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<東京怪談・PCゲームノベル>


鬼の日

 何やら怪しげな般若の面を眺めながら溜息をついたのは「わたくし屋」店主の狐洞キトラだった。
 やる気無さげにジャスミンティーなんぞを飲みながらのんびりと構えていた彼であったが、持ち込まれて買い取った品が怪しげな『気』を発していたのでは、普段のようにゆるゆるとしているだけでは解決にならない。
 ──が。
「…面倒なんですよねえ…」
 ぼそりと呟かれたそれが本音らしい。
「力も強くない、けれども何か念は感じる、でもその念は弱過ぎて何を伝えたいのかも不明瞭…。ここから考えて、凄くいい案があるんですけど…どうでしょ?」
 独り言なのか、それとも語りかけているのか良く解らない。
「これ、アナタが被ってみて、そっから先はどうなるか──ね、試してみません?」

「勿論試してみます」
 キトラの問いに瞳をキラキラとさせながら食いついたのは鬼丸鵺だった。
 あまりの素早い返答に面食らったキトラの側へ瞬時に歩み寄った鵺は、固まっているキトラの手をがっしと握り瞳を煌めかせている。
「…えーと」
「中に何かいるんだったらそのお手伝いになりますよねっ。鵺にやらせてくれませんか。んで、最終的にはこのお面買い取ったりしたいんだけど、構わなかったり…しません?」
「鵺サンと仰るんですか。別に買い取りは構わないんですけど──」
 キトラは苦労しながら鵺に握られた手を外すと、彼女の赤色の瞳を見遣る。
「何かヘンなもの飼ってらっしゃいます? 動物じゃなくて…中に」
 とんとんと自身の胸を叩いてみせたキトラに、持参していたらしい飴玉を口に放り込んだ鵺は元気良く応の返答を返す。
「夜叉もいるし鬼婆もいるし、あ、清姫もいるねっ。凄いなあ、すぐに分かるってコトは店主さんも異能者?」
「ええ、まあ…異能者って言えばそうですかね。ちなみにキトラって云います。…ふむ、しかしそうですか、般若の類いが得意分野で? そうでしたら押さえられるかもですが…」
「押さえるなら得意分野だよ〜。鵺が被ればその誰かを引きずり出して、中に吸収できちゃうと思うし、吸収しちゃえばあとは鵺の中の妖怪達が適当にシメて消去すると思うし、名無しにでも遭遇しちゃえば力ずくで問題解決だし」
 名無しって何の事でしょうか。キトラはそう思いながらも、ふんふんと鵺のマシンガントークに相槌を打つ。
「要するに、」
「そう! 鵺にそのお面を自由にする権利を下さい! もし手持ちのお金で足りないようだったら、暫くココでお手伝いとかするからさー!」
「なんかそうなるとお手伝い決定っぽいですけど、生憎お手伝のいるお店じゃないですから気にしないで良いですよ。ほら」
 ぺらりと面を裏返したキトラに促されて、面の裏側に貼られた値段シールを見た鵺は固まった。口元が妙な笑みの形に歪んでいる。
 一応、これお面としても高級なものなんですヨ。キトラはそう言って気の抜けた笑みを漏らすと、鵺に面を手渡す。
「まあ、どうなるか見てみたいですから、良いですよ。財布の中身全部で勘弁してあげます」
「キ、キトラさんも鬼だよ……帰るのに必要な金額までは渡せないからね?」
 分かってますって。再度笑ったキトラを恨めしそうに眺めた鵺は、再度まじまじと受け取った面を見つめた。般若と云えばそうなのだが、確かに念が非常に弱い。これなら押さえつけるまでもない、被った瞬間に消してしまおう──。鵺は心中で含み笑いをすると、力を込める意味合いで一つ深い息を吸う。そうして仮面を自らの顔に近付けた──。
 刹那、熱風の刃が辺りに弾けた。
 彼方此方で何か割れる音。
 間一髪で避けた二人に傷は無い。
 だが──。
「…あれ?」
 二人に挟まれて威嚇の唸りを上げるのは、炎を纏う狐だった。
 瞬間的にキトラが腰元の刀に手をかける。
 鵺もまた瞬時に判断し、炎に対抗するだろう水を宿した妖怪、赤舌の仮面を取り出す。
「鵺サンっ」
「分かってる!」
 しかし狐が先に動いた。
 店の隣にはぽっかりとした空き地があり、狐はそこ目掛けて店内の窓を突き破る。ガラスが砕ける音が辺りに舞い、それと同時に降り注いだ破片が鵺の手を微かに傷つけた。飛び込むようにして逃げた狐を追い、まず鵺が窓へ飛び込んで外に躍り出る。
 鵺は小さく舌を打った。
 ──抵抗された!
 一瞬にして自らの中に、面に宿る何かを吸収してしまおうと思っていた。だからこそ面に宿っていた──狐にそれを悟られたのだ。延々と眠っていたという事は、力こそ無くとも身を守る術を身につけたと云う事だ。
 事実、鵺が仮面を自らに当てる瞬間まで、狐の力は弱いままだった。鵺の力が強いからこそ、無理矢理狐を呼び起こしてしまったのだろう。共振とは予想していなかった。
 鵺に続いたキトラが狐を見据える。炎を纏った狐は、ちりちりとした緊張感に身を焼いてこちらを睨みつけている。
「子狐ですね。どう処理しますか──」
 暗に尋ねているのだ。
 あれをもう一度面に封じて、自らのものとするのかどうか。
 鵺は唇を噛む。
「言うコト聞きそうにないしいらない。──殺すよッ!」
 水の妖の仮面を被った鵺と、薄い笑みを浮かべたキトラが跳んだ。
 千草が低く散る。
 狐は一足飛びに跳ねた二人目掛けて炎を打ち込む。弾丸の如く鋭いものではあるが、瞬間的に突き出された鵺の手のひらを中心として、円形に水滴が広がる。相殺されたそれによって辺りに熱風が吹き荒れ、キトラは帽子を押さえた。
 ──なるほど。
 手出しの必要は無さそうだ。
 彼女が面を顔に押し当てた瞬間から違和感を感じていたが、どうやらキトラが見ている少女は、鵺であって鵺ではないのだろう。見覚えのある妖怪の面は、人間の諍いを恨む心根の優しい妖のものであり、後々の危険も無い筈だ。キトラは刀を収める。
「──お手並み、拝見といきましょ」
 鵺の体を借りた水の妖は、大気が含む水分を操り華麗に舞っている。
 恐らく、声は届かない。


