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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


  『夜に踊る鱗粉』

 月はまだ円には遠いが、闇に滲むなだらかな曲線は優しい。明るすぎず、だが淋しすぎず。
 自己否定が激しく対人恐怖症でもあるその少年は、こんな月が好きだった。サッシ枠しかない裸の窓から、楕円の月が覗いている。少年は、肘にサッシの跡が残るのも厭わず、頬づえをつく。そして、深く被ったフードを微かにずらして夜を見上げた。
 都内と言ってもかなり外れ。河口に近いこのあたりの街は、大きくもない工場と豪邸では無い住宅が立ち並んでいる。少年・・・幻・−(まぼろし・−)は、そんな街のさびれた一角のビルを住処としていた。
 ビルと呼んでいいものだろうか。確かに外観は完成し、壁は塗装され扉もきちんと閉まるようにはなっている。だが、2階より上の窓にガラスは無く、内装も断熱材やパイプなどが剥き出しだ。工事が中断されたものを格安で買い取ったのだ。
 一応、電気ガス水道も通っている。照明器具を購入して繋げばきちんと明かりは灯るはずだし、ガスレンジを持ってさえいれば、調理だって出来るはずだ。ただ、ここには何も無い。
 幻は、床に直接寝袋を敷いて寝ていた。今の季節では中で暖を取る必要は無く、敷布団代りだ。タイル張り前の床は、建材メーカーの青いロゴが柄のように斜めに規則正しく走っている。そのロゴにぽたりと蝋が垂れた。数本の百目蝋燭の炎が、暗い部屋の中で山吹に揺れている。
 遠く虫の音(ね)が聞こえた。こんな半端な時間に目が覚めてしまったのは、物音がしたからだ。もちろん鈴虫の涼し気な音色のせいでは無い。何か、禍々しい出来事を予見させるような、不快で凶暴で戦慄するような音。眠気の誘惑に絡め捕られる幻を、一気に目覚めへと断ち切るほどの。
 月から、室内へと目を凝らす。サッシの横、剥き出しの断熱材に刺さるモノを見とがめ、幻は眉をひそめた。その切先は黄色いクッションに侵入し、垂直に姿勢を保っている。伊賀流風車型手裏剣。
 見ると、壁には、複数の手裏剣と苦無が突き刺さっていた。苦無というのは忍者の投げナイフのようなものだ。
『目が覚めたのは、これのせいか・・・』
 幻には、同居人がいる。伊賀のくの一で、夜切・陽炎(やぎり・かげろう)という。伊賀ものなので腕は確かだが、やはり『普通の18歳の女の子』の部分も持っているようだ。
「きゃぁぁぁっでござる!いやぁぁぁんでござる!」
 悲鳴と手裏剣とを同時に投げ放った。
 ハズレ。
 十字は虚しく壁に刺さる。灰色のヤママユ蛾が、あざ笑うようにひら〜と飛び立った。蝋燭の明かりに鱗粉が散った。
 陽炎は、蛾が苦手なのだ。

 蛾は、再び壁に停まる。陽炎の悲鳴は非常階段の入口付近からだった。たぶん蛾の様子を隠れて窺っているのだ。蛾も心得たもので、陽炎の場所からは約10メートル離れた壁に着地した。十字型の手裏剣は空気抵抗が大きい。遠いと的に深く刺さらないので、殺傷能力は低い。実戦での暗殺ではトリカブトの毒を塗って使用する。この距離で、陽炎が蛾の胴体を壁に捕え、標本に出来る確率は低い。
 仮に標本に出来たとすると。
 鱗翅目ヤママユガ科。これはたぶん『クスサン(樟蚕)』だろうか。秋の初めに登場する蛾である。ヤママユ蛾の種類は押し並べてデカい。クスサンも開張時10センチ〜15センチある。ヤママユ蛾は、怪獣映画のあの蛾のモデルとも言われている。
 前後の羽が重なり全体が台形に見え、灰色と言っても、黄味掛かって、枯葉色という表現に近い。ふっくらしたボディはふさふさと体毛を蓄え、触覚も櫛状の線が葉脈のように伸びた太いものだ。全体にずんぐりした印象の蛾である。
 夏の終わりに、よく窓などに張り付いている、そう、アレだ。
 羽には丸い目のような紋様があり、鳥などの捕食動物を怖がらす為のものだという。捕食するつもりは毛頭無い陽炎が、それを怖がっている。「目みたいで気持ち悪いでござる!」と。
 幻は思う。
『“目”は、気持ち悪いものでは無いのでは?』
 単に蛾が気持ち悪いのだろう?
「きゃあ、こっちを見たでござる!」
 今度は苦無が飛んで来て、壁に刺さった。掠りもしなかったので、蛾はそのままそこに居すわった。
「幻殿!何とかして欲しいでござる!」
 声が泣きそうである。

