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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


薔薇色のかけら


「おッ、居るんじゃん」
 あるアパートを見上げ、めざす一室に明かりが燈っているのを、藍原和馬はしかと確認した。アポは取っていないが、「彼女」が部屋に居るときは大概大した用事をもっていないときである。卒論やバイトといった用件があれば、外で何事も済ませる女だ。家で卒論をすすめようとしても、色々誘惑が多すぎて遅々として進まないのだという。本腰を入れて卒論に挑むときは、大学か、ネットカフェに行くようになったそうだ。
 和馬は彼女の、いろいろなことを知っていた。
 彼女、藤井葛の、呆れるほどに色々なことを。
 ――でも、まだまだ何も知らねェのさ。
 そう、そして彼は、自分のことを何も彼女に教えていない。
 パンパンに中身が詰まったスーパーのビニール袋を持ち替えて、和馬はアパートに入っていった。

「おーい、おーい」
 かすかに聞こえる聞き覚えのある声。
「おーい、おーい」
 壊れたレコードプレイヤーの上で回るレコードか。
「おーい、おーい」
「あー、うるさい!」
 がん、と勢いよく葛は玄関ドアを開けた。ひでぶ、と低い悲鳴が聞こえた。どうやらドアスコープにがぶり寄って、男は「おーい」と呼びかけ続けていたらしいのだ。
「痛エ! やべエ! 目が見えなくなった!」
「薄いドアなんだから1回呼べば聞こえるよ! あァたの声はやたらとデカいんだしさ」
 翠の目をすがめ、ん、と葛は訝った。
 和馬の足元に、膨らんだスーパーのビニール袋があるのをみとめたのだ。中身は散乱していた。ビニール袋ふたつに分けて詰めたらいいものを、この男はまた力任せに詰め込んできたらしい。
 和馬は葛の視線に気がついて、顔面の痛みをこらえながら、食材が詰まった袋を葛に押しつけた。かなりの重さだ。葛はよろめいた。
「これ、やるよ。今日は稼ぎがよかったんだ」
「いいの? こんなに……」
「俺も食うから、妥当な量だろ」
「ああ、納得」
「ていうか、いいか、上がっても?」
「ああ、いいよ」
 ちょうど、米を炊こうとしていたところだった。


 和馬は部屋に上がりこみ、きょときょとと広くはない一室を見回した。電源が入ったパソコンのモニタには、和馬もよく行くサイトがブラウズされている。MMO情報交換サイトだ。古いプリンタが、そのページをガコガコと印刷している。
 ベッドの上には、ビーズクッションが投げ出されていた。ニュースを垂れ流しているテレビはおそらく、何時間も前からつけっぱなしなのだろう。
「あのチビ助は?」
「興信所。仕事が終わったら電話してくるはずだから、迎えに行くよ」
「ちゃっちゃと終わる依頼だったらいいんだがねえ」
「大丈夫。なんか、花だか草だかが関係してる依頼だから、あいつの得意分野だし」
「おお、なら安心だ」
「てかさ、なにこれ」
 袋の中身をすべて取り出して、葛はしかめっ面になった。
 50円引きのシールが貼られた牛ハラミ。
 100円引きのシールが貼られた牛カルビ。
 50円引きのシールが貼られたつくね串。
 『北海道の味』印のジンギスカン。
 牛ハラミ。青ネギ、豚トロ。砂肝、ハーフカットキャベツ。
「……肉ばっか。何かい、オオカミの血でも混じってんの?」
 冗談まじりの皮肉に、和馬は思わずぎくりとした。黒スーツの下の背中をいやな汗が伝う。
「どど、どっちかってえとライオンの方がカッコいいなア。百獣の王!」
「は? ……野菜も食べないで肉ばっかり食べてたら、口内炎ができるよ」
「だ、大丈夫だって。今夜は気にすんな。たまたま今日は肉が安くて、野菜が高かったんだ」
「ま、最近野菜は確かに高いけど」
「そ、そうだろ」
「ホットプレート出して」
「ホッ」
「なにいまの、ギャグ?」
「ちがァう!」
 和馬の激昂はさらりと流された。葛はいつもよりも多めに米を出し、慣れた手つきでとぎ始めていた。その手元とうなじにちらちらと視線を送りながら、和馬はキッチンの収納からホットプレートを出し、テーブルの上に置いた。すでに見慣れた箱の中に、見慣れたホットプレートが入っている。
「ごはんは早炊きにして……と。って、もう肉焼いてる?!」
「おお、なんと芳しい香り――なんで叩く?!」
「ごはん炊き上がるまで待ちなよ! 30分でできるから!」
「がるるる!」
「おあずけ!」
「……きゅーん、くぅーん、ひゅぅーん」
「……ちょっと、凄いリアルなものまねだね、それ」
「……」
 黙りこむ和馬を尻目に、葛は着々と焼肉の準備をととのえていった。冷蔵庫の奥にあった玉ネギを切り、キャベツを洗ってざく切りし、青ネギも適当な大きさに切ると、かごの中にどさりと放り込んだ。それでも、肉の量に比べて、野菜はひどく少なかった。
「こりゃ明日口内炎ができる……」
「なんでおまえ、そんなに口内炎おそれてんだ?」
「痛いじゃないか!」
「まあ……うん」
 テレビがひときわ大きなジングルを流した。どうやらニュースはいつの間にか終わっていて、葛も和馬も特に毎週見ているわけではない番組が始まっていたようだった。ゴールデンにはよくあるタイプのバラエティだ。コーナーが変わって、視聴者の恋愛相談に経験豊かな芸能人たちがお答えしているらしい。

