コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


妖刀『紅刻』 二の刻 -真意-

【オープニング】

 アンティークショップ・レン保管室。
 その立ち並ぶ保管庫の一つの前に碧摩・蓮は佇んでいた。

 以前、一般人に憑依を繰り返しながら連続斬殺事件を起こした妖刀『紅刻』(べにきざみ)。
 異能の力を持つ者達の協力によって回収されたその刀を、更に厳重に、蓮は保管した。
 強い封呪符の貼られた荒縄と御神酒、魔除けの塩。しかし。

 それでも『紅刻』は消えた。
 いや、それだけではない。
 毎夜、封印を破り逃げ出しながら、朝には元の場所に―――戻ってきているのだ。
(意図が、読めない)
 蓮の眉間に深い皺が浮かぶ。
 また人を斬っているのか。 しかしどのメディアを仔細に調べても、蓮は『紅刻』が起こしたと思われる殺人事件を見つけることはできなかった。
 ともかくいつの間にか戻って来ているとはいえ、この刀の行動を放置することはできない、 その真意を確かめなければ。
小さく舌打ちしながら、蓮は受話器を手に取った。



1.

 魔狼の動体視力。
 すさまじい速度で――彼女の視線が文字の海の平面を、目まぐるしく縦横に駆ける。そして読み取っていく。
「特になし、か」
 一息つき、半獣化して爛々と光る黒い目を元に戻すと、彼女はその新聞を横に置き、マグを手に取ってコーヒーを一口飲んだ。こくん、と飲み干す音と同時に、陶器のように滑らかな白い喉が、首輪「グレイプニル」の下で愛らしく上下する。
 『紅刻』があの店から逃げ出し始めた期日から何か異変がないかどうか、取り寄せさせた地方新聞も含めて雨柳・凪砂(うりゅう・なぎさ)は各面の記事をひたすら追っていた。しかしこれといったものを見つけることはできない。新しいほうからチェックしていった新聞はとうに山になり、残りはあの刀が毎夜々々逃亡、帰還を繰り返すようになった前日のものだけだ。
(もっとも手がかりがありそうな部分ではあるけれど――)
 マグを置くと、最後の新聞の山に彼女は手を伸ばした。残る最後の淡い期待感を失望に早々と変えても仕方ないと思ったのか、今度は能力をつかわずにゆっくりと読み進む。
 世の中は平和なのか、少なくとも新聞などのメディアにのって発信されることのない「事件」が日々この東京では起きていることを凪砂は知っていたが、ともかく。記者がネタに飢えた末にどこかからやっと探してきたような、小さな犯罪やのんびりした話題の記事で紙面は大方埋まっている。
 やはり手がかりなしか、と思い始めた凪砂の眼に、ごく小さな見出しが飛び込んできた。
『移築工事中の蔵付近から白骨の遺体』
 その短い記事を読み進む内に、凪砂には記事と刀の外出には相関関係があるのではないかと思われてきた。あの刀の霊的な匂いの中に、この記事と確かに結びつきそうな何かが含まれていたように思える。ただ、確証は何もなかった。
(まだ蓮さんに報告する段階にはないけれど、この記事……)
 チェックを全て終えた新聞を横に押しやり、残ったコーヒーを飲み干すと彼女は気分を切り替え、出かける準備を始めた。
 しかし意識のどこかで、記事はずっと凪砂の中でひっかかったまま記憶の縁にある。忘却の闇へ落ちていく気配を見せなかった。


2.

  夕刻、無人のアンティークショップ。
 密封された保管庫の中で、“それ”は目覚めた。
 せめて物理的な危険度を下げようと碧摩・蓮によって頑丈な拵えは外され、御神木から切り出された白木の鞘に身を包んでいる。
 しかし。
(時間……)
 呪符の一枚がいとも簡単に弾け飛ぶ。
(あの男……)
 また一枚。そしてもとより闇に満たされたその箱の中に、更に異質にして純粋な黒い粒子が集まりはじめる。
(行かなければ)
 御塩を供えた陶皿に音も無くヒビがはいり、静かに砕ける。最後の呪符が飛び、保管庫内壁に叩きつけられ息絶えたように力なく滑り落ちる。
 自らに施された全ての封印を軽々と引きちぎると、『紅刻』は闇の中の、自ら作り出した闇へと消えた。
 出ずる先は、いずこか。


3.