 陽炎の存在とは何なのだろう?
 倒れていた彼女を助け、宿と食べ物を提供し看病した、あの自分でも理由付けのできない行動。
 忍者である彼女は、幻に心を許しているわけでもないと思うし、人嫌いの幻も同じだった。彼女は幻の前でも忍び装束と口布の装備を解くことは無く、彼も、マフラーをぐるりと巻いてで無いと陽炎と話せない。
「任せて下さい」
 幻は、懐のベレッタM92FSを抜いた。
 だが、陽炎があんな声で頼むのを、無下に断るつもりも無かった。

「そこだ!」
 弾が断熱材にめり込む。だが、それは蛾の羽を傷つけたに過ぎなかった。
 クスサンは、欠けた枯葉のような羽をはばたかせながら、窓から逃げて行った。
 ガラス無しの窓枠から下を覗く。ビルの前の道は桜並木があり、横に街灯が並んでいる。蛾は、近くの街灯に向かったようだ。
 幻は、蛾を殺さずに済んでほっとした。『外見が不気味』という理由で抹消されるとしたら、夏でもフードとマフラー姿という自分は、真っ先に消されるだろう。しかも『能力の残滓』という、ヒトで無い存在は、不気味以外の何者でも無い。
 まだ桜の葉の色づく季節では無かった。生気が薄いものの、辛うじて並木は緑色をしている。初夏には、ヤママユ蛾の幼虫のいい餌になっているのだろう。
「とりあえず、追い払いましたよ」
 幻は、非常口へと報告した。恐る恐る、陽炎が姿を現した。
 いつもは真っ直ぐな黒髪があちこち跳ねて乱れているのは、幻が寝ている間に蛾と格闘した証だろう。
 くっきりした瞳が、怖い想いをしたせいかさらに瞳孔が開いて、アンティーク人形の目になっている。クスサンの眼状紋に負けない不気味さだが、そんなことを告げたら苦無を投げつけられそうだ。
「かたじけないでござる」
 陽炎の礼に、幻は笑みを返す。フードとマフラーで、彼女には見えるはずもないが。

