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カナシキユメ
闇夜の森の中、たどたどしい足使いで走る少女が居た。
夜の気配に怯えつつ、少女はひたすらに走る。
と、少女の視線の先に、広場が見えた。巨木が倒れた後に出来たのであろうそこへ駆け込むと、少女は周囲を見回した。
「待っていたぞ」
重く響く男の声。少女の振り向いた先に、魁偉な印象の青年が居た。少女の顔が一気にほころぶ。青年に駆け寄ると、その胸に飛び込んだ。
「見つかってはいないか?」
「大丈夫です、里の者は祭事にとりかかっていると思っているでしょう」
少女の頭を撫でつつ放たれた青年の問いに、少女は悪戯っ子のような微笑を浮べて応える。
「我と汝は会えぬが定め。気をつけなくてはならん」
「でも、貴方に逢いたくて」
少女は青年の胸から顔を上げて、上目遣いの視線を向ける。その心配そうな視線に、青年は微笑を向けた。
「なに、ばれたとしても、我は負けん」
「戦いは、嫌です」
少女の表情が厳しくなった。その視線は、青年の頭に向けられている。その頭から生える、二本の角に。
青年は、人と相容れぬ鬼の一族、それも、長であった。対する少女にも、鬼に逢えぬ事情がある。
「汝、まだ巫女を続けるか」
「里の者にとって、巫女という存在は必要なのです、必要とされている間は、私は巫女を辞められません」
少女の職は、吉凶を占い、魔を退ける巫女である。鬼の長と会ったならば、滅さなければいけない、それが常なのだが――。
「貴方は普通の魔ではない。魔とは違う“心”を持っている」
「どうだろうな」
少女と青年の出会いは、森の中で迷った少女が、青年に助けられたことから始まる。
その鬼らしくない行為と、誇り高き眼に、少女は惹かれた。
それから少女が、里の人間の目を盗んで、青年に会いに来ている。
最初は嫌がっていた青年も、少女の純真に惹かれ、最近はこちらから呼び出すこともあった。
「闇の人」
「ん?」
「そろそろ、本当の名を教えてくれませんか?」
「……いや」
首を横に振った青年を見て、少女の表情が曇る。最初に会った時から、青年は己の名を隠していた。そして、少女にも決して名乗らせない。それが、魔と人の境界を守る術だ、と青年は言う。しかし、少女はそれが悲しくてたまらなかった。
フクロウの声に、少女が身を竦める。青年が、その肩を優しくさすり、すっ、と空を指差す。
「あ」
指に沿って見上げた空には、満月が輝いていた。その青白き姿に、少女の目から涙がこぼれる。
「汝、何故涙する」
「綺麗で、そして、悲しいから」
少女の頬を伝う涙を、青年がそっとすくった。指に付いた涙をぺろりと舐めると、少女に微笑を向ける。
「悲しいとは、こういう味なのか」
「闇の人は、悲しくなったことがないのですか?」
「鬼族に弱い心は不要」
力強い言葉で応える青年に、少女は少し悲しげな視線を向ける。
と、少女が何かに気づいて視線を巡らせた。直後、青年の体から離れて、背後に立つ。
トンッ。
「巫女!」
青年が叫ぶ前で、少女の胸に矢が突き刺さった。飛んで来た方向を見れば、男が弓を構えている。
「くっ……大丈夫か?」
武人を追おうと思ったが、地面に倒れ込んだ少女が心配になった。少女を抱き起こし、矢を抜き放つ、が、少女の息は細くなっている。
「巫女よ」
当たり所が悪かったのか、少女の意識は朦朧とし、素人目にも助からないと分る。しかし、青年は呼びかけ続ける。少女が返事を返してくれることを信じて。
「――闇の人」
「巫女!」
かすれた少女の声に、青年は耳をそばだてる。少女の口が、苦しげに動いた。
「さようなら」
「巫女!」
青年の叫びに、もう少女は応えない。だらり、と手が垂れ下がった。
少女は死んだ。その事実が分ってくるにつれ、青年の心に虚しさが広がる。
そして同時に、少女を殺した里の人間への怒りが湧き上がってきた。
「我、許さずッ!」
少女を抱いたまま、青年は月に吼えた。
「いざ、往けッ!」
オォォォォォォォォォ!
青年の合図と共に、配下の鬼たちが、一斉に走り出した。
これで、里は跡形もなく消されるだろう。たとえ、武人が一人二人いたとしても、この数では勝てない。
「これでよいのだろう、巫女よ」
命を絶たれた仇はこれで返せる。しかし、青年の心には、少女を失ったのとはまた別の空虚が出来ていた。
――戦いは、嫌です。
少女の言葉がよみがえる。確かに少女は戦を嫌っていた。しかし、仇を返すためには、戦わなくてはならない。
「……否ッ!」
仇など返さなくてよかったのではないか、その思いを語気で打ち消した。鬼は弱い心をもってはいけない。鬼は鬼らしく、強く生きなければいけない。
なのに、この心の虚しさは何なのだろう。戦って、破壊し、そして、何が残る。
何をしても、少女は決して帰ってこない。
「――ウォォォォォォォ!」
鬼たちを励ますように、否、自らを鼓舞するように、青年は天に吼える。その瞬間、注意が逸れた。
トスッ。
「ぐっ」
鬼の胸に、矢が一本突き刺さる。見れば、里の砦から、あの武人が矢を放っていた。
こんな矢、何のことはない、と掴んだ途端、体に激痛が走る。
「ぐあっ」
どうやら、魔避けの矢らしい。強靭を誇る鬼の体も、魔避けがされていれば紙も同然。
動けない青年の体に、二本、三本と矢が突き刺さっていく。
「ぐぅぅ」
矢は、的確に体の急所を貫いていた。いかに鬼といえども、もう長くはないだろう。
「巫女よ、これが報いか」
戦いは、戦いしか生み出さない。簡単で、しかしそれでいて人間さえも気づかないその事実を知って、青年の口に苦笑が浮かんだ。
痛みに霞む目を瞑る。浮かんだのは、少女の顔。少女の小さな唇が動いた。
――来世で逢いましょう。
声はなかったが、青年にはそう見えた。幻想だと分っていても、青年は肯く。
ヒュン。
風切音と共に、青年の意識は途絶えた。
「店長代理、大丈夫っすか?」
「――ん、あぁ」
いつの間に居眠りしていたのか、イツルははっと目を覚ます。バイト店員が、心配そうにこちらを見ていた。
「俺、いつまで寝てた?」
「いや、数分ぐらいっすね」
店長としての仕事は結構辛い。気づかぬうちに疲労が溜まっていたのか、と溜息をついた。
「あ、店長」
バイト店員がイツルの頬を指差す。手を当てると、水の気配があった。
「悲しい夢でも見てたんっすか?」
「いや――お前は、転生って信じる?」
「さぁ、どうでしょうね」
曖昧な返事を残して去って行くバイト店員を目で追いつつ、イツルは考える。
自分は転生した、だから、巫女も必ずこの世に居る。
そして、今度こそ、幸せに逢える。
硬く信じるイツルの目から、一粒だけ、涙が流れ落ちた。
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