 両手を気に入りのスタンドカラージャケットのポケットに突っ込んで歩く。
もうとっぷりと日も暮れたというのに濃い色のサングラスをかけた彼に、少し只ならぬ気配を感じたのだろうか。自転車で哨戒中のその警官は少し不思議そうに目を落としたが、結局すれ違いに走り去った。
 ほぅ、と短いため息をつくと、幾島・壮司(いくしま・そうし)は足を速める。
「めんどくせぇ」
 向こうが通りを曲がって出てくる前から。その警官の姿は、壮司のグラスの下の左目には全て見えていた。別に疚しいところは何も無いが今は依頼に赴く身だ。くだらん職質に付き合っている暇はない。

 集合場所は店から離れた人気の無い通りの空き地。事前に例の刀に感づかれることの無いよう、蓮はそう指定してきていた。賢明な判断だな、と思いつつシフトを無視して居酒屋のアルバイトを休ませてもらったことも思い出す。
「キッチリ、やらねぇとな……」
 休みの連絡を入れた時の店長の苛立ち気味な声を思い出し、壮司はまたため息をついて小さく肩をすくめた。
「まったく、自由人は辛ぇや。報酬と、ともかく『右目』の情報は頂きたいところだな」
 そうぼやくうちに、壮司は指定の空き地前に差し掛かった。
 転々と設けられた街灯に黒髪を淡く輝かせた女性が、立っているのが見える。


4.

「あなたも依頼を受けた方ですか?」
 雨柳凪砂は近づいてくる青年に、先に声をかけた。
「ああ、そうだ。俺は幾島壮司。あんたは?」
「雨柳凪砂といいます。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
 軽く礼をする壮司のグラスの下から、同時に凪砂は強い何かを感じた。無意識に、うなじの毛がざわめくように逆立つ。警戒……しかし、敵意ではない。好奇でもましてや好色でもない、今までに出会ったことの無い、視線。この視線は、何なのだろう。どこか人のもつ嗜好性から完全に逸脱した意志をもって自らに向けられている視線に、凪砂は当惑した。
「あのう……何か?」
 少し眉をひそめて凪砂は言う。
「ああ、嫌な感じを与えていてしまったら、すまん。俺の能力は……」
 そう言いながら壮司はサングラスをゆっくりと持ち上げる。金色の左眼。
「これ。神の左眼。つい、あんたの能力の解析に入っちまった。普段はこいつで調査屋をやっててね、初対面にはついこうしてしまう。職業病というか、癖だな。本当にすまん。もう、解析をストップした」
 ぶっきらぼうだがその言葉の中に繊細な素直さを認めて、凪砂は警戒を解くとともに少し好感をもった。
「いえ、そういうことなら。今回の依頼にうってつけの方のようですし…でもその、どの辺までわかったんですか? あたしの、能力」
「途中で止めたから、基本的な事だけだ。嘘じゃない」
「わかりました。……ひょっとしたら自己紹介の手間が、省けてよかったのかもしれませんね」
 そう言って微笑む凪砂を見て、壮司も少しほっとしたのか打ち解けた様子を見せる。
「そうかもな」
「ええ。ところで今回は三人と聞いたのですが、その方はまだですね。遅刻かな」
「いや、とっくに来てるらしい」
 壮司の左眼が空き地の隅、高いコンクリ塀の奥の闇に向けられる。


5.