 だが、相手は蛾。和むのは早かった。今度は、窓から二匹で突入してきたのだ。
「ぎゃぁぁぁでござるぅぅぅぅ!」
 陽炎が、悲鳴と共に手裏剣を乱れ投げした。完全に理性を失い、狙いなど定めていない。銀の十字はあちこちの壁や天井に突き刺さる。
「うわっ!」
 一本は幻の鼻先を掠めた。
 陽炎には、普段は便利だが、こういう時にはいたって危険な『無限創造』というチカラがある。武器を念で指先に出現させてしまえるのだ。だから、半狂乱のこの乱れ投げが、手持ちの手裏剣が尽きたら終わる、ということは無い。
 一羽は、羽が切れているのでさっきのクスサンのようだ。幻が参戦したのを知って、むこうも援軍を頼んだのか?確かに、人間2人(しかも武器無限の忍者と腕のいいガンナー)VS『蛾が一匹』では、少し不公平だ。
 参入者は、同じ色合いで似た眼状紋があるが、羽の形が蝶に似て幾分スリムだ。雌のクスサンらしい。
 蛾のカップルは、壁に止まらず、天井を旋回している。それが、陽炎の武器が四方八方に飛び散る原因にもなっていた。もうこれは手に終えない。銃で蛾を狙うどころじゃなかった。幻は、手裏剣をよける為に床に腹這いになった。
『部屋に、家具が無くてよかった』
 箪笥やテーブルに武器が刺さり、鏡は割れ、サイドボードのガラスは飛び散り、テレビは破壊され、ソファからはクッション材が飛び出し、本棚は倒壊し、すべてのモノが床にぶち撒かれる。幻は、容易にその惨状を思い浮かべることができた。
 幸い、壊れるものは無い。剥き出しの壁や天井には、幾本もパイプが走っているだけで、倒壊する家具も割れて飛び散る照明も皆無だった。パイプは、水道管とガス管だろうか。電気の配線らしきものも走っている。
『わっ!』
 伏していた幻は、飛び上がった。床に突き刺さったのは、『鎌』だった。先端が床にのめり込み、刃が幻の頬の横で上弦の月のように光を放っていた。
 造り出せるのは苦無と手裏剣だけでは無いのか?確かに『大きさ』も自由自在という話は聞いたことがあったが。いや、手持ちの武器を投げただけかもしれない(だから安心、というわけでも無いが・・・)。
 ゆっくり見上げる。天井からツララのように下がる武器たち。卍手裏剣やら棒手裏剣やら甲賀型やら千本やら。もう流派も目茶苦茶である。かなり錯乱しているようだ。
『やれやれ』
 まずは陽炎を落ち着かせなければ、幻も蛾の退治にかかれそうにない。彼女の居場所を確認する為、辺りを見回した。
 嫌なものが目に入った。苦無が、しっかり、力強く、細いパイプに刺さっている。パイプは、灰色で、子供の手首ほどの太さだろうか。・・・ガス管だった。
 昆虫は、哺乳類より危険察知能力が高いと言われる。二匹の蛾は、するりと窓の外へと出て行った。
 投げものの攻撃が止んだ。
 振り向くと、陽炎はほっとして床にへたり込んだところだった。
「やっと追い出したでござる・・・」
『いや、今のは、追い出したのでは無くて・・・』
 動物は、知能の高いものほど察知能力が低下して行く。だが、霊長類の幻にも充分感知できた。百目蝋燭の炎はまだ健在なのだ。
「脱出しますよ。窓から飛び出せますか?」
「・・・?」
「ガスが洩れているようです」
「!!」
 その瞬間の、陽炎の動きは、今までの失態を払拭して余りあるものだった。幻の肩を抱いて、閃光の速さで外へと飛んだ。そしてその飛翔距離も、蛾を追い越したほどだ。
 二人が桜並木のはずれに着地した途端、背後のビルが爆発した。

* * * * * *
 後日、瓦礫の上に立つ二つの姿があった。ロープは張りめぐらされていたが、もう警察や消防関係者は消えていた。回りに誰もいないのを確認して、幻と陽炎はここを訪れた。
 ビル付近に住居が無かった為に、怪我人や建物崩壊などの被害は無かった。ただし、ビルの前の桜は何本か幹から折れて倒壊した。
「桜が消えれば、ここにはもうクスサンは出没しないと思いますが・・・。新しい塒を探した方が賢明でしょうね」
 崩壊したコンクリートのカケラの山に佇み、幻がぽつりと言った。喋ると、口に巻いたマフラーも一緒に動いた。
 陽炎は俯いた。
「申し訳ないでござる。何と謝ったらいいのでござろう」
「いえ、あなたが飛んで逃げてくれなければ、僕は爆風に巻き込まれていましたから。元々、配管が剥き出しの建物というのが危険過ぎたのです。今度は、きちんとしたところを探しますよ」
 ヤママユ蛾の幼虫は樹木の葉を食い尽くすほどの大食だが、成虫は口が無い。彼らは、語らない。言葉にしない。鳴くことも無い。嘆きも哀しみも歓喜も、感謝も怒声も笑い声も、彼らの口から洩れることは無い。
 銀の粉を撒きながら、明かりに向かって並んで飛び続ける。
「拙者、まだご一緒させてもらえるのでござるか?」
「蛾が侵入しないよう、窓がきちんと閉まる建物にしましょうね」
 マフラーで隠した唇と、口布で覆われた唇。彼らも言葉の少ない者たちだった。この二人の口無しも、何も語らず、ただ寄り添って飛んで行くのだろうか。
 月は十四夜ほどで、もう欠けは見つけられない。柔らかい丸みが、明るく二人を包み込んでいた。

< END >