＜東京怪談ウェブゲーム　アンティークショップ・レン＞ 　『失われた時。』 　空は一面、グレーの厚い雲で覆われ、まだ昼を過ぎたばかりだというのにも関わらず、辺りを薄闇に包んでいる。 　太陽が己の存在を必死で主張しても、それはただ、重い天の色をグラデーションさせているだけに過ぎなかった。 「ひと雨来そうだねぇ……」 　碧摩蓮は、窓の外をぼんやりと眺めながら、独り、呟く。 　吹き付けてきた強い風に、窓枠がカタカタと音を立てた。 （うーん……どうしよっかな……） 　数日前、差出人の名もないまま届けられた小包。 　蓮は、様々な物を、様々な場所から気まぐれに仕入れてくるが、それがどういう曰くつきの物だか知っていて買っている。時折、今回のように突然差出人不明の品物が届くことはあっても、彼女は関わらないようにしていた。 　だが、今度ばかりは気になって仕方がない。 　今までの物とは違い、差出人の名はないのだが、分類の部分にだけには、書き殴ったような文字が残されていたからだ。 　『おもいとどまれ』と。 　蓮は煙管をふかしながら、店の中をゆっくり一周した後、自分に言い聞かせるように、明るく言葉を発する。 「まぁ、どうせ店もヒマだし、いっか……開けちゃえ」 　小包の中身は、古びた懐中時計だった。 　元々は、銀色に輝いていたであろうと思われるそれは、鈍色に変色していた。だが、胴体にはアールヌーヴォー調の精緻な彫刻が施され、蓋を開けてみると、文字盤の出来も見事なものだった。 （中々のモンじゃないか……） 　蓮は、思わずしげしげとそれを眺めた。裏返すと、ネジ穴が開いている。手巻き用のネジも付属していたので、彼女は、好奇心から、巻いてみる事にした。 （動くかな……？） 　その時。 　雷鳴が轟き、雨が降り出した。 　大粒の雫たちは、まるでノックをするかのように、窓を、ドアを、壁を叩く。 「やっぱ降って来たか……」 　蓮が呟いた時には、時計のネジも巻き終えていた。 　暫しの間、文字盤をじっと見つめる蓮。 　やがて、彼女の期待に応えるかのように、緩やかな曲線を描いた針が動き出した。 　その途端。 　辺りから、一切の音が消える。 　あれほど喧しく鳴り響いていた雷の音や、雨音も聞こえない。 　不思議に思った蓮が窓辺に近寄ると―― 　周囲の景色は、文字通り止まっていた。 　窓に当たって跳ね返った雨粒も、空を飛んでいる小鳥も、そのままの姿で。 「あちゃー……警告に従うべきだったか……」 　その時、店の扉を激しくノックする音が聞こえた。 「ふふん……ナイスタイミングだね」 　■　■　■ （畜生！雨かよ……） 　フェンドは、突然の土砂降りに、つい舌打ちをした。 　そういえば、天気予報でも、今日は午後から、にわか雨が降ると言っていたのだが、フェンドは傘を持ってくるのが面倒だったので、そのまま歩いて来たのだ。 　濁流ともいえる雨が、フェンドの全身を濡らす。アスファルトに跳ね返った雫で、ズボンの裾も汚れてしまったが、もう仕方がないと彼は諦めた。 　フェンドは、『アンティークショップ・レン』の店主、碧摩蓮に呼び出され、そこへと向かう途中だった。 　『アンティークショップ・レン』は、何処とも知れない場所にある、何やら特別な人間だけが辿り着けるという不思議な場所で、そこで、曰く付きの商品を多数扱っているという怪しげな店だ。 　だが、怪しげといえば、フェンドも同類である。 　天寿を全うした人が亡くなる寸前に、ほんの少し残した魂から、風鈴を創り出すことが出来るという特殊能力を活かし、毎年、螢が飛ぶ時期に店を開き、風鈴の音を聞かせる奇妙な風鈴屋。 　彼の店は、都市伝説のように人々に噂され、『螢の風鈴屋』と呼ばれていた。 　蓮とも、怪しげな店同士の、怪しげな繋がりで知り合った。 　類は友を呼ぶ、というやつである。 　色黒の肌にも、掛けているサングラスにも水滴を張り付かせながら、彼が道を急いでいると―― 　突然、辺りの音が止んだ。 　フェンドは、不思議に思い、周囲を見回してみる。そして、その光景に思わず息を呑んだ。 　全てのものが『止まって』いた。 　降りしきる雨も、車道を走る車も、突風に煽られていた木の葉も―― 　ただ、人間だけは動いていた。 　道行く人々も、状況が飲み込めないまま、呆然としている。 （嫌な予感がするな――） 　明らかに、通常の事態ではない。 　フェンドは、更に歩みを速めた。 　気がつくと、ひとつの建物の前に辿り着いていた。 　一見、普通の民家のようにも見えるが、『アンティークショップ・レン』と申し訳程度の看板が掛かっている。 　