(さて、どうなるかな)
 右腕のみ着流しの中に懐手し、しかし左親指はいつでも鯉口を切れるよう無銘刀の鍔に当てたまま、流飛・霧葉(りゅうひ・きりは)はアンティークショップ・レンから少し離れた空き地の隅に、指定された時刻のとうに前から鎮座していた。
 すぐにでも駆け出せるよう、片膝は立てている。
(万一戦闘になった時の……俺の出番ないのに、越したことないけど)
 霧葉は空を仰ぐ。
 スモッグで淀んだ東京の晴れ夜に浮かんだ淡く細い月が、霧葉に反りの薄い古刀を思わせた。世界東西に剣といえば数あれど、一本の刀身を極限まで鍛えぬく事にこれほど執着した剣は、日本刀以外ない。
「出番なしに越したこたないけど。それでも」
 ――見てみたい、その刀。
 振るう相手が所詮、憑依された一般人では、自分が無銘刀でもってその刀と立ち会う価値もない。
「……どんな刀だろ」
 霧葉の関心はただ、そこにあった。
 やがて。
 空き地前で男女が話しているのが見える。おそらく今回組む能力者達だろう。
「行くか」
 立ち上がり、彼らの元へ歩き出す。
「流飛・霧葉だ……よろしく」



6.

 当然ながら店主は彼らに後を任せて失せていた。夜に外から眺める蓮のいない店内は、曰く付の骨董の山からいつ勝手に魑魅魍魎が這い出すやらわからないような、妙に凄んだ雰囲気を帯びている。
「もう、ここにはいないみたいですね」
 そう言って凪砂は確認を促すように壮司を見た。
「ああ、もうお出かけの後だ。しかしあんた、そんなことまでわかるのか」
「いえ、あの刀の霊的な“匂い”は大体覚えていますから……ここにないことぐらいはわかります」
「ここに無いことだけわかっても、仕様がない。今は、どこにある」
 霧葉が退屈そうに言う。
「待ってくれ、解析している。こいつは……かなり異様というか強烈な残留霊子だ、空間転移してるな。……同一の転移の痕跡を発見、二時方向。ここからの距離300メートルってところか」
「本体は?」
「また動こうとすれば、俺の眼に映る筈だ。同じ方法での移動を繰り返しているなら、だが」
「一度に300メートルですか。それが限界ならいいんですけど。繰り返されると厄介ですね」
「時間差が、新しいほうの痕跡とかなりある。連続して動けたとしても、それ以下の距離しかだせない筈だ」
「どのぐらいだ? その、時間差は」
「多く見積もって三十分、だな」
「じゃあ、徒歩で追えない間隔でもないですね」
 獣化してしまえばあたしには瞬時に追いつける距離ですけど、と喉まで出かかって凪砂は飲み込んだ。もっとも、言わずとも壮司にはある程度見当のついていたことではあった。
「追うぞ」
 霧葉が早足で歩き出した。早く見てみたくてしょうがないらしい。
「まぁ、例の刀本体の位置がわかるまで、距離は詰めておいて間違いないか」
 グラスの位置を手慣れた仕草でなおしながら壮司も歩き出した。
「でも、向こうに感づかれたらどうするんですか」
「別の移動方法を用いてなければ、奴は1km範囲内にまだいるってことだ。そこに俺達みたいのが三人ノコノコ出てきて探っている。特に初対面じゃない凪砂さん、あんたを含めてね。感知する気ならとっくにされているか、または奴にその気がない」
「なるほど……」
「待て。これは」
「どうかしたのか?」
 一足先に歩き出していた霧葉が、振り向いて壮司をみつめる。無表情ながら、少し首をかしげながら射抜くように送るその視線、その目はぞっとするような艶っぽさを感じさせる。
「新たな残留霊子だ、転移しやがった」
 舌を打つと、壮司の全身にみなぎるように何かが走る。常人とは思えない瞬発力とスピードで壮司は駆け出した。体細胞を変質させ、身体能力を引き出したのだ。
(この人、こんなこともできたんだ)
 軽い驚嘆をおぼえつつ、オーデコロンの香りを後に引き、いや振り切るように凪砂も壮司の後を追う。
「距離は、どうだ」
 そう問いながら、霧葉も彼の痩躯にはゆったりとした着流しの裾をたなびかせながら、すでに壮司のほぼとなりを懐手のままで駆けていた。剣術家らしく、それだけのスピードで走りながら上半身の揺れも乱れた足音も全く見せない。
「残留霊子から判断するに、おそらく前回と同じ距離を跳躍した筈だ。思ったよりも転移間隔が短い、ヘタをすると振り切られるぞ」
「あたし達の存在を感づかれたのでしょうか?」
 息ひとつ切らさず、凪砂が不安げな視線を壮司に送る。
「わからんが……しかしこの調子で空間転移を繰り返されたら、ほとんどマラソンだなこりゃ」
 そういって壮司は挑戦的な微笑を口元に浮かべた。こうでなくては俺の左眼にふさわしくない、面白くない、とでもいうように。
 また『紅刻』が転移すれば、彼らとの距離は1km以上、いやそれ以上に離されることになる。凪砂は言い知れぬ不安を、霧葉は期待のまじった奇妙な不安をそれぞれ感じていた。
あの刀がこちらの存在に感づき、無差別憑依、殺人行動に転じたとしたら。壮司のいったとおり、距離は詰めておきたい。霧葉にしても、一般人のふるうその刀と立ち会ったところで面白くは無いし、血と脂で汚れた紅刻よりも、穢れのない状態のその刀を見てみたかったのだ。