 狐の高い咆哮が空き地へと響いた。
 纏う炎の威力は数分前とは違い、眼に見えて衰えている。鵺の──否、水の妖が操る水の刃に傷つけられた傷からは、微かに炎が揺れる血液が流れ出ていた。
 妖怪とは云え子狐なのだ。力量の差は明らかだろうに、それが理解出来ない。それ故に傷ついても引く様子も見せず、目前の敵へと向かっていく。
 まるでそれが誇りだと云わんばかりに。
 水の妖は、既に足に力が入らず逃げる事も出来ない狐の前へと立ち塞がる。
 しかし。
 妖は狐を静かな面の瞳で見下ろしたまま動きを止めている。──狐は、瞳に憎悪を光らせながら妖を睨んでいる。
 ぴくりと妖が動く。
 脳裏に鵺の声が舞った。
 ──それ、いらないよ。
 ──殺して。
「……ア…」
 妖は体をゆるゆると揺すった。
 たった今まで、狐の炎との攻防を行っていたような俊敏かつ優美な動きはまったく見られなかった。
 事を眺めていたキトラは目を細める。
 ──どしたの? 赤舌。
 脳裏には声。
 目の前の狐は、妖を睨む。
 ──殺して!
「…ァア、ゥ、……ウ…!」
 唸るように声を絞り出す妖は、確かに脳裏の鵺の声に反対していた。狼狽えるように、狐に翳していた手のひらを引いて自らの頭に押し当てる。
 体を揺さぶるような、首を振るような、しかし、狐を殺す事に対しての確かな否定。──狐は眼前の敵の違和感に気付いたのだろう。瞳からは憎悪が消え、代わるように疑問が映る。だが──。
 ──そんな狐いらないよ!
 ──早く殺して!
 叫びが空を裂いた。
 悲痛なそれと共に、妖の手のひらは自らよりも強い意志に突き動かされ狐へと向けられる。大気が悲鳴を上げる。
 その瞬間。
 一筋走った黒の軌道が妖の動きを奪った。
「──もういいでしょう、鵺サン。やるならアナタが止めを刺しなさい」
 面の端へと脇差しを投げつけたキトラが静かに言った。留め具を破壊された妖の面は、鵺の顔から剥がれ落ちる。
 ふっと水の気配が失われ、後に残ったのは──怒りの念。
 舌打ち。
 面を擦って空へと跳ねた脇差しを、片手で確りと捕えた鵺が狐に向かって跳躍した。
「なんで抵抗すんのさっ!」
 狐の瞳には、ただ驚愕と恐怖が映るのみだった。


