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ティータイムに尻尾は如何?
澄んだ空気と水の気配。
都内にあるにもかかわらずその屋敷は清浄な気配で包まれている。
深呼吸を一度。
スッと肺に入ってくる空気は心地よい。
「ここであっておる筈なのだがのう……?」
呟きながら焔樹が見上げたのは予想外に大きなお屋敷。
かの財団の総帥の自宅。
この家の主とは依頼で顔を合わせた中で話が合い、その時『よろしかったらぜひ』とお茶に誘われた事があったのだ。
それ故焔樹も空いている日を聞き、約束を取り付けてやってきたのだが……。
「申し訳ございません」
どうやらタイミングが悪かったようだ。
案内された客室で待つ事暫し。
解ったのはあいにくと緊急のご用時が入ったらしく遅れるとの事。
「申し訳ありませんとお伝えするように伝言を承っております」
「そうか、それは仕方ないからのう」
仕事柄多忙なのが解らない訳ではない。
性格を考えれば出れなかった事に大して申し訳なさそうにしているのだとも想像出来た。
「どうかしましたか?」
顔を出したのは金髪に緑の目を持った男性……モーリスが焔樹を見てニコリと微笑む。
「お主か……」
見知った顔の登場にフッと焔樹が笑みを浮かべた。
人見知りなどと大層なものではないが、始めて会う相手よりは知っている相手の方が良いに決まっている。
「いらっしゃいませ、焔樹さん」
「うむ、お主も元気そうだのう。色々と話を耳にするぞ」
「ありがとうございます、色々な方にそう言われるんですよ」
色々な意味に取れる言葉を放つ焔樹に、サラリとそれに応えるモーリス。
二人揃って大人であるからこその会話だ。
「今日はどうなさったのですか?」
「うむ、茶の約束をしていたのだがの……タイミングが悪かったようだ」
「なるほど……」
時計を見上げ、なにかを確認したようにモーリス。
「確かに難しい所ですね」
帰れるか、帰れないかが判断が付かない時間帯なのだろう。
「ずいぶんと多忙の様だの」
「総帥をしてらっしゃる方ですから」
それすら誇らしげに微笑むモーリスに、僅かに考えてから。
「また日を改めて来るとしようか」
何も急ぐ事なんて無い。
落ち着ける時にゆっくり話せばいいのだと考えた焔樹をモーリスが呼び止める。
「忙しいのですか?」
「時間はそうでもないのだがの……」
それに関しては有り余っているのだから問題ない。
「でしたら私と一緒にお茶をしませんか?」
「……ほう?」
「お屋敷に着ていただいたのに、お茶も出さずに帰っていただく訳には行きませんから」
その言葉だけでも頷いていただろうが、何か面白そうな事を考えついた表情をしていた事に興味が引かれたのも確か。
「では……そうさせて貰おうかの。お主ともゆっくり話をするのも面白そうだ」
「私もです。それではお茶のよういをさせますので、ごゆっくり」
主人が不在のままに、ティータイムは始まった。
場所を変え、大きな窓から庭が良く見渡せるのだという部屋へと通され、紅茶とお茶菓子でもてなしを受ける。
「綺麗なものだの」
「褒めに預かり光栄です」
聞けばこの庭を任されているのはモーリスであるという。
細部にまで念入りに手入れの行き届いた木々は、見ている者を和ませる。
「良い庭だ、上を思い出す」
「上? ああ、そうでしたね」
焔樹が特殊な経歴の持ち主である事はモーリスも多少なりとも目にして、聞き及んでいる事。
神に仕えし空弧の身。
地上が忘れられずにこうして降りてきては色々な場所を見て回っている。
刻々と移り変わりの激しい場所にあって、尚も地上で上を想像させるような穏やかな場所があるのには驚かされた。
ティーカップを口へと運び、入れ立てのお茶を楽しんでいるとモーリスの視線に気付く。
「どうしたのだ?」
「申し訳ありません、少し思った事がありまして」
クスクスと楽しげな物言いでは気になると言うもの。
「随分と含みのある事だ」