7.

 壮司を先頭に、路地から路地へ―――向こうは障害物を無視して跳躍できても、追うほうはまっすぐ直線距離を詰められるわけではない―――彼らは走った。
 後ろにすっとんでいく景色を見ながら、凪砂は自分の懸念が当たっていたのかもしれない、と思い出していた。いや、ほぼ確実だろうと……
「壮司さん、その後転移の後は見えますか?」
「ない」
 端的に答える壮司に疲労の色は全くみえない。気配無くその隣を駆ける霧葉も同様だ。
 彼らの周りは新興住宅街から、昔は周辺の地主であったろうと思わせる高い塀と広い敷地をもつ屋敷の並ぶ一帯へと変わっていった。長い樹齢を感じさせる大木が、駆ける彼らの左右の塀の向こうから路地を覆うかのように現れるようになってくる。人通りもなく、この夜の帳にさらに漆黒のアクセントを加えるがごとく、屋敷や社の大木の陰には目を凝らそうとも見通せない本物の闇が点在している。

 と、唐突に凪砂が立ち止まった。
 先行しかけた壮司と霧葉があわててブレーキをかけ、凪砂を振り返った。
「どうした?」
「最後の転移痕跡はもうすぐそこに見えてる。他の移動手段をつかってなきゃ本体もこのすぐ近くに……」
 凪砂は立ち止まって唇を軽く噛んでいた。
「あたしに……あたし心当たりがあります。本体の、あの刀の場所」
 そういって彼女は、その右手の八幡神社を指差した。




8.