フェンドは、蓮がこの時間を指定したのだから、居るのは分かっていたが、とりあえず店のドアをノックした。外見は怖そうに見えるが、意外と几帳面なところがあるのだ。 　だが、奇妙な現象と、『嫌な予感』が手伝って、つい、手に力がこもってしまう。 「――はいよ」 　暫くノックをし続けると、中から艶やかなチャイナドレスを着た、店主の蓮が登場する。 「ああ、あんたか――ちょうどいい時に来てくれたね。まぁ、はいんなよ」 　彼女は、片手に煙を上げ続ける煙管を持ちながら、フェンドの姿を見ると、ニヤリ、笑みを浮かべた。 　フェンドが店内に入った途端、テーブルに無造作に置いてある、ひとつの古ぼけた懐中時計が目に入った。 　――奇妙な、音がする。 「おい、イカレ骨董屋。お前が時を止めたな？――そいつの仕業か？」 　時計を顎で示しながら言うフェンドに、蓮は眉を顰める。 「風鈴屋。ウチは、『骨董屋』じゃなくて、『アンティークショップ』だよ」 「そんなこたぁ、どうでもいいだろうが！とっとと時を戻さないと、何らかの形で反動が来るぞ」 　フェンドの言葉にに、蓮は煙管を吹かしながら答える。 「だからさぁ、これでも一応困ってんの。何とかしておくれ」 「――ったく無責任だな、骨董屋。とりあえず、詳しい話を聞かせろ」 　それを聞き、蓮はフェンドに向かい、煙を吹きかけた。 「だ・か・ら、ウチは『アンティークショップ』だっつーの」 　変なところにこだわりを持つ蓮である。 「――と、言うわけ」 　懐中時計が置いてある、店内の小さなテーブルを挟んで座り、フェンドに対し、蓮は、今までの経緯を語る。 　それを聞き、フェンドは大きく溜息をついた。 「――ホント、ロクでもねぇことすんな……」 　フェンドの呆れたような口調に、蓮は悪びれた素振りは微塵も見せない。 「だってさ、気になったから。それに、やっちゃったもんは仕方ないよ」 　彼女は、他人事のようにさらりと言う。 　それを聞き、フェンドは蓮への説教を諦め、問題の懐中時計へと目をやった。それを手に取り、耳に当ててみる。 「――この御仁、まさか死んでねぇよな。おかしな『音』がしやがる」 「あたしはそんなこと知らないよ」 　あくまで素っ気無い蓮。 （『おもいとどまれ』……どういう意味だ？わざわざ伝票に書いてきたってことは、それなりの意味があるはずだ……） 　暫し考えた後、フェンドは蓮に問う。 「――蓮、差出人の心当たりは？」 「分かんない。あたしんとこ、色んなもん送られてくるし、正規のルート通ってないモノもあるからさ」 　蓮の答えに、また少しの間、考え込むフェンド。 「――よし、とりあえず、差出人の居場所を突き止めてみっか。蛇の道は蛇ってヤツだ。何とかなる」 　フェンドの言葉に、蓮は色っぽいともいえる笑顔を見せ、こう言った。 「頼りにしてるよ、フェン。例の件は、また今度でいいからさ」 　差出人の住所を調べ上げるのは、それほど難しいことではなかった。 　新宿の繁華街から離れ、細い裏通りを幾つもくぐり抜けた場所に、そこはあった。 　何しろ、街中がパニック状態だったため、辿り着くのには、随分と苦労したが。 　小さな、時計店。 　閉められたガラス戸を開けて中へと入ると、そこには、一人の老人が居た。 　そして、彼は―― 　動いていなかった。 　そこら中の人間が――人間だけが動き回ることの出来ている今の世界で、彼だけが、蝋人形のように固まっている。 　フェンドは、すぐさま老人の『音』を確かめた。 　彼は、あらゆるものの動きを音として感知し、心臓の音なども聞くことが出来る能力を持っている。 　老人の心臓は動いては居ない。 　だが、死んでいる訳でもない。魂が肉体を離れていないからだ。 　その時。 　フェンドの持っていた時計の『音』に、微かな変化があった。 （やっぱ、こっちが鍵か……） 　フェンドは、念入りに時計を調べ始める。 　すると、今まで時計にこびりついた汚れのため気がつかなかったが、薄っすらとローマ字で文字が刻んであるのが分かった。 （何だ……名前か……？） 　フェンドは、それに特別な意味があるように感じ、思わずその言葉を口にした。 　その瞬間。 　時計から淡い光が発せられ、その上に、長い黒髪をゆるやかに垂らし、和服を着た女性の姿が幽かに現れた。 　二十代後半くらいだろうか。その女性は、物憂げな表情で、フェンドに訴える。 『お願いです……私を、あの人の傍に……』 　フェンドは無言で頷くと、時計を持ち直し、老人の許へと近づいた。 　