。
 ふむ、と信人は顎に手を添えた。高校1年生らしからぬ仕草だ。
 それはともかくとして、図書委員の頭数がどうにも足りていない気がする。1年生がふたり、2年生が3人、3年生がひとり……。そうだ、3年生がふたりいたはずだ。消えたひとりは忘れることも難しい容貌の持ち主だった。足を引きずるようにして歩く男子生徒で、口と耳がばかに大きく、毛深かった。ひどい猫背でもあった。容姿は醜悪なものでも、わりと真面目で、この片付けにも私語ひとつ挟まず参加していたはずなのだが――。
 ――まあ、片付けを始めてもう2時間になりますか。息抜きも必要でしょう。
 よっ、と古書を数冊まとめて抱え上げ、勝手知る図書室の本の林に入り込み、信人は作業を続けた。
 信人が洋書コーナーに足を踏み入れたときだ、金切り声が図書室の静寂を裂いたのは。


 悲鳴を上げたのは、2年生の図書委員だ。彼女は卒倒した。その声は洋書コーナーのすぐ近くで上がったもので、はじめに駆けつけたのは信人だった。
「おや……なんと……」
 実は30分前から信人が探していた古書と、死体がその場に転がっていた。この図書室は本棚の林の奥にも机がある。広い図書室だからだろう。そこはまるで外界から隔離されているかのような静寂に満ち、実は、光月羽澄もよくそこに座っていた。彼女は、時折どうしようもないほどに静けさを求めたくなるのだ。いまこのときも、その理由で、彼女は図書室に来ていたのだった。
 ともあれ、死体だ。
 紀元前に死んだエジプトのミイラのように干からびていたが、着ている衣服には目立った傷もなく、確かに現代のもので――この、学園のものだった。奇妙な白い糸が身体中に絡みついてもいる。
「どうしました?」
 悲鳴に、桐伯と羽澄が駆けつけてきた。信人が見下ろしている死体を見て、ふたりは軽く息を呑んだが、それ以上驚かなかった。羽澄は失神した図書委員の傍らに、桐伯は死体の傍らに膝をついた。
「失礼……ちゃんともとに……戻しますからね……」
 どういうわけか、すぐに警察を呼ぶ気にはならない。
 奇妙な違和感の中で、桐伯はどこからともなく取り出した薄手のゴム手袋をはめ、糸をよけながら、死体の制服の胸ポケットを探った。
「おやおや」
「知人ですか」
「名前は今知りましたが、この人ですよ。星間さんもご存知でしょう」
 桐伯が取り出したものは生徒手帳だ。確かに、いまは見る影もないが、顔写真の生徒は信人がよく知るようで知らない人物だった。図書室の常連で、いつも奥の古書コーナーに入り浸っていた3年生だ。
「『書』をみつけ……戯れに呪文でも唱えましたか。いやはや、お若い」
「私たちは充分若いはずですが? 星間さん」
「ええ、確かに」
「ねえ、何か……いるわ」
 倒れた図書委員を介抱していた羽澄が、顔をこわばらせ、かすれた声を上げた。音を探りながら、彼女はポケットに手を入れ、中のものを握りしめる。
 かさり……かさり、
 確かに聞こえるようなあの音は、あらゆる方向から3人を見下ろしているようだった。
「糸は……紫」
 音を目で追いながら、桐伯は死体に絡みついた糸を摘み上げた。
 蜘蛛の糸のように伸縮性があるその糸は、鋼鉄のように頑強でさえあった。
「『そは深淵の橋掛けか』『否』『そは漆黒の紅か』『否』『さすればかの八本足は、濃緑の鱗にあらず、ただ紫の糸を手繰り、蜘蛛神に仕えし狩人なれば』――」
 死体の傍らに落ちていた本は、開かれたままだった。信人がそこに記されている文句をかさこそと呟く。
「では、現れたのは、凍てついた高原の蜘蛛なのですね」
 くつくつと含み笑いをすると、信人は眼鏡を直した。


 気絶した図書委員を抱えて書架群から出てみると、まだ片付けも中途の図書室には、誰の姿もなかった。そう言えば、悲鳴が上がったというのに、現場に駆けつけてきたのは4人だけだった。
 逃げたのか――逃げることもかなわなかったのか。
 かさり……かさり、
 ふと天井を見上げた羽澄が、あッと声を上げた。