「些細な事なんですが、失礼に当たらないかと思いまして」
「構わぬ、このままのほうが気になる」
「では……あなたの狐の姿が見てみたいと思いまして」
「ほう?」
ティーカップを皿に戻し、テーブルの上に置く。
「最近少しばかり気持ちの良さそうな毛並みに目がないもので」
「なるほどのう」
まあいいかと頷く焔樹。
「よかろう」
スッと席を立ち、外の姿から本来の姿へと変化する。
音もなく揺れる尻尾がフワリと洗われた。
髪の色と同じ少し濃い目の青銀の……毛並みの良い、柔らかそうな5本の尻尾。
「これはお美しい」
「褒めても何も出ぬぞ?」
冗談めいた口調にモーリスがもう一つだけという。
「なんじゃ?」
「出来るなら、触ってみたいなと」
フワフワと暖かそうで、揺れ動く尻尾を見て興味が湧いたのか……最初からこれが目的だったのか。
少し考えてから、まあいいかと頷く焔樹。
多少ばかり触られた所で減りはしまい。
「特別だぞ」
「ありがとうございます」
立ったままでは何だと椅子に腰掛け、隣に座ったモーリスが一本の尻尾を手に取りそっと撫でる。
くすぐったさを感じる物の扱われるものの、大切に扱われるのならば悪くはない。
「これは撫で甲斐がありますね」
「お主も好きだの」
「そうでしょうか?」
次第に撫でるだけでは飽きたらずほおずりまで楽しそうにしている辺り、到底否定は出来るはずもないのだが……それでもはっきりと言われると帰ってきたのは苦笑だった。
「まあ構わぬが……っと!」
紅茶を飲もうとしていた手を慌てて止める。
これまで毛並みにそって撫でていた手が突然逆に動き、毛並みを見出すように逆立てられた事に不覚にも背中が泡だった。
「お主……」
もう少し早くティーカップを手に取っていたら、バランスを崩し中身をこぼしていたかも知れない所だったのである。
呆れたように焔樹が半眼の眼差しを向けるとモーリスが楽しそうに笑う。
「驚かせてしまいましたか?」
「………あまり乱雑に扱ってくれるなよ」
ここでうなずくのも負かされたようで悔しい、焔樹も目を細めて笑い何ら変わらぬ口調で告げた。
「もちろん心得ております」
乱れた毛並みを撫でて元通りに直しながら、抱き寄せた尻尾を口へと含む。
「何を……!?」
感じるのは口内の暖かさと、尻尾を辿る舌の動き。
毛並みを越えて直接触れる舌先や、態とらしく毛を逆撫でる手……あつまさえ軽く歯を立てられて刺激されては愛でるの域を超えて、秘め事を連想させるような行動だとしか思えない。
「ここが弱点でしたか?」
「やってくれるのう」
「色々試してみたくて、つい」
「言ってくれる」
他の尻尾を動かし、さわりとモーリスの頬を撫でて触れる。
まるで挑発するように。
「良いですね、尻尾は」
「ずいぶんと気にいられた様子だ」
「ええ、もちろん好きですよ……尻尾」
頬に触れた尻尾を撫で、そちらにも口付け毛ツウッと舌を這わせ始めた。
「焔樹さんは、こうされるのお嫌いですか?」
挑戦的とも取れる言葉に返すのは同じ意味を含んだ視線。
「悪くはないの……」
否定的とも取れる言葉ながら、その口調は楽しげで聞かせた相手ははっきりと意図をくみ取ったようだった。
屋敷を後にしようと席を立ったのは夕刻になってから。
「ごちそうになったの」
「いいえ、こちらこそ楽しかったです」
結局は屋敷の主は不在のままだったが、有意義な時間を過ごせたと言っても良い。
「主によろしくと伝えて置いてくれるか?」
「畏まりました。それとこれは私からのお願いです」
「………ほう」
「よろしければ、また尻尾にゆっくりと触らせていただいても?」
何かと思えば……悪くないと笑みを返す。
「気が向いたらで良いのならな」
「楽しみにしてます」
外まで送り届けられ、屋敷を後にする。
こんなひとときがあっても良い。
時刻は夕刻。
ずいぶんと長いお茶の時間は、日暮れと共に終わりを告げた。
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