小さな女性の姿が、ふわりと動いたかと思うと、老人の中へと吸い込まれていく。 　月光のように柔らかな光が、老人を包み込んだ。 　そして、彼の時間は動き出した。 　それと同時に、辺りに音が戻って来た。 「やはり……帰ってきてしまったか……」 　老人は、疲れたような表情で、語り始める。 「――儂の家は、代々時計職人をやっていた。儂も、例に漏れず、時計職人の道を歩んだ。そして……儂は、ある時、自分の能力に気づいた」 　そこで老人は、大きな溜息をついた。 「その能力とは……『想い』を時計に封じ込めることが出来る、というものだった。お客さんには大層喜ばれたよ。自分だけの大切な想いが詰められた時計を手に出来るのだから」 　暫しの間を置き、老人は続ける。 「儂には、その昔、婚約者が居た。恐らく、あんたも見ただろう。彼女だ。でも、彼女は――」 　そこで老人は言葉を切り、虚空へと視線を向けた。 　フェンドは、彼の次の言葉を待つ。 「――彼女は、車に撥ねられて死んだ。儂が、あの時、引き止めさえしなければ……儂が彼女を殺したようなもんだ」 　老人の声が、嗚咽混じりになる。 　瞳からは、一筋の涙が零れ落ち、彼の乾いた皮膚を濡らす。 「……だから……だから儂は、全身全霊を込めて、彼女に贈る筈だった時計に、その時の記憶を全て封じ込めた……でも、忘れられなかった」 　フェンドは、神妙な顔つきで、老人の話を聴き続ける。 「もう……あの時の記憶と生きるのは堪えられなくなった……だから、匿名で、小包をあの店に送り付けた……でも、どこかで期待していたんだな。あんたみたいに、気づいてくれる人が居ることを……それで、伝票につい、『おもいとどまれ』と書いてしまった」 　それまで口を開かずに居たフェンドだったが、気づいた時には、哀れな老人に、言葉をかけていた。 「……ご老体、こんなこと、俺が言えることではないのかもしれません……でも、どうか自分を責めないで下さい。もう、充分じゃないですか。彼女の思い出と共に、生きていって下さい」 　フェンドは、普段はぶっきらぼうな口調だが、目上の人には敬語を使う。 　フェンドの言葉に、老人は、哀しげに微笑んだ。 「……あんたの言う通りだ……儂は、彼女の思い出から逃げてはいけなかった。全て、受け入れなければいけなかったんだ」 　そうして、涙を流し続ける老人と、フェンドは暫くの間話し続けた。 「この時計……あんた、もらってくれないか？」 　フェンドがそろそろ、店を後にしようとした頃、老人がそう言った。 「いや……でも……」 　遠慮をするフェンドに、老人は幾分晴れやかになった顔で微笑む。 「儂には、彼女との思い出がある。彼女と共に生きていく。この時計から、儂の想いは全て引き出された……儂にはもう不要のものだ。もし、あんたが嫌でなければ、今日の記念に、受け取って欲しい」 　フェンドはそれを聞き、少し逡巡した後、答えた。 「そういうことなら……ありがたく頂きます」 　新宿の繁華街は、また日常を取り戻していた。 　まるで、何事もなかったかのように、人々は行き交い、自動車は走り、鳩が地面に落ちた食べ物をついばんでいる。 　気がつけば、雨も既に上がっていた。 　時は、流れていく。 　そして、あの老人の『時』も、ようやく動き出したのだ。 　彼女の、思い出と共に。 □■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ ■　　　登場人物（この物語に登場した人物の一覧）　　■ □■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ 【3608／セイ・フェンド（せい・ふぇんど）／男性／652歳／風鈴屋】 □■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ ■　　　　　　　　　ライター通信　　　　　　　　　　■ □■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ 初めまして。今回は、発注ありがとうございます！新人ライターの鴇家楽士（ときうちがくし）です。 一人のみのノベル描写をご希望でしたので、そうさせて頂きました。 ゲームノベル初挑戦だったのですが、お楽しみ頂けたでしょうか？ きちんとゲーム性が出ていたのか、非常に不安です…… これからも、ボチボチやっていきたいと思いますので、ご縁がありましたら、また宜しくお願い致します。 それでは、読んで下さってありがとうございました！