「蔵?」
「ええ、ここにあるはずです」
 三人は鳥居をいくつもくぐり、境内へと足を踏み入れた。
「その蔵がどうしたんだ」
 表情にはださないが合点のいかない声色で、霧葉が問う。
「あの刀が外出するようになってからの前日の新聞記事です。その日あたりから何か変わったことがないか、調べていたんです、ネットや新聞で」
「それでその蔵に関する記事が?」
「ええ。ただ、あたしが強く関連性を感じた、というだけだったので……蓮さんにも皆さんにも言わずにいたのですが……近づくにつれ確信しました。やっぱり、ここだったんだ」
「それはいい。なんて記事だったんだ」と霧葉。
 凪砂は庫裏の横をすすみ、さらにその先へ歩いていく。
「ここの神主さんが建築に造詣が深かったらしくて……都市開発で取り壊されるところのその蔵を、自分の土地に移築することにしたそうです」
「それと刀と、どう関係がある」
「移築工事中に、白骨化した遺体が発見されたんです、蔵の壁の、下から」
 一瞬の沈黙。
「それはまた。おだやかじゃねえな」
 ひゅう、と唇をならして壮司はサングラスを中指でつい、となおした。濃いレンズの舌でその目がどんな表情をたたえているか読み取るべくもないが、かすかな月明かりを反射してその左眼が琥珀色に鈍く光る。
「腐食がひどくて……というか相当古い遺体で身元の確認も絶望的だったらしいですが、ただ……」
「ただ、何だ」
「死因です。ほぼ完全に白骨化していたらしいですが、背後から鋭利な刃物で切り殺されていたそうです。斬殺、っていうんでしょうか」
 痛ましげに目を伏せる凪砂とは対照的に、霧葉の目が急に好奇心を帯びる。
「損傷は?」
「肩甲骨からあばら骨まで、完全に断裂。しかもおそらく、一撃で」
 俯いて何か考え事をしていた壮司が、驚いたように口を挟む。
「おいおい、一撃で肩からアバラまで裂くなんて、人間技じゃないんじゃないのか」
「そんなことはない。鉈の重さ、剃刀の切れ味」
 霧葉は続けた。
「そんな芸当ができるのは、日本刀だけだ。そこそこの使い手なら、可能だ」
 俺なら背骨まで刃を食い込ませられるが、と霧葉は思ったがあえて黙っておく。
「ですよね。となるとやっぱりその犯行につかわれたのはあの『紅刻』と考えるのが、妥当…」
「ああ。核心に近づきつつあるのかもしれん。あの刀の、意図に」
 その言うと同時に壮司は静かに、奥へと歩を進めだした。霧葉と凪砂もゆっくりと後を追う。



9.

白木の鞘に納まったその刀は、蔵の前にぽつんと横たわっていた。そのあまりの無造作振りに逆に面食らった風情、三人の足が止まり、思わず庫裏の柱の影に身を潜める。
「やっぱり、ここだったんだ…」
 凪砂は呟いた。
 壮司は無言で、どんな小さな霊的事象も見逃すまいと神の左眼で刀を注視している。しかしいまだ何も現れてはこない。刀の背後に、それに憑依している霊の存在がかすかに読み取れる以外は。しかしその霊の意図も感情も、気配を殺して待っているのか読み取れない。
(待っている……のか、休んでいるのか? それともこの場所で潜んでいなければならない理由が?)
 霧葉は庫裏の壁にもたれ、いつでも刀を抜けるよう柄に手をあてたまま、目を閉じ水面に浮かぶ羽虫の死体のごとく気配を殺していた。
 張り詰めた重い沈黙が、黒く星の見えぬ東京の空から切り取られ降りてきたかのように三人を覆う。
 数時間とも思える数分。
 その沈黙を破るように、凪砂が囁いた。
「そうだ」
 霧葉がゆっくりと片目を開けて凪砂を見る。
「どうした?」
「壮司さん、あなたの左眼……過去の事象も“見る”ことはできますか?」
「な、やったことは、ないが。しかも数十年前となると、どうかな。可能だとは思うが精度は保障しないぜ」
「かまいません、ひょっとするとこちらを完全に警戒して、おとなしくしてるのかもしれません。だとしたら朝までこのままかもしれませんし……。こちらからなんとかしなければ、手ぶらで帰ることになるか、逃げられることも考えられます」
「俺が逃がしはしないけど」
 と、霧葉がぽつりという。
「いいだろう、やってみよう」
 その前にあんたの能力を、と壮司は言いかけてやめた。そして凪砂とその能力をサングラスの下から感付かれぬよう見届けると、能力を左眼のストックにコピーした。
(あんたのフェンリルの力、借りる。泥棒みたいで気に食わないが今は説明する時間が惜しい)
 壮司の左眼が、時に縛られぬ妖しの狼の力を得て、更なる輝きを得る。
「さて、やるか。鬼が見えるか、蛇が見えるか……」
 時間。それは死すべき存在である人間が星辰から暦を、時を、秒を、区切っただけのものにすぎない。神と魔狼という二つの人智を超えた存在の力を宿した壮司の左眼が、現在という薄っぺらな壁を易々と突き抜け、蔵とそこに横たわる刀の過去と呼ばれるものを見とおしていく。その先で彼は見た―――