 水を多く吸った空き地の草は、狐の前で歩みを止めたキトラの足下で冷たく爆ぜた。
 鵺の手によって絶命に至った狐の腹には、投げた脇差しが深々と刺さっている。鵺は珍しく面白く無さそうに唇を尖らせ、キトラが狐の腹から脇差しを抜くのを眺めていた。
「やれやれ…大丈夫ですか、鵺サン」
「だいじょばないよ。あー、腹立つなあ! さっさと殺してくれればこんなにならないで済んだのにッ」
 そう言って、鵺は自らの服装を示す。
 狐の最期の抵抗だった。
 放たれた炎が擦ったのだ、着ていたスカートが微かに焦げている。
 鵺は不機嫌に一つ息を吐くと、地面に落ちた妖の面を拾い上げ、ぱたぱたと汚れを払った。
「もー…いっつも、ああなんだからなあ、赤舌」
「…そうなんですか?」
「そう! 鵺が中から殺してって言っても、中々やろうとしてくれないんだよね。どうしてだろ、殺しちゃえばさっさと片付くのにさあ」
 キトラが苦笑する。
 と、──小さく何かが爆ぜる音が響く。
 二人の目線が注いだ場には、命を失った狐が、自然の理に倣うかのように燃え、消えていく様があった。開いたままの目は閉じられる事もなく光を失っている。
 やがて狐の全てが炎に包まれると、ただの消し炭になった小さなものが空き地へと転がった。まるで何も無かったかのように。
 まあいいや。不意にそう云った鵺にキトラが視線を向ける。
「お面、これで売ってもらえるんだよねっ!」
「ああ、ええ…売りますよ。お約束ですし。──でも、」
 ちょいちょいと指を指した方向に鵺が振り向く。
「あ」
「どうやら、お手伝いも宜しくお願いしたい状況になりましたねえ…」
 窓ガラスの散乱した建物の横外観。
 それだけでも酷いものだが、云われてみれば確かに、あの狐が現れた際の熱風で、店の中も大変な事になっているのではないだろうか。
「…鵺のせいなの?」
「いや、別に鵺サンの所為って訳でもないですけど。──云いましたでしょ、お金足りないならお手伝いもするって」
「……言ったっけ?」
「ええ。売りますから手伝って下さいね」
 言葉質は確り取ってありますよん。口元を引き上げたキトラに、がっくりと項垂れる鵺。
 未だに水を含んでいる草、空気。
 手に持たれたままの水の妖の面が泣いているのに、鵺はきっと気付かなかった。


 了


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【登場人物】
 - PC // 2414 // 鬼丸・鵺 // 女性 // 13歳 // 中学生 //...
 - NPC // 狐洞・キトラ // 骨董屋店主 //...