 そこにはりついていたものは、死体なのか、気絶しただけの生徒なのか。紫がかった糸によって、天井に固定されている。消えてしまった図書委員たちだ。
 そして、眼が光り、はりつけられた餌たちの間から、どさりと巨大な蜘蛛が落ちてきた。

「夢の世界にしかいるはずのないものが――ここに?」
 桐伯が苦笑した。
「ここは、夢の世界なのだとでも?」
「夢から蜘蛛を呼びつけるとは、偶然にしても、偉業でしょう」
「……まだ、餌がほしいみたい」
 羽澄が睨みつける蜘蛛は、熊よりも大きい。だが、立てる音は狩人にふさわしく、ひどく小さかった。目の前にいるというのに、その8本の脚が立てるのは、かさり、かさりというかすかな音なのだ。
 いまはそのかさりという音のほかに、かちん、かちんという音が混じっていた。顎が開閉し、するどい毒牙がぶつかって、その忌まわしい音を立てているのだ。
 蜘蛛だというのに、大きな単眼がふたつあり、美しい宝玉のようにきらめいていた。
 ふと、羽澄は、その眼に映っている自分たち――桐伯と信人と自分の姿に、奇妙な違和感を抱いた。
 ――え?
 そうだ。自分が着ている制服が違う。桐伯も信人も、大人だ。蜘蛛の眼の中の3人は、神聖都学園の生徒ではな――
「光月さん!」
 桐伯が、羽澄を引き寄せた。蜘蛛が牙から毒液を滴らせながら飛びかかってきたのだ。蜘蛛は目測を失って本棚に激突した。蜘蛛には何のダメージもなく、ただ本棚が、轟音とともに倒れた。
「捕獲して生態を調べてみたいものですが――これ以上図書室を汚されてはかないません。始末しましょう」
「死体はいただいても?」
「解剖は専門外ですからねえ。どうぞ」
「……死体が残るようなやり方ですめばいいんだけど」
 しゅううっ、
 蜘蛛にその会話の意味は理解できたのか。
 毒蛇のような唸り声が上がり、蜘蛛は跳躍した。
「耳をふさいで!」

 !!――!!

 羽澄の口から発せられた音は、矢のように蜘蛛を貫いた。聴覚が優れた桐伯には、耳を塞いでもその音が聞こえた。蜘蛛は羽澄の目の前で失速し、どうと倒れた。
「糸ならば、こちらにもあるのですよ――」
 桐伯の袖口から飛び出したのは、きらりときらめく糸であり、意思持つもののように蜘蛛に絡みついた。
 たちまち身動きが取れなくなった蜘蛛の前に、信人が立つ。
 蜘蛛の頭に手をかざすと、彼は何事か呟いた。
 図書室の中の気圧が、きいんと変化し――ひどく局地的な突風が吹いて、蜘蛛の頭が吹き飛んだ。


「片付けるものが増えてしまいましたよ」
 やれやれ、と信人はぼやきながら、倒れた本棚を立て直し、落ちた本を地道に戻し始めた。羽澄は傍らの蜘蛛の死骸には目もくれず、蜘蛛の毒液や糸で汚れた床や机を拭きはじめていた。背が高い桐伯は、机の上に立ち、天井にはりついてしまった図書委員を救出している。図書委員たちは、気絶しているか死んでいるかのどちらかで、3人の蜘蛛退治劇は見ていないようだ。見ていないほうが賢明だっただろうが。
「夢の世界の糸ですか……煎じて飲ませてみましょうかねえ」
「誰にですか?」
「それは秘密です」
 いつの間にやら日は沈み、かすかに、歌と歓声が聞こえてくる。学園祭ももうフィナーレを迎えているようだ。おそらくは、恒例のファイアーストームが、黄昏の空を焦がしているのだろう。

 その喧騒とは無縁の図書室で、片付け作業は終わるまで続く。

 蜘蛛の脚が痙攣し、かさりと音を立てた。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0332/九尾・桐伯/男/27/3-A】
【0377/星間・信人/男/32/1-A】
【1282/光月・羽澄/女/18/2-A】


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               ライター通信
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 モロクっちです。学園祭パーティーノベル第2弾をお届けします。
 夢の世界! 凍てついた高原! デカい蜘蛛! いやあ、いいものです(こればっかり)。
 モロクっちは「クモを殺すと翌日雨が降る」という迷信を信じているのでクモは殺せません。
 しかし蜘蛛もいいものですねえ。今度はアトラク=ナクア様、出しましょうか(笑)?