(青年は、鍵を壊そうとしていた。

 その頑丈な南京錠に渾身の力を込めて、鉄片のようなものを打ちつけている。
 荒い息遣い。
 その鍵は、その扉は……
 蔵だ、あの蔵のものだ。
「待ってろ……。出るんだ、瑞江っ。ここから逃げよう!」
 扉の中から返事はない。
 少女は、その座敷牢の中で驚いたように、硬い金属音とあの青年の声が響く扉を見ていた。
 出る?
 ここから、出る……出られる? 外へ? 
 私の触れたことの無い世界。小さな窓から見るだけだった外の世界に。
「出られるの……?」
 少女は呟いた。
 その細く白い足首から、錆びた鉄輪と鎖が伸びている。
 錠の破壊をあきらめたのか、青年は扉に肩から体当たりを食わせ始めた。
「許されることじゃない……こんなことが許されていいわけない……!」
 なんて頑丈な扉だ、それでも。
 絶対にこんなことは許されない。許さない。
 決めたんだ。救うんだ。
 肩から血が滲みだしても、彼は扉への突進をやめない。
 繰り返し叩きつけられる青年の全体重の衝撃に耐えられず、蝶番が軋み、歪みだす。
「ここから――出るんだっ!」
 ついに南京錠に通っていた鉄棒が錆びた部分から弾け飛んだ。
 扉が一気に開け放される。
 少女がついぞ嗅いだことのない空気が、蔵の中へなだれ込んでくる。
 花の香り、陽の匂い、小鳥のさえずり。
「これが、外の世界の空気……」
 この座敷牢の湿って埃っぽい空気とは似ても似つかない――
 しかし、
 眩しさにやっと慣れた目で少女が扉を……救いの青年を見ようと瞼を開けた刹那。
 

 見えたのは
 傷だらけで微笑みをたたえ手を差し伸べる青年と
 その背後で白刃を振りおろす

 父の姿だった――


「婿養子風情が、とち狂いおって。痴れ者め」
「おやかたさま、この男の死体はどうするので?」
「この土蔵の下にでも埋めておけ。お似合いだ」
「しかし姉様には……」
「この男は失踪して行方知れずだ、そういえ」
「はあ」
「いいか、この男は失踪して行方知れずだ……そうだな?」
「はっはい、仰せの通りで。」

 扉はまた固く閉じられ、深い深い沈黙が訪れた。
 少女は青年の血痕を、指でかきむしるように愛でながら、生まれてはじめて泣いた。
 自分をここから救い出そうとしてくれた人。
 その人を殺した男。
 それが私の父。
 許せない、許せない、許せない許せないユルセナイ―――
 
 待って、これは……誰? これは、あなたは誰)



≪私の心を覗くのは! 貴様か!≫
「うぐっ!」
 壮司が突然弾かれたように後ろにつんのめると、サングラスを落とした。強い痛みでも感じたかのように左眼を両手で覆っている。
「壮司さん!」
「どうした」
「くっ……フフ、こいつは強烈、いや、やべぇもん見えちまったぜ、しかも感づかれた」
「そんな、一体なにが見えたんですか?」
「今、それを説明する暇はおそらく。あの刀が、いやあの瑞江って憑依霊が与えちゃくれなそうだな」
 ショックから早々に立ち直ったらしく、壮司はサングラスを拾うと悠々とした仕草でかけなおした。
「じゃ、俺、出番かな……」
 霧葉がゆっくりと身構える。
だらりとさげた左手に握られた彼の無銘刀はまだ黒呂塗りの鞘に納まっているが、前方正中線にかまえたその右腕はコンマ1秒もかけずに抜刀できる気配を発していた。そして、刀と一体になったようなそのシルエットは、一種の美しささえ感じさせる。
『紅刻』は、まだ動かない。
 無意識に、警戒してジリジリと距離をとる三人。
 張り詰めた空気、三人が注視する中、その刀はいまだ動かない。
 だからこそ、死角だった。蔵の後ろから、一人の男が現れ、紅刻に駆け寄ると常人とは思えぬ素早さで白木の鞘を抜き、三人に向かって剣を構える。その服装、明らかにこの社の宮司だった。その目は虚ろだ。
「ショックを与えた後とはいえ、俺の左眼に感知されずに遠隔憑依をやるとはな」
「どうしましょう、あの人明らかにただの一般人です」
「なんだ、そうか……ちぇ、つまらん」
 そう呟くが早いか、霧葉が飛び出した。
 そして踏み込みながら――剣を抜いた!
「あっ」
「駄目ですよ、殺したらっ」
 二人の制止の声が終わらぬ間に、空を裂く音が無慈悲に響く。目を覆う二人。
 だが……。
 空を裂いたのは彼の鍛え抜かれた真剣ではなく、黒呂塗りの鞘の方だった。
 霧葉の操る鞘が、生き物のように紅刻をやすやすと絡めとり、宮司の手から弾き飛ばし、そして。
「悪いな、寝てろ」
 そのまま無銘刀の柄を男の水月に叩き込む。
 小さく呻くと、不運な宮司は蹲ったまま動かなくなった。