・わたしは大学2年の女性です
・付き合って1年とちょっとのカレが、こっそり合コン行ってたらしいんです
・でもわたしのためにバイトしてお金貯めてプレゼント買ってくれたりするし
・どうなんでしょう? カレはわたしに本気じゃないんでしょうか?

「ふっ……」
 腕を組んだ和馬がニヒルな笑みを浮かべ、目を閉じ、髭も生えていない顎を撫でた。
「酷なようだがカレはきみにマジであるし、けしてマジでもないのだよ」
 ……というような答えを、高名な芸能人もいままさに言っている。ほお、と葛は感心して、相変わらずニヒルに笑っている和馬に目をくれた。
「男というのはそんなものさ……」
「よくわかんない生き物だね、男は」
「男のみならず女も含め、人間はわかりやすいようでわかりづらく、だからこそ哲学や倫理学というものがあり、いまだに精神メカニズムのすべてが解明されていないのだよ」
「で、誰の受け売り?」
「これは俺の持ち論!」
「年寄りみたい」
「むうう」

・オレは高校3年なんスけど
・同じクラスのとある子が好きです
・オレ自慢じゃないけど成績学年トップクラスでー
・彼女はまあまあなんすけど
・やっぱ大学同じとこ受けるべきっスかねー?

「やめとけやめとけ若人」
「また年寄りみたいに……。つうか、この男学年トップなんて嘘じゃないの? この喋り方、和馬より頭悪そ――」
「なんだと!」
「ごめん、訂正。この喋り方、かなり頭悪そうだよ」
「でも一途だ」

 ・親とセンセーはワセダ行けって
 ・でもオレ、ワセダのどの学部にも興味ないス
・オレが興味あるのは
・彼女の好みとか……
・彼女の夢とか、なんです

「そそ、何にも見えなくなるときがある……他には何もいらないって思うこともある」

 炊飯器が、炊き上がりを知らせる。
 葛は黙ってキッチンに戻り、かごの中の野菜と、炊飯器をテレビの前のテーブルに運んだ。

 ・ワセダはずっと東京にあるだろうけど
 ・彼女は、この高校を出て、希望の大学に入って、そこ卒業したら――
 ・その先、どこに行くかわからない
 ・彼女の未来を、ずっと見ていたい
 ・できれば、すぐそばで

「ま、とりあえず、告白だな!」
 和馬が言い放った2秒後、高名な芸能人がまったく同じことを言った。
「その情熱を出し惜しみしなけりゃ、きっと想いは伝わるはずだ!」
「……そうかな」
「そうとも」
「その気持ち、よくわからない――」

 じゅうじゅうと肉が焼けている。
 あふれ出す肉汁がキャベツと絡み合い、カルビのタレを玉ネギが吸っていく。
「その彼女が、俺とおんなじような人間だったら、あの頭悪そうな男、どうするんだろ」
 唾液を誘う芳しい香り。白米から上がる白い湯気、灰色を帯びた肉の湯気。
 まだ、興信所から電話は来ない。
「俺には、何もわからない」
「……葛?」
 呆気にとられた和馬の視界を、翠がかすめた。
 どさっ、とまだ火が完全に通ったかどうかもあやしいキャベツと玉ネギが、和馬の皿にうずたかく積み上げられた。
「お、おい――」
 葛は和馬に目もくれない。
 彼女は黙ってテレビのチャンネルを変えた。そうして、鼻で深く吐息をついた。何かに思いを馳せる彼女の瞳を覗きこんで、すぐに和馬は目をそらした。視界には、充分に焼けた肉が入った。
「……さ、食うか」
「ああ、そうだな」
 和馬は皿の上の野菜を無視し、プレートの上の肉に箸をのばす。

 電話が、かかってきた。




<了>