「はぁ、なんだ。ヒヤッとさせてくれるぜ」
「よかった……」
「加減は、してある。鞘、少しへこんだか? いいや、あとで請求する……。それより」
 鞘を帯に差し入れ刀を納めると、無造作に霧葉は『紅刻』を拾い上げた。凪砂が小さく声をあげる。意にも介さず、霧葉は紅刻の白木の鞘を抜き、興味深そうに検分した。
「へぇ、なるほど。まぁ俺の無銘刀にはおよばないな」
「え? あ、あの、霧葉さんなんともないんですか?」
「何が?」
 さも不思議そうに凪砂に問い返す霧葉。
「その刀、以前は握った人間片端から憑依して、無差別に人を斬って、いや斬らせてたんですよ?」
「別に。なんとも、ない」
「そういう意図は、俺の“眼”にも全く見えないな」
「らしいよ。ほら。」
 霧葉がひょいと凪砂のほうに納刀した紅刻を投げてよこした。
「え、きゃ、わわ……あれ? 何ともない、ですね」
「とにかく、帰るとするか」
「そうだな、報酬。あ、俺の鞘の修復費も」
「あ、あたしが持ったままで大丈夫なんでしょうか……急に憑依されたら怖いんですけど」
 凪砂が冷や汗まじりに苦笑を浮かべている。
「大丈夫、さっきと同じに、俺が止める」
 霧葉がこともなげにいう。
「なんなら俺が無銘刀と一緒に持って、帰ってもいいが」
「え、それはその……」
「いや、それはカンベンしてくれ、あんたが万が一憑依されて二刀流でもやりだしたら、止められねえよ」
 そういって壮司は明るく笑った。つられるように凪砂もくすっと笑う。
「そうか?」
 霧葉はきょとんとしている。
「今のは褒め言葉ですよ、霧葉さん。褒め言葉」
 澄んだ微笑を浮かべる凪砂。
「そうそう。素直に喜びな」
「……そうか、そうするか」
 霧葉も静かに、微笑した。

 かすかに白みだした東の空を眺めながら、壮司は『紅刻』とあの蔵の関係、さぐった過去から見たものを、二人に帰りがてら話して聞かせた。
「悲しい、話ですね……」
 凪砂は女性らしい、繊細な同情に似た感情を、『紅刻』に憑依している少女に感じざるを得なかった。
「彼女の魂は、自分を救おうとした青年を殺した自分の父を……その青年を斬った『紅刻』で復讐するまでは、安らぐことはないんでしょうか」
「もうその父親とやらもとっくに没しているだろうにな。確かに悲しい話だ」
 最高の強度と切れ味。日本刀だからこそ生まれた悲劇なのだろうか。
 霧葉も無言ではあるが、伏せ目がちの神妙な面持ちでいた。






 -------エピローグ-------

帰還した三人から一連の顛末を聞かされた蓮も、やはり女性としてか人間としてか、感じ入るものがあるようだった。
「そうかい。そういう因縁があったかい、あの刀には……」
「はい……」
「そりゃこの刀の憑依霊を沈めるのは、容易じゃなさそうだねえ」
 そういって大きなため息をつく。今は蓮にも、いつもの居丈高な元気はなかった。
「いやいや……さて! ともかく、依頼は完璧に遂行してくれたよ、あんたたちは。報酬ははずませてもらうよ。霧葉、あんたの損傷した鞘も、十二分に修復費はだす」
「……当然だ」
 そういって分厚い茶封筒を、蓮は各々に渡した。
「いつもすまないね、凪砂ちゃん」
「いえ、気にしないでください。報酬目当てでもないですから」
「へぇ、あんた、金あるんだなぁ。口座の残高まで、俺の左眼は見抜けないからな」
 そういって壮司は冗談であることを示すように大きな声で笑った。
「財産分与をうけたんですよ、あたし一人で稼いだわけじゃありません」
 困ったようにほほえむ凪砂。
「まぁ、この刀があれば俺は食えるだけあればいいや…金は」
 霧葉は視線で愛でるように無銘刀を眺めた。
「それじゃ、助かったよ。三人とも何かあったらまた頼むよ」
「お疲れ様でしたっ」
「それじゃ…」
「お疲れ。さぁて俺もバイトにいくかぁ」
「ああ、まっとくれよ、壮司」
 ほかの二人が出て行く中、蓮は壮司を呼び止めた。
「! まさか、『右目』の情報か!?」
「あまり期待はしないどくれよ」
「どこにあるんだ」
 蓮は大きくため息をついた。
「『神はその似姿として人をつくりたもうた』……まぁ聖句と関係あるかはおいといてさ」
「所在は? わからないか?」
「残念ながらね。まだ誰とも融合を果たしてないって事だけはわかってる。神の右目の能力について少し情報があるだけさ。左眼と対になっているだけあって、右眼は論理、真偽、善悪の判断をつかさどっている。アタシの情報は、これだけだ。どんな偽装も嘘も偽善も、神の右眼の前には歯が立たない。おそらくは、真理を見通す力。これがアタシの知ってる全部だよ」
「わかった……恩に着る」
「それはお互い様さね」


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【1847 / 雨柳・凪砂 /女性/24歳 / 好事家】
【3950 / 幾島・壮司 /男性/21歳 / 浪人生兼観定屋】
【3448 / 流飛・霧葉 /男性/18歳 / 無職】

【NPC1698 /瑞江 /女性/14歳 /憑依霊】
【NPC1701 /紅刻 /無性別/212歳 /日本刀】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
〜ライターよりPC様へ〜

【TO 雨柳・凪砂さま】
同シリーズへの続けてのご参加、本当にありがとうございます^^
本作品中唯一の女性でしたので、強いながらも愛らしい女性を描くよう努力してみました。
瞳の半獣化による卓越した情報収集能力を発揮して頂いた訳ですが、お気に召して頂けたでしょうか、それだけが心配です。
プレイングに情報収集行動がありましたので、二人の導き手として活躍させることができたのを嬉しく思っています^^

【TO 幾島・壮司さま】
はじめまして、そして、ご参加ありがとうございます。
幾島様と、「神の左眼」という能力には私自身とても魅力を感じましたので、楽しみながら活躍させることができました^^
その分PL様自身の持つキャラクターイメージを崩してしまったところがありましたら申し訳ないです。
その点ご不満がありましたら、ご指摘を頂けると幸いです。
「右目」の能力に関しては、私自身の脳神経の知識から、エピローグであのように推測させていただきました。
さしでがましい事であったなら申し訳ないです^^;

【TO 流飛・霧葉さま】
はじめまして、刀がかかわっている、という理由でのご参加だということでしたが、とても嬉しいです。ありがとうございます。
(私自身日本刀が好きですので…)
全体的に『紅刻』に対する関心の中で活躍していただきました。


ストーリーやバックストーリーに対するご批判や、感想などありましたらレターをいただけるとこの上ない幸せです。
改めて、皆様ありがとうございました^^